俳諧雅楽抄(抄) <作成中>

俳諧雅楽抄 索引

序文(序)それ、雅楽は~
俳諧之二字の事
風雅之二字の事
俳諧の道といふ事
虚実の事
発句案方の事
奥書巻末

 


 


はいかいががくしょう

俳諧雅楽抄

<解題>
 「俳諧作法書・論書」の一つ。許六編。
 許六の蕉風俳諧論。芭蕉の伝は、主に「二十五箇条(俳諧新式・貞享式)」により、独自の解釈を加えている。
 題号は、「他流ハ媱楽のごとく、芭蕉流は雅楽のごとし」という解釈によると思われる。
 講読底本は、
  堀切実,"翻刻・『俳諧雅楽抄』",フェリス女学院大学紀要 11, 51-62, 1976-04
  http://ci.nii.ac.jp/els/contents110000210289.pdf?id=ART0000586251,p52-57,(参照 2017-06-02).
 で、このページでは、芭蕉の伝と、それにかかわる許六の感想のみ講読した。


<森川許六 きょろく・きょりく>
 韻塞:編,許野消息:著,許六拾遺:著,青根が峰:著,東西夜話:編,俳諧宇陀法師:撰,風俗文選:撰,篇突:撰,歴代滑稽伝:撰,花の蘂,鎌倉海道,笈日記,桜山臥,深川,雪之光,発明弁,木葉漬,夜話狂,有也無也関、柴門之辞,本朝文選,雅楽集,正風彦根体,俳諧問答,五老井発句集,菊阿全集,俳諧許六伝,奥の細道行脚像,五老井・蘿月堂・風狂堂・黄檗堂・曇華台・巴東楼・是非斎・如石斎・碌々庵・ 黄斜庵・菊阿仏・無々居士・潜居士・婆欒樹林・一維道人_彦根藩士_画:安信門_江戸前~中期_正徳5(1715)年没60歳.


 

凡例

・ 底本は、縦書きである。横書きで読みやすいよう、適宜変更を加えた。
・ 自分が読みやすいよう、仮名遣いや漢字の字体を変更したり、句読点を変更したりした。
・ 段落を加えたり、引用箇所に鉤括弧を加えた。
・ 内容により、以下のように、背景色・文字色を区別した。

 芭蕉の言葉芭蕉論の概述許六の論

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俳諧雅楽抄 許六著

俳諧雅楽抄

(序)

 それ雅楽はよく国を治め、媱楽※1はよく国を乱る。簫笛琴瑟の類、其調淡くして小人の耳には面白からず。しかるを、君子楽みて、其音の雅なる所を俗に教へて治国の始とす。媱楽は三絃尺八の類、其調重して、はなはだ俗の面白がる処也。是、人欲にほこり、奢のもとなる故也。爰に俳諧に取ていはゞ他流は媱楽のごとく、芭蕉流は雅楽のごとし。君子ならでは面白からざる、真のたのしみなるを、今日我家の俳諧に楽しむ輩は、俗に在ながら俗をはなれ、こゝろを正しくして、なをも君子に至らばやと願ふの導也。
 翁曰、
 和歌に治世の音、乱世の音共に有となん。御製並殿下の詠歌等変風体を去るといふは、専ら治世の音を守らるゝ故なるべし。上達部・殿上人みな其正雅体にならひ、百謀千慮する事也。和歌の撰集は、もと治乱をはからんためなりとぞ。蕉門の俳諧亦治世の音を宗とするなり。雅楽は治具なり。このこゝろにひとしからんか、かならずしも楽の邪門にたゝずむ事なかれ
 と也。
・ 蕉風俳諧を雅楽にたとえ、他を俗曲にたとえる。
・ 蕉風俳諧をたとえる例は、「祖翁口訣」にも見られる。
  他門の句は彩色のごとし。我門の句は墨絵の如くすべし。
  折にふれては、彩色のなきにしもあらず。
  心、他門にかはりて、さびしをりを第一とす。

