俳諧の作法ガイド 「俳諧有也無也の関」

索引
俳諧有也無也之関 一
序文前段 -俳諧の根源-後段 -切字、誹と俳、他
十八体挨拶切中の切自他切無名切玄妙切
二字切三字切二段切三段切に廻し
を廻し大廻し下知切心切句読の切
押し字哉の字の口訣抱字重字の切
発句縦横縦句横句狂句体
姿情の事虚実正之事不易流行之事発句五品之事
発句八体之事幽玄体有心体無心体悠遠体
風艶体風情体寓言体風曲体
奉納伝三品正親句響親句正響合体
概要重ねてには通し韻字
合転の脇畳字の脇裾重ね・てにはの脇
返し音の脇古式の合転発句が季末
第三概要字留もなし留
発句脇てにはもなし・はなし
らん留てにはなしてには留 辛崎の松句
古式・新式古式・新式の説明
俳諧有也無也之関 二
付合口訣見相観相向付、渡り付
付合八体之事其人其場時分時節
天象観相時宜
七名有心拍子色立起情
向付応答遁句
八体の転句意転の付二曲の付
五花の口訣 花桜一本桜打越花
月の名所に花花に桜の付雑の花
月の伝詠む人引き上げ月花一句
長句・短句秋の巻定座の前句に雨
打越に時刻夏冬朝の月恋と名所
月、七夕の伝月次の月月に蛍名所前後の月・花
本式表十句本式表十句、説明と例
後記月、七夕の伝相伝本、巻末の付記幻住本、跋

翁相伝有也無也之関

<解題>
 「蕉風俳諧作法伝書」の一つで、「板行本」(後述)には、由来が明示されていないこと・いかにも怪しげな記述があることで、偽書とされることが多い。しかし、疑うとも、内容のすべてを否定するのは正しい態度とは言えない。また、「相伝本」には怪しげな箇所がない。
 当サイトでは、巻記や相伝者から、著作者は、露沾・沾徳の系譜、沾山・沾山2世・吾山の内と推定。成立は享保15(1730)年以降、宝暦13(1763)年までと推測。
 相伝本の底本は、貼外題「俳諧うやむやの関」、巻頭書名「翁相伝有也無也之関」、識語に「家兄羅文居士写し、寛政10年11月、馬琴」。早稲田大学図書館蔵。
 板行本は、「幻住庵俳諧有也無也関、幻住落柿三世主人相伝・[草冠+然]子(以下然子)編。江戸書林、明和元年刊)」。八戸市立図書館蔵。
 後者は、省略された部分が多く、明解さを欠く。さらに、序文あとの「桃青」名追加、「芭蕉」を「我翁」に書換、相伝者「幻住落柿三世主人」の実体不明など、不審な点が多い。
 なお、「板行本」と「相伝本」の異同及び差分は、背景色・下線などで示した。


俳諧有也無也之関 その1 

 「翁相伝有也無也之関」(このページの底本、以下相伝本)の前半、発句・脇・第三までを、板行の「幻住庵俳諧有也無也之関」(以下幻住本)を参照しつつ読み進める。

 なお、表記は、新字体にしたり、仮名遣いを変え(活用語尾の追加、補助語・付属語・指示代名詞などの仮名書きなど)たりなどの変更をしている。

 また、相伝本を基とし、幻住本との差分は、次のように色別で示す。

概ね相伝本・幻住本に共通する内容

同上、記事。但し、幻住本に、欠く部分は下線で示す。幻住本の挿入は「< >」で示し、書き換えは、連続して「相伝本記述<幻住本書換>」と示す。小異は見ず。

相伝本のみにある段

同上、記事。

幻住本のみにある段

同上、記事。


序文       ↑ トップへ

前段

俳諧の根源

① 昔、花の下において、神代八雲の和歌を始め、世々和歌の姿を調ひ、其風体を分てより、この俳諧の体は定まれり。
② されば、余の歌と替りて、表に談笑の姿をあらはし、裏に閑情の心を含める句法なり。
③ 俳句は、[玄旨げんし・貞徳]伝の口訣に曰く、「上手の虚を言ふがごとく綴る」と言ふを、金言とす。
④ 虚は「きよ」なり、虚を実に綴るを、[宗因伝口受也]是とす。
⑤ 実を実とし、虚をきよにあらはすも、俳諧の道にあらず。
⑥ 正風体は、「虚実の間に遊んで、しかも虚実の間に止まらず」、これ俳諧の根源とするなり<是我家の秘訣なり>。

⑥の下線部、幻住本には、「是我家の秘訣なり」とある。「我家の」という文言は、支考写「二十五箇条」の「虚に虚ある者は世にまれにして、あるひは又多かるべし。此人をさして我家の伝授と言ふべし。」に合う。蕉門の意。

後段

発句、切字

誹と俳

口曲と心曲

自他と句切

<はしがき>

⑦ 発句・切字の事、十八字の品ありて、和歌にも連句<連歌>にも、その沙汰あれど、何故と、そのゆへを秘すれば、心さらに知らず。
⑧ 中古、貫之の誤りて、言葉<言偏>の誹諧の誹の字を綴り出す、[中古詞の下略す口訣]人みな好事と覚えたり。
⑨ 然れども[再板の口訣]勅諚を以て編めるの書なれば、これを古実の例として、共に俳の字に通用するなり。
⑩ 他門に対して論ずべからず。
⑪ ここを以て、これを有也無也の関と名付け侍るものか。
⑫ それを捨て、これを用ること、只我が門に遊ぶ人なり。
⑬ 他門に、人偏言偏の姿を知らず。
⑭ 口中に曲を含むことなかれ。
⑮ 心中に曲を捨ることなかれ。
⑯ 口曲は他門にして、心曲は正風なり。
⑰ 能く守り、能く用ひば、自他おのづから分るべし。
⑱ 自他分るところ、その言葉<やすむ>、是句切なり。

                           <桃青>

 ⑦は、発句に用いる切字のこと。⑧から⑬は誹と俳の字について、⑭から⑯は曲について、⑰⑱は自他と切れについて、個々につづり、文脈をたどるのに困難であり、まとまりもない。

 ⑦、18字の切字は、古来示されるが、根拠を示していないということある。

 ⑧~⑬では、⑩の位置がおかしい。⑬のあとに来るべきかと思われるが、⑩は⑨に連続する記述である。
 ・ 「直旨伝」に、「はいかいといふ名にてよきなり。他門に対して論ずべからず」。
 ・ 「山中問答」に、「誹・俳の二字とも用ひて捨ず、他門に對して論ずることなかれ」。
 ・ 「二十五箇条」に、「俳諧の二字もしかるぺし。他門に対して穿鑿すべからず」。
 ⑫は、次に一致する。
 ・ 「直旨伝」に、「それを捨て、是を用る人、唯我門に遊ぶ人なり」。
 ⑪の一文は浮いている。「ここ」指す内容は、何か。また、「名付け侍る」の主語は何か。翁が、「有也無也の関」と名付けたのであれば、「幻住本」序文書判に「桃青」とあるのは変。
 ⑬は、「⑩他門に対して論ずべからず」に矛盾する。

 ⑭~⑯、「曲」は情を述べること。口曲は直接表現、心曲は、表現しないが感じとれる情である。

 ⑰、「よく守り」は、正風の心曲を守るのであれば、⑯とつながる。よく用いれば、一句の中で自他が自ずと分かれると言うが、すべての句について言うのは、いささか乱暴である。

 ⑱は、次に一致する。
 ・ 「直旨伝」に、「又曰、自他の分る所、言葉の休む所、是句の切なり。」。

  <幻住庵誹諧有耶無耶之関>

<幻住庵 撰>  

十八体 引てには       ↑ トップへ

挨拶切

  いざさらば雪見にころぶ所まで

 右、挨拶切れは、他に対するの一つにして、「挨」を天となし、「拶」を地として、「いざさらば」は天なり。「雪見にころぶ」これ地なり。すべて、この類、上下の言葉、主客の隔つを以て、一句、切れとする、これ挨拶なり。

 いざさらば(挨・天)/(拶・地)雪見にころぶ 所まで

中の切

  猫の恋やむ時閨のおぼろ月

 右「猫の恋やむ」は、<言>明なり。閨の朧月は、立春後にして、物と物との七文字の中にて、心・言葉ともに替るを、中の切と言ふなり。

  猫の恋 やむ時/閨の おぼろ月

自他切

  人に家を買はせて我はとし忘

 右、自他は、物々皆自他なりといへども、就中、事隔りて人に我<は>と転ずるところ、際立ちたる体は、自他切なり。

 人に家を 買はせて(他)/(自)我は とし忘れ

無名切

  咲みだす桃の中より初桜
  明星に今年を見せて戻しけり

 右、「無名」は、一句の立つところなく、何を切字とも用ゐられずして、吟声、切れあるを無名といふ。

 その心は、「咲乱す」も、咲き終るなるべし。「終る」と五文字に置きて、座の句、「初桜」と綴るは、理に落ちて、俳意薄かるべし。さるを、乱すと心を隠して、無名となれり。

