誹諧小式

誹諧小式 索引

元隣序賦物発句発句本意無心所着
歌之制之詞聞発句并古語詞を残す発句切字をまはしの発句
三段切発句はね字とめ発句大廻之発句脇之句第三
四句目五句目面八句月花の句呼出花引上花
句数・去嫌糸遊霞長閑と云句春秋之両字添季持句つゝとまりに・にてとまり
てにをは故事用やう親句疎句篇序題曲流前句に持れ前句を借句
異形通体・四手付六義追加 書物題号巻記

 


 


はいかいしょうしき

誹諧小式

<解題>
 「貞門誹諧作法伝書」の一つ、季吟門元隣著。「誹諧埋木」を補完、詳述した内容で、「季吟法印俳諧秘」原本の一つである。

 「芭蕉俳諧の礎である季吟の説」をとらえる一助として、ここに挙げる。

 底本は、「誹諧小式(山岡元隣撰、寛文2(1662)年序、玉晁文庫)」で、早稲田大学図書館蔵。


季吟門元隣著「誹諧小式」

誹諧小式

元隣序

 俳諧は和歌の一体にて、其歌は「古今集」に起り、はいかいの連歌は宗祇・宗長の時より連歌の追加などに有しといへど、猶、百韻・千句と首尾せることは、山崎の宗鑑、勢州の守武の時に初り、貞徳の世にぞ盛には成て、花の朝、月の夕にも、此会を催しけるとなん。
 猶其門弟、立圃・重頼・西武・正章・季吟など、此道の先輩なり。貞徳没し給ひてこのかた、心々に成別れ、宗匠として集あまざるもなく、点者として人の事°もどき云出ぬもまれなりき。有が中にも非言ひごん、非難の書は、正式まさのりの「郡山」、正章まさあきら、貞室の「ひむろもり氷室守」に初まり、「馬鹿集是水(重頼)撰」に甚し。いかんぞ、才高ふして徳ひくき。
 やつがれ、今初心の為に、句の抑揚褒貶、一品二品云出るも、全く他の悪きをいひ、おのれが善にほこらんとにはあらず。其故は、余人の句の上を以て難じ出ず。やつがれ、今一両句おもはしからざるを作出、其我句を批判し侍るなり。若し、人の句に似たるもあらば「等類なり」と見のがし給ふべし。これ我が心なり。

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誹諧小式

第一 賦物之事

賦物・小賦物 連歌には、「山・船・人・木・路」やらんを五ヶといふなり。其外、「唐・神・垣・嵐・袋」などいひて、千変万化の字を賦するを小賦物(こふしもの)と云ふなり。
 たとへば、発句に「山」といふ字あるときは、「賦何路フスナニミチ連歌」と賦すなり。この心は、「何」といふ字が謎のやうなる心にして、即ち「山路」といふ義なり。
上賦・下賦 この「何」といふ文字、上にあるを「上賦ウハフ」といふ。
 又、発句に「嵐」といふ字あるときは、「山何」と賦す。「山嵐」といふ心なり。この「何」といふ文字下にあるを「下賦シタフ」といふなり。猶、宗伊室町の連歌師など、定めをかれたる「賦物集」といふ一巻あり。
二字反音また、「二字反音ヘンオン」とは、発句に「花(はな)」といふ字あるときは、「縄(なは)」といふ心なり。「夏(なつ)」といふ字あるときは、「綱(つな)」といふ義なり。
一字露見一字露見 「香」は「蚊」なり。
三字中略三字中略 「菖蒲(あやめ)」は、「雨(あめ)」といふ心なり。
三字上下略三字上下略 五文字中三字略などもこの心なるべし。百韻連歌には、大かたなきことなり。千句などに、まま見え侍る。
賦する字 又、発句に「嵐」といふ字と「道」といふ字あるには、「山」といふ字は賦さぬなり。「山嵐」といふやらん「山路」といふやらん。ふたかたに通りて、知がたき擬(なぞら)へなり。
 誹諧もこの心なり。第三までに通はぬ字を賦するなり。たれも知たる事ながら、初学のために、委しくしるし侍る。大かた、この心持ちなり。
誹諧の連歌 又、追善之連歌・経文之連歌・夢想之連歌など、かけることあり。され共、当流には、賦物をとらず。ただ、「誹諧之連歌」と五文字にてはし書するなり。

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第二 発句之事   本歌本語取用やう

本歌を取る 発句の仕立やうは、さまざまの師伝、品々の工夫もあることなれば、いづれをさして、是ぞと云出んも、風をつなぐ類なるべけれども、本歌を取ること、和歌連歌よりも有法なれば、いさゝか記し侍る。
恋の歌・季の歌 恋雑の歌を取ては、四季の歌を読み、四季の歌を取ては、恋雑の歌を読むこと、つねのことなり。月の歌を取て、月の歌を詠じ、花の歌を取て、花を読むこと無念なりと、古人の掟なり。俳諧もこの心なり。
  契けん心ぞつらき織女タナバタの 年に一たび逢ふはあふかは
 といふを取りて、
  契りけん心ぞつらき餅つゝじ  則常ノリノブ
 心は明らかなり。
  おもへども人めづつみつつみ、堤の高ければ 川と見つつもえこそ渡らね
 と云を取て、近代の歌に、
  五月雨のふるの中道しりぬれば 川と見つつも猶渡りける
 これは、恋の歌をとりて、季の歌に読みなして、その心も新しく聞ゆるなり。
 又、上の句に読たる詞を腰へやり、下の句になし、又、下の句を上句に成してよむも苦しからず。又、その歌をあらはして取るも一つの法なり。ただ、その歌を取れりとしらせずして取るを、絹を盗みて染て着たる心なりと、先達深くにくみ侍し。
心を添ゆる 本歌本語を用て心を添ゆるあり。
  をみなへしたとはばあはの内侍かな  季吟
 是は、かの「蒸せる粟のごとし」といへるをふまへて、「内侍」と云そへたる。この句の作意なり。
  月になけ同じくは今ほととぎす
 これは、「月になけ同じ雲井の時鳥」といふを取て、「同敷は今」といへるこの句の働きなり。
  月見れば千々に物こそ悲しけれ 我身ひとつの秋にはあらねど
 といふをとりて、   長明
  詠ながむれば千々に物思ふ月にまた 我身ひとつのみねの秋風
 これは、かの千里(異本みつねとする)の「我身ひとつの秋にはあらねど」といへるにあたりて、「その詠こし月にまたわが身ひとつの秋也」とこたへ侍るなり。これら贈答の格なり。
心を格別に また、法橋兼載けんざいの句に。  新つくば
  まつ人にたちえや霞む宿の梅
 これは彼の、「我宿の梅の立えや見へつらん思ひの外に君が来ませる」といふを取りて、「待人のこぬは我宿の梅の立えや其人の為に霞みつらん」と、人と梅とを恨み、心を打かへして仕立給へり。この打かへしていへるにて、心新しく成り侍るなり。かやうなるも一つの格なり。
 又、声をかり、余のものに云ひたて、或は秀句をかぬるもあり。
  治るや神祇霊地の四方の春
 また、愚句にも
  なむといつは味奇妙也菊の酒  元隣
 この類も「ちぎりけん」の格と同心なり。又、一字をたがへずして用るもあり。これも、その所によりて、用やう、心を格別にして用るなり。伊勢物語に 融の大臣とおるのおとどの「しのぶもぢずりの歌」を女の返歌に用たる、この心なり。
古詩 左伝などにも、詩を賦すと云て、古詩を用たる例あり。
 ある人の物語に、桜を見て、
  いにしへの奈良のみやこの八重桜
 此句は、俳言なきやうにきこゆ。されども、よくは云まはしたり。
 右本歌本語を取用る格なり。されどもこれのみには限るまじきことなり。大方この理を以て、古人の句をおほく見れば、心は、自然に知るるなり。
定家の詞 定家卿詞云。
  和歌師匠。唯、以
  染於心古風、習先達(ば)
  誰人不ラン(や)

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第三 発句本意之事

本意 秀句をいかほどよく云おほせたりといへども、其本意たがひたるは、嫌ひ侍るなり。
  かへるさは思ひきられぬ藤見かな
 藤見といへる秀句は、人を棄市するわざに、藤身といへるもの有て、刃やいばもやすらかに、ただすぎられぬをいへるにや。
 庭にもせよ山にもせよ、屠所に云たてたるもいかがにや。
嫌う例 さにもかぎらず、
  めぐり来る年も羊のあゆみ哉
  まめがなでかくは七歩しっぽの試筆かな

 両句共に、其故事をあなづる時は、不吉の例なり。
 聯句などにも、
  華乗はなぐるまとどム黄蝶    といふ対に
  藤綱ふじづなつなグ黒牛

 此対字はよく対し侍れ共、やさしき黄蝶に、むくつけき黒牛つなぎあはさん事、風情おもはしからず。かやう(の)例もあまたあり。また、さのみほむまじき花をことごとしくめづるも、また本意ちがひ侍るなり。まして愛するものを、さもしくいひくださんをや。
本意 秀句をいかほどよく云おほせたりといへども、其本意たがひたるは、嫌ひ侍るなり。
  かへるさは思ひきられぬ藤見かな
 藤見といへる秀句は、人を棄市するわざに、藤身といへるもの有て、刃やいばもやすらかにただすぎられぬをいへるにや。
 庭にもせよ山にもせよ、屠所に云たてたるもいかゞにや。
嫌う例 さにもかぎらず、
  めぐり来る年も羊のあゆみ哉
  まめがなでかくは七歩しっぽの試筆かな

