野ざらし紀行 熱田~名古屋~伊賀上野

野ざらし紀行 索引
旅立伊勢伊賀-竹内-
吉野山
大垣-
桑名
熱田-
名古屋-伊賀2
奈良-二月堂-京都
-伏見-大津-水口
熱田-
鳴海
甲斐-深川
旅の後
野ざらし紀行 熱田~名古屋~伊賀上野 索引
本文原文・訳文天理本「熱田」天理本「伊賀上野」旅程旅程・足跡
講読熱田神宮の茶店、しのぶさへ枯て餅かふやどり哉
名古屋、狂句木枯の身は竹斎に似たる哉くさ枕いぬもしぐるゝかよるの声
市人よ此傘うらふゆきのかさ熱田2桐葉亭、馬をさへながむる雪の朝哉
うみくれてかものこゑほのかに白し草稿・付合「一リン咲る」
草稿・付合「美人を拝む」伊賀上野、生家2 としくれぬ笠きて草鞋はきながら
たがむこぞしだに餅負牛の年草稿・付合「われもさびよ」
資料資料_熱田鰒釣らん李陵七里の浪の雪/遊び来ぬ鰒釣りかねて七里迄
「熱田皺箱」 此海に草鞋捨ん笠しぐれ「熱田皺箱」 馬をさへ詠むる雪の朝かな
「熱田皺箱」 付合「しのぶさへ」「春の日」 あたらしき茶袋ひとつ冬籠
「笈日記」抱月亭、三物「市人に」「春の日」 この比の氷ふみわる名残かな
「熱田三歌仙」 歌仙「海暮れて」「熱田三歌仙」 付合「檜笠」
「蕉翁全伝」 子の日しに都へ行かん友もがな「蕉翁全伝」 旅烏古巣は梅に成にけり


講読、その五「熱田、名古屋、伊賀上野」


 芭蕉は、門弟千里を連れ、「野ざらし紀行」の旅に出、伊勢の神宮参拝後、郷里伊賀上野を経て、千里の生家竹内に至ります。竹内からは一人旅、吉野を巡り、大垣の木因を訪問、木因と桑名、熱田へ。さらに、単身名古屋へ出向き、冬の日五歌仙を巻きます。
 このページでは、芭蕉真蹟「天理本」・「藤田本」を元に、桑名・熱田・名古屋・伊賀上野の段を取り上げ、原文・訳読み文・現代語訳を示し、「桜下文集」・「熱田皺筥物語」・「甲子吟行の素堂序」・「春の日」・「笈日記」・「熱田三歌仙」・「蕉翁全伝」などを資料にして、講読していきます。
 また、旅程表を作成し、講読の資料としつつ、この旅の実態を明らかにしていきます。




野ざらし紀行

・ 各段は、便宜上設けたもので、原文にはない。
・ 原文は、芭蕉の真蹟「天理本」による。
  また、「天理本」には、旅を補足する句が、巻末に付せられているので、「関連句」(◆印)として記しておく。
・ 講読の項に置いた文は、貞享年間の真蹟「藤田本」による。
・ いずれも、「芭蕉紀行文集、中村俊定校注(岩波文庫)」を参照したものである。

「野ざらし紀行」講読ページ解説へ

野ざらし紀行「熱田、名古屋」 原文・現代語訳

㉔ 熱田

   あつたに詣づ

   熱田(神宮)に詣づ。

   熱田神宮を参詣する。

   社頭大イニ破れ、築地ハたふれてくさむらにかくる。

   社頭大いに破れ、築地は倒れて叢に隠る。

   神殿は大層破損し、築地塀は倒れて草むらに隠れている。

   爰に縄をはりて小社の跡をしるし、かしこに石をすゑて其神となのる。

   此処に縄を張りて小社の跡を印し、かしこに石を据ゑて其の神と名告る。

   こちらに縄を張って末社の跡地を示し、あちらには石を据えてその神に見立て、名を書いている。

   蓬・しのぶこゝろのまゝにおひたるぞ、なかなかにめでたきよりも心とまりける。

   蓬・忍ぶ(草)心のままに生ひたるぞ、なかなかに目出度きよりも心止まりける。

   蓬や、忍ぶ草が、自由に広がって生えているのが、かえって、りっぱなままであるよりも、心が引かれる。

  しのぶさへかれてもちかふやどりかな

   忍ぶ(草)さへ枯れて、餅買ふ宿りかな。

 ※ 句の訳は、講読・解説を参照。以下同。

 名古屋

   なごやに入みちのほど風吟ス

   名古屋に入る道のほど、風吟す。

   名古屋に入る途中、句を作り、読み上げた。

   狂句こがらしのみは竹斎にゝたる哉

   狂句。木枯らしの身は、竹斎に似たるかな。

   くさ枕いぬもしぐるゝかよるの声

   草枕、犬も時雨るか。夜の声。

   雪みにありきて

   雪見に歩きて。

   雪見で歩いて。

  市人よ此傘うらふゆきのかさ

  市人よ、此の笠売らふ。雪の笠。

 熱田 その2

    たび人をみる

    旅人を見る。

    旅人を見る。

  馬をさへながむる雪のあしたかな

  馬をさへ、眺むる雪の朝かな。

    海辺に日くらして

    海辺に日暮らして。

    海辺で、終日暮らして。

  うみくれてかものこゑほのかに白し

  海暮れて、鴨の声ほのかに白し。

 伊賀上野、生家2

   爰に草鞋をとき、かしこに杖をすてゝ、旅寐ながらに年の暮けれバ

   ここに草鞋を解き、かしこに杖を捨てて、旅寝ながらに年の暮れければ、

   ここに草鞋を脱ぎ、あちらに杖を捨てて、旅寝をするうちに年が暮れたので、

  としくれぬ笠きて草鞋はきながら

  歳暮れぬ。笠着て、草鞋履きながら。

   と云々も、山家にとしを越て

   と云ひ云ひも、山家に年を越して、

   などと言いつつ、伊賀の山家で年を越して、

  たがむこぞしだに餅負牛の年

  誰が聟ぞ。羊歯に餅負ふ牛の年。

野ざらし紀行天理本所載、「熱田」関連の句

歌仙「海暮れて」

◆⑲
  美人を拝むかげろふのおく  (工山)
 ゑぞの聟声なき蝶と身を泣て  (芭蕉)

   美人を拝む、陽炎の奥。          (工山)
  蝦夷の聟、声なき蝶と身を泣きて。     (芭蕉)

◆㉒
  一リン咲るまどのしやくやく (東藤)
 碁の工夫二日とぢたる目を明て (芭蕉)

   一輪咲ける窓の芍薬。            (東藤)
  碁の工夫、二日閉ぢたる目を開きて。    (芭蕉)

野ざらし紀行天理本所載、「伊賀上野」関連の句

送別

◆⑦                伊賀
 われもさびよ梅よりおくの籔椿    雅良
  ちやのゆに残る雪とひよ鳥     蕉

 我も寂よ。梅より奥の薮椿。    伊賀雅良
  茶の湯に残る、雪とヒヨドリ。      蕉

原文・口語訳][旅程表][ 七里茶店名古屋草枕熱田2熱田三歌仙伊賀上野2 ][まとめ

野ざらし紀行 旅程5「熱田、名古屋、伊賀上野」
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貞享元年10月中旬~12月25日伊賀上野到着まで

月日時分記事移動距離累計

10月16±1日 大垣~桑名 ※再掲

10/16±1
a-2日
05:40如行亭から木因亭へ。1.0857
06:00木因と大垣の船町港発。1.0858
12:40<船町港-揖斐川舟行-多度、香取港>香取港26.3884
14:20<多度、香取港→多度権現→香取港>香取港6.3890
17:10<香取港-揖斐川舟行-桑名港→本統寺、古益亭>古益亭11.1901

10月17±1日~10月中旬 桑名~熱田

10/17±1
a-1日
<古益亭→桑名東方・西方で紅葉狩り-走井山観音堂→古益亭>古益亭4.2905
10/18±1
a日※2
<古益亭→揖斐川河口舟行-浜の地蔵堂→古益亭>古益亭4.0909
10/19±1
a+1日
08:00古益亭発七里の渡- 909
14:30<古益亭→桑名港→宮の港→桐葉亭>桐葉亭26.0935
10/20±1雪の朝、街道を眺める。
熱田神宮参拝。
桐葉亭 2.0 937
桑名~宮、足跡10月19日頃、桑名~熱田桐葉亭
翌日、熱田神宮参拝