 咲みだす/桃の中より 初桜   ※吟じて切れが分かる。「咲き終わる」だと切れない。

玄妙の切

  春もやゝ気色調ふ月と梅
  降らずとも竹植うる日は蓑と笠

 右、玄は玄なり。妙にして、心、言葉も及ぼす。詩に曰く「観見庭前梅与松」など、返して読める心なり。平話にして返す事もいらず、言中に返す心を含むる。これ玄妙なり。

 春もやゝ 気色調ふ/月と梅。   ※倒置

 降らずとも/竹植うる日は 蓑と笠 ※二重修飾。降らずとも→蓑と笠、竹植うる日は→蓑と笠

二字切

  秋冷し手ごとにむけや瓜茄子

 右、二字切は、現在未来の隔り有りて、<此二ツ等しからず、>「冷し」は現在、「むけや」は下知にして、いまだ至らず。これ二字切といふなり。

 秋冷し/手ごとにむけや/瓜茄子

三字切

  子供らよ昼顔咲きぬ瓜むかん

 右、三字切。「子供らよ」は、呼び終わりて、過去の下知なり。「昼顔咲きぬ」は現在の「ぬ」なり。「瓜むかん」は、催していまだ至らず。<この時は>「過・現・未」各々心替りて、現在を「切」となして、「過・未」を粧ふといふ。総じて過去は切れず。<一ツの>未来は「切」に用ふるなり。

 子供らよ/昼顔咲きぬ/瓜むかん

二段切

  桜かな小町が姉の名はしらず
  荻薄団の合を隠すかな

 右、二段切は、桜に小町と、決定の「哉」<二ツ>を「哉」なくしていへば、「花さくら小町ハ姉の名はしらず」と、心・言葉分かるべし。<是二段切也。>

 「をぎすすき」の句も、「荻薄団」と、二段切也。

 桜かな/小町が姉の名はしらず  ※「いざさくら小町が姉の名はしらず 其角」(五元集)。

 荻・薄/団の合を隠すかな    ※うちわのあい、要のこと

三段切

  眼には青葉山ほととぎすはつ鰹

 素堂の句なり。「目に」と、姿の有るところにて切るなり。初かつをの句なり。

  梅若菜まりこの宿の薯蕷汁

 右、三段切なり。目に耳に口にといへる心を、五文字に含みて、三段の切となれり。

 眼には青葉/山ほととぎす/はつ鰹/
 梅/若菜/まりこの宿の 薯蕷汁/  
※とろろじる

に廻し

  柚の花にむかしを忍ぶ料理の間

 右、「に廻し」<は>、ものの余情の強くあまりて、一句とまらず、冠へ戻るを、「に」と押さへ<て>、しかもその「に」の仮名にて、事をひろくもてなすなり。

 例えば、
  桐の木に鶉鳴くなる塀の内 といふ心、「柚の花に」の句に同じ。<といへる句同じ。>

 柚の花に/むかしを忍ぶ料理の間→柚の花に……
 桐の木に/鶉鳴くなる塀の内→桐の木に……

を廻し

  あをくてもあるべき物を唐がらし

 右「を廻し」、この切は、心に赤き事をおもふ<赤くといへる>余情を、「を」の字に含みて、下の「唐からし」と転るところ少しけれども、上へ返して切れ侍るなり。「を」に、底意<底心>なければ切れず。殊に、裾枯ると嫌ふ病句なり。

 青くても あるべき物を/唐がらし→青くても……

大廻し

 <からさきの松ははなより朧にて>
  行春を近江の人とをしみける

 右、大廻しは、冠の座に「ヲコソトノホモヨロヲ」、右の仮名を七文字にておさへ。(。はママ)「てには」有るなり。この大廻しは、天地未分の切にして、初心の人知ることなし。口伝。註にあかさず。

 行春ヲ 近江の人ト をしみける  ※ヲで開け、トで押さえる。切れはない。

 なお、「幻住本」は、例句に「唐崎の松は花より朧にて」を追加するが、これは、中七の中で切れる「中之切」で、大廻しではない。また、上の下線部を略して伏せつつ、「口伝。註にあかさず」と書き、板行の意図を見せている。

下知切

  むかし聞け秩父殿さへ角力取

 右、下知の切は、聞ケ・言ヱ・取レ等の、頭立つ気色にして切るなり。貴人高位の人に対して綴ることなかれ。

 また、取次下地(下知)といふことあり。これは、自の下知にすることなり。

 餞別其角の句に、
  篭に居てあの花折れと山路哉
 右、「あの花折れと」切るなり。これ、取次下地なり。高位貴人にも苦しからず。

 むかし聞ケ/秩父殿さへ 角力取り
 駕籠に居て あの花折レと/山路哉  
※「五元集(其角句集)」に、「行露公あたみへ御浴養の比はなんけの句奉るへきよし仰ありて観遊の御書とも聞えけるに 脇息にあの花おれと山路哉」。行露は、松山藩主安藤信友の初号、其角に師事し、後に冠里と号す。

心切

  秋風に折れて悲しき桑の<枝> ※芭蕉句は「杖」

 右、心の切は、物々に移るといへども、秋風の涼しきに、仙居の桑の木の<枝>、我なくしてもろき容(かたち)、心・言葉分れてしかも睦じき「心の切」なり。この類、多し。

[口訣]心切は、上下長短あれども、詞にあらはさず、心にて掛合ふ句体なり。この外、とがめ疑ひ、転字侍るも上に五字一名の物有るときは、皆切なり。

  初真桑四つにやわらん輪にやせん
  郭公あちらの森は雨の宮      
※伊勢に雨之宮
  扇折いかに持ちたるあせぬぐひ   ※おうぎおり(職人)。
 持て汗拭となり。「持」と下心に小含むなり。
 扇の句を
   扇折持まじものを汗拭ひ
 かやうにすれば「を廻し」になるなり。


 四字切のこと[口訣]冠次の詞同じ

 秋風に/折れて悲しき 桑の枝

 初真桑/四つにやわらん 輪にやせん  ※元禄2の初案「初真桑四つにや断たん輪に切らん」

 扇折/いかに持ちたる あせぬぐい
 扇折/持まじものを 汗拭ひ

句読の切

  忘れずは小夜の中山にて涼め

 右、句読の切は、未来の物を現在に取越し、無き物に指南して、吟声の等しき仮名にて転ずるところを、「句読の切」といふなり。

 忘れずはwa/sa小夜の中山 にて涼め  ※吟声は、母音 

押し字

  何の木の花ともしらず匂ひ哉

[口訣]押字は、舌の上へあごに付くなり。吟じて知るべし。
 右、押字は「の」と「の」の挟みに、まぎらはしき切れなり。<是は上にて押さへ、下にてうき、一句切れけり。>

 何の木の 花ともしらず/匂ひ哉

※ 幻住本に下線部なし。「右」の文に、「これは、上にて押さへ、下にて浮き、一句切れけり」と継ぐ。

哉の字の口訣

哉の字

 「哉」のこと、治定にあらざれば切れず。姿の無きを「浮哉」といふ。上に切字あるべし。しかし、あらはれたる切字はいむなり。

 浮哉、呼出し哉、文字哉、彩哉、これらのるい一々治定にあらず。浮哉は切字をあらはし、もがなは詞を重ね、用ゆるなり。
 たとえば、
  星今宵桐の葉もがな人もがな
 呼出しは二段の切なり。桜哉や浮哉も「夕顔(次項抱字)」の「や」の類なり。
 文字哉は、
  夕立に初て破る芭蕉かな

  星今宵/桐の葉もがな 人もがな  ※新古今、式子内親王歌に「やへにほふ軒ばの桜うつろひぬ風よりさきにとふ人もがな」「桐の葉もふみわけがたくなりにけり必ず人を待つとなけれど」

  夕立に/初て破る 芭蕉かな    ※明治の子規句に「夕立に破れそめたる芭蕉哉」

抱字

  夕顔や秋はいろいろの瓢かな

 右抱字、この夕顔の「や」は切なり。しかし、五文字のこころ、付会無くして答へず。それを「秋は」と抱き、一句分かるべし。「哉」は、浮哉にて切れず。

 夕顔や/秋はいろいろの 瓢かな  ※ふすべ 

重字の切

  奈良七重七堂伽藍八重桜

 右、重切は、島根にて嶋、芳野にて吉野と言葉を重ね<重字は、島根に、吉野に、よしのゝと言葉重>、古代は重説の切ともいヘり。<なほ口訣。>

 奈良/七重/七堂伽藍/八重桜

 ※古今集に「春霞たてるやいづこみよしのの吉野の山に雪は降りつつ」

 右、十八の切字を以て根として、この余は色々に分かれたり。猶口訣。


発句竪横並狂句仕立様之事       ↑ トップへ

 この段は、幻住本にあり、相伝本にはない。

 篇序題曲流は、「埋木」によれば、和歌・連歌の五句の作りざまである。

 他家訪問になぞらえると、「は、訪れて外にたたずむさま」「、案内取次を待つほどのこと」「、用件を伝える分」「、意向趣旨を表すさま」「、暇乞いをすること」。歌論書の多くは上の説明をする。

