野ざらし紀行 伊勢

野ざらし紀行 索引
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熱田-
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旅の後
野ざらし紀行 伊勢 索引
本文原文・訳文旅程旅程・足跡
講読風瀑外宮 みそか月なし千とせの杉を抱あらし
内宮西行谷 芋洗ふ女西行ならば歌よまむ
茶店 蘭の香やてふの翅にたき物す閑人の茅舎 蔦植て竹四五本のあらし哉
雷枝亭 宿まいらせむ西行ならバ秋暮 / ばせをとこたふ風の破がさ
勝延亭 花の咲みながら草の翁かな  / 秋にしほるゝ蝶のくづほれ

講読、その二「伊勢」


 芭蕉は、門弟千里を連れ、「野ざらし紀行」の旅に出、伊賀上野の手前で、伊勢の神宮に参拝します。
 このページでは、芭蕉真蹟「天理本」・「藤田本」を元に、伊勢を巡るまでを取り上げ、原文・訳読み文・現代語訳を示し、「甲子吟行の素堂序」を資料にして、講読していきます。
 また、旅程表を作成し、講読の資料としつつ、この旅の実態を明らかにしていきます。



野ざらし紀行

・ 各段は、便宜上設けたもので、原文にはない。
・ 原文は、芭蕉の真蹟「天理本」による。
  また、「天理本」には、旅を補足する句が、巻末に付せられているので、「関連句」(◆印)として記しておく。
・ 講読の項に置いた文は、貞享年間の真蹟「藤田本」による。
・ いずれも、「芭蕉紀行文集、中村俊定校注(岩波文庫)」を参照したものである。

「野ざらし紀行」講読ページ解説へ

野ざらし紀行「伊勢」

⑦ 伊勢山田・外宮

 まつばや風瀑がいせに有けるを尋音信て、十日ばかり足を休るほどに、くれて外宮に詣侍りける。

 松葉屋風瀑が伊勢にありけるを、尋ね音信れ(おとずれ)て、十日ばかり足を休むるほどに、暮れて外宮に詣で侍りける。

 松葉屋風瀑が、伊勢にいるのを尋ね訪れて、十日ほど足を休めている間に、暮れてから外宮に詣でたことがございます。

 一の華表の陰ほのくらく、御燈処々にみえて、またうへもなき峯のまつかぜ身にしむ計ふかき心を起して、

 一の華表(かひょう=鳥居)の陰ほの暗らく、御燈(みあかし)処々に見えて、また上もなき峯の松風身に沁むばかり深き心を起こして、

 一の鳥居の陰はほの暗く、御灯火が所々に見えて、またその上がない峰の松風が身に沁みるほど深く感じ入って、

  みそか月なし千とせの杉を抱嵐

  晦日なし。千歳の杉を抱く嵐

 ※ 句の訳は、講読・解説を参照。以下同。

⑧ 内宮

 腰間に寸鉄を不帯、襟に一嚢をかけて、手に十八のたまを携ふ。

  腰間に寸鉄を帯びず、襟に一嚢を掛けて、手に十八の珠(たま)を携ふ。

  腰には、小脇差しを帯びず、襟に頭陀袋を掛けて、手には数珠を持っている。

  僧にゝてちり有、ぞくにゝて髪なし。我僧にあらずといへ共、もとゞりなきものはふとのぞくにたぐへて、神前に入事をゆるさず。

 僧に似て塵あり、俗に似て髪なし。「我僧にあらず」と言へども、髻(もとどり)なきものは、浮屠(ふと=僧侶)の族に類へ(たぐえ)て、神前に入ることを許さず。

 僧に似ているが世俗がにおい、世俗のようで髪がない。「私は僧ではない」と言ったが、たぶさがない者は、僧侶とみなすと、神前に入ることは許さなかった。

⑨ 西行谷

 西行谷のふもとにながれ有リ。をんな共のいもあらふをみる。

 西行谷の麓に流れあリ。女共の芋洗ふを見る。

 西行谷の麓に流れがあった。女たちが、芋を洗うのを見た。

   いもあらふ女さいぎやうならバ歌よまむ

   芋洗ふ女。西行ならば歌詠まむ。

⑩ 茶店

 其日のかへさ(促音無表記の語)、ある茶店に立寄侍るに、てふと云ける女、あが名にほ句せよと云て、しろき絹出シけるに書付侍る。

 その日の帰っさ、ある茶店に立ち寄り侍るに、てふと云ける女、吾が名に発句せよと云ひて、白き絹出しけるに書き付け侍る。

 その日の帰り道、ある茶店に立ち寄りましたが、「ちょう」という女が、私の名で発句をくださいと言って、白い絹を出したのに書き付けました。

   蘭の香やてふのつばさにたき物す

   蘭の香や。てふの翅(つばさ)に薫き物す。

⑪ 閑人の茅舎

 閑人の茅舎をとふ。

 閑人の茅舎を訪ふ。

 世俗から離れ、ゆったり暮らす人の、茅屋を訪れる。

  蔦うゑてたけ四五本のあらしかな ※原文「うへて」

  蔦ヲ植ゑて、竹四、五本の嵐かな。

野ざらし紀行天理本所載、「伊勢」関連の句

送別

◆③ いせやまだにて、いも洗ふと云句を和す
                 いせ山田
 宿まゐらせむさいぎやうならバ秋暮  雷枝 
※原文「まいらせむ」
  ばせをとこたふ風の破がさ     蕉

