去来抄・修行教

索引
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不易流行不易流行
修行修行修行者教え
案じ所新意・本情案じ方
句勢句姿句走り
付け付方三変移り・匂い響き位付面影
付句千万景色物付、心付蕉門の付句付方風(ふう)
巻の展開付物風は変ず発句の良し悪し
発句と付句 寂  位 しおり、細み
刊記
先師評予定同門評予定故実修行教

去来抄

 本書は、芭蕉や門人の俳論を集成し、元禄15(1702)年から宝永元(1704)年、去来の晩年から没後にかけて成立。

 このページで、底本としたのは、暁台編、貼外題「去来抄 上・中・下」、識語「於暮雨巷嚔居士一音書、士朗跋、安永四年乙未三月、皇都書林 井筒屋庄兵衛・橘屋治兵衛」、富山県立図書館所蔵のもので、「故実」を欠く。

 「故実」は、早稲田大学図書館蔵「落柿舎去来遺稿(去来抄写)」によった。

 内容は、寂・しおり・不易流行・移り・響き・匂いなど、蕉風俳諧の本質にかかわるものである。芭蕉に伝授された作法・式目についての具体的記述はないが、「秘すべし」の言に従ったと思われ、かえって謙虚誠実な人柄がしのばれる。
 芭蕉の没後、去来の言葉は無条件に信頼されているが、本サイトでも、裏付けのために引用することが多い。


修行教

不易流行

*1
去来曰

 蕉門に千歳不易の句・一時流行の句といふあり。是を二つに分けて教へ給へども。其元は一なり、不易を知らざれば基立がたく、流行を弁へざれば風新たにならず。

【不易】 不易は古によろしく、後に叶ふ句なる故に、千歳不易といふ。

【流行】 流行は一時一時の変にして、昨日の風は、今日よろしからず、今日の風は翌日に用ひがたきゆゑ、一時流行とは、はやることをいふなり。

*2
魯町曰

 俳諧の基とはいかに。

去来曰 詞に言ひ難し。凡そ吟詠するもの品あり。歌はその一なり。其中に品有り、はいかいはその一なり。其品々をわかち知らるゝ時は、俳諧連歌はかくの如きものなりと自づから知らるべし。
 それを知らざる宗匠達、俳諧をするとて、詩やら歌やら旋頭・混本歌やら知れぬ事を云へり。是等は俳諧に迷ひて、俳諧連歌といふことを忘れたり。俳諧をもて文を書かば俳諧文なり。歌を詠まば俳諧歌なり。身に行はば、俳諧の人なり。ただ徒らに見を高くし、古へを破り、人に違ふを手柄顔に、あだ言いひちらしたる、いと見苦し。
 かくばかり器量自慢あらば、俳諧連歌の名目をからず、俳諧鉄砲となりとも、乱声となりとも、一家の風を立らるべし。
魯町曰

 不易の句はいかに。

去来曰 不易の句は俳諧の体にして、いまだ一の物数奇なき句なり。一時の物数奇なきゆへに古今に叶へり。譬へば、
     月に柄をさしたらばよき団かな    宗鑑 ※うちわ
     これはこれはとばかり花のよし野山  貞室
     秋の風伊勢の墓原猶すごし      芭蕉

 是等の類なり。
魯町曰

 月を団に見立たるも物数奇ならずや。

去来曰

 賦・比・興*4は俳諧のみに限らず、吟詠の自然なり。凡吟にあらはるゝもの、この三つをはなるゝ事なし。もの数寄とは言ひがたし。

魯町曰

 流行の句はいかに。

去来曰

 流行の句は、おのれに一つの物数奇ありてはやるなり。形容・衣裳・器物等に至るまで、時々のはやりあるがごとし。たとへば、
     むすやうに夏のこしきの暑哉  ※甑
 この体、久しく流行す。
     あれは松にてこそ候へまきの雪      松下 ※異本*3「枝の」
     海老肥て野老痩たるも友ならなむ     常矩 ※ところ