 また、書物ならば、「は外題」「は序文」「は、一つ一つの題目」「は、詳細な文言」「は、よく言い終わる心」。

 連歌論書「ささめごと(心敬)」では、篇序題を客観的叙景、曲流を主観的陳述ととらえる。

縦句

縦句  五月雨を集て早し最上川
 伝云「口中に曲を含むことなかれ、心中に曲を捨つることなかれ」、例えば、「あなたふと八幡の森のほととぎす」といふ句、口中の曲なり。「ほととぎす」といへるは、心中に曲あり。この句もあつめてと虚なし、自然にその志味顕る。これ、談笑なり。最上川と閑清なり。曲流は一句の中にかくして表に顕さず、五儀備はるものなり。竪の句は言葉分けて吟味すべし。祝儀佳節、その外表立つとき、皆これ縦をよしとす。縦の本歌を引く。
 まかなくに何を種とて萍(うきくさ)の
      波のうねうねおひしげるらん

 引句は、篇序題(客観的叙景)の句で、曲流を含む。

引歌は、小野小町の作で、「真愛くに」は「蒔かなくに」を掛ける。上が篇序題、下が曲流。

横句

横句  煤掃や又此茶屋も不挨拶
 伝に云はく、句体作りのときは、上の五文字にその句の題を顕し、心持ちにて流を含み、序に曲の心を包み、篇にして押へ綴るなり。例えば、
 萍の何を種とてまかなくに
      おひしげるらん波のうねうね

 かくの如く、五儀「篇序題曲流」と全くつづけてと言ふに限らず、顛倒しても、常体の句には、句中に五儀を備え侍るを第一となり。

 引句、「不挨拶なり。歳末の宿場にて、この茶屋もまた煤掃きで休まれず」の意を句にしたもの。「煤掃きや」と流を含む題を示し、「この茶屋も」と序に曲を含み、「不挨拶」と篇で押さえる。流序篇と、順が変わっている。

狂句体

狂句体 景清も花見の座には七兵衛  ※しちびょうえ
 伝に云はく、題を七文字に置き、上下に篇流を備へ、篇に序を含み、題に曲を綴るを、狂ひの句といふ。
 この類、右備はれる句のみにあらず。曲流序篇題とも綴ることは、作者の器量によるべし。例へば、
 蒔なくに生ひしげるらん萍の
      波のうねうね何を種とて

 平家の侍伊藤景清、名を悪七兵衛。悪は荒々しく強い意で、花見の座では悪が取れるの意。「花見の座」という題に、曲を表している。

 和歌、連歌の五儀を発句にあてはめる論。心敬のとらえ方が、俳諧の連歌発生や発句の独立につながっていく。


姿情の事       ↑ トップへ

【姿情】1 すがたと趣。2 俳諧で、句の外形と内容。姿は句に表現された形象、情は作者の思想・感情。蕉風では、この融合を理想とする。<大辞泉>

 発句  年の尾や頭の方は喰ひ仕まひ
     年の尾や鮭の頭は喰ひ仕まひ
 平句  銭をまくのを神も御機げん
     銭をまく手を神も御きげん

 右の姿は即ち形なり。「頭の方は喰ひ仕まひ」とは何を喰ひ仕まひたるや、その姿しれず。鮭の頭と姿をあらはし、しかも句中に正月より極月までの光陰終るこころを含みて、余情とはなるなり。すべて姿情には、死姿情、風姿情の二つありて、同頭<同題>を用ゐるにも、心得有るべきことなり。
 平句の「銭をまく手を」と姿を求めたる、右に同じ。先師二十年の功を積みて、<初て鮭の頭を>得たるとなり。

 猶ほ年魚の口訣あり。<伝曰く、鮭を大年魚、鮎を小年魚といふ>

 前句がない発句は、十分に表現しないと姿が調わず、情が生じないということ。また、平句も同様と例を挙げる。「死姿情、風姿情の二つ」とあるが、次段に死姿情を三分する。

 なお、口訣の内容がないが、幻住本は、「伝に曰く、鮭を大年魚、鮎を小年魚といふ」と豆知識を「伝」として付け足す。こうした読み手をはぐらかす伝としては、「芭蕉翁口授の二十五条」「蕉翁徒然草」があって面白い。

 姿情いろいろあり。引き句、たとへば、
  死  手入れし菊の咲きて見事さ
  虚  手入れぬきくの咲きて見事さ
  地  捨てたる菊の咲きて見事さ
  風  捨てたる菊もけふは咲きけり

 右口訣。死・虚・地、姿情宜しからず。風姿情に句作ること是なり。

 前段の死姿情を「死虚地」に三分、死生の死、虚実の虚、天地の地か。「死」は、姿情間の停滞、風は「味わい・趣」。

 幻住本、この段を欠く。


虚実正之事       ↑ トップへ

【虚実】①虚と実。うそとまこと。②実体のあることとないこと。<大辞林>

  虚  糸切て雲となりけり𠘨巾 ※いかのぼり、凧。𠘨は、几の幅広(ブラウザにより表示されない)
  実  糸切て雲より落つる𠘨巾
  正  糸切て雲ともならず𠘨巾

 右、虚・実を非とし、正を是也とす。これ場を虚実の間に遊ぶといふ<句の>正脈なり。

 「万物は虚に居て変に働く(二十五箇条)」、虚にいて、それを自覚しつつ、実を詠むことである。


不易流行之事       ↑ トップへ

【不易流行】 一般には句の姿の問題として解され,趣向,表現に新奇な点がなく新古を超越した落ち着きのあるものが不易,そのときどきの風尚に従って斬新さを発揮したものが流行と説かれる。<ブリタニカ国際大百科事典>

  不易の句 古池や蛙かはづ飛込む水の音
  流行の句 景清も花見の座には七兵衛

 右、不易流行のことは、連俳ともに、まま取り違ひ多し。古池は、千載不易なり。その姿、述ぶるに及ばず。晋子が、頭へ「山吹」と備へて「しからんか」など話せり。山吹・古池、心、雲泥の隔つべし。
  山吹や蛙飛込む水の音
 とせば、流行の句なり。流行は右の一句に准じ、この景清もよくよく心得べし。
 不易の発句にて、流行の脇を句作るべし。流行の発句には、不易の脇を句作るべし。

 連歌俳諧が、不易流行を「どう取り違え」たかの説明はない。

 不易流行は、古池や山吹という語彙に左右されるかのごときで、物足りない。次は、句や句体のこととして伝える。

 土芳の三冊子に「「師の風雅に、万代不易あり。一時の変化あり。この二つに究まり、その基一なり。その一といふは、風雅の誠なり。不易を知らざれば、実(まこと)に知れるにあらず。不易といふは、新古によらず、変化流行にかかはらず、誠によく立ちたる姿なり」

 去来抄に、「蕉門に千歳不易の句・一時流行の句と言ふあり。これを二つに分けて教へ給へども、その基は一なり。不易を知らざれば基立がたく、流行をしらざれば風新たにならず、不易は古によろしく、後に叶ふ句なるゆへに、千歳不易といふ。流行は一時一時の變にして、昨日の風は今日よろしからず、今日の風は翌日に用ゐがたきゆゑ、一時流行とは、はやることをいふなり」


発句五品之事       ↑ トップへ

 五品(ごひん)の品とは、自然と外に表れる、好ましく洗練された様である。「香・寄・移・響・志」の五品の外、「曲・節・作」もあると、説く。

  香   卯の花やくらき柳のおよび腰
 伝曰く、柳の句なり。前に卯の花の垣あり。伸び上りて、その柳を見る姿にて、是垣根に対するところを、「香」と言う。


  寄   塩鯛の歯茎も寒し魚の棚
 伝に曰く、寒きの句なり。古き魚の棚に売れ残りたる塩鯛の寒きといはねども、おのづから寒き姿に風情を寄するところを、「寄」といふ。


  移   木隠れて茶摘も聞くや時鳥
 伝に曰く、愛すべき人にぞ有るに、以下の茶摘みまで、時鳥を聞くとの心は、四方に入り渡りて、<聞く>人隔つなきところを、我におもひあてて見ること、これ「移」なり。これは、聞く人に高下あればにぞ。


  響   蓬莱に聞かばや伊勢の初便り
 伝に曰く、年の始めの目出度きに、また「髭長き伊勢海老」とあらはさんよりは、上ミに「蓬莱」と置き、下に「伊勢の初便」とつづり、海老の姿、玄妙に分明なり。これ「響」なり。


  志   埋火や涙の落ちて煮る音   ※ 埋火も消ゆや涙の烹ゆる音
 伝に曰く、是は花咲老人(貞徳)の忌日に、芭蕉翁<我翁>の綴る句なり。その師の恩を感じ時の<感する時は>少しき埋火にさし向ひて、立さる事をも忘れ、感涙、炭火に煮ゆる体。埋火はうとく、涙の煮ゆる音は厚し。これを「志の句」といふ。<しかし、火ありて煮るなれば、埋火の句と心得べし。>  

