俳諧の作法 「昼の錦(俳諧廿五ヶ条掟)」・「引続錦紙(二十五箇条口伝)」

昼の錦・引続錦紙 索引
俳諧の道とする事俳諧の二字の事虚実の事
変化の事起定転合之事発句切字有事
脇に韻字ある事第三にてにはある事四句目の軽き事
10月花の事11花に桜付る事12当季を案ずる事
13二季に渡る物の事14発句の時は季に用る事15発句の像どりやうの事
16付句案じやうの事17趣向を定る事18恋句の事
19切字に口伝有事20さし合之事21辛崎の松の句の事
22鳶に鳶の句の事23宵闇の句の事24名所に雑の発句の事
25仮名遣ひの事巻末奥書


蕉門極秘昼の錦(俳諧廿五ケ条掟)

<経緯>
 この「昼の錦」と命名された「俳諧廿五ケ條掟」(以下廿五ヶ条)の奥書に、「元禄七甲戌六月付芭蕉奥書があるものを、宝永七辛卯三月十二日に支考が写」し、「百葉泉冨鈴が井泉斎磯音に伝譲」したとある。
 ただ、「晋子・去来・支考/秘伝書也」は誤りで、伝受したのは「晋子・去来」である。
 この書が世に出る契機は、「去来妾。去来死後伝書共、支考に売、乾金けんきん十五両(蕉門諸生全伝)」のとおりで、支考の手に入るのは、去来没後の宝永元(1704)年10月以後である。
 もっとも、「乾金」とは、「宝永小判」のことで、通用開始は宝永7(1710)年年4月15日であるから、支払いはそれ以後となる。
 このことについて、支考は、「八夕暮」(乃露編、正徳5(1715)年)に蓮二の変名で、「芭蕉門には廿五ケの条目ありて、先師ハ洛の去来に伝へ、去来ハ死後に東花坊に伝ふ」と、明かしている。「死後に伝う」とは、奇妙な表現であるが、「去来妾の在命尼から買い取った」とは書けなかったのであろう。

 支考の入手は、去来没後であるが、いつまでかが次で分かる。 
 「『二十五条』諸本の系統」(堀切実、昭和55(1980))によれば、宝永7年5月、支考が吾仲に与えた「二十五条」奥書に「右廿ケ条者依為碑石造立之時助力而感之悦之令伝写柳後園吾仲所也尤為道之親切也/宝永七寅五月 日/東華坊支考 印二」とある。時に、柳後園吾仲、38歳。双林寺仮名碑建立に功績があって、後日褒美として渡されたことになる。

 これ以前の支考の作を探ると、「夏衣」(宝永5年6月記、愛知県立大学図書館蔵)に、「是ただ先師の匙をとどむる処にして、虚に居てよく実なるべし。実に居てかならず虚なる事なかれ。しからば俳諧の俳諧にあらずして、俳諧は世情の工夫なりとぞしるべき」、「先師、むかしは、鳶に鳶の句……宵闇の一句を……その場の変化をしらざれば、……辛崎の松のとまり」、「公よく俳諧の道理にあそべ言語の理屈にはあそぶべからずと也」、「されば芭蕉門に一大事の師伝あり。…略…さればその一大事といふは趣向を定る事也。是を執中の法とはいふ也。物その中をとつて前後と見る時は千万の数とも」などとあって、「二十五箇条」の語を多用している。
 さらに、半年さかのぼる「南無俳諧」(宝永4年秋序、富山県立図書館蔵)を見ると、虚実・変化・道理などの単語は出るが、「二十五箇条」とは用い方が違う。これで、この間の入手と絞られる。
 この頃の諸集を探ると、吾仲の「百一宇」(吾仲編、宝永5(1708)年10月刊、愛知県立大学図書館蔵)に、「宇治嵯峨賦/今年の春は嵯峨野の花にただよふ。その中に……東花坊は西花坊ともいひてふたりの友におもひ置てそのほどの遊びを宇治嵯峨の二境に極む」とあって、この年の花の頃は嵯峨野にいたと分かる。
 以上で、支考は、宝永5(1708)年の夏までに入手していたと分かる。また、入手の機会は、同年晩春嵯峨野にあったと推測できる。

 支考の入手に際して、吾仲の存在は大きい。吾仲は去来の追悼句集を編んだ人である。推測の域は出ないが、吾仲の介在があったとしても、何ら不都合はない。

 さて、「蕉門極秘昼の錦」の奥書に、「伝書者東花坊支考之写/添書在判略之/宝永七辛卯三月十二日」とある。これも「支考の写」とあり、吾仲への伝譲からさらに2か月遡ることになるかもしれない。
 宝永7年の干支は「庚寅」、「辛卯」は翌8年である。「宝永七庚寅」、或いは「宝永八辛卯」と訂正されねばならない。
また、「3月12日」は、特別な日である。宝永7年のこの日、京都円山の霊鷲山双林寺において、支考が「仮名碑の建立と芭蕉十七回忌法楽俳諧」を行っている。翌宝永8年からは、この日に「墨直及び回忌法要」を行うから、年次の確定に至らない。
 このときに伝譲されたのは誰であっても差し支えないが、仮に「百葉泉冨鈴」であっても、宝永7年であれば、23歳。いささか若すぎるが、金銭的貢献があれば、書き写すことはできる。

<解題>
冨鈴は京に住む宋屋の別号で、原松門のち巴人門という。
 その師の原松に「星月夜、其角三十三回忌、元文4(1739)年序」がある。

 抑、新式の根元は貞享二年丑の春、晋子、伏見にて俳諧有し時、辛崎の松の句の難問を開きて後、東武に帰り、翁にしかじかの事をかたり、一流の伝目後来に授記せん事を、頻りに申ければ、工案三年を歴て、漸く貞享四年卯の五月の比、全部一軸とはなれりける。即、自筆にて晋子に授く。
 其後、去来に付属ありき。
去来、篤実の人之。晋子が吹嘘推挙によりて、爰に及べり。
此後晋子、祖翁に議て、八条目を作れり。去来八条目を増補して四十余条となす。
 元禄七年戌の冬、晋子嵯峨の落柿舎にて枯尾花を撰ず。折から去来に相議して、新式の闕漏を補へり。其中晋子が補あり。去来が補あり。 今両補以口伝分之而已 祖翁末後の門人、此伝書有事をしらず。支考が偽作なりといふは、大なる僻言也。支考は、去来死後の目録を得て、十論・貞享式・東花式等を自作すといへども、口訣、伝はらざれば、祖意に蹉へする事おほし。
 近来昼錦といへる書出たり。信用する者あり。認とどめテ驢鞍橋、為阿爺腮者乎。可笑。


元文4年序の「星月夜」に「近来、昼錦」とあるのは、享保21(1736)年正月刊記・元禄戊辰(元禄元年)六月日奥付の「昼錦抄」刊行を示している。 「夜の錦」は人には見えない。むだなこと、無意味なことのたとえである。「昼の錦」なら人に見える。 この書は、同年9月までに「二十五条」と改題、再印している。おそらく同名の書が先行していたのであろう。
 原松は、「昼錦」を信ずるのは、「阿爺下頷あやあがん」の愚と言う。
宋屋は、上洛した「其角門のち嵐雪門の巴人」門下である。巴人の上洛は享保12(1727)年で、宋屋の立机はさらに7年後の享保19(1734)年である。
 「昼の錦」という題は、「昼の錦・蕉門極秘茶話伝・(無題の諸伝)」の奥書に、
 北村季吟     松尾桃青
  宝井晋子 木者庵湖十 老鼠
       花洛 机墨庵宋屋
 秘訣一巻伝譲之前後共  此次之、
  はせを翁廿五ヶ条有爰に略す
  昼の錦と号連綿外に二巻
 元禄甲辰六月 蕉翁印二ツ
  ※甲戌の誤り
とあって、其角伝授の際に名付けられていたと分かる。貞門伝書「夜の錦」に対する命名か。
 本書は、「蕉門極秘昼の錦・俳諧廿五ケ條掟」の後に「蕉門極秘茶話傳・十七句法/一流諸口伝秘決・破魔弓抄/十六篇・不易流行論/付句のこと/曲定口傳抄/三つの鳥秘訣/引續錦紙/(諸口伝)」を納め、
 右墨付四十一紙は
   蕉翁桃青 晋子其角 湖十老鼠 巴人宋阿 冨鈴房宋屋 写誰文誰?

とする。
 これらは、原松が言う「此後晋子、祖翁に議て、八条目を作れり。去来八条目を増補して四十余条となす」ものに相当するかと思われる。
 巻末の識語には、
 毎日庵筆終 在判
   右 文政十一とせといふとし1828年 子の弥生の末伝而して写終
     夜毎庵左月 主人 嘯堂印

とある。
 左月の姓は江刺家えさしか、名は福治・左守・金七。盛岡藩花輪通代官。安政4(1857)年没。
 原本の「昼の錦」は、盛岡市中央公民館蔵。

引続錦紙(二十五箇条口伝)

<解題>
 「右墨付四十一紙」の一つで、「二十五箇条」の口訣・口伝に対応する内容を持つ。
 これは、其角門下の湖十門・巴人門で、「二十五箇条」のが存在が信じられていた証しである。また、支考が知り得ない内容も含むものである。


「昼の錦」凡例

1 「昼の錦」は何度も写し伝えたものである。初版本「昼錦抄」・校正本「二十五箇条」・美濃派相伝本「二十五ヶ条」と比べ、誤写と認められる箇所は赤字、相違箇所は下線で示し、諸本の記述は小文字を挿入した。
 ・ 何のためにするの言葉事ぞや。
 ・ 人をうらむる処なりあり
2 「昼の錦」の記述が分かりやすい箇所は青色で示した。
 ・ 裏の八句めに月秋月花をする
 ・ 起とは虚空界に向て、無念相の中に念相を起こすといふ、是を発句と云なり。
 ↑↓ 起とは虚空界にむかひて、無念相のうちに念相を●発句といふなり。
3 脱漏・省略箇所は、(括弧)に、諸本を参照して示した。
 ・〔脱漏〕 此掟は、(中品以下のためにして、)中品以上の人とても、
 ・〔省略〕  (口伝連歌の事あり)


蕉門極秘昼の錦/俳諧廿五ヶ条掟・引続錦紙

1 俳諧の道とする事

 ある人問曰、「俳諧は、何のためにするの言葉事ぞや」*1-1
 答て、「俗語平話をたゞさむがためなり」*1-2
 又問、「俳諧の道とする所如何」。
 答、「仏道に達摩あり、儒道に荘子ありてあつて、道の実有を踏破せり。歌道に俳かい、此如しとしる時は、常に道に反て道にかなふの理なり。俳かいのかたちは、歌・連歌の次に立て、心は向上の一路*1-3に遊ぶべし*1-4
(口伝一向宗の事あり)*1-5
(春秋心法獲麟之秘訣)*1-6

引続錦紙 俳諧の道とする事

 人問て曰、「はいかいは何の為に仕る事ぞや」。
 答、「俗語平話をたださんが為之」。
 此断は「常の噺しの如く也」と云う義なり。
 問、「俳諧の道とする所はどふ云事ぞや」と尋。
 答て曰、「仏道に達磨ありて、看破して悟を開く。儒道に荘子といふ者ありて儒の実者を踏破る。歌道に俳諧といふ物ありて歌道の律儀なる所を破て自由自在に仕る」。
と云事之。
 如此しる時は、常に返て道に叶ふの道理之。
 「俳諧の姿は連歌の下に立て、心は向上の一路に遊ぶべし」と云義は、「連歌の下には立とも、俳諧は自在にして連歌と同じ事之」と云義なり。一も二もなく平等の姿なり。


 伝 一向宗の事
 是は其角を一向宗門に喩て云。一向宗門といふはじだらく成宗門故、諸人多くなつく(懐く)也。是繁昌の心之。
 芭蕉の思入は末々に至りても、其角には、諸人おもひ付、蕉門広く栄ふべき末世迄、翁見届られて、其角を一向宗にたとへられたり。
 同 春秋心法獲麟の秘訣
 此義は古文の内獲麟の解也。
 去来を聖人にたとへたり。去来は、至てかしこき人にて、中々人のなつく所なし。翁の思はるるは、去来聖人の如し。一生門弟も付ず、我一代切也。
 依て、蕉門広むる事不叶。一代切と見届られて、其角には一向宗を授ると云義之。 
 則、去来を聖人にたとへ、其角をきりんにたとへるなり。