 或は手をこめ、あるひは歌書の詞づかひ、又は謡の詞とりなどを物数奇したるあり。これらも一時に流行し侍れど、今は取り上る人なし。

魯町曰

 むすやうに夏にこしきといふは縁にあらずや。

去来曰

 縁は歌の一事にして、物数奇には非ず。手を込ると縁とは変りあり。

魯町曰

 不易流行その元一なりとはいかに。

去来曰

 この事弁じ難し。あらまし人体にたとへていはヾ、不易は無為の時、流行は座臥・行住・屈伸・伏仰の形同じからざるがごとし。一時一時の変風、是なり。其姿は時に替るといへども、無為も有為ももとは同じ人なり。

魯町曰

 風を変ずるには其人ありとはいかに。

去来曰

 本を知らずして末を変る時は、或は風を変へ、その変風俳諧を離れ、或は離れずといへどもつたなし。

魯町曰

 基より出ると出ざるとはいかに。

去来曰

 基をしらずしては解しがたからん。先あらはに知れるもの、一つふたつをあげて物語す。たとへば、先師の風といへども、
     貞固が松けさ門に有女ともきほひ
     滝あり蓮の葉にしばらく雨をいだきしか  素堂

 これらは詩か語か。又文字の数合たるにも、
     散花にたゝらうらめし暮の声       幽山
 この句は謎句なり。

※異本
魯町曰

 俳諧歌に謎の体も有事にや。

※異本
去来曰

 これらは皆、俳諧歌体よりは出ず。察し見るべし。

魯町曰

 先師も基より出ざる風、侍るにや。

去来曰

 奥州行脚の前はまゝあり。この行脚の内に工夫し給ふと見へたり。行脚の内にも、
     あなむざんやな甲の下のきりぎりす
 と云ふ句あり。後にあなの二字を捨られたり。これのみにあらず。異体の句などもはぶき、捨て給ふもの多し。この年の冬、はじめて、不易流行の教を説き給へり。

魯町曰

 不易流行の事は古説にや、先師の発明にや。

去来曰

 不易流行は万事に渡るなり。しかれども俳諧の先達これをいふ人なし。長頭丸、已来手を込る一体久しく流行し、
     角樽や傾け飲まふ丑の年
     花に水あけてさかせよ天竜寺

 といへるまでに吟じたり。世の人俳諧はかくのごときものとのみ心得つめぬれば、その風を変ずることをしらず。
 宗因師、一度そのこりかたまりたるを打破り、新風を天下に流行し侍れど、いまだこの教へなし。しかりしよりこのかた、都鄙の宗匠たち、古風を用いず。一旦流々を起せりといへども、又その風を長くおのが物として、時々変ずべき道を知らず。
 先師はじめて俳諧の本体を見付け、不易の句を立て、又風は時々変ある事を知り、流行の句変ある事を分ち教へ給ふ。しかれども、先師常に曰く「上に宗因なくんば、我々が俳諧、今以て貞徳の涎をねぶるべし。宗因はこの道の中興開山なり」と言へり。


 丈草曰、「不易の句も、當時其体を好みてはやらば、これも又流行の句といふべきなり」。

※異本に次の一文あり。
 先師遷化の時、正秀曰、「是より定て変風あらん。その風好みなし。只不易の句をたのしまん」。

去来曰

 (このように、)蕉門に不易流行の説々有り。或は今日の一句一句の上をいふ説あり。是も流行にあらずと言ひ難し。しかれども、不易流行の教と云は、俳諧本体、一時一時の変風との事なり。

*1 <向井去来>きょらい
名兼時,字元淵,通称喜平次。父は肥前神崎出、京で皇族に仕えた本草学の儒医元升。慶安4(1651)長崎生二男。明暦4(1658)8歳で父と上京。武道神道を修め儒者として親王に出仕。 貞享2(1685)蕉門に入り、翌年嵯峨落柿舎住。温厚で信望厚い。猿蓑,吹寄の記,青根が峯,旅寝論,篇突論,渡鳥集,誹諧情,難陳抄,去来抄,去来文,俳諧問答など。宝永元(1704)年9月10日没、54歳。兄震軒(元端)長弟魯町(元成)末弟牡年(利文)妻可南。

