俳諧ガイド 目録

俳諧のあらまし俳諧の歴史俳諧の形式俳諧作法
歌仙系百韻系発句作法脇作法
第三作法初表作法平句作法・付句名残裏・挙句作法


平句の作法・付句

平句の作法 索引

平句平句について蕉風以外の説確認したこと
平句作法平句作法総論各折の平句平句の格
付句作法付句作法総論付句について指合・去嫌
変化景色と風情俗談平話、皮肉骨

 


 


平句
平句について
① 発句・脇・第三・挙句以外を平句(ひらく)と言う。
② 付筋の変化を旨とする。変化のため、去嫌・指合も尊重する。
蕉風以外の説

❶ 「や」「かな」などの切字は発句だけで、平句に使ってはいけない。
❷ 使用文字について
 ㋑ 仮名止め・漢字止めはそれぞれ5句以上続いてはいけない。
 ㋺ 片仮名・アルファベット・数字の打越を嫌う。
 ㋩ 発句で使った字(月花を除く)を平句で使ってはいけない。
 ㋥ 「恋」の字は巻に一つ。
❸ 人情について
 ㋑ 人情自・人情他・人情自他半・人情なし、それぞれの打越を嫌う。
 ㋺ 人情あり句と人情なし句が二句ずつ繰り返すことを縞と言って嫌う。
❹ 花の定座は、どこに引き上げてもよい。
❺ 短句下七の「二五」を嫌う。
❻ 付句は、前句の形態に留意する。
   長句 ○○○○● ○○○○○○● ○○○○●
   短句  ○○○○○○● ○○○○○○●
  この●
に、同じ助詞や活用語尾が来ないようにする。
❼ 恋句について
 ㋑ 初ウ1に恋句は出さない。待ち兼ねと言って嫌う。
 ㋺ 「女」の字があれば、恋句になる。
❽ 芭蕉は、人倫の打越を許している。

芭蕉の俳諧で確認したこと

❶ 蕉門では、「切字に用いる時は、四十八字皆切れ字」である。「切字」が使えないなら、四十八字以外の文字で詠まなくてはならなくなる。
・ 「や・かな・けり」などは、一句独立した「俳句」の切字で、本質的に異なる。これと混同してはならない。
・ また、「や・かな・けり」を用いたからと言って、切字になるとはかぎらない。
      やぶ入の嫁や送らんけふの雨
 この句を、「平句に『や』を切字に用いた」例にする者(明治以後の学者)もあるというが、この句の切字は「や」ではない。

→「発句の作法資料、発句と切れ」等参照。

  「や」「かな」などの切字は発句だけで、平句に使ってはいけない。
 △ 平句は、切らない。従って、切字にならない「や・かな・けり」は、平句に用いる。


❷㋑ 芭蕉はこのような式を立てていない。また「仮名止め・漢字止め」と言う語句も用いない。「かな」は「哉」、「けり」は「鳧」、「なり」は「也」と表記は自由である。漢字と仮名を5句ごとに書き換えれば済むのだろうか。自立語(体言・用言)を真名書きにして、字留或いは体字留と言う。また、体言止だけではないし、体言も漢字で書くとは限らない。
    01 牡丹蘂深く這出る蝶の別れ哉  てには ※「ゆめのあと」「一葉集」
    02 朝月涼し露の玉ぼこ      体言
    03 歌袋望なき身に打かけて    てには
    04 たまたま膳について箸とる   捨てには
    05 新屋根になじまぬ板の雨雫   体言
    06 弐百ちがひに馬の落札     体言
    07 たぶさ引跡は小声の男同士   体言
    08 涙に濁る池の人かげ      体言
    09 竹蜂のするどき月の夕あらし  体言
    10 茶の実こき行うしのにれかむ  捨てには
 ※「にれかみ」と読むなら体言。
    11 年ふりて吾妻祭りの関ケ原   体言
    12 かちんのくゝり高き宿老    体言
    13 薄ぐらき簾にはさむ紙の屑   体言
    14 硯のはゞの合ぬひら筆     体言
    15 くりくりに醒たる酒の酔ごゝろ 体言
    16 谷真風をかづく舟の真下    体言
    17 花散りて近き見越の角矢倉   体言
    18 燕の泥を落す肩ぎぬ      体言
    19 出代りの腰に提たる持草履   体言
    20 昼の日脚に過る風ぞら     体言
    21 地雷火の逆立波の赤ばしり   体言
    22 鷺の塒を替る枯梛       体言
    23 僧正のさかやき寒き簀子椽   体言
    24 忘れて焦す飯の焚じり     体言
    25 御茶壺の雨に向ひて扇子敷   捨てには
    26 旅の乞食の奢る小所      体言
    27 物買の袂へおろす上蔀     体言
    28 鉦の音響く盆の灯燈      体言
 ※提灯
    29 蝙蝠のかけ廻りつる月の暮   体言
    30 風冷初る馬場の白砂      体言
    31 振舞を幾つも仕たる仲間入   連用体言
    32 妾なぶりて顔を絵に書     捨てには
    33 燃口の煙りにからき糠油    体言
    34 湯ざやの杉の広き本宮     体言
    35 花垣に辺りの青葉引撓     捨てには
    36 かれも角組はるの蝸牛     体言