*1-1 「風雅は、なにのためにするといふ事ぞや」と「葛の松原」にある。何通りも答えがある中、「俗談平話を正さんがため」と応じるのは、支考への一針(次注参照)である。支考は盤渓禅師の元で参禅したことがある。禅師は、平易な日常語で禅を説いた人である。
*1-2 「俗談平話」について、「山中問答」に「俳諧のすがたは俗談・平話ながら、俗にして俗にあらず、平話にして平話にあらず、そのさかひをしるべし。此境は初心に及ばずとぞ」とある。
 また、「直旨伝」に、「(翁)又曰、「俳諧は俗談平話なり」といふを、誤れるにや、俗語をもて俳諧と心得たる有り。道に委しからぬ輩なるべし。俗中の雅言は俳諧なり。鄙俗語は俳諧ならず。俗談平話を正さんが為なり」とある。
*1-3 「向上一路」は「禅宗で説く、言語・思考の及ばない最上の境地」のこと。曹洞宗開祖道元の「正法眼蔵仏向上事」に「仏向上にいたらざれば、仏向上を体得することなし/如何なるか是れ仏向上の人/玉石全身百雑砕なり/蔵身するも露影/向上の道は不道なり/向上一路は不伝なり」とある。臨済門には「向上の一路千聖不伝」という言葉がある。円覚寺の大顛和尚に師事し、禅の修行をした其角に、直に響く言葉である。なお、禅を知らぬ北枝には「俳諧の道理に遊ぶ」と言い、深川の門人たちには「唯我門に遊ぶ」と言っている。
*1-4 「俳諧~遊ぶ」という言い回しは、上記のように芭蕉がよく用いている。「直旨伝」に「予、此道に遊ぶ事三十年、はじめて、其実を得たり」とある。
*1-5 「一向宗のこと」を「尼入道無知文盲のよく聞安く諸宗より高し」(抜書口伝、桃嶺子伝羽毛写)とあるが、下線部のような蔑む表現や、他と比較する姿勢は芭蕉の最も嫌うところである。「引続錦紙」のように、「人に慕われる其角」を喩え、本書が其角への伝であることを示したと解するべきである。
*1-6 韓愈の「獲麟解」に、「麟の出づるや、必ず聖人位に在る有り。麟、聖人の為に出づるなり」とある。「引続錦紙」は、「去来を聖人、其角を麒麟」に喩えたとする。
 「星月夜」(原松撰著,元文4(1739)年序)の「(其角が芭蕉に)一流の伝目、去来に授記せんことを、頻りに申しければ、工案三年を歴て、貞享四年卯の五月のころ、全部一軸とはなれりける。即ち、自筆にて晋子に授く。其後、去来に付属ありき。去来、篤実の人なり。晋子が推挙によりて、ここに及べり」とある。
 この比喩は、「其角が遠隔の門人去来のために尽力してできた」という芭蕉伝書の由来に、合致する。

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2 俳諧の二字の事

 俳諧の二字は、古来に穿鑿あり。或は、字書に、誹は非の音なりとも、或は史記の滑稽を引て、俳の字に定たるも、穿鑿の理は明かなり。
 しかれども、古今の集より、誹の字を用ひ来りたれぱ、此類は古実とて、誤る事も其通りに用る事もあるなり。尤、八雲御抄にも、俳諧と誹諧の二様あり。*2-1
 されども我家には、はいかいに古人なし*2-2と看破する眼より、玄とも妙とも、名は別にさだむべけれど、言語に遊ぶといふ道理を知らば、我家には、今より、俳諧の二字もしかるぺし*2-3。他門に対してせんさくすべからず。

*2-1 ここまで、季吟伝授「誹諧埋木 誹諧之事」の記述を踏まえている。
*2-2 「山中問答」に「吾門には俳諧に古人なしと看破する眼」、「葛の松原」に「俳諧に古人なしといふ事」、「直旨伝」に「予、常にいふ、俳諧に古人なしと」などとある。
*2-3 「山中問答」に「言語に遊ぶといへる道理に任せて、誹・俳の二字とも用ひて捨ず、他門に対して論ずることなかれと、翁申給ひき」、「直旨伝」に「翁曰、字義の論にかかはらず。只、はいかいといふ名にてよきなり。他門に対して論ずべからず。それを捨て、是を用る人、唯我門に遊ぶ人なり」とある。

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3 虚実の事

 万物は虚に居て実に働く、実に居て虚に働くべからず。*3-1
 「実」は、おのれを立て、人をうらむる処なりあり*3-2
 たとへば、花の散るを悲しみ、月の傾くを惜むも、実に惜むは連歌のなり。うそにをしむは俳諧の実なり。*3-3
 そもそも、詩歌・連俳は、上手に嘘をつく事なり。*3-4
 虚に世智弁といひ実に実あた虚に実あるを文章と云、実に虚あるを世智弁と云、実に実あるを仁義礼智と云。*3-5
 虚に虚ある者は、世に稀にして、或はまた多かるべし。此人をさして我家の伝授と云べし。*3-6

4 変化の事

 文章といふは変化の事なり。変化は、虚実の自在をいふなり。*4-1
 黒白・善悪は言語のあやにして、黒きをくろしとも、白き黒きを白しとも、しばらく変化の言語しばらく言語の変化にして、道理はもとより、黒白一合なり。しからば天地の変化にあそぶべく、人は変化せざれば退屈する本情なり。
 況や、俳諧は己が家に有ながら、天地四海をかけめぐり、春夏秋冬の変化に随ひ、月花の風情にわたるものなれば、百韻百勻百勻百句に変化すべき事也。その変化を知りても変化する事を得ざればざるは眼前目前のよき句にまよひて、前後の変化を見ざるがゆへなり。
 されども、変化といふに新古なき事は、人間の春秋にも新古なきがごとし。其日其時の新古を見て、一巻の変化に遊ぶべし。*4-2
 変化は大むね、料理のむまくあまく甘く淡くすく辛きが如きごとし。よきもよからず、あしきもあしからず、時に宜しきを変化とぬ所に、変化は虚実の自在よりと知るべし。*4-3

引続錦紙 虚実/変化
此段は、万物虚に居て実に動き、実に居て虚に動くべからずと云。
心はない物も有様に云なし、有物もなき様に云なす句は、実に仕る事なり。
情を絵のごとくにすべしと云義なり。
句のぬけがらなる体は、是見ぬ事の偽りなり。
是にて知るべし。
又、己を立て、人を定る所有とは、連歌の情の事なり。
或いは花のちるをかなしび、月の傾くを憐むは、皆、連歌の実なりと知るべし。
俳諧は、いろいろに心を配りて自由をなす。是、俳の虚なり。尤、詩歌皆、上手の虚なり。是を知るべし。
虚に実有は文章なり。
実に虚があるを世智弁といふは、詩歌連俳共に、こまかに様を見立るをいふなり。是世智弁也。
又、実に実あるを仁義礼智といふ。此段は皆其事を云義なり。
正直の人に嘘は無ものなり。又、実の人も俳諧はみなうそなりと知るべし。
又、少嘘あるものは至極世に稀にして、しかも多かるべし。此人をさして我家の伝受の人といふべし。
この段は右に云、実に堅き人も俳諧は皆嘘也。是をさして、我伝受の人といふべしとなり。味ひて知るべし。
勿論、虚におしむは俳諧の実也といふ義は、俳諧変化仕る故なり。第一、変化のもてあつかひなり。
<虚実>
*3-1 支考は、宝永4(1707)年3月以降に、去来の遺品から「二十五箇条」を買い取って後、宝永5(1708)年6月、「夏衣」に「是ただ先師の匙をとどむる所にして、虚に居てよく実なるべし。実に居てかならず虚なる事なかれ」と書いている。支考は、読み違えているか、同じ語を用いて意図的に改変しているかしている。
 「べからず」は当然の意の打消し、「するはずがない」の意を表す。支考は「禁止」と読んだ。芭蕉は、「万物は虚に居て実に働くもので、実に居て虚に働くものではない」という世界観を述べたに過ぎない。芭蕉は「虚に居てよく実なるべし」などと言っていない。
*3-2 ここから「虚・実」の意味が箇所ごとに限定される。実生活(俗世間)に身を置くと、自我が発動し我執にとらわれるということ。芭蕉は、「他の句を聞く事、大切の習あり。わが好かたを胸中にさだめては、人の句、聞がたし。われをはなれて、その句の天性を見るべし」(直旨伝)などと、折に触れ「我を離れる」ことの大切さを説く。
*3-3 「直旨伝」に「昔より詩歌に名ある人、多し。みな、其実より入て、実をたどるのみ。われは、実なきものより実を求んと思ふなり」とある。 ■ 接続語「たとえば」が分からない。
*3-4 これも支考の論ではない。相伝本「有也無也之関」に「俳句は、玄旨・貞徳伝の口訣に曰く、上手の虚を言ふがごとく綴ると言ふを、金言とす」とある。
「虚を実に綴るを、是とす」は「有也無也之関」に宗因伝口受として出る。この「実」も「虚構の世界に綴られた人の世の真実」ととらえれば、「虚」ということになる。
 「上手に嘘をつく」は「虚を実に詠む」と同義で、これは、玄旨・貞徳・宗因の伝であった。
*3-5 「山中問答」に「虚実に文章あり、世智弁あり、仁義礼智あり、虚に実あるを文章といひ、礼智といふ」とある。
*3-6 これも「山中問答」に「虚に虚あるものは稀にして、正風伝授の人とするとて翁笑ひ給ひき」とある。
 また「山中問答」に「蕉翁は正風虚実に志ふかき人を、吾門の高弟なりと誉給ひき」とある。
<変化>
*4-1 「直旨伝」に「虚実の間に遊て、しかも虚実にとどまらず。これ、わが家の秘事なり」、「有也無也之関」に「正風体は、虚実の間に遊んで、しかも虚実の間に止まらず。これ俳諧の根源とするなり」とあり、虚実の自在を語る。この「虚実にとどまらぬ」こと自体が「虚」である。
*4-2 「山中問答」に「然る時は、こゝろざし寛大にして、物にさはらず、けふの変化を自在にし、世上に和し、人情に達すべしと、翁申たまひき」、「一巻の変化を第一にして滞らず、あたらしみを心懸べし。好句の古きより、悪き句の新しきを俳諧の第一とす」とある。
 「直旨伝」、付け方について、「ひつとり・くらべ・ひつはり・くりつけ・うみ出し・よそへ、是より別れて、万体に変ずべし」とある。
*4-3 「師説録」に「深川の夜話に、嵐雪の論に『付句は、おほかた料理の甘し・辛し・すく・苦く、物によるごとし。能きも極て、能にあらず。悪きとても、亦、あしからず』と、いへり」とある。

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5 起定転合之事

 俳諧は上下とり合て、歌一首と心得べし。*5-1
 起とは虚空界に向て、無念相の中に念相を起こすをいふ、是を発句と云なり。
 一物起る時に相対よく生ず。是を脇といふ。はじめの一物定るなり。
 定の字あるひは請共、請は上の一物を請もつ心なり。されば、発句は陽なり、脇は陰なり。第三は一転して、一地天地より人を生ずるがごとく、人は天地より働くものなれど、しかも天地より出る処をしるべし。
 合とは、万物一合なり。歌にはの字の心なるべし。*5-2
 是より変化して、山あり、川ありて、一巻の成就とはいふなり。*5-3

引続錦紙 起定転合
一通は昼の錦二十五ヶに有。
起定転合の事は、一物を起して定る也。
又、転じて万物を一つに合する心なり。
*5-1 以下、連歌からの伝統。「誹諧小式」に「詩の法に起承転合とて、一の句にて心を起こし、二の句にてその心を承け、三の句にて転じ、末の句にて惣の心を合することあり。発句・脇・第三も起承転の心に来る、能候ふ」とある。
*5-2 「篇序題曲流」の「流」、「誹諧小式」に詳しい。「誹諧埋木」に「心敬僧都、この五つの作りざま(篇序題曲流)を、連歌にも、上下両句を、一つに吟じ合せて、心を得べしとなり」とある。
*5-3 「山中問答」に「一巻の変化を第一にして滞らず、あたらしみを心懸べし」とある

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6 発句に切字ある事

 発句の切字といふは、差別の心なり。物は其じやによつて、是じやと埓明るなり。たとへば、客と亭主との差別なり。*6-1
 たとへ切字ある発句とても、こころのきれぬ時は、発句にあらず。*6-2
  桐の木に鶉啼なる塀の内
 此句五文字にて、心をへだてたるなり。
 切字の事は歌にも詮義あり。先は発句の骨柄共云べし。

引続錦紙 発句切字
此段は切字入たるに、句迚も切ぬ時は発句ならずと云義なり。
  桐の木に鶉鳴なる塀の内
此句、塀の内と中にのの字を入、一句の首尾云切なり。
塀の内かなとは云れず。此のの字なくては叶はず。
或は、宵の雨・雲の月・松の花・花の春などと如此。二字の中を結ぶ故、むすびののと云切也。
他流の人是に疎くしらざるなり。此五文字にて心を隔たる也。
切字の事は歌にも詮議有。
先は、発句の骨髄と云ふべしと有。此句下の五文字にて心隔たりて切るなり。能々覚へべく秘事なり。
*6-1 支考は自論他論の区別をせず、しかも引用を誤るので読みづらいが、「俳諧古今抄ここんしょう」(支考著、宝永7(1710)10月12日再撰貞享式自序,享保14(1729)自惣序,享保15(1730)自跋。以下「古今抄」)に「むかしより切字の事は十八文字の品ありて、……。そもそも切字の用といふは物に対して差別の義なり。それは是ぞと埒をわけて、物を二にする故に始あり終ありて、二句一章の発句とはなれり」と書いている。埒は分けるものでなく、明けるものであるが、これは、十八体の内の「自他切」で、各論の一つである。
 「直旨伝」に「又曰、自他の分る所、言葉の休む所、是句の切なり」とある
*6-2 「直旨伝」に「又曰、詞を云残す所に、心あまりて、余情を含む。爰をさして、切といふ」、「山中問答」に「発句治定の時は切字おのづから有べし」、「去来抄」に「きれ字に用る時は、四十八字皆切れ字也。用いざる時は、一字もきれ字なし」、「元禄式」に「いづれの切字なしの発句も、いひきらぬ句はかつてなし」とある。

