俳諧の作法 「二十五箇条」と諸伝書の記述

二十五箇条 目録
俳諧の道とする事俳諧二字の事虚實の事
変化の事起定転合の事発句切字有事脇韻字有事
第三手尓葉之事四句目軽事10月花の事11花に櫻つくる事
12當季を案ずる事13二季に渡る物の事14発句時季用事15発句像やうの事
16付句案じやうの事17趣向を定る事18恋の句の事19切字に口傳ある事
20指合の事21から崎の松の事22鳶に鴟の句の事23宵闇の句の事
24名所に雑の句の事25かなづかひの事巻末跋・刊記
二十五箇条関連ページ へ移動
本文校訂「二十五箇条」 : 元禄7年去来伝受。初版本・宋屋本・其角本と照合、校訂。
資料資料「昼の錦/二十五箇条」 : 古今集・去来抄・七部集・三四考・寂栞などをまとめ、資料とする。


二十五箇条

<解題>
 「蕉風俳諧作法伝書」の一つで各務支考編。西邑養魚蔵本の刊記に享保21(1736)年1月とある。支考没後6年、芭蕉没後43年の板行である。
 芭蕉が伝授したのは、其角・去来・許六の3人とされる。 許六の「宇陀法師(元禄15(1702)年)」に、「廿五ヶ条の口訣は先師の奥儀にして、是をしらざれば俳諧の道にくらし」とある。
 支考が去来伝受本を入手した経緯を、原松は「去来没後、支考はその妾から、十五両で買った」とする。
 また、支考がそのまま板行したと信じられないとした偽書説も出るが、一概に否定する態度は誤っている。
 ここでは、「二十五箇条」を、「山中問答」の記述や「貞享式海印録」の注解などを参考にしつつ、どこが「芭蕉の伝」か、どこが偽りかを探りつつ読み進める。もし、区分できれば、この「二十五箇条」が芭蕉の伝書として持つ価値は大きなものとなる。

 底本は、貼外題欠落、目次第「二十五箇条」、寺町五条上ル町 : 額田正三郎出版(元禄7年桃青判、享保21(1734)年正月記。太田庄右衛門再板、宝暦9(1789)年以降額田正三郎板行)、早稲田大学図書館所蔵。

 ここでは、「二十五箇条」を、「山中問答」の記述や「貞享式海印録」の注解を参考にしつつ、どこが「芭蕉の伝」か探りつつ読み進める。もし、明解に区分できれば、この「二十五箇条」は、俳諧で学ぶものの参考になる。


二十五箇条

○ 俳諧の道とする事

1a 俳諧の道               ↑ トップへ

 ある人問曰、「はいかいは、何のためにする事ぞや」。
 答曰、「俗談平話をたゞさむがためなり」。
 又問、「はいかいの道とする所如何」。
 又答、「仏道に達摩あり、儒道に荘子あつて、道の実有を踏破せり。歌道に俳かいある事※a01も、かくのごときとしる時は、道に反て道に叶ふの道理なり。され共、俳かいのすがたは、歌・連歌の次に立て、心は向上之一路に遊ぶべし。
  口伝一向宗の事あり※a02
  春秋心法獲麟之秘訣※a03

山中問答   俳諧の文字他

一 いにしへより詩といひ歌といひ、道の外に求るにあらず。然るに、よのつね俳諧の文字にまよひて、和歌に對したる名の道理を辨へず、頓作・当話の俚俗に落て、狂言綺語とのみおぼえたる人もあるべし。これあさましきことなり。


一 はいかいは道草の花とみて、知を捨て愚にあそぶベしとぞ。


一 俳諧のすがたは俗談・平話ながら、俗にして俗にあらず、平話にして平話にあらず、そのさかひをしるべし。此境は初心に及ばずとぞ。

・ 芭蕉の伝書として信頼しうる「山中問答」の記述によく合っている。

・ 俗談平話とは、
 ① 蕉風の俳論で、俳諧は日常の俗語・話し言葉を用い、それを雅語に匹敵するものに高めて風雅を表すべきだとするもの。<大辞泉>
 ② 卑近な俗語と日常の話し言葉。特に俳諧で,芭蕉が「芭蕉翁二十五箇条」で「(俳諧ノ本質ハ)俗談平話をたださむがためなり」と説いたとされてから,詩的言語にまで洗練された日常語をいう。<大辞林>
 である。この「雅語に匹敵」「詩的言語」を忘れ、「俗にして俗のまま」俳諧に取り入れ、「ぞな」とか「がや」とか表現する派が現れ、田舎蕉門と言われることもあった。

・ 「ある人」とは支考であろうか。「葛の松原、支考述・不玉選」に、次の記述がある。

葛の松原   第3段

○3 そもそも風雅は、なにのためにするといふ事ぞや。
 孔子の三百篇は草木鳥獣のいぶかしき物をしらしめ、倭には三十一字をつらねて、上下の情にいたらしむ。その詩歌にもらしぬる草木鳥獣の名をさして、高下を形容せむものは、いまの風雅これなるべし。
 しかるに、俳諧といふ文字は、史には不根の持論といへりければ、諧の言(コト)は吾しらず。
 この頃その名をあらためむ事を阿叟に申し侍れば、「古今集※1は已に俳諧の名を立てたり。いまの者これをせむ事よからず。是故に韓子が昼寝も魯論はけづらず、華厳の犬瑠璃も、その奥にしるしたり。俳諧は世の変相にして、風雅は志の行きどころなり」と、吾がともがら是なからむや。

・ 「風雅」を「俳諧」に読みなせば、同じ問い掛けである。これと「俳諧の二字」の問い掛けを支考のものと解する向きがあるが、その答えは、元禄2(1689)年の「山中問答」が先行する。

<葛の松原>
 刊記に「図司が凋柏堂に於いて筆を絶つ/元禄壬申五月十五日」とある。元禄5(1692)年2月10日、支考は芭蕉庵から奥羽の旅に出た。「図司凋柏堂」は、羽黒の呂丸で、旅中書き続けたがここで、やめたということであろう。不玉は、次の目的地酒田の人。不玉が草稿を取捨して上梓する。内容は、芭蕉の言行、蕉門俳人の論評であるが、中には批判的言辞もあり、後の支考の片鱗を見せる。井筒屋の目録によれば、同年の板行であるから、芭蕉が読んだ可能性はある。芭蕉が目を通した上の板行ではないが、この書に引用された芭蕉の言葉は、入門2年目支考29歳の学習記録として貴重である。

「廿五箇条抜書口伝、桃嶺子伝羽毛写、明和3(1766)年」というのがあって、口伝の内容を記す。羽毛は、越中魚津の俳人である。同書には、外に、支考・乙由門で金沢の希因・闌更・馬来の伝や、沾徳・乙由門の柳居、越前丸岡の梨一の伝を載せる。安永5(1776)年仲秋、魚津を訪れた樗良を歓迎(「月の夜」)する。以下「抜書口伝」とする。
※a01 「抜書口伝、歌に俳諧あり」 但、詩連歌にまけず。
 ・ 「古今和歌集」、巻十九雑体(ざってい)の1011~1068(58首)、内53首が「誹諧歌」。 → 資料「誹諧歌」

※a02 一向宗の事-但、尼入道無知文盲のよく聞安く諸宗より高し。(「抜書口伝」より)

※a03 麒麟之秘訣-聖人の世に必キリン出るとて伝り全さにあらず。濁世の時節によつてキリン出るなりと云。<俳諧深秘抄/芭蕉翁秘伝二十五条>
  「獲麟解 韓愈」→ 資料「獲麟解」


口伝の説明は、次の「引続錦紙」のものが分かりやすい。
引続錦紙 俳諧の道とする事/一向宗/獲麟解

 「引続錦紙」は、其角門下の湖十門・巴人門に伝わる二十五箇条の口伝である。内容が具体的なので、別ページに掲載した。
・ 一向宗は、「其角を一向宗門に喩て云」。
・ 春秋心法獲麟の秘訣は、「去来を聖人にたとへ、其角をきりんにたとへるなり」。
 などとある。


○ はいかい二字の事

2b 誹諧と俳諧              ↑ トップへ

 はいかいの二字※b01は、古来に穿鑿あり※b02、字書を引て、誹は非の音也共、あるひは史記の滑稽を引て、俳の字に定りたる共、穿鑿の理は明かなり。しかれ共、古今集より誹の字を用ひ来たりたれば、此類は古実とて、誤をも其通りに用る事もあるなり。尤、八雲御抄にも俳諧と誹諧の二様あり、され共我家には、はいかいには古人なしと看破したる眼より、玄とも妙とも名は別にさだむべけれ共、言語に遊ぶといふ道理をしらば、我家には、いまよりは、俳諧の二字もしかるべし。他門に対して穿鑿すべからず。

山中問答   正風俳諧の心

 正風俳諧のこゝろは万物の道・よろづの業にも通ひて、一端にとゞまるべからず。
 世に俳諧の文字を説て、誹は非の音にて俳の字然るべしといへる人もあり。或は史記の滑稽をひきて穿鑿の沙汰に及ぶものもあり。しかれども吾門には俳諧に古人なしと看破する眼より、言語にあそぶといへる道理に任せて、誹・俳の二字とも用ひて捨ず。他門に對して論ずることなかれと、翁申給ひき。

・ 誹は非の音、史記の滑稽、俳諧に古人なしと看破する眼、言語に遊ぶ道理、他門に対してと、同じ語や言い回しである。北枝の「吾門」に対して、「我家」となっている。

・ 「古人なし」は、「葛の松原」や「直指伝」に出る。

葛の松原   第5段

○5 俳諧に古人なしといふ事を、はせを庵の叟つねになげき申されしか。

・ こちらは、「なげき」と受け止めている。
・ 「古人なし」の理由は、「直指伝」にあるとおり、「名は古人の俳諧を仮るといへども、こころは、往古のはいかいにはあらず」である。

※b01 「抜書口伝、むもれ木伝」但、はいの字にんべんに改るなり。俳諧、是、むもれ木の事、此事は滑稽伝にかくのごとし(「埋木」の記述通りの意)。
※b02 「史記」「八雲御抄」についても、「俳諧埋木」を参照。


○ 虚実の事

3c 虚実                 ↑ トップへ

 万物は虚に居て実に働く、実に居て虚に働くべからず。「実」は、己を立て、人をうらむる所有。譬ばはなの散るをかなしみ、月のかたぶくを惜むも、実に惜むは連歌の実なり。虚にをしむははいかいの実なり。
 抑、詩歌・連俳といふ物は、上手に嘘をつく事なり。虚に実あるを文章と云、実に虚あるを世智弁と云、実に実あるを仁義礼智と云。虚に虚ある者は世に稀にして、あるひは又多かるべし。此人をさして我家の伝授と云べし。

山中問答   虚実

一 虚実に文章あり、世智弁あり、仁義礼智あり、虚に実あるを文章といひ、礼智といふ。虚に虚あるものは稀にして、正風伝授の人とするとて翁笑ひ給ひき。
 私曰、虚に虚なるものとは、儒に荘子、釈に達摩なるべし。

・ 「虚に実あるを文章」、「虚に虚ある者……正風伝授(支考は『我家伝授』)」が一致している。

有耶無耶之関  ▽ 序文、前段③~⑥

③ 俳句は、玄旨・貞徳伝の口訣に曰く、「上手の虚を言ふがごとく綴る」と言ふを、金言とす。
④ 虚は「きよ」なり、虚を実に綴るを、(宗因伝口訣}や是とす。
⑤ 実を実とし、虚をきよにあらはすも、俳諧の道にあらず。
⑥ 正風体は、「虚実の間に遊んで、しかも虚実の間に止まらず」、これ俳諧の根源とするなり<是我家の秘訣なり>。

有耶無耶之関  ▽ 虚実正之事

  虚  糸切て雲となりけり𠘨巾 ※いかのぼり、凧。𠘨は、几の幅広
  実  糸切て雲より落つる𠘨巾
  正  糸切て雲ともならず𠘨巾
 右、虚・実を非とし、正を是也とす。これ場を虚実の間に遊ぶといふ正脈なり。

貞享式海印録 △ 軍事、地戻

<引> [俳諧深川] 青くても
名オ6  ┌ 我があとからも鉦鼓打来る  嵐蘭
  7  │山伏を切つて懸けたる関の前  翁
  8チ曲└ 鎧持たねばならぬ世の中   洒堂


▲ …略… 爰に「虚実の大事」といふは、「刀さゝねばならぬ世の中」とする時は、前句をその儘に、「其関守としのぎを削る」実、地に墜ちて、俳諧体を失はなむ。鎧槍の広大過ぎて、急場の間に合はざるは、城を入るゝ漆室諷諌よりもをかし。是、火をもて火を消すといふ妙術也。

引続錦紙 虚実/変化
・ 俳諧は、いろいろに心を配りて自由をなす。是、俳の虚なり。尤、詩歌皆、上手の虚なり。是を知るべし。
・ 正直の人に嘘は無ものなり。又、実の人も俳諧はみなうそなりと知るべし。

○ 変化の事

4d 変化                 ↑ トップへ

 文章といふ事は変化の事なり。変化は、虚実の自在をいふなり。
 黒白・善悪は言語のあやにして、黒きを黒しといふも、黒を白しといふも、しばらく言語の変化にして、道理はもとより黒白一合なり。しからば天地の変化に遊ぶべし。人は変化せざれば退屈する本情なり。
 況や、はいかいは己が家にありながら、天地四海をかけめぐり、春夏秋冬の変化にしたがひ、月はなの風情にわたるものなれば、百勻(韻)は百句に変化すべき事也。其変化をしりても変化する事を得ざるは、目前のよき句に迷ひて、前後の変化を見ざるが故なり。
 されど、変化といふに新古なき事は、人間の春秋に新古なきがごとし。其日其時の新古を見て、一巻の変化に遊ぶべし。
 変化はおふむね、料理の甘く淡く酸く辛きがごとし。能もよからず、あしきもあしからぬ所に、変化は虚実の自在よりとしるべし。

山中問答   俳諧大意

 蕉門正風の俳道に志あらん人は、世上の得失是非に惑はず、烏鷺馬鹿の言語に泥む(なずむ)べからず、天地を右にして、万物、山川・草木・人倫の本情を忘れず、落花・散葉の姿にあそぶべし。其すがたにあそぶ時は、道古今に通じ、不易の理を失はずして、流行の変にわたる。然る時は、こゝろざし寛大にして、物にさはらず、けふの変化を自在にし、世上に和し、人情に達すべしと、翁申たまひき。

・ 変化について、「山中問答」では、総論で語られている。蕉風俳諧中核の概念である。

・ 変化は虚実の実在である。「貞享式海印録。巻六」に、変化の各論がある。

貞享式海印録 △ 内外の論

▲  近世、内体外体の作、三句と続く事を忌みたり。俳諧は、好肉に瘡(きず)をゑりて論ずるものと覚えたるか。
 をりをり痴人の説を聞くに、「翁の時よりは、去嫌ひも、微細に開けたり」などといふ者あり。去嫌ひもて変化とするは愚人の事なり。若し人ありて、内体ばかりか外体ばかりかにて、百句調べよといはば、いかにすべき。変化は、かならず句面にはあらで、付肌にある事ぞかし。