   伊勢山田にて、芋洗ふといふ句を和す。
 宿ヲ参らせむ、西行ならば。秋の暮れ。  雷枝(伊勢山田)
  芭蕉と答ふ、風の破れ笠。       芭蕉

 ※ 訳は、講読・解説を参照。以下同。

餞別

◆④               同
 花の咲みながら草の翁かな      勝延
  秋にしほるゝ蝶のくづほれ     蕉
 ※原文「くづをれ」「崩れ+折れ」でない。「頽れ」は「くづほれ」

  花の咲く身乍ら(ながら)、草の[草を結ぶ]翁かな。         勝延(同:伊勢山田)
   秋に萎るる、蝶の頽れ(くずおれ)。            芭蕉

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野ざらし紀行 旅程2「伊勢」

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貞享元年8月27日伊勢山田到着から、9月8日伊勢山田出発まで

月日時分記事移動距離累計

8月27日 伊勢山田到着 (30.5㎞)

8/2713:50

<雲津→松坂→小俣→伊勢山田>
伊勢山田大世古の松葉屋風瀑亭に到着
10日ほど逗留。

風瀑亭30.5462

※ 日付は、「外宮参拝をする8月29日」を含む前3日程度と推測。

雲出~外宮、足跡
第14日 8月27日頃 雲出~外宮

※ 本文「外宮に詣侍りける」、句「みそか月なし」を8月晦日の29日として逆算。
※ 伊勢に至るまでの宿泊地は推定。

8月27日~9月7日 外宮・内宮・西行谷・茶屋・廬牧亭

8/28風瀑亭-492
8/29晦日、外宮参詣
 みそか月なし千年の杉を抱く嵐
風瀑亭 2.0 494
9/1~9/5
の内1日
内宮、西行谷、茶屋を訪れる。
 芋洗ふ女西行ならば歌詠まむ
 蘭の香や蝶の翅に薫物す
風瀑亭 12.5 507
↓ 西行谷の後で
9/2~ 9/6廬牧亭を訪れる。※伊勢山田
 蔦植て竹四五本のあらし哉
風瀑亭
雷枝亭
-507

雷枝と付合の交流。※伊勢山田
宿まいらせむ西行ならバ秋暮
※ 芭蕉、西行谷訪問の後日。

勝延と付合の交流。※伊勢山田
花の咲みながら草の翁かな

9/708:00伊勢山田を出発-伊勢街道-539
 〃16:00<伊勢山田-伊勢街道→月本追分-伊賀街道→久居の宿>久居の宿 32.0 539

※ 日付は、「外宮参拝をする8月29日」を含む前3日以内を含む「十日ほど」の逗留で、「長月初め伊賀上野に帰郷」を根拠に推定。「長月初め」は9月上旬、10日までである。

外宮~内宮、足跡8月27日頃~9月7日頃 伊勢

※ 日付推定の根拠。
 ・ 本文「外宮に詣侍りける」、句「みそか月なし」を8月晦日の29日と断定。
 ・ 本文「十日ばかり足をとどむ」から、伊勢滞在を10日間ほどと断定。
 ・ 本文「長月の初め、故郷に帰りて」から、伊賀帰郷を節句の9月9日前と推定。
※ 伊勢に至るまでの宿泊地は推定。

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野ざらし紀行 講読「伊勢」
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風瀑

 <風瀑略歴>
 松葉風瀑(ふうばく)、垂虹堂とも。通称松葉七郎大夫。外宮指折りの御師(伊勢では「おんし」)。
 伊勢大世古に屋敷があり、伊勢神宮年寄師職を務める松葉七郎大夫家の人。
 伊勢参りの人を募り案内する江戸の出店を経営、芭蕉・素堂・其角らと交流。「一楼賦」編、「丙寅紀行」などがある。
 貞享3(1686)年帰郷。元禄2(1689)年父が没して後、家業に専念。生年不詳、宝永4(1707)年没。法号、悦山浄喜禅定門松。