・ 「翁曰以下、芭蕉の言葉」の主旨は、「俳諧を治世の具」と位置付けるところにある。
※1 媱楽
 媱エウ、ヨウは、みめよい、たわむれるの意。
 俗楽のこと。雅楽・能楽などに対して、民間に行われる楽曲を言う。江戸時代以降に発達した琴・三味線音楽、民謡・流行歌など。

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一、俳諧之二字の事
 俳諧の二字は古来に穿鑿ありて、あるひは字書に、誹は非の音也と、或史記の滑稽伝を引て俳の字に定たるも、せんさくの理は明なり。
 然ども、古今の集より誹の字用ひ来れり。されば、此類は、古実とて誤る事も、其通にて用る事も有る也。
 尤、八雲御抄にも、俳諧と誹諧との二様あり。
 されども、我家には、俳諧に古人なしと看破する眼より、玄とも妙とも、名は別に定むべけれども、強て名のせんさくは入らず。尤、敷島の道は、人のこゝろを種とすとあれば、今より我家には俳諧の二字しかるべし。
 他門に対して論ずる事なかれ

 と翁宣ふ。
再現版「昼の錦/俳諧の二字のこと」との比較
 下線のない部分及び太字の部分が異なるが、概ね一致している。
再掲

俳諧雅楽抄

俳諧之二字の事
 俳諧の二字は古来に穿鑿ありて、あるひは字書に、誹は非の音也と、或史記の滑稽伝を引て俳の字に定たるも、せんさくの理は明なり
 然ども、古今の集より誹の字用ひ来れり。されば、此類は、古実とて誤る事も、其通にて用る事も有る也
 尤、八雲御抄にも、俳諧と誹諧との二様あり
 されども、我家には、俳諧に古人なしと看破する眼より、玄とも妙とも、名は別に定むべけれども、強て名のせんさくは入らず。尤、敷島の道は、人のこゝろを種とすとあれば、今より、我家には、俳諧の二字しかるべし
 他門に対して論ずる事なかれ
再現版
「昼の錦」

俳諧の二字のこと
 俳諧の二字は、古来に穿鑿あり。或は、字書に、誹は非の音なりと、或は史記の滑稽を引て、俳の字に定たるも、穿鑿の理は明かなり
 しかれども、古今の集より、誹の字を用ひ来りたれぱ、この類は、古実とて誤ることも、その通りに用ることもあるなり
 尤も、八雲御抄にも、俳諧と誹諧の二様あり
 されども、我家には、はいかいに古人なしと看破する眼より、玄とも妙とも、名は別に定むべけれど、言語に遊ぶといふ道理を知らば、我家には、今より、俳諧の二字しかるぺし
 他門に対して穿鑿すべからず

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一、風雅之二字の事
① 此道の文章に、六義の中の名を分ちて、是を口伝と云ふは、風は諷にして其物をよそへ、木にあたり草にあたり、其姿を見する物故にや、「よそへ歌諷うた」といへり。
② 雅は正しきにしてかざらず、其詞を和らぐ故に、「正言うたただこと歌」といへり。
③ 其一は天地の虚におこり、其二は人間の実にとどまる。
④ 発句の題は雅にあたりて実也。掛合は虚にして風情也。風情は変化して、我手柄となす。題は実にして、流通のものなれば、我手柄にはあらず。こゝろを乾坤にめぐらし、よき掛合を求め、風雅の二字に遊べし

 となり。
① 詩文・歴史を学ぶ学科を文章道もんじょう‐どうという。ここでいう「文章」は、詩歌の事訳を記した書のことか。
 「古今和歌集」の「仮名序」に、和歌の分類、「賦・比・興・風・雅・頌」が出る。
 「詩経」の「風」は、「民衆の間で作られた詩歌」を言うが、「誹諧埋木/六義りくぎ」は、順徳天皇の歌学書「八雲御抄」を引いて説明する。
 「八雲御抄」に「風と言ふはそヘ歌なり。物を物にそへよめるなり。そのことをいはで、その心をさとらす」といへりと云々。
 …中略…
 今案ずるに、同書に言ふ風は諷なり。そふとよむなり。そふと言は題をあらはにいはずして、義をさとらするなり。ゆゑに風をそヘ歌と言ふ。
 …以下略…