貞享式海印録 △ 自他の論

▲  近世、自句三句続かずと云ふことを、諸書にも出し、常にも言へり。これ等の事は、皆、変化不自在の人の言ひ出せしひが言なり。

貞享式海印録 △ 案じ方禁物の弁

▲  前句を、画(絵)・見せ物・狂言・質物・売物・夢・咄・歌・書物などゝ見立つる事、決してあるまじく、そは、何にてもかく見られぬ句はなき故なり。俳諧は、一字一点に渡りて、微細に余韻までも考へ分けて、変化さするものなれば、さるあらめなる案じ方あらん理なし。

引続錦紙 虚実/変化
・ 虚におしむは俳諧の実也といふ義は、俳諧変化仕る故なり。第一、変化のもてあつかひなり。

○ 起定転合之事

5e 起定転合               ↑ トップへ

 俳諧は上下取合て、歌一首と心得べし。
 起とは虚空界にむかひて、無念相のうちに念相を発句といふなり。
 一物発る時に相対して又生ず、是を脇といふ。
 はじめは、一物を定るなり。定の字あるひは請は、上の一物をうけ持心なり。されば、発句は陽なり、脇は陰なり。第三は一転して、天地より人を生ずるがごとし。人は天地より働けれ共、しかも天地より出る所をしるべし。
 合とは、万物一合なり。歌には流の字の心なるべし。是より変化して、山あり、川ありて、一巻の成就といふ也。

俳諧付合小鏡  ◇ 三物の解

 発句、脇、第三。「起・定・転・合※e01」の習ひあり。各詩の格式也。
 起とは、四時の景物に対して、一物なき所に情を起し、十七字に結ぶ。これ発句なり。
 定とは、譬へば、発句は、梅にもせよ、鴬にもせよ、その物に打ち添へて、或ひは場を定め、時節を合はせ、発句に言ひ残したる所を補ふなり。よつて請け定まるの心なり。
 転とは、発句・脇を一連の前句となし、天地より人の生じて、万物始まりたる如く、又、これより一起すれば、付を微細にせず、二句の懐ゆるやかに、遠きをよしとす。


 四句目は合の場ながら、百韻・歌仙の続きものなれば、詩の格と違つて、ここに習ひあり。
 詩の起定転とは、

  薄暮層巒雲遶腰   │ 薄暮層巒(ラン、やま)、雲、腰を遶り(めぐり)
  傾盆一雨定明朝   │ 盆傾一雨、明朝を定む
  老翁八十眉如雪   │ 老翁八十眉、雪の如し
  立抜渓辺独木橋   │ 渓辺を抜け、独り木橋に立つ


 この句の心は、夕暮がた、立ち並びたる山々の腰を、雲のめぐる風情なり。よつて、「盆をかたぶける程の雨が、明朝降らう」となり。これ、発句と脇の一情なり。
 第三は、此山の日和くせを見覚えたる八十の翁なり。
 かくの如く、発句脇の「情」を転じて、「景情」二句つづかば、「人」に替り、「人情」二句来らば「風景・時節・時分等」に一転する也。

・ 蓼太の説明は、簡明であるが、合については、「詩の格と違う」と言い説明しない。次項「たばこ盆」で、「四句目より揚句迄は、三物と違うて、付句千変万化なり」と言うが、「万物一合」の説明はない。

※e01 起承転結に同じ。

引続錦紙 起定転合
・ 一通は昼の錦二十五ヶに有。
・ 起定転合の事は、一物を起して定る也。又、転じて万物を一つに合する心なり。

○ 発句に切字有事

6f 切字                 ↑ トップへ

 発句の切字といふは、差別の心なり。物は其じやによつて、是じやと埓明くるなり。たとへば、客と亭主との差別なり。たとへ切字ある発句とても、きれぬ時には発句にはあらず。
  桐の木にうづら鳴なる塀の内
 此句五文字にて、心を隔たるなり。切字の事は歌にも詮義あり。先は発句の骨柄をいふべし。

山中問答   切字

一 初学の人切字に惑へり。発句治定(じじょう)の時は切字おのづから有べし。

貞享式海印録 △ 発句に切れ字の道理あること

 伝に云ふ。「万物は一に始まりて、相対する時は二となる。その一は虚に起こり、その二は実と成りて姿を備ふるなり」


<引> [古今抄]一
 切字の用といふは、物に対して差別の義なり。「それはこれぞ」と埒を明けて、物を二つにする故に、始めあり終りありて、二句一章の発句とはなれり。


▲ 切字とは古来俗習の名なり。
 蕉門に切字と云ふは、ものを裁ちきる事ならず。一句の中、詞滞ほりて種々の余情を含むところをいへり。
 この故に、強ひて定めたる文字なし。
 おほよそ俗言もていはゞ、三十字もあらむ事を、辞(てには)に持たせ、余情に包みて、十七言に約め(つづめ)たる物を発句といひ、ただ句面に顕はれたるのみにて、余情も曲節もなく、十七字に事尽きたるものを平句といへり。
 これを「たとへ切字ある発句とても、心の切れぬ時は発句にあらず」と云へり。
 さて、切字の事に就きて、直弟子の諸書多かれども、その頃は御国の学衰へし時なれば、紛らはしき事もあめるを、鈴屋翁(すずやのおじ、本居宣長)の打ち開かれてより、今は初の山踏(うひやまぶみ、国学入門書)のわらはべも、独り千代の古道に分入るべき時代と成りければ、その栞(しおり)を伝へかし。
 世には「俗談平話の俳諧に、和歌の辞(てには)、仮名遣ひは無用の物好」といふ人もあるよし。歎かはしき事なり。
 俳諧のをかしみ寂しみといふも、皆詞のあやのみなれば、須臾もはなるべき道ならず。そもそも神の御国に生れて、言霊の幸はふ理(ことわり)に暗きは、いと悔しき事と思ひ起して、せちに心がくべき事になむ。

・ 「二十五箇条」が去来への伝書であるならば、去来の書にその内容が記されてしかるべきである。「去来抄」を見ると、「故実」に「切字」の記述がある。 → 資料「去来抄、故実、切字」を参照する
・ しかし、去来抄に、「切字は差別の心」「それ・これと埒を明ける」など、「二十五箇条」の言葉はない。ただ、「予も秘せよと有けるは書せず。ただ、このあたりを記し」とあり、秘した可能性はある。


・ 切字は、あるものとあるものとの違いを見定める心で用いる。
・ 発句は、それだからこれと埒を明ける。
・ 発句として出来上がれば、そこに切字はある。

引続錦紙 発句切字
・ 此段は切字入たるに、句とても切ぬ時は発句ならずと云義なり。
・ 宵の雨・雲の月・松の花・花の春などと如此。二字の中を結ぶ故、むすびののと云切也。
・ 他流の人是に疎くしらざるなり。此五文字にて心を隔たる也。

○ 脇に韻字有事

7g 脇に韻字               ↑ トップへ

 脇はしつかりと、韻字※g01にて留といふは、まづは初心への教なり。定の字にかなへむがため也。
  色々の名もむつかしや春の草
   うたれて蝶の夢はさめぬる

 此句は、はじめてはいかいの意味を、たづぬる人の俳かい名目まぎらはしとて、まどひたるを、其所直に一棒をあたへて、蝶の夢をさましぬる所、一韻相対して脇の体ならば、韻字・てに葉のせむぎなし。
 とかくに脇は、発句の余情、気色の面白く成やうにすべし。脇の身柄持たるは、脇の心にあらず。 口伝能のことあり※g02
 発句は客の位にして、脇は亭主の位なれば、己が心を負ても発句に云残したる草木・山川の一字二字の風情を加へて、客の余情をつくすべきなり。此脇も蝶の一字にて、尋歩行(たずねあるく)さまを見るべし。

俳諧埋木  ◆ 脇

 半松斎言ふ、脇は発句にしたがひて、時節をかゝへ、また客主のあしらひ侍るべし。…略…。
 「 紹巴法眼の言ふ、脇は発句にかいそひて、句がらをたけ高く、物の名か、なにゝても一字にてとめ候なり。てにをはにて、いひながし、とめぬ物なり。また言ふ、本歌の発句の脇は、発句のいひのこしたる詞をもて、歌の末をつゞきたるやうになすべし。一ふしの手だてをなしたきよしを思ひてせんは、脇の句の本意には、たがひつるなり。脇におゐては、五つのやうあり。
 一にはあひたい付、 二にはうちそへ付、 三にはちがひ付、 四には心付、 五にはころどまりなり。
 「 長頭丸言ふ、わきに対付、ひろひづけ、大小のわきなど、いふことあり。
 「 愚案ずるに、ひろひ付とは、発句の心をうけて、よくこまやかに付おほせたるをいへり。
 「 彼の心付といへる打そへ付など、の玉へるにひとしかるべし。対付はあいたい付とひとしく、大小のわきとは、ちがひ付の事なるべきなり。
 紹巴法眼、ひとからみといふこと、脇の句にあり。たとへば、藤などの発句に、松を根ざしてはひかゝる物なれば、一句の中に松などに取合せ候は、たゞ花を賞翫にて候ふを、発句に無益の植物を取そへ候ふこと、さらにいらぬことなり。是も上手の行ひは、はかりがたく候ふ。

山中問答   脇

一 脇の句は発句と一体の物なり、別に趣向・奇語をもとむべからず。唯発句の余情をいひあらはして発句の光をかゝぐる也。脇に五ツの附方あれども、これみな附やうの差別にして、外に趣向を覓る(もとむる)にあらず。

貞享式海印録 △ 脇の事

<引> [ひさご]
     │色々の名もむつかしや春の草    珍碩
     └ 打たれて蝶の夢は覚めぬる    翁

 とあり。
 [三冊子]は、本書の通りなるを考ふるに、[ひさご]の方、先案にて、こは再案なり。「むつかし」と云ふより、「紛らはし」と云ふ方、草の姿にてつし、「夢」よりも、「目を覚ます」と云ふ方、驚きたるけしきよし。
 伝に云ふ、「脇に韻字といふ事は、必ず七もじの終りをいふに限らず。意(こころ)の対する字をいふなり。脇は付句の始まる所なれば、ここを辞(てには)にて留むる時は、歌一首の様に成りて、二句と分からぬ故に、字にて留むるなり。此の脇も、草に蝶と対し、覚の字意対して、韻字たしかなる故に、辞留苦しからず」となり。


▲ 韻字とは、古風に脇の留字をいふ俗習の名目なり。
 翁は、其の名を仮用ひて、発句の魂を言ひ顕はす○眼字、○釘語の名とせられたり。これを伝ふに「意の対する字をいふ」と云へり。
 蕉門には、古風に言ひ習はしたる詞を仮て、意の違ふ所に用ひたる事多ければ、文によりて、両義に聞き分くる事あり。
 さて辞留は、過去と現在との辞(てには)は常体なれども、未来と、言ひ余す辞にて留むるは、大方逆付に(前ヘ廻テツクヲ云)するなり。しかせざる時は、意(こころ)余りて、平句のごとくなる句もあり。証句の中の○●△▲印を分け置きたり。
 口伝、「能のこととは、太夫を本として、脇はやし狂言に至る迄まで、太夫を賞するごとく、発句を脇にて助くるをいへり。
 又世に、発句は客のする物、脇は亭主の付くる物と心得たれど然らず。発句は客位、脇は亭主位といふ句情の事なり。

貞享式海印録 △ 謁師

     │色々の名も紛らはし春の草     珍碩
     └ 打たれて蝶の目を覚ましぬる   翁

 発句は、「俳道の紛れ」を問ひけるを、脇者は「ただ草の句」と見立てて、「色々の草の紛れを尋ね迷ふは、何者か」と伺ふに、人にはあらず、若草の上をひらひら飛び廻る蝶なり。「その蝶いかに」と見るに、心当てに思ふは、「この草ならずや」と、止らむとするはずみに、強き葉に弾かれて、はつと立上がりたり。
 これ、その紛れを「自得の姿なり」と思ひ取りて、「打たれて蝶の」とは付けたり。
 今これを【合体】付と号くる(なづくる)は、発句は、「春の芽出しの紛れを思ひ煩ふ情」の句にて、いはゞ言ひたらぬ所ありて、平句に近きを、その思ひ煩ふものを、蝶と定め、草に打たれてと詞をからみ、脇を合せて一句の姿と成したる故なり。
 たとへば、
     ・てふてふも尋ね惑へり春の草
 と、姿情備へたる句に仕立直すがごとし。
 もし、この脇も、
     / うてばこてふの目を覚ましぬる  ※翁の身柄
 とする時は、うつ物は杖か扇となり、打つ人は、翁の身柄と成りて、春草の姿立たざれば、平句に墜ち入り、脇の所詮を失はむ。
 [本書]に、この一句を証に撰びたるは、強ひて体字留、辞留の論のみならず。かかる挨拶句は、情を許す物なる故に、得てはその情にかまれて身柄になりたがれば、その惑ひを解かむために、これを二三子に遺訓し給へり。
 当門に身柄を嫌へるは、身柄にては動きありて、いかなる句へも通ひ、定の字の心にならぬ故なり。
 さるに、今も古風とは知らず知らずまねて、かゝる句には、
     / ともに探らむ霞む野の奥     ※共に学ぶ
     / 朧はやがてあけぼのゝ空     ※自然任せ

 などゝ、自他謙退(けんたい=へりくだり)の詞をかまへ、道の深意(しんい)を問ひたる前書に当惑して、発句の姿は見立たず、その人をほむとか、自然任せとか、我れはしらずとか、偕に学ぶとかいふ心に作らでは、不辞儀と思ふ人もあり。発句の姿を受けざるこそ不礼なれ。脇の辞儀とは、句主に低頭する詞を作る事にあらず。

有耶無耶之関  ▽ 脇句

   塒せよわらほす庭の友すゞめ  ※ねぐら
    秋を込たるくねの指し杉   ※くね=垣根

 伝に云はく、発句縦のときは、脇を横に仕立るなり。脇は娘のごとし。一代親の懐を離れず、しかもその家を取ることなしといへる。これ拾穂軒(しゅうすいけん、季吟)の教へなり。発句に顕れざるところを、脇に顕し、発句にたがはぬように仕立つるなり。もっとも発句の同月の季を入るべし。三月にわたるものは外に心得あるべきこと。これは発句の友雀といふ、親々より塒求むる雀の居所を見付けて、くねのさし杉と、其場を顕はしたるものか、総て発句は、その情十あるものを七つ顕し、余れる三つにて脇を調ふること宜し。


 脇句<一 脇>てには留めは、発句の留めに。「なり・けり・哉」、これらの留めにもあらず。
 しかも、文字にて留めたるときの「用」なり、「模様」なり、その体三つあり。
  一つには、重ねてには。
  二つには、通し韻字トいふことは、これは、はね字留め<脇>なり。中に疑ひの「や」あるべし。
  三つには、合転の脇なり。
 この外二つの留めは、定の字留め、通し韻字の変化なり。なお口伝あり。
 しかし、常の巻は、<通用の>字留めと心得、一巻安からざる時は、本式十百韻見合せ、宗匠の計ふべきことなり。