 松葉屋風麦が、伊勢に戻っているので、尋ね訪れて、十日ほど足を留めた。
 ※ 御師の屋敷には、伊勢参拝の旅人を泊める設備が整っていた。

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風瀑 真蹟「藤田本」


 松葉屋風瀑が伊勢に有けるを尋(たずね)音信(おとずれ)て、十日計(ばかり)足をとどむ。

隠居

松葉屋跡風瀑は、江戸で神宮参詣の勧誘・案内を業としていました。
道路の左が松葉屋の跡です。道路の右は笈の小文で訪れる竜太夫の屋敷、こちらは現存します。

書生

風瀑は、江戸から戻っていると、芭蕉は知っていたわけですね。

隠居

然り。この年貞享元年の夏、風瀑は伊勢へ戻っています。伊勢講・お蔭参りの案内でしょうか。
 忘れずば小夜の中山にて涼め  芭蕉
これは、風瀑への餞別吟。延宝4年、小夜の中山での自句、
 命なりわづかの笠の下涼み  芭蕉
を基に、夏旅の苦労を思いやっています。
これを、6月の句とする資料がありますが、何によったのでしょう。風瀑、貞享2年序の「一楼賦」には、
  さ月のつごもりに/よこ雲の涼しき程
 吉原の富士業平にみせばやな 風瀑

とあって、5月下旬に江戸を発っていたと思われるのですがな。

書生

はい。
では、その時、芭蕉は、伊勢へ行く約束をしていたのでしょうね。松葉屋を訪れると。
8月末までに着くと連絡してあったとすれば、あえて小夜の中山を夜越えたこと、途中どこにも立ち寄っていないことが理解できます。

隠居

旅程表を見ると、芭蕉も頑張って、月末までに1,2日の余裕はできたようですな。

書生

で、この文からですが、「天理本」と「藤田本」とで違います。
<天理本>まつばや風瀑がいせに有けるを尋音信て、十日ばかり足を休るほどに、くれて外宮に詣侍りける。一の華表の陰ほのくらく、……
<藤田本>松葉屋風瀑が伊勢に有けるを尋音信て、十日計足をとどむ。 腰間に寸鉄を帯びず、……
天理本は、外宮の記述に、藤田本は内宮の記述になります。
どちらを取りましょうか。

隠居風瀑亭

そうですな。
行程順に読むと、いろいろ見えてくるので、行程順がよかろう。
 
神宮は、先ず外宮の豊受大御神に参拝し、次に内宮の天照大御神を参拝するのが慣わし。
ただ、この習わしに寄るも寄らぬも、風瀑亭は外宮前にある。先ずは外宮へ行くのが自然ですな。
芭蕉の神宮参拝は、これで4度目、勝手は分かっておるはずですが、神宮側の対応が変わったようです。
右は、伊勢山田の古地図をもとにしたもので、僧尼拝所も入れてあります。外宮は、参道脇に小径が合って、三の鳥居手前まで行けたようですな。
風瀑亭の近いことが分かりましょう。
 
草稿の成立は天理本が先。完成形の基となる藤田本では、何らかの文学的効果をねらって、後先を替えたのではないかな。

書生

はい。では、そのように。

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外宮

行き行きて、山田が原の神杉を抱きいだき、また上もなき思ひを述べ、何事のおはしますとは知らぬ身すらも涙下りぬ。

<素堂序>

 日が暮れて、外宮の参拝にまいりましたが、一の鳥居の陰がほの暗く、御神燈の灯りが、所々に見えて、さらにこの上もないところを吹く峰の松風が、身に沁みて味わい深く、心から感じ入って、
 
  晦日、月なし。千歳の杉を抱く嵐

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外宮 真蹟「藤田本」


 暮て外宮に詣侍りけるに、一ノ華表の陰ほのくらく、御燈みあかし処々に見えて、また上もなき峰の松風、身にしむ計ばかり、ふかき心を起して、

 みそか月なし千とせの杉を抱あらし

書生

8月29日、芭蕉は外宮を参拝する。日は暮れて、鳥居の奥は既に暗く、御神燈の灯りが拝路を示して、上空を風が、神路山の峰から吹き下ろしている。これぞ神風。
  ふかく入りて神路のおくをたづぬれば 又うへもなきみねのまつ風 「西行物語」
「今日は晦日で月はない。西行が尋ねた神路山の峰の松風が、この神域を吹き渡り、千年を経た杉の大木を、我が子を揺り動かすように慈しんでいる」と、心深く感じ入った。


素堂は、西行歌、
  なにごとのおはします かは知らねども かたじけなさに涙こぼるる
を引いています。
それはいいのですが、芭蕉が杉を抱いていると読んでいます。
 「千とせの杉を抱く、嵐の中で」と解したのでしょうか。強風で、杉に芭蕉が張り付いたかのようです。

隠居

風狂ではある。「抱く」は連体形、「嵐」に掛かっていますから、違います。
素堂は、時折斬新な解釈をしますな。
時に、諸本の脚注に、この句は8月30日の吟とあるが。

書生

お座なりですね。貞享元年の8月は小の月、晦日は29日です。30日はありません。「三十日」と書くのは不用意です。「みそか」か「晦日」と書くべきでしょう。
ちなみに月齢は、28.7です。

