野ざらし紀行 甲斐・深川

野ざらし紀行・索引

東海道伊勢伊賀上野1大垣熱田 奈良熱田・鳴海甲斐・深川
原文・訳文原文・訳文原文・訳文原文・訳文原文・訳文原文・訳文原文・訳文原文・訳文
旅程・足跡旅程・足跡旅程・足跡旅程・足跡旅程・足跡旅程・足跡旅程・足跡旅程・足跡
送別松葉風瀑亭芭蕉生家山中やまなか七里奈良への道付合、桑名甲斐の山家
旅立ち外宮竹内不破熱田の茶店梅の竹内熱田三歌仙2資料:寄留先
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同行千里西行谷吉野山草稿句草枕京都、鳴滝蛭が小嶋桑門 旅の後
富士川茶店宿坊 多度権現熱田2伏見 杜国餞別千那宛書簡
大井川閑人の茅舎西行庵桑名 熱田三歌仙1大津 送別***
小夜中山峠付合後醍醐天皇陵浜の地蔵堂伊賀上野2水口 付合、熱田***
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講読、その八「甲斐、深川」

 芭蕉は、門弟千里を連れ、「野ざらし紀行」の旅に出、伊勢の神宮参拝後、郷里伊賀上野を経て、千里の生家竹内に至ります。竹内からは一人旅、吉野を巡り、大垣の木因を訪問、木因と桑名、熱田へ。さらに、単身名古屋へ出向き、冬の日五歌仙を巻きます。

 さらに、郷里で新年を迎え、奈良、京都、伏見、大津、水口と巡り、熱田で三歌仙を完成させ、鳴海から帰途に着きます。

 このページでは、芭蕉真蹟「天理本」・「藤田本」を元に、甲斐、深川の段を取り上げ、原文・訳読み文・現代語訳を示し、「甲斐郡内寄留の資料」・「濁子本の素堂跋」などを資料にして、講読していきます。

