奥の細道 全文

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奥の細道 全文 索引
武蔵江戸序章旅立埼玉草加
下野 / 栃木室の八島仏五左衛門日光那須黒羽雲巌寺殺生石・遊行柳
陸奥福島白川の関須賀川あさか山しのぶの里佐藤庄司が旧跡飯塚
宮城笠島武隈宮城野壺の碑末の松山
宮城塩竃松島石の巻岩手平泉宮城尿前の関
出羽山形尾花沢立石寺最上川羽黒月山酒田秋田象潟
越中 / 富山越後路越後/新潟一振越中 / 富山那古の浦
加賀 / 石川金沢小松那谷山中全昌寺・汐越の松
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原文・資料


 芭蕉は、「笈の小文・更科紀行」の旅を終え、貞享5年8月下旬江戸に戻る。それから、閏月を挟む8か月後、芭蕉庵を引き払い、奥州へから大垣へと旅立つ。

 このページでは、「奥の細道」の原文を基に、「曽良日記」などを資料として、旅の様子を探る。



奥の細道
 

 

  

奥の細道

本文
武蔵/江戸序章 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
 舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえ(へ)て老をむかふる物(者)は、日々旅にして、旅を栖とす。
 古人も多く旅に死せるあり。
 予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もも引の破をつづり、笠の緒付かえ(へ)て、三里に灸すゆ(う)るより、松島の月先心にかかりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
  草の戸も住替る代ぞひなの家
 面八句を庵の柱に懸置。
元禄2年3月27日 深川-千住
武蔵/江戸旅立 弥生も末の七日、明ぼのの空朧々として、月は在明にて光お(を)さまれる物(もの)から、不二の峰、幽にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。
 むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。
 千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ、胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。
  行春や鳥啼魚の目は泪
 是を矢立の初として、行道なを(ほ)すすまず。
 人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと、見送なるべし。
元禄2年3月27日
武蔵/埼玉草加 ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚、只かりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨を重ぬといへ共、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若生て帰らばと、定なき頼の末をかけ、其日、漸、草加と云宿にたどり着にけり。
 痩骨の肩にかゝれる物、先くるしむ。
 只身すがらにと出立侍を、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨がたくて、路次の煩となれるこそわりなけれ。

元禄2年3月29日
下野/栃木室の八島 室の八島に詣す。
 同行曽良が曰、「此神は木の花さくや姫の神と申て、富士一躰也。無戸室うつむろに入て焼給ふちかひのみ中に、火々出見のみこと、生れ給ひしより、室の八島と申。又、煙を読習し侍も、この謂也」。
 将はた、このしろといふ魚を禁ず。
 縁起の旨、世に伝ふ事も侍し。
下野/栃木仏五左衛門 卅日[晦日]、日光山の麓に泊る。
 あるじの云けるやう、「我名を仏五左衛門と云。万、正直を旨とする故に、人かくは申侍まま、一夜の草の枕も打解て、休み給へ」と云。
 いかなる仏の、濁世塵土に示現して、かかる桑門の乞食順礼ごときの人を、たすけ給ふにやと、あるじのなす事に心をとどめてみるに、唯無智無分別にして、正直偏固の者也。
 剛毅木訥の仁に近きたぐひ、気禀の清質、尤、尊ぶべし。
元禄2年4月1日、2日
下野/栃木日光 卯月朔日、御山に詣拝す。
 往昔、此御山を「二荒山」と書しを、空海大師開基の時、「日光」と改給ふ。
 千歳未来をさとり給ふにや、今此御光一天にかかやきて、恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖、穏なり。
 猶、憚多くて筆をさし置ぬ。
  あらたう(ふ)と青葉若葉の日の光
 黒髪山は霞かかりて、雪いまだ白し。
  剃捨て黒髪山に衣更   曽良
 曽良は河合氏にして、惣五郎と云へり。
 芭蕉の下葉に軒をならべて、予が薪水の労をたすく。
 このたび松しま・象潟の眺、共にせん事を悦び、且は、羅旅の難をいたはらんと、旅立暁、髪を剃て墨染にさまをかえ(へ)、惣五を改て、宗悟とす。
 仍て、黒髪山の句有。
 「衣更」の二字、力ありてきこゆ。
 廿余丁、山を登つて滝有。
 岩洞の頂より飛流して、百尺、千岩の碧潭に落たり。
 岩窟に身をひそめ入て、滝の裏よりみれば、うらみの滝と申伝え(へ)侍る也。
  暫時は滝に籠るや夏の初