隠居

ふむふむ。
おお、29日が晦日であることを踏まえ、「9月1日であろう」という説もありますな。

書生

「あろう」では説になりません。30日がなければ、1日とするのは安直です。29日の晦日、別の場所にいたという確証があれば別ですが。
ともあれ「みそか月なし」というのは、残念なのでしょうか。

隠居西行は、
 ことに月のひかりもすみのぼりければ、
  神路山月さやかなるちかひありて あめのしたをばてらすなりけり 
「西行物語」
と、澄み昇った月を見ていましたからな。
書生西行の見た月を見たかったでしょうね。

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内宮

小脇差しをも身に付けず、襟には頭陀袋を掛け、手には十八玉の数珠(禅門)を携えている。
僧に似てはいるが俗塵を帯び、世俗のようだが髪はない。
「私は僧ではない」と言うのだが、僧侶の類いと見なされて、神前の参拝所に入ることは許されなかった。

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僧形 真蹟「藤田本」


腰間に寸鉄を帯びず、襟に一嚢をかけて、手に十八の玉を携ふ。僧に似て塵有、俗に似て髪なし。
我僧にあらずといへども、浮屠の属にたぐへて、神前に入事を許さず。

書生

僧侶は内宮参拝を許されなかったと言うことですが、4度めの訪問ですよね。
僧形での参拝は初めてだったのでしょうか。

隠居

そうかも知れませんが、事情が変わったとすれば、了解できます。
その13年前、寛文10年11月に、伊勢山田に大火事があって、6千軒が焼失している。このとき約200の寺院も焼けました。
で、この復興のとき、寺院は神域から離れた場所に移転を命じられています。焼けなかった寺も同時にな。

書生

なるほど。
死人を弔う施設が近くにあるのはよろしくないということでしょうね。
で、あわせて僧の参拝規制も厳しくなった。一貫した論理ではありますね。
芭蕉は野晒しになろうとしているから、なおさらです。
時に、風瀑は、御師という神職でありながら、「悦山浄喜禅定門松」という法号ですね。これはよろしいのかと。

隠居

生きているうちでなければ、構いませんな。
もとどりもあったでしょうし。

書生

藤田本、「もとゞりなきものは」を略しましたね。「俗にゝて髪なし」とあるので、略しましたか。

隠居

さよう。ちなみに、慣用句「もとどりを切る」は、出家を意味します。薙髪・剃髪と同じです。庶民は薄毛でも結いました。

書生

3本あれば結えるそうですね。
藤田本は、内宮の後に外宮が記述されていますが、意図はありましょうか。

隠居

如何かな。

書生

藤田本の記述は、「内宮の参拝が許されなかったので、外宮へ行った」かのように受け取れます。しかし、地図と見比べると不自然ですね。
風瀑亭から、外宮を通り過ぎて内宮へ行く。参拝できないので、日暮れに外宮へ行く。さらに、後日でしょうか、内宮近くの西行谷へ行き、帰り道に、古市の茶屋へ行って風瀑亭に戻る。

隠居

やはり、不自然ですな。

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西行谷

 同じく西行谷のほとりにて、芋洗ふ女に言寄せけるに、江口の君ならねば、答えもあらぬぞ口惜しき。

<素堂序> 

 西行谷の麓に流れがあった。女たちが芋を洗うのを見て、
 
 芋洗ふ女、西行ならば歌詠まむ。

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芋洗う女 真蹟「藤田本」


 西行谷の麓に流あり。をんなどもの芋あらふを見るに、

 芋洗ふ女西行ならば歌よまむ

書生

西行谷とは何でしょう。

隠居伊勢

伊勢に滞在中の西行が、一時的に庵を結んだところです。

西行は、治承4(1180)年、熊野・新宮を経て、伊勢二見浦に庵を結んでいます。63歳の頃ですな。
この年、東大寺大仏殿が焼け落ちています。
5年後の文治元(1185)年、東大寺大仏の再建が進み本体完成、開眼供養が行われましたが、まだ鍍金されていません。
翌、文治2(1186)年4月、俊乗は東大寺の僧700人を連れ、伊勢の神宮に参拝。
二見の天覚寺で、大般若経600巻の書写、転読供養、奉納を行いました。
これは、鍍金に用いる辰砂や大仏殿の大瓦を勧進するためです。
問題の金は奥州藤原氏に要請してありますが、これが届かない。
そこで藤原氏の縁者である西行が催促の勧進をすることになりました。
この年の7月、69歳の西行が出立します。
このころに、西行谷にいたようですな。
詳しくは、西行の略年譜を見てください。
砂金勧請の経緯は、「伊勢二見、西行の隠棲と俊乗の神宮参拝」以降にあります。
近くに菩提山神宮寺があって、称往上人がいました。西行が伊勢を発つとき、この上人に惜別の歌を詠んでいます。
 めぐりあはで雲ゐのよそに成りぬとも 月になれ行くむつび忘るな