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7 脇に韻字ある事

 脇しつかりと、韻字にて留るといふは、まづは初心へのおしへなり。定の字にかなへんがためなり。*7-1
  色々の名もむつかしや春の草
   うたれて蝶の夢はさめぬる

 此句は、はじめてはいかいの意味を、尋る人の俳諧の名目まぎらはしとて、まどひたるを、そのところ、直に一棒をあたへて、蝶の夢を覚しぬる所、一相対に脇の体となれば、韻字・てにを葉、詮議もなし。*7-2
 とかくに脇は、発句の余情、景色の面白くなるやうにすべし。脇の身柄持たるは、脇の心にあらず。(口伝能のことあり)
 発句は客の位にして、ワキは亭主の位なれば、脇をおのれが心をまげても負けても発句に云残したる草木・山川の一字二字の風情を加へて、客の余情をつぐつくすべきなり。*7-3
 此ワキも蝶の一字にて、尋ねありくさまと見るべし。

引続錦紙 脇に韻字/能の事
 色々の名もむつかしや春の草
  打れて蝶の夢はさめぬる
此ワキ手尓葉なり。
是は翁・去来・其角・嵐雪の上手名人の事なり。
此場は必初心・初輩のすることにあらず。習を得て又せぬが習なり。
  此段能の事有  伝
是、能にたとへて云。発句はシテの如く始終をとぐる物なり。ワキはなかばに仕舞て、シテを請るもの也。
仍て、いつにても韻にて留べし。手尓葉ワキは極秘也。
 ワキ つらまひる蝶夢はさめぬる 捉まる
    夢はさめぬるつらまひる蝶
と上へ廻せば、韻字の留るなり。是、手尓葉ワキの習なり。
常にはせぬ事なり。
千句抔の時は仕ん也
*7-1 「直旨伝」に「翁曰、脇の留を韻字といふは、真名文字にて留る故なり。聯句の脇句は対なり。此格に倣ふて、韻字留といふ」とある。
*7-2 「直旨伝」に「脇体の事、五体三体など、姉小路殿伝、宗養・紹巴・昌琢・宗祇の発明の説あれども、俳諧は其発句に対して体を定めず。宜くすべし。定むれば古くなるなり」とある。
*7-3 「山中問答」に「脇の句は発句と一体の物なり、別に趣向・奇語をもとむべからず。唯発句の余情をいひあらはして発句の光をかゝぐる也」とある。
 「師説録」には「発句出来たらば、体の句か用の句を、又、有心無心、句の大中小にはたはりこだわり?、時節等まで、是をわきまへて、発句けしきならば、けしきの脇、人倫人事ならば、脇もまたこれに随う。或は、大に、或は中に小に、姿情・意味、其発句の機嫌にかなふをよしとす」とある。

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8 第三にてにはある事

 第三の留りに文字の定る事は、一句のさま、発句の様なれども、下のとまらぬ所にて、次の句へ及すべき為なり。此理を知る時は、にの字ての字にも限らずと知べし。*8-1
 されど、此句は第三のさま成と、百句の中に置ても撰出す程に第三のさま*8-2をしらざれば、やはり定りたる留り然るべし。*8-3
 世に韻字留に伝受ありとて、或は初桜、或は杜宇など、或は押へ字・抱へ字の事あり。それは、知らぬ人の推量なり。
  蛼もまだ定らぬ啼所*8-4 ※こおろぎ
 いづれの時か、我に此第三ありしが、一座をいましめて他聞をゆるさず。*8-5
 発句と平句とのさかひは、此第三の韻字にてもしるべし。
 されど、よのつねの第三はことかくまじき事也。

引続錦紙 第三手尓葉
○第三手尓葉有事
此段に云、「是をしる時は、第三留りへ『にの字』『ての字』にも限るべからずと知るべし」と有は、第三のさまをしる時は、「て留」「に留」及ぶまじといふ義なり。
其伝受、しらぬ人は、定りたるてにの留、然るべしといふ事也。
則、第三の格といふ事有。甚秘也。
百句の中に置ても、第三の句は撰出す程の習ひ有ゆへ也。是をさして翁、此所曰、「第三のさまを知る時はて留に留るも及まじと記されたり。
歌道にも、第一重き習ひにして、大極秘なり。
 蜩もまだ定らぬ鳴所  芭蕉
是、韻字留の第三なり。
すべて、第三は天地響く様にする事なり。此道理をしる時は、朧月・暮の雪・山さくら・杜宇・横霞等の季ある物に限らず、何にても韻字留る也。
異体の第三も同じ事也。

又、中七文字に習ひ有。中七文字に手尓葉の文字入ずして、手尓葉のあるやうに、響く字を以て仕立る定法也。
上五文字は手尓葉有、苦しからず。勿論、季有物に限らず、何にても留るといふ事也。
他流は曽て不知。
翁は凡人にあらず。化現なる故、此妙を感得して、蕉門正系の人の宝と伝え置れたり。能々、深厚の第三ならでは、必、此大事を伝ふべからず。
只、「第三は長高く発句のやうにせよ」と教置べし。
大極秘なるゆへをしむ事なり。
口伝も多し。天地人の有。

尚、口伝、三都の宗匠も、今、此大事を知たる人稀々成べし。
よくよく身命に替る程の弟子ならば伝べし。さなき門人には、無用とこそ。
  第三 春も未天下に名ある杜宇    貞徳
  発句 疱瘡の跡は遙にのぼりかな   其角
  脇  家老の髭の匂ふ橘       祇空
  第三 鴬の家の住居はかはれども   巴人
  第三 請て行味噌酒醤油数十程    園女
  第三 旅鮎の折々はねる水車     風光
   ○留の第三、覧の第三 口受有
  第三 大根のそだたぬ土にふしくれて 芭蕉
   同 蛸壺に誰はじかみを植えつらん 其角
   同 二番草取も果さず穂に出て   去来
   同 新疊敷ならしたる月影に    野水
   同 春日丸さすが湊の太郎にも   風光
   同 揃ふらん素あたま素足揃ふらん 老鼠

此第三は、岩城の露沾公にて、沾耳御舎に有し時の三也。木者庵、湖十の事なり。
  第三 第三は十七文字に極りて    風光
  第三 下肴を一舟浜に打明て     芭蕉

如此、第三のさまとは格式の事なり。
よくよく師伝を聞べし。大切の習ひ也。
又、異体の第三と云有、狂第三ともいふ。
*8-1 第三の姿や心について、「山中問答」に「第三は或は半節・半曲なり。次の句へ及すこゝろ、第三の姿情なり。て留は何の為ぞと工夫すべし。て留をはぶきぬれば、何留にてもよきぞとなり」とある。
*8-2 第三の様について、「俳諧埋木」に「第三は、脇の句によくつき候ふよりも、たけ高きを本とせり。句がらいやしきは、第三の本意たるべからず。また言ふ。第三は相伴の人のごとし。たけたかく優なるを希ふことにて候ふ。左様の義は、初心の人は学びがたし。風体をかざり、第三めきたる句作り、然るべく候ふ」とある。
 「直旨伝」に「翁曰、第三は大付にても、転じて長高くすべし」とある。
*8-3 第三の留まりについて、「直旨伝」に「古法には留りの沙汰なかりしを、宗祇・心敬の比より今の格式は立り」とある。
 「師説録」に「留はいつとても、て留にすべし」。
 「師説録」に「若し、さし合時は、もなし・なれや・らん・になどにて留るべし」。
*8-4 文字留の第三は、「ひさご」にも出る.
 歌仙「畦道や」、第三 觜ぶとのわやくに鳴し春の空    洒堂 : 空(名)+にて
 名詞の後の「にて」を省略した形で、にて留とみなすことができる。これが、活用語の場合は、「て」の省略形である。
 歌仙「炭売の」、   第三 花棘馬骨の霜に咲かへり   杜国 : 咲き返り(複動)+て
 歌仙「霜月や」、   第三 樫桧山家の体を木の葉降   重五 : 降り(動)+て
 歌仙「何とはなしに」、第三 田螺わる賤の童のあたゝかに 桐葉 : 暖かに(形動)+て

「に留」の多くは「て」の省略形である。
 歌仙「灰汁桶の」、  第三 新畳敷ならしたる月かげに  野水 : 月影+に+て
 世吉「旅人と」、   第三 鷦鴒の心ほど世のたのしきに 其角 : たのしき+に+て
 六句「霰かと」、   第三 舟当て櫂くぎらるゝ礒際に  荷兮 : 礒際+に+て

*8-5 文字留めの第三について、「直旨伝」に「又曰、古書にいはく、脇句手尓葉なれば第三文字留といふも、懐紙に仮名の並ばざるやうの書法より定りたり。是如くの事は功者達人の業なり。初心は常の留りをよしとす」とある。

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9 四句目の軽き事

 四句めは決前生後の句なれば、殊更大事の場なり。
 かろく軽みといふは、発句・脇・第三までに骨折たる仍なり。
 唯、やり句する様に云なしたれど、一巻の変化は此句よりはじまる故に、万物一合とは註したるなり。すべて、発句より四句め迄にかぎらず、或はおもく、或はかろく、或はやすく、或はむづかしく、その句其時の変化を知べし。
 此掟は、(中品以下のためにして、)中品以上の人とても、此掟の所以といふ、なをしらざれば、自己の俳諧くらき人と云ふべし。

引続錦紙 四句目軽き事
○四句目軽き事
四句はくわい前決前生後句なれば、殊更大事の場なり。宗匠仕べき所也。
一巻の変化、此句より。発句・脇・第三は天地人なり。四句目は一巻の始り、発句なりと知るべし。

ある発句仕はづしたる宗匠する物は、月。花に桜、いとさくらの事抔、二十五ヶ条にて書顕して済。
11に続く
* 「師説録」に「四句目は軽くすべしといふ事、昔よりの教なり。さるを心得違てやり句するやうに覚たるは誤なり。蕉門の説には、四句目を変化のはじめとす。大切の場なり。すらすらとするは作のこゝろへなり。此故に也留にするが宜しなどもいへり。その旨を知らば何ぞかゝはる所あらん」とある。

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10 月花の事

① 月花は風雅の的なり。月は月々にあり、花は四季に有て、四花八月とも定めたるなり。
②-1 されど、なごりの裏の月を略す格にて、
②-2 歌仙の時は二花二月とも有義也有度事也
③ 表の五句め月ありては、裏の八句めに月秋月花をする、花前の秋季もむつかしく、秋季の植物も仕がたし。
④ 秋季の発句ならぬ時は、表か裏かに月ひとつありてくるしかるまじき事にや。
⑤ 此後器量の人も有べし。それも、一座のあひしらひあしらひ有べし。
⑥ 初心の人はいかゞ、月は七句め、花は十三句めに有る事、ひたと他人にゆづる時宜なり。
⑦ いづこに有ても子細あるまじき事なり
⑧ すべて、月花は風雅の道具なれば、なくてかなはぬ道理を知りて、さのみ月花の句に新奇をもとむべからず。
⑨ 一座の首尾よろしきに随ひて、毎々の俤の有句なり共、其時の程よきやうに付て置べし。さして、奇怪を好まず