 幻住本の挿入、「しかし、火ありて煮るなれば、埋火の句と心得べし。」、「しかし」の意が不明。「埋火の句」も意味不明。

 右、句作五品は、姿入り乱れて、初心の人の見へがたきところを、ここに註して、知らしむるなり。よくよく脇及ぼすべき為なり。
 もっとも、この外、「曲・節・作」の三つありて、節は節なれば、
  傘で押分けて見る柳哉  ※からかさ
 この如く、「押分て見」たるのみ。あへて柳の取つくろひ見えず。しかし、心中に繁る景色あり。
 曲作りは、
  名月や湖水に浮む七小町
 この句体なり。白月清々<月色清凄>たるに対して、石山の辺りより、堅田の浦の風景を見尽くさんとうかい(れ)出で、誠に船中の昼のごとくなるゆへ、あらゆる人家の有様までも、七小町といひまげたるなり。
 作りとは、上ミ五文字を以て、座の句に通はし、中七文字作りなれば、
  象潟の雨や西施が合歓の花
 これ等の類なり。西施は古事なり。象潟の暮をいかし、彼が眠れる景色にも似たらんか。「西施がねむる」と見とがめ、合歓の花は<其他に>有合せしものなり。先づは象潟に合歓の花の趣向にて、西施は句作なり。

※ 【七小町】小野小町伝説に取材した七つの謡曲。「草子洗小町」「通(かよい)小町」「卒都婆(そとば)小町」「関寺小町」「鸚鵡小町」「雨乞小町」「清水小町」の七曲で,江戸時代,よく歌舞伎の題材,浮世絵の画題などになった。<大辞林>


発句八体之事       ↑ トップへ

幽玄体

  人も見ぬ春や鏡のうらの梅
  やがて死ぬ気色は見へず蝉の声
  古池やかはづ飛込む水の音

有心体

  梅の木に猶やどり木や梅の花
  猿引は猿の小袖をきぬたかな
  金屏の松のふるびや冬ごもり

無心体

  草臥て宿かる頃やふじの花     ※くたびれて
  赤々と日はつれなくも秋の風
  夏草や兵どもが夢のあと

悠遠体

  梅が香にのつと日の出る山路哉
  時鳥消行くかたや島一つ
  水無月や峯に雲置く嵐山       ※六月や峰に雲置く嵐山 元禄七

 みな月脇八体に通ふ。口訣。 奈良墨をもて遊ぶ椽先

風艶体

  ひよろひよろと猶露けしや女郎花
  象潟の雨や西施が合歓の花
 <粽結ふ片手にはさむひたひ髪>

風情体

  五月雨を集めて早し最上川
  いざさらば雪見にころぶ所まで
  涼しさを我宿にしてねまるなり

寓言体

  きのふをも峠といひし暑さかな
  道のべのむくげは馬に喰れけり
  秣負ふ人を枝折の夏野かな     ※まぐさ

風曲体

  ふり売の雁あはれなり恵美寿講
  景清も花見の座には七兵衛
  青くても有るべきものを唐がらし

 右発句八体のことは、自他の句体、何々と見定め、よくその趣向を改め、脇に及ぼすべき鏡なり。

 外に十三体三十体>の句といふこと有りといへども、皆この八体を分つの末体なり。

 なほ嵐山の発句に脇ぶりの指南あり、口伝。


奉納伝三品       ↑ トップへ

 この段は、幻住本にあり、相伝本にはない。

【親句】①和歌で,一首が語法的に切れず内容に続きのあるもの(正の親句)。また,一首が音の上で連接しているもの(響の親句)。②連歌・俳諧の付合で,前句の語句や意味や姿にたよって付けること。また,その付句。 ▽↔ 疎句<大辞林>

正親句

 正親句(しょうしんく)は言葉つづきの縁をもて仕立る句法なり。本歌の伝に同じ。
   立わかれいなばの山の峯におふる まつとしきかば今かへりこん
俳諧 何の木の花ともしらず匂ひかな

 かくの如く綴ることなり。

 立わかれ歌……別る・往ぬ・待つ・帰る、山・峰・生る・松

 何の木の句……木・花・匂い

響親句

 また、響親句(ひびきしんく)は、五音十声の通ひをもて綴るなり。これも本歌の伝にひとし。
   声すてふ葉山かくれのさを鹿も  ほのぼの見ゆるむさし野の原
   松風の匂ふとつみや浜の宮  色あざやかに御手洗の蓮

俳諧 むつかしき顔は家老に極りて

 声すてふ歌……ア列音、オ列音の多用。二句三句をオ列音、四句結句をウ列音でつなぐ。

こえすちょう はやまがくれの さおかも ほのぼのみゆる むののはら

koesutyoo  hayamagakureno  saosikamo  honobonomiyuru  musasinonohara

 松風の歌……ア列音、オ列音の多用。初句二句をナ行音、二句三句をア列音、四句結句をイ列音でつなぐ。

 におうとつみや はまの いろあざやかに みたらのは

matukazeno  nioototumiya  hamanomiya  iroazayakani  mitarasinohasu

 むつかし句……上と中はカ行音で、音通。中と下はイ列音の連声。

むつかしき かおはかろうに きわまりて

mutukasiki  kaowakarooni  kiwamarite

正響合体

 正響合体時は、上五文字を音通に綴り、下を連声にも綴るなり。また、上を連声にして、下を音通仕立つることもあり。これは一句安からざるときのことと知るべし。
例えば、
  裸にはまだ二月の嵐かな

 裸には句……上にア列音が四つ。上と中はア列音でつなぐ連声。中と下は「正」。

はだか だきさらぎの あらしかな

   響(連声)└─┘      ↑正        

 季吟の「俳諧秘」に、「五句の継ぎ目、響き離れざるを、五音連声(れんじょう)の響きの親句と言ふなり」とある。

 右三品は、奉納・法楽のみに限らず、祈祷・夢想・賀・元服・移徙(イシ、わたまし=新築転居)、これ音通・連声なきを用ひず、もっとも連声は大音の格にして綴りかたし、名人たりとも、よくよく心を付くべし。

※[音通][連声]
 「竹園抄(藤原為顕撰、鎌倉期)」によれば、子音が響き合うもの(アイウエオ、ラリルレロなど)が「五音相通」、母音が響き合うもの(アカサタナ、イキシチニなど)が「五音連声」。ここでは、五音相通を「音通」、五音連声を「連声」とする。


脇句       ↑ トップへ

脇・第三

(概説、幻住本のみ)

   塒せよわらほす庭の友すゞめ  ※ねぐら
    秋を込たるくねの指し杉   ※くね=垣根

 伝に云はく、発句縦のときは、脇を横に仕立るなり。脇は娘のごとし。一代親の懐を離れず、しかもその家を取ることなしといへる。これ拾穂軒(しゅうすいけん、季吟)の教へなり。発句に顕れざるところを、脇に顕し、発句にたがはぬように仕立つるなり。もっとも発句の同月の季を入るべし。三月にわたるものは外に心得あるべきこと。これは発句の友雀といふ、親々より塒求むる雀の居所を見付けて、くねのさし杉と、其場を顕はしたるものか、総て発句は、その情十あるものを七つ顕し、余れる三つにて脇を調ふること宜し。

 ねぐらの場所を垣根と定めた例。

 脇句<一 脇>てには留めは、発句の留めに「なり・けり・哉」、これらの留めにもあらず、しかも、文字にて留めたるときの「用」なり、「模様」なり。その体三つあり。
  一つには、重ねてには
  二つには、通し韻字トいふことは、これは、はね字留め<脇>なり。中に疑ひの「や」あるべし。
  三つには、合転の脇なり。
 この外二つの留めは、定の字留め、通し韻字の変化なり。なお口伝あり。
 しかし、常の巻は、<通用の>字留めと心得、一巻安からざる時は、本式十百韻見合せ、宗匠の計ふべきことなり。

 幻住本、一二がなくて、いきなり「三つには」と杜撰の見本。

 以下、「てには止」の脇について。

重ねてには

引句  笠に受け袂に砕や桃の酒  ※ちるや

 また、夏の鴬のこと、四月ころより山に入り、五六月深山有るなり。これまた心得あるべきことなり。

    柳も吹けば風もなびけば
 これを畳納格と言ふ。タタム格とも言ふ。

    柳も吹け 風もなびけ

 前句「桃の酒」を、「傘に落ち、袖に砕け散った鴬の糞」の隠喩と見て、柳と風を入れ換えてうそぶく風狂な酔者の体を付けたもの。

通し韻字


    夜嵐も小春の空と船心  ※船心=船酔い
     帰り花咲場にやあるらん
 これを返し音と言う。

     帰り花咲く 場にあるらん

 前句の「船酔い」を受け、吐しゃ物を「帰り花」としたもの。

合転の脇


    歯ぎしりを橋に聞夜や初時雨
     時雨も軽く柳一本  
※ひともと
 これを合転の格と言ふ。合転のこと、昔は重字・重語といへり。新式に記す。口訣。

 合転は、たとえば、発句の座の句の一字を、脇の冠に据うにて転ぜざるなり。これ、即ち合転なり。考うべし。

    歯ぎしりを橋に聞夜や初時雨
     時雨も軽く柳一本

 発句「初時雨」に、脇も同語を用いて、「時雨軽き」と付ける。

  脇句の段、幻住本は引句のみ。また、以下を略す。

畳字の脇

 また、畳字の脇付ばかり二三句引く。
    篝は芝 月はまうへ
    笹のそよぎ 松のかがり
    燕も来る 雁もかへる

 七七の上下、同じ助詞で止める。

裾重ね辞の脇

 また、裾重ねてにはの脇付。
    初雁さつと霧

 下七文字にて重ぬるなり。余はこれに順ずべし。

 下七の文節末、同じ助詞を付ける。

返し音の脇

 また、返し音の脇付。
     帰り花咲場にあるらん

 口訣曰く、「場にやあるらん帰り花咲」と返る句法なり。この留は、らんにかぎらずうたがいのやの仮名を入れ、何ンのはね字にても苦しからず。されども多くはらん留なり。

    一葉にも千代松引くらん

 疑問の助詞「や」~推量の助動詞「らん」の形。

古式の合転

  また、古式の合転。
    わらの間垣にを詠めて    ※ながめて
   といふ古歌の心をよめりけり

 