*2 <向井魯町>ろちょう
名叔明、字元成,通称兼丸。元升三男、明暦2(1656)生。本草・天文・算学に精通、儒者。長崎で書物改役(幕府輸入書調査)。蕉門。長崎物産考編、猿蓑、炭俵、有磯海、続猿蓑。享保12(1727)年2月9日没、72歳。長兄震軒、次兄去来、弟牡年。

*3 異本
「去来抄・三冊子・旅寝論、潁原退蔵校訂(岩波書店、昭和14(1939)年)」を参照して校合した。この底本は同書参照。

*4 賦・比・興
  古今集仮名序にならった和歌の分類、六義(りくぎ)の内三。
  ・賦……比喩を用いず、感じたことをありのままによむ詩の叙述法。
  ・比……比喩を用いて、気持ちを述べる詩の叙述法。
  ・興……風物に託して、自分の感興を歌う詩の叙述法。

俳諧埋木、六義を参照

修行

去来曰

【修行】 俳諧を修行せんと思はゞ、むかしより時代時代の風、宗匠宗匠の体をよくよく考へ知り盡すべし。是を知る時は、新古おのづから分かるものなり。

去来曰

【修行者】 俳諧の修行者は、おのが好みたる風の先達の句を一筋に尊み学びて、一句一句に不審を起し難を構ふべからず。若し、解しがたき句あらば、いかさま故あらんと工夫し、或は功者に尋ね明らむべし。我が俳諧の上達するにしたがひ、人の句も聞ゆるものなり。始より一句一句をとがめがちなる作者は、吟味の内に月日重りて、終に巧の成りたるを見ず。

 先師曰、「今の俳諧は、日ごろに工夫を付て、席に臨ては気鋒(きさき)を以て吐べし。心頭に落とすべからず」となり。
 支考曰、「昔の俳諧は如来禅の如し。今の俳諧は祖師禅の如し。捺着すれば則ち転ず*5」。

去来曰

【教え】 先師は門人に教へ給ふに、そのことば極りなし。
 予に示し給ふには、「句毎句毎に、さのみ念を入るものにあらず。又、句は、手強く俳意たしかに作るべし」となり。
 凡兆には、「一句わづかに十七字なり。一字もおろそかに置くべからず。俳諧もさすがに和歌の一体なり。句にしほりの有やうに作るべし」となり。
 是は作者の気性と口質とによりてなり。悪しく心得る輩は迷ふべきすぢなり。同門の中にも、ここに迷ひをとる人多し。

 先師曰、「発句は頭よりすらすらと、いひくだし来るを上品とす」。
 洒堂曰、「先師曰、『発句は汝が如く、物二ツ三ツ取集めて作るものにあらず。金を打ちのべたるやうにありたし』となり」。
 先師曰、「発句は物を合すれば出来るものなり。それをよく取合するを上手と言ひ、悪しきを下手と言ふなり」。

 許六曰、「発句は、取り合せて作する時は、句多く出来るものなり」。
 初学の輩これをおもふべし。巧者に及んでは、取合・不取合の論にはあらず。


※上の三文、異本は次の通り。
 許六曰、「発句はとり合物なり。先師曰、『是程しよき事の有を人は知らずや』」。
 去来曰、「とり合せて作する時は句多吟連なり。初学の人是を思ふべし。功者に成るに及んでは取リ合不取合の論にあらず」。


 許六曰、「発句は題の曲輪を飛出て作るべし。廓のうちにはなきものなり。自然曲輪の内に有は、天然にして稀なり」。

去来曰

 発句は廓の内に無きものにあらず。殊に、即興感偶するものは、多くは内にあり。然れども、常に案るに内は少なく、多くは古人の糟粕なり。千里にかけ出て吟ずる時は、句多きのみならず、第一等類をのがる。
 初学の尤も思ふべき処なり。功なるに及びては、又内外の論にはあらず。
 風国が俳諧、句毎曲輪の内なり。予、この事を示せば「電(雷)に徳利提て通りけり」といふを「徳利提て行かゝり」と直す。
 「明月にみな月代を剃りにけり」と言ふを「さかやきを皆剃立て駒迎」と直しぬ。