 「そう添う」は、「思いを添える」ことで、「よそえ寄へ/比へる」と同義である。「そえ歌」は、他の事にこと寄せて思いを詠む歌、諷喩の歌である。

② また、「詩経」の「雅」は、「王朝の儀式や宴席で歌われた詩歌」を言うが、「埋木」は、次のように説明する。
 「八雲」に言ふ「雅はたゞこと歌と言へり。古今、これは事の、とゝのほり正しきを言ふなり」。
 …中略…
 今案に、雅はまさしきなり。たゞしきなり。物にもそヘず、たとへをもとらぬなり。ゆゑに雅をたゞこと正言歌と言ふ。
 …以下略…


③ 「其一」は「風」、「其二」は「雅」で、風は虚、雅は実と言う。

④ 従って、発句の題は実で変化はしない。一方、懸け合わせる物事は虚であり風情であって変化する。ここに工夫のしどころがあり、作者の手柄となる。
 「去来抄/修行教」に、
 先師曰、「発句は物を合すれば出来るものなり。それをよく取合するを上手と言ひ、悪しきを下手と言ふなり」。
 許六曰、「発句は、取り合せて作する時は、句多く出来るものなり」。
 初学の輩これをおもふべし。巧者に及んでは、取合・不取合の論にはあらず。

 或いは、異本に、
 許六曰、「発句はとり合物なり。先師曰、『是程しよき事の有を人は知らずや』」。
 去来曰、「とり合せて作する時は句多吟連なり。初学の人是を思ふべし。功者に成るに及んでは、取リ合ふ取合はずの論にあらず」。

 とある。元禄7(1694)年冬、去来・其角の編集で、この段を削除したのであろう。
 「詩歌連俳は共に風雅なり」と「三冊子」にあるように、和歌の伝統の中に俳諧を置けば、俳諧は風雅の道の一つとなる。従って、「柴門の辞」の「予が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて用ゐる所なし」は、俳諧そのものを指す。
 ここでは、六義に照らして風と雅に分け、掛け合いの論につないでいる。しかし、風は諷であり、諷でないものが雅である。あくまでも、「風と雅」であって、「風雅の道」の「風雅」とは異なる。六義の「風・雅」の二字に遊ぶべしということである。
 「掛け合い」とは「取り合わせ」であり、一句の中で、二つのもの・ことを「取り持つ、取り囃す」ことである。

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一、俳諧の道といふ事
 或人問、儒仏神は三国の道の大綱なり。しかるに、俳諧の道とは、いづれをさして云にや。
 翁答、
 抑、はいかいの道といふは、我朝二柱の御神より代々伝へたまひし敷島の道の流にして、やんごとなき天地の道なり
 。
 又問、俳諧は滑稽なりとは如何。
 答、
 滑稽は中華の俳諧の名也。善為笑言然合大道。譬へば、仏の道に達摩の寂ありて、別に教を立、仏性を味ふ事を教へ、儒に老荘の別出て、仁義のかたみを破り、清浄無為を宗として、然も終りは聖の道に帰る。
 我俳諧も亦是にひとし。和歌の一体にして、滑稽を宗とし、俗談の常に居て常をはなれ、月花を愛して念着することなし。風雅は人の生ながら、天より得たるの道也。故に、愚なりといへども、おのづから花を愛し月を翫事をしるは。是自然の風雅也。
 されば、此道はよく五倫を和らげ、鬼神をも感動せしめ、世とよく推移りて、雲井の遊び、下ざまのたのしみをしり、是非にありながら是非につかはれず、自在なる事、俳諧の徳也。只、名利を捨て正道を守れば、和歌の操に同じ。豈戯言といはんや。
 凡、我門に入る者は、志を青雲の一路にあらしめ、財なき事を然とせず、宝は造化の無尽蔵也と思ふべし。取とも禁ずる事なく、用て尽ることなし。日々に新に、かの宝蔵より金玉の句取出し、ちかくは身を修め家を斉へ、遠くは人を和らげ正路へ招き人べし。
 是を芭蕉流のはいかいの道とはいふなり