元禄2年4月2、3日
下野/栃木那須 那須の黒ばねと云所に、知人あれば、是より、野越にかかりて、直道をゆかんとす。
遙に、一村を見かけて行に、雨降、日暮る。
 農夫の家に一夜をかりて、明れば、又野中を行。
 そこに、野飼の馬あり。
 草刈お(を)のこになげきよれば、野夫といへども、さすがに情しらぬには非ず。
 「いかがすべきや。されども、此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷(ういういしき)旅人の道、ふみたがえ(へ)ん、あやしう侍れば、此馬のとごまる所にて、馬を返し給へ」と、かし侍ぬ。
 ちい(ひ)さき者ふたり、馬の跡したひてはしる。
 独は小姫にて、名を「かさね」と云。
 聞なれぬ名のやさしかりければ、
  かさねとは八重撫子の名成べし  曽良
 頓て、人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て、馬を返しぬ。
元禄2年4月4日~13日
下野/栃木黒羽 黒羽の館代、浄坊寺何がしの方に音信る。
 思ひがけぬあるじの悦び、日夜語つづけて、其弟桃翠翠桃など云が、朝夕勤とぶらひ、自の家にも伴ひて、親属の方にもまねかれ、日をふるままに、ひとひ郊外に逍遥して、犬追物の跡を一見し、那須の篠原をわけて、玉藻の前の古墳をとふ。
 それより八幡宮に詣。
 与市扇の的を射し時、「別しては我国氏神正八まん」とちかひしも、此神社にて侍と聞ば、感応、殊しきりに覚えらる。
 暮れば桃翠翠桃宅に帰る。
 修験光明寺と云有。
 そこにまねかれて、行者堂を拝す。
  夏山に足駄を拝む首途哉
元禄2年4月5日
下野/栃木雲巌寺 当国雲岸寺のおくに、仏頂和尚、山居跡あり。
  竪横の五尺にたらぬ草の庵
      むすぶもくやし雨なかりせば
と、松の炭して、岩に書付侍りと、いつぞや聞え給ふ。
 其跡みんと、雲岸寺に杖を曳ば、人々すゝんで共にいざなひ、若き人、おほく道のほど打さは(わ)ぎて、おぼえず彼麓に到る。
 山は、おくあるけしきにて、谷道遥に、松杉黒く苔しただりて、卯月の天、今猶寒し。
 十景、尽る所、橋をわたつて、山門に入。
 さて、かの跡はいづくのほどにやと、後の山によぢのぼれば、石上の小菴、岩窟にむすびかけたり。
 妙禅師の死関、法雲法師の石室をみるがごとし。
  木啄も庵はやぶらず夏木立
と、とりあへぬ一句を柱に残侍し。
元禄2年4月16日~20日
下野/栃木殺生石/遊行柳 是より殺生石に行。
 館代より、馬にて送らる。
 此口付のお(を)のこ、「短冊得させよ」と乞。
 やさしき事を望侍るものかなと、
  野を横に馬牽むけよほととぎす
 殺生石は、温泉の出る山陰にあり。
 石の毒気、いまだほろびず。
 蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほど、かさなり死す。
 又、清水ながるるの柳は、蘆野の里にありて、田の畔に残る。
 此所の郡守戸部某の、「此柳みせばや」など、折々にの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ、立より侍つれ。
  田一枚植て立去る柳かな

元禄2年4月21日
陸奥/福島白川の関 心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ。
 「いかで都へ」と便求しも断也。
 中にも此関は三関の一にして、風騒の人、心をとどむ。
 秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。
 卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする。
 古人冠を正し、衣装を改しことなど、清輔の筆にもとどめ置れしとぞ。
  卯の花をかざしに関の晴着かな  曾良
元禄2年4月22日~27日
陸奥/福島須賀川 とかくして越行ままに、あぶくま川を渡る。
 左に会津根高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて山つらなる。
 かげ沼と云所を行に、今日は空曇て物影うつらず。
 すか川の駅に等窮といふものを尋て、四、五日とどめらる。
 先「白河の関いかにこえつるや」と問。
 「長途のくるしみ、身心つかれ、且は風景に魂うばはれ、懐旧に腸を断て、はかばかしう思ひめぐらさず。
  風流の初やおくの田植うた
無下にこえんもさすがに」と語れば、脇・第三とつゞけて三巻となしぬ。
 此宿の傍に、大きなる粟の木陰をたのみて、世をいとふ僧有。
 橡ひろふ太山もかくやと閒に覚られて、ものに書付侍る。
 其詞、
   栗といふ文字は西の木と書て、西方浄土に便ありと、
   行基菩薩の一生杖にも柱にも此木を用給ふとかや。
  世の人の見付ぬ花や軒の栗
元禄2年5月1日
陸奥/福島あさか山 等窮が宅を出て五里計、檜皮の宿を離れてあさか山有。
 路より近し。
 此あたり沼多し。
 かつみ刈比もやや近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども、更知人なし。
 沼を尋、人にとひ、「かつみかつみ」と尋ありきて、日は山の端にかかりぬ。
 二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。
元禄2年5月2日
陸奥/福島しのぶの里 あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て、忍ぶのさとに行。
 遥山陰の小里に、石半土に埋てあり。
 里の童部の来りて教ける、
「昔は此山の上に侍しを、往来の人の麦草をあらして、此石を試侍をにくみて、此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたり」と云。
 さもあるべき事にや。
  早苗とる手心とや昔しのぶ摺