   銭銀も降るかと花の三月は    ※ぜにかねも
    三月半面あきられ

 右、古式なり。よろしからず。多用せず。

 芭蕉書簡に「鳶の評」あり。異同がある。

     蒜の籬にをながめて     ※ひるのまがき。
    のゐる花の賎屋とよみにけり  
※しずや

発句が季末の脇

  発句三月の末の時は、脇は三月尽なり、第三よろしく、尤も合ふ初夏の季を結び、仕立つるなり。春秋、右に同じ。また、三月尽の発句のときは、脇、右に同じかるべし。秘すべし。

  ともの浦に船還り(ふながえり)して、三月尽の心を述ぶる。

   春ならば我はとま敷湊かな
脇   青葉に紛る花のした蔭

  右考ふべし。第三、初夏を付くることゆるす。余は順ふべし。

 脇は、発句と同季に仕立てるのが通例であるが、季をやや進めることもあった。四つの季末の句に、止むを得なく次季初めの句を付ける例であろう。

 ちなみに、引句の「青葉」、当時は季語でない。例えば、「苣はまだ青葉ながらに茄子汁(芭蕉、元禄7)」、ちしゃの青葉は春のものだが、それと同時に晩夏の茄子汁が出た陰暦五月の感動を詠む。このように何々の青葉とするが、単に青葉と言ったときは落葉樹の若葉である。引句は、花の残る桜若葉、陰をつくるほどで、夏の風情。


第三       ↑ トップへ

第三振

       友雀の脇(秋を込たるくねの指し杉)に
    月見んと汐引のほる船留めて
 伝に曰く、「第三は心軽くその詞重し」。例えば、他家の士のごとし。脇の下心をふみ、一句長け高く転ずるといふ、詩の転の心と場となり。発句に心・詞。場所のもどらぬをよしとす。春秋は季あり。夏冬は雑なり。春秋三月に渡るものはよくよく心得、二月の発句に睦月の第三等を綴ること、宜しからず。太郎月の発句に弥生の第三は転じ様にて苦しからず。

 脇の項引句、発句「塒せよわらほす庭の友すゞめ」の脇「秋を込たるくねの指し杉」

第三
字留のこと

○脇「てには」留のときは第三を字留にすることもあり。本式十百韻に十体の格ありて、一巻いひ捨ての俳諧にも、その例を引あへて、「て」留に限ることにもあらず。さはいへども、指南なく「て」留の場を物好きに、余の留を求むることなかれ。

第三
もなし留など

 十体の格にも、「もなし・らん留・とは・哉・返し句・に留・けり留」等は、言葉わけて吟味すべし。「なれ留」は、五文字の下に抱へ字を置き、七文字にて押さへ、その言葉、軽からざるやうに仕立べし。字留めは外に口伝あり。

発句・脇てには留の第三

  口訣、発句「てには留」にて、脇また「てには」か、或は「捨てには留」ならば、そのとき、第三は字留めにすべし。ただし、「捨てには」といふは、「成り・成る・叩き・叩く・行き・行く」、これらの類なり。

 字留の第三。

「も」

 蛼(コオロギ)は、誌虫(紙魚か?)よりも声を出すことなし。「蛼だにも声を出さず」といふ句あり。
 しかれば、この句の「も」といふ仮名、下働きあり。心を付けて一々見る。

「もなし」

  口訣、「『もなし』は、『はなし』に通ふ」とは、一句のひねりが、
    行く船に心の芦の隈はなし
 室内の伝いふ。「もなし」は、「はなし」に通ひ、「哉留」は五儀なし。篇序題まで。

らん留

  「らん留めは、はね字にて留まるなり。らしに通ふべからず」とは、留めの冠一字、「らん留」の「や」は、用ふべからず。

字留

  「字留」は五字一名。「に留」の第三は、中に抱字入るなり。「なれや留」は、冠の座を抱へ、返し字のもは、うたがうべからず。
    鳴からに轡も鈴も松虫も

  朧月  杜若  金衣鳥(うぐいす)  郭公(ほととぎす)
 かやうの景物にて留る也。これ五字一名と言ひ伝るなり。間に「てには」なきものを、座の句とするなり。

 「鳴からに」は、「も」の引句。5音の季語を入れると、助詞なくして止まる。
 幻住本は、いきなり「朧月」から、五字一名の説明をする。これでは、分からない。

てには留

    蛼もまだ定らぬ啼どころ
    行船は心に芦の隈もなし
    鹿の声は前の山より程遠に
    我家と思へば空のひろからん
    挟箱持たせず声のふるふとは
    分別の落つる所は椿かな
    鳴からに轡も鈴も松虫も
    放さるゝ鳥は小田刈頃なれや

 右、第三の留め、てにはのことは数多して、一様に定め難し。あらかじめ手爾葉の取合、抱き押へのむつかしき体は、古式と新式の訳を記す。総じて一句の面振、発句につかふ「も」の字を、第三には「を」といふに、「を」の字をも、「は」と縦ること第一なり。「らん」留めの中の「や」、「哉」留めの言ひ捨は、古式に誤るの句あり。これに伝あり。

発句・第三・平句

 「辛崎の松」に三種のわかちありて、発句・第三・平句、この三色に分明なり。
  発句 から崎の松は花より朧にて
  第三 辛崎の松を春の夜見渡して

 第三の句面大きく仕立つべし。これまた、句中の意に、心細く綴るべし。
  平句 から崎の松春の夜朧にて

 第三と平句の引句、「二十五箇条」と逆。二十五箇条では、

     辛崎のまつ春の夜朧にて

 と、「まつの朧」という節が、平句より重いので第三としている。「まつは」で、「まつも」ではない。「は」でよい。

 相伝本の取り違えと分かる。

※ 幻住本は、例句のみで「発句・第三・平句」の区別をしない。

 


古式・新式       ↑ トップへ

古式・新式

 古式のこと、貞徳、須磨に船拾壹ヶ條なり。
 新式、芭蕉庵の貞享の式なり。

 「貞享の式」は、「二十五箇条」。

 


俳諧有也無也之関 その2 

 「翁相伝有也無也之関」(このページの底本、以下相伝本)の後半、付合や月花の扱いを、板行版「幻住庵俳諧有也無也之関」(以下幻住本)を参照しつつ読み進める。


付合口訣       ↑ トップへ

見相

  付合口訣左之通
 其人より天象まで、五体を「見相」といふ。眼に見るところなり。

八体のうち、其人・其場・時分・時節・天象の五体を、見るので「見相」という。

観相

 観相より時宜まで、三体を「観相」といふ。心中にて思ひ見るところなり。

 八体のうち、観相・俤(面影)・時宜の三体を、心で見るので「観相」という。

向付

渡り付

 向付は、渡り付になりたるときのことなり。
 渡り付といふは、
   水深々と松の出ばなれ    ※松は舩の誤り。出場(でば)
  武者一騎見送る城の暁よ

 向付(むかいづけ)の説明。引句では、船から馬に渡っている。

また、
   今を別れの刀投げ出す    ※猿蓑は「さし出す」
  憂人を枳穀垣よりくぐらせて  ※猿蓑は「くぐらせん」
   おもひ切たる死狂ひ見た   ※猿蓑は「見よ」

 かやうに付合もたれ、重るときは、四五句にて趣向終るなり。
 そのとき、向付にて、転ずるなり。前句を狂言及び舞妓の類と見て、或いは、見物一座の興を付などするあり。烈敷き(はげしき)付なり。好まざることなり

例句は、猿蓑「鳶の羽」の巻から引くが、順が違う。

 名オ 6  隣をかりて車引こむ       凡兆
 名オ 7 うき人を枳穀垣よりくゞらせん  芭蕉
 名オ 8  いまや別の刀さし出す      去来
 名オ 9 せはしげに櫛でかしらをかきちらし 凡兆
 名オ10  おもひ切たる死ぐるひ見よ   史邦
 名オ11 青天に有明月の朝ぼらけ      去来

 6は、男の行動。7は、待つ女。8、武士が離縁状とともに刀を差し出すしきたり。9は、里帰りの身支度をする女。

 このように、男女の渡りで展開がくどくなる前に、10のように役者を登場させる。


付合八体の事       ↑ トップへ

       前句  使の人を待せ置てや

其人

 奥様へ灸の隙を願い出で  ※いとま

その人の付け。前句の人物を付ける。待たせたのが、主の留守を預かる武家の奥方。病を得た家臣が休暇の申請に使者を遣り、使者が取次の僕に待たされたとなる。

其場

 板の間を鏡のごとく寄麗好  ※奇麗ずき

その場の付け。前句の場所を示す。

時分

 暮れども月夜はやすき渡し舩

じぶんの付け。前句の時期、およその時刻を付ける。

時節

 御流れの側に涼しきあやめ酒

じせつの付け。前句の時期、季節を付ける。

天象

 一通り山から晴るゝ俄雨   ※にわかあめ

てんしょうの付け。前句の空模様を付ける。

以上五体が見相。

観相

 紀念とは思ひがけなき憂別  ※かたみ、うきわかれ

かんそうの付け。世相・人生の喜怒哀楽を観じて付ける。

以下三体をまとめても、観相と言う。

俤(面影)