※ 浜の地蔵から木因の舟で七里の渡しに入る。㋑青鷺川、㋺白鷺川を経由し、干潟・浅瀬を避けつつ、上げ潮に乗り、宮の港に入る。
※ 表の時間は、すべて時速4キロで算出。
※ 航路及び海岸線は、国土地理院の「明治期の低湿地データ」及び国土交通省の「KISSO」を参照した。
※ 日付は、熱田・名古屋の旅程を検討する中、桑名の発句「明ぼのや白魚白きこと一寸」が、未明の舟行であることから、明るい月が出ていたと推定。月齢・月没時刻から、その日を「18±1日」と推定した。

10月下旬~12月15日頃 名古屋

10/下旬06:00桐葉亭発937
07:40熱田に少なくとも2日逗留し、21~30日の間に名古屋の荷兮を訪れる。荷兮亭 6.3 944
11/上旬名古屋久屋町の、野水が借りた家に住まう。野水借家 1.4 945
11/15冬至。満月。
冬の日第3歌仙「つつみかねての巻」を巻く。
野水借家945
11/29小寒、寒の入り。野水借家945
11/30晦日。この日までに「冬の日五歌仙」を巻き終える。野水借家945
12/15夜杜国亭で、仲裁をする。杜国亭945

※ 「10月下旬名古屋に赴く」は、「芭蕉紀行文集(岩波書店)」による。
※ 「11月15日第3歌仙を巻く」は、月齢による。
※ 「11月30日までに五歌仙を巻き終える」は、第5歌仙の季語「霜月」による。
※ 「12月15日、杜国亭」は、芭蕉句「雪と雪今宵師走の名月か」による

熱田・名古屋間の経路

熱田~蓬左、足跡

※ 「名古屋新図 實地測量、明治25年」を参照した。

12月15日頃~12月24日 熱田

12/16か12/1706:00名古屋発945
大寒。
16日か17日、名古屋を立ち、熱田に行く。
桐葉亭 6.3 951
12/17か
12/18
17日か18日、終日舟で遊ぶ。桐葉亭 1.4 953
12/19歌仙「海暮れての巻」を巻く。桐葉亭953
12/20
~12/23
故郷に帰るため、海上が穏やかな日を待つ。桐葉亭953

※ 「16日か17日、熱田に行く」は、杜国句「この比の氷ふみわる名残かな」による。
※ 「19日歌仙を巻く」は、「蓬莱嶋」(闌更編)の日付による。

12月24日・25日 伊賀上野

12/2406:00桐葉亭発953
17:40<桐葉亭→宮港-七里の渡し→桑名港→四日市宿→石薬師宿>-東海道 46.4 999
12/2506:00石薬師宿発999
17:40<石薬師宿→庄野宿→亀山宿→関宿-大和街道(加太越奈良道)→上柘植宿→伊賀上野>-東海道 -大和街道 46.9 1046

※ 「24日発」は推定。
※ 「25日伊賀上野」は、「芭蕉翁全伝」(竹人撰)(土芳稿)による。

原文・口語訳][旅程表][ 七里茶店名古屋草枕熱田2熱田三歌仙伊賀上野2 ][まとめ

野ざらし紀行 資料「熱田」

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資料 熱田

<桐葉略歴>
林桐葉(とうよう)、若い頃は、木而、木示(もくじ)。通称林七左衛門。熱田神宮南の市場町に住む郷士で、木因を介して芭蕉と会う。芭蕉の9歳下。能筆で、「熱田皺筥物語(あつたしわばこものがたり)」の版下を書く。正徳2年(1712)没。60歳。

<東藤略歴>
穂積東藤(とうとう)、別号扇川堂、元日坊。 鳴海の中心部を流れる扇川近くに住む。著述が巧みで、1695俳撰「熱田皺筥物語」編、 1702祖月「蓬莱嶋」入、暁台「熱田三謌僊(あつたさんかせん)」入。生没未詳。

隠居

熱田地図
先ず地図を見ておきましょう。
明治28年新刻の名古屋明細全図を参照しています。
熱田が名古屋に編入するのは明治41年で、まだ熱田町のころの図です。
 
桐葉亭は、七里の渡し跡から700メートルくらいの、八剱宮の近くにありました。
現在は熱田神宮の南門になっている辺りです。
 
「冬の日」「春の日」の連衆に羽笠(うりつ)がいますが、その屋敷はすぐ近くにあります。ちょいと覚えておいてください。
 
歌仙「すみれ草」を巻いたのが、白鳥山法持寺、ヤマトタケルの陵墓の南にありました。現在は、東にありますな。「白鳥陵」の陵の字辺りです。
 
この地図を見て、疑問が一つ解けたので、触れておきましょう。
芭蕉は後日所望して誓願寺に行くんですよ。
わしは、現在の地図しか知らなかったので、法持寺への往来で誓願寺前を通っているのになあと、不思議に思っていました。
この地図ではどうですか。誓願寺の手前で曲がるから、当然前は通りません。

書生

そうですか。
羽笠は「うりつ」ですか。私、「うりゅう」と読んでいました。

隠居

いずれかなんでしょうが、例えば、「冬の日第5歌仙田家眺望」の挙句などは、「うりつ」と仮名書きにしてありましてな。

書生

では、「うりつ」と。
誓願寺には、何があるのですか。

隠居

源頼朝産湯の井戸ですよ。源義朝の正室由良御前の実家で、池禅尼の屋敷もこの辺りにありました。

書生

はあ。
もう一つ、この「貯木場」って。

隠居

筏にしで運ばれた原木を、製材前に一時置き、乾燥させるところです。生木は使えません。
どこかで触れるでしょう。


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鰒釣らん李陵七里の浪の雪 / 遊び来ぬ鰒釣りかねて七里迄

 鰒釣らん。李陵七里の浪の雪。
※ 「李陵」、本来は「子陵」で、後漢の賢人厳光(げんこう)の字。天下平定を成し遂げ、光武帝を立て、自らは七里瀬(しちりらい)で、釣りをして暮らした。

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李陵七里 「桜下文集」木因編


 鰒釣らん李陵七里の浪の雪

貞享元年、桑名で逍遙し、熱田に至る。
 遊び来ぬ。鰒釣り兼ねて、七里まで。
※ 「七里」は、桑名・宮(熱田)間の航路のこと。七里の渡しと呼んだ。ここは、目的地熱田のこと。

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遊び来ぬ 「熱田皺筥物語」東藤編


  貞享はじめのとし、
  桑名にあそびてあつたにいたる

 
 遊び来ぬ鰒釣りかねて七里迄

書生

早朝、浜の地蔵で蛤を拾い、白魚を掬った。その後、七里の渡し。
「渡し舟にゆられつつ、河豚を釣ろう。子陵は七里瀬で釣りをしたが、この渡しの名も七里、波に舞い落ちる雪の中で」
「釣りで楽しい時を過ごしつつ着いた。河豚を釣ろうとしたが、釣れぬまま七里の宮まで」


釣れて食べてたら、念願の野晒しになれましたか。

隠居

何の。芭蕉は危険を知っている。
 あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁(ふぐとじる)
延宝5年(1678)の句。武士は禁じられていたが、庶民は食べている。釣れたら土産にし、きちんと調理してもらうでしょうな。

書生

なるほど。

隠居

宮の渡し跡七里の渡しの熱田側、船着き場の常夜灯です。
東海道宮宿には、本陣が三つもあって、よくにぎわっていたようですな。
すごい行列があるので、聞くと「あつた蓬莱軒本店」で、ひつまぶし発祥の名店。最後尾は2時間待ちだという。
東海道を少し行き、美濃路に入ると、桐葉亭。越人は「えびすや」と呼んでいます。八剱宮の南に上知我麻神社があって、初えびすで有名なので、これにちなんだ呼び名なのでしょう。
見ると「林桐葉宅跡」の看板があって、ここにも行列。なんと隣も「蓬莱軒」。こちらは支店だそうだ。行列がやや短いので、勇んで店に入ると、なんと待合席に数十人いる。1時間半ほど待った。
桐葉亭跡

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此海に草鞋捨ん笠しぐれ

 旅亭「桐葉」の主は、芭蕉を迎える思いが厚いので、当分逗留しようと思うときに、
 この海に、草鞋(わらんじ)捨てん。笠しぐれ。 芭蕉
  剥くも侘しき、波の殻牡蛎。 桐葉
 凩に、冬瓜(とうが)ふらりと、ふら付きて。 東藤
 三吟で、歌仙一巻の如くに満した。