・ 体字留めが04から36まで、33句続く。
・ 「捨てには」は、動詞を漢字で書き、活用語尾を省略したもの。体言止めは、11から24まで、14句続く。
・ 表記の自由度は高い。漢字で書くか仮名で書くかは勝手である。
 【漢語】玉矛→玉ぼこ  【和語】あましずく→雨雫、心→こころ、かな(助詞)→哉、ひきたわめ→引撓

・ てには止めの連続もあるが、証句は略す。

→「貞享式海印録/てには留、歌仙十五続き」参照。

  仮名止め・漢字止めは、それぞれ5句以上続いてはいけない。
 △ そもそも俳諧に、仮名止め・漢字止めという概念がない。


❷㋺ 片仮名の打越を嫌うなら、平仮名も嫌わなくてはならない。数字の打越を嫌うなら、漢字も嫌わなくてはならない。ちなみに、踊り字も文字の代用記号なので問題ない。
 去嫌は文字毎に異なる。

→「貞享式海印録/数字」、「海印録/送り字」参照。

  片仮名・アルファベット・数字の打越を嫌う。
 △ そもそも俳諧は、日本語で表記するので、漢字(漢数字も)・平仮名・片仮名などの使用は自由である。
 △ 踊り字は、反復される字句と同じものとして扱う。


❷㋩ 奇抜な式目である。別字や仮名への書き換えは考慮していないのであろうか。かなはのぞくというなら、すべてかなでかけばゆるされることになる。

→証句は、「発句の作法、芭蕉の俳諧で確認したこと❹」参照。

  発句で使った字(月花を除く)を平句で使ってはいけない。
 △ 平句で使用する字は、去嫌の中で自由である。なお、挙句は、発句で用いた自立語を用いない。


❷㋥ 根拠は何であろうか。蕉門で恋の字は「百韻・歌仙ともに面去」。貞門では「折去り」である。

蕉門→「貞享式海印録/恋の字」参照。
貞門→「誹諧小式/句数之事 并去嫌」参照。

  「恋」の字は巻に一つ。
 △ 「恋」の字は面に一つ。


❸㋑ 一見論理的だが、表層のみの把握による誤解である。自・他それぞれの人物が異なれば問題ない。

→「俳諧の決め事/付けの資料/芭蕉一座俳諧の人情自他」参照。

・ 「人情なし句」をまとめて「場の句」とするところにも問題がある。「場の句」には、「景色」の外、「時分・時節・天相」などがある。

→「俳諧の決め事/付けの資料/芭蕉一座俳諧の人情自他/卯辰集『馬かりて』の巻」参照。

  人情自・人情他・人情自他半・人情なし、それぞれの打越を嫌う。
 △ 人情あり句は、視点人物・登場人物の打越に留意する。
 △ 人情無し句は、景・時節・場などの打越に留意する。


❸㋺ 反復の程度及び根拠を示さない論である。
・ 几董の「付合てびき蔓」には、「或は人情二句・景気二句と縞筋を織たる如く、一巻を連綿する事あり。一巻おだやかなりといへども、巻中に曲節ある事なし」とあって、反復の程度を「一巻を連綿」とする。
 「人情二句・場二句」が共通する。これを参照したか。しかし、問題の本質は「縞」でなく、「巻中に曲節」がないことなのは、次の「小鏡」で明らかとなる。
・ 蓼太の「俳諧付合小鏡」に、「付合の三句目は、粉骨有るべき所なり。蕉門の作者、多くは、二筋立の縞のごとく、人情二句続けば、はや三句目は、「冬の、夏の、雨の、雪の」と逃げて、一巻力なし。古集の骨折を、師に学ばざるの故なり。」
・ 人情無し句は、景気ばかりではなく、時節・事柄の句もある。人情自句・他句も同一人物かという観点から見る必要がある。

→「俳諧の決め事/付けの資料/芭蕉一座俳諧の人情自他」参照。

  人情あり句と人情なし句が二句ずつ繰り返すことを縞と言って嫌う。
 △ 人情あり句・人情なし句という視点からも、巻中に曲節を持たせる。


❹ 花の定座は引き上げてもよいが、初表4から6句目は出さない。

→「海印録/花の座」、「決め事/花の句」参照。

  花の定座は、どこに引き上げてもよい。
 △ 花の定座は引き上げてもよいが、初表4から6句目は出さない。


❺ 「埋木」には、「三四をよきに定め、四三をあしきに定めたり。二五と五二とは、その句によるべきにやとぞ」とある。
 細道と七部集の歌仙において、芭蕉の短句124句について調べた。
 結果、「[三四]74句、[五二]41句、[二五]9句、[四三]なし」であった。件の二五は次のとおり。
    かぜ、ほのかなり。/ちを、みおくなり。/こえ、いかすなり。/
    なき、たまひけり。/よき、やしろなり。/みな、こまちなり。/
    わが、わらひがお。/もの、おもいゐる。/まず、ふみをやる