 宗盛の機げんを熊野も斗兼  ※機嫌、はかりかね

おもかげの付け。故事・古歌の世界を示唆する付け。

時宜

 時宜は向付なり。<とは、其座其時の時宜なり。>証句ひきがたし。前句の趣向を取らず、その座その時の時宜。

じぎの付け。その時のよろしきにかなう。世相・状態・時勢などの事宜、その座、その風俗にかなう付けも含む。

 右八体は委く(くわしく)註するにも及ばず。句面にて分明なり。
 但し、面影のことは、各門い、かない難き義なり。<七名にも名いひ叶かたきものなり。>たとへば、無分別の内の分別といふことあり。<実に分別の場所の分別と心得、>この心得にて、古事の俤の取合はすべきことなり。よくよく古き句を見習ふべきなり。

 難解なところがある。

 「各門い」の「い」は、上接の語を特に示す間投助詞、或いは「に」の誤りとする。また、「かない」が「適い・叶い・敵い」だとすると、「何が」が分からないままである。

 「各門い」の「い」が「意」ならば、「但し面影のことは、各門、意、適ひ難き義なり」で、「面影付けの意図を、各門ともになかなか達成できない」と、一応了解できる。また、以下の3文の指南につながる。

 一応、幻住本を見ると、「但し面影のことは、七名にも名いひ叶がたきものなり。実に無分別の場所の分別と心得、よくよく古事の俤を取合すべきにて」とあり、いよいよ分からない。また、「右八体は委く」を「詳しく」と読まず、「此八体は悉く」と書き換えて、意味を分かりにくくしている。しかし、これで、「幻住本」は、「相伝本」を基としたことが分かる。


七名       ↑ トップへ

            同付合八体の七名

有心

 前句 参るにも船下向にも舟にして
 付句  隣の婆々もこちで出来合

 是を有心付といふ心は、前句にいづれとその体なきには、付にてその姿をあらはし、つらなる所の句体なり。
 下七文字にて有心の意を含めり。

 前句の人物の姿を表し、前句に連ねたもの。

拍子

    上戸衆の寄れば更るも知らぬやら
     さらりさらりと手と打ちにけり

 これを拍子といふ句の心は、前句にて噂する所を、付にてその姿を合せ、噂と姿と立ならび、自然と自他をあらはす義なり。手を打というやうな(る)を拍子といふにあらず。

 前句の雰囲気に合わせ、姿を並べ加えたもの。

色立

    赤坂の名も折からに紅葉して
     知行寺やらいかひ白壁  
※知行でら、寺領を与えられた寺
 右、色立とは<是を色立てといふは>、紅葉に白壁と色を取合せたり。しかし、付合の姿けやけきゆゑ、強ゐてする事にあらず、百韻に一両所いふと心得べし。

 前句に出る色彩に別の色彩を取り合わせたもの。

起情

     雲雀も上る程の日なれば
    春風に酔はせはせじと船に乗せ

 右、起情也なり。この前句には情あらはれず、付句にて情をあらはすなり。常は酔ふ人ながらも、この長閑なる空にと、空をさし、<長閑き空とさし>所を極めて、その姿をあらはして、二句一意の句作といふなり。是は一折に一ヶ所有るべし<一所はくるしからず>。

 場の句(叙景・叙事句)に、情を寄せたもの。

向付

     使の<もの>を待せ置てや
    意見いふ時は言葉を改めて

 右、向付は<是を向付といふは>、使にさし向ひて、前句より趣向を求めず、肌合睦敷つらなる体なり。自他は本体各ありといへども、五句三句渡りしたしき時は、かくのごとくすることもあり。
 引句の外に委しく(くわしく)<悉く>いはゞ、前句に大名といふ句へ老僧と付合にするをも、向付といふべし。
 すべて、その巻の句読縮むときに、向付にすることなり。その心得にて用ふべきなり。<つきは其まで編むときの事なり。>

 前句の人物に、別人を立てたもの。
※ 幻住本<つきは~>、意味不明。

応答

    一代の科はないかや秋の暮 ※とが
     ほろりと落る蓮の実の音

 右、応答の句なり。姿は会釈なり。<是は応答といひ又会釈ともいふなり。>おふとふ(おうたふ)は、自問自答の心にして、会釈は前句を釈する心なり。二人一句述べるところにして、詞は自他あり。これもまた、打越の、むつかしく渡り来る時の機変に、用ゆることと知るべし。

 支考の七名に「応答」はなく、「会釈」としている。
※ 「応答といひ又会釈」という幻住本の説明では、応答と会釈が同じものとなる。

遁句

    幾年も箔のはげたる宮造り
     口にかざりをいふは宿引

 右の付句、遁句なり。会釈の別名のやうに言ふ人あり。誤りなり。<此付合の体遁る也、是は会釈の前名の如く誤る人あり。>遁句は一所に別人有て、前にもたれず、応答は自問自答なり
 先づは遁句作りの趣向に迷ふは、風・雲・寒・暖、この類なり。時節・神祇の姿にて軽く付け放ち、次へ渡すゆへ(ゑ)に、尤も手柄ある句なり。会釈遁句は分かちかたきよし、先師も風話あり。初心の人これを句作ることなかれ。
 引句、
     賀茂の社はよきやしろなり

※ 「別名と誤る」を、幻住本は「前名の如く誤る」とする。

※ 支考の「七名八体」に「応答」はなく、「会釈」となっている。「七名八体」は、支考の創案ではなく、「響香走と云事、昔から句に有事、七名八体連歌の趣」と、「有也無也之関」成立と同時代の「不猫蛇(越人、享保10(1725))」にある。 


付合八体の転句       ↑ トップへ

一字流行

  ⎾かけ合の鳶に日和を定め兼
  ⎿ 半分焼てやすむでんがく
  ⎾いのころは羽織のすそにざれかゝり ※狗尾草、戯れ掛かり
  ⎿ 薮の異名を捨る一服

  ⎾舟場上れば鴫のかんきん    ※鴫の看経
  ⎿ 西様としらで江口の秋時雨  ※さいさま、西行の遊女言葉。
  ⎾木綿には有明の月残し置    ※晒し木綿
  ⎿ 千載集に鴫はないげな    ※「鴫立つ沢」歌、千載が採用せず。

 其人・其場など八体の転じ方を三つに分類。

※ 「西様」は支考の句。「後桜山伏(歌十、宝永3(1706)」所載。

意転の付

  ⎾切れ買の棒はいろいろ吹そらし
  ⎿ なこその滝といふはどこやら

 前句、棒と吹くとの意が分からない。切れ売りの吹く棒とは、雅楽器の笙の竹管か。

 「名古曽の滝」は、嵯峨にある。公任の「滝の音は絶えて久しくなりぬれど なこそ流れてなお聞こえけれ」を踏まえて、付けたか。前句の意を転ずる例であろう。

二曲の付

  ⎾何となく声はとかりし歌かるた ※とがりしか。
  │ 無事でそだつか祖父もめでたい
  ⎿ 小町が秋はよごれてんけり  ※幻住本は、「秋」を「情」とする。
    ↑ これは、風曲なり。

  ⎾植込の中に瓦を取ちらし
  │ 拍子木聞てたばこ初める   ※はじめる
  ⎿ 尻に手を組む天下百姓

      ↑ これは、地曲なり。

 二曲とは、風曲・地曲。

 右転句、三段の付合は、前句の姿を見定め、他の思ひ寄らざる所を付べし。このこと第一なり。

 彼の、
  宗鑑の姿を見よやがきつばた   といへる脇に
   のまんとすれど夏の沢水

 と、いへるごときを、口先の俳諧とて、当元禄の新式には、甚忌むことなり。

 七名八体の句作る法にして、転句は八体の転句なれば、自然にそらための句作りあれども、下心には体廓にあたる所を弁へ、句作りすべき也なり。
   第三
  声かれす山ほととぎす飛くれて  
 右、これは難なし。今時の付合多くは、この第三の風情を以て転句といふなり。

 小町の句と天下百性の句、風曲・地曲の俳諧には、常並の付合にて、地の俳諧には転句と一々心得なり。

 引句「宗鑑の」は、発句である。脇で転ずることはないので、第三を漏らしたか。

  発句 手に持てる姿を見れば餓鬼つばた  逍遙院
  脇   のまんとすれど夏の沢水     宗長
  第三 蛇に追はれて何地かへるらん    宗鑑 
※くちなわ、いずち、帰る-蛙

 この第三は、まさに言葉遊びである。これが「口先」なら分かる。これを、

  第三 声枯れす山時鳥飛び暮れて
 とし、転ずるというのであろう。


俳諧五花の口訣       ↑ トップへ

花桜の事

   道みちや道のひろげて花桜  ※幻住本、道にひろげて
 右、桜は花なり。花は桜なり。唐とやまとの引合に、牡丹はあなたの花となり。されば我島根の花にして、花桜といへるは、花花さくら桜と呼ぶこころなるべし。花桜と用ゐること、本歌に深き習いあり。一山または一縄手、花を見渡したるときのことなり。