 両句共に、其故事をあなづる時は、不吉の例なり。
 聯句などにも、
  華乗はなぐるまとどム黄蝶    といふ対に
  藤綱ふじづなつなグ黒牛

 此対字はよく対し侍れ共、やさしき黄蝶に、むくつけき黒牛つなぎあはさん事、風情おもはしからず。かやう(の)例もあまたあり。また、さのみほむまじき花をことごとしくめづるも、また本意ちがひ侍る也り。まして愛するものを、さもしくいひくださんをや。
悪口  あなゆかし鼠のふんの花ざかり
 いづれの花もめづる歌人の心なれ共、やぶ椿の花、さのみゆかしがるべき花とも覚えず。もし又、
  あなむさし鼠のふんの花の枝
 とせば、花への悪口なるべし。とかく発句は人の聞なれぬ題、聞にくし。
異名 此頃の発句帳どもを見れば、草やら木やらん聞なれぬ草木の異名の句共見えたり。またききにくき格あり。
  衣川にたつや弁慶が柳なた
 此下の秀句、柳かとおもへば、長刀のやうにも聞え、長刀かとおもへば、「や」の字上に付て、風情おもはしからず。このゆきやうの句作、新敷とて専にする初心あり。点をかけ、あまさへ集にいるる撰者あり。おかしきことの最上なり。
 聞にくさに上手はもてはやさぬゆへ、古き集にも見えぬを、めづらしき事かと思ひてするなるべし。
混乱 また、
  接足つぎあしで花の枝おるやさくらかげ
 此句も同じやうに聞にくき中にも、そのおらるる花とふまえて、おる器うつわものと混乱して、いづれが何れとも、わけもなく侍るなり。
 古き句の批判に、
  雲やこけら風のしらぐる月がんな
 此句も、しらぐるうつはものは、つきがんな、しらげらるるものは月なり。しらぐるものとしらげらるるもの、ひとつなりて、わけなきよし。最もなる批判なり。
時鳥 また、此頃の時鳥の発句共を見れば、上より「ほととぎ」と云つめとまりの五文字のはじめに「す」と云出せる事おほくあり。おもはしからぬ風情なり。
  千金の声はほとゝぎ寸白哉
 此句、疝気とのしう句は勿論叶侍れ共、よく吟ずる程、時鳥が寸白になりたるにや。また、題を取侍らば「寸白に寄する時鳥」とやいふべからん。いと聞にくし。
 また、
  谷ぞこになくやほととぎ数千丈
  一声にやむはほととぎすけもなし

 同じやうに聞侍れ共、此両句は「寸白」とは、雲泥のちがひあり。此間にあさからぬ心、こもり侍るなり。誹諧のみにも限らず、かんなの文章にも此心有なり。
俗難 ある人の物語に、面白き対ついとて、
  弘誓のふねの舟歌牛頭馬頭の馬かたぶし
 「傍人難」に云、弘誓の舟の舟歌も、もとなき事といへ共、上をまくら言葉にして、はいかい体において、尤おもしろし。「牛頭馬頭の馬かたぶし」、一向謂はれず。「馬かたぶし」は、馬をおふもの歌なり。しかるを「牛頭馬頭の馬かたぶし」といへるは、馬がわれとうたふにや。
 但、また、此鬼は冥途にて馬をおふ鬼にや。彼の「毛吹草」、時代の「はとゝぎす」などいへる。五音相通の発句共を、正式・正章の非言の書に「へたとぎす」と難じ、追たてられしより、いづかたへ鳴て行つらん。「よどとぎす」も、それより後の集には希なり。
 「郡山」「ひむろ森」の両書は、この道けいこせるもの、一覧して俗難をのかれずは、有べからざる書なり。いかさまにも、時鳥の句は仕がたきものにや。

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第四 無心所着の発句の事

無心所着 無心所着といへるは、和歌よりも難ぜることなり。其有様、心を着くる所なしとて一首にしかとしたる体なきなり。「八雲御抄」に云ふ、ただそゞろごとなり。あしくよめば、その姿ともなきものなり。
  わぎもこがひたいにおふるすぐろくの ことひのうしのくらのうへのかさ
 はいかいにも、かかる句のみ多し。
和歌 無心所着といへるは、和歌よりも難ぜることなり。其有様、心を着くる所なしとて一首にしかとしたる体なきなり。「八雲御抄」に云ふ、ただそゞろごとなり。あしくよめば、その姿ともなきものなり。
  わぎもこがひたいにおふるすぐろくの ことひのうしのくらのうへのかさ
俳諧 はいかいにも、かかる句のみ多し。
  花はねにかへるの声やさきばしり
  足引の山さるや月のかつらの木

 これらの句、いひかけのみに心を入て、何をいへるとも聞えず。一句も立ず。まして平句などには、数をもしらぬ程あれども、前句にまぎれて、一句立やうなれは、誰も気を付ず。
発句帳 此頃は殊に、発句帳共多く板行あり。其集共を見るに、発句の部立をもしられぬと見えたり。其故は、冬の衣がへの句をも、夏の更衣の部に入、元日の此句を、花の所に入たるもあり。おもふに、これは、花の春と云詞を見誤て、撰者、句の心をもしられぬなるべし。
 まして、散花・咲花・つぼむ花の句のならべやうも、次第なきのみなり。
 また、発句帳に切字をも、しかと知ぬやうなる口つきして、百句二百句いりたる人、あまたあり。これは、世にはいかいの名をとるべき為にや。いと不審なり。
 若、名をしらるべき為ならば、一句二句にてもよろしく、本意たゞしき句をせらるべし。代々の撰集にも、名歌一首二首入て、後世に名を残したるためし多し。
 此道、建立の為なれば、其句をあげて、一々巨細に批判したき物なれど、句を指時は、例の非言の書のやうになるゆへ、まづあらかたの格をあげ侍る。類を以て、推し給ふべし。
 すべて、其身、其徳にも至らずして、みだりに発句帳つくる人多し。其撰者の心には、代々の和歌の撰者とひとしきやうにも、おもはるべけれど、退て見る時は、下心さもしく侍るか。
貞徳  又、此頃の撰集に、貞徳翁句なりとて、悪き句おほく見え侍る。大かたは、貞徳への手向草なりといへり。若、又、実に貞徳句也とも、撰集といへるからは、よろしからざる句は入らるまじき事なり。愚推をめぐらし侍に、貞徳は名高き人なれば、此集には貞徳の句もあまた有と、初心におもはせて、其発句帳の面目にせらるると見えたり。
 貞徳、名人たりといふ共、云出さるる句毎に、名句もあるまじき事なり。又、人の発句望める時、我もおもはしからずは知ながら、其座の興までに云出す事も有事なるを、それを貞徳の句とだにいへば、吟味もなくて集に入らるるを、初心のともがら、貞徳の句にもかかる句有とて、手本にする、せんかたなき事共なり。貞徳、心あらば、草のかげにて、いかばかりかなしまれん。孔子・老子・釈迦などの詞は、云出さるゝ毎に、皆金言なり。それは、世を同じうしてかたる事にもあらず。貞徳の事はいへるも愚、唯今、定家卿の幽霊也と名のりて、云出るとも、其名に迷ては悦ぶまじ。また、三歳の童子なりとも、其詞のよろしきには、心服し侍らんとおもふも、また我心なり。

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第五 歌の制の詞之事  はいかいも

制の言

主有詞
 歌の読かたに制の詞といへる事あり。これは、古人の云出したる事を一句にてもとらぬをしへなり。其故は、古人此詞に粉骨したる詞なり。
        春やむかし
  月やあらぬ       霞かねたる
  ほのぼのとあかしのうら

 などいへる言詞なり。かやうの歌を集めたる制の言とて一冊あり。あるが中にも家隆かりゅうの歌おほし。されども、此一冊には限るべからず。
 近代の歌なりとも、作者のふかく思入たる詞はとらぬがよきなり。

 また、幾度にてもよめる詞あり。
  久かたの月  をしてるや難波
  あし引の山時鳥の 
類これなり
 同じ古人の歌ながら「足引の山鳥」はまくら詞なり。それゆへ、幾度読てもくるしからず。
 「ほのぼのとあかし」の歌は、人丸ふかく思入、めづらしき景気をつらねし故なり。かやうの詞を主ぬし有詞といへり。
制の言 歌の読かたに制の詞といへる事あり。これは、古人の云出したる事を一句にてもとらぬをしへなり。其故は、古人此詞に粉骨したる詞なり。
        春やむかし
  月やあらぬ       霞かねたる
  ほのぼのとあかしのうら

 などいへる言詞なり。かやうの歌を集めたる制の言とて一冊あり。あるが中にも家隆かりゅうの歌おほし。されども、此一冊には限るべからず。
 近代の歌なりとも、作者のふかく思入たる詞はとらぬがよきなり。
詠る詞 また、幾度にてもよめる詞あり。
  久かたの月  をしてるや難波
  あし引の山時鳥 
の類これなり
 同じ古人の歌ながら「足引の山鳥」はまくら詞なり。それゆへ、幾度読てもくるしからず。
主有詞
発句
 「ほのぼのとあかし」の歌は、人丸ふかく思入、めづらしき景気をつらねし故なり。かやうの詞を主ぬし有詞といへり。
 此心、誹諧にもあり。
  霞を   衣にたとへ
  夕立を  太刀に取なほし
  色葉を  いろはに云ならひ
  霜を   柱にけづりなす類

 千度、百度、云出るとも、新敷一言をだに加へば、人の句を盗めるともいはれず、等類とも難じがたし。
主有詞
平句
 又、主ぬしある詞を発句にとる事は、申に及ばず。平句にもせまじき事なり。
 主ある詞とは、
  稀に逢夜はまん丸にねもせいで
  玉子のおやがいそぐ衣々     貞徳
  ま虫のさたはおかしませとよ
  見るもにくへの字戴ヨ入道    季吟
  いかさまに盗ならん下心
  かきそこなへる恣ほしいままの字

 かやうの類、あげてかぞふべからず。「何は何に似たる」と見たて、「それはそれなるか」と取なし、景気を詠め、感を催し、謎の心を云めぐらし、文字の上につきて仕立など、際限もなき事なれば、句を引例をあぐるに及ばず。