 この9句に問題はない。

→「直旨伝/付合」、「決め事/用語・用字・音/芭蕉短句のリズム」参照。

  短句下七の「二五」を嫌う。
 △ 短句下七の「三四」はよく「四三」は悪い。「五二」はほぼよし。「二五」は句による。


❻ これは、連歌の論であろうか。俳諧歌仙での「折合てには」は、初表のみ問題とする。蕉門では、「第三と五句目」「4句目と6句目」に限り、前句末の「てには」と同じ仮名を、付け句の「上七末」に用いない。
  ┌ 第三  及び 5句目 ○○○○○ ○○○○○○○ ○○○○●
  │ ↓      ↓
  └ 4句目 〃 6句目  ○○○○○○● ○○○○○○○

  「折合てには」とは、短句の上七末に、長句下五末と同じてにはが来ないようにすること。その余は関係ない。

・ 「折合てには」とはいかなるものか、後学のために、七部集の全短句を見た。初オ4・6ではないので、いずれも問題はない。
  ┌ 発句  はつ雪のことしも袴きてかへ  野水 冬の日
  └ 脇    霜にまだ見蕣の食      杜国 冬の日
  ┌ 初ウ5 いふ事を唯一方え落しけ    洒堂 ひさご
  └ 初ウ6  ほそき筋よ恋つのりつゝ   野水 ひさご
  ┌ 名オ1 日のいでやけふは何せん暖   舟泉 曠野
  └ 名オ2  心やすげ土もらふなり    亀洞 曠野
  ┌ 名オ1 いちどきに二日の物も喰て置  凡兆 猿蓑
  └ 名オ2  雪げにさむ嶋の北風     史邦 猿蓑
  ┌ 名オ5 人去ていまだ御坐の匂ひけ   越人 曠野
  └ 名オ6  初瀬に篭堂の片隅      芭蕉 曠野
  ┌ 名オ9 朝毎の露あはれさに麦作    且藁 春の日
  └ 名オ10  碁うちを送きぬぎぬの月   野水 春の日
  ┌ 名オ9 つくづくと錦着る身のうとまし 冬文 曠野
  └ 名オ10  暁ふか提婆品よむ      荷兮 曠野

  次の●に、同じ助詞や活用語尾が来ないようにする。
   長句  ○○○○● ○○○○○○● ○○○○●
   短句   ○○○○○○● ○○○○○○●

 △ 第三の止め字を、初オ4の上七末に用いない。初オ5、初オ6も同様。
   第三  ◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯●
   初オ4  ◯◯◯◯◯◯●× ◯◯◯◯◯◯◯


❼㋑ 初表に嫌うものを初裏折立に詠むことを「待ち兼ね」と言ったようである。恋や名所はよいが、釈教や無常を「待ち兼ね」と言うのはいかがなものか。ともあれ、芭蕉俳諧は「待ち兼ね」を嫌わない。
  ┌ 初オ6  茶の湯者おしむ野べの蒲公英  正平 冬の日「つつみかねて」
  │ 初ウ1 らうたげに物よむ娘かしづきて  重五
  └ 初ウ2  灯篭ふたつになさけくらぶる  杜国
  ┌ 初オ6  歯ぎしりにさへあかつきの鐘  越人 曠野「落着に」
  │ 初ウ1 恨たる泪まぶたにとヾまりて   越人
  │ 初ウ2  静御前に舞をすゝむる     其角
  └ 初ウ3 空蝉の離魂の煩のおそろしさ   其角
  ┌ 初オ6  秋の夜番の物もうの声     洒堂 ひさご「鉄砲の」
  │ 初ウ1 女郎花心細気におそはれて    執筆
  │ 初ウ2  目の中おもく見遣がちなる   野径
  └ 初ウ3 けふも又川原咄しをよく覚え   里東
  ┌ 初オ6  碪をやめて琴の糸かる     松洞 芭蕉翁俳諧集「鼓子花の」
  │ 初ウ1 うかれたる女になれて日をつもる 奇香
  │ 初ウ2  矢数に腕のよわる恋草     芭蕉
  └ 初ウ3 古塚に故郷の文を捨にけり    自笑
  ┌ 初オ6  只そろそろと背中打する    去来 折つつじ「蝿ならぶ」
  │ 初ウ1 打明ていはれぬ人をおもひ兼   芭蕉
  └ 初ウ2  手水つかひに出る面影     路通

・ 神祇・釈教は多例で略す。

→「師説録/折端、裏移り、匂の花、挙句」参照。

  初ウ1に恋句は出さない。待ち兼ねと言って嫌う。
 △ 芭蕉俳諧は、根拠なしとして、「待ち兼ね」を嫌わない。


❼㋺ 芭蕉俳諧では、恋の情が必要である。文字や語彙で恋句とすることはない。
  ┌ 名ウ4  晒の上にひばり囀る      利牛 炭俵「空豆の」
  │ 名ウ5 花見にと女子ばかりがつれ立て  芭蕉
  └ 挙句   余のくさなしに菫たんぽゝ   岱水

→「二十五箇条/恋句」、「元禄式/恋句のこと」、「師説録/恋」、「決め事/恋の句」参照。

  「女」の字があれば、恋句になる。
 △ 芭蕉俳諧では、詞の恋は恋にならず。心の恋を専らとする。


❽ 芭蕉俳諧でも「人倫」は二句去である。「人倫」の意味を理解しないと、芭蕉が「付けや打越」を許していると誤解する。
 次は、明治以後、学者の論と言う。
 

  ┌ 初オ4  公家に宿かす竹の中みち    芭蕉 「熱田三歌仙/何とはなしに」
  │ 初オ5 月曇る雪の夜桐の下踏すげて   叩端
  └ 初オ6  酒飲むのいかに淋しき    桐葉