元禄2年5月2日
陸奥/福島佐藤庄司が旧跡 月の輪のわたしを越て、瀬の上と云宿に出づ。
 佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半計に有。
 飯塚の里鯖野と聞て尋尋行に、丸山と云に尋あたる。
 是庄司が旧館也。
 麓に大手の跡など、人の教ゆ(ふ)るにまかせて泪を落し、又かたはらの古寺に一家の石碑を残す。
 中にも二人の嫁がしるし、先哀也。
 女なれども、かひがひしき名の世に聞えつる物かな、と袂をぬらしぬ。
 堕涙の石碑も、遠きにあらず。
 寺に入て茶を乞へば、爰に義経の太刀・弁慶が笈をとどめて什物とす。
  笈も太刀も五月にかざれ帋幟
 五月朔日の事也。
元禄2年5月2日、3日
陸奥/福島飯塚 其夜飯塚にとまる。
 温泉あれば、湯に入て宿をかるに、土坐に莚を敷て、あやしき貧家也。
 灯もなければ、ゐろりの火かげに寐所をまうけて臥す。
 夜に入て、雷鳴。
 雨しきりに降て、臥る上よりもり、蚤・蚊にせせられて眠らず。
 持病さへおこりて、消入計になん。
 短夜の空もやうやう明れば、又旅立ぬ。
 猶、夜の余波、心すすまず。
 馬かりて、桑折の駅に出る。
 遙なる行末をかかえ(へ)て、斯る病、覚束なしといへど、羈旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路にしなん、是天の命なりと、気力聊とり直し、路縦横に踏で、伊達の大木戸をこす。
元禄2年5月4日
陸奥/宮城笠島 鐙摺、白石の城を過、笠島の郡に入れば、藤中将実方の塚はいづくのほどならんと、人にとへば、「是より遙右に見ゆる山際の里を、みのわ・笠島と云、道祖神の社、かた見の薄、今にあり」と教ゆ。
 此比の五月雨に、道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺やりて過るに、簑輪・笠島も五月雨の折にふれたりと、
  笠島はいづこさ月のぬかり道
 岩沼に宿る。
元禄2年5月4日
陸奥/宮城武隈 武隈の松にこそ、め覚る心地はすれ。
 根は土際より二木にわかれて、昔の姿うしなはずとしらる。
 先、能因法師思ひ出。
 往昔、むつのかみにて下りし人、此木を伐て名取川の橋杭にせられたる事などあればにや、「松は此たび跡もなし」とは詠たり。
 代々、あるは伐、あるひは植継などせしと聞に、今将、千歳のかたちととのほひて、めでたき松のけしきになん侍し。
    「武隈の松みせ申せ遅桜」と、挙白と云ものの餞別し
    たりければ、
  桜より松は二木を三月越