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第六 きゝ発句之事

きゝ発句  やみの夜は松原ばかり月夜哉
  涼風は川ばた斗あつさ哉    一重
  五月雨は山路斗や水びたし

  右、「やみの夜は松ばら斗にて、残る世界は皆月夜也」と、「松原のしげりたる」と「月の光の明あきらかなる」とを云たてたるなり。残二句も此心を以て聞ば明なり。
例句 其外、
  かいで見よ何の香もなし梅の花
 此花にがきくらぶれば、万花香なしとなり。
  しら鷺の巣だちの後はからす哉
 巣がからになるとなり。
  二人行ひとりはぬれぬしぐれ哉
 「二人ながらぬるるといふ心也」と古来聞来れり。更に今一説あり。
 はいかいのみにもかぎらず。唐にも、
  飛鳥影不動
 とぶ鳥の影は動かず、其とぶ鳥の実の姿が動けば、影は随ふとなり。
  鶏三足  卵
 鶏の見えたる所の足は二つにて、其ゆかんと思ふ心の足共には三つなり。玉子かへりて後、くろき鳥の子はくろく、しろき鳥の子は白くなれば、かいこの内よりも毛有となり。
 禅家の学者の心を勘弁する語などに、あまた有事なり。かやうの事より工夫仕習ても、従浅入深の道理なれば、真の道にも以たるとなり。

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第七 詞をのこす発句之事

言外の詞  千代も見ん丁固ていこが夢を春の門
 この心は、丁固、ゆめに「腹の上に松生たり」と見たりしを怪しみ、人に語りければ、「松は十八公とかくなれば、十八年の後、公の位にのぼり給ふべし」と、圓ゆめあわせせしかば、後其ごとくありし。其古事を以て、「千代もへん」と云、「春の門」といへるにて、「松」といふ事を言はずして、言外にあらはしたり。
  千代も見ん丁固ていこが夢を春の門
 この心は、丁固、ゆめに「腹の上に松生たり」と見たりしを怪しみ、人に語りければ、「松は十八公とかくなれば、十八年の後、公の位にのぼり給ふべし」と、円ゆめあわせせしかば、後、其ごとくありし。其古事を以て、「千代もへん」と云、「春の門」といへるにて、「松」といふ事を言はずして、言外にあらはしたり。
  星祭る香の煙や蚤のいき  季吟
 これは、世話に「のみのいき天へのぼる」といふを以て、七夕まつる香の煙も、天にのぼるといふ事を、云まはしたるなり。彼、在中将の、「我身ひとつはもとの身にして」と云はなちて、二条の后は、ましまさぬといふ事を、言外にもたせたると、事こそかはれ、大かた心通ひ侍るなり。
賓主 右二句の類、初心のならぬ句体なり。すべて宗匠とあがめ、師と頼み侍るにも、目きき有べき事なり。年ばかりよりて、我は誰が口伝をうけ、我は誰が門弟なりと、我師を鼻にあてて、自慢せらるれと、常々の句の仕立やう、付はだへなど、しらざる人は、うけられ侍らず。我さへ不堪にて、人を堪能にするといふ道理、努々有べからず。たまたま、爰やかしこの懐紙を見るにも、つけはだへの味、一句の賓主の差別あるは、まれなるかと覚えたり。
 賓主の事も、次ついでにしるし侍るべし。たとへば「松の雪」といふ時は、「松」は主にて、「雪」賓也、客なり。又、「宿の秋」、「秋の宿」などいふも、此心持なり。前句の肌によりて、味有事なり。
 つらにくき事いふとおぼしめし候はんづれ共、此書を御覧して、五年十年合点ゆかぬ事をも、一いろ二いろにても、得心せられし方々も有べし。
 されども、人の心すなほならねば、一品二品の理をも初て知れし人、其得たる所の悦は忘て、我利口発明のやうにもてなし、あるは、むかしより心得たる顔ぶりにて、かへつてとりどりにあざけられん初心もあるべけれど、我はもとより、我一人の為にせず。なべての為なれば、其義をもかへり見ず、あらかたの事は書あらはし侍る。猶、委事は、しばらく口伝にのこし侍る。

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第八 切字之事

切字 発句には、まづ切字と云物、なくては叶はぬなり。猶、其子細。
  カナ モガナ
  哉  所願  がもな (「もがな」と同じ心なり。「も」は休め字)
  がな (同)  けり・ぞ・や・か・つ・き・を (事は次にしるす)
  し (「むかふし」はきれ字。「過去のし」は切字にならず)
  ぬ (「をはんぬ」はきれ字。「ふのぬ」にてはきれず)
  いく・いづら・いづこ・いづれ・いかで・どれ・どち・何 (かやうのうたがひの詞、いづれも切字なり)
  いざ・だれ・たり・めり・けれ・けり・なり (かやうに「り」ととまりたる詞)
  もなし・はなし・こそ・らし・らん

 此外にもあまた侍れど、大かた此心持なり。
下知 また、下知の詞の類、
  花にくめ・月になけ・ちらせ・ふくな
 などいへる詞、きりもなし。
注釈 右の切字 哉 もがな はなし もなし などの外、大かたとまりにはせぬ、可なり。「なりどまり」「けりどまり」など。
 又上に下知して、下に「哉」ととめ、上にこそと云て、下に「哉」ととむる事、宗匠わざなり。仕立やう心持心得あり。

【季吟法印誹諧秘】について
・ 虫損・汚損本の写しか。例えば、この「第八切字の事」は、見出しがなく、「発句切字なくてかなはぬ事なり。猶子細有哉。所願、をの字、切字心持有也」などとある。あたかも断片をつないだかのようである。

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第九 をまはしの発句之事

比べる
を回し
  花さかぬ草木もあるを石の竹
  どんぐりの木さえもあるを利根草
りこんそう
 此仕立やうは、上に「さへ」と云て、下に「を」と抑へ侍るなり。句の心は「花さかぬ草木さへあるを、此石の竹の花咲は奇妙也」と、「石や竹には花さかぬものなるを」といふ心に仕立てたるなり。もの二つをくらべいへるにて、心自然に切るなり。
常のを 「を」の字を切字の所に出し侍れば、常のてにをはの「を」の字にても、切字になるかとおもひあやまり、又、古人の二の句のとまりに、「を」の字をすへたるを見て、切字かと思ふ人有故に、これもひとつのの口伝にて侍れ共、爰にしるし侍るなり。
 たとへば、
  白雲と花咲く木々をみねの景
 かやうなるは、切字にてはなく侍る。
比べぬ
を回し
 又、ものふたつくらべずしても切るあり。こゝに一両句あげ侍る。其格は口伝残し侍る。
  霜にたえしみさほもあるを雪の松  美州住
  をしかりし春さへあるを年の暮   愚句
手本 また、祖白の句に
   暁がた雨はれたる元日に
  来る春はさはらぬ物をよるの雨

 此句は、彼「くる春は八重むぐらにもさはらざりけり」といへるを下心に持て、「雨の暁はれわたる」を、云めぐらし侍るにや。其隠者の身の程をおもへば、一入珍重なるにや。これらや、をまはしの発句の手本なるべし。

第十 三だん切発句之事

三段切  花はひも柳は髪をときつ風
  織女はだての薄ぎり雲の帯    則常

第十一 はね字どめ発句之事

撥字止  名ぞ高き月や桂を折つらん
  歌もなし花やめいぼくなかるらん 季吟

第十二 大まはし発句之事

大回し  あなたふと春日のみがく玉つ嶋
  花さかぬ身はなく斗犬ざくら   元隣

 右三色(※三段切・撥字止・大回し)の発句、甚深の口伝ある事にて、其道の堪能ならずしては、たとひ仕立やう知といへども、つかうまつらざる事道の法なり。やつがれ、一句仕しも、僣踰せんゆの罪のがるゝに、所なけれどとても、せし事なれば、書付侍し。
梵灯の逸話 宗養より伝受の書に云、
   永享年中北野万句 御所様御句
  みづがきのふりて久しく松の雪

 とあそばし候を、梵灯庵主宗匠にて、「是は、『久しき』と御沙汰候はば、珍重の御句たるべきを。大廻し御存知なきゆへ」と申されしをきこしめし、「しからば引なをしてこそ侍らめ」と御機色あしかりければ、都の住居かなはずして、駿河のかたはらと侍しとなり。
その他 其外、二字切・三切字などいへる発句の仕立やう有事なり。また、恋の発句に、心持有事なり。

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第十三 脇之句之事

時節 まづ脇は発句に随ひて、時節たがひなきやうに打そひ、付たるよし。
 其上、「月・雪・宿」、或は「草木・鳥・獣けものの名」など、又「比」といふ字にて止むる、つねのことなり。「涼しさ・長閑さ」など止むることも自然にあり。
 世俗にもいへるやうに、「発句は客人、脇は亭主、第三は相伴人」なれば、まづ「亭主脇」は、「客人発句」の御意にそむかぬやうにと心得たる、よきなり。
 時節をたがえぬ、一つの法なり。
 「時節をたがえぬ」とは、同じ春にても三ヶ月にわかち、一月のうちにても、上旬・中旬・下旬と、分ち侍る。
 同じ時節といひながら、霞などのやうに春三月みつきにわたるものあり。されど、霞にも、薄き・濃きの時節の景気あり。
 忠峰の「いふばかりにやみよし野の山もかすみて」と詠まれしは、元日の霞なり。此「いふばかりに」といへるに、深き心ある事なり。
 元日の句、立秋の句など、一日にかぎる時節なり。同じ上旬のうちながら、元日の句に白馬の節会あおうまのせちえのうはさも、脇に時節ちがひなり。立秋の句に七夕の道具付たるも、その心なり。この心持、肝要なり。その故に取なし、かつてせぬことなり。
※ はるたつといふはかりにやみ吉野の山もかすみてけさは見ゆらん 拾遺和歌集 春 壬生忠岑
起承転合 詩の法に起承転合とて、一の句にて心を起こし、二の句にてその心を承け、三の句にて転じ、末の句にて惣の心を合することあり。発句・脇・第三も起承転の心に来る、能候ふ。
 第三はもとより相伴人にたとへ侍れば、かけはなれたる、よく侍る。その故に取なしも仕候ふ。
脇五法 紹巴法橋(戦国の連歌師、貞徳師)より玄仍(安土桃山の連歌師、紹巴男)へ遣されたる書に、脇に五つの法あり。
  一には 相対あいたい  二 打添うちそえ  三 違付ちがいづけ
  四 心付こころづけ  五 比留ころどまり
本歌・本語 本歌・本語、或は世話などに本づき仕立たる句の脇は、大方その発句に云ひ残したる詞を取りて、仕なり。
 猶、その発句によりて、その云残さぬ詞をとらぬことあり。いさゝか口伝。又大小の脇などいへることあり。貞徳老よりの口伝なり。