 また、旅程表を作成し、講読の資料としつつ、この旅の実態を明らかにしていきます。


野ざらし紀行
原本line

1 「原文・現代語訳」の文は、芭蕉の真蹟「天理本」による。

 ・ 巻末に付せられた、旅を補足する付合は、「関連句」(◆印)として示す。

2 講読の項に置いた文は、貞享年間の真蹟「藤田本」による。

 ※ どちらも、「芭蕉紀行文集、中村俊定校注(岩波文庫)」を参照。

凡例

1 各段は、便宜上設けたもので、原文にはない。

2 仮名漢字は、適宜変更している。
 ・ 仮名遣いの適正化。- おしむ→をしむ、山あい→山あひ

 ・ 用字や字体の変更。 - 影移り→影映り。杜國→杜国

 ・ 踊り字は、「々(同の字点)」「ゝ、ゞ(一の字点)」のみ。

野ざらし紀行「甲斐、深川」 原文・現代語訳

㊲ 甲斐の山家

  かひの国山家に立よる

  甲斐の国、山家に立ち寄る

  甲斐国の山家に、立ち寄る

 ゆく駒の麦になぐさむやどりかな

 行く駒の、麦に慰む、宿りかな。

㊳ 深川の庵

  卯月の末庵に帰りて、たびのつかれをはらす程に

  卯月の末、庵に帰りて、旅の疲れを晴らすほどに

  四月末、芭蕉庵に帰って、旅の疲れを癒やすうちに

 夏衣いまだしらみをとりつくさず

 夏衣。未だ虱を取り尽くさず。

原文・口語訳 ][ 旅程表 ][ 甲斐の山家芭蕉寄留先深川芭蕉庵 ][ 旅の後:千那宛書簡未稿1未稿2未稿3 ][ まとめ

野ざらし紀行 旅程8「甲斐、深川」

貞享2年4月10日~4月22日、深川芭蕉庵到着まで

月日line時分line

記事

line

移動line距離line累計line

貞享2年4月10日~4月22日、木曽路・甲州路の旅

4/1006:00鳴海知足亭発 - - 1392
17:00 下街道土岐高山宿着土岐高山宿44.2 1436
4/1106:00高山宿発 - - -
15:50中山道落合宿着落合宿39.0 1475
4/1206:00落合宿発 - - -
14:00木曽路須原宿着須原宿31.8 1507
4/1306:00須原宿発 - - -
14:40木曽路薮原宿着薮原宿34.7 1542
4/1406:00薮原宿発 - - -
11:40洗馬宿着洗馬宿22.7 1565
4/1506:00洗馬宿発 - - -
14:50甲州街道金沢宿着金沢宿35.0 1600
4/1606:00金沢宿発 - - -
15:20韮崎宿着韮崎宿37.5 1637
4/1706:00韮崎宿発---
13:00 勝沼宿着 円福寺か28.1 1665
4/1806:00勝沼宿発--1664
07:40鶴瀬宿通過-6.3 1671
11:40駒飼宿を経て笹子峠越え。黒野田宿通過-15.9 1687
13:10阿弥陀海道宿、白野宿を経て、初狩宿通過-5.8 1692
15:50谷村着谷村10.7 1703
ゆく駒の麦になぐさむやどりかな---
4/1906:00谷村発 - - -
13:10上野原宿着上野原宿28.7 1732
4/2006:00上野原宿発 - - -
13:00八王子宿着八王子宿28.1 1760
4/2106:00八王子宿発 - - -
13:20高井戸宿着高井戸宿29.0 1789
4/2206:00高井戸宿発 - - -
10:40深川芭蕉庵 -18.3 1807

「4月10日出発」は、「知足斎日々記」による。以下の日付及び宿泊地は推測。

「甲斐の国山家」は、検討により谷村と想定。

書生line

木曽路へ向かうには、名古屋と中山道を結ぶ下街道があります。

多治見・土岐を経て恵那に至る街道です。鳴海からは瀬戸を経て多治見に入るのが近道でしょう。

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隠居木曽路碑

成る程。

落合宿を出ると、間もなく新茶屋。

ここに、「是よ里北木曽路」の碑がありますな。

まあ、藤村の筆による碑ですから、当時はありませんが。

洗馬宿手前の贄川の、「是より南木曽路」の碑まで、約20里が木曽路です。

洗馬宿を過ぎ、下諏訪宿から甲州路。

途中、芭蕉庵が焼けたとき寄留したところ、私は谷村(やむら)だろうと思うのですが、そこに立ち寄ります。

書生

谷村は都留市の中心部ですね。礼の挨拶をかねて立ち寄ったと。

隠居

多分そうであろうということです。

深川帰着は、4月下旬。これでよろしかろう。

原文・口語訳 ][ 旅程表 ][ 甲斐の山家芭蕉寄留先深川芭蕉庵 ][ 旅の後:千那宛書簡未稿1未稿2未稿3 ][ まとめ

野ざらし紀行 講読「甲斐・深川」

甲斐の山家

ゆく駒の麦になぐさむやどりかな (真蹟天理本)

  甲斐の山中に立ち寄りて

 行く駒の、麦に慰む宿りかな。

罫線

いざともに 真蹟「藤田本」


   甲斐の山中に立よりて


 行駒の麦に慰むやどり哉

 

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書生line

甲斐国の山中に立ち寄って、

「夏草を食べさせつつ、乗り行く馬も、ここでは麦をたっぷり頂き嬉しげで、心慰む宿りです」


知足のお蔭で、夏草には不自由しませんが、麦は御馳走ですね。

立ち寄ったのは、谷村ですか。

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隠居

分かりません。旅程表には、何処か入れぬといけませんからね。

書生

ご隠居にしては、珍しくいい加減な。

隠居

いや、よい加減です。

定説がないので、諸説を参考にしつつ、芭蕉の表現を吟味して、谷村にしました。

書生

「諸説」ですか。

隠居

まあ、立ち寄り先は、「芭蕉庵が焼けて寄留」した所としてよいでしょうが、どこに世話になったかには、「諸説」があるわけです。


資料 江戸大火後、芭蕉の寄留先

諸説1/6 「初狩説」……万福寺
隠居line

<芭蕉翁略伝、湖中著、弘化2年(1845)>

 此年の冬、深川の草庵急火にかこまれ、殆あやうかりしが、潮にひたり蓬をかつぎて、煙の中にいきのび給ひけり。是ぞ玉の緒のはかなきはじめなり。爰に猶如火宅の変を悟り、無所住の心を発して、其次の年仏頂和尚(江戸臨川寺住職)の奴六祖五平と云(甲州の産にして仏頂和尚に仕へ大悟したるもの)の情にて甲斐に至り、かの六祖が家に冬より翌年の夏まで遊ばれしとぞ。
 自書に云、甲斐国郡内と云所に至る途中の苦吟、
  夏馬ほくほく我を絵に見るこゝろ哉
 一説に甲州の郡内谷村と初雁村とに、久敷足をとゞめられし事あり。初雁村の等力山万福寺と云寺に、翁の書れしもの多くあり。又初雁村に杉風が姉ありしといへば、深川の庵焼失の後、かの姉の許へ、杉風より添書など持れ(もたれ)て行かれしなるべしと云ふ。
 愚案(愚、案ずるに)、世に伝ふ臨川寺の仏頂和尚にしたがひて、禅を熟されしと云ふ、此頃の事なるべし。
夫より深川帰りおはしければ、人々悦て焼原の旧草に庵を結び、しばしも心とゞまる詠(ながめ、眺め)にもと、又ばせを一株を栽え(うえ、植え)たり。