元禄2年5月4日~7日
陸奥/宮城宮城野 名取川を渡て仙台に入。
 あやめふく日也。
 旅宿をもとめて、四、五日逗留す。
 爰に、画工加右衛門と云ものあり。
 聊、心ある者、と聞て、知る人になる。
 この者、「年比さだかならぬ名どころを考置侍れば」とて、一日案内す。
 宮城野の萩茂りあひて、秋の気色思ひやらるる。
 玉田・よこ野、つつじが岡は、あせび咲ころ也。
 日影ももらぬ松の林に入て、爰を木の下と云とぞ。
 昔も、かく露ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とは、よみたれ。
 薬師堂・天神の御社など拝て、其日はくれぬ。
 猶、松島・塩がまの所々、画に書て送(贈)る。
 且、紺の染緒つけたる草鞋二足、餞す。
 さればこそ、風流のしれもの、爰に至りて、其実を顕す。
  あやめ草足に結ん草鞋の緒
元禄2年5月8日
陸奥/宮城壺の碑 かの画図にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に、十符の菅有。
 今も、年々、十符の菅菰を調て、国守に献ずと云り。
  壷碑  市川村多賀城に有。
 つぼの石ぶみは、高六尺余、横三尺計歟。
 苔を穿て文字幽也。
 四維国界之数里をしるす。
 「此城、神亀元年、按察使鎮守符(府)将軍大野朝臣東人之所里也。
 天平宝字六年、参議東海東山節度使、同将軍恵美朝臣𤢥修造而。十二月朔日」と有。
 聖武皇帝の御時に当れり。
 むかしよりよみ置る歌枕、おほく語伝ふといへども、山崩、川流て、道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て、若木にかはれば、時移り、代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて、疑なき千歳の記念、今、眼前に古人の心を閲す。
 行脚の一徳、存命の悦び、羈旅の労をわすれて、泪も落るばかり也。
元禄2年5月8日
陸奥/宮城末の松山 それより、野田の玉川・沖の石を尋ぬ。
 末の松山は、寺を造て末松山といふ。
 松のあひあひ、皆墓はらにて、はねをかはし、枝をつらぬる契の末も、終はかくのごときと、悲しさも増りて、塩がまの浦に入相のかねを聞。
 五月雨の空、聊はれて、夕月夜幽に、籬が島もほど近し。
 蜑の小舟こぎつれて、肴わかつ声々に、「つなでかなしも」とよみけん心もしられて、いとど哀也。
 其夜、目盲法師の琵琶をならして、奥上(浄)るりと云ものをかたる。
平家にもあらず、舞にもあらず、ひなびたる調子うち上て、枕ちかうかしましけれど、さすがに、辺土の遺風、忘れざるものから、殊勝に覚らる。

元禄2年5月9日
陸奥/宮城塩竃 早朝、塩がまの明神に詣。
 国守再興せられて、宮柱ふとしく、彩椽きらびやかに、石の階九仭に重り、朝日あけの玉がきをかかやかす。
 かゝる道の果、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそ、吾国の風俗なれと、いと貴けれ。
 神前に、古き宝燈有。
 かねの戸びらの面に、「文治三年和泉三郎奇(寄)進」と有。
 五百年来の俤、今、目の前にうかびて、そゞろに珍し。
 渠は、勇義忠孝の士也。
 佳命(名)今に至りて、したはずといふ事なし。
 誠「人、能、道を勤、義を守べし。名もまた是にしたがふ」と云り。
 日、既、午にちかし。
 船をかりて、松島にわたる。
 其間二里余、雄島の磯につく。
元禄2年5月9日
陸奥/宮城松島 抑、ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡、洞庭・西湖を恥ず。
 東南より海を入て、江の中三里、浙江の潮をたゝふ。
 島々の数を尽して、欹ものは天を指、ふすものは波に匍匍。
 あるは二重にかさなり、三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。
 負るあり、抱るあり、児孫愛すがごとし。
 松の緑こまやかに、枝葉、汐風に吹たは(わ)めて、屈曲、を(お)のづから、ためたるがごとし。
 其気色、窅然として、美人の顔を粧ふ。
 ちはや振神のむかし、大山ず(づ)みのなせるわざにや。
 造化の天工いづれの人か、筆をふるひ、詞を尽さむ。、


 雄島が磯は、地つづきて海に出たる島也。
 雲居禅師の別室の跡、坐禅石など有。
 将、松の木陰に世をいとふ人も、稀々見え侍りて、落穂・松笠など、打けふりたる草の菴閑に住なし、いかなる人とはしられずながら、先なつかしく立寄ほどに、月海にうつりて、昼のながめ、又あらたむ。
 江上に帰りて、宿を求れば、窓をひらき、二階を作て、風雲の中に旅寐するこそ、あやしきまで、妙なる心地は、せらるれ。
  松島や鶴に身をかれほととぎす  曾良
 予は、口をとぢて、眠らんとして、いねられず。
 旧庵をわかるる時、素堂、松島の詩あり。
 原安適、松がうらしまの和歌を贈らる。
 袋を解て、こよひの友とす。
 且、杉風・濁子が発句あり。


 十一日、瑞岩(巌)寺に詣。
 当寺三十二世の昔、真壁の平四郎出家して人唐、帰朝の後開山す。
 其後に、雲居禅師の徳化に依て、七堂甍改りて、金壁荘厳光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。
 彼見仏聖の寺は、いづくにやとしたはる。