西行谷
㊧ 西行谷、水路が整備されている。    ㊥ 西行谷に橋が架かっている。    ㊨ 橋の上流側、小さな滝がある。

この谷川は、五十鈴公園南の川に注ぐ。この水で、芋を洗っていたのでしょう。

書生

内宮の参拝ができず、近くの西行谷を訪れた。
朝熊ヶ岳の西麓に流れがあり、収穫した芋を洗う女たちがいる。西行なら歌を詠む光景である。


素堂序にある「江口の君」とは?

隠居

♪そもや江口の遊女とは~♪それは去りにし古の~♪
うろ覚えだが、世阿弥の謡曲「江口」です。
山家集にもあるが、新古今集の贈答歌は次のとおりです。


 天王寺へまうでけるに、俄に雨の降りければ、江口に宿を借りけるに、貸し侍らざりければよみ侍りける。


  西行法師
 世の中を厭ふまでこそ難からめ
    かりのやどりを惜しむ君かな
   返し   遊女 妙たえ
 世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に
    心とむなと思ふばかりぞ


そして、一夜を語り明かす。
後に、妙は仏門に帰依し、今も寂光寺江口堂が残ります。
寂光寺由緒には、仁安2(1167)年長月二十日余りの頃とあります。西行50歳のことですな。
一方、謡曲での江口の君は、「『思へば仮りの宿、心留むなと人をだに戒めし我なり。これまでなりや帰る』とて、すなはち普賢菩薩と」なって、西の空へ立っていきます。
これは余談ですが、一説に、「妙は平資盛すけもりの娘」というのがあります。
和歌の名人の娘ならばさもあらんと思わせますが、壇ノ浦で没した平資盛ならば、保元3年(1158)の生まれ。仁安2年には10歳にして、遊女をする娘があったことになり、これを合理的に説明する術をわしは持ちません。別の資盛と思う。

書生

はあ。

隠居

素堂は、「江口の君ならねば、答えもあらぬぞ口惜しき」と、言いますな。

書生

なるほど。江口の君のように返したら、面白かったでしょうね。
ん?
芭蕉はこの女に、句を贈っていないでしょう。
西行は、「惜しむ君かな」と詠んでいます。芭蕉は「洗う君かな」と詠んでいません。
西行は、女に「汝よ」と呼び掛けますが、芭蕉は「芋洗う女」と、景色として女を詠んだだけです。
 花に酔へり羽織着て刀さす女
 躑躅生けてその陰に干鱈割く女

と同じで、女に詠み掛けてはいません。

隠居なるほど、応えを要求してはいませんな。「口惜し」いということもありません。
素堂は、「私が西行ならば、女は歌を詠んで返しただろう」とでも解釈しましたか。ここも斬新ですな。
江口の君は遊女、芋洗う女はそうではありません。
ありませんが、「物洗う女」で、これは格別ですぞ。
書生はあ。
隠居徒然草第八段に、
世の人の心まどはす事、色欲にはしかず。人の心はおろかなるものかな。匂ひなどはかりのものなるに、しばらく衣裳に薫物たきものすと知りながら、えならぬ匂ひには、必ずときめきするものなり。
久米の仙人の、物洗ふ女の脛はぎの白きを見て、通を失ひけんは、誠に手足・はだへなどのきよらに、肥えあぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。 

とありまして、これは、修行の身には危険物。
書生はぎ?辞書には「足の膝からくるぶしまでの部分」。すねでしたか。
「女ども」ですから、何本もあったことでしょう。
この絶景に芭蕉はときめきましたが、西行ではないので打ち勝ちました。
でも、ちょっと残念。
隠居十八珠の冥加ですな。
この、残念なところが誹諧です。
書生では、蘭の香へ。

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茶店

<三冊子>
   蘭の香や蝶の翅に薫す
 此句は、ある茶店の片はら(傍ら)に道やすらひしてたたずみありしを、老翁を見知り侍るにや、内に請じ、家女料紙持出て句を願ふ。
 其女のいはく、我は此家の遊女なりしを、今はあるじの妻となし侍るなり。先のあるじも、鶴といふ遊女を妻とし、其のころ、難波の宗因、此の處にわたり給ふを見かけて、句をねがひ請けたるとなり。
 例、おかしき事まで言ひ出て、しきりに望み侍れば、いなみがたくて、かの難波の老人の句に、「葛の葉のおつるの恨夜の霜」、とかいふ句を前書にして、この句遣し侍るとの物語りなり。
 其の名をてうといへば、かく言ひ侍るとなり。老人の例にまかせて書き捨てたり。
 さのことも侍らざれば、なしがたき事なりと云へり。