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桐葉亭 「熱田皺筥物語」東藤編


 旅亭桐葉の主、心ざし浅からざりければ、暫くとゞまらむとせし程に
  此海に草鞋捨ん笠しぐれ   芭蕉
   むくも侘しき波のから蠣  桐葉
  凩に冬瓜ふらりとふら付て  東藤

 三吟如一巻に満しぬ。

書生

主桐葉の厚志に、しばらくはここに留まろうと、
「発句 この熱田の海に、旅の草鞋を捨て、しばらく留まりましょう。笠も時雨でぬれたことですし」
「脇  波に洗われた殻付きの牡蛎、殻を剥くのも風流なものですよ」
「第三 折からの木枯らしで、冬瓜がふらりと揺れまして」


桑名では、旅寝に飽きた芭蕉ですが、何かほっとしたような気分を感じます。
時に、第三までしか、載ってませんが。

隠居

いやな、暁台の「幽蘭集」には、あと三句あって、六吟六句になっておるのだが。


4句目  まばらに垣のいつゆふたやら 叩端
5句目 細うてもかげはとうから月の空  如行
折端   暮ては露にしめるわき道    工山

書生

大垣の如行がいますね。

隠居

この時同行はしていないから、後日の付けでしょう。
「三吟一巻を満たしぬ」は誤りか、散逸したか、芭蕉が4句目以降を却下したかでしょうな。
さて、行程時程に沿って読むと、次は、「馬をさへ」句ですな。

書生

おや。やっと「野ざらし紀行」の句ではありますが、いきなり跳びますね。

隠居

「三吟如一巻に満しぬ」の後に、「次の日」と詞書きがありまして「馬をさへ」とな。
「熱田三謌僊(あつたさんかせん、暁台編)」には、「しのぶさへ」句の後に「其あした」とある。つまり、神宮参拝の朝ですな。
ここでは、資料として見てまいろう。

馬をさへ詠むる雪の朝かな

「草鞋捨てん」と。三吟で一巻を満した。次の日、


 馬をさへ、眺むる雪の朝かな。     翁
  木の葉に炭を、吹き熾す鉢。     閑水
 はたはたと、機織る音の名乗りきて。 東藤

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雪の朝 「熱田皺筥物語」東藤編


 三吟如一巻に満しぬ。次の日、

 馬をさへ詠むる雪の朝かな   翁
  木の葉に炭を吹おこす鉢   閑水
 はたはたと機織音の名乘りきて 東藤

書生

芭蕉が草鞋を脱いだ(捨てた)翌日、
「発句 一面の雪景色の中では、見慣れた馬さえ、つい見とれてしまう、そんな朝ですね」
「脇  鉢に、木の葉を焚いて、炭を吹き熾しましょう」
「第三 はたはたと、機を織る音が、よく聞こえてきて」


芭蕉は、くつろいでいるのでしょうね。何かゆったりとした気分を感じます。
時に、第三までの三つ物ですか。

隠居

いやな、暁台の「幽蘭集」には、あと桐葉の句が、一句あって、四吟四句になっておる。


4句目  としのよるほど伯母の世話しき 桐葉

書生

なるほど、桐葉がいませんとね。

隠居

では、いよいよ「野ざらし」の句。
「皺筥」には、「是も同じ。又神前の茶店にて」との詞書き。

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野ざらし紀行 講読「熱田」

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熱田神宮の茶店

<熱田神宮>
 三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座を創祀とする。伊勢の神宮に次ぐお宮として崇敬を集め、国家鎮護の神宮とされる一方、人々から、「熱田さん」「宮」と呼ばれ親しまれている。

熱田神宮
 
 景行天皇43年(113) 日本武尊薨去。草薙神剣を熱田の地に祀る。
 建久5年(1194) 源頼朝奉幣。
 永禄3年(1560)  織田信長、土塀奉納。信長塀と呼ばれる(左)。
 明治元年(1868)  熱田神社から熱田神宮となる。

しのぶさへ枯て餅かふやどり哉

  熱田神宮参詣
 社殿は、かなり破損し、築地塀は倒れて、生い茂った草に隠れている。あちらには、縄を張って、末社の跡の印とし、こちらには石を据えて、本来の神の名としている。蓬や忍ぶ草が、勝手にはびこっているのは、かえって立派なままであるより、心に残ることだ。
 忍ぶ(草)さへ枯れて、餅買うやどりかな。

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熱田神宮 真蹟「藤田本」 


   熱田に詣
 社頭大いに破れ、築地はたふれて叢にかくる。かしこに縄をはりて小社の跡をしるし、爰に石をすえて其神と名のる。よもぎ・しのぶ、心のままに生たるぞ、中々にめでたきよりも心とどまりける。

  しのぶさへ枯て餅かふやどり哉

吉野の後醍醐天皇陵では忍ぶ草が生い茂っていたが、この熱田の境内は荒廃し、忍ぶ草さえ枯れる冬となった。昔を偲ぶよすがもないので、茶店で餅を買って時を過ごした。

書生

「しのぶ草」と「偲ぶ」、百人一首の「人目も草もかれぬとおもへば(源宗于朝臣)」のように掛詞ですね。
でも、忍ぶ草と餅とのかかわりが今ひとつ。
ああ、「しのぶ餅」で、昔を偲んだ。「陸奥のしのぶもち摺り誰ゆえに(河原左大臣)」とか。

隠居きよめ餅きよめ餅

それは「信夫文知摺しのぶもじずり」。餅ではありません。
今、熱田で餅と言えば、清め茶屋の「きよめ餅」。
小判形で、ふっくらと柔らかな白い餅、真ん中に「きよめ」と焼き印がある。
羽二重餅に、こし餡が入っており、実になめらかですな。
参詣者は、この茶屋で疲れを休め、身だしなみを整えて、心身を清めて参拝するわけであります。

書生清め茶屋

おや、空箱、紙が入ってますね。
なるほど、名残の粉が付いていますが、打ち払えば、
「熱田名物きよめ餅の由来」とあります。
ふむふむ。
ご隠居、天明5年(1785)ですよ、清め茶屋の創建は。
なんと、芭蕉参詣の百年後じゃありませんか。
残念ながら、芭蕉たちが寄った茶屋はここではありません。
危うくだまされるところだった。

隠居

いえいえ。

清めの茶所

「今は」と、ちゃんと言ってますぞ。それに、紙が入っておれば空箱ではない。
きよめ茶屋は、成る程今は境内の中程ですが、「西門近く」と書いてありましょう。
名古屋からの街道に建てられていたわけです。誓願寺の北側でしたかな。尾張名所図会で見せてもらったことがあります。


茶屋わしは、知っております。
芭蕉たちが寄ったのは、別の茶屋ですな。
桐葉亭からの往来には、下馬橋を渡ります。
ほら、下馬橋の左に茶屋がありましょう。今の清め茶屋は、この位置にあります。
書生恐れ入りました。
隠居茶屋地図なんの。今、下馬橋は、遺跡としてやや西に移設されています。石板が25枚あるので、二十五丁橋とも言うようですな。

先程の地図に示すと、㋩が下馬橋。尾張名所図会の別の図には、廿五挺橋ともあります。
㋠が境内の茶屋です。尾張名所図会の別図には、「二軒茶屋」とあります。今は「お休み処清め茶屋」と「宮きしめん神宮店」、やはり2軒です。
㋖が、栞にある天明5年創業の「清めの茶所」です。

♪アーー、宮の熱田のオ♪二十五丁橋でーエー♪アー西行法師が腰をかけ、東西南北見渡してエ、これほど涼しいこの宮をヲー♪誰がア熱田とヨーオ、ホホ アーアア、名を付ウーけたアエー♪トコドッコイドッコイショ♪
書生は?
隠居名古屋甚句である。西行と熱田についは、これも尾張名所図会に、
 昔、円位西行法師、あづまに下るとて、熱田に参詣して、
  かくばかり木かげ涼しき宮立ちを誰があつたと名付そめけん
 と、つぶやきつつ、爰かしこ見巡りけるに、何方よりか来りけん。白ぎぬきたる人出むかひて、
  やよ法師あづまの方へ行きながらなど西行と名のりそめけん
 と、いひければ、法師驚き、是は定めて大明神の御答へなるべしとて、跡をもかへり見ず逃出たりしといふ。俗説往々人口にあり。
とあります。
書生

