去来抄・故実

去来抄 故実 索引
俳諧の法式てには止の脇・字止の第三無季発句の興行発句に切字
花に定座花引上花を桜に恋を一句
宵闇を月に/盆は非釈教名月の明の字/村雨の季てには古事・古歌
俳諧の文章前書賛・名所の発句俳名
俳諧の集の模様外題の寸法季(季語)二見形文台俳諧書の名
刊記 付、序・跋
去来抄 目録
先師評予定同門評予定故実修行教へ

去来抄

 本書は、芭蕉や門人の俳論を集成し、元禄15(1702)年から宝永元(1704)年、去来の晩年から没後にかけて成立。

 このページ「故実」で、底本としたのは、去来撰、貼外題「落柿舎去来遺稿 」、識語「一音の書たる所の去来抄と上梓以前の落柿舎遺稿と引合せ見るに、いかがしてか故実の篇をのせず。其外過不足の事有により、今合考して文政七甲申歳下毛月丘秘書す」、天保10(1839)年写、早稲田大学図書館所蔵のものである。

 文中「他本」とあるのは、「日本俳書大系4去来抄(同刊行会、大正15(1926)年)」。「異本」とあるのは「去来抄・三冊子・旅寝論、潁原退蔵校訂(岩波書店、昭和14(1939)年)」。

 内容は、寂・しおり・不易流行・移り・響き・匂いなど、蕉風俳諧の本質にかかわるものである。芭蕉に伝授された作法・式目についての具体的記述はないが、「秘すべし」の言に従ったと思われ、かえって謙虚誠実な人柄がしのばれる。
 芭蕉の没後、去来の言葉は無条件に信頼されているが、本サイトでも、裏付けのために引用することが多い。


故実

 予、初学の時より俳諧の法を知る事を穴勝にせず。
 去嫌・季節等も不覚悟にして、其外の事は言ふに及ばず。
 しかれども、此篇は先師の物語ありし事ども、わずかに覚へ侍るを記す。
俳諧の法式
*1
卯七問
 先師は、俳諧の法式を用ひ給はずや。
*2
去来曰
 これを成ほど用ひてなづみ給はず。拠有時は、古式を破り給ふ事もあり。されど、私に破らるゝことは稀なり。
 第一、先師の俳かいは、長頭丸以後のはいかいを以て、本とし給はず。唯、代々の俳諧体にもとづき給へり。凡、俳諧の付句は、すでにに久しといへども、連歌連俳となるは長頭丸以来にして、いまだ法式なし。依て、連歌の式をかり用ひらる。
 重ねて俳諧の法式を改めらるるにも及ばず。又、上より定たる法式にもあらず。もし、其人あらば、是を損益あるとも、罪なかるべし。其ときの宗匠たちは、みな元連歌連歌師たるゆゑ、連歌の法式をかり用ひらるゝなり。
 退て思ふに、先師、もしその時にいまさば連歌に依らず、俳諧の式は別に立てらるべし。世の人は、俳諧を連歌の奴僕のやうに思へり。先師の沙汰は格別なり。
てには止の脇・字止の第三
卯七問 蕉門に、手に葉留の脇・字留の第三を用る事はいかに。
去来曰 発句の脇は、歌の上下かみしもなり。是をつらぬるを連歌と言ふ。一句一句に切るは長く連ねんが為なり。
 歌の下の句に字留と云ふ事なし。文字留と定るは連歌の法なり。これらは連歌の法によらず。歌の下の句の心も、昔の俳諧の格なるべし。
 昔の句に、
 ┌ 守山のいちごさかしくなりにけり ※北条時政
 └  ただもりたててやしないにせよ 
←白河院 ※源頼朝は、うばらもさぞな嬉しかるらん(他本)
 ┌ まりこ川蹴ればぞ浪は上りけり  ※梶原景時 上りける(他本)
 └ (かゝりあしくや人の見るらん) ※源頼朝  写本、この下句を欠く。