 ※ 等力山は等々力山、初雁村は、初狩村。


等々力山万福寺は、浄土真宗本願寺派。初狩村とあるが、実際は国中の勝沼にある。

「郡内」とは、甲斐国東部、都留郡一帯の地方名。笹子峠から西の甲斐は「国中」と言う。

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書生

万福寺へ行ったとは書いてありませんが、「翁の書かれしもの多くあり」ですから、行った可能性はあると。

隠居

そうですな。

「一説に」という記述ではありますが、初狩村にいた証しとして万福寺の「書かれしもの」を挙げたということです。しかし、万福寺は、初狩にはありません。

文脈上、寄留先は「杉風が姉の許」です。

湖中の文、「郡内の谷村と初狩村に、久しく足を留められしことあり」とありますが、「谷村のどこか」が書いてありませんな。

書生

万福寺に芭蕉句碑があります。

 行駒の麥に慰むやとりかな

隠居

所謂「駒塚」ですな。

如何せん、万福寺は笹子峠の西、つまり国中地方で、郡内地方ではない。

寛政年間、句碑建立の記念句集「こまづか集」というのがありますが、読んでみられるか。

書生

寛政年間と言うと、芭蕉百回忌のころですね。

序文は半化坊闌更、ふむふむ。

発句は、

 行駒の麦に慰むやどり哉 芭蕉

脇が、

  四方みどりなる卯月野の末 三車

あれ、どこかで見たような?

……、これ、続猿蓑の芭蕉句、

  蕨こはばる卯月野の末

下七が全く同じですよ。

三車という人は?

隠居

万福寺の住職。句碑を建てた方です。

書生

亭主の立ち場で脇を詠んだということですか。

 寺でなく、卯月野の末で、客を迎えたことになりますね。

で、陰暦4月の卯の花の咲く野山の、「末」ですから、その外れた辺り。そこもまた、「四方みどり」なんですか。「野の中」なら分かりますが、「野末の四方みどり」、景色が浮かびません。

隠居

まあ、よいではないか。句碑は、自由に建てられますしな。

諸説2/6 「初狩説」……杉風の姉の家

<杉風略歴>

杉山杉風(さんぷう)、名元雅、通称鯉屋藤左衛門・市兵衛。別号採荼庵・蓑翁・五雲亭など。日本橋小田原町、幕府御用の魚問屋。深川六間堀の別荘を芭蕉庵に提供。芭蕉の3歳下。芭蕉は「東三十三国の俳諧奉行」と言う。採荼庵は、海辺橋南詰で芭蕉庵から約1キロ。「常盤屋句合」「冬かつら」など編著。享保17年(1732)没、86歳。

隠居line

<芭蕉翁略伝、湖中著、弘化2年(1845)>

又初雁村に杉風が姉ありしといへば、深川の庵焼失の後、かの姉の許へ、杉風より添書など持れて行かれしなるべしと云。


湖中の略伝を再引用。初狩村に、杉風の姉を頼ったという説。

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書生

「と云う」は伝聞ですね。誰に聞いたのでしょう。

隠居

如何せん、芭蕉没後150年での伝聞。

しかも、杉風の姉が存在したかどうかも曖昧である。姉はいないという説もあるが、いるという証明ならまだしも、「いないという証明」は、できようもない。

諸説3/6 「谷村説」……高山麋塒亭

<麋塒略歴>

高山麋塒(びじ)、名繁文、伝右衛門。初号柳梢、晩年幻世。甲斐谷村藩国家老、1200石。延宝8年(1680)江戸出府の折芭蕉に入門、5歳下。「武蔵曲」入集。宝永元年(1704)藩主の川越移封に随従。享保3年(1718)没、70歳。