・ 脇は、自立語で留めるというのは、初心者への教えである。
・ 脇の本質は、発句の余情や景色を深めるところにある。
・ 従って、付属語で止めてもよい。
・ また、脇の詠み手自身の思いであってはならない。
・ また、新たな趣向を立てたり、奇抜な表現をしたりして、目立ってはならない。
・ 客が発句を詠み、亭主が脇を詠むのではない。発句が客の位、脇が亭主の位である。
・ ワキの名の通り、能で言えば、ワキが脇であり、シテが発句である。

※g01 韻字:俳諧で留めに用いる字のこと。古式では、体言止め。当時は、てには(助詞・助動詞・用言の活用語尾)以外のこと。「去来抄」は、「文字留」「てには留」とする。
・ 「芭蕉七部集」の脇42句について、留め字を見ると、資料「芭蕉七部集、脇の留め字」の通り。

※g02 「抜書口伝、能太夫の事」 但、発句は太夫、ワキ能大夫をもてなすを元とす。但、囃子方は連句なると知るべし。

引続錦紙 脇に韻字/能の事
   打れて蝶の夢はさめぬる
 此ワキ手尓葉なり。
・ 是は翁・去来・其角・嵐雪の上手名人の事なり。此場は必初心・初輩のすることにあらず。
   能の事  伝
 是、能にたとへて云。
・ 発句はシテの如く始終をとぐる物なり。ワキはなかばに仕舞て、シテを請るもの也。

○ 第三に手尓葉之事

8h 第三に「てには」            ↑ トップへ

① 第三の留りに文字の定りたる事は、一句の様、発句のやうなれ共、下のとまらぬ所にて、次の句へ及すべき為なり。此理をしる時は、にの字ての字にもかぎらずとしるべし。
 され共、此句は第三の様成と、百句の中にても撰び出すほどに第三の様をしらざれば、やはり定りたる留りしかるべし。
② 世に韻字留に伝受ありとて、あるひははつ桜、あるひは郭公など、押字※h01・かゝへ字※h02の沙汰あるは、しらぬ人の推量なり。
③  かうろぎもまだ定らぬ鳴所 ※こほろぎ
 いづれの時か、我も此第三ありしが、一坐をいましめて他聞を免さず。
 発句と平句などのさかひ、此第三の韻字にてもしるべし。
 されど、尋常の留りにて事欠くまじき事也。

貞享式海印録  △ 第三の事

① ▲ こは「にの字」「ての字」に限らぬ理を知りて、自在を得よとの教へ也。我は第三の作り様を知らざれば、定めたる留にて済ますと、な思ひそ。仮令、て留にても、第三体ならぬ句は、必ず付くまじき事也。
 偖、近世かく作らでは、第三留まらずと、句を難ずる人あり。大いなるひが言也。留字と云ふは、句の終りにおく字と云ふ事ぞ。作意は、必らず留まらぬ様に、かまへて作る事ぞかし。


② ▲ こは古式の評也。体言にて留むるを、其の頃韻字留と、言ひ習はせたり。古説に句・脇、仮名留(てにはの事)の時は、第三韻字留にすと云ふ事あるを、そは古式もよくしらぬ人の推量也と、評せられし事にて、其の故は、
    連歌兼載独吟
     │月ならじ霞の匂ふよはの空
     │ 雲路に更くる春の雁が音
     │長閑なる波を枕の泊り舟
    俳諧紅梅千句
     │さほ姫のそだつや花の窓の内
     │ 雛を愛する軒の鴬
     │春の末天下に名ある時鳥

 昔の連誹だにかゝれば、まして我家の俳諧には、辞留、体言留、何句続いても、其の戒めはなく、只其の座の趣きに任せて、何留もせよとの事也。
 さるに、近頃其の昔の浮説を引き出で、句・脇、辞留の時は、第三必らず体字留と定め、又其の字留せむには、上五字の終りに「ての字」・「にの字」を入れ、転倒して、て留・に留となる心にせよと云へり。片腹いたし。終りを体言にて結びたる句の、転倒する謂はれはあるまじ。


③ ▲ 第三に限らず。て留・に留の句は、前後へ詞係りて、付よき物也。されば尋常の留と心得、異なる留は、其の座の趣きによりて用ふべき事にこそ。

山中問答   第三

一 第三は或は半節・半曲なり。次の句へ及すこゝろ、第三の姿情なり。て留は何の為ぞと工夫すべし。て留をはぶきぬれば、何留にてもよきぞとなり。

俳諧埋木  ◆ 第三

 また言ふ。第三は、脇の句によくつき候ふよりも、たけ高きを本とせり。句がらいやしきは、第三の本意たるべからず。


 また言ふ。第三は相伴の人のごとし。たけたかく優なるを希ふことにて候ふ。左様の義は、初心の人は学びがたし。風体をかざり、第三めきたる句作り、然るべく候ふ。

有耶無耶之関  ▽ 第三

○ 脇「てには」留のときは第三を字留にすることもあり。本式十百韻に十体の格ありて、一巻いひ捨ての俳諧にも、その例を引あへて、「て」留に限ることにもあらず。さはいへども、指南なく「て」留の場を物好きに、余の留を求むることなかれ。


 十体の格にも、「もなし・らん留・とは・哉・返し句・に留・けり留」等は、言葉わけて吟味すべし。「なれ留」は、五文字の下に抱へ字を置き、七文字にて押さへ、その言葉、軽からざるやうに仕立べし。字留めは外に口伝あり。


  口訣、発句「てには留」にて、脇また「てには」か、或は「捨てには※h03留」ならば、そのとき、第三は字留めにすべし。ただし、「捨てには」といふは、「成り・成る・叩き・叩く・行き・行く」、これらの類なり。

・ 第三は「て」で止めるとよい。第三句の姿は独特のものであり、理解が深まれば、「て」以外の止めで差し支えない。
 ※ 「に止め」「用言止め」は、「て」の省略形、「体言止め」は「にて」の省略形で、「て止め」と同じ。 → 資料「芭蕉七部集、第三の止め字」を参照
・ 第三は、丈高く作り、風体を飾る。曲節は、平句以上発句以下にする。 → 「21辛崎の松は句」
・ 「発句・脇がてには止めのとき、第三は体言止めにする」というのは、浮説である。 → 資料「芭蕉七部集、発句・脇てには止め」を参照

・ 発句が客、脇が亭主なら、第三は相伴である。
・ 発句がシテ、脇がワキなら、第三はツレである。

※h01 押字:ここは、押さえ字で、押し字ではない。「押さえ字」は、「俳諧埋木、にてどまり・ぞかよ」を参照。「押し字」は、「有耶無耶之関、押し字」参照。

※h02 抱字:かかえ字。「有耶無耶之関、抱字」を参照。

※h03 捨てには:捨て辞(手尓葉)。用言の活用語尾。

引続錦紙 第三手尓葉
・ 第三のさまをしる時は、「て留」「に留」及ぶまじといふ義なり。
・ すべて、第三は天地響く様にする事なり。
・ 中七文字に習ひ有。中七文字に手尓葉の文字入ずして、手尓葉のあるやうに、響く字を以て仕立る定法也。
・ よくよく身命に替る程の弟子ならば伝べし。さなき門人には、無用とこそ。

↑ トップへ


○ 四句目軽事

9i 四句目                ↑ トップへ

 四句めは決前生後の句なれば、殊更大事の場所なり。
 軽くといふは、発句・脇・第三までに骨折たる故としるべし。
 只、やり句するやうに云なしたれど、一巻の変化は此句よりはじまる故に、万物一合とは註したるなり。都て、発句より四句め迄にかぎらず、あるひは重く、あるひは軽く、あるひは安く、あるひは六ヶ敷、其句其時の変化をしるべし。
 此掟は、中品以下のためにして、中品以上の人迚も(とても)、此掟の所以(と)云事をしらざれば、自己の俳かいのくらき人といふべし。

貞享式海印録  △ 四句目

▲ 句・脇・三に力を竭たる(つくしたる)巻は、四句目会釈(あしらい)にてもよからむ。若し、第三会釈にて付けたらむ時は、四句目は必ず起情して、力を入れずては、一座按力落ちて、其の巻成り立つまじ。此の故に大切の場と云へり。又「重く」と云ふは起情。「軽く」と云ふは会釈の按じ方。「安くむつかしく」と云ふは趣向の事也。此の故に、やり句を禁ぜられたり。
 証句は、前五六丁の中、「四印」ある句にてしるし。

俳諧埋木  ◆ 四句め

 四句めをば、脇の句より引さげて、やすやすと付候ふを、四句めぶりと申し候ふ。とまりは、なり・けりなどゝ、いひながし、然るべく候ふ。

・ 第三まで力を尽くすので、軽くつける。これを「四句目振り」という。
・ 軽くと言っても、遣り句ではない。変化の始まりであることを念頭に、万物一合を目指す。
・ 句末は「なり」「けり」などと言い流す。実作では、「なり」を省略した体言止め、「けり」を省略した用言の連用形止めが多い。 → 資料「芭蕉七部集、脇/第三/四句目」を参照
・ 外に「たり」「つつ」「かな」など、止め字は多様で、「なり」「けり」に限らないが、打越である脇の止めに留意する。
・ なお、止め字は、付け・打越ともに嫌わない。

引続錦紙 四句目軽き事
・ 殊更大事の場なり。
・ 一巻の変化、此句より。発句・脇・第三は天地人なり。四句目は一巻の始り、発句なりと知るべし。

○ 月花の事

10j 月花                 ↑ トップへ

① 月※j01は風雅の的なり。月は月々にあり、花は四季に有て、四花八月と定まりたるなり。
② されど、なごりの裏の月を略す格にて、歌仙の時は二花二月共有度也。
③ 表の五句めに月有ては、裏の八句めに月をする、花前の秋季もむつかしく、秋季のうへ(ゑ)ものもしがたし。
④ 秋季の発句ならぬ時は、表か裏に月一ツ有てくるしかるまじき事にや。
⑤ 此後器量の人もあるべし。それも又、一坐のあひしらひあるべし。
⑥ 初心の人はいかゞ、月は七句め、花は十三十一句め※j02に有る事と、ひたと他人にゆづる時宜なり。
⑦ いづ?にても子細なしあるまじ
⑧ 都て、月花は風雅の道具なれば、なくて叶はぬ道理をしつて、さのみ月花の句に新しきをもとむべからず。
⑨ 一座の首尾よろしきにしたがひて、毎々の俤の句なり共、其時、程よきやうに付て置べし。さして、奇怪をこのむべからずのまざれ

※j01 赤字は、桑名の冬雨写本「二十五箇条、明和7(1770)、早稲田大学図書館蔵」の朱書を転記した。板行本のままでは、了解不能なので、参照しつつ次のように読んだ。なお、緑字は当サイトの修正。

<読み取り> 
① 月花は風雅の的である。月は(暦の)月々にあり、花は四季にあって、四花八月と定まったのである。
② ではあるが、(今は)名残の裏の月を略す決まりで、(百韻は四花七月、歌仙は二花三月※j03になったが、)歌仙のときは、二花二月ともありたい。
③ (その訳は、)初表の五句目に月があっては、初裏の八句目に月秋※j04を出すと、花前の秋季も(季移りが)難しく、(花前や打越に)秋季の植物も出しがたい。
④ 秋季の発句でない時は、表か裏に月一つ有れば、問題ないのではないか。
⑤ この後、力量のある人も出(、解決することもあ)るだろう。それもまた、一座のほどよい取り扱いがあってのことである。
⑥ 初心の人はさぞかし(歌仙初裏では、)「月は七句目、花は十一句目にあること」と(思い込むだろう。そして)、ひたすら他人に譲って礼儀とする。
 ※ 後に、「(百韻初表の)月は七句目、(百韻初裏の)花は十三句目に有ること」と了解。
⑦ どこに(月花が)あっても、差し支えない。
⑧ すべて、月花は風雅の道具なれば、なくては叶はぬ道理を知って、さほど月花の句に新しき(趣向)を求むべきでない。
⑨ (月花は)一座の処理のよろしきに従って、その都度(月花の)俤の句※j05なりとも、そのとき(・その場)の丁度よいほどに付て置べし。取り分け、奇怪を好んではならない。


※j02 ⑥ 初裏は、歌仙が月7・花11、百韻が月9・花13。歌仙の月と百韻の花が交ざっている。あるいは、単純に「百韻の初オ七に月、裏十三に花」かだが、歌仙のことから離れる。


※j03 ② 歌仙、二花三月の場所
 ┌─┬───────────────────┬───────────────────┐
 │折│       名残の折        │         初折        │
 ├─┼──────┬────────────┼────────────┬──────┤
 │面│   裏   │      表      │      裏      │   表   │
 ├─┼──────┴────────────┼────────────┼──────┤
 │月│⑥⑤④③②① ⑫⓫⑩⑨⑧⑦⑥⑤④③②①│⑫⑪⑩⑨⑧❼⑥⑤④③②①│⑥❺④③②①│
 │ │└┴┴┴┴┴─┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘│└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘│└┴┴┴┴┘│
 ├─┼───────────────────┼────────────┴──────┤
 │花│×❺④③②① ⑫⑪⑩⑨⑧⑦⑥⑤④③②①│×⓫⑩⑨⑧⑦⑥⑤④③②① ×××③②①│
 │ │ └┴┴┴┴─┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘│ └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴────┴┴┘│
 └─┴───────────────────┴───────────────────┘
 ・ 黒丸数字は、いわゆる定座だが、枠内であれば、丸数字のどこで詠んでもよい。


※j04 ③ 歌仙、初ウ8の月秋
 ┌──┬────────────────────────┬────────────┐
 │折面│           初ウ            │     初オ     │
 ├──┼────────────────────────┼────────────┤
 │ 句 │ 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 │ 6 5 4 第 脇 発 │
 │  │                         │       三   句 │
 │月花│   花     月               │   月         │
 │ 季 │ 春 春 秋 秋 秋             秋 │ 秋 秋   (他) 他 他 │
 │差合│ 植物 →× ×                 │       ↑     │
 │去嫌│    同季五句去 → 6 5 4 3 2 1   │       春のみ   │
 └──┴────────────────────────┴────────────┘

 ・ 「花前・打越に植え物をし難い」のは、いかなる場合にも言える。実作では、草類の打越は可、木類は不可としている。花の座打越初ウ9に木類が出たときは、花を一つ引き上げ初ウ10で詠む。 →<貞享式海印録、花の座打越に植物の論
 ・ 同季は五句去りなので、初ウ7から秋月を出せる。三つの月が長句ばかりになるのは差し支えない。
 ・ 初ウ7で月を詠まずに8句目になることが多い。「七部集」歌仙39巻について、初折裏の月を見ると、いわゆる定座の7句目ではなく、8句目が12で、最多。季は秋が11、夏が1。内、当季秋以外の秋月は、その半数6句である。
 → 資料「芭蕉七部集、初折裏の月」を参照
 ・ 初ウ8が秋月になると、花前の10句目も秋になる。「直旨伝」には「花の前に秋季を遠慮すべし」とある。