 是等、てにはの脇の証句なり。第三も同じ。
無季発句の興行
卯七問 (蕉門に)無季の句、興行侍るや。
去来曰 無季の句は折々あり。興行はいまだ聞かず。
 先師曰、「発句も四季のみならず。恋・衣・名所・離別等、無季の句あるものなり。
 されど、いかなる故ありて、四季のみとは定められけん。その事をしらざれば、暫く黙し侍る」となり。
 去来曰、「無季といふに二つあり。一つは前後・表裏、季と見るべき所なし。落馬の即興に、
   歩行なら(ば)杖つき坂を落馬かな 芭蕉
   何となく柴吹く風も哀れなり    杉風

 又、詞に季なしといへども、一句に季と見るべきところ有て、あるひは歳旦とも、名月とも定まるなり。
   年々や猿に着せたる猿の面     芭蕉
   君が代に逢ふや狩野家の福寿草   許六 
※福寿草は元日の季語。狩野常信なら、「福禄寿」。
 かく(の)ごとくなり。
発句に切字
卯七問 発句に切字を入るる事はいかが。
去来曰(故あり。)
(先師曰、「汝、切字を知ルや」。)
(去来曰、)「いまだ伝授なし、自分に覚悟し侍る」。
 先師曰、「いかがに」。
 去来曰、「たとへば、発句は一本の木のごとしといへども、梢・根あり。付句は枝のごとし。大なりといへども全からず。梢・根有る句は、切字の有無によらず、発句の体なり」。
先師曰、「然り。しかれども、それは面影を知りたるなり。是を伝授すべし。切字のことは連・俳ともに深く秘す。みだりに人に語るべからず」となり。
 総じて先師に承る事多しといへども、秘すべしとあるは、是のみなれば、しばらく遠慮し侍る。
 第一は、切字を入るるは、句を切るためなり。きれたる句は、字を以て切るに及ばず。いまだ句の切る切れざるを知らざる作者のために、先達は切字数を定らる。
 此定字を入るときは、十に七八はおのづから切るなり。残り二三は、入ても切ざる句あり。又、入ずしても切れる句あり。此故に、或は、「このやは口間口合ひのや」、「このしは過去のしにて切れず」、或は「是は三段切」、「是は何切」などと、一々名目をして伝え受る伝授事とせり。
 又、丈草問、先師曰、「歌は三十一字にて切れ、発句は十七字にて切る」。丈草懼入て又問。拶入有り。又、ある人曰、先師曰、「きれ字に用る時は、四十七四十八字皆切れ字なり。用ひざる時は、一字もきれ字なし」となり。
 是は、皆、ここを知れと、障子一重を教へ給ふなり。
去来曰 此事を記すは、同門もみだりなりと思ふ人もあらん。愚意は格別なり。この事、あながち、先師の秘し(給ふ)べき事にもあらず。ただ先師伝授の時、かく有しゆゑなるべし。予も秘せよとありければ書せず。ただ、そのあたりを記して、人も推せよと思ひ侍るなり。
花に定座
卯七問 花に定座ありや。
去来曰 花に定座なし。花の句は互に大切なる故、譲り合侍る故、十二、三句迄に裏十一句・十三句にて出す。十四句十句・八句 ※は短句なり。十三句目おのづから花の座となり侍るなり。当流には此説を用ゆ。