 「公家と姨が、人倫で打越」であるのにかかわらず「曲斎は~打越にはならないと主張する。~要するに曲斎の解釈であって、芭蕉ならびにその門弟たちが人倫・噂・姿・情・用をそれぞれ区別し、それによって付けたか否かママは疑問である」。

 

 評論する書の引用を無視して、「三歌仙」から句を引いているところが、詮議どころの第一である。曲斎は「蓬莱島」から引いているので、句に違いがある。小異とは言え、おざなりである。曲斎は既に反論できぬ所にいるから、一字一句違えないよう心掛けるべきである。
 第二に、論評すべき書を読んでいないと思われる節がある。海印録に言う「人倫」の意味をとらえていないのである。
 海印録には、「(人倫とは、)親子・兄弟・娵聟・舅姑・祖父祖母・孫彦・伯父伯母・甥姪・妻妾等の、六親九族の文字なり。是に僧名・俗名・現在に作る古人の名等を准ず」とある。従って、俳諧では「高祖父母・曽祖父母・祖父母・父母・自分・子・孫・曽孫・玄孫の九族。及び、自分の『親・子、兄・弟、嫁・婿、舅・姑、祖父・祖母、孫・ひ孫、おじ・おば、甥・姪、妻・妾』など。並びに、男女」を言う。
 「海印録」を読む環境になくとも、「広辞苑」に「人と人との秩序関係。君臣・父子・夫婦など、上下・長幼などの秩序」とある。「人倫」の意味を取り違えているのではないか。
 従って、「公家」は人倫ではない。人倫ではないが、「蕉門にては、此類(主・誰・身・独・媒の五品)は、『噂』と号けて越を嫌はず」と書いてある。「公家」は、「主」に属する「人倫の噂」となる。だから、曲斎は、芭蕉句の「公家」と桐葉句の「姨おば。伯母、あるいは年老いた女」は、「人倫」で打越を嫌わないと言うのである。
 以上のことは、曲斎がわざわざ「人倫」に印、「人倫の噂」に印を付けているので、「ちょっと見」でもすれば分かることである。
 また、下線部の意味が了解困難だが、「芭蕉及びその門弟たちが、人倫・噂・姿・情・用をそれぞれ区別し、それによって付けたかどうか、疑問である」と解釈しておく。「疑問を呈する」のは、勝手であるが、批判的な論の一部に入れるなら、根拠を示すべきであろう。
 さらに、「曲斎の解釈」とあるところが、第三の詮議どころである。
 この「海印録、巻二」の冒頭に、「古今抄、四」の引用があることは「ちら見」でも分かる。

 元より人倫を二句去と定めたるは、父母と云ひ、男女と云ひ、目立ち耳立ちたる文字の外は、或ひは自他の境に分ち、或ひは姿情の違ひを考へて、打越の付心と別ならば、「人倫の噂」は似通ふとも、一巻の配りは変じ易からむ。
 然れば古抄の掟たる、主、誰、身、独、媒と云ふ類は、只人倫の噂にして、人倫とは定むべからず。此等に、法制の寛猛をしるべし。
 父母・男女、此の四品は、人倫の凡例なり。此類は、二句づつ去るべし。
 主・誰・身・独・媒、此五品は人倫の噂なり。指合をくるべからず。
 天童・天女・帝・仙洞・新院・鬼・仏、此類古式に色々の説あれども、人倫には二句づつ去るべきなり。


 「古今抄」は、蕉門十哲の一人、支考晩年の書である。これは、「支考の解釈」であって、曲斎のものではない。曲斎は、支考の解釈を基に、「芭蕉一座の俳諧」「芭蕉監修の俳諧」「蕉門高弟の俳諧」の実例を証句とするのみである。
 

・ 人倫二句去の理由は単純である。「父」の打越に「嫁・母・息子」などがあっては、戻ることになるからである。「人倫の噂」は、「人倫・人倫の噂」に打越を許すが、「殿様」の打越に「姫・侍・三太夫」、「番頭」の打越に「手代・丁稚」などがあってならないのは明らかである。

→「海印録/人倫」参照。

  芭蕉は、人倫の打越を許している。
 △ 芭蕉俳諧では、人倫二句去、。人倫の噂は、打越を許す。

平句作法総論

<蕉風の平句>

 ① 平句は、曲節のない平生体に作る。趣向の深浅、雅俗にかかわらない。
 ② 初表4~6句目に心得あり。 →「初表の作法、資料4・5・6句目」参照。
 ③ 初裏は、初表の規制を緩め、神祇・釈教・恋・無常などを許す。
 ④ 名残表は、遊びどころで、華やかな句を求めおかしみを案ずる。
 ⑤ 名残裏は、時間を掛けて一座の興をそがぬよう、新しみのあるあっさりとした句を出す。