俗説ですか。
芭蕉句は、東へ行った西行の歌を踏まえていますか。

隠居

山家集を見ましょう。
ああ、「しのぶ草」や「信夫文知摺」の歌は見当たりませんな。あ、地名の「信夫」がありました。
西行は一路白川の関へ。ついに関を越え、信夫に至ります。
 せきにいりて、しのふと申すわたり、あらぬよのことにおほえてあはれなり、みやこいてし日かすおもひつつけられて、かすみとともに、と侍ることのあと、たとりまてきにける心ひとつに思ひしられてよみける
  みやこいててあふさかこえしをりまては心かすめし白川のせき
信夫を過ぎて、
 あつまへまかりけるに、しのふのおくに侍りけるやしろの紅葉を
  ときはなるまつのみとりに神さひてもみちそ秋はあけのたまかき

書生

ありませんか。
忍ぶ草と餅は、歴史の浪漫、懐旧の情と卑近な食い物との取り合わせですね。

隠居

うむ。
また、餅には大根ですな。
「熱田皺筥物語」の付合を見ましょう。

熱田皺筥物語、付合「しのぶさへ」

 これも同じく、草鞋を脱いだ翌日。また熱田本宮前の茶店にて、

 忍ぶ(草)さへ枯れて、餅買う宿りかな。  翁
  皺び伏したる根深大根。          桐葉

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茶店 「熱田皺筥物語」東藤編


  是も同じ。又神前の茶店にて、

 しのぶさへ枯て餅買ふ舎かな 翁
  しわびふしたる根深大根   桐葉

書生

空箱ではなくて、皺箱ですか。


神前境内の茶店にて、
「発句 忍ぶ草さえ枯れて、昔を偲ぶよすがもないので、茶店に入って餅を買い、時を過ごしました」
「脇 忍ぶ草だけでなく、畑の根深や大根の葉も、萎びて倒れ伏しています」


詞書きに「神前の茶店」とありました。やはり㋠の茶屋でした。

隠居

うむ。
芭蕉はこの後、何やら気も晴れて熱田を去り、名古屋に行くわけです。
名古屋へは、美濃路一本、1里半です。

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野ざらし紀行 講読「名古屋」

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名古屋

 美濃や、尾張や、大津のや、から崎の松、ふし見の桃、狂句こがらしの竹斎、よく鼓うつて人のこゝろをまなバしむ。こと葉皆蘭とかうばしく。やまぶきと清し。静かなるおもひ、ふきハ秋しべの花に似たり。その牡丹ならざるハ、隠子の句なれば也。風のはせを、霜の荷葉、やぶれに近し。

<素堂序> 

<荷兮略歴>
山本荷兮(かけい)、名は周知。別号加慶、橿木堂(きょうぼくどう)、昌達。名古屋桑名町の医師。芭蕉の4歳下で、この年37歳。貞享元年芭蕉を迎えて歌仙を興行。「冬の日」「春の日」「阿羅野」を編集。後に連歌師となる。享保元年(1716)没。69歳。

<重五略歴>
加藤重五(じゅうご)、通称川万屋加藤善右衛門。名古屋上材木町の材木商。「冬の日」「春の日」「阿羅野」に作品がある。芭蕉の10歳下で、この年31歳。享保2年(1717)没。64歳。

<野水略歴>
岡田野水(やすい)、通称岡田佐次右衛門(四代目)、別号宜斎・転幽、字は幸(行)胤。名古屋大和町の呉服商。芭蕉の保証人となり、久屋町に借家を用意する。「冬の日」「春の日」「阿羅野」に作品がある。芭蕉の14歳下で、この年27歳。後、名古屋の総町代を務める。寛保3年没、86歳。

<杜国略歴>
坪井杜国(とこく)、通称庄兵衛。別号野人・野仁。名古屋正万寺町の米穀商で、町代。「冬の日」の連衆、「阿羅野」入集。この年28歳。翌貞享2年、空米売買で追放、三河渥美の保美に住み、南喜左衛門に改名。貞享5年「笈の小文」の旅に万菊丸として同行。元禄3年(1690)没、34歳。

<羽笠略歴>
高橋羽笠(うりつ)、羽笠二世、通称;弥左衛門・弥太郎。熱田中瀬町(現白鳥3)の質商橘屋当主。「冬の日」「春の日」「猿蓑」「曠野後集」「橋守」入集。この年推定38歳。子に俳人文長、曽孫に戯作者笠亭仙果。享保11年(1726)没、80余歳。

<正平略歴>
小池正平(しょうへい)、和歌山出身。「冬の日」の「木枯らし」「はつ雪」「つつみかねて」三巻の執筆を務める。それぞれ、初折表折端の句を一句づつ詠む。

狂句木枯の身は竹斎に似たる哉

 名古屋に入る道中、句を詠み上げた。
 
狂句。木枯らしの身は、竹斎に似たるかな。

罫線

狂句木枯らしの 真蹟「藤田本」


 名護屋に入道の程風吟す。

 狂句木枯の身は竹斎に似たる哉

書生

熱田神宮西の道を北に向かい、名古屋に入る道で、
「狂句。木枯らしに吹かれて旅をする我が身は、かの竹斎に似たものだなあ」

※ 桐葉亭・荷兮亭の隔たりは約6.5キロ。


竹斎ですか。

隠居

竹斎は後にして、先ずこれを読まれい。

書生

はあ、なんですか。

 ここに此の里に、一箇の俳星あり、その名を橿木堂荷兮と号す。
 その徒、皆よく一風を謡うて、常に賢を酌み聖をたのしむの蓆むしろ、必ずその面を連ねざること無き者、野水・重五・杜国の三輩、正平・羽笠、また時々に来往す。
 この日三四輩、例の如く荷兮が庵に集まつて、火爐を擁し熟茗じゅくめい(遅摘み茶)を啜りて談話せる折から、何やらん低声に吟じて、門を過ぐる者あり。
 諸子、耳をそばだててこれを聞くに、
「笠は長途の雨にほころび、紙衣は泊まり泊まりの嵐にもめたり、侘つくしたる侘人、我さへ哀れに覚えける。昔、狂歌の才子、この国にたどりしことを、不図おもひ出でて」
と吟じて、
  狂句木枯風の身は竹斎に似たるかな
と謡ふを、荷兮手を打ちて、
「あなめづらか、かかる妙句を吟ずるは」
と驚けば、野水はたちまち躍り上がり、走つて柴門の外に出で、いかに旅客しばらく待ち給へ、一言を申さんとて、
   誰そやとはしる笠の山茶花
と吟じ掛くれば、その時この人、竹笠をとりて振りかへり、野水に問ひて曰く、
「足下又誰人なれば、かく言葉に寒梅の匂ひを飛し給ふぞ」
 野水曰く、
「凩のー句におどろかされて、思はず門外に出で客を止む、何ぞ言葉に花あらんや。問答はしばらくさしおき、先づこなたへ入りたまへ」
と、引いて小庭に入らしむれば、早、小童、盥盤そうばんに温湯を備へ来つて、足を清むるを待つて、茶室に伴ひつつ、爐火をあらため、緑芽を煎じて、労を慰すること大方ならず。安座を促し、一睡をすすめての後、家主あるじ室に入りて客に接す。

書生

荷兮の庵の前を、芭蕉が風吟し、野水が誰何しましたか。

隠居

風狂であろう。

書生

実に何ですね。
では、続きを。

 桃青、座をあらためこれを見らるるに、その人、身には濃藍の服を着け、細縞の絹袴、筋整くおりめただしく、鷹眼高眉、意気殆ど衆を服するの容かたちあり。則ち座して謹んで礼を施て曰く、
「先生あやしみ給ふことなかれ、小子は寒廬の主、橿木堂荷兮なり、賢くも白雲一靆はくうんいったいの行を留め得て、雀踊にあまる」
と、慇懃の礼をつくせば、桃青曰く、
「我、些々たる一小乞丐いちしょうこつがい(物もらい)、幸いに風士の恵に遇ふ、主又怪むことなかれ、愚老は東武深川の隠士芭蕉庵桃青」
と、名謁めいえつの礼を施さるれば、野水も再び服をあらためて出で来り、重五、杜国、正平等、皆々席に入りて礼をなし、
「誠に先生の雷名小子等が耳にとどろくこと久し、今日何の幸ひ有つてか、高歩を辱うかたじけのうす、昨夜の灯花とうか(丁字)の瑞、今朝の喜鵲の躁、実に応あり」
と、悦ぶこと斜めならず(なのめならず、一通りでない)、各おのおの名を通じ譲りを厚うして、賓主座定まりければ、荷兮問ひて曰く、
「蕉翁には何れより何れへか通りたまひて、今日この里をば過ぎりよぎりたまふにや」