※ 十四句目は短句だからではなく、折端なので花を詠まない。

花引上
卯七曰 (花を)引上て作するは、いかに。
去来曰 (花を)引上るに二品あり。
 一つは、一座に賞翫すべき人ありて、其人に花をと思ふ時、其句前にいたり(て)、前句より其季春季を出して、花を望むなり。是を呼出し花といふ。
 又一つは、一座の貴人功者などは、他に譲るべき人もあらねば、よき前句来るとき、呼出しを待たず花を作す。
 又、両吟の時は、互に二本宛の句主なれば、謙退に及ばず。何方にてもひき上て作するなり。
 さて、故もなく花を呼出すは、呼出す人の過ちにして、花主の罪にあらず。
 ゆゑもなく自分に引上るは、緩怠の作者なり。
 是等の事は隔心の会の式なり。常の稽古には兎も角も有べし。
 人(に)ふりかゆる花あり。これは花一句と思ふ人の、句所あしきとき、我句を前にふりかへて、花を渡すなり。
花を桜に
卯七問 猿蓑に、花を桜にかへらるるは、いかに。
去来曰 此時、予「花を桜にかへん」と乞ふ。
 先師曰、「ゆゑはいかに」。
 去来曰、「凡、花は桜 にあらずといへる、一通りはさる事にして、花聟・茶の出花なども、花やかなるとはなやかなるによる。花やかなりといふもよりどころあり。必竟、花は桜をのがるまじく思ひ侍るなり」。
 先師曰、「さればとよ。古へは、四本の内一本は桜なり。汝がいふ所も故なきにあらず、兎も角も作すべし。されど、尋常のかへたるは桜にては、かわりたる詮なからん」となり。
 予、
  糸桜腹一ぱいに咲にけり
と吟じければ、「句、我ままなり」と、笑ひ給ひけり。
恋を一句
卯七・
*3野明問
 蕉門に恋を一句にも(捨るは)、いかに。
去来曰 予此事を伺ふに、先師曰、「いにしへは、恋の句数定らず、勅已後、二句以上五句となる。これ礼式法なり。一句にて捨ざるは、大切の恋句に挨拶なからんは、いかがとなり。一説に、恋は陰陽和合の句なれば、一句にて捨べからずといへり。皆大切に思ふ故なり。予が一句にても捨よといふも、いよいよ大切におもふ故なり。
 汝らは知るまじ。昔は恋一句出れば、相手の作者は、恋をしかけられたりと心得て挨拶せり。また、五十韻・百韻といへども、恋句なければ一巻といはず、はした物といふ。かくばかり大切なるゆゑ、皆恋(句)になづみ、わづか二句一所に出れば幸とし、かへつて巻中恋句稀なり。又、多きは(恋句より)句しぶり、吟おもく、一巻不出来になれり。この故に恋句出て(、付)よからんときは、二句が五句も有べし。付がたからんときは、しゐてしばらく付ずとも、一句にても捨よとはいへり。かく云も、何とぞ巻面づらのよく、恋(句)も度々出よかしと思ふゆゑなり。
 勅の上をかくいへば、恐れあるに似たれども、それは連歌の事にて、俳諧の上に背き奉るあらねば奉背にもあらず、然れども、予、古人の罪人たる事をまぬかれず。只、後学の作しよから事をおもひ侍るのみ」。
宵闇を月に / 盆は非釈教
卯七曰 蕉門に、宵闇を月に用ひ侍るや。
去来曰 此事あり。
 酒堂曰、「深川の会に(宵闇の句出たり。先師曰、『)宵闇は句中に月あれば、外に月の句作せんは拙なかるべし(』)と、直ちに月にもちひ、(『)さて裏に月を見せざらむもいかゞ(』)と、月次の月の字入らるる」といへり。さも有べきことと思へり。其後、風国が会に宵闇の句いづる。
 予曰、「先師已に此式を立給へと見るに、らるる上は、いざ其法にならはん」と、是を月に用ひ侍りぬ。この比、許六の書を見るに、「 ※① 先師の宵闇を月とし給ふは、ゆゑあり(」)ての事なり。然るを(「)何の故もなく月に用るはあさまし(」)となり。此事を捨恥にたへたり此ことばを聞て恥るにたへず
 許六は、其(時)深川の会(の)徒なり。いかさま子細あるべし。
 野坡曰、「東武の会に盆を釈教とせず」。嵐雪是を難ず。先師曰、「盆を釈教といはば、正月は神祇なるか」となり。予、兎角をいはず、退て思ふに此事はいか様ゆゑあらん。一句に釈教なしといふとも、己に盆といはば釈教ならんか。中元といふ類にはあらず。いと不審なり。
※① 「許六の書を見るに」を漏らして、以下文意不明となる。
・ 許六は深川の会の徒ながらいかに思る哉。宵闇月に用るいかヾと云り。(異本)
・ 「宇陀法師 月花
 「深川集」、俳諧に「宵やみ」と云句、賞翫の月にせり。師云、「宵闇と云句に月は成まじ。此、宵やみ、月秋の前句なり。是を月にすべしとて、秋を付出し、八月と云月次を、出せり」。
 全く、八月、賞翫に非ず。例のおとし穴なり。此事、聞伝たる作者、やれ、「宵やみは月に成」とこそいへ、毎席出せる人も有けり。
 月秋の場所に、宵闇出合たればこそ、ふしぎの働も有けれ。毎度「宵闇・暁闇」の月に成ては、おかしからぬ事を知侍れかし。
・ 「けふばかり」歌仙 十月三日許六亭興行 元禄壬申冬(元禄5(1692)年)
 発句  ┌ けふばかり人もとしよれ初時雨 芭蕉
 脇   │  野は仕付たる麦のあら土   許六
     ├─
 初ウ5 │ 半分は鎧はぬ人もうち交り   嵐蘭
   6 │  船追のけて蛸の喰飽キ    岱水
   7 │ 宵闇はあらぶる神の宮遷し   芭蕉
   8 │  北より荻の風そよぎ立つ   許六
   9 │ 八月は旅面白き小服綿     洒堂
     ├──
 挙句  └  七十の賀の若菜莖立     嵐蘭