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第十四 第三の句の事

て・らん止め まづ第三は、「て止め」、「らん止め」、なべての事なり。その様子によりて、「に」とも、「もなし」とも止むるなり。
体言止め 貞徳の第三に、
  春の末天下に名ある時鳥  ※紅梅千句
 と、止められたることあり。かやうの止めやう、百韻俳諧にはなき事なり。「に」と止め、「もなし」と止むること、勿論習あることなれば、師伝なき人はえせぬこと云ながら、又、その習を得れば、別の事もなきことなり。かやうの曲は常にせぬことなり。
第三めく事 ただ、「て止め」「らん止め」の第三に、たけ高く、景気うつり、思ひ入ふかく、第三めきて聞ゆるに、浅からぬ口伝も工夫もあることなり。総じて、物の上手は、さしたることもなきことをつゐで、おもしろくし出し侍るなり。
 このこと諸芸の上に渡り侍るべし。不審に思し召す人々は、何にても一かたの名人に御尋ねあるべし。
上品の第三  梅の花見にこそ来つれ雪をはきて   可全
  御所車花にくるくるみす巻きて    梅信
  にくや風花と知りてぞ吹ぬらん    昌珍
  後々も見よとや古歌を集むらん    正慶

 大方かやうの風情なるべし。前句を聞ざれ共、おもしろし。第三のみにかぎらず、前句なしに面白き上品じょうぼんの句なり。
 中品の句までは、前句の光りにてよく聞えて、前句なしにはさもなきなり。それさへあるを、前句をかり前句にもたれんは、作者の無念歟。され共、前句にもたるる句を聞知る人も稀なり。前句にもたれぬやうにと、年ごろ心かくれ共、甚だ成がたし。

第十五 四句目之事

軽く 脇の句のおもぶりとは、一くらゐ替りて、いかにもかろく仕立たるよし。
 その故に、「てにをは」にて、「たる・なり・めり」などと留る由、紹巴の口伝書には侍れども、また、文字にて「路みち・雪・雲」などと、留りたるも有なり。
 ただ、かるく付けたるよきと云心なるべし。
 連歌には面おもて連歌とて、かるきを専せんにし侍れ共、俳諧には、ただかろきばかりにて、なまづきなるは、おもしろげなきなり。能く心得べし。

第十六 五句目之事

第三の心 これも、たけ高く、第三のおもかげに仕立たる、能なり。
 されども、左様にばかりはなりがたき故、たけたかからぬ句も仕る事に候ふ。すべて上の句の「てどめ・らん止め」の句は、第三をつかうまつる心にて、仕たるよし。

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第十七 面八句之事 付九句目

貞徳十種 おもて八句之事、大かたの法度、貞徳の十首の歌を以て、類ををし給ふべし。そのひとつに、
  誹諧は式目ぞなき大かたは 和漢のごとく去きらふべし
  和漢には季・恋・述懐・旅・同字 連歌のごとくしかるべき哉

 但、「打」といふ字のやうなる「てには」字は、いづれも三句ざりなり。
  誹諧は右五色ををしなべて 七句をば五句五句は三句に
  名所・国・神祇・釈教・恋・無常・述懐・懐旧おもてにぞせぬ
  水辺やまた山類の体用は 連歌のごとく用ゆべきなり

 私に云、連歌には「水辺・山類」ともに、体用用とか、用体体とは三句つづき、用体用・体用体と、はさみてはせず。しかれども、貞徳晩年には、体用のわかちなく、三句つづけてせられしなり。此ゆへ、貞徳流をくむものは、今体用をわかたず。猶、その座の宗匠次第なるべし。
  鬼女とらおほかみの千句もの 面にもすれど一座一句に
  新式の一座一句は二句すべし 二句の物をば三句有べし

  三句ある物は四句有四句のもの おもてをかへて五つあるべし
 私云、かく四句のものは五つとゆるし来れども、四本の花を五句する事はなし。此心を以て、余はなぞらへしるべし。
  新式にうらと面をきらふもの はいかいにては七句さるべし
  連歌にはせぬ物の名や古事詞 けやけきものは一座一句に

 やつがれ、このかみ九句目に、恋の句をつかうまつり侍れば、或人難曰、「連歌には十句目まで、恋・無常等の句にはゞかりあり。いかに誹諧は法度ゆるきとて、九句より恋などせん事、いかが」と申されしを、予、こたへ侍しは、「そのあやぶみなからしめん為に、古人法をたてをかれたり。これにかぎらず、季は連歌には七句去を、誹諧には五句去なるをも、連の事思ひ出て、七句さらば連誹の替めなし」と理り侍し。
 かやうの遠慮ずきたる事、田舎説とて、連歌よりもまゝ有事に聞及候ふ。いまも田舎には、しかとしたる宗匠なき故、云がちのやうに、さまざまのいりほがなる事あり。また、京の宗匠たちは、あまり物やはらかにて、 打こしの心、 吟味なきがちなり。入れあはし侍らば、都鄙ともに、上手、出来侍べし。

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第十八 月花の句之事

出どころ 月はおもての七句目まで、二の折よりは十三句目までに仕、花は裏の十三句目を定座といへり。されども、脇・第三にも、花をもいたすなり。
  うらの月ははやく出したる、可なり。月を遅く出せば、花の句につかへてわるし。
月花の句 又、花の句に月を結てする事あり。これを、「月花の句」といふ。月は四季ともに有ゆへに、花にひかれて春なり。月花の句、一座に二句はなし。
花・紅葉 また、花紅葉とつづきては雑なり。また、ふるき連歌に、
  花の後青葉なりしが紅葉して
 といふやうなる句は、三季の事をいへども、句は秋なり。
花の本意 また、花の句に、おもはしからぬ、あり。たとへば、
 ┌  障子のそとにもるる人声
 └ あつまりて双六を打花の春
 ┌  身を粉になして棒つかふ也
 └ 渡る世やそば切をうつ花の春

 かやうの句、他流の懐紙に見え侍る。上にいへる事、「花の春」にも、能く相応せりとも見えず。前句には、上にいへる事ばかりにて、能付なり。しからば、「花の春」付あまりたるとやいはん。また、「花の春」を、言葉のたらぬ所のたしにしたるやうにて、聞にくし。
 花の句は、その「花」といふ字なくては、その一句聞え難やうなるよし。花をやとひたるやうなるは、花の本意にあらず。また、花、もし、花さま、よくよくよき句にあらざれば、道外どうげものなり。
辞儀 総じて、月花ともに時宜ある事にて、発句したるもの、三人以上の連衆にては、花はせぬ事なり。月の句にも辞儀あるといへども、花の句の大切なるごとくにはあらず。
 十三句目を花定座と、古来よりさだめ来れる事も、句毎に、我人、花の句をはゞかりて、十三句目までのばしたるを、又十四句めに、下の句にせんもいかがとて、十三句にせし事なりとや。
 その故に、独吟か其座の宗匠なれば、いづかたにても辞儀なしにする事に候ふ。若しまた、余人も珍重なる句ある時は、宗匠・貴人に理てする事なり。「宗匠よりもよき花の前句」とおもへる時は、ゆるして、だれにも付させる事なり。とにもかくにも、花の句をよからしめん為なり。
 されども、今は、十三句目、花の定座ときはまり侍れば、それより此方こなたには、大かた仕ぬよし。若き衆のくせとて、これにかぎらず、伝受の「てにをは」、または「とめやうの曲」など、一色、二いろ習ては、立にも居るにも、それのみせらるるなり。すべて習の有事は、つねにはせぬものの由に候ふ。
季の扱い 月の句もたとへば、「月にしのべる」「月にまつ」「月に書を見る」などいへるは、さも有ぬべし。季をもたせん為斗に、「月に何する」「月にかをする」などいへるやうなる月に縁なき事は、聞にくし。

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第十九 呼出し花・引上花之事

呼出花 よび出し花は、大方はせぬ事なり。うらの六句目より以後に春の句出せば、花呼出しになるなり。
 其ゆへ、裏の六句目以後、春をせぬ、よきなり。春は三句せずしてはかなはぬ事なれば、六・七・八句と来て、九句目より十二句目まで四句なれば、定座の花の句、五句去りの春、一句近きゆへなり。
 されども、貴人・高家、六句目以後に春をせられたるとき、悪しきとも言ひがたし。その時、雑の花・他の季の花をするなり。雑の花とは「花紅葉」「花婿」の類。他の季の花とは「余花」、また、「花の後青葉なりしが紅葉して」などいへる句なり。
 されども、春の花だに仕がたきに、雑の花、他の季の(花、)人にさせんもいかがなれば、遠慮する事なり。
植え物 九句目より以後に、高きうへものせず。十句目より後は、ひくき植物もせぬ事なり。
引上花 引上花とは、十三句目よりこなたに、前句春にてもなきに、花の句をする事なり。  裏にても、五句目までには、春をも仕候。その故は、三句続きても、定座の花と五句隔て有故なり。
 また、いづくにても、春一句来るには、花の句を付け、二句、三句来て後、花の句はせぬといへる、田舎説なり。信用すべからず。
はなやか 「はなやか」といふ言葉、「さく」「にほふ」「薫る」など、結ばずしては、正花にならず。これは「栄えいの字をはなやかと読む故なり」と、貞徳の説なり。「花やか」、句によりて正花にも成るなり。しからば、植物に二句なり。