 。
 芭蕉翁は、壮年より仏頂国師の弟子となり、起居禅三昧也。~略~
再現版「昼の錦/俳諧の道とすること」との比較
 。
再掲

俳諧雅楽抄

俳諧の道といふ事
 或人問、「儒仏神は三国の道の大綱なり。しかるに、俳諧の道とは、いづれをさして云に」。
 翁答、「抑、はいかいの道といふは、我朝二柱の御神※1より代々伝へたまひし敷島の道の流にして、やんごとなき天地の道なり」。
 又問、「俳諧は滑稽なりとは如何」。
 答、「滑稽は中華の俳諧の名也。善為笑言、然合大道※2
 譬へば、仏の道に達摩の寂ありて、別に教を立、仏性を味ふ事を教へ、儒に老荘の別出て、仁義のかたみを破り、清浄無為を宗として、然も終りは聖の道に帰る。
 我俳諧も亦是にひとし。和歌の一体にして、滑稽を宗とし、俗談の常に居て常をはなれ、月花を愛して念着することなし。風雅は人の生ながら、天より得たるの道也。故に、愚なりといへども、おのづから花を愛し月を翫事をしるは。是自然の風雅也。
されば、此道はよく五倫を和らげ、鬼神をも感動せしめ、世とよく推移りて、雲井の遊び、下ざまのたのしみをしり、是非にありながら是非につかはれず、自在なる事、俳諧の徳也。只、名利を捨て正道を守れば、和歌の操に同じ。豈戯言といはんや。
 凡、我門に入る者は、志を青雲の一路にあらしめ、財なき事を然とせず、宝は造化の無尽蔵也と思ふべし。取とも禁ずる事なく、用て尽ることなし。日々に新に、かの宝蔵より金玉の句取出し、ちかくは身を修め家を斉へ、遠くは人を和らげ正路へ招き人べし。 是を芭蕉流のはいかいの道とはいふなり」。
再現版
「昼の錦」

俳諧の道とすること
 ある人問曰、「俳諧は、何のためにすることぞ」。
 答て、「俗語平話を正さむがためなり」。
 また問、「俳諧の道とする所如何」。
 答、「仏道に達摩あり、儒道に荘子ありて、道の実有るを踏破せり。歌道に俳かい、この如しと知るときは、常に反りて道に適ふの理なり。俳諧の形は、歌・連歌の次に立て、心は向上の一路に遊ぶべし。

※1 伊邪那岐命・伊邪那美命の二神。「古事記」に、
 伊耶那美の命先づ「あなにやし、えをとこを」と詔り給ひ、
 後に伊耶那岐の命「あなにやし、えをとめを」と詔り給ひき。

 とある、五五句の唱和を「俳諧」の根元とする。
 「誹諧之秘記」は、この唱和を、
 アナニヱヤニヱヤウマシヲトコニアヒヌ  十八
 アナニヱヤニヱヤウマシヲトメニアヒヌ  十八

 として、歌仙36句の由来とする。
※2 「史記、滑稽列伝」
  其後、二百余年、秦優旃   │其後、二百余年、秦に優旃ゆうせん有り。
  優旃者、秦ニシテ、侏儒也。    │優旃は、秦の倡わざおぎにして、侏儒なり。
  善笑言、          │善く笑言をなし、
  然ルニヘリ於大道。       │然るに、大道に合へり。