 ⑥ 月の句を4面の内3面に一つずつ詠む。 →「俳諧の決め事、月の句」参照。

 ⑦ 花の句を2折に一つずつ詠む。 →「俳諧の決め事、花の句」参照。

 ⑧ 恋の句を2箇所に詠む。 →「俳諧の決め事、恋の句」参照。

各折の平句
山中問答

初折~
名残の折
 俳諧一韻にて、四折は面にして表裏の句あり。歌仙にて言はば、名残の表は遊びどころと知るべし。
[初折] 初折は地の句を専らにして奇語・怪言を好まず、直なるべし。恋の句などその心得あるべし。
[二の表] 二の表に至ては、半地・半節なり。初折の礼法を少し緩めたる心なり。礼の用は和と言へるがごとし。
[三の折] 三の折は俳諧の遊びどころなり。もつぱら華やかなる句を求め、をかしみを案ずべし。されど、和して礼を忘れずとは、正風の姿情と心得べし。
[名残の折] 名残の折は一巻の首尾なれば、その座を屈せぬやうにすべし。
 匂ひの花・挙句にいたつて、高貴の人を待たせぬるは無礼なり。
 俳諧は言語の遊びにして、信をもって交る道なり。妙句に一座を屈しさせんよりは、麁句にその座の興を調へよとなり。一巻の変化を第一にして滞らず、あたらしみを心懸べし。好句の古きより、悪き句の新しきを俳諧の第一とす。
 歌仙では、[三の折]が[名残表]に該当する。
平句の格
二十五箇条

辛崎の松句
①  辛崎のまつははなより朧にて
 此発句の落着をしれば、発句と第三と平句との差別をしるなり。発句は一句の中に、曲節といふ事あり。此句に花は曲にして、松の朧とは節なり。曲節の二ツは、尋常のうたひ・浄瑠璃にもしるべき事なり。
②  辛崎のまつは春の夜朧にて
 是は第三のさまなり。此句、平句よりは重き所、まつの朧といふ節なり。
③  辛崎のまつを春の夜見渡して
 是は只、春の気色のみにして、曲もなく節もなきものなり。
貞享式海印録

第三の事

[二十五箇条]引
① からさきの松の朧を詠ぜむとて、比良の花をもて、一句を化粧ひたる所、最も曲中の曲なり。
② 月夜の松かげの茂きを、朧と見たる所、節なり
③ 平句とは、平生体なる地の句と云ふ事にて、趣向の雅俗に拘はらず、只有の儘なる作をいへり。
 譬へば、「仏の光明」と云ふは、有の儘なれば、平句なり。杓子の雫と云ふ事を、杓子の「泪」と作るは、文なり節なり。一作意なれば、第三の位をもつなり。

付句作法総論

<蕉風の付句>

 ① 脇は韻字、第三は「て」で止める。 →「決め事/付け
 ② 移り・響き・匂ひ・位で付けるのがよい。  →「決め事/付け/付けの観点1、移り・響き・匂ひ・位
 ③ 案じ方、趣向の定め方に心得あり。 →「決め事/付け/付けの観点2、付け方
 ④ 変化のため、指合・去嫌も尊重する。 →「決め事/付け/去嫌指合一覧
 ⑤ 人情の自他は、前句と付句の間に存在するものである。句単独で判定できないことが多い。 →「決め事/付け/付けの観点3、人情自他

付句について
山中問答
俳諧の楽しみ
 世人、俳諧に苦しみて俳諧の楽しみを知らず。付句の案じやう趣向を定むるに心得あり。
山中問答
工夫は平生
 工夫は平生にあり。席に臨んでは無分別なるべし。
二十五箇条

付句案じ方
① 発句はかく別の事なり。付句はその座に望みて、無性に案じぬが能なり。我心なずみぬれば、趣向もしづみ、我草臥くたびれより、人も草臥て、一座終に成就せず。
② 付句は初念の趣向より、心を落しつけるがよきなり。
③ 此故に、趣向を定る伝受あり。
④ 総じて工夫は平生にある事なり。其座に望では、只無分別なるべし。
⑤ 定家卿も歌は、深く案じていらぬものなりと仰しなり。
⑥ 付句、第一、調子のものなり。あればとて、速く出すべからず。なきとても、ひさしく案じ入るべからず。よくもあしくも、一座の程をしりてこそ、はいかいの世情にたよりある修行成(なり)としるべけれ。
⑦ 但し、大事の付句は、云はなして、のちに思ひ返せば、心の結れとけて、かく別なり。
去来抄
修業教


付方

去来曰、「付かたは何事もなく、すらすらと聞ゆるをよしとす。巻を読むに思案工夫して、付句を聞むは苦しき事なり」。
去来曰、「風は千変万化すといふとも、句体は『新く『清く『軽く『慥なる『正く『厚く『閑なる『和なる『剛たる『解たる『懐かしく『速なる、如此はよし。『鈍く『濁れる『』弱く『重く『薄く『しだるく『渋たる『堅く『騒しく『古き、かくのごとくは悪し。但し『堅きと『鈍なる句には善悪あるべし。
支考曰、「付句は句に新古なし。付る場に新古あり」。
去来曰、「古風の句を用るにも、場によりてよし。されど古風のままにはいかゞ。古体の内に今様有るべし」。
先師曰、「一巻表より名残迄、一体ならんは、見ぐるしかるべし」。
去来曰、「一巻、面は無事に作るべし。初折の裏より名残表迄に、物数寄も曲も有べし。半より名残の裏にかけては、さらさらと骨折らぬ様に作るべし。末に至ては、互に退屈いできれたる物なり。猶よき句あらんとすれば、却つて句渋りて出来ぬものなり。されど末々まで吟席いさみありて、好き句出来らんを無理に止るにあらず。好句をおもふべからずといふ事なり」。
其角曰、「一巻に我句、九句・十句有とも、一二句好句あらば、残らず能句をせんと思ふべからず。却て不出来なるものなり。いまだ好句なからん内は、随分好句を思ふべし」。