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第二十 句数之事 并去嫌

五句去春秋の句 春秋の句 三句より五句まで続く。二句にては捨てず。
夏冬の句 二句より三句まで。平句にては一句にても苦しからず。
三句去神祇の句 一句にても苦しからず。三句より多くはせず。
釈教の句 同前。
述懐の句 一句にても苦しからず。引合ては三句もするなり。
 無常ばかりも三句は続かず。述懐ばかりも三句は続かず。懐旧といふ事、述懐と同じ分にして用るなり。また、述懐・無常・述懐とはさみては悪。
恋の句 二句より五句まで。一句にては捨てず。恋の字は折をきらふなり。
三句去居所 一句にても苦しからず。三句まで続く。
 其中にも、「住居や家」の風など、よはきものは二句去なり。
 寺・宮は居所にあらず。
山類 同前。体用の事、別にしるす。
水辺 同前。
二句去人倫 二句も続く。
 「主君の君」は人倫にあらず。「恋の君」は人倫なり。氏・官名、人倫にあらず。塗師ぬしは人倫なり。ぬしや塗師屋とすれば人倫をのがるるなり。此格を以て、かやう類はをしてしるべし。
 如来・菩薩並に祖師の名、人倫に非ず。像なり。聖賢の名、孔子・顔回をはじめ皆人倫なり。其わかちは、仏家には人倫をのがれ、家を出るを本意とせり。儒者は人倫たるをつねの道とする故なり。さるによりて、いもほり小僧などいへるは人倫なり。名僧といふは人倫にあらざるなりといふ、古人の説なり。
三句去旅の句 三句より多くはせず。一句にても苦しからず。旅の字は一座に三つ。
三句去生類 かはりたる物も二句より多くはせず。
 鳥と鳥、虫と虫、魚と魚、獣と獣。

二句去も有
 鳥と虫とのやうに、替たる事なり。
三句去植物 かはりたるも二句より多くは続けず。
 木と木、草と草。
又二句去 木と草とのやうにかはり、また、竹などとかはりたる事なり。
三句去衣類 二句より多くは続かず。
 衣といふ字は五句去なり。衣川などいへるは三句去。袖と袖、三句去なり。
二句去名所 二句より多く続かず。
三句去夜分 三句までもするなり。一句にても苦しからず。「夜あけ」も夜分。また、「夜の明て」としても夜分なり。「明はなれ」とすれば朝時分なり。
 「けふの月」「けふの今宵」、夜分に非ず。大かた、「けふ」といふ字そへば、夜分にあらず。
三句去時分 夕時分・朝時分の事なり。朝の時分と暮の時分とは、打越嫌。
二句去降物 二句より多くは続かず。雪・雨・露など、かはりたる事なり。
聳物 同。但、「霧」はふりもの・聳物、両方なり。
器財 同じやうなる器もの、三句は続かず。此さりぎらいやうは、しなじなむつかしき事あり。其座の宗匠にとはるべし。

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第二十一 糸遊・霞・長閑と云句之事

糸遊 糸ゆふとは、春の日かげの空にちらちらして、目にさえぎるをいふなり。
 詩に、野馬・陽炎・遊糸など作れるも此事とぞ。しかるを今、
  最いと優長にたるるつり針  ※優長≒悠長
 などいへる句を、「いとゆふ」に声似たればとて、春の季に用る事、誤なり。
かすむる 「かすむる」と云詞、「掠」の字なれば、打まかせて春にはなり難。
 肖柏句に、「いく重物いひかすむ覧」、かやうのあいしらひなくては、季に成がたき由、貞徳説なり。
 「目のかすむ」「鐘の霞」などは、霞の字なれば春なり。
長閑 「長閑」と云句の事、勿論春なり。去り乍ら、近年、春の季につまりて「長閑」にもあるまじき事を、「長閑」といふ字を無理に云そへ春になし、殊に三つ物のはいかいなどに、諸道具を「茶磨長閑にて」の、「硯長閑にて」の、「かぢ屋の家居長閑て」など、あらぬものまでを、のどかがる作者多し。下手の連歌師のまねか、聞に
くし。勿論、ふるき草子の言葉などに、ゆふなる心に「のどか」と書たる所有とも、それは味のちがひたるものなり。か様の事、「所詮人のしたるは笑ずして、我はせぬ」、よきなるべし。
  あたら敷舟の帆柱長閑て
  客人をまつ膳立は長閑にて
  罪人を鬼や長閑にせめぬらん

 かやうの長閑、世にたくさんなり。或、「水・山・野・原」などの景。又は、「人の心の上」、「月・日の光」などの外、いな物の長閑、聞にくし

第二十二 春秋の両字添、季持句之事

云付 たとへば、「春の夕暮」「秋の中空」など、云付たるは云に及ばず。
 「春のつき山」「秋の泉水」など、是は「春山」「秋水」と云へる文字もあり。其上山も水も春秋にしたがひて、景気もかはる物なれば、苦しかるまじき事なり。
 又、「春の台うてな」、かやうの詞聞なれず、つまりたるやうなれども、「春台」といふ字あれば、苦しかるまじきか。詩の題に「春女じょノ恨ミ」といへるありといへども、「春の女おんな」、一向にいはるまじ。詩の題の心は、女は陰気をつかさどる故、春の陽気に感じて、恋暮の心も起れると云ふ心なり。
 また、
  おもひ切つつ世をそむく秋
 かやうの句も、秋といふ字、ふと出たるやうなれ共、四季のうちにも秋は物思ふ事、一しほまさる時なれば、聞にくからず。唐にも此心あり。同じ事ながら、「世をそむく夏」「世をそむく冬」など、聞にくし。春・秋の両字は、大かた悦しき方には春、憂しき方には秋といふ、相応なり。
 さはいへど、めでたき事に千秋ともいへり。
 しかるを、春といふ字にあづからぬ事を、季につまりて、
  大事をならふ春の兵法
  山崎出てあぶらうる春

 など、つまりて聞え侍るなり。
紅梅千句 問て云、「しからば、『紅梅千句』に貞徳の句に、
  初瀬より出て勧進の春  ※ → 熱田を親子勧請の春
 といふ句もあしきにや」。
 答て云、「此句はおもはしからず。貞徳はこの道の名人にして、其才たかき事、猶、樊会はんかい、樊噲が、たたかひに長ぜるがごとし。しかれども、かやうの句、おほくの中に見る事、樊会が兵つきてにげたる事有がごとし。しかるを、今此貞徳の句をおもひつまりたる春といふ句せん事、兵を事とせるものの、にげながら、『樊会がにげたるためし』を引て、辱はじとせざるがごとし」。
 これに限らず、「紅梅千句」、つまりたる句、一句の落着せぬ句、おほし。其悪を捨て、よき所ばかりにせ給ふべし。

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第二十三 つゝとまりの事

上の句 上の句の「つつどまり」も、むかしは有しといへ共、今はなき事なり。
下の句 下の句の「つつどまり」、よくとまると、留り兼るとふた品あり。
  とほるきせるにたばこつきつつ
  くらき座敷に火をともしつつ

 かやうの「つつ」は、とまり侍らず。
 また、「とまるつつ」あり。
 ツクバ
  いのちのかぎり思ひわびつつ
  きえし空から雪は降つつ
軽重 同じ「百人一首」のうちながら、
  ふじの高ねに雪はふりつつ
  我衣手は露にぬれつつ

 といふに軽重あり。「つつどめ」の、よくこまかに聞ゆる子細侍れど、人びとの工夫の為に引て発はなたず。
 やつがれも千句のうちに、
  両夫は見じと尼に成つつ

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第二十四 にとまりの事 并にてとまり

上の句 上の句の「にとまり」、別にをさへ字などいふ事もなし。
 とまらぬ句、
  むらむらとおりゐし雚立空に
 大かた過去の「し」、文字上に有てはとまらず。それも句体によるべし。かやう事、限もなき事なれば、逐一しるすにいとまあらず。余は準なずらえてしるべし。
下の句 下の句の「にとまり」、習ある事なれば、習得ぬ間はせぬがよきなり。
 「まにまに」といふ「にとまり」、嫌はずと、古来より云来れり。
 私に云、これは、彼「紅葉の錦神の随意まにまに」とかくゆへに、きらはず。
 たとへば、
  盗は番のねぶるまにまに
 などいへる、「あいだあいだの心」あるは、きらふなり。
折合 「にとまり」に、「だに」といふ詞嫌はずと古来よりいへり。
 私に云、「だに」は「さへ」といふ心なる故なるべし。
 かくいへど、折あひには、いろいろしからば、唯・さへ・だも・など、云かへて、しかるべし。
押え字 「にてとまり」の上におく字
  を は も からぬ には
 此外「さへ」といふ字もおさへ字なり。猶、此外に心得あり。別紙にこれを述ぶ。
去嫌 「にとまり」「にてとまり」共々に、一句去。
て・見ゆ止 下の句の「てどめ」「見ゆどめ」、習ひ有事なれば、普通にはせぬ事なり。