 「誹諧埋木」は、「奥義抄」に記された列伝を引き、誹諧は言葉の技で、戯れ言であることを認めつつ、心にあるものが詞に出るという姿勢を示す。


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一、虚実の事
 万物は虚に居て実に動く、実に居て虚に動くべからず。
 実は己を立て、人を恨る処あり。
 たとへば、花の散を悲しみ、月のかたぶくを惜む。実に惜むは連歌の虚也、虚に惜むは俳諧の実也。
 抑、詩歌連俳は上手に嘘を突く事也。虚に姿をあらはし、実に情をこむる也。
 たとへば、発句を案ずるに、其得たる所の題は、眼前の実なり。掛合とりはやしは、隠れたる所の虚也。或、前実後虚有り、前虚後実有り、虚実兼備して、自在の妙処に至れ

 となり。
再現版「昼の錦/虚実のこと」との比較
 。
再掲

俳諧雅楽抄

虚実の事
 万物は虚に居て実に動く、実に居て虚に動くべからず
 実は己を立て、人を恨る処あり
 たとへば、花の散を悲しみ、月のかたぶくを惜む
 実に惜むは連歌の虚也、虚に惜むは俳諧の実也
 抑、詩歌連俳は上手に嘘を突く事也
 虚に姿をあらはし、実に情をこむる也。
 たとへば、発句を案ずるに、其得たる所の題は、眼前の実なり。掛合とりはやしは、隠れたる所の虚也。或、前実後虚有り、前虚後実有り、虚実兼備して、自在の妙処に至れ。
再現版
「昼の錦」

虚実のこと
 万物は虚に居て実に働く、実に居て虚に働くべからず
 実は、おのれを立て、人をうらむるところあり
 例へば、花の散るを悲しみ、月の傾くを惜むも、実に惜むは連歌の虚なり。虚にをしむは俳諧の実なり
 そもそも、詩歌・連俳は、上手に嘘をつくことなり
 虚に実あるを文章と言ひ、実に虚あるを世智弁と言ひ、実に実あるを仁義礼智と言ふ。
 虚に虚ある者は、世に稀にして、或はまた多かるべし。この人を指して我家の伝授と言ふべし。

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一、発句案方の事
 正風体の発句案じ方と云は、先人の心を種とすといふにもとづき、今日、人情平話にかけて、天地の変化に遊ぶべし。
 変化とは、虚実の自在を云也。
 方円善悪は言語のあやにして、道理は本より方円一合也。
 しからば、今日天地の変化に随ふべし。
 人は変化せざれば、退屈するの本情なり。
 いはんや、俳諧はおのれが家に在ながら、天地四海をかけ廻り、春秋冬夏の変化について、月花の風情に渡るもの也。
 其変化を知りても、変化することを得ざれば、流行することあたはず。
 しかるに、難有も蕉翁かけ合といふものを教へ給ふ。
 其掛合は神代より有るもの也。始て掛合と云名を蕉翁見出し給ふ也。去ながら、其微細なる所に至ては、流行する所に、年々歳々句不同といへども、その血脈を得ると云は、此掛合の事也。なお、見取推量にはなるべからず。芭蕉流発句の大事と云は、此掛合にとどまる。
 扨、発句案様は、或題花題月と、何にても其題にて是を案ずる時、先其題はのけて置て、其題の心なる物縁のあるものを、我こゝろのうちより捜し出し、探りあたる物を、かの題と一つに取合せて、継目を幽玄の手爾於葉・切字を以、理屈なきよふに句作る事なり。
 篇突集(発句調練の弁)に曰、「世上発句を案ずるに、題号の中より案ずる、是なきもの也。余所より求来らば、無尽蔵ならん。題を箱に入おきて、其箱の蓋に上りて、広く乾坤を尋るもの也。題号の中を尋て新しき事なきと云はしれたり。
 たまたま万ヶ一残りたりとも、其隣家の人、同日に同題を案る時、同題の曲輪なれば、残りたるものにひしと尋あつべし。道筋かはらざれば疑なし。まして、遠里遠国において、いくばくか仕置侍らん。曲輪を飛出して案じたらんには、親は子の案じ所と違ひ、子は親の作意と格別なるもの也。
 翁曰。