 内宮や西行谷を訪れたその日の帰り道、とある茶店に立ち寄ったのですが、蝶という名の女が、
「私の名に発句をしてください」
と、言って、白い絹布を出したのに書き付けました。
 
 蘭の香や。蝶の翅に薫き物す。

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野ざらし紀行 真蹟「藤田本」


 其日のかえさ、ある茶店に立寄けるに、てふと云けるをんな、「あが名に発句せよ」と云て、白ききぬ出しけるに書付侍る。

  蘭の香やてふの翅にたき物す

書生

西行谷からの帰り道、古市(地図は、「西行谷」の項)の茶屋近くに立ち止まって休憩していた。すると、芭蕉を見知っているのか、店の女が、中に招き入れ、用紙を持ってきて、句を作ってほしいと言う。
女は、「私はこの茶屋の遊女だったのですが、今はこの家のあるじの妻です。先代も鶴という遊女を妻としておりまして、そのころ難波の宗因が通りかかり、句を願って頂いております」と、言う。興味深いことを言い、何度も頼むので断れず、宗因の「葛の葉のおつるの恨夜の霜」を前書きにして、
 「蘭が咲き、芳香を放っている。花に蝶がとまり、じっとしている。まるで、薫き物をし、香りを移しているかのようだ」という句を詠んだ。
 女の名が「蝶」というので、こう詠んだわけだ。これは、宗因の遺したものに合わせて書き捨てにした。宗因のこともなければ、しづらいことである。(三冊子、大意)


徒然草の「えならぬにおい」でつながりましたか。

隠居「衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ずときめきするものなり」に、「必ず」とありますな。
ただ、元遊女で、現役ではありませんからな。
書生それなりと、いうことですね。
ここもやはり、残念と。
伊勢は皆残念ですね。
 「内宮に参拝できず残念」「外宮は月がなく残念」「女がいたが、自分は西行でなくて残念」

さて、「三冊子」にある「書き捨て」の意味が今ひとつ。
隠居

芭蕉の意味でとらえる。
1 嵯峨日記…夜も寝られぬまゝに、幻住庵にて書捨たる反古を尋出して清書す。
2 許六宛書簡…去り乍ら書捨少々頼み奉り候ふ。
3 奥の細道(全昌寺)…「庭掃て出ばや寺に散柳」 とりあへぬさまして、草鞋ながら書捨つ。

書生

はあ。どれも「取り敢えず書くこと」の意ですね。、1は「覚え書き、草稿」、2は「下書き」、3は「句のみ書くこと」ですか。
とすると、3の意に近いですね。

隠居

普通は、句を懐紙や短冊に清書し、詞書き・絵などを添え、見て味わう体裁を整える。

書生

が、茶屋では、句だけを書いたということですね。なるほど。

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閑人の茅舎

<廬牧略歴>
 杉本廬牧ろぼく。伊勢山田の隠者。通称正英、茶道を好む。他未詳。
 其角の「枯尾華」の「四七日忌をかけて普音ふいん文通之句」に、伊勢の俳人とともに一句。
    せめてその笠みて行んあられ笠  同(伊勢) 廬牧

※ 芭蕉翁命日 …… 元禄 7(1694)年10月12日 
〃四七日忌 ……    〃   11月 9日 

俗世間を離れて暮らす風流人の、侘びた茅葺きの家を訪れて、

 蔦植ゑて、竹四五本の嵐かな。

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野ざらし紀行 真蹟「藤田本」


閑人の茅舎を訪ひて。

  蔦植て竹四五本のあらし哉

書生

風流人の茅舎を訪れる。竹が四五本生えたこぢんまりとした庭に、蔦が植えてあり、赤々と染まる晩秋が楽しみである。折しも風が吹き渡り、竹を揺らして、音を立てた。


隠者にふさわしいたたずまいですね。
「竹四五本の嵐」って、そこだけ風があったのでしょうか。

隠居

いや、気象現象を詠んだのではない。
風は目に見えん。何かものが揺れたり、音が聞こえたり、肌で感じたりしてして分かる。
四五本の竹が揺れ、音を立てる、これが嵐そのものですな。
「千歳の杉を抱く嵐」と比べて味わうとよい。
人にとって世界とは、知覚できる範囲。知覚したものを言葉にすると句ができる。

書生

はあ……
で、廬牧については、余り分かっていないのですね。この日の句もないようですし。

隠居

略歴にある程度ですな。あと、甲斐の蟹守、文化文政のころ活躍した俳人だが、その紀行文「杖廼跡」に、廬牧亭を訪れた話があるらしい。芭蕉没後百数十年のこと、同じ建物が残っていたかどうか。
芭蕉翁四七日忌の廬牧句は、貴重な資料である。