※j05 「俤の月」については、「23宵闇の句の事」を参照。

<解釈>

① 月花は風雅の核心である。百韻では、花が折に一つ、月が面に一つの四花八月(しかはちげつ)であった。

② 後、8句しかない名残の裏は、月を略すのが通例となり、四花七月となった。名残の裏が6句の歌仙は、なおさら二花四月はし難いので、二花三月となる。とは言え、したことはないが、次の理由で「二花二月」という場合もあってよいのではないか。

③ 発句秋季のときは、たいてい第三までに月が出るのでよいが、春・夏・冬のときは、初折表の5句目で月を詠むことになる。そのとき、初折裏の8句目で月を出すと、9句目・10句目は秋季となり、11句目は花だから春季、すなわち雑句を挟まない季移りとなる。季移りは難しいし、花前の10句目、打越の9句目に秋季の植え物も、木類は出せないし、草類と言えど出しがたい。
 ・ 「当季が秋以外で初オ5に秋月が出、初ウ8に月が出た場合」に限定した論である。初オ5に秋月が出た場合、初ウ1まで秋となる。同季五句去なので、初ウ7で月を詠めるのに、初ウ8で出た場合である。「芭蕉七部集」39の歌仙(内半歌仙1、未完歌仙1)を見ると、資料「芭蕉七部集、初折裏の月」のごとく、条件に該当するものは5巻もあった。これは、定座の月1巻、定座前の引き上げ月4巻に比し、極めて多い数と言わざるを得ない。
 ・ この5巻について、花前初ウ10の季語を見ると、いずれも秋季だが、「冬の字をいれたもの1」「比喩で実体のないもの1」「春秋にわたるもの1」「読み替えて春または雑になるもの2」で、すべて季移りへの配慮がなされている。「花前の秋季も難し」い理由がここにある。
 → 資料「芭蕉七部集、初折裏の月」を参照
 ・ 「秋の植え物もし難し」とあるが、前述のように、秋でなくとも花前の植え物は出しづらいので、②や④の理由にはならない。

④ 秋季の発句でないとき、即ち「春・夏・冬・雑」のときは、初オ5に月が出、初ウ8に月を出すと季移りが難しいし花前の植え物もし難いので、初折の月を一つにすれば、よいのではないか。
 ・ これは了解しがたい一文である。論理が飛躍しているからである。初オ5に月が出、秋が3句連続しても、同季五句去だから、いわゆる定座の初ウ7で秋月を詠める。また、「⑥ひたと他人に譲る」辞宜を重んじ、どうしても初ウ8になるなら、夏月・冬月を出せばよいまでのことである。実際「冬の日、初雪の」は、初ウ8が夏月で、一句去、雑を2句挟んで花の句で、何の問題もない。

⑤ 今は、「芭蕉七部集、初折裏の月」のように、季移りの問題に対処しているが、この後、力量のある人も出て、解決することもあるだろう。ただ、それもまた、一座のほどよい取り扱いがあってのことであるが。
 ・ この一文を、「此後器量の人が歌仙を二花二月にする」とは、どうにも読めないのだが、曲斎は後で引く「貞享式海印録△新式、二月歌仙」で、「此後器量の人と云ふ遺言を重んじて、……支考は……享保頃より此式を立てけり」と、書いている。

⑥ 初心の人はさぞかし、初ウでは、「月は七句目、花は十一句目にあること」と思い込むだろう。そして、ひたすら他人に譲って礼儀とする。

⑦ しかし、どこに月花があっても、差し支えないのだ。

⑧ 総じて、月花は風雅の道具なのだから、なくてはならない道理を知って、月花を詠めばよい。とは言え、さほど月花の句に新しい趣向を求むべきではない。
 ・ 「なくて叶はぬ道理」であれば、歌仙二月はあり得ない。

⑨ 月花の句は、一座の処理のよろしきに従って、その度ごとに月花の面影の句でもいいから、譲らずに、そのとき・その場の丁度よいほどに付て置くべきである。取り分け、奇怪を好んではならない。

貞享式海印録  △ 月の事


新式歌仙と短歌  ※「ノ」は「後(名残)の折」の略。「オ」は「表」。「ウ」は「裏」。
    八    ノ    ノ 

    句    ウ    オ     ウ    オ   二
  ─────────┬─────┼─────┬───  月
  ← 月 →│←   月   →│←   月   →


歌仙       ノ    ノ
         ウ    オ     ウ    オ   三
        ───┬─────┼─────┬───  月
        ←   月   →│← 月 →│←月→


古式歌仙     ノ    ノ
         ウ    オ     ウ    オ   四
        ───┬─────┼─────┬───  月
        ←月→│← 月 →│← 月 →│←月→

▲ 月は、端より端迄、いづこにても、一句立ちて前句に能く応ずる所へ出す也。
 新式歌仙と短歌※j06とは上段のごとく、常の歌仙は中段、古式歌仙は下段のごとし。
 又、何の巻にても、月と月との間は同季・異季・異名にかはりても五去也。
 さて、八句ある表の月のみは、七句目迄に出して、端の八句目に出したる例なきは、表長くて、月の後るゝ隙なき故也。都て表に「他季の月」「異名の月」出で、或は月花の座入代へ(ノウ ※名残の裏)に、月出づる等の事、皆前句より然する事也。巻に摸様を付けむとて、かまへてする事ならず。

貞享式海印録  △ 新式、二月歌仙

▲ 貞享式相伝は、其角・許六・去来也。
② されば、三子の中、「此後器量の人」と云ふ遺言を重んじて、此式を立つべきを、本書にかくあるのみにて、一巻も翁の例なければ、世を慮かりて、おのおの閣き(おき)けむ。
 支考は、元禄八に、去来より伝へて後、再撰貞享式の志有りければ、是を空しくせじと、享保頃より此式を立てけり。
 「秋季の発句ならぬ時」とは、「秋発句の時は、大方第三迄に月出て、花迄の間長ければ、常の三月歌仙にせよ」と云ふこと也。
 「表か裏にと、座の定めなきは、春季にて、第三迄に花出でたる時、只一つの月を表に出しては、裏の飾りなき故に、月は裏も遅く出し、又、夏冬の発句にて、季も脇限りなどの時は、月を表にも出し、臨機応変にせよ」と云ふこと也。
 「夫も、亦。一座の会釈あるべし」とは、「新式好まざるの所にては行ふな」と云ふこと也。
 此故に、獅子門人の集にも、常の歌仙と新式交り出でたり。熟ら惟る(つらつらおもんみる)に、こは、翁仮初に思ひ付かれし事を、書捨て給ひしのみならむ。
 元来、歌仙は四月なるを、一つは、都ての省例なれども、又一つ省きては、余りに景少なく、月に連れて季三つへれば、季の活(かつ)を教ふる稽古巻には、好ましからず。先づは、変格のさた也。
 さるを、いつの頃よりか、季節不自在の人々、新式のみ用ひける故に、遂ひに其の門には、歌仙に月、三、四出づる事を、しる人も稀れに成りけり。殊に、裏移を定座とするも、頑(かたくな)也。

・ 二十五箇条の「②歌仙の時は二花二月共有度事也」を「⑤此後器量の人」に託す遺言と受け止めていることを念頭に読むと、すんなり了解できる。ただ、そうは読めないことは、前述のとおりであるが、美濃派で学んだ曲斎がそう読むのは致し方ない。

・ 二花二月は、「変格の沙汰」で、「翁仮初に思ひ付かれし事を、書捨て給ひしのみ」というのが、曲斎の落とし所で、言外に新式歌仙を否定する。それもよいだろうが、この段は、「当季が秋以外で、初オ5初オ8が秋月のとき、初オ10の季移りの工夫は後進に託すが、今は二花二月もありかなと思う」という程度に読んでおきたい。

俳諧付合小鏡  ◇ 月花之事

④ 一 月花の句は、一巻の陰陽なり。なくてならぬ道理を知りて、前々の、俤ある句なりとも据て、一巻を調ふべしと、「二十五条」にあり。
 されども、其前句によりて、只「月の」「花の」とあしらひては、付かぬ句あり。
 これ、又、付句に季を結ぶが如く、月花を句の用になして働かすべし。


 此の頃或人の句に、
   婆々にわたせば赤子泣きやむ
  爰元は花の弥生も蟵の月     ※かやのつき

 かく付侍れば、一句の趣向は、貰ひ乳にして、月と花とは句作の用也。赤子のせわかたるに、蚊のあしらひ、余情かぎりなし。<以下略>

・ 「小鏡」はきちんと受け止めている。

※j06 「新式歌仙と短歌」については、海印録の注か、「俳諧の形式と芭蕉」参照

引続錦紙 -
・ 二十五ヶ条にて書顕して済。

○ 花に桜つくる事

11k 花に桜                ↑ トップへ

① 世に花といふは、桜の事なりといふ人も有れど、花とは万物の心の花なり。
② たとへば花聟・はな嫁の類、茶の出ばな・染もののはなやかなるも、そのものそのものの正花なれば、花と、賞翫の二字にさだまりぬ。
③ いづれのはなにても、春の季にして、植物に三句去べし。花は春の発生する物なれば也。
④ 古へより、花に桜を付る事、伝授k01あると初心にはゆるさず。
⑤ 或は、桜鯛の類など、前の花にあらざる桜ならば、あきらかにしつて付べきなり。花前のうゑものとても、此類にて知るべし。
⑥ 但、花は桜にあらず、桜にあらざるにもあらずといふ事、我家の伝受としるべし。
⑦ 伝いとざくらの事あり※k02

<読み取り>

① 世に、「花というのは、桜のことだ。(古今集の時代には定着しており、ただ花と言えば桜)」と言う人もあるが、「花」とは、「万物の心の花」である。
② 例えば、「花聟・はな嫁」の類、「茶の出花・染物の華やかなもの(おそらく藍の出花)」も、そのものそのものの正花であるから、「花(はな)」という、賞玩の二文字に定まったのである。
③ (このような正花であれば、)どの花であっても、春季であり、植え物には三句去るべきである。花は、春が発生するものだからである。
④ 昔から、「花に桜を付けること」は、「伝授がある」と、初心の物には許さない。
⑤ もっとも、「桜鯛」の類などで、前句が「花でない桜」であれば、明らかに識別して、(花を)付けるべきである。花前の植え物であっても、この例で判別することになる。
⑥ ただし、「花は桜にあらず、桜にあらざるにもあらず」ということを、蕉門の伝受と心得ねばならない。
⑦ 口伝に「いとざくら」のことがある。

※k01 →資料「抜書口伝、花に桜の伝」参照。

※k02 「抜書口伝、糸桜の伝」
 一 宗祇の時代迄、華三本のよし。宗長の時代、四季の花にて四本願ひて、勅令にてかなふ。
 但、翁は古法せず。猿蓑に、匂ひの華をもように、桜をのせ給ふなり。
 花は桜になきにもあらず。心の花はさくらなり。俳諧の花は、すべての花なり。

貞享式海印録  △ 花の事

<引>「②の略文」
 茶の出花、染物の花やかなるも、其物々の正花なれば、花とは賞翫の二字に定まりぬ。

<引> [宇陀法師]
 茶の出花、藍の出花、正花たるべしと先師申されき。


▲ 此二条、及び貞享式相伝の四子(※其角・去来・許六の三子に、土芳か)、花の捌きに各、了簡ある事、六の巻変格の部に挙げて、愚按を加へたり。
 偖、古今抄の「今按」、「分別」の両所を考ふるに、正花の事は、翁も半用半捨にして、しかと定め給はぬ事明か也。
 さりながら、そは、他の句を許し給ふのみにて、自句には不明なる物、一句もなき事は、延宝頃の草(そう)の巻も、猶然り。茶の出花、染物の花やかより、左に挙ぐる非正花の中、古式の論物あり。是を悉破する事を慮りて、翁其の独りを慎み給ふ所を察せよ。
 此故に、十哲、各、用ひける事ならねば、規則としがたからむ。前に挙げたる、去来の宵闇の遺戒を思へ。
 抑も、百韻、只四本の花を、雑物非植の異体に代へむといふは、風雅の外の奇巧人ならむかも。

貞享式海印録  △ 春、正花

<②に関連>
 花供・花陰・花会式・やすらい花・花生(此五は花に因みたる名なり)。作花・紙花・餅花(作花の例)。花娵・花聟(人間一世の花なり)。花の顔・花の肌(すがたの花)。心の花・褒美の花、此等皆曲節物なれば、好んでは用ひず。

貞享式海印録  △ 雑の花、変格

<②に関連>
<引> [有也無也之関/五花の口訣/雑の花の事
   ・かいらぎの鮫は花より見事にて
 雑の花は、秋移りなどにあるべき事也。
 歌仙うら、八句目より、月秋を付る時は、十一句目の花、春に及びがたし。さるは、冬季を跨げる故也。
 其巻には、雑の花を出し、花より三句去つて、素春をする事習ひ也。花嫁、花聟も、称美の詞にて、雑の正花也。春を付けゆく時は、見立花といふ。


▲ 此論、皆非也。月秋に花の季移りは、常也。証は、「三の巻、季移りの部」にあり。蕉門には、何と何を組みても、季跨ぎと云ふ事なし。又、「雑の花の後に、必らず素春をす」と云ふことも、「雑の花と素春、三去」と云ふこともなし。又、花嫁の類、大方雑に捌かず。
 又、此かいらぎも、「花より見事にて」と云ふは、そこに花なくては言はれぬ詞なれば、春とせむ方よからむ。只、「花かいらぎ」とばかりは雑にて、正花にあらず。

<①~③の解釈>
① 一般的に、「花」と言えば桜のことで、古今集の時代には定着している。しかし、俳諧の「花」は、「万物の心の花」である。
 ・ 「心の花」とは、「色や形から花に準えた物」「花にちなんだ事物」「花の美しさ・華やかさに喩えた事物」である。
 ・ 「心の花」に対し「詞の花」があって、「俳諧古今抄」などに出る。花という文字は使うが、指し示すものが「花」と異なる。例えば、「花桜=かさねの色目」「月の花=光」「花鰹=植物の花びら」「花子(はなご)=狂言の演目・人物名」「花の君=杜若」「浪の花=塩・泡」「火花=火の粉・光」など。これらは、すべて非正花。ただし、「花の浪」「花火」など「花」に準えた物は正花。


② 例えば、「花聟・はな嫁」の類、「茶の出花・染物の華やかなもの(『宇陀法師』には、藍の出花。染色の工程で咲く泡の花)」も、それぞれの最もよい時期、最もよいことを咲き誇る花に喩えているのだから、そのものそのものの心の花、即ち正花である。だから、「花(はな)」という、賞玩の二文字が付いたわけである。


③ このような正花であれば、どの花であっても春季であり、植え物には三句去るべきである。花は、春が発生するものだからである。
 ・ 芭蕉は用いないが、曲節物として、他季の正花もある。夏「残る花・若葉に結ぶ花・花御堂(陰暦)・花摘・氷室の花」、秋「花火・花灯篭・池坊立花・花の頭・花角力・花踊・花紅葉(雑にも)」、冬、「餅花・造花・花炭・帰り咲・帰り花・忘れ咲」、雑「花紅葉(秋にも)」。