付合・指合・去嫌
直旨伝

付合
指合
去嫌
 翁曰、発句は門人に作者あり。付合は、老吟、骨を得たり
 付合、下の句に、二五・三四・五二・四三といふ事、いかにも覚ねばならね事なり。
  二五 三四とは、
   まさにしぐれをさくさくら花
   待たる君に来たるあかつき

  五二 四三とは、
   橋翻りほとゝぎすなく
   峰の旅人の行衛もしらず

 二五・五二、別条なし。三四心よく、四三よろしからず。好ざるなり。然ども、千句などには、場に任すべし。
    ひつとり  くらべ   ひつはり
    くりつけ  うみ出し  よそへ
 是より別れて、万体に変ずべし。変体等を定べからず。広く自然なるを専要とすべし。
※ ひつとり 順接・継承で、引き取りの音便形「引っ取り」
  くらべ  比較・対照で「比べ」
  ひつはり 引用で、古事・古意などの「引っ張り」
  くりつけ 古歌・古句手繰る、等類・同巣などの「繰り付け」
  うみ出し 創造的・生産的な「産み出し」
  よそへ  比喩・比況などの「寄え」

 一座に一句・二句・三句・四句・五句のものなど定むる事、後の付にくきものを考てさだめ置しものなり
 されば、うちこしをを嫌ふといふものは、一座にも数多仕たき物をさだむるなり。
 是より三句・五句・七句、それぞれに分別して、付よきやうに定るなり。或は、表に嫌ふものも、折をきらふものも、みなみな其分別なり。
 所詮、付苦き物を仕出す事、好ざる事なり。
 大やう連歌に二句といふものは五句、五句といふものは七句と、俳諧にはゆるすなり。
二十五箇条

指合之事
① 俳かいに指合の事は、「はなひ草」(立圃編、去嫌・作法書)の類にしたがふべし。すこしづゝの新古の事あり。されど、一座の了簡を以て、初心には随分ゆるすべし。
② 一句の好悪を論じて、指合は後の詮議なるべし。指合は変化の道理なりと、先づその故を知るべし。
③ 変化の不自在なるより、世に指合の掟あり。万物の法式は、このさかひにて知べし。
貞享式海印録

去り嫌い

[二十五箇条]引
① 「我家は、禅俳の宗なれば、古法の去嫌をもととせず」といふ心なれども、従容してかく言へり。
② 一句の好悪とは作の事ならず。前句を、見かへしか見かへざるかと骨髄の変を論ずる事なり。
③ 連誹に去嫌を立てしは、変化のためなれど、当門には、前句を転ずる妙法ある故に、強ひて古式に預らずと、その理を看破せよとなり。

変化
山中問答

俳諧大意
 蕉門正風の俳道に志あらん人は、世上の得失是非に惑はず、烏鷺馬鹿の言語になずむべからず。天地を右にして、萬物、山川・草木・人倫の本情を忘れず、落花・散葉の姿に遊ぶべし。
 その姿に遊ぶ時は、道古今に通じ、不易の理を失はずして、流行の変にわたる。然る時は、こゝろざし寛大にして、物にさはらず、けふの変化を自在にし、世上に和し、人情に達すべしと、翁申たまひき。
二十五箇条

変化之事
① 文章といふ事は変化の事なり。変化は、虚実の自在をいふなり。
② 黒白・善悪は言語のあやにして、黒きを黒しといふも、黒を白しといふも、しばらくの言語の変化にして、道理はもとより黒白一合なり。しからば、天地の変化に遊ぶべし。人は変化せざれば退屈する本情なり。
③ 況や、俳諧は己が家にありながら、天地四海をかけめぐり、春夏秋冬の変化にしたがひ、月花の風情にわたるものなれば、百句は百句に変化すべき事なり。その変化をしりても変化する事を得ざるは、目前のよき句に迷ひて、前後の変化を見ざるが故なり。
④ されど、変化といふに新古なき事は、人間の春秋に新古なきがごとし。その日その時の新古を見て、一巻の変化に遊ぶべし。
⑤ 変化はおほむね、料理の甘く淡く酸く辛きがごとし。能もよからず、あしきもあしからぬ所に、変化は虚実の自在よりと知るべし。
師説録