書生

あの芭蕉だと言うんで、驚きましたね。

隠居

それは驚きますな。

書生

芭蕉がなぜここに来たかと。
では、続きを。

 桃青云、
「貧道ひんどう(拙僧)此秋深川を出でて、伊賀の故郷に家兄をたづね、大和路より伊勢、美濃に廻りて、再び江戸に下向せんと、桑名よりこの地に渡り、しばらく桐葉子が亭にありて、今日ここに来り侍る」
と、所々の吟行など物語りあれば、各句毎に金玉の声を感じ、風談やや時を移せば、極月も早半ば過ぎながら、未だ寒天の日影短く、忽ち昏鐘こんしょう(晩鐘)の暮れを告げて、
「棲鴉せいあの塒とぐら(ねぐら)を争ふ声頻りなれど、今宵は旅情をやしなひ給へかし」
と、皆々辞して席を退き、褥をまうけ枕を備へて、今夜は橿木の窓下に旅寝の夢をぞ結ばれける。
 明れば野水、杜国なんど早朝より入り来り、文臺を直し、懐紙を備へて、早ヤ俳筵を開かんことを促す。
 荷兮曰く、
「蕉翁昨日の高吟一唱三歎、殊に彼の竹斎老人が、『木殺風こがらしのあとの梢に似たるかな 老行く身には花も香もなし』と云ひし狂歌にたより、狂句の二字を余して、その意気尤も高く承る、願くは請うて巻首とせん」
書生

「極月も早半ば」は、違いますね。12月17日には、熱田に戻ります。
名古屋に赴いたこの日は、10月下旬です。

隠居

作者は、「行脚旅中の草稿なので、資料を参照していないから、誤りがあれば、後哲が訂正されたい」と、序文凡例で書いておる。

書生

おや。でも、大変な記憶力。
では、続きを。

 桃青曰く、
「野吟焉んぞ称するに足らん、去りながら、若し歌仙の連句をも催したまはば、幸ひに野水子の脇あれば、是に家主の第三あるべし」
とて、終に荷兮第三に究り、
  有明の主水に酒屋造らせて  と、正平を執筆として、懐紙にうつせば、
   頭のつゆを振ふ赤馬    重五
  朝鮮のほそり芒の匂なき   杜国
   日のちりぢりに野に米を刈 執筆正平
夫より五人長句、短句と吟じて、三十六句一巻となれば、
書生

はあ、なるほど。
では、続きを。

翌日は野水が句の中うちにて、
  初雪の今年も袴着てかへる
と云ふを巻頭として、杜国、芭蕉、荷兮、重五、又正平を執筆として、荷今が挙げ句に二折満つれば、又の日は杜国が、
  包みかねて月とり落す霽かな
と云へるを首はじめとして、重五、野水、芭蕉、荷兮、執筆は同く正平也。
其次の席は重五発句、
  炭売のおのが妻こそ黒からめ
今日は正平にかはりて羽笠筆をとる。
六人六句に一巻成りて、已に四巻の歌仙となれば、
今一巻は荷兮が句をとあるに、数句言ひ出せる中にて、
  霜月や鸛のつくづく並び居て
と云ふに定まりて、
   冬の朝日のあはれなりけり  
と翁の脇ありしより、一巻はこびて、已に名残の裏移りになれば、例の寂しく、
  元政の草の袂も破れぬべし
と侘らるれば、
   伏見木幡の鐘花をうつ
と荷今が慰めに、男猫と雪掃の二句を置て、今は名残の長句に至れば、初巻に「狂句木凩の身」とありしを結びて、
  水干に秀句の聖若やかに
と野水が作を受け次いで、
   山茶花匂ふ笠の凩 ※この挙句は、羽笠
とは、最初の脇句の詞をかりて、発句の凩を一巻の結び字に用ひし、五歌仙を一巻の働とぞ聞こえける。
 されば此の冬の朝日の脇、意味の深長、其の感限りなしとて、此の五歌仙を名づけて、冬の日の俳諧とは呼びけるとぞ。
書生

はあ、実に面白い。作り話かと思えば、「冬の日五歌仙」の解説になっていますね。

隠居

面白かろう。遅月庵空阿の「俳諧水滸伝」、巻末の「冬日尾張五歌仙」の章である。
空阿は実に博覧強記、天明8年(1788)の作。

書生

時に、竹斎は?

隠居

ああ、仮名草子に出る、京の貧乏医者じゃ。京を離れ、名所をめぐり、名古屋で開業。あやしげな診療を3年ほどしつつ、狂歌を詠む。竹斎の姿は、


「竹斎」富山道冶作、寛永元(1624)年頃板行。
 竹斎宿に在りあひて、折節冬の事なれば、破れ紙子に布裏付け、帯は木綿の丸ぐけに、羽織は、いかにも煤びたる紫紬つむぎの襟をさし、仰け衣紋のけえもん=抜き衣紋にぞ着なしける。
 紙頭巾をうちかぶり、あとさき丸き瓢箪を、刺刀さすがの下緒にくくりつけ、破れはてたる扇をさし、屑紙の雑紙ざつし=鼻紙より、山椒一粒いちりゅう取出し、前歯にかけてつみ割りて、大びやくたいにひやくたいして、門の外ほかへぞ出にける。

などと描かれる。
書生

なるほど、破れ紙子。
謡曲の人物を気取っていたのかと思いましたが、仮名草子ですか。

隠居

尾羽うち枯らした侘び姿、木枯らしの竹斎に、我が身をなぞらえたわけ。
いや、成り切ったわけですな。
これは、虚栗跋「白氏が歌を仮名にやつして、初心を救ふたよりならんとす」からとらえ直すことができます。
「虚栗」は、当時の理想を形にした作品集だが、また新たな理想を示している。それが一つできたわけです。

書生

ということは、「白居易の漢詩文を仮名文字にして分かりやすくする」ように、謡曲の人物を卑近な仮名草子の人物になぞらえるということですね。
それが、できたと。

隠居

憂さも晴れますな。

書生

これですか、牛(憂し)を捨てたのは。
木因との戯れと、桐葉の厚志を経験し、何かが発動したんですね。

隠居

そう。そして、名古屋の連衆がそれに応えたという次第ですな。
野水が保証人になって、芭蕉のために家を借りました。
「久屋町角西入ル傘屋久兵衛宅」という記録が残っています。
この「冬の日五歌仙」は、この借家で巻かれ、「蕉風発祥の地」の碑が建てられています。名古屋テレビ搭、東北の脚下。地デジになって、テレビ塔の役目を終えたので、「蕉風発祥塔」とでも改名すればよいがのう。実に巨大な芭蕉塚となる。
五歌仙を引用すると長くなるので、また見ておいてくだされ。

書生

では、リンクを置いておきます。


「冬の日」歌仙1 発句 狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 芭蕉
「冬の日」歌仙2 発句 はつ雪のことしも袴きてかへる 野水
「冬の日」歌仙3 発句 つゝみかねて月とり落す霽かな 杜国
「冬の日」歌仙4 発句 炭賣のおのがつまこそ黒からめ 重五
「冬の日」歌仙5 発句 霜月や鸛の彳々ならびゐて 荷兮

隠居

追加の「表合わせ」がありましたな。「俳諧水滸伝」が触れていない表六句。

書生

これですね。
「冬の日」追加 発句 いかに見よと難面うしをうつ霰 羽笠

隠居

そう。五歌仙の興が尽きず、六吟六句で表合わせを完結させ、追加とした。
この5句目の芭蕉句、
  銀に蛤かはん月は海
この光景。

書生

はい、浜の地蔵です。
「手づから蛤を拾ふて白魚を掬ふ(木因『桜下文集』)」でしたね。

隠居

然り。お主が「月の出る日のこと」と言うので、気付いた。
芭蕉は、一座で、その曙の光景を話したことでしょう。
 ひだりに橋をすかす岐阜山 野水
野水は、前句の人物を江戸に戻る芭蕉と見定め、「左に岐阜山」としたんでしょうな。岐阜大垣の木因に別れを告げつつ「冬の日」を終えるわけです。
では、名古屋での発句。先ずは荷兮のから。