※上の下線部を、異本ここに出す。
 初学の尤思ふべき所なり。功者に成に及んでは、又内外の論に非ず。

去来曰

【案じ所】 他流と蕉門と、第一、案じ処に違ひ有りと見ゆ。蕉門は景情ともに有る処を吟ず。他流は心中に巧まるゝと見えたり。たとへば、
     「御蓬来夜はうすものをきせつべし
     「元日の空は青きに出船哉
     「鴨川や二度目の網に鮎一ツ

 といへるごとし。
 禁闕(きんけつ、皇居)に蓬莱なし。洛陽に出舟なし。鮎ひとつは少なき事にや。皆これ細工せらるゝなり。

去来曰

 蕉門の発句は、一字不通の田夫、十歳以下の小児も、時によりてはよき句あり。却て他門の功者といへる人は覚束なし。他流は其流の功者ならざれば、其流のよき好句はなしがたしと見えたり。

去来曰

【新意、本情】 俳諧は新意を専とすといへども、物の本情を違へて言ふものにはあらず。若しその事をうち返していふには品あり。
 たとへば、
     感時花濺涙、惜別鳥驚心  ※「春望」杜甫
或は、
     桜花ちらばちらなん散らずとてふるさと人の来ても見なくに ※ 惟喬親王、古今74
 と言へる類なり。「感時惜別」「大宮人(古里が京)の見ざる」、これら、一首の眼なり。

去来曰

 俳諧は火をも水に言ひなすと、清輔が云へるに迷ひて、「『雪の降る日は汗をかきけり』と云ひても苦しからず」といふ人あり。それは、火を水とばかり心得、言ひなすといふ所に心のつかざる故なり。雪の日に汗かくやうに、一句を能くいひなさばさもあらん。
     咲かへて盛リ久しき朝貌を仇なる花とたれかいひけむ
 の類なり。

去来曰

【案じ方】 句案に二品有り。趣向より入ると、詞道具より入るとなり。詞道具より入ル人は、頓句多句なり。趣向より入る人は、遲吟寡句也と云。されど案方の位を論ずる時は、趣向より入るを上品とす。詞道具より入る事は、和歌者流(わかしゃりゅう←→諧歌者流)には嫌と見へたり。俳諧は穴がちに嫌はず。

去来曰

 蕉門に、同巣同竈といふ事あり、これは前吟の鋳型に入て作する句なり。たとへば、「竿が長くて物につかへる」といふ句を、「刀の鐺(こじり)が障子にさはる」、或ひは、「杖が短かくて地にとゞかぬ(※七七になっていない。「えがみじかくてつちにとどかぬ」と読むか)」と、吟じかゆるなり。同竈の句は手柄なし。されど兄より生れ、増たらんは、又手柄なり。

去来曰

【句勢】 句に句勢といふあり。文に文勢、語に語勢あるがごとし。
 たとへば「ふるふがごとく小糠雪ふる」といふ句を、先師曰、「『打ちあくるごと小ぬかゆき降る』と作れば、句勢あり」となり。


※上の一文、異本次の通り。
 たとへば「ふるふがごとく小ぬか雨ふる」。先師曰、「是又いきほひなり。など、『打明るごと』とは作せずや」。去来曰、「詞つまりたるやうなり」。先師曰、「古人も我ごと『物やおもふらん』とは云はずや」となり。

去来曰

【句姿】 句に姿といふあり。たとへば、
     妻よぶ雉子の身をほそうする  去来
 初はこの句、「つまよぶ雉子のうろたへて啼」と作りたりけるを、先師曰、「去来、汝、いまだ句の姿をしらずや。同じ事もかくいへば姿あり」とて、直し給へるなり。
 支考が風姿といへるもこれなり。


※上の一文、異本次の通り。
 支考は、風姿風情と二つに分て教へらるゝ。もっとも、さとし安し。

去来曰

【句走り】 句に語路といふ物有り、句走リの事なり。語路は盤上を玉の走るがごとく、滞りなきをよしとす。又青柳の風に乱るゝが如く、優をとりたるもおもしろからん。溝川に土泥の流るゝやうに、行きあたり行きあたり、なづみたるはわろし。その外、巻中一句二句は、曲をなせるもあるべし。それとても、語路の滞りたるは、嫌ふなり。