※② 外に、時節の「彼岸・十夜」などは非釈教、「初午・玄猪」などは非神祇。「貞享式海印録 非釈物」参照。
名月の明の字 / 村雨の季
去来曰 許六と名月の明の字を論ず。
 予は、「第一、八月十五日夜は婁宿なり。清明を司る。第二、和歌にも(今宵)清明をよめり。第三、詩にも新月清明の字あり。第四、本朝の習ひ、字儀に叶ふを仮用る事あり。富士を不二、吉野を芳野と書がごとし。第五、先達明の字書れたる多し。明の字書て苦しからず」と云。
 許六は、「明月と八月十五夜とは和歌の題、格別なり。名月は良夜の月の事なり。名月に明の字書は未練なり」といへり。
 是論至極せり。もし明月の題を得て、中秋の月を作せば、傍題放題ならん。名月に明の字書まじきこと、必せり。
 許六曰、「村雨は季なし。季を結ぶに習ひあり。熊野の諷に、『なふなふのうのう→なうなう村雨のして花を散し候』と云は、歌道を知らぬものの作」となり。
 去来曰、「村雨、多は夏の初、秋の半に詠み侍る。歌人に問に、『花にも月にも結ぶ』となり。春の末・夏の初、遅桜などに結び侍る事にや。いまだ証歌は覚悟せず」。
 退て思ふに「急雨」など書て、必竟一村雨降雨なれば、その風情、よく写し得て、何時を限るまじ。無季なるもかかる故にや。
てには
去来曰 てにはは、天下一まいのてにはにて、誰も知られるものなり。一字もたがへあれば、心かならず通ぜず。また、伝授あるてにはといふに至ては、天下に知る人すくなし。堂上にも御伝授ある方は、多くはましまさずと也。是より初て人の歌も直し給ふとかや。
 地下に伝授の一筋あり。紹巴・貞徳も此伝なり。先師にも其伝と承る。我輩のみだりにいふこと(に)あらず。
古事・古歌
去来曰 古事・古歌を取るに法あり。
許六問古事・古歌を取る、昔中比、当世の品々を挙げられたり。其内当時の取やうは、古事・古歌を其侭立置、少も借らず。己の作意を並らべて尽くすといへり。
 しかれば、今の取よふは、古事・古歌を立置て、此方の作意を並る事に侍るや。
去来曰吾子ごし・あなたの心は、古事・古歌をそのまま立置、少しもからずといへる事也。必、そのまま立置にはかぎらず。すべて、古事・古歌を取にはおぼろに取法有。そのまま立置ても取る法有。様々法有といへども、皆前を摺あげて作すべし。
 吾子の己の作意を並らべて尽くすといへる所なり。されども、並てのみと心得侍らば、初心の輩は、もし誤も出来らん。一等摺あげて作すると心得らるるべし。尤も、並てといふも悪しといふにはあらず。これらは、摺上たる類にはあらねど、面影といふ句、たとへば、
  名将の橋の反見る扇哉
といへる句は、名将の作にして、句主の手柄なしといへり。此いへる処は、昔の取よふに有。今は甚嫌ゐ侍る也。
 古事・古歌を一段摺上たる作意は、たとへば、「蛤よりはかきをうれかし」といふ西行の歌をとりて、
  かきよりはのりをば老の売もせで
と先師の作あり。本歌は、「同じ生物をうるともかきをうれ、かきは、看経の二字に叶ふ」といふを、「生ものを売らんよりはのりを売れ。のりは法に叶ふ」と、一段摺上て作し給ふなり。老の字力あり。大概かくのごとし。
・ この段、他本は略文。
許六日、「古事・古歌を取るには、作をならべて己が心を尽す。たとへば、
  名将の橋の反見る扇かな
といへるは、名将の作にして、句主の作にあらず」。 去来曰、「古事・古歌を取には、本歌を一段すり上て作すべし。喩へば蛤より石花をうれかしと云、西行の歌を取て、
  かきよりは海苔をば老の売もせで
と先師の作あり。本歌は同じ生物をうるともかきをうれ。石花牡蛎は、かんきん看経なり。一字も違ぬればかならす通ぜず。又伝授ある手にはといふに至ては、天下に知人少し。堂上にも伝授の人、多くましまさずとなり。是よりはじめて人の歌も直し給ふとかや。又、地下に伝授のひとすじあり。紹巴・貞徳も此伝なり。先師も此伝と承る。我輩のみだりにいふ事にあらず」。
許六日、「古事・古歌を取るには、作をならべて己が心を尽す。たとへば、
  名将の橋の反見る扇かな