貞享式海印録  △ 花に桜を付け、桜に花を付くる曲節

④    噂│辛崎の松は花より朧にて  翁
      └ 山は桜をしほる春雨   千那 *「鎌倉海道」

 伝に曰く、「さゞ波や真野の入江に駒とめてひらの高根の花を見る哉(*近江路やまのの浜べに駒とめて比良の高ねの花をみるかな 続新古今、源頼政)」と、遠く眺めたるよりも、「辛崎の松は朧にて」面白からむと、疑の詞をもて決せぬ所、此句の妙所也。
 脇は「さゞ波やしがの都はあれにしを昔ながらの山桜哉(*千載集、平忠度。昔ながら-長等の山-山桜)」とよみし、其辺りの風景を対し、辛崎の松を「花より」といへるに、山には雨の桜といへる。花と桜の別様をしれとぞ。


▲ 発句の花は噂にて、姿なけれども、花よりと云ふは、桜を見ていふ詞と見立、朧と云ふは、夜の雨の体と見て、雨の桜に辛崎の景を定めたり。
 いづれ、一方「助字」「比喩」「噂」「称美」「別所」「異体」等をする也。
 証句に印なきは、「現在」也。

<④⑤の解釈>

④ 昔から、「花に桜を付けること」は、「伝授がある」と、初心の物には許さない。
⑤ もっとも、「桜鯛」の類などで、前句が「花でない桜」であれば、明らかに識別して、(花を)付けるべきである。花前の植え物であっても、この例で判別することになる。

有耶無耶之関  ▽ 一本桜の事

⑥⑦  付合一本桜の事  正花になるなり。
   糸桜腹一ぱいに咲きにけり ※k02 
 右付合、一本桜の事は、細川法印(幽斎、細川藤孝)より秘して、花咲先生(貞徳)に口訣の正伝なり。其後、更に用ゐる人なし。門人去来、予の猿蓑の巻に「末の花」と略して、彼伝をあらはさず。総じて桜一本の時は、「咲・開・莟」、これらの文字を句の内に置くなり。即ち正花に立ならいなり、正伝なり。

※k02 「猿蓑、灰汁桶の巻、名ウ5」
発句   ┌灰汁桶の雫やみけりきりぎりす   凡兆
     ├─
初ウ11 花│花とちる身は西念が衣着て     芭蕉
     ├──
名ウ3  │昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ   芭蕉
名ウ4  │ しよろしよろ水に藺のそよぐらむ 凡兆
名ウ5 花│糸櫻腹いつぱいに咲にけり     去來
挙句   └ 春は三月曙のそら        野水

・ 去来抄の扱い。 → 資料「去来抄、故実、花を桜に」を参照する

貞享式海印録  △ 桜を正花とする変格

⑥⑦ <引> [有耶無耶之関/一本桜の事]※上記
▲ 翁、「猿みの」より五年前、「鶴歩」※k03に用ひられしを、かくいはれむ様なし。又、咲、開、莟の字だにあらば、桜用ひてよけむと思ふも非也。
 「鶴歩」に、桜不賞玩の人を付けて、賞玩する人の歎を述べたる手柄を見よ。
 糸桜の付は、一句の取廻しのみにて、桜ならでは叶はずといふ付句ならねど、撰集の摸様にはと、許されけむ。


<引> [宇陀法師]
 「猿みの」を見誤まりて、正花に桜する人もあり。桜非正花、初心の人、する事なかれ。

※k03 百韻「日の春をの巻、名ウ7」
発句   ┌日の春をさすがに鸖の歩み哉    其角 春:日の春 ※つるの
     ├─
初ウ13 花│咲日より車かぞゆる花のかげ    李下 春:花 ※数ゆる
     ├─
二ウ11 花│稲妻の木間を花のこゝろばせ    挙白 秋:稲妻 ※いなずまのこのまを
     ├─
三オ5  │卯花の皆精にもよめるかな     芳重 夏:卯花 ※うのはなのみなしらげにも
     │
三ウ11  │問し時露と禿に名を付て      千春 秋:露 ※つゆとかむろ、伊勢物語
三ウ12  │ こゝろなからん世は蝉のから   朱絃 雑 ※蝉の殻→比喩で無季
三ウ13 花│三度踏芳野のさくらよしの山    仙化 春:桜 ※みたび
     ├─
名ウ7 花│寝むしろの七符に契る花にほへ   不卜 春:花・恋:契る ※ななふに
挙句   └ 連衆くははる春ぞ久しき     挙白 春 ※れんじゅ

<⑥⑦の解釈>

⑥ ただし、「花は桜にあらず、桜にあらざるにもあらず」ということを、蕉門の伝受と心得ねばならない。
 ・ すなわち、「花は必ずしも桜ではなく、桜は必ずしも花ではない」ということ。
⑦ 口伝に「いとざくら」のことがある。
 ・ 桜が花の句とした例である。ただ、「猿蓑、灰汁桶の巻」では、「桜」にする必然性がない。猿蓑4巻のうちの変化として許されたようである。「咲・開・莟」の字が入って、定座にあれば、「桜」が花の句と認められるわけではない。
 ・ 一方、百韻「日の春をの巻、三の折」の花の句は、桜でなくてはかなわない。三の折に、既に「花の字」があること、百韻は四花であることも理由になろうか。

引続錦紙 糸桜の伝
・ 歌仙二十句にても、三十句にても、三十四句にても捨る事、蕉門一流なり。
・ 名残の座に糸桜と仕たるは、全く此歌仙三十四句にて終わる故なり。
・ 歌仙に花一本にて済すはいかにといへば、月二つにてゆるす心なり。

○ 当季を案ずる事

12l 当季を案ずる             ↑ トップへ

 月花の句にもかぎらず、四季の付句に其季を案ずる事、前の二三句かろき時は、当季を経て、趣向より案(ず)べし。
 たとへば、獅子舞と趣向を定め、門の花とあしらひ、薙刀と趣向を定て、橋の月とあしらひ、前の二三句重き時は、尤、其当季より案じて、花・鴬・月・露の類に、一句の風情を付べし。
 されば、二つの案じかたは、もとより変化のため成る事をしるべし。

貞享式海印録  △ 当季、按ずる事

▲ 近頃、季節に事を欠きし俳士あり。
 今宵は「友鵆の来れば」と、床には「筌(せん、底なし竹編筒)の花生」をかけ、「あられ釜」泌して、「寒入鉢に氷砂糖」もりて、いかめしく構へたる宗匠の捌きをきくに、「春若丸」には「朧饅頭」とあしらひ、「麗な妹」には「ひねた手管」をよせ、百韻四本の花だに、「花田・花塗・花かつを」の類を手柄顔に遣ひ、「帷子の辻」には、「蛍火打」を出し、「若竹屋」には「葭簾」を懸け、「素麺」「梅干」も季に連れて夏とし、「いが栗坊主」「豆男」も、秋に論なしとや。
 「月毛の駒」「月額」、或は月の「兀天窓(はげあたま)」などと、あらぬ詞を工み出し、「秋葉の宮」「真葛が原」「小菊」は、紙にも婢にもなり、「桔梗」は紋にも染にもなし、一巻終りて、「鹿の巻筆」を納む。
 つらつら一座の俳諧を見るに、季の句、更になし。
 又、作意を好む徒ありて、「笑ふ山」「染むる山」「残る花」「帰花」等の上下の字を、二所に分け用ひて、是を「割季節」と罵りあへり。却つて、其山の雑となり、其花の春となる事を知らず。
 或は、櫨(はじ)と恥(はぢ)、嵐とあらじの言懸けに、仮名違ひを弁へざるは、いかなる心の邪みぞや。
 これ、いにしへをかゞ見ざる故ならむと、爰に、古人の鑑をかゝぐ。

俳諧付合小鏡  ◇ 付句に季をむすぶ事


 付句の春移り、秋移りに至りて、初心の人、先づ、季立より案ずるによつて、前句の全体に付かず。季は、前句のしをりにして、付けは、例の執中なり。
 又、五三句おもくわたりたる時は、季立斗りにてはしる也。其の時は、季に一作有るべし。
 予、一とせ、先師と両吟の歌仙に、
    鬼のやうなるやり人泣かせる  ※やりて
   焼飯の花もすがるゝ六阿弥陀

 此の所、打越しに人事あり。殊更半折のはづれなれば、さらさらと参るべしと、例の、堤の若草、或は、陽炎やうのもの出でたり。師の曰く、「かゝる処は、季立のみあしらひなれば、景物に一作あるべし」と也。予、眼を閉ぢて、前句のあたりを見れば、花もすがるゝ(末枯るる)三月下旬、眼のあたり物こそあれと、
   秋を隣りに麦しらみたり
 師の云、「其の如く、季立の扱かひ、遠きを捜さずして、足下に玉ある事を思ふべし」となり。
 猶、季の扱ひ、あらましを爰に拾ふ。これを読みて、工夫すべし。

<解釈>

 月の句・花の句に限らず、四季の付句に、その季その季について、考えを巡らすことについて、その前の2、3句が軽いときは、その季を念頭に置いて、趣向を工夫する。
 例えば、趣向を「獅子舞」と定め「門の花」を取り合わせるとか、「薙刀」と趣向を定め「橋の月」を取り合わせる。
 逆に、前の2、3句が重いときは、当然ではあるが、前句のその季から考えを巡らせて、その「花・鴬・月・露」に、一句の風情を深めるのである。
 そもそも、この二つの案じ方は、もちろん変化のためであることを、わきまえるべきである。

 ・ 上記海印録の引用元には、「他季を当季に捌いた例」「当季を生かした例」があり、「変化」の実態を見て取れる。
 ・ 小鏡の引用元には、季立ではない景物の作例がある。

引続錦紙 当季を案ずる事
・ 此段、付句の案じ方なり。重く軽く変化して自在なるをおもふべし。
・ 口伝、蕉流に「眼字」といふ秘事有。末々源氏の所に委し。

 二季に渡るものゝ事

13m 二季に渡るもの            ↑ トップへ

① 右は二季に渡るものをば、後の彼岸といひ、秋の出がはりといふ。
② されど、前句の秋に付くる時は、後の字にも及ばず、秋季なり。此類は数多ある事なり。
③ 或は、節句の二字に名目を付くる時は、大方うゑものゝ指合あり。是又、前句の季にしたがふべし。
④ 西瓜は秋季よろし。牡丹を夏にする類なり。夏季にはふりの類多故なり。
⑤ 星月夜は秋季なり。月にあらず。発句に此辞ある時は、七句め他の季にて、異名の月あるべし。
⑥ みそさゞいは、秋の小鳥に入たれど、かならず冬季しかるべし。ことに十月の比お(を)かし。
⑦ 青葉、夏季にあらず、雑也。若葉とすべし。
⑧ 淡雪は、春季もしかるべし。※m01
・ 口伝新古式法あり
※m02
⑨ むし・砧の類は、夜分の心ならでは面白からず。されど、夜分に指合なし。
・ 其外は、此類にてしるべし。
・ 此詮義、古式になし。
⑩ 「鐘の音(ね)」「砧うつ」とはせぬ事なり。「かねのをと」「衣うつ」とはいふべし。
・ 口伝子タノコトアリ※m03
・ されば、よくしりてするは、一坐の扱ひによるべし。

貞享式海印録  △ 季移り

①② ▲ 季移りは、両季穏かに移るを宗とす。
 只「月」といひ、「花」といふ句は、何季にも移りよし。
 「涼」は夏・秋に懸り、「寒」は秋・冬・春にあり。「足袋」「扇」は四季用ふる故に自在也。
 雁・彼岸・出代等の、春秋に渡る物は、句数をもて、いづれかしれたり。

芭蕉翁徒然草 → 資料

④ 牡丹・杜若は歌には春なり、連歌には夏なり、若葉にあしらひ無ければなり、
⑦ 青葉は雑にもまた季にも、若葉は春のこと勿論なり、青葉は草にても雑または夏なり、
④ 西瓜は秋にして夏にも用ゆ、
⑨ 虫の声、砧、夜分ならず。夜分結ぶもおかし、
⑩ 鐘の声としてよし、鐘の音(ね)とやせんとはいへど、歌にもよむなり、
  (袷・夜着・布団・扇、発句の時は季になり、付句には雑にもなるなり、姿によるべし。)
① 出代り・彼岸・薮入りは二季に渡る、

蕉翁口授二十五条 → 資料

⑧ 一 淡雪は春なるべし

・ ここまで、地の文を除く、⑤⑥が残るが、目下見当たらない。
・ と、ここまで書いた直後、「三四考」にあるとの情報を得た。「三四考」は、下記リンク資料のとおり、「芭蕉翁徒然草」「蕉翁口授二十五条」の内容をほぼ含むものである。

三四考、芭蕉翁口授 → 資料

①②③ (66) 出代・彼岸・薮入、二季に渡る春秋の季なくとも、前句のうつりにて、其季を定む。
④ (58) 西瓜は、秋にしてよし。
⑥ (59) みそさゞゐ、秋の鳥なれども、冬にしてをかし。
⑦ (57) 青葉、雑にも季にもする。草の若葉、春のこと勿論なり。草の青葉は雑なり。
⑧ (24) 淡雪は春なるべし。
⑨ (61) 虫の声・砧、夜分ならず。夜分結ぶもをかし。
⑩ (62) 鐘の声はよし。鐘の音とはせぬといへども、歌にもよむなり。
⑩ (63) 砧うつといはぬといへども、作りやうにて、打つともいうなり。心得べし。


  合考
⑤ (134) 星月夜は、月夜に非ず。秋なり。

・ 「三四考」に、①~⑩のすべてがあった。 鴎里は、「いつのころよりか我許に有て」と、出処を明らかにしないのが残念ではあるが、「二十五箇条、二季に渡るもの」の内容が共通していることは、特筆に値する。

※m01 その他故実は、「聞書口伝、俳諧四季遣ひわけ」参照。
※m02 下記「引続錦紙 新古式の法伝」参照。

※m03 支麦の資料では、皆目分からない。下記「引続錦紙 口伝 寝たる事」参照。

引続錦紙 新古式の法伝
・ 連歌の古式・新式には何の季に出たりなどと、其詮議に及ばず。
・ 芭蕉流にては、「此のごとく仕るべし」といふ義なり。
引続錦紙 口伝 寝たる事
・ 虫・鐘・砧・鹿等は、いづれも夜分が感情也。宵寝抔して、又、暁寝覚に聞いたりて、感情なれば、此心持に仕るべし。

↑ トップへ


○ 発句の時は季に用事

14n 季                  ↑ トップへ

➊ あるひは、夜着とふとむ・足皮(たび)・頭巾の類、扇・あはせなど尋常に用るもの多し。
❷ 発句にする時は当季、平句にしては、指合繰る※n01べからず。されど、一句のさまにて、たしかに冬、たしかに夏と見ゆる時は、其せんぎに及まじ。此掟は道理の指合を知て、文字の指合を穿鑿すべからずとなり。

貞享式海印録  △ 季移り

➊ ▲ 季移りは、両季穏かに移るを宗とす。
 只「月」といひ、「花」といふ句は、何季にも移りよし。
 「涼」は夏・秋に懸り、「寒」は秋・冬・春にあり。「足袋」「扇」は四季用ふる故に自在也。
 雁・彼岸・出代等の、春秋に渡る物は、句数をもて、いづれかしれたり。