*5 捺着すれば則ち転ず
  「不動智神妙録(沢庵)」の「水上打胡蘆子捺着即転」から。
  水上に胡蘆子(ころ-す、瓢箪)を打し、捺着(なつじゃく、押さえること)すれば即ち転ず

付け

去来曰

【付方三変】 発句は昔より、様々替はり侍れど、付句は三変にとどまれり。昔は付物を専とす。中ごろは心付を専とす。今は移り・響き・匂ひ・位を以て付るをよしとす。

*6
牡年曰

 いかなるを、響き・匂ひ・移りといへるにや。

去来曰

【移り・匂い】 支考等あらましを書出せり。これを手に取たるごとくには言ひがたし。今、先師の評をあげてさとさん。他は押して知らるべし。
     赤人の名は付れたりはつ霞    史邦
      鳥もさへづる合点なるべし   去来

 先師曰、「移りといひ、匂ひといひ、実は去年中、三十棒を受けられたる印なり」と悦び給ひけり。
 ここにおもへば、匂ひといふも、移りといふも、わづかに句作のあやにして、のると乗らぬとの境なれば、冷暖自知の時ならでは、悟し明らむることあるまじ。
 この句もし「赤人の名もおもしろや」とあらば、「鳥も囀るけしきなりけり」とも作るべきを、「名はつかれたり」といへるより、「合点なるべし」と相移りいくところ、味ひみらるべし。


※上の一文、異本次の通り。
 去来釋曰、「つかれたり」有るゆへ、「合点なるべし」といへるあたり、其云分の匂ひ相うつり行跡見らるべし。若し発句に「名は面白や」と有ラば、脇は「囀る気色也けり」と云べし。


【響き】  響きは打てば響くがごとし。たとへば、
     くれ縁に銀かはらけを打くだき
      身ほそき太刀のそるかたを見よ

 先師この句を引て教るとて、右の手にて土器をうち付け、左の手にて太刀にそりかくる真似をして語り給へける。
 一句一句に趣の変ることなれば、言語に尽くしがたきところ、看破せらるべし。

牡年曰

 付句の位とは、いかなる事にや。

去来曰

【位付】 前句の位を知て付る事なり。たとへ好き句ありとも、位応せざればのらず。先師の恋の句をあげて、いはく。
     上置の干菜刻むもうはの空  ※うわおきの
      馬に出ぬ日はうちで恋する

 前句は人の妻にもあらず、武家・町人の下女にもあらず、宿屋・問屋の下女なりと見て、位を定めたるものなり。
     細き目に花見る人の頬はれて
      なたね色なる袖の輪ちがひ ※菜種

 前句、古代の人のありさまなり。
     白粉をぬれども下地くろい顔
      役者もやうの袖のたきもの

 前句のさま、今様の女と見ゆ。
      尼になるべき宵のきぬぎぬ
     月影に鎧とやらん見すかして

 前句、いかにも然るべきもののふ(武士)の妻と見ゆ。
      ふすまつかんで洗ふあぶら手
     懸乞に恋の心をもたせたや

 前句、町家の腰元などいふべきか。これをもて、他はなずらへて、知らるべし。

牡年曰

【面影】 面影にて付るといふはいかが。

去来曰

 移り・匂ひ・響きは付様の塩梅なり。おもかげは付やうの事なり。昔は、おほくは、その事を直に付たり。それを面影にて付るといふは、
     草庵にしばらく居ては打破り   ばせを
      いのちうれしき撰集の沙汰   去来

 初は、「和歌の奥儀をしらず候ふ」と付たり。
 先師曰、「前を西行・能因の境界と見たるはよし。されど、直に西行と付けんは手づゝならん。ただ、面影にて付べし」とて、かく直し給ひぬ。いかさま西行・能因の面かげならむとなり。
 又、人を定めていふのみにもあらず。たとへば
     発心のはじめにこゆる鈴鹿山    ※芭蕉 猿蓑「梅若菜」の巻
      内蔵の頭かと呼ぶ人は誰そ    ※乙州 くらのかみかと