元禄2年5月10日~12日
陸奥/宮城石の巻 十二日、平和泉と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞伝て、人跡稀に、雉兎蒭蕘の往かふ道、そこともわかず、終に路ふみたがえ(へ)て、石の巻といふ湊に出。
 「こがね花咲」とよみて奉たる金花山、海上に見わたし、数百の廻船人江につどひ、人家地をあらそひて、竃の煙、立つづけたり。
 思ひかけず、斯る所にも来れる哉と、宿からんとすれど、更に宿かす人なし。
 漸、まどしき小家に一夜をあかして、明れば又しらぬ道、まよひ行。
袖のわたり・尾ぶちの牧・まのの萱はらなど、よそめにみて、遥なる堤を行。
 心細き長沼にそふ(う)て、戸伊摩と云所に一宿して、平泉に到る。
 其間廿余里ほどとおぼゆ。
元禄2年5月13日
陸奥/岩手平泉 三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。
 秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。
 先、高館にのぼれば、北上川、南部より流るゝ大河也。
 衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。
 泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。
 偖も、義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。
 「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
  夏草や兵どもが夢の跡
  卯の花に兼房みゆる白毛かな    曾良
 兼て耳驚したる二堂、開帳す。
 経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。
 七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既、頽廃空虚の叢と成べきを、 四面新に囲て、甍を覆て風雨を凌。
 暫時、千歳の記念とはなれり。
  五月雨の降のこしてや光堂

元禄2年5月14日~17日
陸奥/宮城尿前の関 南部道、遥にみやりて、岩手の里に泊る。
 小黒崎・みづの小島を過て、なるごの湯より、尿前の関にかかりて、出羽の国に越んとす。
 此路、旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。
 大山をのぼつて、日、既、暮ければ、封人の家を見かけて、舎を求む。
 三日、風雨あれて、よしなき山中に逗留す。
   蚤風馬の尿する枕もと
 あるじの云、「是より出羽の国に、大山を隔て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼て、越べき」よしを申。
 さらばと云て、人を頼侍れば、究竟の若者、反脇指をよこたえ(へ)、樫の杖を携て、我々が先に立て行。
 けふこそ、必、あやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして、後について行。
 あるじの云にたがはず、高山森々として、一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜る行がごとし。
 雲端につちふる心地して、篠の中踏分踏分、水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。
 かの案内せしお(お)のこの云やう、「此みち、必、不用の事有。恙なうを(お)くりまい(ゐ)らせて、仕合したり」と、よろこびてわかれぬ。
 跡(後)に聞てさへ、胸とどろくのみ也。
元禄2年5月17日~26日
出羽/山形尾花沢 尾花沢にて、清風と云者を尋ぬ。
 かれは、富るものなれども、志いやしからず。
 都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とどめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。
  涼しさを我宿にしてねまる也
  這出よかひやが下のひきの声
  まゆはきを俤にして紅粉の花
  蚕飼する人は古代のすがた哉  曾良
元禄2年5月27日
出羽/山形立石寺 山形領に、立石寺と云山寺あり。
 慈覚大師の開基にして、殊、清閑の地也。
 一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。
日いまだ暮ず。
 麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。
 岩に巌を重て山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。
 岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として、心すみ行のみおぼゆ。
   閑さや岩にしみ入蝉の声
元禄2年5月28日~6月3日
出羽/山形最上川 最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。
 爰に、古き誹諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角一声の心をやはらげ、此道にさぐりあしして、新古ふた道にふみよよふといへども、みちしるべする人しなければと、わりなき一巻残しぬ。
 このたびの風流、爰に至れり。
 最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。
 ごてん・はやぶさなど云、おそろしき難所有。
 板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。
 左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。
 是に稲つみたるをや、いな船といふならし。
 白糸の滝は、青葉の隙々に落て、仙人堂、岸に臨て立。
 水みなぎつて、舟あやうし。
  五月雨をあつめて早し最上川