※天和2年(1682)の大火で焼け出された芭蕉が、天和3年5月まで、麋塒亭の離れ「桃林軒(とうりんけん)」に、寄留したという。

隠居line

<蓑虫庵小集、猪来編、文政7年(1824)>

・歌仙「故艸の巻」、天和3年(1683)夏

 発句 故艸垣穂に木瓜もむ屋かな   麋塒  へぼちぐさ、きゅうり
 脇    笠おもしろや卯の實むらさめ 一晶
 第三 ちるほたる沓にさくらを拂ふらん 芭蕉

※「蓑虫庵小集」に「翁書連句二巻之内」と付記。他は次の巻か。

・歌仙「夏馬の巻」、天和3年夏

 発句 夏馬の遅行我を絵に見る心かな 芭蕉  ちこう
 脇    変手ぬるゝ瀧凋む瀧       麋塒  かわりで、しぼむ
 第三 蕗の葉に酒灑ぐ竹の宿黴て    一晶  そそぐ、かびて


この歌仙2巻を、天和3年麋塒亭訪問の根拠とする説。

一晶は、京の医者で、天和3年から江戸に住み、芭蕉に随行したとされる。

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書生

「訪問」の根拠?「寄留」の根拠ではないのですか。

隠居

如何せん、2巻ともに夏で、長期寄留の根拠にはならない。


<芭蕉翁略伝、湖中著、弘化2年(1845)>

一説に甲州の郡内谷村と初雁村とに、久敷足をとゞめられし事あり。


これも湖中略伝の引用。谷村の誰の所とは言っていないから、「久しく足を留められ」たのが、麋塒の所であっても差し支えない。

書生

その前に出ている六祖五平の所でも、差し支えありません。

隠居

谷村城址の近く、城南公園にも句碑があります。

 行く駒の 麥に慰む やどりかな

書生

句碑は、自由に建てられます。

諸説4/6 「谷村説」……六祖五平の家

<仏頂略歴>

仏頂(ぶっちょう)、俗姓平山、号河南・懶華・哮吼子。常陸の臨済僧で、芭蕉の10歳上。寛永18年(1641)8歳で鹿島根本寺(こんぽんじ)冷山に師事。修行を経て延宝2年(1674)根本寺を継ぐが、寺領を取り上げられ訴訟、その間深川の臨川庵に滞在、僕は六祖五平。延宝8年(1680)芭蕉が芭蕉庵に入り参禅。天和2年(1682)勝訴し根本寺に庵住。貞享4年(1687)芭蕉鹿島詣で再会。元禄8年(1695)臨川庵に帰庵。正徳5年(1715)遷化、82歳。

隠居line

<随斎諧話、成美著、文政2年(1819)付>

芭蕉深川の庵池魚の災にかゝりし後しばらく甲斐の国に掛錫(けしゃく)して、六祖五平といふものをあるじとす。六祖は彼ものゝあだ名なり。五平かつて禅法をふかく信じて、仏頂和尚に参学す。彼もの一文字だにしらず、故に人呼て六祖と名づけたり。ばせをも又かの禅師の居士なれば、そのちなみによりて宿られしと見えたり。その後其角が招きによりてふたゝび江戸へ立かへりて、
 ともかくもならでや雪のかれ尾花 はせを


甲斐に「掛錫し(これは、僧が行脚中他寺に留まることだが)」と断定、「ちなみにより」と推定。

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書生

根拠は示されていません。谷村というのは?

隠居

まあ、この説ですかな。

<奥の細道管菰抄、梨一著、安永七年(1778)刊>

 此時仏頂和尚甲州にあり。祖師は六祖五平を主とすと一書に見えたり。六祖五平は高山氏にて秋元家の家老也。幼名五兵衛、後主税と言は通称にて、今も猶しかり。六祖の異名は仏頂和尚の印可を得しより、其徒にての賞名也。祖師と同弟なれば寄宿せられし也。今高山氏に祖師の筆蹟多し。米櫃の横にさへ落書せられしもの残れり。


秋元家の家老は麋塒で、谷村に屋敷があります。麋塒が五平だと匂わせつつ、言及していない。実に曖昧で、読み手に任せている。読み手は勝手に麋塒だと思うわけでな。

まあ、何と言いましょうか、わしも「奥の細道管菰抄」を読まないわけではありませんが、この本の、どこにこの文章があるか、知りません。

 ※ 隠居は、「奥の細道管菰抄」の一本に、誰かが書き込んだ内容とは知らない。

書生

読み落としでは?