 先師曰、「いかさま誰そが面影ならん」となり。面影の事、支考も書置きたり。見合すべし。
 支考曰、「付句は一句に一句なり。前句付などはいくつもあるべし。連俳に至りては、其場・其人・其時節等、前後の見合ありて、一句に多はなきものなり。」

去来曰

【付句千万】 付句は一句に千万なり。故に俳諧変化極りなし。支考が「一句に一句」と云へるは、付る場の事なるべし。付る場は、多くなき物なり。句は一場の内にも、いくつもあるべし。
【景色】 先師曰、「気色(けしき)は、いか程つゞけてもよし。天象・地形・人事・草木・魚虫・鳥獣の遊べる、その形容、みなみな気色なり」。
 支考曰、「付句は付るものなり。今の俳諧は付かざるをよしとす。先師の句、一句も付かざるはなし」。

去来曰

 付句は、付ざれば付句に非ず。付過るは病なり。
 今の作者付る事を初心の業の様に覺へて、かつて付ざる句多し。
 聞く人も又、「聞き得ず」と、人の言はむことを恥て、付ざる句を咎めず。却て、よく付たる句を笑ふやから多し。我聞けるとは、格別なることも多かる。

去来曰

【物付、心付】 付物にて付け、又、心付にて付るは、其付たる道すじ知れり。付物をはなれ、情をひかず付けんには、前句の移り・匂ひ・響き無くしては、いずれの処にてか付ん。心得べき事なり。


※異本、次の一文あり。
 又云、付物にて付る事、当時は嫌ひ侍れど、そのあたりを見合、一巻に一、二句有らんは亦風流成べし。

去来曰

【蕉門の付句】 蕉門の付句は、前句の情を引来るを嫌ふ。ただ、前句は、是、いかなる場、いかなる人と、其事・其位をよく見定め、前句をつき放して付べし。
 先師曰、「付物にて付る事、当時好かずといへども、付物にて付がたからんを、さつぱりと付物にて付たらんは、又、手柄なるべし」。

*7
宇鹿曰

【付方】 先師十七の付方、路通に伝授し給ふと聞く。

去来曰

 遠境の門人の願に依て、付方を書出し給ふ。されど、後々「はせをが付方は、これに限りたり」と、「人の迷ひならん」と、これを捨られるる。その書出し給ふ分、十七ヶ条とやらん聞えたり。これを伝授とし給ふ事をしらず。大津にての事とやらんなれば、路通もしその反古を拾ひ取て、人に教ゆるにや。
 許六曰、「この事を願ひたるは千那法師なり」。

去来曰

 付句は、何事なく、さらさらと聞ゆるをよしとす。巻をよむに、思案・工夫して、付句を聞かむは、苦しき事なり。

去来曰

【風(ふう)】 風は千変万化すといふとも、句体「新く「清く「軽く「慥なる「正しく「厚く「閑なる「和なる「剛なる「解たる「懷く「速なる、かくの如きはよし。
 「鈍く「濁れる「弱く「重く「薄く「しだるく「渋たる「堅く「騒しく「古く、かくの如きは悪し。
 但し、「堅きと「鈍なる句には善悪あるべし。
 支考曰、「付句は、句に新古なし。付る場に新古あり」。


※上の「支考曰」の一文、異本「去来曰、風は千変万化す」の前に置く。

去来曰

 古風の句を用るにも、場によりてよし。されど、古風のままにはいかゞ、古体の内に今様有べし。
 先師曰、「一巻、表より名残迄、一体ならんは、見ぐるしかるべし」。

去来曰

【巻の展開】 一巻、面(おもて)は無事に作るべし。初折の裏より名残表迄に、物数奇も曲も有べし。(名残表)半より名残の裏へかけては、さらさらと、骨折らぬやうに作るべし。末に至ては、互に退屈いで来たれるものなり。なほ「好句あらん」とすれば、却つて句渋りて出来ぬものなり。されど、末々まで吟席いさみありて、好き句の出で来らんを無理に止るにあらず。「好句をおもふべからず」と云事なり。
 其角曰、「一巻に我句、九句・十句有とも、一二句好句あらば、残らず能句をせんとおもふべからず。却て不出来なるものなり。いまだ好句なからん内は、随分好句を思ふべし」。