伸び句
遣り句
 深川の夜話に、嵐雪の論に「付句は、おほかた料理の『甘し・辛し・すく・苦く』、物によるごとし。能きも極て、能にあらず。悪きとても、亦、あしからず」と、いへり。
 此論よく当れり。おもしろき句の縮たるも、場によりて、うるさく、さまでもなく、尋常の伸句のやうなるをとりかへて、すへたる時、かへつて、巻面栄有りて、奇麗に風味よろしく成事ある物なり。されば、よきもよからず、あしきもあしからずと、しるべし。
 やり句を、伸句・逃句とおなじやうに覚たる輩、多し。誤りなり。伸句は、所々にあれども、遣句は数多なし。
 是は、殊外に付つみたるとき、又は、見わたし及席と?しぶりたるときは、時々安々と句作して、其場の[立ふ]り?立止り・こだわり?をよく取り、句を投やりにするなり。先師、殊の外工夫ありし事なり。
師説録

変化
運び
 面うら二句目、其起請に応じて、しかと付るなり。三四句故にむつかし。捌きのはじめとするなり。  此三句目大事なり。風景などにて、逃付に、あしらひなどすれば、俳諧骨折事はいらず、付にくき所は、いつも逃句するやうになるべし。この三句目三句目の変化を学びとする事なり。
 其「三句の別」が、手に入れば、「千句万句も自在なり」といへり。俳諧の稽古は、付する意味と、三句の別との二つなり。此中に千差万別の体、出来るなり。
 四句五句或は、見わたしのはからひは、運びの扱ひなり。
 扨、右、裏移の三句目も捌きにて付たらば、四句目は逃んとするなり。
 更に、気色に移りたるは、半延の句とて、半無用のてにはをあしらひて、句を作る。五句の人、心得て、人情を抜て、気色言語にて、付延すなり。
 しかしながら、かくいへばとて、格式のやうに覚へて、是にからまれ、偏屈におちいるべからず。
 付合は、前句よりのはこびによる物なれば、かく心を得しとへば?、変幻自在なるべし。
 かくて、人事を五句もと嫌べく、風景の句は二句に過ぐべからず。
 無常の句、多く続けては、巻中、力を失ひ、弱くなるなり。依て無常の景曲、二句も続かば、三句目は、必、付起して、人情を出すべし。爰に、人事・人情を出して付する事、上手の業なり。
 初心の内は、人情、三四句も続け得ざるものなり。せむべき所にて、人情を抜くときは、忽、ちからぬけて、一巻の疵となる。
 逃るべき所は、自然と出来るなり。
 是を見る事、亦、功者の眼ならでは、難し。其事、答ずして、手のひかれざる所は、何句にても付するは、当流の力なり。是、尤、自然の境なり。
 しかるを、世間の俳諧は、三四句も人のうへを続ければ、うるさしとて、必、無理に逃句を付るなり。いはれなき事ぞかし。
 総じて、はいかい、もてゆく所、大方、始終同じ調子なり。
 付けといふ、場と地にてえらぶ境のわいだめ弁別なし。かくては、一巻の眼と見るべき所なく、力なきなり。
 転変不変の「」、今日の上に当てて、了簡すべき事ぞかし。いかが、定あらんや。付べき程に、前句が付けよ付けよと来るなり。遁道に、場も亦、其心得なり。事定たるも、みな自然なり。
貞享式海印録

内外の論

 近世、内体外体の作、三句と続く事を忌みたり。俳諧は、好肉に瘡をゑり(傷をえぐり)て論ずるものと覚えたるか。
 をりをり痴人の説を聞くに、「翁の時よりは、去嫌ひも、微細に開けたり」などといふ者あり。去嫌ひもて変化とするは愚人の事なり。若し人ありて、内体ばかりか外体ばかりかにて、百句調べよといはば、いかにすべき。変化は、かならず句面にはあらで、付肌にある事ぞかし。

※ 変化を句面の去嫌だけに頼るなということ。付け肌の変化が重要。
貞享式海印録

自他の論

 近世、自句三句続かずと云ふことを、諸書にも出し、常にも言へり。これ等の事は、皆、変化不自在の人の言ひ出せしひが言なり。

貞享式海印録

案じ方禁物の弁

 前句を、画(絵)・見せ物・狂言・質物・売物・夢・咄・歌・書物などゝ見立つる事、決してあるまじく、そは、何にてもかく見られぬ句はなき故なり。俳諧は、一字一点に渡りて、微細に余韻までも考へ分けて、変化さするものなれば、さるあらめなる案じ方あらん理なし。

折端・裏移り
師説録

折端
裏移り
 折はしの句、やり句するやうに覚るは、誤なり。尤、表の折端は、いささか心遣ひもあるべし。
 巻中に至ては、其巻面の折端毎に、安き句の付ては、後の句付出すべき力なき故に、却て巻中悪くなる。然ども、折端ぶりということなきにしもあらず。こころへてするまでなり。
 都て、付合は一句たつやうにて、ひとりたたず。おもむき残るやうなるが、后の手がかりと成て、面白き事の出来るものなり。これを句のはこびといふなり。
 裏うつりに、恋を付る事、待兼恋とて、世に嫌へり。待兼恋と名付て制するは、何事ぞや。其故を問はば、ひしとつまるべし。
 前句は覚へず。言捨の俳諧に、
   双六の恨を伯母の書尽し
 と、翁の句あり。されど、其席の宗匠、是を制せば、背くべからず。すべて、面にせざる物は、裏うつり二句まで、むかし、制し侍るにや。当流には、其沙汰なし
 裏うつり三四句ほど、初裏のうちは事もなくすべしなどいふ説も百韻、或は席ふりの俳諧の心得ぞかし。草体は是にかかはるべからず。表よりのはこびにもする事ながら、大かた裏うつりは起請なり。(こは、句数にいふ起請にあらず。付方のうへの起請なり)  力を持せんためなり。表の折はし、おほかたやすらかにする故なり。
景色と風情
師説録