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草枕

あたらしき茶袋ひとつ冬籠

 世俗を離れた人のために仮の部屋を設けて、
 
 あたらしき茶袋一つ。冬籠もり。  荷兮

罫線

茶袋 「春の日」荷兮編


  隠士にかりなる室をもうけて
 あたらしき茶袋ひとつ冬籠 荷兮
書生

隠者芭蕉のために、一室を借りて、
「新しい茶袋を一つ用意した。これで冬を越していただきましょう」


茶袋とは。

隠居

布製の袋に茶を入れたもの。茶釜に入れて茶を煮出します。言わば、テーバックである。

書生

それは、ティーバッグです。

隠居

さて、次は、野ざらしの句である。

名古屋古地図

くさ枕いぬもしぐるゝかよるの声 (真蹟天理本)

 草枕、犬も時雨るか。夜の声。

罫線

草枕 真蹟「藤田本」


  草枕犬も時雨るか夜の声
書生

名古屋久屋町で、
「家を借りてもらい、独りの旅寝。犬も時雨に濡れているのか、遠くで吠える声がする」


芭蕉は家の中で、濡れません。

隠居

旅で、いく度も時雨れた身を思い起こすのであろう。実に侘びしい句である。
次も、野ざらし紀行の句。

市人よ此傘うらふゆきのかさ (真蹟天理本)

   雪見で歩いて
  市人よ。この笠売ろう、雪の傘

罫線雪の傘 真蹟「藤田本」
  雪見にありきて
  市人よ此笠売らう雪の傘
書生

雪見で名古屋の町を歩いて、
「町を行く人よ。この笠を売りますよ。雪が舞い降りたこの傘を。」


霰に打たれ、時雨に濡れ、木枯らしに揉まれた笠ですが、雪が覆って新品のように見えたのでしょうか。
それにしても「傘」とあるのは、唐傘でしょうか。

隠居

当時は混用したようです。道中笠でよいでしょう。
かぶり笠そのものは「笠」、雨雪をしのぐ働きは「傘」と表した。体と用を区別したのでしょう。さし傘ではないと思いますよ。
しかし、初案の句で売るのは「かさに積もった雪」。
 市人に此傘の雪うらん   「蕉翁句集草稿」 ※「このからかさの」
 市人にいで是うらん笠の雪 「笈日記」「三冊子」

書生

雪だけは売れませんから、かさごと売ろうというのでしょうが、笠なのか、さし傘なのか、句で違いますね。

隠居

で、笠に定まるように改案したのでしょう。
 市人よ此傘うらふゆきのかさ「真筆天理本 野ざらし紀行」 ※「このかさ」
 市人よ此笠売らふ雪の傘  「真筆藤田本 野ざらし紀行」
 市人よ此笠売らう雪の傘  「波静本 甲子吟行」
 市人よこの笠売ふ雪の傘  「蕪村本 野晒紀行」
 市人よいでこれ売ふ雪の傘 「蝶夢本 甲子吟行」
「売ろう」の「う」は、意志の助動詞「む」の音変化で、「ふ」ではありませんな。波静本が正しい。

書生

おや、蝶夢本だけ「いでこれ」になっています。

隠居

蝶夢は、よく調べて初案の形にする傾きがある。それは「卯辰紀行」にも見られますな。
笈日記の「いで是」を参照したんでしょう。「笠の雪」まで、丸ごと引かないところが蝶夢らしい。
「笈日記」に付合があるので、見ておこう。


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笈日記(尾張部)、抱月亭 三物「市人に」

   抱月亭
 市人に、いでこれ売らん、笠の雪。  翁
  酒の戸叩く、鞭の枯れ梅。      抱月
 
 是は、貞享の昔、抱月亭での雪見である。皆それぞれがこの第三を付けよということで、それぞれが何度も詠んだが、蕉翁も転吟して、
「この第三の付け方は、何通りもあるものではない」とおっしゃったが、杜国もその座にいて、
「私めもそういうことと思います」と言い、
 朝顔に先立つ母衣(ほろ)を引きづりて 杜国
と、申し上げたそうである。
 そうすると、鞭で酒の戸を叩くような者は、風狂な詩人なら、そうであろう。「枯れ梅の風流」に思いが至れば、武者で付けるほかこの第三はない。
こういう次第で、この一座の一興は、心惹かれることだと、今更ではあるが思われるのだ。 

罫線

笠の雪 「笈日記」支考編


   抱月亭
 市人にいで是うらん笠の雪 翁
  酒の戸たゝく鞭の枯梅  抱月

 
 是は貞享のむかし、抱月亭の雪見なり。おのおの此第三すべきよしにて、幾たびも吟じあげたるに、阿叟も転吟して「此第三の付方あまたあるべからず」と申されしに、杜国もそこにありて、「下官(やつがれ)もさる事におもひ侍る」とて、
 朝がほに先だつ母衣を引づりて 杜国
と申侍しと也。
 されば鞭にて酒の戸をたゝくといへるものは、風狂詩人ならばさも有べし。枯梅の風流に思ひ入らば、武者の外に此第三有べからず。
 しからば、此一座の一興はなつかしき事かなと、今さらにおもはるゝ也。

書生

雪見で抱月亭に行って、
「発句 町の人よ。さあこれを売って進ぜよう。風流な笠の雪を」
「脇  梅の枯れ枝を鞭にして、酒屋の戸をたたいた」
「第三 朝顔の咲くより前に、鎧に流れ矢避けのほろを付け、引きずって出陣して」


発句の人物が風狂詩人ですから、武者で付けるしかないと。
この狭い付け筋に、杜国はぴたりと納めましたか。

隠居

然り。杜国は少年時代、京の宗匠を唸らせている才能豊かな人ですな。
この杜国の芭蕉送別句が、「春の日」に入っている。

七部集 春の日(冬)
この比の氷ふみわる名残かな 杜国

  芭蕉翁を送って還るとき、

この頃の、氷踏み割る名残かな。  杜国

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 「春の日」荷兮編


   芭蕉翁をおくりてかへる時
 この比の氷ふみわる名残かな 杜国

書生

故郷へ帰るとて、名古屋から熱田へ行く芭蕉を、送った帰り道、
「この頃の寒さで道に貼った氷を踏み割ったような寒々しさ。芭蕉翁を送った寂寥の名残なのだ」


「この頃」で分かる寒い頃とは、寒中。なかんずく大寒の前後数日ですね。ちなみに……、この年の大寒は、陰暦12月16日です。

隠居

なるほど、大寒か。いい線かも知れぬな。

書生

いい線?……、旅程の確認をしますね。先ず、発句・脇の季。
「冬の日1」木枯らし・山茶花:初冬/「冬の日2」初雪:仲冬。霜:三冬/「冬の日3」時雨:初冬。氷:晩冬/「冬の日4」炭売:三冬。鏡磨ぎ・寒:三冬/「冬の日5」霜月:仲冬。冬:三冬「冬の日追加」霰:三冬。樽火:三冬
第5歌仙の「霜月」、これで、五歌仙は11月末までに巻かれたことになります。
第3歌仙の発句に「月」が出ています。時雨の雲に見え隠れしますが、発句で月を詠む上は、満月と見ていいでしょう。11月15日に決定します。
後は……、この杜国句ですね。
 この比の氷ふみわる名残かな
「極めて寒い今日この頃」、これはもう大寒の婉曲表現ですから、12月16日前後に決定です。

隠居

それは、ちと。

書生

ちと、何でしょう。根拠をもって否定できましょうか。
まとめます。
・冬の日第3歌仙「つゝみかねて月とり落す霽かな」は、11月15日に巻かれた。
・冬の日第5歌仙の発句に「霜月」とあることから、五歌仙は11月までに完成した。
・芭蕉は、大寒の12月16日前後、つまり、15~17日に名古屋を立った。