元禄2年6月3日~5日
出羽/山形羽黒 六月三日、羽黒山に登る。
 図司左吉と云者を尋て、別当代会覚阿闍梨に謁す。
 南谷の別院に舎して、憐愍の情こまやかにあるじせらる。
 四日、本坊にをゐ(おい)て誹諧興行。
  有難や雪をかほ(を)らす南谷
 五日、権現に詣。
 当山開闢能除大師は、いづれの代の人と云事をしらず。
 延喜式に「羽州里山の神社」と有。
 書写、「黒」の字を「里山」となせるにや。
 羽州黒山を中略して羽黒山と云にや。
 出羽といへるは、「鳥の毛羽を此国の貢に献る」と、風上記に侍とやらん。
 月山、湯殿を合て三山とす。
 当寺武江東叡に属して、天台止観の月明らかに、円頓融通の法の灯かかげそひて、僧坊棟をならべ、修験行法を励し、霊山霊地の験効、人貴、且恐る。
 繁栄、長にして、めで度御山と謂つべし。
元禄2年6月6日、7日
出羽/山形月山 八日、月山にのぼる。
 木綿しめ身に引かけ、宝冠に頭を包、強力と云ものに道びかれて、雲霧山気の中に、氷雪を踏てのぼる事八里、更に日月行道の雲関に入かとあやしまれ、息絶、身こごえて頂上に臻れば、日没て月顕る。
 笹を鋪、篠を枕として、臥て明るを待。
 日出て、雲消れば、湯殿に下る。
 谷の傍に鍛冶小屋と云有。
 此国の鍛冶、霊水を撰て、爰に潔斎して𨥁(剣)を打、終「月山」と銘を切て世に賞せらる。
 彼竜泉に釗(剣)を淬とかや。
 干将・莫耶のむかしをしたふ。
 道に堪能の執、あさからぬ事しられたり。
 岩に腰かけて、しばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ、半ばひらけるあり。
ふり積雪の下に埋て、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。
 炎天の梅花、爰にかほ(を)るがごとし。
 行尊僧正の歌の哀も爰に思ひ出て、猶まさりて覚ゆ。
 惣て、此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。
 仍て筆をとゞめて記さず。
 坊に帰れば、阿闍梨の需に依て、三山順礼の句々短冊に書。
  涼しさやほの三か月の羽黒山
  雲の峰幾つ崩て月の山
  語られぬ湯殿にぬらす袂かな
  湯殿山銭ふむ道の泪かな     曾良

元禄2年6月10日~14日
出羽/山形酒田 羽黒を立て、鶴が岡の城下、長山氏重行と云物のふ(武士)の家にむかへられて、誹諧一巻有。
 左吉も共に送りぬ。
 川舟に乗て、酒田の湊に下る。
 淵庵不玉と云医師の許を宿とす。
  あつみ山や吹浦かけて夕すずみ
  暑き日を海にいれたり最上川
元禄2年6月15日、16日
出羽/秋田象潟 江山水陸の風光、数を尽して、今象潟に方寸を責。
 酒田の湊より東北の方、山を越、礒を伝ひ、いさごをふみて、其際十里、日影ややかたぶく比、汐風真砂を吹上、雨朦朧として、鳥海の山かくる。
 闇中に莫作(模索)して「雨も又奇也」とせば、雨後の晴色又頼母敷と、蜑の苫屋に膝をいれて、雨の晴を待。
 其朝、天能霽て、朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。
 先、能因島に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木、西行法師の記念をのこす。
 江上に御陵あり。
 神功后宮の御墓と云。
 寺を干満珠寺と云。
 此処に行幸ありし事、いまだ聞ず。
 いかなる事にや。
 此寺の方丈に座して、簾を捲ば、風景一眼の中に尽て、南に鳥海、天をささえ(へ)、其陰うつりて江にあり。
 西はむやむやの関、路をかぎり、東に堤を築て、秋田にかよふ道遥に、海、北にかまえ(へ)て、浪打入る所を汐こしと云。
 江の縦横一里ばかり、俤、松島にかよひて、又異なり。
 松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。
 寂しさに悲しみをくはえ(へ)て、地勢魂をなやますに似たり。
  象潟や雨に西施がねぶの花
  汐越や鶴はぎぬれて海涼し
   祭礼
  象潟や料理何くふ神祭     曾良
  蛋の家や戸板を敷て夕涼 みのの国の商人低耳
    岩上に雎鳩の巣をみる
  波こえぬ契ありてやみさごの巣 曾良