一本桜の事

 付合一本桜の事  正花になるなり。
   糸桜腹一ぱいに咲きにけり  ※去来、「猿蓑、灰汁桶の巻、名ウ5」
 右付合、一本桜の事は、細川法印(幽斎、細川藤孝)より秘して、花咲先生(貞徳)に口訣の正伝*1なり。其後、更に用ゐる人なし。門人去来、予の猿蓑の巻に「末の花」と略して、彼伝をあらはさず<顕す事あり*2>。総じて桜一本の時は、「咲・開・莟」、これらの文字を句の内に置くなり。即ち正花に立ならい(ひ)なり。正伝なり。

*1 幽斉から貞徳、さらに長考へと伝えられた和歌の難題を詠ずるに当っての秘伝書「難題読曲」にある。延宝元年刊。

*2 「末の花と略して」なので、幻住本の「顕す事あり」が正しい。
 →(去来抄、故実)卯七曰、「猿みのに、花を桜にかへらるゝはいかに」。去来曰、「此時予花を桜にかへんといふ。先師曰、『故はいかに』。去来曰、『凡花は桜にあらずといへる、一通りはする事にて花聟・茶の出ばな等も、はなやかなるによる。はなやかなりと 云ふも拠有り。必竟花はさく節をのがるまじと思ひ侍る也』。先師曰、『さればよ、古へは四本の内一本は桜也。汝がいふ所もゆへなきにあらず。兎もかくも作すべし。されど尋常の桜に替たるは詮なし。糸桜一はひと句主我まゝ也』と笑ひ給ひけり」。

打越花の事

 打越花の事    正花になるなり。
   みよし野は常の雲さへ春のいろ
 右付合<花の定座>の一二句前に、水仙・山茶花・花野・梅<水仙・さかん花・野の花・野梅>等の句有りて、花あらはれたるときは、定座の花にさはるゆゑ、多くは花前とて、執筆の許さざるところなり。貴人高位の拠なく、句作り出来たらば、返句もいかが。そのときは証句のごとく綴りて、花脇にも、春の句を付べし。

※ 幻住本「花の定座」と挿入。芭蕉捌きに定座はない。

※ 相伝本、初冬の「山茶花」、三秋の「花野」を誤って入れる。これでは、「花脇に春」は無理。当然打越に正花はない。桜と花は折去、多種花は三句去。
※ 幻住本、山茶花を「さかん花」と誤る。

月の名所に
花の事

   更科や曇るといふは花の事
 右、月の名所に至る人、春は花などにて句作ること多し。実に大事なり。長頭丸(貞徳)の片帆伝にも委く、「其場を弁へ、花にて月を称美すべき事」とぞ。
 それ故に、右の句にも更料(科)は月の名所<本名>にて、風雨のために曇るべからず。弥生の花の霞より、月の朧と変化し、聊か光の薄き事もとなり、一巻に仕立るときは、初表の月の座に正月(しょうげつ)あるべからず、夜錦・桂男・嫦娥(じょうが)等の粧ひを以て、句作るなり。裏の月は苦しからず。花は発句の体も、月のために言ひ得る体にて、中の花ともに、用捨なき事なり、

※ 「更科や」は、凉菟句。「水薦刈(猿左、寛政6(1794))」

花にさくら
付句の事

   から崎の松は花より朧にて
    山はさくらをしほる春雨

 右、花に桜を付ること。前句、粧ひの花・花娵・花聟・花嫁・花かつほ(かつを)ならば、家桜・山桜の類を付け、前句生花のときは、桜貝・さくら鯛・さくら人などと句作るなり。前の、花にあらざる桜はよし。<桜に花も亦同じ。>

 例句と説明が合わない。発句は、花の噂ではあるが、「粧いの花」以下例示の花ではない。例句は「鎌倉海道(千梅・亜靖、享保10(1725))が初出。
※ 相伝本「花にあらざる桜はよし」は、説明として重複。

雑の花の事

   かひ(い)らぎの鮫は花より見事にて

    行烈(列)といふものはなにやら

 右、雑の花は、秋移りなどにあるべきことなり、歌仙に初裏八句目より、月秋に句作るとき、十一句目の花、春に及びがたし。これは冬季を跨ぐゆゑなり。その巻には雑の花を出し、花より三句去つて、素春をする事習ひなり。雑の花とは異名なり。花嫁、花聟も、称美の言葉なれば、皆是雑に用ゐる<雑正花>なり。春を付行くときは、みたて花とこれを言ふ。

 「かいらぎ句」は、花と見比べる以上晩春の句である。また、秋月から花の句へ移ることは常である。花嫁・花鰹は、季語と結ぶことが多い。

※ かいらぎ【梅花皮・鰄】粒状の突起がある魚皮。チョウザメともアカエイの背皮とも。刀剣の鞘・柄に用いる。

 


月之伝       ↑ トップへ

(月花の句を詠む人)

 月花は一巻の的にして、尤も重し、その座の宗匠または功者なる人、よき人等のすることなり。

 熟練者か、身分の高いものが詠む。

(定座の引き上げ・こぼし)

 月は一面テに一つ宛、七月(※百韻)なり。引上ぐること子細なし。百韻に一ヶ所こぼす事をゆるす。しかし、極りたることにはあらず。初裏の月は、決してこぼすべからず。

 百韻は、四花七月で、月は一箇所なくてもよいが、初折の裏の月はこぼせない。月を定座より前に詠むことができる。

(月花一句のとき)

 月花を一句に仕立る時は、五分五分に聞ゆるやうに句作るべし。これは月の坐を略して、一所にするゆゑなり。甲乙ありては、月花片題<引題>とてよろしからず。差合あれば、月をこぼす。<さはいへ、月に秋を結ぶといふにはあらず。>

 「月花一句」のときは、どちらにも重きを置かない。

※ 幻住本の書換二所ともに、意味不明。「さはいへ」は、「五分五分とはいへ」であろうか。「秋の月と春の花を一句に詠め」と、誤解されると思っての注釈としか見えない。

(こぼれ月)

    引句
  あらかねの芋は芋はと売歩行く ※「粗金の」は土の枕詞、鉄鉱石。うりありく
   今宵の月の名はかくれなし

 右、「芋は芋はといふ」をこぼすといふ義なり。こころをさきて見るべし。
    また、
  踏分て出る男鹿の山の端に
   月も嬉しと思しめすらん

 右の句は、本歌に、
  嬉しきは見る人毎に思すらん 山の端出る秋の夜の月
と、古歌にもこぼして有るなり。 
 ※ うれしとや待つ人ごとに思ふらん山の端いづる秋の夜の月 (西行、山家集)

 「あらかね句」の打越に「掃除日の」と日並ではあるが、「日」の字があって、月を出せなかったので、こぼした。
 これは、「俳諧古今抄(支考、享保15(1730))」に出る説明である。
 同書には続けて「踏分て句」も出ていて、同一内容と見なせる。

(短句・長句)

 月短句ばかりにそろへず。長句ばかりは苦しからず。

 定座を引き上げたとき、一巻、短句ばかりにしない。月を称美するからである。

(秋の巻)

 秋の巻には、脇・第三までに必ず月あるべし。月なきを素秋とて、室内の外は用ゐる事なし<ゆるさず>。

 発句が秋のとき、発句に月がなければ、脇か第三で詠む。秋は五句去りだが、4,5句目は、軽くするからである。

(定座の前句に雨)

 月前に、拠なく雨の句など出たる時は、待つ月、または過たる月など拵へ立つるなり<どもを拵へ用る事然るべし>。

 定座の前句に雨や雲は遠慮する。「よんどころなく」出た場合、無月を避ける。

(定座の打越に時刻)

 打越に時刻ある句には、月の句に<月の座は>昼夜の文字を用ゐることなかれ。

 観音開きを避ける。

(夏・冬・朝の月

 夏・冬・朝の月、この三色は、「の」の字を付けて用ゆべし<にはのゝ字を入るべし>。「夏の、冬の、朝の」(の)如く、これ仕立べし。

 春の月(三春)には、春月(しゅんげつ、仲春)がある。月と言えば秋なので、「秋の月」はない。

(月と恋・名所)

 月に恋を結び、名所を結びたる句は、一巻に一所と知るべし

 一巻にないのが普通、出ても一箇所ということ。

 以下、月に関することであるが、原本の区分に従う。


七夕の伝       ↑ トップへ

 星合の発句に月を付ること、大事あり。月は重く、星は軽けれども、七夕の夜は星重ければ、月をばかすかに計らふべし。<一夜の祝詞として、幽かに月の出る体など、調へ置くべし。譬ば、>

 七夕は、星を賞玩するので、常は「月という字」を遠慮する。

発句

 引句  発句
   星二つうつるや露のころび合
    ゑにしばかりに盃の影

 「星二つ」で七夕である。月は、「さかづきの影」とした。

平句

 また  平句
   七夕は唐の湊も小さかづき
    飛越す垣も持たぬかつら男

 桂男は月に住むという。月の異称である。


月次の月の事       ↑ トップへ

 月並の月は、照り曇りの情なく、定座等に用ゐる事かたし。作者功者ならば、その意を兼ぬる。仕立つるときは、下心にふまへて、物などあるべし。

 暦の月は、定座で使えないが、例外もあるということ。

(引句)