隠居

……、まあな。
先に「いい線」と申したのは、この句がありまして、ですな。

    同じころだろう。杜国亭で、
   仲の悪い人のことを取り繕って、

  雪と雪、今宵師走の名月か。

罫線

 「笈日記」支考編


  おなじ比ならん。杜国亭にて、
  中あしき人の事取つくろひて

 雪と雪今宵師走の名月歟

書生

一面の雪また雪がくっきりと見える。今宵は師走の名月であったのか。

隠居

そう、「か」は驚きや感動を表す終助詞ですな。疑問や反語ではない。
どちらも白い雪と雪、師走の名月が見そなわしておられるぞ、とな。

書生

おや、「満月の夜名古屋にいた」という証拠ではありませんか。そうすると、15日は名古屋で、熱田へ行くのは、16日か17日かですね。旅程表を修正しときます。
それならそうと……

隠居

何か、……
よいのか。では、熱田へ。

書生

ちょっと待ってください。
……、ちと違和感が。
 市人にいで是うらん笠の雪
の付合と
 この比の氷ふみわる名残かな
の杜国句を続けて味わってきたのですが、何か引っかかるものがあるんですよ。

隠居

何でしょうかな。言葉にならぬのなら、熱田へ参る。

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熱田2、桐葉亭

馬をさへながむる雪の朝哉 (真蹟天理本)

  旅人を見る。
 
 馬をさへ、眺むる雪の朝(あした)かな。

罫線

雪の朝 真蹟「藤田本」


  旅人をみる
 馬をさへながむる雪の朝哉

書生

桐葉亭で、街道を行く旅人を見る。
「雪の降る朝、馬に乗る旅人、こんなありふれた光景も、雪の降る朝は、一幅の絵のようだ」


これは、10月桑名から熱田に付いた翌日の句。
すでに、資料として鑑賞しましたが、詞書きで訳が変わりますね。

隠居

句は、読む人、その時の気分で意味は変わる。だから、わしは訳さん。

書生

なるほど。

うみくれてかものこゑほのかに白し (真蹟天理本)

  海辺で一日暮らして、
 
 海暮れて、鴨の声ほのかに白し。

罫線鴨の声 真蹟「藤田本」

  海辺に日暮して、
 海くれて鴨のこゑほのかに白し

書生

師走の海辺で、一日過ごして、
「海が暮れて、鴨の声がかすかだが、はっきりと聞こえてくる」


「白し」は、色の白のように、薄暮でも明瞭に見える喩えととらえましたが。

隠居

古文では、「明瞭・鮮明」の意で用いられるから、よいではないか。
歌仙の前書きで、舟遊びと分かりますな。

書生

なるほど、ではその歌仙へ。

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資料、「熱田三歌仙」暁台編

歌仙「海暮れて」

<暁台略歴>
加藤暁台(きょうたい)、名は周挙。通称加藤平兵衛。別号他朗・暮雨巷。尾張徳川家の藩士だったが、28歳で致仕。芭蕉没後81年の安永4年(1775)、,蕉風復古を志し、「去来抄」「熱田三歌仙」を翻刻出版。文学史上、蕪村とともに天明中興の五傑の一人。寛政4年(1792)没、61歳。

    尾張の國熱田にまかりける比、人々師走の海みんと船さしけるに

   1 発句   海暮て鴨の聲ほのかに白し    芭蕉
   2 脇     串に鯨をあぶる盃       桐葉
   3 第三   二百年我此やまに斧とりて    東藤
   4 初オ4   樫のたねまく秋は来にけり   工山
   5 初オ5  入月に鶍の鳥のわたる空     桐葉 いすか
   6 初オ折端  駕篭なき國を露負れ行     芭蕉
   7 初ウ折立 降雨は老たる母のなみだかと   工山 ふるあめ
◆㉒ 8 初ウ2   一輪咲し芍薬の窓       東藤
   9 初ウ3  碁の工夫二日とぢたる目を明て  芭蕉
   10 初ウ4   周のかへると狐なくなり    桐葉 周=荘子
   11 初ウ5  靈芝ほる河原遙に暮懸り     東藤 れいし、延命の霊薬
   12 初ウ6   華表はげたる松の入口     工山 かひょう=鳥居
   13 初ウ7  笠敷て衣のやぶれ綴リ居る    桐葉
   14 初ウ8   秋のからすの人喰に行     芭蕉
   15 初ウ9  をととひの野分の濱は月澄て   工山
   16 初ウ10  霧の雫に龍を書續ぐ      東藤 りょうをかきつぐ
   17 初ウ11 花曇る石の扉を押ひらき     桐葉
◆⑲ 18 初ウ折端  美人の形拜むかげろふ     工山
   19 名オ折立 蝦夷の聟聲なき蝶と身を侘て   芭蕉
   20 名オ2   生海鼠干すにも袖はぬれけり  桐葉 なまこ
   21 名オ3  木の間より西に御堂の壁白く   工山
   22 名オ4   藪にくずやの十ばかり見ゆ   芭蕉 葛屋=藁葺き家
   23 名オ5  ほつほつと炮烙作る祖父独り   東藤 ほうろく、じじひとり
   24 名オ6   京に名高し瘤の呪詛      桐葉 こぶのまじない
   25 名オ7  不二の根と笠着きて馬に乗ながら 芭蕉 富士
   26 名オ8   寐に行鶴のひとつ飛らん    工山
   27 名オ9  待暮に鏡をしのび薄粧ひ     桐葉 うすけはい
   28 名オ10  衣かづく小姓萩の戸を押    東藤 とをおす
   29 名オ11 月細く時計の響八つなりて    工山
   30 名オ折端  棺いそぐ消がたの露      芭蕉 はやおけ
   31 名ウ折立 破れたる具足を国におくりけり  東藤
   32 名ウ2   高麗の縣に畠作りて      桐葉 こまのあがた
   33 名ウ3  紅粉染の唐帋に花の香を絞    芭蕉 からかみ=唐紙
   34 名ウ4   ちひさき宮の永き日の伽    工山
   35 名ウ5  春雨に新発意粽荷ひ来て     桐葉 しんぼち=新米僧
   36 挙句    青艸ちらす藤の撮折      東藤 つぼおり=壺装束

書生

「船さす」とは。

隠居

「舟遊さす(しゅうゆうさす)」という言葉がありましょう。「舟遊びをする」の意ですな。その簡略形でしょう。

書生

舟遊びで、河豚が釣れずに、鯨を捕りましたか。

隠居

まさか、伊勢湾で。用意の料理でしょうな。

書生

発句「海暮れて」が、いいですね。
冬の日の「狂句木枯らしの」に比べ、実に自然体、じっくりと味わえます。

隠居

アオクビとも言う真鴨ですな。この時期は、海岸に群れます。夕暮れの中、声が聞こえくる、実に風情ある情景。
「冬の日」は、すでに、享保17年(1732)柳居が上梓した「俳諧七部集」の巻頭に置かれ、世に知られていた。しかし、同じ時期、熱田で巻かれた歌仙や句は、埋もれていたわけで、尾張の暁台が、残念に思い翻刻したのが「熱田三歌仙」。蕉風に還れと活躍し、芭蕉百回忌追善俳諧を、各地で興行したとのこと。
この歌仙の下線部、2対4句を見ておきましょうか。

草稿・付合「一輪咲ける」

  一輪咲ける、窓の芍薬。       (東藤)

 碁の工夫、二日閉ぢたる目を明きて (芭蕉)

罫線

芭蕉、付合 「野ざらし紀行」草稿


◆㉒
  一リン咲るまどのしやくやく
 碁の工夫二日とぢたる目を明て

書生


桂楫、初ウ2「降る雨を眺めると、窓辺の芍薬が一輪咲いている」
芭蕉、初ウ3「おお、芍薬が一輪、碁で次の手を工夫しつつ目を閉じている内に咲いたか」


二日も目を閉じますか。日付の変わる前後数秒閉じても二日ですが。

隠居

丸二日工夫呻吟、ふと目を開けると芍薬が一輪。この瞬間じゃ。豁然と妙手が浮かぶのは。

書生

はあ。

草稿・付合「美人を拝む」

  美人を拝む、陽炎の奥。      (工山)

 蝦夷の聟、声なき蝶と、身を泣きて (芭蕉)

罫線

芭蕉、付合 「野ざらし紀行」草稿


◆⑲
  美人を拝むかげろふのおく
 ゑぞの聟声なき蝶と身を泣て

書生


工山、初ウ折端「石の扉を開くと、陽炎が立ち、その奥に美人がいて、思わす拝んだ」
芭蕉、名オ折立「美人とはおよそつり合わぬ蝦夷の婿、何かと辛い思いをするが、所詮は声のない蝶と、じっと絶えつつ我が身の定めを泣いて」