芭蕉翁徒然草  資料 ↓

➊❷ 袷・夜着・布団・扇、発句の時は季になり、付句には雑にもなるなり、姿によるべし。

三四考、芭蕉翁口授  資料 ↓

❶❷ (64) 袷・布団・夜着・扇など、発句の時は季になる。付合の時は雑にもなる。前句、作りやう次第なり。

<解釈>
➊ (前段を受けて、)或いは、四季に渡るものがある。
 例えば、夜着と布団、足袋や頭巾の類、扇や袷など、常日頃に用るものは多い。
❷ 発句に用いる時はその季であるが、平句に用いるときは、季のさしさわりを考えて遠慮してはならない。
 しかし、一句のさまで、確かに冬、確かに夏と分かるときは、評議するまでもない。この掟は、本質的なものの差し障りをわきまえて、字面の差し障りを、とやかく言うべきでないということだ。

※n01 さしあい‐く・る〔さしあひ‐〕【差し合ひ繰る】 [動ラ四]《連俳用語の差し合いを繰る意から》辺りへのさしさわりを考えて遠慮する。指し合いとも書く。


○ 発句像やう(かたどりよう)の事

15o 発句は屏風の絵            ↑ トップへ

 発句は屏風の画と思ふべし。己が句を作りて、目を閉、画に準らへて見るべし。死活をのづからあらはるゝものなり。此ゆへに、俳かいは姿を先にして、心を後にするとなり。
 都て、発句とても、付句とても、目を閉て、眼前に見るべし。心に思ひはかつてするは、見ぬ事の推量なり。目に見て付ると、心に量て付ると、自門・他門のさかひ、紙筆の上に尽がたし。諸集の付合を見て工夫すべし。口伝連歌の事あり※o01

貞享式海印録  △ 発句像やうの事

 発句は屏風の画と思ふべし。己が句を作りて目を閉て画に準へて見る時は、死活自らあらはるるものなり。この故に俳諧は、姿を先にして、情を後にすといふなり。
 すべて、発句・付句ともに、目を閉て(心ヲシヅメ)、眼前に見るべし。心に量りてするは、見ぬ事の推量なり。


 ▲ 此の段は、「実景に叶ふか叶はざるか、分別せよ」との戒めなり。

<引> [俳諧十論、為弁抄九]
 翁は、眼界に只今の姿を浮かべて、それをそのままに作れる故に、明暮の咄の古からぬごとく、その句はその日に新たなり。
 我が輩の目を塞ぐ時は、唐・高麗の書物に覚えたる、詩の体の歌の様のと、昔より言ひ伝へし上手の発句の邪魔に成りて、一字もただ今の姿は見えず。かくても人のせかむ時は、詞の切屑を取集めて、上手の細工は論に及ばざらむ。


 ▲ この戒め、老婆心切なり。
 さて、発句に種々の心得、篇突(へんつき)、旅寝論、去来抄、三冊子等に詳しければ、ここに略す。

<解釈>
 発句は屏風の絵と思うべきである。己が句を作って、目を閉じ、絵に準らへて見るべきである。そうすれば、句の成否は自ずから表れるものである。従って、俳諧は姿を先にして、心を後にするということである。
 すべて、発句にしても、付句であっても、目を閉じて、眼前に見るべきである。心に思いはかってするのは、見ていないことの推量である。目に見て付けるのと、心に量って付けるのとは、自門・他門の違いで、文章には尽くし難い。諸集の付合を見て、工夫すべきである。口伝、連歌の事あり

※o01 「抜書口伝、連歌の事」 但、連歌は情に聞。俳諧は姿なり。
   梅散て草かふばしき垣根哉
   「連歌抄」(新撰犬筑波集)は、梅の花のあるときは、草かふばしきも梅の匂ひにて出ず。梅は散りはててから、垣根の草かふばしと聞往く歌こころなり。連歌の心なり。俳諧は眼前にて聞なり。

引続錦紙 発句像やう
・ 絵に書る句を肝要と案ずべし。
引続錦紙 伝に連歌
・ 発句は長高く連歌の心に可仕といふ義也。
・ 発句、位高く、幽玄第一と作る。

○ 付句案じやうの事

16p 付句案じ方              ↑ トップへ

① 発句はかく別の事なり。付句は其坐に望て、無性に案じぬが能なり。我心泬み(なずみ、泥み)ぬれば、趣向もしづみ、我草臥より人も草臥て、一坐終に成就せず。
② 付句は初念の趣向より、心を落しつけるがよき也。
③ 此故に、趣向を定る伝受あり。
④ 総じて工夫は平生にある事なり。其坐に望ては、只無分別なるべし。
⑤ 定家卿も歌は深く案じて、いらぬものなりと仰しなり。
⑥ 付句、第一、調子のものなり。あればとて、速く出すべからず。なきとても、ひさしく案じ入るべからず。よくもあしくも、一坐の程をしりてこそ、はいかいの世情にたよりある修行成(なり)としるべけれ。
⑦ 但し、大事の付句は、先云はなして、のちに思ひ返せば、心の結れとけて、かく別なり。口伝兵法の事あり※p01

山中問答   俳諧の楽しみ

③ 一 世人俳諧に苦しみて俳諧のたのしみを知らず。附句の案じやう趣向をさだむるに心得あり。

山中問答   工夫は平生

④ 一 工夫は平生にあり。席に臨では無分別なるべし。

※p01 兵法の事 - 不明。「俳諧二十五箇条抄(竹蓊亭梅先写、 慶応2(1866))」に注釈あり。「大事の付句とは是非己のすべき句にて更に他人に譲るべからざる場所からにて左様の時は早く趣向を定め先づ言はなして後に思ひかへすへ(ママ)たとへば剣術者の試合に光電空の太刀を打込みて相手の器量をためし此者は是程の鍛錬と能々見積り扨精神を凝し秘術を顕し打倒すが如しと心得べし」とある。

引続錦紙 伝 兵法の事
・ 先より打時請て、又、先よりつよく打は、ひらいてはづす心なり。
・ 変化して、自在を働く所、是、剱術の如く成と知べし。

○ 趣向を定る事

17q 趣向(執中の法)           ↑ トップへ

① 付句は趣向をさだむべし。其趣向といふは、一字、二字、三字には過べからず。是を執中の法といふなり。
② 物、其中を取て前後を見る時は、百千の数有ても、前後は近し。人は、はじめより案じて、終を尋る故に、其中隔りて、かならず暗し。
③ 口伝源氏物語の事※q01
④ されば、表八句の趣向、
   はつ桜 塗笠 暖簾 村雨 鷺 手習子 月 新酒
  此の如く趣向を定置て、あるひは作にも、或不作にも、ある句はかたく、あるひは和かに、黒白青黄のすがたは作るに、皆只句作のてづまなり。
⑤ 此法をしらざれば、人のはい諧に驚く事あり。最二字三字の趣向より、変化のすがたも明らかに見ゆる故に、最うちこし(打越)の好悪を速くしる故に、此法をしらざる人は、我句を作りて後に、うちこしもよからず。変化もおもしろからねど、今までの骨折に心残て、其句を崩す事かたし。
⑥ 二字三字の趣向をかゆる事は、曽て(かつて、全く)をしむべき骨折にてもなし。
⑦ 此法は、第一に、変化のためなりと心得べし。いにしへの儒書・仏経・源氏・い勢迚も、其中より、はじまらずといふ事なし。
⑧ 天地、豈、人の為に生ぜずや。其中は其初なる事をしるべし。 口伝天地は人の名づけたる事あり
⑨ されば、二字三字の趣向にも渡らず、五体※q02・八体※q03の付かたにもよらず、世にいふ空撓(そらだめ)※q04といへる案じかた有て、其時・其句にあらざれば、文字の道理に書尽しがたし。
⑩ それは、百句にも三所四所はあるべし。しからざれば、言語の道理に落て、はいかいに不伝の妙所なし。
⑪ 此執中の二字を指て、我家の秘法といふべし。人よく此法を工夫せば、天下の政明らかに、人間明くれの働きともしるべし。

俳諧付合小鏡  ◇ 執中之法

一 「芭蕉翁二十五条」の内、付句に執中(三儀の寄合)の法あり。
② 執中とは、中をとるといふことなり。案じ方の肝要とす。
③ 「源氏物語」などの、大部なる物も、須磨の左遷より筆をたてゝ、前後は枝葉なりとぞ。浄瑠璃の五段続きも、先づ三段目のおもしろき所を作して、さて、初後は寄せもの也。
⑤ 付句も左の如く、前句に対して付くべき物は、一字、二字、三字には過ぎず。是を弁へざれば、句に向つて、趣向を求むる事遅し。
  ここに至りて、執中の法を用ふべし。その一字、二字に、てにはを加へ、延べもし、縮めもして、二句連綿する事なり。付句は、蓮の茎を切りはなして、中に糸を引くがごとく、情のかよひたるを上品とす。
  「つらねうた」といふも、此の心にや。


  此の秋も門の板橋崩れけり
   赦免にもれて独り見る月
             付、左遷。

※q01 源氏物語の事 - 上段「小鏡③」か。

※q02 五体
 脇五体あるいは、八体の内「其人・其場・時節・時分・天相」の五体か。
 脇五体は、「相体・内添・違い・心・ころどまり」。 →「俳諧埋木、脇」参照。
※q03 八体
 支考が紹介した八体は、「其人・其場・時節・時分・天相」に「時宜・観相・面影」の、異質な三体を加えたもの。なお、「時宜」を「辞宜」、「観相」を「観想」と、しばしば誤る。 →「決め事、資料、七名八体」参照。
※q04 空撓
 無心に前句を、何度も吟じる返す中で、自ずと浮かぶ句をもって付けとすること。前句との間に移り・響き・匂いなどが感じ取れなかったり、付け筋が理解できなかったりすることが多い。
 支考は「俳諧古今抄、五」で、「ひたすら目をふさぎ吟じ返すに、ふと其姿の浮かびたる無心所着(むしんしょじゃく)の体」とし、八体の番外に入れる。ただ、「無心所着」は、「和歌で一句一句別々のことを詠み、意味が通じないもの」を言う語である。例えば、万葉集巻16の
 わが背子が犢鼻(たふさぎ)にする円石(つぶれいし)の吉野の山に氷魚ぞ懸有(さがれる) 安部朝臣子祖父
 支考は無心所着を「付け所・付け筋などが分からぬ体」の意で用いる。
 また、「無心所着の付け」は、談林俳諧の特色となる「奇抜で突飛な付け」のことを言い、これと異なる。

引続錦紙 伝 源氏物語の事
・ 是則、虚実なり。虚実は趣向なり。
・ 紫式部石山寺にて源氏を書に、湖水の水相観に極る所を書出したる。源氏の如、趣向を定よとなり。
引続錦紙 伝 執中の法
・ 前句に座敷の体あらば、海か山かの一字か二字を以て付る事なり。
・ 一字二字を以て蕉流の「眼字」といふ秘伝なり。
引続錦紙 口伝 天地は人の名付たる事
・ 「名付たる事あり」とは、勿論、人間なければ天地といふ物もなし。人出来て、天地と名付たる心なり。
・ 「世にいふ空矯(空撓)と云案じ方有て」といふ義は、空矯は身を清める道具なり。
・ 小袖に匂をとどむる心なり。執中は諸先をよく考えて、後に中を案ずるなり。句毎にむづかしきを嫌、唯やすらかに付る事をよしとす。

○ 恋の句の事

18r 恋句                 ↑ トップへ

① 恋の句の事は、古式を用ひず。其故は、嫁・むすめ抔、野郎・傾城の文字、名目にて恋といはず。
② 只、当句の心に恋あらば、文字にかゝはらず恋を付くべし。此故に他門より、恋を一句にて捨るといへるよし。
③ 恋は、風雅の花実なれば、二句より五句に到るといへ共、先は陰陽の道理を定たるなり。
④ 是は、我家の発明にして、他門にむかひて穿鑿すべからず。

貞享式海印録  △ 恋

① 恋句の事は、古式を用ひず。其故は、嫁・娘・冶郎・傾城の文字名目にては、恋といはず。
② 只当句の意に恋あらば、文字には拘はらず恋句をつくべし。此故に、他門より恋を一句にてすつといへるよし。
③ 恋は、風雅の花実なれば、二句より五句に至るといへども、先づは二句有りて、陰陽の道理を定めたる也。
 殊更、文字名目に拘はらず、情を専らとする故に、強ひて四句も五句も並ぶる時は、必らず打越の離れあしく、増して一巻の変化に拘はる故に、多くは二句にて仕廻ふ事也。


▲ 「強ひて」の字、一段の眼(まなこ)也。
 法に任せて続くる時は、百句も妨げなし。此故に、強ひてする事を禁じたり。蕉門には、二句に限るとな思ひそ、此下に、恋を続くる法を説くを見よ。

俳諧付合小鏡  ◇ 恋之句数之事

③ 芭蕉翁曰く、「いにしへは、恋の句数定まらず(宗祇・宗長の時か)、勅已後、二句以上五句となる。是、礼式の法也。昔は、恋句一句出づれば、相手の作者は、恋をしかけられたりと挨拶せり。又、五十韻百韻といへども、恋句なければ、一巻といはず、はした物とす」。

※ 去来抄の扱い。 → 資料「去来抄、故実、恋句」を参照する


○ 切字に口伝ある事

19s 切字に口伝              ↑ トップへ

① 切字の事、諸抄にあまたあれ共、いまの世は、殊に推量多し。
② 大廻し・玄妙切など※s01いへる切字の事は、我家に曽て詮義なし。古のころのはい書に出たる証句とても、いかなる道理共心得がたし。
③ その内、三段切・二字切など※s02も、いまの証句※s03は、心得がたきか。
④   二字切
   山さむし心の底や水の月    ※一葉集、存疑
⑤   三字切
   子共等よ昼がほ咲ぬ瓜むかむ ※元禄6
⑥   三段切
   梅若菜まりこの宿のとろゝ汁  ※元禄4
⑦ あるひは、素堂かま倉の吟に
   目に青葉山時鳥はつ鰹
  といふ句は、目耳口と三段をいへり。梅・若菜の句は、心の三段をしるべし。
⑧ されば二字切・三字切は一句の中に「や」といひて、「いかに」とうたがひ、「らむ」とはねても、三字同意にて切は一所なり。
⑨ あるひは、
   鷹の目もいまや暮ぬと鳴うづら  ※芭蕉庵小文庫 元禄4
  といふ句は、との字にて押さへたれば、切字にあらず。此類は、あまた有て、諸抄に押字・かゝへ字のせむぎなし。切字百ありても切ぬ事多し。
⑩ あるひは、
   ゆふがほや秋は色々の瓢かな  ※貞享5
  といふ句は、上の「ゆふがほや秋は」と句読を切て、「は」の字にてかゝへたれば切字にならず。此類多かるべし。
⑪  猫の恋やむ時閏の朧月     ※葛の松原 元禄5
  是を、中の切といふなり。「閏の朧月夜は」と、中に心をのこしたる句法なり。「うかりける人をはつせの」と、よみたる歌の類なり。