引続錦紙 -
ある発句仕はづしたる宗匠する物は、月、花に桜、いとさくらの事抔、二十五ヶ条にて書顕して済。
① 連歌本式の月花各十句去から、連歌新式の七句去を経て、四花八月に定まった。
②-1 後、8句しかない名残の裏は、月を略すのが通例となり、四花七月となった。
 「宇陀法師」に「月の句八つなり。名残の裏には、なくてもくるしからず」とある。
②-2 芭蕉一座の歌仙に二花二月の巻は見当たらない。また、苦慮した話も見当たらない。「有たきことなり」と書くはずがない。ここは「有る義なり」であろう。「義」は「道理」の意。
 この部分を「名残の裏が6句の歌仙は、なおさら二花四月はし難いので、二花三月となる。とは言え、したことはないが、次の理由で」などと補って読むと、一応了解はできる。
 しかし、歌仙は名残の裏の月を略して二花三月だから、この節は、前半②-1にまったくつながらない。「今は四花七月となりたり。また歌仙のときは二花三月と有る義なり」などとあるべきところである。
③ 初表の五句目に月があっては、「初裏の八句目に月秋」になるような書きぶりである。秋季は五句去だから、初ウ7に秋月を出せば、まったく問題はない。しかし、「ひたと譲って」初ウ8になることはよくある。実際「七部集」の「発句の季が秋以外」の歌仙で、初ウ8を秋月としたものは6巻もある。「花前の秋季も難し」いが、工夫のしどころである。「秋季の植物も出しがたい」とあるが、花前であれば季にかかわらず出しがたいのは当然のことである。ただ、「直旨伝」にも「花の前に秋季を遠慮すべし」とあって、これは芭蕉の言に相違ない。
④ 「も」で意味が随分変わる。板行本は「も」を抜いている。
⑤ 前の一文を拠に、初表の月を略す式を立てる輩が出るが、全くの心得違いである。後の一文に「一座のあしらい」とあるとおり、其時其座だけの捌きは許されようということである。
 「師説録」に「実に道をあきらめ、自然に師とも仰がるゝ輩、其座、其時の運び、変化、物好にて、古になき変格をもなす事あるべし。是は其座限りの事にて、又すべくもあらず」「すべての変格、子細も知らず、みだりになすものあり。変格を、格式にとるは、不学の誤なり」などとあるのが芭蕉の説である。
⑥ 「宇陀法師」に「月花の座、定まれる所なし。七句・十三句目は、下の句にてすまじきためなり。一座の時宜に依て、七句・十三句迄延たる事なり」とある。
 初表7句目に月、裏十三句目に花ということ。話が百韻に戻っている。
⑦ 「宇陀法師」に「月花の座、定まれる所なし」とある。但し、「折端に月をこぼせる、稀にはあり。故ある事と心得て、猥りにすべからず(師説録)」、「翁曰、月といふ字は五句隔つと新式に有り(直旨伝)」、「月は上の句を賞翫とす。落月無月はつゝしむべし。法にはあらず(直旨伝)」などのことがある。花については「翁曰、花四本のうち、下の句(短句)一句ばかりはあり。まれにも定座をこぼす事なし(直旨伝)」とある。
②-2~⑤が異質であり、芭蕉俳諧の実際に合わず、極めて胡乱である。それを除外し、以下のように読むとつながる。
 月花は風雅の的なり。月は月々にあり、花は四季に有て、四花八月とも定めたるなり。
 されど、なごりの裏の月を略す格にて、(今は四花七月となりたり)。
 (とは言え、)初心の人はいかゞ、月は七句め、花は十三句めに有る事、ひたと他人にゆづる時宜なり。
 (月花は、)いづくに有ても子細あるまじき事なり
 (しかし、)すべて、月花は風雅の道具なれば、なくてかなはぬ道理を知りて、さのみ月花の句に新奇をもとむべからず。
 (また、)一座の首尾よろしきに随ひて、毎々の俤の有句なり共、其時の程よきやうに付て置べし。さして、奇怪を好まず。

②~⑤の略した部分について、次のようなものであれば、芭蕉の言として認められよう。
 されど、名残の裏の月を略す格にて、今は四花七月となりたり。
 又、
歌仙のときは二花三月なれども、花一本を桜にて済ますことあれば、二花二月とも有る義(=道理)なり。
 表の五句目に月ありては、裏の八句目に月秋をする事、花前の秋季も難しく、秋季の植物も仕がたし
 秋季の発句ならぬ時は、(初折の)表か裏かに月ひとつありてもくるしかるまじき事にや。
 此後器量の人、古になき変格をもなす事有べし。それも、其座限りの事にて、一座のあしらひ有べし。

 「古今抄」に、「詮ずる所は、宵闇の荻に、唯今の月の面影を含せて、月といふ字に古法を捨ざる。遠くは歌仙に二花二月の先兆といひ、近くは当座の妙用といふべき也。しかれども、此等の捌きは、故翁に、例の変通ならんに、我門の学者にも、ひとりふたりは聞あやまりて、宵闇を、いつも月なりといへる。師道の興廃は、ただ門人に在りて、百世におそるべきは、遺訓のさたなり」とある。
 これは「23宵闇の句の事」についての評であるが、それは「三句の心に月をもたせ」て月に捌き、二花三月としたものである。これを無視し「二花二月の先兆」といい曲げるのは、牽強付会と言わざるを得ない。「貞享式海印録」の支考評に、「折々自己の見を師に託すと、論に長じて、身を省みぬ失あり」とあるのはこの辺りのことか。

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11 花に桜付る事

 世に花といふ時は、さくらの事なりといふ人もあれども、花とは万物の心の花なり。*11-1
 たとへば花聟・花嫁の類、茶の心花出花・染物のはなやかなるも、其物其物の正花なれば、花とは賞翫の二字に定まりぬ。*11-2
 いづれの花にても、春季にして、植物には三句去るべし。花は春の発生するものなれば、古しへより、花に桜を付る事、伝授有とて、初心にはゆるさず。*11-3
 或は、さくら鯛など、前の花にあらざる桜ならば、明らかに知りてしつて付べきなり。*11-4
 花前の植物も、此類にて知るべし。*11-5
 花は桜にあらず、桜にあらざるにてもあらずと云こと、我家の伝授とは知るべし。
(伝いとざくらの事あり。)*11-6

引続錦紙 糸桜の伝
9から続く
ある発句仕はづしたる宗匠する物は、月。花に桜、いとさくらの事抔、二十五ヶ条にて書顕して済。
 ○ 右糸桜の伝は
○歌仙二十句にても、三十句にても、三十四句にても捨る事、蕉門一流なり。
猿蓑集の中、末の花に、糸桜、作者は去来也。
二十五ヶ条に
「花は桜にあらず、又は桜にあらざるにもあらず」と有。
名残の座に糸桜と仕たるは、全く此歌仙三十四句にて終わる故なり。
いと桜と揚句は捨たりて、又、発句・脇出来る心なり。
歌仙に花一本にて済すはいかにといへば、月二つにてゆるす心なり。
秘すべし。
*11-1 「直旨伝」に「花は桜のことながら、都て春の花をいふ。是等を正花に立ずしては、花の句多く出るゆへに、却て賞翫軽し」とある。
*11-2 「賞翫の花」・「正花」について、「直旨伝」は「或は賞翫の花の句、前句への付意や、又其句の心から」以下、説明する。「正花」の分類は「貞享式海印録まとめ」を参照。
*11-3 「直旨伝」に「花に桜付る事、むかしは花衣・花の袖などやうの物には誠の桜をつけ、誠の花には、桜鯛・桜人のごときものを付たれど、当流は是を用ひず。花は花、桜は桜と分明に付るを習ひとす」とある。
*11-4 桜鯛の外、桜人・桜貝など。前句が「直旨伝」に「花に桜付る事、むかしは花衣・花の袖などやうの物には誠の桜をつけ、誠の花には、桜鯛・桜人のごときものを付たれど、当流は是を用ひず。花は花、桜は桜と分明に付るを習ひとす」とある。
*11-5 「師説録」、「花前に植物差合時は、似せものの花をする習なり。其時は、其一句は雑にて前の植物にかまはねども、其句に春を付て正花に扱ふ故に、後をば植物定式の去嫌にする法なり。此格ありといへども、花前に心なく植物を出す事、双なき無礼なり。急と制して其句を戻すべし。面々慎てすべからず。~」と詳しい。
*11-6 「直旨伝」、「翁曰、花と桜の事、細川玄旨法印より秘して花咲先生へ口決し給ふ正伝ありといへども、其後更に用るものなし。門人去来、予の猿蓑の巻に末の花を略して、彼伝を顕すことあり。惣じて桜一本の時は、咲く・開く或は莟などいふ字を置べきなり。是正花に立る習なり」。
 「師説録」、変格の心得に「桜を正花にする事も秘事なり。猥にあらせまじきためなり。句作、尤、習ひあり。~ 他の説に心得しるとも、故なくてすべからず。此外にもさまざま伝授の秘事なきにしもあらず。すべて伝授とする事は、大方は用なき事、或は至極の事、或は全くすべきことにて、是等みな秘蔵とせり。猥りにゆるすときは、半途の人、しり顔に珍事を求て、常になし侍る故、秘して教ざるなり」とある。

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12 当季を案ずる事

 月花の句にもかぎらず、四季の付句に其季を案ずる事、前の二三句かろき時は、当季を捨て経て、趣向より案ずべし。
 たとへば、獅子舞と趣向を定めて、門の花とあしらひ、長刀と趣向を定めて、橋の月とあしらふ。前の二三句おもき時は、尤、其当季より案じて、花・鴬・月・露の類に、一句の風情を付べし。
 されば、此二つの案じかたは、変化の為なる事を知るべし。

引続錦紙 当季を案ずる事
○当季を案ずる事
此段、付句の案じ方なり。重く軽く変化して自在なるをおもふべし。
 口伝、蕉流に「眼字」といふ秘事有。末々源氏の所に委し。
 芭蕉流の付方は句の自由つかへる事なし。
・ 「直旨伝」に「雑の句に、三つの義あり。一には、二季兼ねたる句。二つには、当季のものふたつ三つとり合せて、いづれの季を題ともわかちがたき句。三つには、当季ひとつにても其季を題とせず、其所を題とし、その事を題として、その季はあしらひものに仕立たると、なり」と出る。題詠の格とすることになる。下線部は、「当季を捨てる」ことに該当する。

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13 二季に渡る物の事

① 古へは、二季にわたるものをば、後の彼岸といひ、秋の出替といふ。されど、前句の秋に付る時は、後の字にも及ばず、秋季なり。此類は数多ある事なり。或は、節句の二季二字に名目を付る時は、大かた植物のさし合あり。是また、前句の季にしたがふべし。*13-1
② 西瓜は秋季よろし。牡丹を夏にする(類)なり。夏季には瓜の類おほし多故なり
③ 星月夜は秋季なり。月にはあらず。発句に此詞ある時は、七句めに他の季にて、異名の月あるべし。
④ みそさゞいは、秋の小鳥に入たれども、かならず冬の季しかるべし。ことに十月の比をかしおかし*13-2
⑤ 青葉は、夏季にあらず。若葉として夏季なり。
⑥ 淡雪は、春季もしかるべし。
(口伝新古式法あり)
⑦ 虫・砧の類は、(夜分の心ならでは面白からず。されど、)夜分にさし合なし。
 其外は、此類にてしるべし。
 古式には、是等の詮義なし。
⑧ 「鐘の音」「砧うつ」とはせぬ事なりとぞ。「鐘のをと」「衣うつ」とは云べし。
(口伝子タノコトアリ)*13-3
 されば、よく知りてするは、一座の働き扱ひによるべし。

引続錦紙 新古式の法伝
 新古式の法伝
連歌の古式・新式には何の季に出たりなどと、其詮議に及ばず。
芭蕉流にては、「此のごとく仕るべし」といふ義なり。
必、他門に向ひて論ずべからず。
蕉門にては、此のごとく用よとは伝なり。
引続錦紙 口伝 寝たる事
 口伝に ●寝たる事有
虫・鐘・砧・鹿等は、いづれも夜分が感情也。宵寝抔して、又、暁寝覚に聞いたりて、感情なれば、此心持に仕るべし。
口伝に寝たる事有とは、此趣なり。
是等の景物の事共は、山海抄に委し。
 「芭蕉翁徒然草」「三四考、芭蕉翁口授」「蕉翁口授二十五条」はいずれも由来が分からず、芭蕉の伝と言うことはできない。
 しかし、許六は、「宇陀法師」で、「題の事、一様に心得べからず。時鳥は、野山を尋てきく心を云。鴬は、待心をいへ共、尋て聞心をいはず。鹿はあはれをいひて、待よしをいはず。桜は尋ぬれ共、柳は尋ず。初雪は、まて共、時雨・あられ霰はまたず。花はをしむといへ共、紅葉は惜まず」と、「芭蕉翁徒然草」や「三四考、芭蕉翁口授」同様のことを挙げ「かやうの故実をしらぬ人は、無下の事なり」と言う。
 「芭蕉徒然」や「蕉翁口授」は、「二十五箇条」から採録した可能性はあるが、その板行前の蕉門俳人に広く流布していたと思われるので、一応一覧にして掲げる。
昼の錦(二十五箇条)芭蕉翁徒然草三四考、芭蕉翁口授
①二季にわたるものをば後の彼岸といひ秋の出替といふ出代り彼岸薮入りは二季に渡る出代彼岸薮入二季に渡る春秋の季なくとも前句のうつりにて其季を定む
②西瓜は秋季よろし西瓜は秋にして夏にも用ゆ西瓜は秋にしてよし
③星月夜は秋季なり月にはあらず星月夜は月夜に非ず秋なり星月夜は秋季にて賞翫の月にはあらず(直旨伝
星月夜は月にならぬなり
師説録
星月夜秋にして月には非ず
宇陀法師
④みそさざい秋の小鳥に入たれどもかならず冬の季しかるべしことに十月の比をかしみそさざゐ秋の鳥なれども冬にしてをかし
⑤青葉は夏季にあらず若葉として夏季なり青葉は雑にもまた季にも若葉は春のこと勿論なり青葉は草にても雑または夏なり青葉雑にも季にもする草の若葉春のこと勿論なり草の青葉は雑なり
⑥淡雪は春季もしかるべし淡雪は春なるべし淡雪は春なるべし
伝蕉翁口授二十五条
⑦虫砧の類は夜分の心ならでは面白からず虫の声砧夜分ならず夜分結ぶもおかし虫の声砧夜分ならず夜分結ぶもをかし
⑧鐘の音砧うつとはせぬ事なりとぞ鐘のをと衣うつとは云べし鐘の声としてよし鐘の音(ね)とやせんとはいへど歌にもよむなり鐘の声はよし。鐘の音とはせぬといへども、歌にもよむなり
・ ⑥は支考の挿入だとする説があるそうだ。果たしてそうか、「淡雪」について、芭蕉の捌きを見る。
 ㋑ ちらちらや淡雪かゝる酒強飯   荷兮 元禄2年「曠野集一、雪の部」地発句
 ㋺ あは雪のとヾかぬうちに消にけり 鼠弾 元禄2年「曠野集七、冬の部」地発句
 ㋩ 淡氣の雪に雑談もせぬ      野坡 元禄6年「炭俵『振賣の』歌仙」初ウ4
 ㋥ 淡雪や雨に追るゝはるの笠    風麦 元禄7年「続猿蓑、春の部」地発句