元禄2年6月18日~7/4日
越中/富山越後路 酒田の余波、日を重て、北陸道の雲に望。
 遥々のおもひ胸をいたましめて、加賀の府まで百卅里と聞。
 鼠の関をこゆれば、越後の地に歩行を改て、越中の国一ぶりの関に到る。
 此間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず。
  文月や六日も常の夜には似ず
  荒海や佐渡によこたふ天河
元禄2年7月12日
越後/新潟一振 今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云、北国一の難所を越て、つかれ侍れば、枕引よせて寐たるに、一間隔て、面の方に、若き女の声二人計ときこゆ。
 年老たるお(を)のこの声も交て物語するをきけば、越後の国新潟と云所の遊女成し。
伊勢参宮するとて、此関までお(を)のこの送りて、あすは古郷にかへす文したゝめて、はかなき言伝などしやる也。
 白浪のよする汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて、定めなき契、日々の業因、いかにつたなしと、物云をきくきく寐入て、あした旅立に、我々にむかひて、「行衛しらぬ旅路のうさ、あまり覚束なう悲しく侍れば、見えがくれにも御跡をしたひ侍ん。衣の上の御情に大慈のめぐみをたれて結縁せさせ給へ」と、泪を落す。
 不便の事には侍れども、「我々は、所々にてとゞまる方おほし。只人の行にまかせて行べし。神明の加護、かならず恙なかるべし」と、云捨て出つつ、哀さしばらくやまざりけらし。
  一家に遊女もねたり萩と月
 曾良にかたれば、書とゞめ侍る。
元禄2年7月14日
越中/富山那古の浦 くろべ四十八が瀬とかや、数しらぬ川をわたりて、那古と云浦に出。
 担籠の藤浪は、春ならずとも、初秋の哀とふ(訪)べきものをと、人に尋れば、「是より五里、いそ伝ひして、むかふの山陰にいり、蜑の苫ぶきかすかなれば、蘆の一夜の宿かすものあるまじ」といひを(お)どされて、かが(加賀)の国に入。
  わせの香や分入右は有磯海

元禄2年7月15日~22日
加賀/石川金沢 卯の花山・くりからが谷をこえて、金沢は七月中の五日也。
 爰に大坂よりかよふ商人何処と云者有。
 それが旅宿をともにす。
 一笑と云ものは、此道にすける名の、ほのぼの聞えて、世に知人も侍しに、去年の冬、早世したりとて、其兄追善を催すに、
  塚も動け我泣声は秋の風
    ある草庵にいざなはれて
  秋涼し手毎にむけや瓜茄子
    途中唫
  あかあかと日は難面もあきの風
元禄2年7月24日、25日
加賀/石川小松    小松と云所にて
  しほらしき名や小松吹萩すすき
 此所、太田の神社に詣。
 実盛が甲・錦の切あり。
 往昔、源氏に属せし時、義朝公より給(賜)はらせ給とかや。
 げにも平士のものにあらず。
 目庇より吹返しまで、菊から(唐)草のほりもの金をちりばめ、竜頭に鍬形打たり。
 真(実)盛討死の後、木曾義仲、願状にそへて、此社にこめられ侍よし、樋口の次郎が使せし事共、まのあたり、縁起にみえたり。
  むざんやな甲の下のきりぎりす

元禄2年8月5日
加賀/石川那谷 山中の温泉に行ほど、白根が嶽跡にみなしてあゆむ。
 左の山際に観音堂あり。
 花山の法皇、三十三所の順礼、とげさせ給ひて後、大慈大悲の像を安置し給ひて、那谷と名付給ふと也。
 那智・谷汲の二字をわかち侍しとぞ。
 奇石さまざまに、古松植ならべて、萱ぶきの小堂、岩の上に造りかけて、殊勝の土地也。
  石山の石より白し秋の風
元禄2年7月27日~8/4
加賀/石川山中 温泉に浴す。
 其功(効)有明に次と云。
  山中や菊はたお(を)らぬ湯の匂
 あるじとする物は、久米之助とて、いまだ小童也。
 かれが父、誹諧を好み、洛の貞室、若輩のむかし、爰に来りし比、風雅に辱しめられて、洛に帰て、貞徳の門人となつて、世にしらる。
 功名の後、此一村判詞の料を請ずと云。
 今更むかし語とはなりぬ。
 曾良は腹を病て、伊勢の国長島と云所にゆかりあれば、先立て行に、
  行々てたふれ伏とも萩の原   曾良
と書置たり。
 行ものの悲しみ、残もののうらみ、隻鳧のわかれて、雲にまよふがごとし。
 予も又、
  今日よりや書付消さん笠の露