むくつけき男が、我が身を蝶に喩えましたか。

隠居

蝶もいろいろありますからな。美人に辺境地の男子を付け、興を深めたということでしょう。

書生

なるほど、付けの参考になります。

隠居

そういう意図でしょう。草稿に、芭蕉が付合を付したのは。
実は、もう一つ、発句と脇の付合がありましてな。

「熱田三歌仙」 付合「檜笠」

     翁みの路へうち越んと聞えければ

     発句 檜笠雪をいのちの舎リ哉   桐葉 ※桧木笠、雪を命の宿りかな。
     脇   稿一つかね足つゝみゆく  芭蕉 ※藁一束ね、足包みゆく。

書生

蕉翁が美濃路へ越えようとされると、聞いたので、
「発句 この桧木笠のやどりが、雪中行脚で命を守ってくれるでしょう。道中お気を付けてください」
「脇  ありがとうございます。さらに、藁一つかみで、藁靴にしていきますから、ご安心ください」


笠は、名古屋の市人に売ってしまいましたし、すでに草鞋は熱田の海の藻屑。餞別に笠を貰いましたか。

隠居

お主、疲れると戯れ事が出るようじゃな。
この「笠やどり」、2年前の天和2年(1682)に真蹟画賛があるので、それを見られよ。
今回の「笠やどり」は、命のやどりじゃ、訳はそれでよいが。

書生

野ざらし予防の笠でしたか。

隠居

詞書きに「美濃路」とあるが。

書生

おや、違いますね。伊賀上野に行くので、「伊賀路」とあるべきです。

隠居

桐葉版下、自筆の「熱田皺筥物語」にも、同趣の詞書きがある。
従って、この付合は、笈の小文の途次という説も出たが、その旅にしても、熱田から美濃に発つことはない。桐葉の聞き違いまたは覚え違い、或いは書き違いということでよいでしょう。
熱田からは、七里の渡し。

書生

伊賀上野までの旅程は、ほぼ中間の石薬師宿で一宿、2日間です。

隠居

晩年、元禄7年(1694)の旅は、三里の渡しで、伊勢長島から久居で一泊。ほぼ同じですな。
では、郷里の2句へ。

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伊賀上野、生家2

生家地図

<芭蕉生家>
伊賀上野城の東、上野赤坂町にあり、格子構えの町家で、玄関から通り土間となる。間口5軒奥行17,8軒。奥に芭蕉の書斎「釣月軒」がある。また、元禄7年完成の無名庵は、現存せず句碑が跡地を示す。
 冬籠りまたよりそはん此はしら  はせを
なお、安政の大震災(1854)で被災し、改築されたという。

としくれぬ笠きて草鞋はきながら (真蹟天理本)

 ここに草鞋を脱ぎ、あちらに杖を捨てて、旅寝をするうちに年が暮れたので、

 歳暮れぬ。笠着て、草鞋履きながら。

罫線

年暮ぬ 真蹟「藤田本」


 爰に草鞋を解き、かしこに杖を捨て、旅寝ながらに年の暮ければ、
 
 年暮ぬ笠きて草鞋はきながら

書生

ここかしこで旅寝するうち、貞享元年の年も暮れ、
「年が暮れた。笠をかぶり、草鞋を履きつつあるうちに」


郷里の生家でも、「旅寝」ですか。

隠居

そう。そういうことで、旅立ちの句、
 秋十とせ却て江戸を指故郷
と、併せて味わうといいでしょう。

書生

故郷へ帰るのは、あくまでも「帰郷・帰省」で、それを「旅」とは感じませんが。

隠居

君は、そうですか。
では、新年の句へ。

たがむこぞしだに餅負牛の年 (真蹟天理本)

「笠着て、草鞋履きながら」などと、言いつつも、伊賀上野の山家で年を越して、
 
 誰が聟ぞ。歯朶に餅負ふ、丑の年。

罫線

歯朶に餅 真蹟「藤田本」


  といひいひも、山家に年を越て、
 
  誰が聟ぞ歯朶に餅おふうしの年

書生

伊賀上野の山里の家、ここ郷里で年を越して、
「どこの婿さんだろうか。ウラジロを敷いた鏡餅を牛に負わせて通っていく。新妻の実家に贈る習わしだが、実にこの丑年の新年に似つかわしいことだ」


すでに芭蕉は「憂し」を捨てているので、この牛に「憂し」は掛けていませんね。

隠居

ああ。掛けているのは、貞享2年は乙丑(きのとうし)、干支の「丑」と「牛」。「負う」は「(牛を)追う」と掛けている。こういう趣向は、貞門流の古風なもの。土芳の「三冊子」に、「この句は、牛の日の年の歳旦なり。この古体に人のしらぬ悦び有りとなり」とあるのは、そういうこと。元旦の句であることも分かりますな。
また、羊歯と餅は、付き物。
そう言えば、延宝9年(1681)の歳旦には、
 餅を夢に折り結ふ歯朶の草枕
と、芭蕉庵で詠んだ。この春に芭蕉を植えるから、「泊船堂」と言ったほうがいいな。

書生

おや、自宅泊船堂で詠んでも「草枕」ですか。
生家に帰っても旅寝、自宅も草枕。

隠居

まさに、「日々旅にして旅を栖(すみか)とす」ですな。
次も新年の句。

子の日しに都へ行かん友もがな (蕉翁全伝、土芳編)

 
 子の日(ねのび)しに、都へ行かん友もがな。

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子の日 「蕉翁全伝、土芳編、曰人写」


  子の日しに都へ行かん友もがな

書生

「今日は子の日遊びの日。一緒に都へ行って、小松を引く友が欲しいものだ」


「子の日」に「する」が付いて、動詞になりますか。

隠居

山家集は、すべて「子の日する」ですな。
 子の日してたてたる松に植ゑそへん 千代かさぬべきとしのしるしに
 子の日する人に霞はさき立ちて 小松が原をたなびきてけり
 子の日しに霞たなびく野辺に出でて はつ鴬の声をききつる
 君がため五葉の子の日しつるかな たびたび千代を経べきしるしに
 子の日する野辺のわれこそ主なるを 五葉なしとてひく人のなき
平安貴族の遊びで、長寿を願うが、西行は、毎年でもなかったようだ。
 春ごとに野邊の小松を引く人は いくらの千代をふべきなるらむ
まこと効果があれば、一度で十分ですな。
また、原文は、「友も哉」。「もがな」は、終助詞「もが」に終助詞「な」が付いたものだから、表記を替えておいた。
貞享2年初の子の日は、3日。従って正月3日の作ということになりますな。

旅烏古巣は梅に成にけり (蕉翁全伝、土芳編)

 旅烏。古巣は梅になりにけり。

この句は、作影亭にて、梅・烏の画屏を見ての作なり。これに歌仙あり。

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旅烏 「蕉翁全伝、土芳編、曰人写」


 旅烏古巣は梅に成にけり

 此句ハ、作影亭ニテ、梅・烏ノ画屏ヲ見テノ作也。是ニ歌仙有。

書生

作影亭に、梅に烏の絵屏風を見て、
「今年もしがない旅烏の身です。こうして、生い育った古巣ともいうべき故郷に戻って参りましたが、梅花の咲き匂うころとはなりました」


我が身を、旅烏になぞらえましたか。

隠居

旅人を見下して旅烏と言うので、自嘲の気味があるが、日々旅である芭蕉の風狂とみよう。
古巣は三春の語だが、比喩なので、梅が季語となりますな。
では、草稿にある付合をみましょう。

草稿・付合「われもさびよ」

汝も枯淡の趣を持て。梅よりも奥に先ながら、大輪の花を鮮やかに咲かせているヤブツバキよ。

これ、この茶の湯の碗の底、飲み終えて現れる残雪とヒヨドリのように。

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雅良・芭蕉、付合 「野ざらし紀行」草稿


◆⑦
               伊賀
 われもさびよ梅よりおくの籔椿 雅良
  ちやのゆに残る雪とひよ鳥  蕉

書生

雅良が若輩者だと、こうした訳になるのですが。

隠居

ほう。
雅良については、「がりょう」と読み、伊賀の人としか知らぬので、許されよ。
本日は、これにて。

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野ざらし紀行、講読の振返り
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熱田・名古屋・伊賀上野
  
  
  
  
  
  
  
  

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  ─── 野ざらし紀行講読ページの解説 ───