去来曰

【付物】 付物にて付くること、当時嫌ひ侍れど、そのあたりを見合せ、一巻に一句二句あらんは、また風流なるべし。

 浪化曰、「今の俳諧、物語等を用ゆる事いかゞ」。
 去来曰、「同じくは、一巻に一二句あらまほし。猿蓑の中に『待人入し小御門の鍵』も、『門守の翁』なり。この集撰む時、(先師は)『物語等の句、少なし』とて、『粽結ふ』の句を作して、入給へり」。


※ 上の「去来曰」は入れ子である。浪化との問答で去来が答えたことを語った。省略された内容は「去来文」に出る。

去来曰

【風は変ず】 凡吟ある時は風あり。風は必ず変ず。これ、自然の事なり。先師、これをよく見取りて、「一風に長くとゞまるまじき事」を示し給へり。たとひ先師の風なりとも、一風になづんで、変化を知らざるは、却て先師の心にたがへり。

牡年曰

【発句の良し悪し】 発句の善悪はいかに。

去来曰

 発句は、人の「もっとも」と感ずるがよし。「さも有べし」といふはその次なり。「さも有べきや」というは、又その次なり。「さはあらじ」といふは下なり。

牡年曰

【発句と付句】 発句と付句のさかひはいかに。

去来曰

 七情万景、心に留まる処に発句あり。付句は常なり。たとへば、「鴬の梅にとまりて啼く」といふは、発句にならず。「鴬の身を逆さまに鳴く」といふは、発句なり。

牡年曰

 心に留まる所は、皆発句なるべきか。

去来曰

 この内、発句になるとならぬとあり。たとへば、
     つき出すや樋のつまりのひきがへる 好春
 この句を、先師の古池の蛙と同じやうに思へるとなん。こと珍らしく等類なし。さぞ心にもとゞまり、興もあらむ。されど、発句には、なしがたし。

*8
野明曰

【寂】 句のさびはいかなるものにや。

去来曰

 さびは句の色なり。閑寂なるをいふにあらず。たとへば、「老人の甲冑を帯し、戦場に働き、錦繍をかざり、御宴に侍」りても、老の姿あるがごとし。賑かなる句にも、静なる句にもあるものなり。たとへば、
     花守や白きかしらをつき合せ    去来
 先師曰、「寂色よくあらはれたり」。

野明曰

【句の位】 句の位とはいかなるものにや。

去来曰

 これも、又一句をあぐ。
     卯の花のたへ間たゝかん闇の門   去来 ※かど
 先師曰、「句の位、尋常ならず」となり。

去来曰

 ▽畢竟句位は、格の高きにあり。句中に理屈を言ひ、或は物をたくらべ、或はあたり合たる発句は、位くだるものなり。


※異本上の▽部に、次の二文あり。
 この句只位尋常ならざるのみなり。高意(位)の句とはいひがたし。

野明曰

【しおり、細み】 句のしをり、細みとは、いかなるものにや。

去来曰

 しをりは哀れなる句にあらず。細みはたよりなき句にあらず。
 しをりは句の姿にあり。細みは句のこころにあり。これも証句をあげて言はば、
     十団子も小粒になりぬ秋の風   ※許六
先師曰、「この句、しをりあり」。
     鳥どもも寝入てゐるか余吾の海  ※路通
先師曰、「この句、細みあり」と、評し給ひしなり。

去来曰

 総じて、寂・位・細み・しをりの事は、以心伝心なれば、ただ先師の評をあげて教えるのみ。他はおして明むべし。
 先師遷化の歳、深川を出で給ふとき、
 野坡問曰、「俳諧やはり今のごとく作し侍らむや」。
 先師曰、「しばらく今の風なるべし。五七年も過ぎはべらば、又一変あらむ」となり。