 発句は取合もの也。二つとり合せて、よく取はやすを上手といふなり
 と云へり。有がたき教なるべし。たとへば、日月の光に水晶を以題を移す時は、天水天火を得るがごとし。発句せんと思ふとも、案じざる時は出べからず。日月斗を案じたるとも、天火天水を得る事有べからず。外より水晶を求て、よく取はやす故に水火を得たるごとし。水晶ありとも。とりはやす事をしらずしては、発句成就しがたし」と云々。
再現版「昼の錦/変化のこと」との比較
 。
再掲

俳諧雅楽抄

発句案方の事
 正風体の発句案じ方と云は、先人の心を種とすといふにもとづき、今日、人情平話にかけて、天地の変化に遊ぶべし
 変化とは、虚実の自在を云也
 方円善悪は言語のあやにして、道理は本より方円一合也
  しからば、今日天地の変化に随ふべし。
 人は変化せざれば、退屈するの本情なり
 いはんや、俳諧はおのれが家に在ながら、天地四海をかけ廻り、春秋冬夏の変化について、月花の風情に渡るもの也
 其変化を知りても、変化することを得ざれば、流行することあたはず。
再現版
「昼の錦」

変化のこと
 文章といふは変化のことなり。
 変化は、虚実の自在を言ふなり
 黒白・善悪は言語のあやにして、黒きをくろしとも、黒を白しとも、しばらく言語の変化にして、道理はもとより、黒白一合なり
 しからば、天地の変化にあそぶべく人は変化せざれば退屈する本情なり
 況や、俳諧は己が家に有りながら、天地四海をかけめぐり、春夏秋冬の変化に随ひ、月花の風情にわたるものなれば、百韻は百句に変化すべきこと也。
 その変化を知りても変化することを得ざるは、眼前のよき句にまよひて、前後の変化を見ざるがゆへなり。
 されども、変化と言ふに新古なきことは、人間の春秋にも新古なきがごとし。
 その日そのときの新古を見て、一巻の変化に遊ぶべし。
 変化は大むね、料理の甘し辛し、酸く苦く、物によるごとし。
 よきもよからず、あしきもあしからず、時に宜しきを変化と知るべし。

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奥書等

底本

巻記

 右、正風体蕉流発句調練の大意、是に過たるものなし。
 修行おこたらず、はやく血脉の妙処に至るもの也。
     蕉門道統二世
         五老井 許六
  宝永三乙酉三月

 宝永3(1706)年は丙戌。乙酉は、宝永2(1705)年。


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昼の錦/二十五箇条 関連ページ目録
其角伝受翻刻・校訂 昼の錦  元禄2年伝受・元禄17年相伝
米沢本を翻刻、横書きに変換。諸本と照合し訂正を加え、伝受時の芭蕉伝書を再現。
去来伝受校訂 二十五箇条  元禄7年伝受・宝永7年支考入手
初版本「昼錦抄」・宋屋本「昼の錦」・其角本「昼の錦」と照合、支考の改変部分が顕在化。
宋屋本 昼の錦・引続錦紙  宝永7年支考写本の写
初版本「昼錦抄」と、よく一致する。口伝集を併せて載せる。
校合・再現 昼の錦
諸本を校合、去来伝受本を再現。
許六伝受俳諧雅楽抄  元禄6年伝受
許六の発句作法書。口訣を得た内から、五箇条を「翁曰」と引用。
資料 資料「昼の錦/二十五箇条」 : 古今集・去来抄・七部集・三四考・寂栞などの関連部分をまとめる。
「二十五箇条」と諸伝書 : 山中問答・葛の松原・有也無也之関・貞享式海印録などとの関連を探る。
「昼の錦・二十五箇条」検討 : 去来相伝本、初版本・校正本・支考門本・宋屋本の表現を比較検討。
「二十五箇条」の伝承と空阿 : 空阿の遺品に「不易鏡」があって、宋屋本とほぼ同じ奥書を記す。
「昼の錦・二十五箇条」諸本の関連 : 其角伝受本と各去来伝受本とを比較し、校合の資料とする。