・ ㋑は、「雪の部」に入るが、雪は冬とは限らない。しかし、「酒強飯さかこわい」は、「酒を醸造する蒸した餅米」なので、初冬にふさわしい。
・ ㋺は、「冬の部」にある。
・ ㋩は、前後の句が無季なので、「冬季」に決まる。また、「淡雪」が春季に定まっていたとしても「淡気」であるから「冬季」となる。
・ ㋥は、「春の部」に入る。「春の笠」とあって、春季と決まる。
 こう見ると、後年は春季に捌いたかのように見えるが、決してそうではない。「句柄」で季を捌いていたのである。例え「雪」一文字でも、春に捌くことがある。
 → 名オ1 糞こえを引雪車そりもをかしき雪の上 芭蕉。元禄2年「金蘭集『星今宵』二十六句」。
 これは、3句前は無季、2句前が花、前句に「長閑」と続くので春季に決まる。
 その他、雪を春季に捌いた例は多い。貞享元年以降の芭蕉一座の俳諧から、以下にすべて挙げる。
  名オ1 不二の晴蜆に雪を斗り見る    木因 2句前に花 貞享元年「師の桜」歌仙
  名ウ4 春のしらすの雪はきをよぶ    重五 2句前に花 貞享元年「霜月や」歌仙
  二オ1 残る雪のこる案山子のめづらしく 朱絃 2句前に花 貞享3年「日の春を」百韻
  第三  春ふかき柴の橋守雪掃て     又玄 発句が花  貞享5年「何の木の」歌仙
  初ウ12 しみづほり出す如月の雪     夕菊 前句が花  元禄元年「皆拝め」三十句
  初ウ12 雪のふすまをまくる春風     路通 前句が花  元禄2年「水仙は」歌仙
  第三  掃よせて消る雪をやかこふ覧   路通 発句春   元禄2年「衣装して」歌仙
  挙句  ながるゝ雪に道すべる岡     三園 前句が花  元禄2年「いざ子ども」歌仙
  二オ1 残る雪舅に見せん里がくれ    園風 2句前に花 元禄2年「暁や」五十韻
  初オ6 鴬の音にたびら雪降る      凡兆 素春    元禄3年「灰汁桶の」歌仙
  名ウ4 うす雪かゝる竹の割下駄     史邦 花前    元禄4年「梅若菜」歌仙
  名ウ5 里裏のすゞみ起せば去年の雪   野径 2句前に花 元禄5年「刈かぶや」歌仙
  脇   吹揚らるゝ春の雪花       嵐雪 発句春   元禄6年「蒟蒻に」歌仙※非正花
  発句  野は雪に河豚の非をしるわかな哉 凉葉 当季春   元禄6年「野は雪に」歌仙
  初ウ12 寺のくれ木をながす雪水     岱水 前句が花  元禄6年「風流の」歌仙
  脇   日より日よりに雪解の音     芭蕉 発句春   元禄7年「五人ぶち」歌仙
  初ウ11 雪の跡吹はがしたる朧月     孤屋 2句前に花 元禄7年「空豆の」歌仙

 「淡雪は春季もしかるべし」は、「淡雪は冬季だが、春季と扱うこともできる」と解せ、芭蕉の言葉として、何ら問題はない。
 支考が挿入するなら、「淡雪は春季に定むべし」となることは、「古今抄」を見れば明らかである。
 → 「淡雪、この名は古今の論ありて大昔は春と云ひ、中昔は冬と云り。今按ずるに、淡雪は冬に用べき所以なし。雪の斑なる形容は、初雪とも云ひ、薄雪とも云はん。春の雪の平白ならんも、日影にちりて淡雪ならんも、寒気の淡和あわやかなる故なれば、淡雪は決して春と定べし。此等は例の加減とも、例の当用ともいふべき也」
 「直旨伝」に「私に法を作りて、是を守れとは、恥べき事なり」「変格を格式にとるは不学の誤なり」とあるのは、芭蕉の基本姿勢である。支考の姿勢とは全く違う。
*13-1 植物の指合……人日・上巳・端午・七夕・重陽の五節句。それぞれ、七草・桃・菖蒲・笹竹・菊と差し合う。
*13-2 みそさざいは「古今抄」にも出るが、「十月のころをかし」が欠ける。
「斥鷃みそさざい 此式は全く当用なり。古抄には秋にして、渡鳥の部に入たれど、山雀・日雀の類にはあらで、斥鷃のみ物に連立す。民家の軒に馴て馬防ませを伝ひ、水棚にあそび、声の清みたるは殊更に寒し。増て春帰る姿も見ねば、決して冬とさだむべし。此等を姿情の例と云はん。」
 下線部、意味が分からない。「見れば」なら、冬に決まる。
*13-3 「寝たる事(子タル事)」を「ネタノ事」と読んだか。「引続錦糸」の外、管見に入らない。

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14 発句の時は季に用る事

 或は、夜着・布団・足袋・頭巾の類、扇・袷など、よのつねの用る物多し。
 発句にする時は当季にして、平句にする時は、さし合をくるべからず。されど、一句のさまにて、慥に(冬、たしかに)夏と見ゆる時は、其詮議には及まじ。此掟は道理のさし合を知て、文字の指合を穿鑿すべからずとなり。

* 「三四考、芭蕉翁口授」は、簡潔に「袷・布団・夜着・扇など、発句の時は季になる。付合の時は雑にもなる。前句、作りやう次第なり」とある。これは、「二十五箇条」から採録した可能性がある。

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15 発句の像どりやうの事

 発句は屏風の画とおもふべし。*15-1
 おのれが句を作りて、目をふさぎ、画になぞらへて見るべし。死活をのづから顕らママるるものなり。*15-2
 この故に、俳諧は姿を先にして、を後にすと云なり。*15-3
 すべて、発句とても、付句とても、目をふさぎて、眼前に見侍るべし。*15-4
 心に思ひはかりてはかつてするは、推量なり。目に見て付ると、心にはかりて付ると、自門・他門のさかひ、紙筆の上に尽しがたし。諸集の付合を見て工夫すべし。
(口伝連歌の事あり)

  右上巻十五ヶ条終

引続錦紙 発句像やうの事
此段、蕉流大切の案ずる所也。
先、目をふさぎ絵に準へて見るべし。
死活の句、おのづから顕るる物なり。
絵に書る句を肝要と案ずべし。
秘すべし。
引続錦紙 伝に連歌の事
 伝に連歌の事有
とは、発句は長高く連歌の心に可仕といふ義也。
発句をさして、国常立命あらはれたまふより、天神七代とはなりぬ。
発句より脇を産出して、夫より第三と成就して段々と続くる也。
皆、発句より生ず。されば也。
兎角、発句、位高く、幽玄第一と作る。
*15-1 屏風絵の特色は、時空の推移を表すところにある。
*15-2 「直旨伝」に「(翁)又曰、発句は大方、物語のやうになる物なり。とかく主人公をたてて、いかにも句になるやうに作配可然。主人公なきは絵にかゝれぬ物なり。絵にかゝれぬは、発句にあらず」とある。
*15-3 情・姿について、「師説録」に、
「景色と風情との句を、同じ事におもへるも有り。これも、誤なり。景色は、付せめたる欝気をさます場の外はなし。風情は付責るうちにも句に人を出さずして、人の上を聞かず、句にて付あふたる二句の間に其人・其住居などみゆるなり」、
「句毎に風流と風情とを失ふべからず。風流は心にあり。風情は姿にあり。風流なきは俗に落、風情なきはしほりなく匂やかならず。句作、利口あるはいやしく、いひつめたるは付べきはこびなし。但、此風情といふは、初にいふ風情の句と称るものとは別なり。こは、何の句にもせよ、一句一句のよそほひをいふなり。是を失ふ時は、句々木の切、石屑を見るがごとく、人体の皮肉を去りて、骸骨を顕はしたるが如く、つたなく、卑しく、きたなし」とある。
「姿情の伝」、去来の奥書に、
「芭蕉翁曰、俳諧に姿情の事は我家の大事にして、是をしらざれは誠の発句をなす事かたし。姿は物の形也。情は物の心也。風雅あるを姿といひ、風雅なきを形といふ。情と心とも、又しか也。俳諧は姿を先にして、情を後にと心得べし」。
*15-4 「直旨伝」に、「他の句を聞く事、大切の習あり。わが好かたを胸中にさだめては、人の句、聞がたし。われをはなれて、その句の天性を見るべし。うち聞より、よく感ずる句あり。これは、人をして、よく感ざしむ句なり。又、深切に聞ざれば、聞へがたき句は、意味深長の句なり。強てまかりて聞て、漸聞たるは、まことに聞ゆる句にあらず。其句の入ほがなり。聞人、正しければ、是を咎るなり。己くらき時は、ともに作者の邪路に入て、是を聞とりたりとす。志あさく、さかいに入らぬ輩、幽玄の心、おぼろげにもさとりしるべからず」とある。

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16 付句案じやうの事

蕉門極秘昼之錦
  俳諧廿五ヶ条下巻

 付句案じやうの事
 発句は格別の事なり。付句は其座にのぞみて(、無性に案じぬが能なり。我心なずみぬれば)、趣向もしづみ、我草臥より人も草臥て、一座成就せず。*16-1
 付句は初念の趣向より、心を落しつけがよき也。
 此故に、趣向を定るに伝授あり。*16-2
 総じて工夫は平生の事なり。其座にのぞみては、唯無分別なるべし。*16-3
 定家卿も「歌は深く案じ入らぬものなり」と仰らし由。
 付句は、第一に調子のものなればなり迚も、はやく出すべからず。なしとて、ひさしく案じ入べからず。*16-4
 よきもよくもあしきも、一座の程を知りてこそ、俳諧の世情に便ある修行なりとは知るべけれ。
 但、大事の付句などは、先、言を放して、後に思ひかへせば、心のむすぼれも解て、格別の事あり。
(口伝兵法の事あり)

引続錦紙 伝 兵法の事
 伝兵法の事も有
是は先より打時請て、又、先よりつよく打は、ひらいてはづす心なり。
請つはづしつして、さまざまと働く事也。
前句のむづかしき時は、よけて、むづかしみをはづし、かるみに付、又、前句なぐり成時は、此方より、少し重く付るなり。
兎角、変化して、自在を働く所、是、剱術の如く成と知べし。
伝灯なき人はしらず。
*16-1 「直旨伝」に「翁の詞、かやうに其人によりて、一筋ならず。彼と是と工夫して偏執をはなるべし」。
*16-2 「山中問答」に、「世人俳諧に苦しみて俳諧のたのしみを知らず。附句の案じやう趣向をさだむるに心得あり」。
*16-3 「山中問答」に、「工夫は平生にあり。席に臨では無分別なるべし」。
*16-4 同様の趣旨で、「直旨伝」に「揚句は付かぬやうにといふ古説も、一句に成て、一座退屈し、興醒るゆゑにかくいふなり。又兼て按じ置ともいへり。ものに著すべき俳諧などは、跡にて付直すべし」とある。