景色と風情

 景色と風情との句を、同じ事におもへるも有り。これも、誤なり。
 景色は、付せめたる欝気をさます場の外はなし。風情は付責るうちにも句に人を出さずして、人の上を聞かず、句にて付あふたる二句の間に其人・其住居などみゆるなり。
  ほつれたる去年の寝茣蓙のしたたるく
  寒徹す山雀篭の中のへり

 是等の類なり。伸句ならず。勿論景色とは大に相違せり。是は風情の句といふなり。景色は、
  一筋もすすき葉のなきすすき原
  薄雪の上に霰のほろほろと

 是なり。其用る場も、句作も、大に異りとしるべし。


 捨句といふは、やり句とは、又、別なり。是は設けの会などや千句にや、さやうの時の心得なり。晴れがましければ、各々能き発句せんと、下心に思ふ故に、席沈みて、しぶり出し、巻はし遂ず。
 欲を捨て、捨句して、席の気を引立るなり。「今少し」と思ふところも、自己を捨て、するなり。客ぶり、席ぶりの気変なり。
 巻中、序破急のことは、古より教る所なり。其中に、亦、緩急中の詞ある事なり。此事は、先師も普くは沙汰に及ばれず。意に持つ大事なり。
 初心の輩、かやうの事に頓着すれば、句作縮まり、却て修行のさはりとなる故なり。
 句毎に風流と風情とを失ふべからず。
 風流は心にあり。風情は姿にあり。
 風流なきは俗に落、風情なきはしほりなく匂やかならず。句作、利口あるはいやしく、いひつめたるは付べきはこびなし。但、此風情といふは、初にいふ風情の句と称るものとは別なり。こは、何の句にもせよ、一句一句のよそほひをいふなり。是を失ふ時は、句々木の切、石屑を見るがごとく、人体の皮肉を去りて、骸骨を顕はしたるが如く、つたなく、卑しく、きたなし。

俗談平話、皮肉骨
師説録

俗談平話
皮肉骨

 殊更に、俳諧は、俗談平話をもて述るものなれば、いとふつつかにて、聞ぐるしく、吟声もあさまし。此風流と風情とを直むの故に、諷へて拙からず、吟じて恥る所なし。此境よくよく心得べきなり。


 「さび・からみ・細み・さびしみ」、風雅の骨なり。
 「匂ひ・ひびき・しほり」、風情は、風雅の皮肉なり。皮肉骨も句によりて、皮肉の勝ものあり。骨の勝ものあり。直旨伝につきて見るべし。
 作文のをしえに、顕鋒・篭鋒といふことあり。此道に古人の沙汰なき事なり。先師に、はじめて、此事あり。
 年暦同時の俳諧といふとも、尋常のいひ捨の巻と、精撰の巻とは、違有り。篭鋒とは、句の表にあらはれぬ意味深長なるもの有り。顕鋒とは、句勢ありて、句作も打聞より面白巻様なり。先、顕鋒を学びて、是に熟すべし。作文も是を初学として、篭鋒のやはらき静なる所に至るべしといへり。
 付句・発句ともに、其心得なり。先師の俳諧、時代を考て、其成所を見わたすべし。
 此事明らかなれども、慥に師に付て学ばざる輩は、口訣をしらざる故に、是を見しることあたはず。大かた先ばしりて、二三年、五七年も此道に馴れれば、はや得たり顔に高ぶり、発句も付合も、何ともなき所に空論をかまへ、「ここに絶議あり、そこに妙味あり」など、何やらんふはふはしたる事を云ちらして、どふか春風のやうなるあてがひにしてなすものもしかと心得ず。聞人も合点行かぬを、其ふはふは同士の歌あひて、ののしりちらす一統の俗心なり。
 かかる類ひは、理や害をとくも無益なり。かのはくらんやみかくらん(霍乱)病みなれば、過て辱べし。そもそも、何ともなくして群を秀る人は、甚すくなく、句も亦、掌にのせて韻ふる句は、先師にさへ、あまたならず。まして、門人のわれわれをや。誰々も、三四句に過べからず。
 付句と、亦、「寄せ・位・匂・移・ひびき」などの意味は、数を尽して致されば、発吟しりたし。先、慥なる筋より切磋琢磨して、幽なるに至る道なり。真の限りなければ、所謂、玄の又玄、是ぞ此道のありさまにて、一期の修行たる事、必、失るべからず。
 去来、日ごろなげく事あり。「わが輩の骨折たるも、今人のまぎらかしも、同じ様に思ひもし、見もすらん。かた腹いたくも、せんかたなし。わが党の輩、よくよく是を思ひあきらめて、あらそふ事なかれ」と、むべ、さる事なり。