元禄2年8月9日、10日
加賀/石川全昌寺/汐越の松 大聖持の城外、全昌寺といふ寺にとまる。
 猶加賀の地也。
 曾良も前の夜、此寺に泊て、
  終宵秋風聞やうらの山
と残す。
 一夜の隔、千里に同じ。
 吾も秋風を聞て、衆寮に臥ば、明ぼのの空近う、読経声すむままに、鐘板鳴て食堂に入。
 けふは越前の国へと、心早卒にして堂下に下るを、若き僧ども、紙・硯をかかえ(へ)、階のもとまで追来る。
 折節、庭中の柳散れば、
  庭掃て出ばや寺に散柳
 とりあへぬさまして、草鞋ながら書捨つ。
 越前の境、吉崎の入江を舟に棹して、汐越の松を尋ぬ。
  終宵嵐に波をはこはせて
     月をたれたる汐越の松   西行
 此一首にて、数景尽たり。
 もし一弁を加るものは、無用の指を立るがごとし。
元禄2年8月10日、11日
越前/福井天竜寺/永平寺 丸岡天竜寺の長老、古き因あれば尋ぬ。
 又、金沢の北枝といふもの、かりそめに見送りて此処までしたひ来る。
 所々の風景、過さず思ひつづけて、折節あはれなる作意など聞ゆ。
 今、既、別に望みて、
  物書て扇引さく余波哉
 五十丁山に人て、永平寺を礼す。
 道元禅師の御寺也。
 邦機(畿)千里を避て、かかる山陰に跡をのこし給ふも、貴きゆへ(ゑ)有とかや。

元禄2年8月11日~13日
越前/福井等栽 福井は三里計なれば、夕飯したためて出るに、たそかれの路たどたどし。
 爰に等栽と云、古き隠士有。
 いづれの年にか、江戸に来りて予を尋。
 遥、十とせ余り也。
 「いかに老さらぼひて有にや、将、死けるにや」と、人に尋侍れば、いまだ存命して、そこそこと教ゆ。
 市中、ひそかに引入て、あやしの小家に、夕貌・へちまのはえ(へ)かかりて、鶏頭・はゝ木ゞ(帚木)に、戸ぼそをかくす。
 さては、此うちにこそと、門を扣ば、侘しげなる女の出て、「いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや。あるじは、此あたり何がしと云ものゝ方に行ぬ。もし用あらば尋給へ」といふ。
 かれが妻なるべしとしらる。
 むかし物がたりにこそ、かかる風情は侍れと、やがて尋あひて、その家に二夜とまりて、名月はつるがのみなとにと、たび立。
 等栽も共に送らんと、裾お(を)かしうからげて、路の枝折とうかれ立。
元禄2年8月13日~15日
越前/福井敦賀 漸白根が嶽かくれて、比那が嵩あらはる。
 あさむづの橋をわたりて、王江の蘆は穂に出にけり。
 鴬の関を過て、湯尾峠を越れば、燧が城、かへるやまに初鴈を聞て、十四日の夕ぐれ、つるがの津に宿をもとむ。
 その夜、月、殊、晴たり。
 「あすの夜もかくあるべきにや」といへば、「越路の習ひ、猶明夜の陰晴はかりがたし」と、あるじに酒すすめられて、けいの明神に夜参す。
 仲哀天皇の御廟也。
 社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる、おまへの白砂霜を敷るがごとし。
 往昔、遊行二世の上人、大願発起の事ありて、みづから草を刈、土石を荷ひ、泥渟をかは(わ)かせて、参詣往来の煩なし。
 古例今にたえず、神前に真砂を荷ひ給ふ。
 「これを遊行の砂持と申侍る」と、亭主のかたりける。
  月清し遊行のもてる砂の上
 十五日、亭主の詞にたがはず雨降。
  名月や北国日和定なき
元禄2年8月16日
越前/福井種の浜 十六日、空霽たれば、ますほの小貝ひろはんと、種の浜に舟を走す。
 海上七里あり。
 天屋何某と云もの、破籠・小竹筒など、こまやかにしたためさせ、僕あまた舟にとりのせて、追風時のまに吹着ぬ。
 浜は、わづかなる海士の小家にて、侘しき法花寺あり。
 爰に茶を飲、酒をあたためて、夕ぐれのさびしさ、感に堪たり。
  寂しさや須磨にかちたる浜の秋
  浪の間や小貝にまじる萩の塵
 其日のあらまし、等栽に筆をとらせて寺に残す。

元禄2年8月21日~9月6日
美濃/岐阜大垣 露通も、此みなとまで出むかひて、みのの国へと伴ふ。
 駒にたすけられて、大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。
 前川子、荊口父子、其外したしき人々、日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び、且いたはる。
 旅の物うさも、いまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮お(を)がまんと、又舟にのりて、
  蛤のふたみにわかれ行秋ぞ

 


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