書生

「せめて、その笠を見て行きたいものだ。霰笠を。」ですか。普音は、「あまねく知らせる」でしょうか。で、句を其角に送ったということですね。
「その笠」ということは、四七日忌の通知に「笠」とあった。

隠居

然り、路通の「芭蕉翁行状記」も見られい。

書生

はい……、「四七日翁頭陀笠杖寄進義仲寺」
はあ、「この日は芭蕉の遺品三点を義仲寺に寄進します」と通知された訳ですか。
だから、「その笠」を見たいと。

隠居

其角の「枯尾華」と路通の「行状記」を比べ読みするといろいろ分かります。また、どこかで触れるでしょう。

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草稿・付合

 <雷枝略歴>
 為田雷枝(らいし)、闘雀軒・弄之軒とも。通称為田孫八郎。伊勢山田の俳人。「伊勢斐杉(あやすぎ)」編、1685年一有「あけ鴉」入句。生没年未詳。

 伊勢山田にて、「芋洗ふ」という句に応え合わせる。

宿参らせむ、西行ならば。秋の暮。 雷枝

 芭蕉と答ふ。風の破れ笠。      芭蕉

罫線

雷枝・芭蕉、付合 「野ざらし紀行」草稿


◆③
 いせやまだにて、いも洗ふと云句を和す
            いせ山田
宿まいらせむ西行ならバ秋暮 雷枝

 ばせをとこたふ風の破がさ 蕉

書生

西行谷のある宇治でなく、伊勢山田の雷枝亭での句。
「宿を提供しましょう、あなたが西行であるならば。この秋の暮に。」と雷枝が「芋洗ふ句」を踏まえて詠んでいます。
「宿まいらせむ」から、「江口の君」ならぬ「芋洗う女」の心で詠んだようです。
芭蕉は、「西行ではありません。私は芭蕉です」と答え、秋風で破れた道中笠を示しました。

隠居

「和す」とありますからな。
面白い問答ではありますが、発句・脇は問答ではありません。身柄脇になってしまいます。
脇の季語は、「破れ芭蕉」で晩秋。
「風に破れた笠は、さながら破れ芭蕉。その持ち主は、芭蕉であると語るかのようであった」と。

書生

あれ、どう違います。

隠居

語り手ですな。作者でも作中人物でもない。
その場にいないがすべてを見通す、……何じゃな……

書生

いわゆる、Storyteller。

隠居

語り部でよい。
さて、改めて読むと、雷枝亭で泊まったようですな。

書生

はい。
で、勝延もこの座にいたのでしょうか。

 <勝延略歴>
 田付勝延(かつのぶ)、通称田付弥三。伊勢神宮の神職。 伊勢山田の俳人、「日本行脚文集」入集。生没年未詳。

 伊勢山田にて、

  花の咲く身ながら、草の翁かな。 勝延

   秋に萎るる、蝶のくづほれ。  芭蕉

罫線

勝延・芭蕉、付合 「野ざらし紀行」草稿


◆④
          同※いせ山田
 花の咲みながら草の翁かな  勝延

  秋にしほるゝ蝶のくづほれ 蕉

書生

勝延は、
「押しも押されぬ俳諧師と花の咲く身でありながら、このようなところに草を結ぶ(お泊まりになる)翁であられ、恐縮いたしております」と、勝延があいさつすると、
「いえいえ、すでに野ざらしの旅。秋に萎れる蝶へなへなとする体であります」と、芭蕉は応じた。


と、すると、これは勝延亭かもしれません。

隠居

まあ、雷枝亭か、別の日に勝延亭を訪れたか、何れかでしょう。
勝延句の季は三秋、花は「草の花」である。
で、芭蕉は、我が身を「蝶」に喩えているわけだが、「蘭の香句」の蝶も芭蕉だったと分かろう。