⑫  我は家を人に買はせて年忘れ  ※人に家を 元禄3
  あいさつ切といふ※s04。一句に自他の差別ある故なり。
⑬ 此二の切※s05は、我家の発明にして、他門にむかひて穿鑿すべからず。

有耶無耶之関  ▽ 十八体 引てには

 三字切
⑤  子供らよ昼顔咲きぬ瓜むかん
 右、三字切。「子供らよ」は、呼び終わりて、過去の下知なり。「昼顔咲きぬ」は現在の「ぬ」なり。「瓜むかん」は、催していまだ至らず。<この時は>「過・現・未」各々心替りて、現在を「切」となして、「過・未」を粧ふといふ。総じて過去は切れず。<一ツの>未来は「切」に用ふるなり。


 三段切
⑦  眼には青葉山ほととぎすはつ鰹
 素堂の句なり。「目に」と、姿の有るところにて切るなり。初かつをの句なり。
⑥  梅若菜まりこの宿の薯蕷汁
 右、三段切なり。目に耳に口にといへる心を、五文字に含みて、三段の切となれり。


⑪ 中の切
   猫の恋やむ時閨のおぼろ月
 右「猫の恋やむ」は、空<言>明なり。閨の朧月は、立春後にして、物と物との七文字の中にて、心・言葉ともに替るを、中の切と言ふなり。


⑫ 自他切
   人に家を買はせて我はとし忘
 右、自他は、物々皆自他なりといへども、就中、事隔りて人に我<は>と転ずるところ、際立ちたる体は、自他切なり。


⑫ 挨拶切
   いざさらば雪見にころぶ所まで
 右、挨拶切れは、他に対するの一つにして、「挨」を天となし、「拶」を地として、「いざさらば」は天なり。「雪見にころぶ」これ地なり。すべて、この類、上下の言葉、主客の隔つを以て、一句、切れとする、これ挨拶なり。

有耶無耶之関  ▽ 哉の字の口訣

 抱字
⑩  夕顔や秋はいろいろの瓢かな
 右抱字、この夕顔の「や」は切なり。しかし、五文字のこころ、付会無くして答へず。それを「秋は」と抱き、一句分かるべし。「哉」は、浮哉にて切れず。

 芭蕉の切字観を知る上で、重要な段落である。

※s01 大廻し・玄妙切など  「俳諧埋木、切字続き」を参照。

※s02 三段切・二字切など  同上。

※s03 いまの証句  「古のころの俳書」に対して「今の」と言う。「俳諧埋木」の証句のこと。

※s04 あいさつ切といふ  「有耶無耶之関」は「自他切」とし、「挨拶切」は別とする。

※s05 「此二の切」  「自他切」を加えれば「三つの切れ」となる。

引続錦紙 (切)
長文に付き、略。リンク先参照。

○ 指合之事

20t 指し合い               ↑ トップへ

① 俳かいに指合(さしあい)※t01の事は、「はなひ草」※t02の類にしたがふべし。すこしづゝの新古の事あり。されど、一坐の了簡を以て、初心には随分ゆるすべし。
② 一句の好悪を論じて、指合は後の詮義なるべし。さしあひは変化の道理なりと、先、其故をしるべし。
③ 変化の不自在なるより、世にさしあひの掟あり。万物の法式は、此さかひにて知べし。

貞享式海印録  △去り嫌い

① ▲ 「我家は、禅俳の宗なれば、古法の去嫌を固(もと)とせず」といふ心なれども、従容してかくいへり。
 此の故に古式に、或ひは五去と云ふも、其の句其の句の出るに任せて、三去にも二去にも、其の理ある物は越をも許されけり。「初心には随分許」せとあるをもて、古式に拘らざる故、明か也。
 素より去嫌を必とせざれば、是と定まりたる掟なけれど、門人は其の席々の証を鑑とせし故に、人々各々の捌きも同意の捌きもあり。今、則とせば、句去近き物をとるべき事也。


② ▲ 一句の好悪とは作の事ならず。前句を、見かへしか見かへざるかと骨髄の変を論ずる事也。
 よく前情を変ずる時は、猫の越に鼠と付けても、意の運び雲泥にて、輪廻せざれば、生類の論は、時に臨みて許し、又前句を其の儘に付くる時は、趣向は唐天竺に異なるとも、其の情通へば許すまじとぞ。指合とは字類の事、去嫌とは神・釈・恋・無常・名所・山川・衣食・生植等の摸様を配る皮毛の変なり。此の故に「後の詮議」と云へり。
 されば、恋は二より五なれども、百句続きたるも、長句花、短句鳥と並べたる変格もあり。この如きは、前句を見かふる骨髄の変ならで、模様の皮毛に何の変かあらむ。抑も宗匠の能といふは、翁の金言を述ぶるのみなるを、句々出づる毎に、掟たる付肌の論には及ばず、己が涅覔(ねちみゃく)の工夫より、なの花に行灯も、打越の浮名を立て、徒に句を返す宗匠もあるよし、祖師の冥見、恥づべき事になむ。


③ ▲ 連誹に去嫌を立てしは、変化の為めなれど、当門には、前句を転ずる妙法ある故に、強ひて古式に預らずと、其の理を勘破(看破)せよと也。
 つらつら惟みる(おもんみる)に、当門専用の式と云ふは、「春秋五去にて三より五に及び」、「夏冬二去にて一より三に至る」、「花は折に一つ」、「月は面に一つにて、五去」と云ふ類の外は、凡そ臨機応変のさた也。そは、いかなる物好の巻にも、此の法を破らざるをもてしるし。
 其の余、無神、無釈、無恋の巻もあり。生植、名所類の多少ありて、必とする事なきは、元来俳諧は、森羅万象の変に任せて、法界の理を悟らしむる道なれば、物に限りのなき理也。
 さらば、月花のさたにも及ぶまじとの難あらめど、表に風雅の標を立て、連俳の大概を習へば、其の表式を破る故なし。其の意を破るは建門の意地なれば、其の故を知りて加減すべき道理也。
 学者、先に此の意を得て、付心の風味を専らに修せよ。爰に、去嫌の部を分つ事は、直指門人の筆記と、其の代の証句を考へ合せ、其の理一なる物を正格とし、例稀れなる物を変格として末巻に出し。正変ともに愚按を加へたり。取捨は諸君の手に信せ、管見の過ちは博知の訂正を待ちはべる。

※t01 諸論に、指合と去嫌と明確に区分されないことが多い。
  【指合】用字について、その文字の反復使用に関する禁止や、離す句数の決まり。
  【去嫌】語彙について、同季・同字・類義・縁語の反復使用に関する禁止や、離す句数の決まり。
※t02 「はなひ草」:野々口立圃(1595-1669)編。語彙をいろは別にし、指合・去嫌を示した作法書。寛永20(1643)年板行。「花火草」「嚔草」とも。後の「御傘(貞徳)」より簡便で、さらに「はなひ草大全」「増補はなひ草」も出された。


○ から崎の松の句の事

21u 「辛崎の松は」句           ↑ トップへ

①  辛崎のまつははなより朧にて
 此発句の落着をしれば、発句と第三と平句との差別をしる也。発句は一句の中に、曲節といふ事あり。此句に花は曲にして、松の朧とは節なり。曲節の二ツは、尋常のうたひ・浄瑠璃にもしるべき事也。

②  辛崎のまつは春の夜朧にて
 是は第三のさまなり。此句、平句よりは重き所、まつの朧といふ節なり。

③  辛崎のまつを春の夜見渡して
 是は只、春の気色のみにして、曲もなく節もなきものなり。

④ 此発句を、世間に、留る留らぬの沙汰あれ共、それは、初心の人の論也。あるひは、「朧かな」とあるべきを、「朧にて」と云ことは、「哉」は決定のこと葉なれば、花より松が面白ひと決定するは、片題の褒貶のがれがたし。歌にも嫌ふ事なり。

⑤  さゝ波やまのゝ入江にこまとめて
      ひらのたかねのはなを見るかな

 とよみたる其花より、からさきの松の朧にて、但シ(ただし=もしかしたら)面白からむと、不決定の中の決定なり。
⑥ あるひは、にて留の事、
    三日月は正月ばかりまことにて
 此「にて」の心にてしるべし。月は月々の三日月有共、正月斗は、誠三日月にてあらんと、決定の心を残したるなり。
 最、にて留の事は、哉留の発句の第三に、留の子細ある事をしるべし。 口伝其角が雑談集の事あり※u01・※u02

貞享式海印録 △第三の事

① ▲ からさきの松の朧を詠ぜむとて、比良の花をもて、一句を化粧ひたる所、最も曲中の曲也。


② ▲ 月夜の松かげの茂きを、朧と見たる所、節也。


③ ▲ 平句とは、平生体なる地の句と云ふ事にて、趣向の雅俗に拘はらず、只有の儘なる作をいへり。
 譬へば、「仏の光明」と云ふは、有の儘なれば、平句也。杓子の雫と云ふ事を、杓子の「泪」と作るは、文也節也。一作意なれば、第三の位をもつ也。

貞享式海印録  △ 花に桜を付け、桜に花を付くる曲節

⑤に関連
      │辛崎の松は花より朧にて  翁
      └ 山は桜をしほる春雨   千那 ※「鎌倉海道」

 伝に曰く、「さゞ波や真野の入江に駒とめてひらの高根の花を見る哉(※近江路やまのの浜べに駒とめて比良の高ねの花をみるかな 続新古今、源頼政)」と、遠く眺めたるよりも、「辛崎の松は朧にて」面白からむと、疑の詞をもて決せぬ所、此句の妙所也。
 脇は「さゞ波やしがの都はあれにしを昔ながらの山桜哉(※千載集、平忠度。昔ながら-長等の山-山桜)」とよみし、其辺りの風景を対し、辛崎の松を「花より」といへるに、山には雨の桜といへる。花と桜の別様をしれとぞ。


▲ 発句の花は噂にて、姿なけれども、花よりと云ふは、桜を見ていふ詞と見立、朧と云ふは、夜の雨の体と見て、雨の桜に辛崎の景を定めたり。

有耶無耶之関  ▽ 辛崎の松句(発句・第三・平句)

①③②  「辛崎の松」に三種のわかちありて、発句・第三・平句、この三色に分明なり。
  発句 から崎の松は花より朧にて
  第三 辛崎の松を春の夜見渡して

 第三の句面大きく仕立つべし。これまた、句中の意に、心細く綴るべし。
  平句 から崎の松春の夜朧にて

・ 相伝本、第三と平句を取り違える。幻住本、口訣としたか、区分を伏せる。

※u01 其角「雑談集」の事 - 「雑談集、哉止め発句の第三について」参照。

※u02 「抜書口伝、辛崎伝」 唐崎の松は花よりおぼろにて  但、かなときれば、末に花のまぎる。是、歌にもきらふ事なり。にてとすればおぼろで、見れば花より辛崎の松昼はまた花なり。

引続錦紙 (唐崎の松)
長文に付き、略。リンク先参照。
引続錦紙 (其角雑談集の事)
・ 其角「雑談集」にも、発句の「哉」に、「にて」の第三ありし故、此格有り。

○ 鳶に鴟の句の事

22v 鳶                  ↑ トップへ

① むかし武の深川にて、鴟(とび)に鳶の句付たる事あり。其時もしれる人まれなるが、今更に付合のかく式とも知るべし。
②   韮の柵(まがき)に鳶をながめて
   鳶の居る花の賤屋とよめりけり

③ 是は、前句の云とりを、歌の前書と見たるより、かくはよめり鳧と付たるなり。此類は、前句の心を発して、こなたより云なしたる詫物比興といふものなり。
④ あるひは、前句を軍書とも、能狂言のおかしみとも、じやうるり(浄瑠璃)などの拍子とも、みなみな聞なしたる風情なり。

⑤  番匠が椴の小節を挽かねて  ※もみの、とどの 炭俵「振賣の」
    片兀山に月を見るかな

⑥ 是は前句の五文字を、古代の歌のさまと聞なして、月を見るかなと歌によみたるなり。
⑦ あるひは、平句のかな止にかぎらず、此類はみなみな子細ある事なり。模様をこのみ、奇異を求ては、かならずすまじき作意なり。

貞享式海印録  △ 案じ方禁物の弁

 前句を、画(絵)・見せ物・狂言・質物・売物・夢・咄・歌・書物などゝ見立つる事、決してあるまじく、そは、何にてもかく見られぬ句はなき故なり。俳諧は、一字一点に渡りて、微細に余韻までも考へ分けて、変化さするものなれば、さるあらめなる案じ方あらん理なし。 …略… 左に挙ぐる数例は、禁物の案を、手柄に遣ひ得たる功者の付なり。一変格といふ事を能くせざる輩の、真似て見るべき事にあらず。


②    ┌ 韮の柵木に鳶をながめて       ※まがきに
     │鳶のゐる花の賤屋とよめりけり  翁

 前句、「菜園集」の端書(木因の嘘)に似たる故に、かく付けたり。若し、菊の柵とあらば、さは見たてられまじ。されば、花鳥・風月の艶なる句を、妄りに歌と見む事、甚だおぼつかなし。

俳諧付合小鏡  ◇ 畳字之事

   韮の柵木に鳶をながめて
  鳶の居る花の賤屋とよめりけり

一 「鳶の居る花の賤屋の朝もよひ木を割斧の音ぞ聞ふる」、この古歌取にして、同物異体の習ひあり、師によりて習ふべし。

有耶無耶之関  ▽ 脇句/古式の合転

  また、古式の合転。
    わらの間垣に鳶を詠めて    ※ながめて
   鳶といふ古歌の心をよめりけり
 
   銭銀も降るかと花の三月は    ※ぜにかねも
    三月半面あきられ

 右、古式なり。よろしからず。多用せず。

・ 相伝本、相伝のためか写し間違いが多い。

※ 「にら」でなく、蒜(ひる)の籬に。「野ざらし紀行/大垣/番外資料/鳶の評/芭蕉書簡」を参照。

※ 古歌ではない。「野ざらし紀行/大垣/番外資料/鳶の評/木因書簡」を参照。

引続錦紙 (片兀山)
・ 「平句の哉に限らず、此類は子細有る事」と記たるは、別の事にあらず。千句の時、てには留、仕ん事なり。常は無用とぞ。

○ 宵闇の句の事

23w 宵闇                 ↑ トップへ

 有時の歌仙の裏の七句めにて、宵闇の句出しに、三句の中に月を篭たるなり。

  宵闇はあらぶる神の宮迁し  ※みやうつし 「けふばかり」歌仙、元禄5
   北より萩のかぜ戦たつ   ※そよぎたつ
  八月は旅おもしろき小幅綿


 最、宵闇に月は付がたし。うち越に月は付がたし。うちこしには、殊に悪し。十句めは、花前にのびて無念なれば、三句の心に月を持せたるが、八月の「ぐはつ(月)」の字にて、見渡しの月の字は、あしらひたるなり。是を一坐のさばきといふ。宵闇を月とは、おもふまじきなり。三句取合て月の字の働と知るべし。