といへるは、名将の作にして、句主の作にあらず。
去来曰、「古事・古歌を取には、本歌を一段すり上て作すべし。喩へば蛤より石花をうれかしと云、西行の歌を取て、
  かきよりは海苔をば老の売もせで
と先師の作あり。本歌は「同じ生物をうるともかきをうれ。石花は、かんきんの二字にかなふ」といふを、先師は「生物を売らんよりは、海苔を売れ。のりは法に叶ふ」と、一段すり上て作り給ふなり。老の字力あり。大概かくのごとし。
俳諧の文章
先師曰「世上の俳諧の文章を見るに、或は漢文を 入、或は詞荒く、こといやしくいひなし仮名に和らげ、或は和歌の文章に漢字を入れ、詞あしく賤しく云なし、或は人情をいふとても、今日のさかしきくまぐままで探り求め、西鶴が筆も浅しく下れる姿あり。我徒の文章はたしかに作意を立、文字はたとへ漢字をかるとも、なだらかにいひつづけ、事は鄙俗の上におよぶとも、なつかしくいひとるべし」と也。
前書
去来曰 前書の事、許六のいへるごとく、講釈のごとくかき侍らんは、却て発句の光りを失ふに似たり。
 前書並に文章等、蕉門の手筋あるべし。
・ この段、他本になし。
賛・名所の発句
先師曰 凡、賛・名所の発句は、其賛・其所の発句と見ゆるやうに作るべし。西行の賛を 文覚定家の絵にも書。
 明石の発句を松島にも用ひ侍らんは、誠に拙き事どもなり。
俳名
先師曰 俳諧の名は、強勝強ち熟字によらず。唯、ひびき・となへの清調にして、字形風流なるを用ゆべし。短冊などに書て、猶見る所あり。片名書侍るに、ことごとしき字形は苦しかるべし。
去来曰 「はせをは仮名に書ての自慢なり」となり。又、野明が名を、(はじめ)鳳剱鳳仞と云けるを、「剱・刄の有字は名に用ゆべからず」とて、先師の野明とは改め給ひけり。
俳諧の集の模様
去来曰 俳諧集のことよふ俳諧の集の模様はは、やはり俳諧集の内にて作すべし。後、あら野集の献立を見られて、先師も我を折給ひき。「かの徒然草は、集書あつめ書の部に成て、歌書の内に入らず」とかや。思ふべし。
外題の寸法
去来曰 外題の寸法あり。竪は表紙の三分の二を取たとへば、表紙の三分一を取り、横を五分の一を取とやらん。猿蓑のとき、先師のたまひける。慥かに覚えず。
季(季語)
*4
魯町問
竹植る日は古来よりの季にや。
去来曰 覚ず。語、覚悟せず。先師の句にて初て見侍る。古来の季ならず。季、しかるべき物あらば、撰び用ゆべし。
 先師曰、「季節の一つもさがし出したらんは、後世によき賜」となり。
 「塩かきの夜」も、古来の季節かしらずといへども、五月晦日なれば、夏季に定て、可南→去来妻が句とさたし侍る。
二見形文台
卯七問 先師に二見形と云ふ文台侍るよし。いかが。
去来曰 史邦、是を乞てうつさるる時、先師の差図・寸法を直に聞侍れど、忘却せり。我、本より文台も所持せず。其後、門人写し侍る人多し。
俳諧書の名
去来曰先師の云、俳諧の書は、和漢・詩文・史録等とたがひ、俳書作者の名あるべしとや。されば、先師名づけ給ふを見るに、みなし栗・三日月日記・冬の日・ひさご・猿蓑・葛の松原・笈の小文集、皆其趣なり。
 浪化集の時、初に上下をありそ海・となみ山と号す。
 先師、「みな和歌の名所なれば紛らはし、浪化集と俳書に名付ば詩・和文を分つべからず」。
 去来答、「されば、浪化、詩人ならば詩集なるべし。俳諧者たれば、打見るより俳諧書といふことあきらけし」。
・ 他本、「浪化集と俳書に名付ば詩・和文を分つべからず」を魯町の言葉とする。
去来曰、先師曰、俳諧の書の名は、和歌・詩文・史録等とたがひ、作者の名あるべしと也。されば先師名づけ給ふを見るに、みなし栗・三ヶ月日記・冬の日・ひさご・猿蓑・葛松原・笈の小文、皆其趣なり。
去来、浪化集の時上下を有磯海・となみ山と号す。
先師曰、みな和歌の名所なれば(紛らはし)、浪化集と呼べしとなり。
魯町曰、浪化集にては、俳書の名は詩歌・史文を分つべからず。
去来曰、されば浪化、詩人ならば詩集成べし。俳諧者なれば、見るより俳諧書と云事あきらけし。