書生

では、最後に伊勢での行程を整理します。

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野ざらし紀行、講読の振返り

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野ざらし紀行 伊勢 天理本と藤田本の比較

共に芭蕉真蹟で、天理本が初期のもので、藤田本は完成形とされる。従って文学的脚色は、天理本が薄く、行程を探るに適しているであろう。

天理本藤田本
① 風瀑亭
まつばや風瀑がいせに有けるを尋音信て、十日ばかり足を休るほどに、くれて外宮に詣侍りける。
❶ 風瀑亭
松葉屋風瀑が伊勢に有けるを尋音信て、十日計足をとゞむ。
② 外宮
十日ばかり足を休るほどに、くれて外宮に詣侍りける。
一の華表の陰ほのくらく、御燈処々にみえて、またうへもなき峯のまつかぜ身にしむ計ふかき心を起して、
  みそか月なし千とせの杉を抱嵐
③ 内宮
腰間に寸鉄を不帯、襟に一嚢をかけて、手に十八のたまを携ふ。僧にゝてちり有、ぞくにゝて髪なし。
我僧にあらずといへ共、もとゞりなきものはふとのぞくにたぐへて、神前に入事をゆるさず。
❷ 内宮
腰間に寸鐵をおびず。襟に一嚢をかけて、手に十八の珠を携ふ。僧に似て塵有。俗にゝて髪なし。
我僧にあらずといへども、浮屠の属にたぐへて、神前に入事をゆるさず。
❸ 外宮
暮て外宮に詣侍りけるに、一ノ華表の陰ほのくらく、御燈處ゝに見えて、また上もなき峯の松風、身にしむ計、ふかき心を起して、
  みそか月なし千とせの杉を抱あらし
④ 西行谷
西行谷のふもとにながれ有リ。をんな共のいもあらふをみる。
  いもあらふ女さいぎやうならバ歌よまむ
❹ 西行谷
西行谷の麓に流あり。をんなどもの芋あらふを見るに、
  芋洗ふ女西行ならば歌よまむ
⑤ 古市
其日のかへさ、ある茶店に立寄侍るに、てふと云ける女、あが名にほ句せよと云て、しろき絹出シけるに書付侍る。
  蘭の香やてふのつばさにたき物す
❺ 古市
其日のかへさ、ある茶店に立寄けるに、てふと云けるをんな、あが名に発句せよと云て、白ききぬ出しけるに書付侍る。
  蘭の香やてふの翅にたき物す
⑥ 廬牧亭
閑人の茅舎をとふ。
  蔦うへてたけ四五本のあらしかな
❻ 廬牧亭
閑人の茅舎をとひて、
  蔦植て竹四五木のあらし哉
付合
⑦ 雷枝亭
いせやまだにて、いも洗ふと云句を和す。
                   いせ山田
  宿まゐらせむさいぎやうならバ秋暮 雷枝
   ばせをとこたふ風の破がさ     蕉
⑧ 勝延亭
                   同
  花の咲みながら草の翁かな  勝延
   秋にしほるゝ蝶のくづほれ  蕉
藤田本は、
 ㋑ 仮名表記が減り、漢字表記が増えている。
 ㋺ 下線部の表現が変わっている。
 ㋩ 外宮の段落が、内宮の後に移動している。
 ㋥ 付合⑦⑧が省略されている。(21の付合すべて省略。)
この内、㋩「外宮段の位置変更」で、旅程が違ってくる。
(天理本)風瀑亭-外宮-内宮-西行谷-古市(藤田本)風瀑亭-内宮-外宮-西行谷-古市

本講読では、風瀑亭が大世古一丁目という外宮の最寄りにあることから、先ず外宮へ行ったとするのが自然であり、成立の早い天理本には、そのまま記述されたものと判断した。
また、、藤田本で「内宮-外宮」としたのは、「内宮で参拝できなかったので外宮へ行った」かのように読ませ、「侘び」を演出したものと見なした。
なお、このことについては、「暮れて」の解釈に相違となって表れる。

① 「まつばや風瀑がいせに有けるを尋音信て、十日ばかり足を休るほどに、」
② 「十日ばかり足を休るほどに、くれて外宮に詣侍りける。一の華表の陰ほのくらく、御燈処々にみえて、またうへもなき峯のまつかぜ身にしむ計ふかき心を起して、 / みそか月なし千とせの杉を抱嵐」
❶ 「松葉屋風瀑が伊勢に有けるを尋音信て、十日計足をとゞむ。」
❷ 「腰間に寸鐵をおびず。襟に一嚢をかけて、手に十八の珠を携ふ。僧に似て塵有。俗にゝて髪なし。我僧にあらずといへども、浮屠の属にたぐへて、神前に入事をゆるさず。」
❸ 「暮て外宮に詣侍りけるに、一ノ華表の陰ほのくらく、御燈處ゝに見えて、また上もなき峯の松風、身にしむ計、ふかき心を起して、 / みそか月なし千とせの杉を抱あらし」
松葉屋風瀑に十日程逗留したある日、暮れて外宮に詣でた。内宮を訪れた日、暮れて外宮に詣でた。
  

 

野ざらし紀行、講読の振返り
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伊勢
書生

伊勢に十日ばかり滞在し、9月の初め、郷里伊賀上野に行くまでの旅程です。
日にちが確定するのは「みそか月なし」の外宮参拝、8月29日だけですね。

隠居

その日の次に、「内宮・西行谷・茶屋」で、次に「雷枝亭・勝延亭」か「廬牧亭」の順は動かぬな。

書生

伊賀上野へは、途中一泊したとして、9月8日着。「上旬着」には、2日余裕があります。

隠居

久々の故郷、菊の節句には着いていたほうがよいから、それでいいでしょう。

書生

「菊の節句には帰る」と伝えていたのでしょうか。

隠居

野ざらし覚悟の旅、菊花の契りではありません。節句を故郷で過ごす心づもりだったのでしょう。

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  ─── 「野ざらし紀行」講読ページの解説 ───