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第二十五 てにをはの雑詞

こそ-れ 上に「こそ」と云ては、下に「れ」と留なり。
 また、
  人こそ見えね秋は来にけり
 これは、「見えね」と「ね」の字にておさえたる故、「り」ととまれり。総じて「えけせてね」の横通おうつう、みな「こそ」といふ字の押字おさえじなり。
 此外に、「こそ」といふ字のつかひやう、あまたあり。是より下にしるすてにをは、何れも一応ばかりなり。堪能の人、此面にかはりたる事せられたりとも、初心は難ぜずして、それに随て審つまびらかにとひ、其奥義を極め給べし。
ぞ-る 上に「ぞ」と云ては、下に「る」と留侍る。
こそ 上に「こそ」と云ては、下に「れ」と留なり。
 また、
  人こそ見えね秋は来にけり
 これは、「見えね」と「ね」の字にてをさえたる故、「り」ととまれり。総じて「えけせてね」の横通おうつう、みな「こそ」といふ字の押字おさえじなり。
 此外に、こそといふ字のつかひやう、あまたあり。是より下にしるすてにをは、何れも一応ばかりなり。堪能の人、此面にかはりたる事せられたりとも、初心は難ぜずして、これに随て審つまびらかにとひ、其奥義を極め給べし。
 上に「ぞ」と云ては、下に「る」と留侍り。
  上にうたがひの「や」文字ありて、下に「て」とも「し」とも決したる詞にては、とまり侍らず。
 心の立侍るてにはあり。「亦不説乎」などいへる類、「よろこばしからずや」、「中々よろこばしき」といふ心なり。
らし 「らし」と「らん」と「けらし」、皆二句去。
 「けらし」と「けらし」、七句去なり。
 「三字仮名」故なり。とまりには、三つ、折を嫌ふ。
撥字 「てん」「なん」「せん」など、かはりたるはね字、とまりには、二句去なり。とまりならねば、付ても苦しからざるなり。もとより、折あひをきらふなり。
らん 「とらん」「おらん」などのはね詞、「『ら』の字は上の字に付たる字ゆへ、一字はねなり」といふ説、あれども、また、覧の字にも通ひて聞ゆる故、是も「らん」の二字はねと同前に嫌たるよきなり。
三仮名 「らるる」「ざらん」「ならし」「ぬらし」「つらし」、かやうの三仮名、皆七句去。連歌には、面を嫌なり。留りには一座に三。
けり 「けり」「けらし」「けれ」などの「け文字」、皆二句去なり。「けりとまり」、五あり。
 「るる」と云詞、二句去。「しぐるる」「日のくるる」などの類なり。
 「るとまり」、二句去。「帰れる」「通える」など。
 「るらん」、二句去なり。「残らん」「帰るらん」など。
 「るらん」は、三字かんな仮名とは替て、「見渡し」にもくるしからず。「残る」「帰る」の「る」文字は、其字に付て、二句去の「らんとまり」ぶり。「るらんとまり」と云事はなき事なり。
 「ふのぬ」「をはんぬ」といふは、たとへば「百人一首」の中にも、
  ほさぬそでだに  知もしらぬも
 などいふ類、「ふのぬ」なり。
  八十島かけてこぎ出ぬ  秋来ぬと
 など、「をはんぬ」の「ぬ」なり。

  夏の夜はねぬに明ぬ  上は「ふのぬ」。下は「をはんぬ」。
  雪 まだ消ぬ  春の山かげ  ふのぬ。
  雪 みなきえぬ 春の山かげ  をはんぬ。
 「をはんぬ」は、二句去なり。

 「ふのぬ」と「ぬ」  但し、「『ふのぬ』は大切なるの間、打越までは嫌ふべからざるなり」の由、新式に定めらる。今は付句斗を嫌なり。「ふのぬ」と「をはんぬ」とは、更に嫌はず。
 去り乍ら、前句の留に、
  うき世の事は聞はてぬ
 とあるに、付句の腰、
  おもひのよらぬ
 などあるは、折あひ聞にくき故に、付ぬ事に成れり。
 新式に「大切」といふ詞は、「稀なる」といふ義にはあらず。いくらもいはで叶はぬ文字なれば、「重宝なる」といふ事なり。
 「する」といふ詞に「せん」と云句、二句去。「する」と「する」、「せん」と「せん」と二句去なり。
 「ず」と「ず」、二句去。「しらず」「聞かず」の類、右二いろも大切なる故、二句去なり。
 「ざる」に「ふのぬ」、付句も嫌はず。「せざる」「行かざる」の類。
 「あらざる」に「有」の字、二句去。
 「也」と「や」、「なる」と「なる」、「なれ」と「なれ」、皆二句去なり。


 「なり」といふに二あり。
 一つには「なりけり」、是は「也の字」なり。
 又一は「なりにけり」、是は「成の字」なり。此「成の字」は三句去なり。「也の字」は、文字ただしくあれども、「上に体なければいはれぬ付字」なれば、「てにをは」なる故に、「也」と「也」とは、先にいふがごとく、二句去なり。たとへば、「春なり」「秋なり」と申す類なり。されば、文字かはる故に「也の字のなり」、「成の字なり」とは、一切きらはず。能聞分けて去嫌べし。


 「成」に、なれ・なれや・なる・ならし・ならん等、「な」の一字こそおなじなれ。したの付字かはりたる詞なれば、皆付句ばかりを嫌ふなり。

 なれや・ならし・ならん、「三つかななれ」は、面を嫌ふ。俳にも七句去なり。句のとまりには、一座に二句なり。俳には三句あり。

 「ならん」に二あり。たとへば、「雨ならん」といふは、「てにをは」なり。「雨とならん」といふは、成の字なり。

 「なりにけり」、一座に二あり。俳には三有べし。とまりには、「たけ」をかへ、二有べし。右六ヶ条、御傘の文。
らん 「らん」と下にはぬるには。上に「や・か・いづれ・なに・だれ」などいへる、うたがふ心の字有て、はぬること、常の習なり。「なん・せん・けん」などの一字ばねには、おさへ字の沙汰なし。
 又、上にうたがひの字なくて、「らん」とはぬることあり。
  久かたの光のどけき春の日に しづ心なく花のちるらん
 これは、うたがひの字、上になけれど、「かかる長閑なる春の日に何とてしづかなる心なく花は散ぞ」と、心にとがめていへり。此「てにをは」、数多あり。「いせものがたり」に、
 逢事は玉のをばかりおもほえで つらき心の長くみゆらん
 右、一応の「てにをは」なり。猶、ふかきさかひに至りては、「こそ」「らん」等字は申すに及ばず、「の」の字にさへ有文、無文の習有る事にて、漢家のおき字の法にも通ぜる心有りとぞ。

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第二十六 故事用やうの事

故事の扱い 連歌には、古事をこのめるを「物知連歌」とて嫌ひ侍れど、定家卿などよみ給へる歌にも、また紹巴などせられし連歌にも、古歌をとり、草子の詞を用ひ、古語をやはらげ、経文などの心をたどり給へる、数をしらず。また、用ひつけたる故事はくるしからず。
 「聞きなれぬ古事はいかが」といふ説あり。此「聞なれぬ」といふに、ふたつの品あり。文盲なる宗匠の耳には、世に知わたりたる「大学」の中にある文字も、聞なれぬ成べし。
 連歌の事はしらず、誹諧においては、「源氏」「さ衣」「伊勢物語」等、「万葉集」「八代集」「つれづれ草」「まくらさうし」、漢家の書にも「五経」「六経」「史記」「左伝」「荘老の篇」「文選」「白氏文集」、仏書にも「法華経」「碧岩」、此外、世間流布の書にある事、「聞なれず」とは云がたかるべし。
 また、我しらぬ古事付る人有時、よくしりたるかほぶりして、おもしろがる宗匠、世に多し。
 かくいへるとて、連俳の宗匠、件の書共を見ずしらぬを、曲事といふにはあらず。これは、ただ、をのれがせばきをかざりて、人のひろきをそしり、しらぬをよく知たるかほにもてなす人の為にいへり。
 其しらぬにいたりては、よく古事来歴をとひきはめ、其上に、宗匠やくには、句作・付はたへ、吟味せらるべし。これ、しらずながらもしれるの道にして、かねては、また弟子の迷ひを解くの法なるべし。
物知
連歌
 連歌には、古事をこのめるを「物知連歌」とて嫌ひ侍れど、定家卿などよみ給へる歌にも、また紹巴などせられし連歌にも、古歌をとり、草子の詞を用ひ、古語をやはらげ、経文などの心をたどり給へる、数をしらず。また、用ひつけたる故事はくるしからず。
古事 「聞きなれぬ古事はいかが」といふ説あり。此「聞なれぬ」といふに、ふたつの品あり。文盲なる宗匠の耳には、世に知わたりたる「大学」の中にある文字も、聞なれぬ成べし。
 連歌の事はしらず、誹諧においては、「源氏」「さ衣」「伊勢物語」等、「万葉集」「八代集」「つれづれ草」「まくらさうし」、漢家の書にも「五経」「六経」「史記」「左伝」「荘老の篇」「文選」「白氏文集」、仏書にも「法華経」「碧岩」、此外、世間流布の書にある事、「聞なれず」とは云がたかるべし。
物知顔 また、我しらぬ古事付る人有時、よくしりたるかほぶりして、おもしろがる宗匠、世に多し。
 かくいへるとて、連俳の宗匠、件の書共を見ずしらぬを、曲事といふにはあらず。これは、ただ、をのれがせばきをかざりて、人のひろきをそしり、しらぬをよく知たるかほにもてなす人の為にいへり。
宗匠 其しらぬにいたりては、よく古事来歴をとひきはめ、其上に、宗匠やくには、句作・付はたへ、吟味せらるべし。これ、しらずながらもしれるの道にして、かねては、また弟子の迷ひを解くの法なるべし。
故事続 能叶たる故事を用ゆるには、別に習も工夫もなきことなり。たとへば、
  ふかきうぢ川舟で渡さん
 といへる句に「佐々木、いけづきに乗りて、先陣せられし」故事をもつても、よく肌のあへる付やうあり。また、
  さすからかさは夕立のため
 といふ句に、秦始皇の御狩のとき、松の大木となりて、雨をもらさざりし故事も、句作にて、能付なり。
  廿余年まつりごちしも時移り
  半分かたる仙境のゆめ