*1 <蓑田卯七>うしち
通称八平次、別号十里亭。寛文3(1663)年生。去来の従弟、田上尼の甥。去来と親交。長崎唐人屋敷組頭。「渡鳥集」編、去来1周忌追善「十日菊」編、「俳諧卯七問答」、有磯海,猿蓑,炭俵,続猿蓑入。享保12(1727)年5月7日65歳で没、又は延享4年(1747)年85歳で没。

*2 <向井去来>きょらい
名兼時,字元淵,通称喜平次。父は肥前神崎出、京で皇族に仕えた本草学の儒医元升。慶安4(1651)長崎生二男。明暦4(1658)8歳で父と上京。武道神道を修め儒者として親王に出仕。 貞享2(1685)蕉門に入り、翌年嵯峨落柿舎住。温厚で信望厚い。猿蓑,吹寄の記,青根が峯,旅寝論,篇突論,渡鳥集,誹諧情,難陳抄,去来抄,去来文,俳諧問答など。宝永元(1704)年9月10日没、54歳。兄震軒(元端)長弟魯町(元成)末弟牡年(利文),妻可南。

*3 <坂井野明>やめい
博多黒田藩浪人。去来と親交,嵯峨野住。旧号鳳仭。刃の字は用ゆべからずと、芭蕉が野明と改めた。砂川,拾,続有磯海,砥浪山,東花集,俳諧七部拾遺、己が光,藤の実,続猿蓑。正徳3(1713)没。