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17 趣向を定る事

 俳諧の付合は、先、趣向を定むべし。其趣向といふは、一字、二字、三字には過べからず。是を執中の法と云なり。
 物、その中をとつて前後を見る時は、百千の数ありて、前後を近く、人は、始より案じて、終りを尋る故に、その中隔りて、暗し。
(口伝源氏物語の事)
 たとへば、表八句の趣向、
   初桜 塗笠 暖簾 村雨 鷺 手習子 月 新酒
 此の如く趣向を定め置て、(あるひは作にも、或不作にも、)或はかたく、或は和かに、黒白青黄のすがたを作るに、皆、只句作のてづまなり。
 此法をしらざれば、人の俳諧に驚く事あり。尤、二字三字の趣向より、変化のすがたも明に見ゆる故に、尤、打越の好悪をも知るゆへに、此法をしらざる人は、我句を作りて後に、打越もよからず。変化も面白からねど、今迄の骨折に心残て、其句を崩す事なりがたし。
 二字三字の趣向をかゆる事は、曽ておしむべき骨折なし。
 此法は、第一に、変化の為なりと心得べし。いにしへ、儒書・仏経とても、源氏・伊勢物語とても、其中より、はじめといふ物なく、天地、あに、人の為に生ぜずや。其中はその始なる事を知るべし。
(口伝天地は人の名づけたる事あり)
 されど、二字三字の趣向にもわたらず、五体・八体の付方にもよらず、世に空撓といへる案じ方あり。其時、その句にあらざれば、文字の道理には書だし難し。
 去はそれは、百韻にも三所と四所三所四所は有べし。しからざれば、言語の理屈に落て、はいかいに不伝の妙処なし。
 此執中の二字をさして、我家の秘法と云べし。人よく此法を工夫せば、天下の政も明らかに、人間の働も知るべし。

引続錦紙 伝 源氏物語の事
 伝 源氏物語の事有
是則、虚実なり。虚実は趣向なり。
紫式部石山寺にて源氏を書に、湖水の水相観に極る所を書出したる。是則源氏物語なり。
則、源氏の如、趣向を定よとなり。
引続錦紙 執中の法といふ事
 又、執中の法といふ事は
前句に座敷の体あらば、海か山かの一字か二字を以て付る事なり。
是をさして、執中の法といふ。
右にいふ通、一字二字を以て蕉流の「眼字」といふ秘伝なり。字眼と云事を意得すべし。
芭蕉門の肝要なり。
引続錦紙 口伝 天地は人の名付たる事
 口伝 天地は人の名付たる事 あり
「名付たる事あり」とは、勿論、人間なければ天地といふ物もなし。人出来て、天地と名付たる心なり。
又、「世にいふ空矯(空撓)と云案じ方有て」といふ義は、空矯は身を清める道具なり。
又、小袖に匂をとどむる心なり。執中は諸先をよく考えて、後に中を案ずるなり。執中の心、是にて済なり。句毎にむづかしきを嫌、唯やすらかに付る事をよしとす。
* 其角門に「秘訣一巻」がある中に、
 「趣向取やうの事」があって、「趣向といふは題の事にあらず。雪月花・杜宇に一つの趣向を合せて発句一章とするなり。夫心は自在にして、六合に渡り前物に止る。此たたずまひを思慮して、風雅の二字を忘るべからず。此故に詩文には文質をわかち、歌には、花実相通を元とす。俳も猶ひとしかるべし。唯月花に限るべからず。人情、教誡と成を知るべし」 とある。
 芭蕉は、発句についても、「何らかの趣がある工夫・発想」を、趣向と呼んでいた。
* 「去来抄、修行教」に「句案に二品有り。趣向より入ると、詞道具より入るとなり。詞道具より入ル人は、頓句多句なり。趣向より入る人は、遅吟寡句也と云。されど案方の位を論ずる時は、趣向より入るを上品とす。詞道具より入る事は、和歌者流わかしゃりゅう⇔諧歌者流には嫌と見へたり。俳諧は穴がちに嫌はず」。

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18 恋句の事

 恋句の事は、古式を用ひず。其故は、嫁・娘等、野郎・傾城の文字、名目にて恋とはいはず。
 只当句の意に恋あらば、文字にはかかわらず、恋を付べし。此故に他門よりは、恋を一句にて捨ると云よし。
 恋は、風雅の花実なれば、二句より五句にいたる。先は、二句有て、陰陽の道理を定たるなり。
 是は、我家の発明にして、他門に向て穿鑿すべからず。

* 「直旨伝」、「前句恋とも恋ならずともさだめがたき句あるを、必恋の句付て、前句ともに恋に取なすべし。左様の時は其句のみにして、其次に恋の句付るに及べからず」。
* 「師説録」、「一句にてさしおくことのあるは、付て前句に心かよひ、二句の間に恋を含る処なり」、「当流詞の恋をとらず。心の恋を恋とする所なり」。
* 「元禄式」、「我家に恋を二句にて捨る事、古き連歌の書に、「恋を二句にて捨る事、甚く無下の事なり。三句より五句までつゞくべし」とあり。古風の連歌、二句にて捨たる例あるを以て、此の如く、当流の難句、恋に極りたるゆへなり。 恋に、心の恋・詞の恋といふことあり。詞の恋は恋にならず。当流は詞にかゝはらず、心の恋を専らとするなり」。

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19 切字に口伝有事

 切字の事は、諸抄にあまたあれど、今の世は、殊に推量多し。*19-1
 玄妙切・大廻し抔いへる切切字の事は、我家には、曽て詮義なし。此頃古のころの俳書に出たる証句とても、いかなる道理とも心得がたし。
 その、三段切・三字切なども、今の世の証句、心得がたきなり。
 二字切
  山さむし心の底や水の月 ※一葉集、存疑
 三字切
  子共等よ昼顔咲ぬ瓜むかん
 三段切
  梅若菜まりこの宿のとろろ汁
 或は、素堂が鎌倉の吟に
  目に青葉山ほととぎす初鰹

 といふ句は、目耳口の三段を明にいえる。梅若菜の句は、心の三段を知るべし。
 殊に、二字切・三字切は、一句の中に「や」と云ひて、「いかに」とうたがひて、下に「らん」とはねたるは、三字同意にて、切は一所なり。
 或は、
  鷹の目も今や暮ぬと鳴鶉  
 といふ句は、「と」の字にておさへたれば、「ぬ」の字は切にあらず。
 此類は、あまた有て、諸抄に押へ、抱へ字の詮議なし。切字は百ありても切ぬ事多し。
 或は、
  夕顔や秋はいろいろの瓢哉
 といふ句は、上の「ゆふ顔や秋は」と句読を切て、「は」の字にてかかへたれば、切字にはならず。此類、猶多かるべし。
  猫の恋やむ時ねやの朧月
 是は、中の切と云なり。
やむ時は何々として、さて、閏のおぼろ月夜は」と、中の心をのこしたる句法なり。
「うかりける人を初瀬の」と、よみたる歌の切なり。
  我は家を人に買せて年忘
 是を挨拶切と云なり。一句に自他の差別有故なり。*19-2
 此ふたつの切は、我家の発明にして、他門に向て穿鑿すべからず。

引続錦紙 (切)
二字切
  山寒心の底水の月  ※下線はママ。
三字切
  子共ら昼顔咲瓜むか
三段切
  梅若菜まりこの宿のとろろ汁

此句法は、梅若菜も有、鞠子はとろろの名物茶屋にて、とろろをもてなされたりと、嘆息したり。是は是、夫は夫じゃと、講釈したり。此句、則、心に三段有。よくよく味べし。
自問自答、皆同じ事なり。

外々の三段は、
  五月雨は峰の松風谷の水
と、面へ三段を顕はせども、梅若菜の句は、心に三段を持、三段を分たる作なれば、口伝なくて、中々すまずと知るべし。此格は連歌にも稀なり。
  目には青葉山杜宇はつ鰹
素堂句なり。

又、二字切、三字切は、句の中に「や」と云て、「いかに」と疑ひて、「らん」とはねたるは、三字同意にて、切字は一所なり。

  鷹の目の今や暮ぬと啼鶉
此句は切なし。上の「や」を「と」の字にて押たる故、「や」、切にならず。畢ぬのルの字、云残して、切字なり。伝灯なくて、知りがたし。

  夕顔や秋はいろいろの瓢哉
此句は、上の「や」、「秋は」とかかへたる故、「や」切に成らず。仍る下の「哉」、切なり。
 秘伝に云、何切にても、切字の下に「ヲハモカラヌ」、此五つ字ありては、決る所、切としるべし。
其時は「ヲハモカラヌ」の下に切字置べし。世上の誹師は及ばざること、三都の宗匠にも、知る人稀と心得べし。
是「哉」と置き「や」と置ても切多し。
古人、上手の句にも「ヲハモ」の文字有句あれども、是拠無き時はゆるすなり。発句も同じ。
第三の格に出来たる発句、是非に拠無き文字なれば、許す事有。
其事を知てゆるすは、故実も有。
 発句
  八九間空で雨降る哉     翁
  昼かほは酒の呑れぬさかり哉  同  ※朝顔は酒盛知らぬ盛り哉
  朝顔や昼は錠おろすの垣   同

ムスビノ切
  鵜や山鳥の尾のきそはじめ
  あな寒隠れ家急げ霜の蟹   其角

右発句共心れ何れ?も第三の格有。
しかし、第三句体とは、又、別ならん。
其趣はゆるせども、一体句の仕立、別なり。
発句は一句の切組、第三の様なれども格別の所有。よくよく味ひ知るべし。甚深の習なり。

  猫の恋止む時閨の朧月 廿五ヶ条に出
此句を中の切と云なり。
芭蕉翁発明して名付たるなり。全十九手尓葉なり。
韻に夜はと二字残して、切字にするなり。一句のうちに心の篭り、夜はの字故なり。則、句中に切有ると云心にて、翁の発明せられて、是を「中の切」と名付、蕉門一派への教へなり。
故実、連歌にも、此格多し。

  我は人に家を買せて年忘
蕉門にては是等を「挨拶切」と云、右に同じ。
是は江州の乙州が、翁、越年有し時なり。州が家を求めけるの歳暮、これ定る。
乙州にしゐて買せられたりと見へたり。これに依り、人に家を買せてとは残されたり。此「を」の字に、一句の首尾篭りたる故、是「を」の字切なり。

此句に限らず、「を」の字に一句の心篭もる時は、皆切字なり。
則、「を廻し」、是なり。翁発明して「挨拶切」とは申されしとなり。
*19-1 切字や用語は、季吟伝授の「俳諧埋木」にある。
*19-2 「直旨伝」、「(翁)又曰、自他の分る所、言葉の休む所、是句の切なり」。

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20 さし合之事

 俳かいにさし合の事は、「はなひ草」の類に随ふべし。少しづつは新古のさかひあり。され共、一座の了簡にて、初心には随分ゆるすべし。
 一句の好悪を先論じて、さし合は後の詮義なるべし。さし合の事は変化の道理なりと、先、その故を知るべし。
 変化の不自在より、世にさし合の掟あり。万の法式は、此さかひにて知るべし。

* 「直旨伝」、「指合の事は、時宜にもよるべし。先は大方にしてよろし」。

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21 辛崎の松の句の事

  辛崎のまつは花より朧にて
 此発句の落着を知れば、発句と第三と平句との差別を知るなり。
 発句は一句の中に、曲節と云事あり。此句に花を曲にして、松の朧とは節なり。曲節は、よのつねの謡・浄瑠璃にもしるべき事なり。
  辛崎の松は春の夜朧にて
 是は第三のさまなり。此句、平句よりもおもき松の朧といふ節なり。
  辛崎のまつを春の夜見わたして
 是は只、春の気しきのみ。曲もなく節もなきなり。
 此発句を、世間に、とまらぬといふ沙汰あれども、夫は、初心の人の論なり。されば、「朧哉」とあるべき句も、「おぼろにて」といふ事、「哉」は決定辞にて、花より松が面白ひと決定するは、偏題片題の褒貶のがれがたく、歌にも嫌ふ事なり。
  さざ波やまのの入江に駒とめて 比良の高根のはなを見る哉
   ※ 近江路や真野の浜辺に駒とめて比良の高嶺の花を見るかな 新続古今 頼政

 とよみたるその花よりも、辛崎の松の朧にて、但、面白からんと、不決定の中(の決定)なり。
 或は、「にて留」の事は、
  三ヶ月は正月ばかり誠にて
 此「にて」の心にも知るべし。月は月々の三日月あれども、正月斗、誠の三ヶ月にてあらんと、決定の心を残したるなり。
 「にて止」の事は、「哉止」の第三に、子細有にて知るべし。
(口伝其角が雑談集の事あり)

引続錦紙 (唐崎の松)
 唐崎の松は花より朧にて
此句法は「も」の字を云残したる手尓葉なり。大切の切なり。
「此句の落着を知らば、発句と平句と第三との差別を知るべし。発句の中に曲節と云物有」と云たるは、「曲」はつぶさといふ字なり。「節」はふしと云字なり。「つぶさなふし」と心なり。
仍、これ、「謡・浄瑠璃にも知るべし」と、翁の記されたり。
前にいふごとく、一句の切組、各別格別にして、発句は曲節あり。
第三は、曲節といふ事なく、唯姿の格ばかりなり。第三、格を専とそなへ、平句はすらりとするものなり。
これに依て、「第三・発句・平、此三体を能々味ひて、習て心得事なり」との教へなり。
残る物は皆大廻しなり。
句は手尓葉を以て聞分るなり。てには能々聞、付る時は必ず切字と仕、文字慥に知るるなり。
兎角は初学にあり。名宗匠の門に入らずしては、中々知る事叶はず。