貞享式海印録  △ 隠月の変格

<引> [韻塞]
  月定座│宵闇はあらふる神の宮迁し    翁
     │ 北より荻の風そよぎたつ    許六
     │八月は旅面白き小服綿      洒堂


<引> [二十五箇条]
 宵闇に、月は付け難し。打越には、殊に悪し。十句目は、花前に延びて無念なれば、三句の心に月を持たせて、八月の月(ガツ)の字にて、見渡の月(ツキ)の字は、会釈ひたる也。是を一座の捌きといふ。宵闇を、月とは思ふまじ。三句取合せて、月の字の働きとしるべし。


<引> [宇陀法師]
 師曰く。宵闇といふ句に、月はなるまじ。此の宵闇を月にすべしと秋を付出し、八月といふ月次を出せり。全く八月賞玩にあらず。例の落穴也。月秋の場に(定座のこと)宵闇出でたればこそ、ふしぎの働きも有りけれ。毎度、宵闇・暁闇の月に成りては、をかしからぬ事也。


<引> [古今抄]五
 宵闇の荻に、只今の月の俤を含ませて、月といふ字に古法を捨てざる。遠くは「歌仙に二花二月の先兆」といひ、近くは「当座の妙用」といふべき也。
 然れども、此等の捌きは、故翁に、例の変通ならむに、我門の学者にも、一人二人は(去来、天垂、野坡を云ふ)聞誤まりて、宵闇を、いつも月也といへる。師道の興癈は、只、門人に在りて、百世の恐るべきは、遺訓のさた也。


▲ 三書、同意也。宵闇は、月ならねども、定座にて、此捌き有りし故に、月に成りたり。
 さて、上文に「歌仙二月の先兆」と云ふは、新式を立てむと思ふ腹にて、言曲げたる物也。是を、二月(にげつ)の先兆といはば、素秋と成りなむ。

<引> [俳諧芭蕉談]
 風国が会に、宵闇の句出づ。
 去来曰く、「先師、既に此式を立てらるゝ上は、左法に習はむ」と。
 是を、月に用ひ侍る。此頃、許六の書(湖東問答)を見るに、「宵闇を月とし給ふは、故有りての事也。然るを、何の故もなく、月に用ふるは、あさましき事也」とあり。
 此事を聞いて、恥づるに堪へず。許六は深川の会徒也。いか様、仔細あるべし。


▲ 賢なる哉、去来。我過ちを、卯七に示して、百世の惑ひを解きたり。
 時に、或人、問うて曰く、「今若し、定座に宵闇出でば、如何」。
 答へて曰く、「そは、雑にしてさしおき、折端迄に、何季にても月をせよ」。
 又、問ふ、「其宵闇を、月にせむといはば、如何」。
 又、答ふ、「翁の捌きを写さば、去来に対して、又、恥ぢなむ。其句に応じて、一変格あらむは、よけむ。今、是を、予めいはば、夫も亦、粕とならむ。すべて、一変の捌きは、古法を破らずと云ふ大意を知りて後、時に臨みてする事ぞかし」。
 「因みに云ふ、翁の血脈相承は、其・去・許・支の四子也」と、湖東問答にいへるは違はず。そが中、去来・許六は、よく翁の言を信ず。此故に、翁の慮り有りて宣ひし事も、取捨せず。支考は、翁の金言といへども、其理を分別せずては述べず。其器量に任せて、折々自己の見を師に託すと、論に長じて、身を省みぬ失あり。其角は、その中にて両得両失あり。
 又、変格に自在なるは、木因・其角・支考・凉菟の四子也。以下は、此六人に敵せず。

貞享式海印録  △ 異名、歌仙に二

<引> [韻塞]
初ウ7 神│宵闇はあらぶる神の宮迁    翁  ※みやうつし。集、「宮遷し」
     ├─
名オ11 │有明は毘沙門堂の小方丈    許六

貞享式海印録  △ 非月物、月に付句も、越も、嫌はず

 日の有明・行灯の有明・恋の待宵・宵闇等也。


<引> [市の庵]
   宵闇・ 下駄引きずりて帰る宵闇   荘蘭


 こは、例多けれど、前に論じたれば、略す。

貞享式海印録  △ 宵闇は月にならざる事

<引> [木曽の谷]
     │宵闇の廊下で紙燭吹消して    野坡


<引> [俳諧百歌仙]
二の三  ・宵闇の空はしばしの間也     素秋
二の四   西阿知の巻、後折、月も秋なき巻あり。
三の八  ・宵闇は秋の蛍の名残りにて    知元
四の四  ・宵の間を闇なく闇にしてゆかむ  天垂
四の九  ・闇の間はちつとばかりに夜の旅  晩柳
四の十  ・宵闇も果ててぎくりと樅の枝   楚戎
四の十二 ・宵闇を取違へたる小提灯     白川


 是皆、翁の宵闇を見誤りて、徒らにまねたり。
 されども、一集に一、二ならば、鵜のまねも目立つまじきを、月も花も奇を好みて、数多用ひたるは、人を珍らしがらせむと思ふ、きたなき心よりなしけるわざ也。

 


○ 名所に雑の句の事

24x 名所に雑               ↑ トップへ

① 名所の発句は、都て、雑の句もしかるべし。名を云、季を云、心いふ時は、句作、必穏なるまじ。
②  朝よさを誰松島ぞ片ごゝろ
③  かちならば杖つき坂を落馬かな
④  蝸牛角ふり分けよ須磨明石
⑤ 此中、須磨明石の句は、蛮・触の両国をたとへ、其境はいわたるなどといへること葉より、思ひ寄勢(よせ)たれば、かならずしも、蝸牛の当季にもかゝはらず。是等を雑体と云て、名所の句の格式なるべし。 口伝、無季の格※x01といふことあり
⑥  年々や猿にきせたる猿の面 といふ、歳旦の例句※x02あり。

貞享式海印録  △ 雑、表裏季なきをいふ

②③ <引> [師走囊]
 「かちならば」の句は、「梶楢は杖突坂を落葉哉」の心也。「あさよさを」の句は、「麻よ竿誰れまつ縞ぞ片心」と云ふ言懸にて、季を隠したる物也(約文)


▲ かくいへるは、心苦しきこじ付也。雑と云ふ句に、季を隠すといふ事、あるべきや。あゝ、片腹いたし。

貞享式海印録  △ 雑の体、季ありて、季の用なきをいふ

④⑤    名所・蝸牛角ふり分けよ須磨明石   翁
 荘子に、蛮触の両国をたとへ、源氏に「其の境這渡る程」といへる詞より、思ひ寄せたれば、必らずしも蝸牛の当季にも拘はらず。此等を雑体といひて、名所の句の格ともなすべし。

貞享式海印録  △ 無季の格、季の詞隠れたるをいふ

⑥ <引> [本書口訣伝]
   歳旦・年々やさるにきせたる猿の面  翁
 無季の格は、句に当季の詞なくても、その季と聞ゆる句作をいへり。
  <引>[古今抄]
 五文字に迎年の意はこめながら、掟たる歳旦の詞なれば、是をも雑体とやいはむ、或は無季の格とやいはむ。然れば、雑といひ、雑体といひ、無季の格とは、今の新製にして、此等は今の俳諧の名目といふべき也。


▲ [格外弁][廿五条][古今抄]等に、無季の格を挙げたれど、「雑体に紛るゝ也」と云ふは、本書を委しく見ざる故也。爰に「とやいはむ」と、未定に書きたるは、始めて本書の意(こころ)を弘むる故也。結文に、三段に分けたる所にて、無季の格と云ふ名を定めたり。「 下線 」の文を除いて見る時は、意明らか也。
 「格外弁(鳳朗)」は、俄著述の物と見え、僅か十五丁の冊中に、卅四所写し違ひ見違ひ等あり。あゝ、著述はかたき物か。

直旨伝・師説録  ◯ 雑の句の事

<雑の句> 雑の句に、三つの義あり。
 一には、二季兼ねたる句。
 二つには、当季のものふたつ三つとり合せて、いづれの季を題ともわかちがたき句。
 三つには、当季ひとつにても其季を題とせず、其所を題とし、その事を題として、その季はあしらひものに仕立たると、なり。
 名所にもあれ、何事にもあれ、その題のために寄せたるは、雑の句にあらずして、題詠の格にはべる。


<無季の句>  無季の句、恋・旅・名所・離別・讃等には、まれに有るべし。わざと好みてすべからず。いかにしても、季の詞入れがたき時は、此格もしかるべし。

※x01 「無季の句」と「雑の句」の区別は、上の「直旨伝」の通り。「④蝸牛句」について、「海印録」の指摘に合う。「無季の格」というより、「雑の体」である。

※x02 口伝の例句である。
 「抜書口伝、四季送りの雑」
  年々や猿にきせたる猿の面  *芭蕉 元禄6
 此句_而、年旦にかぎるなり。
  明る夜のほのかに恋し嫁が君 *其角 元禄5。ほのかに嬉し。
 歳旦、かくのごとしにてもかぎるなり。但、好て知るはあしく。?ママ

引続錦紙 名所に雑の句の事
・ 此大事は翁も惜まれて、格式とばかり記されたり。
引続錦紙 口伝 無季の始
・ 雑の発句の事は、名将の出陣抔は、何の年何月何日、其年号月日まで、万代にしれたれば、季を入るるに及ばず。
・ 翁も湖十も、いづれの何月と発句の季を持なり。則、人に寄りての業なり。

○ 仮名遣ひの事

25y 仮名遣ひ               ↑ トップへ

 世に、定家卿のかな遣ひ※y01といふものあれども、あまりに繁きゆへに、まぎれてしれがたし。むかしはかなづかひの詮義もなけれ共、其後の事なれば大㯏[殸+木]概?しりて、埓の明事なり。
 されど、はいかいには、さむふとも、あつふともかくなり。さむう・あつう※y02と書ては、かな書の経文見るやうにてわろし。此類は心得あるべき事なり。
①  い イキク  鯛タイ・鯉コイ ノ類   <歴史的仮名遣い>鯛→たひ、鯉→こひ
②  ひ フヒヘ  葵アフヒ・雛ヒナ ノ類   <歴>雛(ひいな)→ひひな
 あるひは、ひゐなとも、ひゝなとも。此類はかなの序書といふなり。
③  を をんな 山をろし     <歴>颪→おろし
④  小桶、変体仮名をの字 をに同じ。  <歴>桶→をけ
⑤  変体仮名お おとこ おろし 桶   <歴>男→をとこ
⑥  緒  を 小 を  おの字はあたらず。
⑦  大  変体仮名お 尾   おの字はあたるなり。   <歴>尾→を
⑧  変体仮名は  は 同、上下に用。
⑨  変体仮名わ  上に用、三輪の時は下に用る事也。
⑩  ゑ  声 梢の類、又こずゑ、此時は末の字 心なり。
⑪  え  中のえ、消 きへ/きゆる 杖、机、   <歴>杖→つゑ
      此時は枝といふ古実※y03なり。
⑫  へ  かへ、かふる、是はハヒヘに通。
⑬  栄  はへ、是は古実なり。あへものの類なり。   <歴>栄え→はえ
⑭  縁  えむ、此類なり。衣更の下にフヘの口伝有。   <歴>縁→えん
⑮  ゐ  不ㇾ動類なり。盥たらヰ器ノ時なり/手アライトモ   <歴>盥→たらひ
⑯  紅  クレナイ、又ヰトモ。※y04   <歴>紅→くれなゐ
⑰  住居 雲のタヽズマヒ、山のタヽズマヒ。※y05
⑱  法師 ホフシ/ホウシ ホウシトハ古実なり。入声はホフシナリ。   <歴>法師→ほふし
⑲  雑  ザウ/ザツ  拾 シフ/シツ 此類すべて入声※y06。 <歴>雑(ぞう)→ざふ、拾(しゅう)→しふ
⑳  ち  とぢる/とづるの類、づに通ふはぢの字なり。

・ 赤字は、歴史的仮名遣い(青字)と異なるもの。


※y01 定家は、平安後期の文献をもとに、仮名の使い分けを「下官集」で示した。契沖が、記紀万葉の実例を基に「和字正濫抄、元禄6(1693)年」でその誤りを正し、復古仮名遣い(後の歴史的仮名遣い)を主張したが、定家仮名遣いは、明治初期まで広く用いられた。
※y02 ウ音便は、歴史的仮名遣いで「う」と書く。 寒ふ、暑ふ寒う、暑う
※y03 コジツ:故実読み、名目読みのこと。漢字で書いた語を古来の慣用に従って読む特別な読み方。「笏(こつ)」を「しゃく」、「即位(そくい)」を「しょくい」、「掃部(かにもり)」を「かもん」と読む類。

※y04 くれない〔くれなゐ〕【紅】《「くれ(呉)のあゐ(藍)」の音変化》
※y05 すまい〔すまひ〕【住(ま)い】 《動詞「す(住)まふ」の連用形から》
※y06 にっしょう:日本語ではチ・ツ・ク・キ・ウ(歴史的かなづかいではフ)で終わるもの。

 



巻末

 右者俳諧之新式有二十五ヶ条、最我家之節目也。
 即於落柿舎自書而、与去来
 見之識之可自己之俳諧
 不写他人。最道之尊重也。

・ 吾門・我門でなく「我家」とするのは、大抵支考である。

刊記

                 芭蕉庵
  于時元禄七甲戊六月日       桃青
                    判

 

  享保柔兆執徐春王正月吉※z01
                 花武錦城東
                   西邑養魚 蔵

        書肆       太田庄右衛門

 。

※z01 柔兆=丙・執徐=辰・春王=一月 → 享保21(1736)年1月



昼の錦/二十五箇条 関連ページ目録
其角伝受翻刻・校訂 昼の錦  元禄2年伝受・元禄17年相伝
米沢本を翻刻、横書きに変換。諸本と照合し訂正を加え、伝受時の芭蕉伝書を再現。
去来伝受校訂 二十五箇条  元禄7年伝受・宝永7年支考入手
初版本「昼錦抄」・宋屋本「昼の錦」・其角本「昼の錦」と照合、支考の改変部分が顕在化。
宋屋本 昼の錦・引続錦紙  宝永7年支考写本の写
初版本「昼錦抄」と、よく一致する。口伝集を併せて載せる。
校合・再現 昼の錦
諸本を校合、去来伝受本を再現。
許六伝受俳諧雅楽抄  元禄6年伝受
許六の発句作法書。口訣を得た内から、五箇条を「翁曰」と引用。
資料 資料「昼の錦/二十五箇条」 : 古今集・去来抄・七部集・三四考・寂栞などの関連部分をまとめる。
「二十五箇条」と諸伝書 : 山中問答・葛の松原・有也無也之関・貞享式海印録などとの関連を探る。
「昼の錦・二十五箇条」検討 : 去来相伝本、初版本・校正本・支考門本・宋屋本の表現を比較検討。
「二十五箇条」の伝承と空阿 : 空阿の遺品に「不易鏡」があって、宋屋本とほぼ同じ奥書を記す。
「昼の錦・二十五箇条」諸本の関連 : 其角伝受本と各去来伝受本とを比較し、校合の資料とする。

 ページトップへ