*4 <向井魯町>ろちょう
名叔明、字元成,通称兼丸。元升三男、明暦2(1656)生。本草・天文・算学に精通、儒者。長崎で書物改役(幕府輸入書調査)。蕉門。長崎物産考編、猿蓑、炭俵、有磯海、続猿蓑。享保12(1727)年2月9日没、72歳。長兄震軒、次兄去来、弟牡年。

*5 <久米牡年>ぼねん 名利文、七郎左衛門、初号暮年。元升四男、明暦4(1658)生。叔父久米利延養子。長崎の町年寄。有磯海、猿蓑、韻塞、続猿蓑、渡鳥集。蕉門。享保12(1727)年没、70歳。長兄震軒、次兄去来、三兄魯町。


故実

不易流行

*1
去来曰
 
*2
魯町曰
 



刊記

奥書

 安永三甲午歳 尾陽於暮雨巷*6 嚔居士*7
 一音の書たる所の去来抄と上梓以前の落柿舎遺稿と引合せ見るに、いかがしてか故実の篇をのせず。其外過不足の事有により、今合考して文政七甲申歳下毛月丘秘書す。
 於尾州一音の書る去来抄の序跋左写。

去来抄叙
芭蕉の翁、ひとたびこの道に斧ふりして、屈かがまるをうち、曲れるをおし、俳諧の真心を伝へてより、風の草をおし均して、一派八隅にかかり、支流湧がごとく、終に川木ひろふわらはも菜摘女も耳にふれ口に出るの時、風調はじめて泥土にくだり、意を横さまに穿て風体を折き、惑説十襲して、今時平地に波瀾を起す。其弊を撓んには、いそしき哉去来、うべなる哉此抄、浅く漁て呑舟の魚をもらす事なかれとなり。
  安永三甲午十月
                 暁台

去来抄跋
崑岡之璞。非人採之。則誰知璞之為玉乎。一
日 先生與二三子、游焉。得諸幽蘭之下。琢
而磨之皓々乎。世所謂、玉鏡也。使対之者心
有塵埃之外。則、去来之功、至是可謂発輝千
歳矣。吾徒愉快。其在於斯。

               井士朗*8

奥付 一音書る去来抄は
 安永四年乙未三月 於皇都出版 井筒屋庄兵衛

*6 暮雨巷(ぼうこう)……暁台の別号、庵号。
<加藤暁台>きょうたい
名周挙、通称平兵衛、別号他朗・暮雨巷・後一など。享保17(1732)生。父尾張藩士岸上林右衛門。養父同加藤仲右衛門。尾張徳川家出仕,28歳で致仕。巴雀・白尼に師事,蕉風復古を唱え,蕉風を「去来抄」で、芭蕉俳諧を「熱田三歌仙」で世に示す。去来抄:編,暁台先生発句集:著,七部集暁台即註:撰,秋の日:編,独吟廿歌仙:編,熱田三歌仙:編,風羅念仏:撰,幽蘭集:編,蛙啼集,蛙文集,太郎集,姑射文庫,しをり萩,夜のはしら,暮雨句集,暮雨叟句集,暮雨巷連句集,幽蘭集,佐渡日記,幣袋。寛政4(1792)年没,61歳。

*7 <一音>いちおん・いっとん
尾張の人。妙義山の僧,嚏(はなひ)居士、義仲寺滞在。涼袋門。寂栞:編,去来抄:版下,秋しりがほ,瓜の実,古今俳諧明題集。

*8 <井上士朗>しろう
名正春、通称専庵、別号枇杷園・朱樹。寛保2(1749)年生。尾張守山産科医。暁台の高弟,寛政の三大家。井上士朗墨竹之図:画賛,士朗続七部集:撰,枇杷園句集:撰,麻刈集:編,水月一双,昔合集,花園集,花筏,ことのはら,歳晩集,瓢日記,玉兎集,むらおち葉,士朗五七集,枇杷園随筆,枇杷園七部集。文化9(1812)年5月16日没、71歳。


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