  ささ浪や真のの入江に駒とめて
    比良の高根に花を見るかな

と詠みたる。
此歌の花よりも唐さきの松の朧々としたるが、感情にして面白からんと、不決定の中に決定仕たるなり。
「哉」と仕べきを「にて」と翁のせられしは、大かた成手柄なりと古人云伝へたり。
「にて」留の発句は、宗祇法師も、一代に二三句ならではなく、重き事なり。
末、佐和伝(蕉門極秘茶話傳)に又委し。

  三日月は正月ばかり誠にて
「アカサタナハマヤラ」は言語なり。言語とは五音をいふ。
此発句法「は」の字云残し、切なり。
「三日月は、月々にあれども、正月晩ばかりが、誠の三日月にてあらふぞ」と、決定したる心を残したり。
勿論「にて留」の事は、「哉留」の発句に、第三の留に子細有べしと有。
「哉」は「にて」に通ふの字なり。発句「哉留」の時は、第三通はぬ「にて」を仕るが習ひなり。
「閑にて」「幽にて」「遙にて」、此類ひ、然るべしと云伝ふ。
勿論、「かすかかな」「しづかかな」「はるか哉」とは云れず。是等を用ひ来る工夫あるべし。
引続錦紙 (其角雑談集の事)
其角「雑談集」にも、発句の「哉」に、「にて」の第三ありし故、此格有り。
「かな」の発句の時には、定りたる文字、仕べき口伝なり。外に子細なし。
* 「雑談集」、「一句の問答に於ては然るべし。但し予が方寸の上に分別なし。いはゞ、『さゞ波やまのゝ入江に駒とめてひらの高根のはなをみる哉』、只眼前なるは」と申されけり」。
 元の歌は、「続新古今和歌集」、「近江路やまのの浜べに駒とめて比良の高ねの花をみるかな 続新古今、源頼政」

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22 鳶に鳶の句の事

 むかし武の深川にて、鳶の句に鳶の句付たることあり。其時もしれる人稀なれば、今さらに付合の格式といふべし。※22-1
   韮の柵木に鳶をながめて
   鳶の居る花の賤屋とよめりけり

 是は、前句のいひとりを、歌の前書と見たるより、かくはよめりけりと付たるなり。此類は、前句の心をおこして、こなたよりいひなしたる托物比興*22-2といふ物なり。
 或は、前句を軍書とも、能狂言のおかしみとも、浄瑠璃などの拍子とも、皆々聞なしたる風情なり。

  番匠が椴とどの小節を挽かねて
    片兀山に月を見るかな

 是は前句の五文字より、古代の歌のさまと聞なして、「月を見るかな」と歌によみたるなり。*22-3
 或は、平句の哉止にもかぎらず、此類には、子細も有。模様を好み、奇異を求ては、かならずせまじきすまじき作意なり。

引続錦紙 (片兀山)
廿五ヶ条にも
  番匠が椴の小節を挽かねて
   片兀山の月を見るかな

これは、前句の五文字を古代の歌のさまと聞なして、「月を見る哉と、歌によみたる」と付たり。
又、「平句の哉に限らず、此類は子細有る事」と記たるは、別の事にあらず。
千句の時、てには留、仕ん事なり。常は無用とぞ。
*22-1 「鳶の評」は「木因宛芭蕉書簡・芭蕉宛木因書簡・濁子宛芭蕉書簡」により、明白である。
*22-2 「托物比興」である。
 【托物】 託し物の意。「托」は手に載せた物を他の手に移すということから、「たのむ・たくす」と読む字である。「前句の心をおこして、こなたよりいひなしたる」という説明に合う。造語か俳諧用語か不明。
 【比興】 漢詩六体や和歌六義の「比・興」から、他のものにたとえて面白く表現すること。
*22-3 「炭俵
 発句  ┌振売の雁あはれ也えびす講 芭蕉
 脇   │ 降てはやすみ時雨する軒 野坡
 第三  │番匠が椴の小節を引かねて 孤屋
 初オ4 └ 片はげ山に月をみるかな 利牛

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23 宵闇の句の事

 ある時、歌仙のうらの七句目にて、宵闇の句出せしに、三句のうちに月をこめたるなり。

  宵闇はあらぶる神の宮迁し    ※みやうつし
   北よりのかぜそよぎたつ  ※荻
  八月は旅おもしろき小幅綿    ※小服綿


 尤、宵闇には月を付がたく、打越に(月は付がたし。うちこしに)は、殊に悪し。十句目は、前花なり。それへ延びくるは無念なれば、三句の心に月をもたせては、月なみの月の字八月の「ぐはつ」の字にて、見わたしの月の字は、あしらひたるなり。是を一座のさばきといふなり。宵闇を月とは、思ふべからず。三句取合て月の字の働と知るべし。

「韻塞」の歌仙「けふばかり」
 初ウ7 ┌ 宵闇はあらぶる神の宮遷し 芭蕉
 初ウ8 │  北より荻の風そよぎたつ 許六
 初ウ9 └ 八月は旅面白き小服綿   洒堂

* 「宇陀法師」、「深川集、俳諧に宵やみと云句、賞翫の月にせり。師云、宵闇と云句に月は成まじ。此、宵やみ、月秋の前句なり。是を月にすべしとて、秋を付出し、八月と云月次を、出せり。
 全く、八月、賞翫に非ず。例のおとし穴なり。此事、聞伝たる作者、やれ、「宵やみは月に成」とこそいへ、毎席出せる人も有けり。月秋の場所に、宵闇出合たればこそ、ふしぎの働も有けれ。毎度「宵闇・暁闇」の月に成ては、おかしからぬ事を知侍れかし」。

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24 名所に雑の発句の事

 名所の発句は、すべて、雑の句も、又しかるべし。名をいひ、季をいひ、意こころをいふ時は、句作、必おだやかならず。
  朝よさを誰松島ぞ片心
  歩行ならば杖突坂を落馬哉
  蝸牛角ふり分けよ須磨明石

 此うちに、須磨明石の句、蛮・触の両国をたとへ、そのさかい這ひわたるほどといへる詞より、おもひみせよせたれば、かならずしも、蝸牛の当季にもかかはらず。是等を雑の体といひて、名所の格式なるべし。

 口伝に猿の面の事有。無季の格なり
 句は
  年々や猿にきせたる猿の面 是歳旦

引続錦紙 名所に雑の句の事
  名所に雑の句の事
 此段、廿五ヶ条本文に済む。「雑の句は、名所の句の格式なるべし」と記されたり。
 此大事は翁も惜まれて、格式とばかり記されたり。
 無季の句と云。
引続錦紙 口伝 無季の始
 口伝 無季の始と云事有。
 山海の句
  頼朝がけふの軍に名取川 ※ 我独りけふの軍に名とり川 頼朝 / 君もろともにかちわたりせん 景時 「源平盛衰記」巻37
「無季の句始なり」とかや。
至極尊重、口伝も多し。
  朝よさを誰松しまの片心    ※松島ぞ
  歩行ならば杖突坂を落馬哉

雑の発句の事は、名将の出陣抔は、何の年何月何日、其年号月日まで、万代にしれたれば、季を入るるに及ばず。
きつと季を、則、頼朝卿発句を中代無季の始とす。
翁も湖十も、いづれの何月と発句の季を持なり。
則、人に寄りての業なり。天下に沙汰ある者は、頼朝の卿、発句の心なり。
しかればとて、名の低き人のする事にはあらず。伝にてせぬが、又習ひなり。況、名所・恋にも限らず。
其人の器に依りて、行ことなれば、その時が季を持なり。其道理を知る時は、名所・恋の句に限るべからず。上手高名と成、宗匠にも成たらば、苦しからず。さなくは無用なり。
 廿五ヶ条に済。
  蝸牛角ふりわけよ須磨明石
  海に降る雨や恋しき浮身宿   翁
  笈笠の雫にぬれて逢夜哉    其角
* 「直旨伝」、「雑の句に、三つの義あり。一には、二季兼ねたる句。二つには、当季のものふたつ三つとり合せて、いづれの季を題ともわかちがたき句。三つには、当季ひとつにても其季を題とせず、其所を題とし、その事を題として、その季はあしらひものに仕立たると、なり。名所にもあれ、何事にもあれ、その題のために寄せたるは、雑の句にあらずして、題詠の格にはべる」。
* 「直旨伝」、「無季の句、恋・旅・名所・離別・讃等には、まれに有るべし。わざと好みてすべからず。いかにしても、季の詞入れがたき時は、此格もしかるべし」。

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○ 仮名遣ひの事

 世に、定家の仮名づかひといふものあれども、あまり事しげきゆへに、紛れて知りがたし。むかしはかなづかひの詮義もなけれども、其後の事なれば大旨知りて、埓の明事なり。
 されど、俳諧は、さむふとも、あつふともなり。さむく・あつくさむう・あつうては、仮名がきの経文など見る様にて悪し。此類は心得あるべき事なり。
  い イキク  鯛タイ・鯉コイの類    <歴>鯛→たひ、鯉→こひ
  ひ フヒヘ  葵アフヒ・雛ヒナ の類
   或ハ、ひいなともひゐなとも   → ひゐなともひひなとも
   此類はかなの序書ツイテカギ(ママ)といふなり。
  を をんな 山をろし           <歴>颪→おろし
  小桶こをけ変体仮名をの字同じ。
  変体仮名お おとこ 変体仮名おろし 桶おけ        <歴>男→をとこ、桶→をけ
  をの字ハあたらず。おの字ハあたるなり。   <歴>尾→を
  緒を 小お 大お 尾お        → 緒を  おの字はあたらず。
                       大変体仮名お 尾お  おの字はあたるなり。
  変体仮名は  はは同じ、上下に用ゆ。
  変体仮名わ  上に用ゆ、三輪の時は下に用ゆるなり。
  ゑ  声/梢、或ハこずゑ共、此時ハ末の字の心なり。
  え  中の/え 消 キユル/キヘル ツえ・笛フえ・机ツクえ → 杖 机<歴>杖→つゑ
     此時ハ枝のえの字と云 古実なり。
  へ  更衣 カヘ/カフル、是フヒヘにかよふ故なり。
     栄  変体仮名はへ、是は古実なり。あへもの此類なり。  <歴>栄え→はえ
  縁  えん/此類なり。(衣更の下にフヘノ 口伝有。)
  ゐ  不ㇾ動字なり。盥 タラゐは器ノ時用ゆなり/手アラひとも <歴>盥→たらひ
  紅  クレナゐ、又ハ/とも。        → くれない
  住居 山ノタゝズマゐ/雲ノタゝズマヒ。    → 住所 山のたゝずまひ
  法師 ホツシ/ホフシ ほうしとハ古実なり。 → ホフシ/ホウシ                        ホウシトハ古実なり。入声はホフシナリ。
  雑  ザフ/ザツ  拾 ジウ/シツ     → ざう <歴>拾しゅう→しふ
     ち  とづる/とぢるの類なり。
     つの字にかまハぬ時は/しの字なり。   → づに通ふはぢの字なり。

・ 紫字は「昼の錦」、緑字は「二十五箇条」。仮名遣いの揺れが分かる。
・ 両者が相違する部分で、歴史的仮名遣いに合うものは、「太字」のように示した。
・ 歴史的仮名遣い(茶字<歴>)は参考。
宋屋本 う・く[仮名書きの経文]
 これが芭蕉の文とすれば、「さむく・あつくと云ては」が正しい。
 例えば「妙法蓮華経嘱累品第二十二」の原漢文、
 今以付嘱汝等。汝等当受持読誦。広宣此法。令一切衆生。普得聞知。
 所以者何。如来有大慈悲。無諸慳悋。亦無畏所。能与衆生。仏之智慧。如来智慧。自然智慧。如来是一切衆生。之大施主。汝等亦応随学。如来之法。勿生慳悋。
 於未来世。若有善男子。善女人。信如来智慧者。当為演説。此法華経。使得聞知。

 「仮名書き法華経」では、
  いまもてなむちたちに付属す。なむちたちまさに受持読誦して、ひろくこの法をひろめて、一切衆生をして、あまねくを聞事えしむべし。
  ゆへいかんとなれば、如来に大慈悲まします諸のをしむ心なし。又おそるるこころなし。よく衆生に仏の知恵如来の知恵自然の知恵をあたふ。如来はこれ一切衆生の大施主なり。なむちたちまたしたがひて、如来の法をまなびて、おしむ心なかれ。
  未来世において、もし善男子善女子ありて、如来の知恵を信ぜん者にはまさにために、此法華経をときて聞ことをしえしむべし。

のように、漢字仮名交じりになる。
 話し言葉ではあるが、仏の教えを重々しく伝える文体であり、「あつて・ひろう・作つて・学んで・聞いて」などの音便形はなく、「ありて・ひろく・作りて・学びて・聞きて」と表現されている。
 従って、「俳諧は、~仮名書きの経文を見るようで悪い」とは、「俳諧に音便形を用いない書き言葉は似つかわしくない」ということになる。
[芭蕉の仮名遣い]
 芭蕉発句から形容詞ウ音便を拾うと、
  おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな 芭蕉/風吹けば尾細うなる犬桜 芭蕉
の2句がある。七部集から拾うと、
  娘を堅う人にあはせぬ 芭蕉 / 狗脊かれて肌寒うなる 芭蕉
がある。芭蕉以外の句も、
  耳や歯やよ(良)うても/あかるうなりし/をかしうなりて/一夜一夜に寒うなり/
  風細う/中のわるうなり/菜がなうても/有明高うすくなうなりし