 今年、素堂子、洛の人に伝へて曰、「蕉翁の遺風、天下に満ちて、やうやう変ずべき時至れり。吾子、志同じうして、我と吟会して、一つの新風を興行せん」となり。
 去来曰、「先生の言、かたじけなく悦び侍る。予も兼てこの思ひなきにもあらず。幸ひに先生を後ろ楯として、二三の新風を起こさば、おそらくは、一度天下の人を驚かせん。しかれども、世波・老の波、日々打ち重なり、今は、風雅に遊ぶべきいとまもなければ、ただ御残り多く思ひ侍るのみ」と申す。
 素堂子は、先師の古友にて、博覽賢才の人なりければ、世に俳名高し。近来この道うちすさみ給ふといへども、又、いかなる風流を吐き出されんものをと、いと本意なきことなり。

*6 <久米牡年>ぼねん
名利文、七郎左衛門、初号暮年。元升四男、明暦4(1658)生。叔父久米利延養子。長崎の町年寄。有磯海、猿蓑、韻塞、続猿蓑、渡鳥集。蕉門。享保12(1727)年没、70歳。長兄震軒、次兄去来、三兄魯町。

*7 <西田宇鹿>うろく
名安澄、字太郎助、号百華井。寛文9(1669)長崎生。竹田城主と交流。京で去来の弟子。芭蕉七回忌、長崎に時雨塚建立。破魔弓:編,芭蕉発句集:編,芭蕉門発句十六篇:編,付句十四体:撰,菊の杖:序,市の海,草の道:編。享保17(1732)年9月没、64歳。宇鹿十三回忌碑を子の紗鹿建立(長崎春徳寺)。

*8 <坂井野明>やめい
博多黒田藩浪人。去来と親交,嵯峨野住。鳳仭の号、刃の字は用ゆべからずと、芭蕉が野明と改めた。砂川,拾,続有磯海,砥浪山,東花集,俳諧七部拾遺、己が光,藤の実,続猿蓑。正徳3(1713)没。



刊記

(序)

 安永三甲午十月   暁台 「暁臺」㊞ 「別号後一」㊞

版下

 於暮雨巷*9  嚔居士一音*10

去来抄跋
崑岡之璞。非人採之。則誰知璞之為玉乎。一
日 先生與二三子、游焉。得諸幽蘭之下。琢
而磨之皓々乎。世所謂、玉鏡也。使対之者心
在塵埃之外。則、去来之功、至是可謂発輝千
歳矣。吾徒愉快。其在於斯。

               井士朗*11 「井士朗」㊞ 「子艸」㊞

日付

 安永四年三月

発行

 皇都書林    井筒屋庄兵衛・橘屋治兵衛

*9 暮雨巷(ぼうこう)……暁台の別号、庵号。
<加藤暁台>きょうたい
名周挙、通称平兵衛、別号他朗・暮雨巷・後一など。享保17(1732)生。父尾張藩士岸上林右衛門。養父同加藤仲右衛門。尾張徳川家出仕,28歳で致仕。巴雀・白尼に師事,蕉風復古を唱え,蕉風を「去来抄」で、芭蕉俳諧を「熱田三歌仙」で世に示す。去来抄:編,暁台先生発句集:著,七部集暁台即註:撰,秋の日:編,独吟廿歌仙:編,熱田三歌仙:編,風羅念仏:撰,幽蘭集:編,蛙啼集,蛙文集,太郎集,姑射文庫,しをり萩,夜のはしら,暮雨句集,暮雨叟句集,暮雨巷連句集,幽蘭集,佐渡日記,幣袋。寛政4(1792)年没,61歳。

*10 <一音>いちおん・いっとん
妙義山の僧,嚏(はなひ)居士、義仲寺滞在。涼袋門。寂栞:編,去来抄:版下,秋しりがほ,瓜の実,古今俳諧明題集。

*11 <井上士朗>しろう
名正春、通称専庵、別号枇杷園・朱樹。寛保2(1749)年生。尾張守山産科医。暁台の高弟,寛政の三大家。井上士朗墨竹之図:画賛,士朗続七部集:撰,枇杷園句集:撰,麻刈集:編,水月一双,昔合集,花園集,花筏,ことのはら,歳晩集,瓢日記,玉兎集,むらおち葉,士朗五七集,枇杷園随筆,枇杷園七部集。文化9(1812)年5月16日没、71歳。


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