 前句は、敦盛の謡に「平家世を取て廿余年」と云詞を取て、平家の故事なり。しかるを「二十余年政せし」といふにたよりて、彼の邯鄲の五十年の夢を思ひ出て、半分と切用候ふ。此句にまた、
  約束の夕にばかり雨となり
 これはまた、楚王の巫山にて神女と契り給ひし、かねごとに、「朝には雲となり、暮ゆうべには雨と成りて、君にまみえん」とちかひしを思ひ出、半分かたるといふにあたり、「暮にばかり雨となり」とあいしらひ侍。「無言抄」云、「本歌の事三句に渡るべからず」。本説・物語、同なり。
逃歌 但、にげ歌あらば、苦しからず。たとへば、
  月に心やひかれ行らん
 といふ句に、
  足なみもなづめる駒の秋の夜に
 と付て、また、
  岩ふみくれぬあふさかの関
 といふは、前は、
  あふさかの関の清水にかげ見えて いまや引らん望月の駒
 後は、
  あふさかの関の岩かどふみならし 山立出るきりはらの駒
 といふ歌にて付るなり。
逃句 此心をはいかいにも、
  をさむる国の様子かたれる
  札の徳ひろし六十万人に
  異香群集くんじゅよ教なす場にわ

 初は「遊行柳」、後は「誓願寺」の謡なり。

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第二十七 親句疎句之事

親・疎 親句は詞を対し、或は道具を以て付。
 疎句といふは、心を用ひて付るをいふなり。発句も其通なり。
 親句といへるは、たとへば、
  梅に鴬 柳に鞠 極楽に地獄
  虎の尾と云に 竜の髯

 など付る義なり。世話に道具付と云。
 疎句といふに至りては、定まりたる付物もなし。何にても、心の上を以、付るなり。世に「心付」といふ、これなり。
 ┌  見めぐらしけり四方の山々
 └ 物おもひまぎれやすると宿を出て
 ┌  またじと思ふくれは幾度
 └ 身の程を恋しきうちにかへり見て
 其故に、親句は初心仕て、初心も聞侍るなり。疎句は名人のみして、名人のみ能聞なり。
かくいへるとて、「親句は名人はせぬ」といふにはあらず。たとへば、七五三を以て、人をふるまひて、一旦の公義を調ゆる、親句の体なり。
糟糠を以て、まめやかなる友をまねきて、うらなくかたらへる、疎句の体なり。
若また、七五三を以て、心実しんじちの友と語らんは、鬼に鉄棒なり。
さればにや、親疎かぬる句を、秀逸とはいへり。
仕損い 此、疎句の体、宗匠わざなりといへる事、僻ひが心得に思ひ、其まねをして仕そこなへる事、いと見ぐるし。世話にも、「疎句のわるきは犬もくはぬ」と、云へり。
 其、仕そこなひの発句、一つふたつ、記し侍る。余は、推て知るべし。
  目出度さやとにも目出度き御代の春
  春や春花や花なる花のはる
  名月や一天四海雲もなし

 かやうの句して、初心にひけらかし、いかさまにも功者わざかと、心にくがらせる人、多し。
古人 彼、禅家に、「六々元来三十六鷺白烏黒」など、ただちに云はなせると同じ事のやうに、作者はおもふべけれど、誠に似たる事は似たれども、「是なる事は是ならぬ」なるべし。
 古人の仕たる疎句、
  月の秋花の春たつ朝かな   宗祇
  花さきて心に残る春もなし  御製

 また、此ごろの句に、
  思ひなしか晴れど霞むけさの空

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第二十八 篇序題曲流并用付後付之事

和歌 此五つの品、和歌の体より沙汰有事なり。
 まづ、篇・序・題の三つは、大あらめなる義なり。曲・流は、つぶさにこまかなる義なり。
 歌にも篇序題曲流と、あながち五句次第せるにはあらず。もとより、上の句に篇序題の心有て、下の句、曲流なるもあり。下の句、篇序題にて、上の句曲流なるもあり。一句に篇序題の心有て、四句、曲流なるもあり。
 まづ其次第にかなひたる、しるし侍る。
  春過て   篇   夏来にけらし 序   白妙の 題
  衣ほすてふ 曲   あまのかく山 流

 また、一句篇序題にて四句曲流なるもあり。慈円の歌に
  うき世哉よしのの花に春のかぜ しぐるる空に有明のつき
 これ「うき世哉」といへるを、四句にて云のべたり。
連俳 連諧連俳にていはく、
 ┌ 今はとて心ぼそくも立わかれ
 └  さすがにおもひたえぬ玉の緒
 ┌  三井寺?さして落てこそゆけ
 └ 物ぐるひ腰には扇目になみだ

 連誹にては、「篇序題曲流の句をする」といへる事はなし。とかく我句を、篇序題の心になしたる、よきなり。我句を曲流にすれば、用付に成てわるし。
 此外、二道・四道なといへる事侍り。
 用付といへる事は、初心の、まま有事にて、中心以後には、かつてなき事なり。
 たとへば、
 「傘」といふに、「骨」「紙」「油」なと付る、道具の用付なり。「指」「張」など付る、心の用付なり。
後付上 また、後付うしろつけといへるは、
 「仏」といふに「石」、「香需」と云に「長刀」なと付る事なり。
 引合て、「石仏」「長刀」「香需」となれば、「石」も「長刀」も名字にて、虚になり、実は「仏」と「香需」なる故なり。
 右二いろは、名字上に付たり。
後付下 また、名字下につくもあり。「観世音」「菩薩」などの類なり。
 「鑓」に「梅」、「桜」に「鯛」付るよし。
 また、「酒」に「奈良」・「奈良」に「酒」、「茶」に「宇治」・「宇治」に「茶」、どちを付てもくるしからず。皆、体なる故なり。
 これらは、まのあたりなる事なる故に、少し心あるものはせず。其こまかなるに至ては却者巧者も仕誤る事なり。

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第二十九 前句に持れ前句を借句の事

前句借り 梅桜等の名木に、「花」と付る事、花は定まりたる名なければ、前句の花をいへるやうなれば、前句を借心なり。
 たとへば、
 ┌ 下さるる鷹の鳥毛やあらふらん
 └  義式有げになをすまな板

 さながら、前句の鳥をのするやうにて聞にくし。
 また、
 ┌  望みし戒をうくる氏寺
 └ 済米ときまい、斎米と知行の初穂参らせて

 此「まいらせて」といふにて、前句の「氏寺」へ参らするやうにて、聞にくし。
 同じ事ながら、
  済米と知行の初穂取分て
 といふにて、一句立なり。
 また、
  月かげに馬観音とあらはれて
 「と」の字にて、「何が観音とあらはれたる」にや。一句立がたし。
 これを、
  月かげに馬観音のあらはれて
 といへば、一句立なり。
 また、
 ┌ 名木の柳に秋の東風吹て
 └  ゆふべの露もちらす宮前

 此「ちらす」といふにて、前句の「風」をいふやうなり。
 同じ事ながら、
  ゆふべの露もちれる宮前
 「ちれる」にて、「風をからずして、露、我とちる」なり。大かた、此、はだへなり。
 右三句は、初心の為なれば、あるが中にも、耳近き事をしるし侍なり。
 猶、こまかき所にいたりては毫厘をあらそふ差別あり。

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第三十 異形通体之事 並四手付

四手 ┌  法の心を鳥もなくなり
 │ 駒にかふ草の枯葉に鴫おりて
 │  あなものすごや野おくりの体
 └ いかにせん鼠狼あばれ出て

 「あな」に「鼠」、「物すごき野おくり」に「狼」付たり。これ、四手しでぐみとて、古来よりきらへる体なり。其きらふ故は、「鼠」「狼」とのつづき、対ついせざる物を、無理につづけたる故なり。
 同事ながら、
  いかにせん狼きつねあばれ出て
 たとひ四手くみにても、つゞきさへよければ、くるしからず。それをきらへば、付物もなきやうに成なり。
付合 ┌  柿うちわをも両の手に得し
 └ 信濃路や唐にも知音訪ぬらん

 さながら四手にて、聞にくし。
 ┌  目すひ鼻すひ口をこそ吸すえ
 └ 杉ゆきの鯛は頭かしらに味ありて

 これは、くくりて付たる物なり。是を、目にも鼻にも口にも付れば、こせくりてわるし。こせらずに聞ゆる句あらば、こまかに分て付ても、くるしかるまじ。去り乍ら、取分て付れば、句、こせるものなり。

 古来よりの抄物に、
 ┌  花と花とは色をあらそふ
 └ 川岸に藤山吹のさき乱れ

 此付やう、わるしといへり。
   峰の松ひとり春をや送るらん
 松の句、取のきてよろし。
周阿
救済
 また、
 ┌  春夏秋に風かはるなり
 └ 花の後青葉なりしが紅葉して

 と、周阿しゅうあ付られしを、又、救済法師、
   雪の時さていかならん峰の松
 此後の句共、古来より称美し来れり。され共、前の「藤山吹の句」も、「周阿の句」も、あしきにはあるべからず。後の句にくらふれば、おとりたるといふ事なり。それをわきまえずして、ひたすら悪きと心得て、半分つくる流あり。
 また、前句に有事をみなえ、あいしらはずしてのぬけ句に、四手付はきらふ故に、其中にての眼ばかり付たりと、云のぶる人あり。
付所 そのかみ、ある人の前句に、「めねこ」といふ事出たるに、人々、猫ばかりに付侍れば、貞徳其句をもどして、「め」の字にうときとて、「比丘尼の御所」といふ事を付て、「め」の字をも、すてず付られたりとかや。
 我門弟の興行に、
   菩提の為にまいる寺々
 といふ前句有しに、人々の句に「寺」といふ字の、あいしらひ有ながら、「寺々」といふ「寺」ふたつのあいしらひなしといへりしかば、人々、其前句を、予にゆづられしかば、
  浅きよりふかき法ぞと数珠切て
 また、
 ┌ 金衣鳥きんえちょうをぞ朝な朝なきく
 └  おきおきや必むすぶ谷の水