と、すべて「う」と書かれている
[定家卿仮名遣]
 定家卿仮名遣を見る。伝行阿撰「仮名文字遣」から、形容詞ウ音便を抜くと、
  あぢきなう、けゝしう、いといたう、すげなう、心うつくしう、めざましう、
  うれはしう、うれしう、このましう、くだくだしう、なつかしう

 と、11語ある。すべて、「う」と書かれている。
 これを踏まえて、芭蕉は「さむう・あつう」のように書くので、「さむうあつうと書きては悪し」などと書くはずがない。
 ただ、「あまりに繁きゆゑ、俳諧にはあつふさむふとも書くなり」と、俳諧に限った許容を示したにすぎない。
 もし、去来伝受「昼の錦」の原本が見つかれば、

  かな遣ひということからすれば、「さむう・あつう」と書く。
  されど、俳諧には「さむふ」とも「あつふ」とも書くなり。
  また、「さむく・あつく」と言ひ、「さむく・あつく」と書ては、
  仮名書きの経文を見るようにて悪し。


と、いうように書いてあるのではないかと想像する。
 では、書き替えたのは支考かと言うと、そう断定することはできない。西村板「昼錦抄」も「あつう・さむう」と書いているのである。種本の「養魚蔵本」は、「比較 二十五箇条(其角相伝本『昼の錦』と諸本の関連)」で明らかなように、支考を経たものではない。
 西村本は支考没後5年(1736年)の刊行である。
 支考は、宝永5(1708)年4月出立の「夏衣」で、「昼の錦」の内容を披露している。同年3月嵯峨野で入手したか。2年後の宝暦7(1710)年3月、双林寺で代金を得て筆写させ、不足分は借りるかして、同年4月以降15両を、去来の遺族に支払っている。この敬意は「二十五箇条の伝承と空阿」に詳しい。
 その双林寺写本の一つが、この宋屋本「昼の錦」である。「其角門相伝本」に照合すると、ほぼ一致する内容は多いものの、誤写も多い。宋屋本には「さむく・あつく」とあるものの、誤写の可能性はある。
 また、支考は自門の伝書として、里紅・童平らの弟子に与えたものがある。その一つが東羽本「続五論・二十五箇条」(一部を「比較 二十五箇条」の獅子門本として引用)である。東羽本は、支考が書き替えて伝書としたものを、宋屋本のような双林寺本で、修正している。
 該当箇所は、「寒ふ暑ふとては」を見せ消しで「さむうあつうと書きては」としている。
[支考の仮名遣い]
 「古今抄」に、
  仮名と真名との配には殊さらにうの心得あるべし。たとへばあつうさむうのごと
  き仮名は本よりうの字なれどさるは仮名書の経文を見るやうにて、書法の字形かたげぬ
  れば、あつふさむふと書べき也。寒うとはましてつづけがたし。寒ふとは例の故あ
  るに似たらん。

とある。何を言いたいかわからないが、多分「あつふ・さむふ」と書くべきだ言うのであろう。
 「二十五箇条」を読む前の支考に「笈日記」(支考編,元禄8(1695)年7月15日自序)がある。
  九月八日~別のあさましうおぼゆるとて(支考記)/おそろしうなりて入日や枯尾花
  (魚日句)/十月五日~ただ心のやすからんはありがたう侍ると申して、(支考記)/
  十日~先だち給へる事のあさましうおぼゆるよし、(支考記)/十一日~この薬かの
  薬とてあさましうあがきはつべきにもあらず、(支考記)/面白てやがてかなしき鵜
  ぶね哉(芭蕉句)/小野の旅寝もわすれがたうて(芭蕉庵十三夜、蚊足書)/椽先や
  寒うなるまでほし祭(乙由句)

 「支考記」は、「(其角の終焉記に)かきもらしぬる事を支考が見聞には記し侍る」ものだが、語尾省略の「面白」を除き、すべて「う」と表している。
 一方、「三匹猿」(支考撰,元禄17(1704))などは、
  人なつかしふみそさざゐ啼 芦本/花輪違を久しふてのむ 汀芦
と、「ふ」と表している。これらは、「古今抄」以前のものである。しかし、以後の「笠松集」連支撰,支考捌,享保12(1727)は、
  あの杜によそより早う暮掛かり 葉柳
と、「う」になっている。
 論と実践が違うのは支考によくあることではあるが、平生「ふ」と書くよう捌いていたとしたら、それに合うように書き替えたかもしれない。
 俳諧は、さむふとも、あつふとも云なり。
に、「とも」がある。本来の書き方が略されている。「云」は「書」であろう。元は、
 俳諧は、さむう・あつうを、さむふとも、あつふとも書なり。さむく・あつくと書ては、仮名書きの経文など見る様にて悪し。
とあったのではないか。
 なお、仮名遣いの異同・差異については、別ページで扱う。

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奥書

昼の錦
奥書

下巻十ヶ条終
 右新式廿五ヶ条大秘訣
  芭蕉翁奥書有略之
 元禄七甲戌六月

伝書者東花坊支考之写
   添書在判略之

 宝永七辛卯三月十二日 ※

翁之掟者
 晋子 去来 支考/秘伝書也
 改而以 神文所置之上今
 勤而書写伝譲者也

     百葉泉
       冨鈴 花押

  井泉斎
   磯音雅丈

<略された桃青名奥書>
 右者俳諧之新式有二十五ヶ条、最我家之節目也。
 即於落柿舎自書而、与去来
 見之識之可自己之俳諧
 不写他人。最道之尊重也。

                 芭蕉庵
  于時元禄七甲戌六月日       桃青
                    判

※ 宝永7(1707)は庚寅、辛卯は宝永8(1708)である。
 宝永7年は芭蕉十七回忌で、「3月12日」は双林寺境内に仮名碑建立、法楽俳諧が興行された日である。 支考は、仮名碑建立に功績が顕著であった吾仲に、同年5月付で支考自筆の「二十五条」を与えているので、「支考之写」が「宝永七年三月十二日付」であって差し支えない。
また、宝永8年同日には、仮名碑の墨直が行われている。この年を否定できない。
 当初から干支を間違えることはない。元は「宝永七年」とあって、「庚寅」とすべきを誤って「辛卯」と書き加えたか、「宝永辛卯年」とあって、「八」とあるべきを、おざなりに「七」を加えたかのいずれかである。
<略された支考名奥書(参考)>
 此一巻者蕉門之直指正教也自
 識自明不可飾俳諧見問者也是
 則先師蜜密?付之趣也
  正徳甲午仲秋日
        東花坊 判


※ 正徳甲午年は、正徳4(1714)年である。芭蕉没後20年、支考50歳。
 この奥書は、支考門伝承本のものである。「はせを翁遺書」(宝暦2年伊勢山田住幾暁在判、越中魚津住羽毛写)、早稲田大学図書館蔵書を参考にした。
<望月宋屋>そうおく
在京、原松門のち巴人門。1688-1766、79歳。 別号富鈴,百葉泉,机墨庵。
<渡辺吾仲>ごちゅう
京六条の仏画師。1694芭蕉門、史邦門、李由門後支考門。1673-1733。別荘柳後園。別号馬才人,予章台,百阿仏,百阿弥,百一守,百一宇。

印続錦紙
奥書

なし。

全巻末
識語

  毎日庵筆終 在判
   右 文政十一とせといふとし 子の弥生の末伝而して写終
     夜毎庵左月 主人 嘯堂印

<左月>姓江刺家えさしか,名福治,夜毎庵。花輪通代官。安政4年没。




このページの後書
 本サイトは、「芭蕉俳諧の作法・式目」をまとめた書が見当たらないことから、いわゆる伝書(芭蕉の言葉を記録した書)から、それを抽出してまとめている。しかし、伝書は玉石混淆である。
 初版本「昼錦抄」は、誤りが多い上に「二花二月ともすべし」とあるものだから、大旨石とされた。

一方、「俳諧歳時記栞草」(馬琴編・青藍補、嘉永4(1851)年刊)で、青藍は「二十五条は翁滅後に支考が作る処といふ説、一理あり。…略…尤、支考の作なることは、巻中の文体にも明白なるを、翁滅後に支考が偽作せるなどいへるは、かの書を委しく見ざるの誤といふべし」という。
 文体はともかく、内容は芭蕉の伝だということであろう。原松が言う「支考が偽作なりといふは、大なる僻言也」に通じるものがある。
 原松の「星月夜」により、其角の進言で芭蕉が去来のための伝を書いたことは、明らかである。また、「星月夜」、「八夕暮」、「蕉門諸生全伝」により、去来没後に、支考が「廿五ケの条目」を、遺族から15両で買い取ったことは明らかである。
 従って、  本ページでは、芭蕉の言葉として認められそうな諸伝書の記述と、比較を試みている。結果、「表現がほぼ一致する箇所」が多々あり、「内容が大むね合致する箇所」を含めば、全編にわたる。支考の書き換えや追加は、ほぼないと見てよいだろう。
 出典が明らかな部分では明瞭に区分できた。  例えば、「師説録」にある嵐雪の論を引いて、変化のたとえとしたところを見る。
師説録/伸句・縮句、遣り句
 深川の夜話に嵐雪の論に
  付句は、おほかた料理の甘し辛しすく苦く、物によるごとし
  能きも極りて、能にあらず。悪きとても、亦、あしからず

 といへり


とある。これを第4条「変化の事」で、どう扱ったか。
① 宋屋本「昼の錦」
  変化は大むね料理のむまくあまくすく辛きが如き
  よきもよからずあしきもあしからず
時に宜きを変化と知るべし


② 初版本「昼錦抄」・改題本「二十五箇条」
  変化はおふむね料理の甘く淡く酸く辛きがごとし
  能もよからずあしきもあしからず
時によろしきを変化としるべし


③ 校正本「二十五箇条」
  変化はおふむね料理の甘く淡く酸く辛きがごとし
  能もよからずあしきもあしからぬ
所に、変化は虚実の自在よりとしるべし


④ 支考門伝承本「俳諧二十五ヶ条」及び、推定吾仲宛「支考自筆本」による訂正(見せ消しはママ)
             うま あはく
  変化は虚実の大旨料理の甘く ○ 酸く辛が如し
                 
    時によろしきを変化と
  能もよからずもあしきもあしから所に、変化は虚実の自在なりと知るべし

「検討/二十五箇条」参照  


 一目瞭然である。
 初期の写しである宋屋本・吾仲宛本には、「時に宜きを変化と」あったのに、支考は自門伝承本を「変化は虚実の自在よりと」と書き替えたのである。
 また、校正本は支考門伝承本を元にしたと分かる。
 このように、意図的な支考改変が明らかなのは、次の2点を加えるのみ。
 第10条「月花」
  歌仙の時は二花二月とも有義也 → 有度事
 第25条「仮名遣ひ」
  さむくあつくと云ては → さむうあつう

 誤りを除けば、支考の書き換えはわずか3箇所であった。買い取りに当たって、吾仲が嵯峨に同伴し、吾仲も興味深く原本を見ているはずである。後に、支考が吾仲に与えるため、自ら写しているが、勝手に書き替えことはできなかったであろう。


昼の錦/二十五箇条 関連ページ目録
其角伝受翻刻・校訂 昼の錦  元禄2年伝受・元禄17年相伝
米沢本を翻刻、横書きに変換。諸本と照合し訂正を加え、伝受時の芭蕉伝書を再現。
去来伝受校訂 二十五箇条  元禄7年伝受・宝永7年支考入手
初版本「昼錦抄」・宋屋本「昼の錦」・其角本「昼の錦」と照合、支考の改変部分が顕在化。
宋屋本 昼の錦・引続錦紙  宝永7年支考写本の写
初版本「昼錦抄」と、よく一致する。口伝集を併せて載せる。
校合・再現 昼の錦
諸本を校合、去来伝受本を再現。
許六伝受俳諧雅楽抄  元禄6年伝受
許六の発句作法書。口訣を得た内から、五箇条を「翁曰」と引用。
資料 資料「昼の錦/二十五箇条」 : 古今集・去来抄・七部集・三四考・寂栞などの関連部分をまとめる。
「二十五箇条」と諸伝書 : 山中問答・葛の松原・有也無也之関・貞享式海印録などとの関連を探る。
「昼の錦・二十五箇条」検討 : 去来相伝本、初版本・校正本・支考門本・宋屋本の表現を比較検討。
「二十五箇条」の伝承と空阿 : 空阿の遺品に「不易鏡」があって、宋屋本とほぼ同じ奥書を記す。
「昼の錦・二十五箇条」諸本の関連 : 其角伝受本と各去来伝受本とを比較し、校合の資料とする。

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