    青田の波も志賀の門先
   六月は汗を一夜の最中とも  
※もなか

 月の最中は十五夜だが、「一夜の最中」とある。

 月並の月を定座に用ゐる事は、影との最中とか、兎角、月のせんのたつやうに句作るべし。

   文月やなを(ほ)光陰の影涼し
  此句相叶う
   ふみ月や猶光陰の時涼し

  この句よろしからず。
 右両句にて、心得知るべし。

 光は日、陰は月である。一句目は、その姿を味わい、二句目は、光陰を年月として味わうのであろうか。


月に蛍の事       ↑ トップへ

 月に蛍を結び、又は蛍を付行く巻には、両様とも光り、称美のものゆゑ蛍をそだて、月に押れぬやうにすべし。

(引句)

  岩角は<岩かげは>に波のもへあがり
   孫の機嫌の涼しさは月

 蛍を尊重し、月を控えめにする。


名所前後の事       ↑ トップへ

 月に更科、花に芳野と付ることなかれ。宇治に茶、竜田に紅葉は付くべし。また、更科に月は付けてもよし。その場ありての景物なるゆゑなり。

 月に更科、花に吉野は格別で、それ以外は、「其場」の景物の付けに問題はない。


本式表十句之章       ↑ トップへ

 表十句は、十百韻の大数にして、表に世界にあらゆる物事を嫌はず。但し神祇の発句に神祇の脇、釈教・述懐・恋等の発句も、右に同じ。常の発句には、第三に神祇、月に恋、花に釈教等を嫌ふ。時の宜に見合せ綴るべし。

 本式表十句は、百韻十巻を凝縮させたものだから、世のあらゆるものを詠む。

 通例、百韻は表八句で、表に月一つであるが、古式百韻の表は十句で、月花各一である。古式百韻の表物を「本式表十句」と言い、神祇・釈教・恋・無常も詠む。

 たとえば、

  松杉にすくひ上げたるみぞれかな 去来  ※発句、霙:三冬
   鐘面白う冴るたそがれ     許六  ※脇、鐘:古式で釈教、冴え:三冬
  ひたすらにねはる誓ひは丁子風呂 芭蕉  ※第三、誓い:神祇・恋。京に丁子風呂町
   長い羽織も四五年のうち    曽良  ※4、長羽織:服喪か
  吹晴れてあとは躍りの月丸く   千那  ※5、踊り:神祇、月丸:仲秋
   橋まで押して登る初汐      来  ※6、初潮:仲秋
  鰯網干す場を鳶の離れ兼       六  ※7、鰯網:晩秋
   編笠組に入るは何ゆへ       蕉  ※8
  神明の花に願ひを開かせて     良  ※9、神明:神祇、花:晩春
   天高かれば地にも鼓草      那  ※10、鼓草:晩

 この表十句は、岩波「芭蕉連句集」では、存疑の扱い。芭蕉一座の俳諧で、去来・許六・曽良・千那の四人の内二人同時に同座したことがない。特に千那は、他に芭蕉との付合が一つあるだけで、三物以上はない。


(後記)       ↑ トップへ

(相伝本、巻末の記)

右元禄の新式室内有也無也関者蕉門之人とても知る人少し他門之人努々無伝授是ヲ俳話する事ヲ不免可思可秘者也  東岡舎印 羅文印

 「右元禄の新式室内有也無也関は、蕉門の人とても、知る人少なし。他門の人、努々(ゆめゆめ)伝授するなかれ。是を俳話する事免ぜずと思すべし。秘すべきものなり」と読むか。

 羅文(らぶん・滝沢興旨。興義男、馬琴兄。1759ー98)、表紙裏に、寛政10年の馬琴刊記。

(幻住本、跋)

 右元禄之新式室内有やむやの関は、蕉門の人知る事あたはず。努々、三家の人たりとも無伝授のごとくにして、これを俳諧する事なかれ、あなかしこ。

有也無也関  現幻住落柿三世主人在判

 芭蕉は、伝の記述を良しとしなかったのであるから、「蕉門の人知る事あたはず」は当然である。

 「三家」とは、其角の「江戸座」、支考の「美濃派又は獅子門」、乙由の「伊勢派」。芭蕉没後、遺志を継いだはずの三門に「無伝授」という。

 この文章は、上段「相伝本巻末の付記」に相当し、板行に当たって、かなり改変されたものである。

 世に俳人あふき(おほき)中に、蕉門の有や無やの関と言ふ書ありといへども、しる人まれなり。も心をうつし、たづぬること、とし久し。爰に、此の書一巻誤字を正し合刻せんと、書林たずさへ来り。見るに、後世以て不朽のうやむやの書なり。俳人見るべきところの書なれば、頼みにまかせまはらぬ筆にか入せしものなり  然子 花押

 明和元甲申秋八月

 書林が持ち込み、然子が編集したと分かる。

 1764年8月。

まとめ       ↑ トップへ

1 「翁相伝有也無也之関」
<相伝本の成立>
 引用句と記述内容から、享保15(1730)年から、幻住本板行の明和元(1764)年までに成立と推定できる。これは、34年間と幅がある。
<相伝本の著者>
 誰かは不明であるが、羅文が相伝した事実は動かないので、おおよそのことは推定できる。以下、江戸座沾徳門の伝書と仮定して、系譜を遡る。
 羅文の師は、吾山である。吾山は享保3(1718)年生なので、享保15年に14歳、明和元年に48歳で、若いが一応候補になる。吾山の師は沾山二世だが、生没年未詳。その師は沾山、宝暦8(1758)没。生年は、正徳6(1716)年とする説もあるが、これでは、沾徳の没年(享保11(1723)年)に11歳であり、沾徳の教えは受けられない。子の沾山二世が吾山の師となるのだから、遅くとも貞享4(1687)には生まれていただろう。仮にその貞享4年生まれとすると、沾徳の没年に沾山は40歳。さらに子の沾山二世は宝永4(1717)年ごろの生と推測、二世が30歳なら吾山(20歳)の師となれるだろう。
 沾徳は、享保11年没だから、享保15年刊の「古今抄」を参照できない。従って、著者の候補は、沾山・沾山2世・吾山に絞られる。
<検証> 「翁相伝有也無也之関」の表現から検証を試みる。
 ① 芭蕉の呼び名  巻頭書名に「翁相伝」、発句五品之事に「芭蕉翁の綴る句」と2か所に出る。沾徳や師の露沾は古くから芭蕉とよく交流していたので、芭蕉を「翁」と呼ぶのは自然である。
 ② 巻末相伝の記に「蕉門之人とても知る人少し、他門之人努々~」とある。従って、相伝したのは、蕉門の人ではない。「他門之人」がこれを読むわけではないので、これは自戒を求めたことになる。他門之人即ち自門である。芭蕉を慕いながら蕉門でないという立ち場は、いくつかあるが、沾徳門にも当てはまる。

2 幻住本「有也無也之関」
<上梓の経緯>
 然子の跋に従えば、「うやむやの関」の存在は知っていたが、まだ見ていない。で、誤字を正し一冊の書物として出したいと出版社が持ってきたので、世の俳人のためにと筆を執った」のである。発行は、「江戸書林西村源六・京都同市良右衛門・大坂柏原屋清右衛門」で、版元は、江戸書林である。
<然子の編集>
 ・ 巻頭書名「幻住菴俳諧有や無也関」、内題「幻住庵誹諧有也無也関/幻住庵撰」としている。「幻住庵の記」から、芭蕉を想起させる庵号である。
 ・ 巻末相伝の文「蕉門の人知る人あたはず」と書き換えた。蕉門外の書であることを強調している。
 ・ 相伝者を「現幻住落柿三世主人」とした。門外不出の書を上梓するに当たって、偽名にしたと思われる。題下に「幻住庵」とあるが、幻住庵は、曲翠の伯父の庵である。元禄3(1690)年4月6日、曲翠はここに芭蕉を迎え、芭蕉は7月23日まで滞在、幻住庵の記を書く。この後「幻住庵」を名のるのは、幕末の蕙逸(1806-1867、大津の人)まで、待たねばならない。
 一方、落柿舎は、落柿舎再建の後、明和8(1771)年重厚が落柿舎二世を名のり、寛政4(1792)年某が落柿舎三世を継ぐ。飽くまでも落柿舎であり、落柿ではない。幻住も落柿も架空の号とみる。
 ・ 「誤字を正す」とあるが、「重字の切」に見られるように誤読による誤字が増やされている。解読不能箇所は、すべて相伝本で理解可能。
 ・ 冗長な箇所の省略はよいが、「大廻し」や「押し字」の解説などを省略し、初学者に分かりにくくしている。
 ・ 其角や支考の引き句や、「誹諧古今抄」と重なる部分をを割愛している。蕉門各派への遠慮か。
 ・ 「発句竪横並狂句仕立様之事」で五義の論、「奉納伝三品」で親句の論を追加している。いずれも古式である。芭蕉は古式を踏まえていたことを伝えたかったのであろう。

有心俳諧有也無也之関 終 


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