 此句も、鴬を朝きくといへるには、たやすく付侍りしか共、「朝な朝な聞」といふ、朝毎にあいしらひ求め兼侍て、後、「必」といふ字を得たり。
 連俳のみにも限らず、禅学などにもこれに似たることあり。
 かの神秀との頌に、
  身是菩提樹 心明鏡
  時々勤払拭セヨ 勿使塵埃

 また、六祖恵能、
  菩提本無樹 明鏡亦非
  本来無一物 何処ニカ塵埃

 二人の頌をくらぶる時は、後の六祖の頌、はるかにまさりたり。其故を以て、五祖も、まづ六祖恵能に衣鉢をつたへ給ふを聞て、神秀の頌はひたすらわるきと、皆人おもへり。さにはあらず。六祖の頌に引くらぶる時は、おとれり。是、儒の方よりいはく、「利、安といふのへだてなり。されども、初学のためには、神秀の頌よし。恵能の頌は、見解高過て、無一偏に落る事あり。今の連歌、付やうも、初心は、初め二句の親句の付様をよく覚て、以後、かの疎句の体を学ばるべし。

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第三十一 六義之事

詩歌の命 六義は詩歌の命にして、此道にたどれる人、あきらかにせずは、あるべからず。
 しかあれども、世にしる人まれなり。貴人・高家の上は、我、まじはらぬ所なれば、猶、はかりがたし。
 いでや、誹諧を以て世になる人の中に、あるは一端の習をうけ、あるは古人の抄物を写しなどして、柱ことじににかはせるものは、詩をいへば、和歌連諧うとく、和歌連誹をいへば、詩にうとし。
六義 まづ、六義といへるは、「古今の序」に、

 そもそも歌のさまむつなり、からの歌にもかくぞあるべき。むくさのひとつには、そへうた。おほさざきの御門をそへ奉る歌。

  なにはづに咲や此花冬ごもり 今は春べとさくや此花
 ふたつには、かぞへうた、
  咲花に思ひつくみのあぢきなさ 身にいたづきのいるも知ずて
 みつには、なずらへ歌、
  君にけさ朝の霜のおきていなば 恋しきごとに消や渡らん
 よつには、たとへうた、
  我恋はよむともつきしありそ海の 浜のまさこはよみつくすとも
 いつつには、ただこと歌、
  いつはりのなき世なりせばいかばかり 人の言葉のうれしからまし
 むつには、いはひ歌、
  このとのはむべも冨けりさき草の みつばよつばにとのつくりせり
 と、いへるなるべし。
小注「小注」に云、
  おほよそ、むくさにわかれん事は、えあるまじき事になん。

 右の「小注」につきても、貫之の筆なりといへる説もあり。また、後人の書加へつるなど、家々の説々あり。此次に「古今の序」の六義の事も云出、多くものすれど、ひとつは世の憚をおもひ、つたなき身のほどをかへり見、又は道の奥義をかろがろ敷いへるも、其道のおきてにそむける事なれば、いささか連誹の句をあげて、かたのごとく理り侍るものなり。
 そへ歌なり。ふるき連歌に、
   人の子のをひさぎ祝て
  つぼむより色香もふかし宿の梅
   季吟に云かけける
  よめならばみどりにせばや柳髪  貞徳
   これらやかなふべからん

 すべて、風の体は、詩歌・連誹共に、小序・詞書・前書なくては聞えがたき事なるべし。
 かずへうた。
  いづれぞと見れば手おらん花もなし
  さびしさや鹿のみならず猿ましの声 康吉

 といへるなるべし。
 なぞらへうた。
                   「新つくば集」
   あづまへ下ける人の、馬のはなむけし侍るに、
  春風に行人したふ柳かな      宗爾
   黒谷にて
  花の帽子ぼうかづけ梢のあま蛙   元隣母
 たとへうた。
   又即興
  冬川の雪の柳や滝の糸
  猿猴か露の月取わらびの手     季吟
  花盛おもへば似たる雲もなし    専順
  月ばかり昔のなりやしかの郷    一如
 ただことうた
  咲ば散理しらぬ花もがな
  まま候よ年ひとつよるも花の春   季吟
 いはひうた
  照そめし世や久かたの秋の月
  君が代やみもすそ川のすまんざい
広き事 此、六義のひろき事、詩歌・連歌のみにもかぎらず。いやしき民の云出る言葉の末も、生としいける物の声も、此六くさをいづる事なし。
 其ゆへに、此分ちしらざる人の句も、しれるかたより見たらましかば、其ひとかたにはあらずといふ事あらざるべし。
 されども、そのすべしらぬ我等が為にいはく、柱をはめる虫のたまたま文字のかたちに、あとつけ侍れども、其虫はいづれの文字ともしらずして、しる人の為にのみしらるると、いづれかいづれならん。
 猶、十体などいへる事あり。

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追加 書物題号之事

源氏四色 すべて、書物に外題付候事、和漢共にさまざまの古法、とりどりの作意あなるといへど、つづめて是をいふ時は、其しなおほきにあらざるべし。まづ、「源氏物語」の例に
・ 其草子の中にある詞をとる。「桐つぼ」の巻、詞云。
  「御つぼねはきりつぼ也」
・ 歌をとる。「はゝ木々」の巻
  「ははきぎの心をしらでそのはらや 道にあやなくまどひぬる哉」
・ 歌と詞とをとる。「夕顔」の巻、詞。
  「しろくさけるをなん、夕顔と申侍る」
  「心あてにそれかとぞ見る白露の ひかりそへたる夕がほの花」
・ 歌にも詞にもよらぬは、「夢の浮橋」の巻。

 此四色を、古き抄物には、天台の「有門」「空門」「亦有亦空門やくうひくうもん→やくうやくくうもん」「非有非空門」の四諦の法門になぞらへたり。
此外・ 此外、其発端の語を取て名とす。
  「つれづれ草」  「老子」の「道可道どうかどう」の類。
・ 又、作者の名を題号とせるもあり。
  「孟子」  「荘子」  「白氏文集」など。
 又、礼の事をしるせば、「礼記」といひ、「灸経」「馬書」などの類なるべし。
 又、「阿弥陀経」「薬師経」などは、其仏の徳をいへれば、其名に付侍。
・ 又、「妙法蓮華経」「観世音」
  これは入・法・喩の三を兼たり。人は観音、法は妙法、喩は蓮華なり。
・ 其外、心を以て付る事は、あげてかぞふべからず。この品々の格を以て、作意をめぐらし、付給ふべし。

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奥書等

元隣跋

 まれ人のとふ、「誹諧は何事ぞ」。
 曰、「誹諧は和歌のひとかたにて、天地をうごかし、男女の中をもやはらぐる道なり」。
 まれ人の曰、「さはいへれど、此はいかいにたくみなるも、さして世に功もなく、身に益もなきはなんぞや」。
 曰、「これ、道のとがにあらず。人の科なり。それ、百薬は病をのぞき、命長からしむるそなへなり。しかるを、あだめける医用て、人をあやまらんに、くすりのわざと云て可ならんや。
 其妙なるにいたりては、庖丁が牛を解すら、生をやしなひ、世を治る理あり。いかんぞ、まのあたりを見て、しらぬさかひをはからんや。すべて、才芸・道徳の分ちあり。蝸牛の角をふり、そのわざを以てなり。富るにへつらひ、身をたて、活計の媒とせる。才なり。芸なり。
 むぐらの宿に、代々の聖賢を師とし、友とし、待事なくあかしくらし、内、仏神の心にかなひ、外、仁義の用をなす。道なり。徳なり。万のわざ、才とせる事は、かたきににてやすし。道とせる事は、やすきに似てかたしといへり」。
 また問、「此小式は何の為にしるせる」。
 曰、「やつがれ、千の句をつらねしも、今見れ、ところどころ心よろしからざる事のみあり。かつは、みづからの不忘のそなへにかきならべ侍し」。
 また曰、「しからば、はこのうちにおさめて可ならん。なんすれぞ、あづさにちりばめ侍るや」。
 曰、「わが誤のくやしきに、こるる事のうきをしらば、いかんぞ、人々にしらして、後の車のいましめとせざらん」。
 また曰、「国の利器は、人にしめすべからずといへる事あり。此『小式』のむねを以て、予が数の句をなじり出んは、いかがはせん」。
 曰、「わらはざらんにはしかじ。されど、おろもの疎者が事、たれ有てか、ひきあげて、云出んよしそしり侍らんは、我一人の恥なるなるべし。もし、此心をたどりて、初心のともがら、句をみがき得んは、道の為なり。名、またしたがふといへる事も、なきにしもあらざれば、ものぐるほしともいへ」。

巻末

ときに 寛文二年初春 日 述之

洛下六角通          
山岡元隣 又号玄水 

 終


 ┌───────┬──────────────────┬──────────────────┐
 │       │      元隣略歴        │      芭蕉略歴        │
 ├───────┼──────────────────┼──────────────────┤
 │寛永8(1631)年│京の商家に生まれる。      1歳│                  │
 │寛永21(1644)年│               14歳│ 1歳 伊賀上野に生まれる。    │
 │明暦2(1656)年│季吟に学び「埋木」を伝受。  26歳│13歳               │
 │       │               30歳│17歳 季吟に師事。        │
 │寛文2(1662)年│「誹諧小式」著。       32歳│19歳               │
 │寛文6(1666)年│立机。            36歳│23歳 蝉吟逝去。致仕、伊賀を去る。│
 │       │                  │   ※この6年間、京で修行か。  │
 │寛文12(1672)年│逝去。            43歳│29歳 「貝おほい」奉納、江戸下向。│
 │寛文13(1673)年│「誹諧埋木」板行。         │30歳 江戸にいる。        │
 │延宝2(1674)年│                  │31歳 京へ行き「埋木」を伝受。  │
 └───────┴──────────────────┴──────────────────┘
 ※ 伊賀上野出奔の6年間、京で元隣に会った可能性はある。

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