隠居

何の、「奥の細道管菰抄」の冒頭「芭蕉翁伝」に、「深川の六間堀と云ふ処にいほりをまうけ天和二年まで在住ありしに其冬同祿の災にあひてしばらく甲洲に赴き彼国にて年をこへ翌三年夏の末ならんか深川の旧地へ帰り焼草の露をはらひ芭蕉一もとを」と書いてあるのは、読める。

わしは、一応字は読める。

ともあれ、「字が読めん仏頂の弟子『六祖五平』は、家老の麋塒ではないでしょう」と常識人は思うな。

書生

さすがに、字が読めない家老はいないかも。

隠居

書いてあったとしても、家老が字が読めない五平であったという説で、話にならん。

だから、家老の二男であるという説も出る。しかし、この二男は貞享2年(1685)生まれであり、これも話にならない。

そこで、白豚(はくとん)説が浮上する。

書生

はあ。

隠居

白豚は、麋塒の実弟で、二代目高山五兵衛家に入婿、三代目高山五兵衛となる。

白豚は、秋元家の江戸詰め藩士で、延宝8年(1680)「桃青門弟独吟二十歌仙」に入集する。古くからの門弟で、この年22歳と言う。

ただ、藩士が、仏頂の下僕も務めていたという首肯しがたい説ですな。

書生

五平や五兵衛は日本中にいますから、谷村にいても問題ありません。

隠居

如何せん、谷村に仏頂の弟子の五平がいたと証明されたとしても、証左を示さぬかぎり芭蕉が寄留したことにはなりませんな。

諸説5/6 「初狩説」……六祖五平の家
隠居line

<谷村、桂林寺の資料>

1 過去帳によれば、六祖五平の名は小林友右衛門である。

2 同寺の古文書の中に、麋塒が友右衛門に宛て、芭蕉の世話を依頼した断簡があった。

3 小林家は、初狩の旧家で、「五平桑」が現存する。


桂林寺は、臨済宗妙心寺派で、宗派が仏頂の根本寺と一致しています。

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書生

はい、根拠が示されていますね。

隠居

なぜか、認められていないようですな過去帳の確認とか、断簡の鑑定がされていないのでしょうかな。

書生

谷村の資料で、谷村説が否定され、初狩になりますしね。

諸説6/6 「山中説」……六祖五平の家
隠居line

<野ざらし紀行、真蹟「藤田本」>

・「甲斐の山中に立よりて」と書いてある。

※山中湖村山中堂ノ前、旧家の祖先に五兵衛がおり、芭蕉が泊まったという言い伝えがある。五兵衛は、壽徳寺の過去帳で確認できると言う。


壽徳寺は、臨済宗妙心寺派で、こちらの宗派も、仏頂の根本寺と一致しています。

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書生

「山中」は、地名というわけでしたか。

隠居

ただ、五平(ごへい)と五兵衛(ごへえ)が同一人物であるという話が見当たりません。また、六祖五平と五兵衛をつなぐものも見当たりません。

江戸大火後、芭蕉の寄留先はどこ?

書生

「寄留」ですか

諸説を見ますと、「流寓」、「掛錫」、「僑居」、「疎開」などの語が用いられ、「寄留」は見かけませんが。

隠居

そうですな。

「流寓」がよく使われていますが、「放浪して他郷に住むこと」を「流寓」と言います。芭蕉が当てもなくさまよい、たまたま甲斐に流れ着いたということになります。わしは、当てがあって甲斐に赴いたと思いますから、「寄留」と言います。

「寄留」とは、一時的に他の家や他の土地に身を寄せて住むことです。一時的に他人の家に住み、世話になるという点では、「寄寓」と言っても構いませんが、字が難しい。

「掛錫」は、仏教用語で、この場合「けしゃく」です。行脚の途中、他寺に留まることで、比喩的に用いられています。

「僑居(きょうきょ)」は、単に仮住まいをすることで、自前の別荘と区別が付きません。「仮寓」、「寓居」と同じでしょう。

「疎開」はいけませんな。誤用です。

書生

了解です。

では、どこに寄留したかですが、……

ここまでをまとめると、「甲斐」の「郡内地方」となりますね。

隠居

左様、都留辺り。初狩か谷村になります。どちらか一か所に限ることもできません。

ただ、山中湖村説は外します。

書生

現在の農産物のデータを見ましたが、山中湖村は野菜と果樹が中心ですね。

 ゆく駒の麦になぐさむやどりかな

何せ、標高1000メートルです。4月に麦の収穫は、無理でしょう。

隠居

ただ買えばいいことですから、麦がなかったとは言えません。

私は、その詞書きを根拠にしています。波静本は、「甲斐の山中に立よりて」ですが、初案と思われる天理本は、「かひの国山家に立よる」です。

つまり、山家を山中に言い換えただけという素直な解釈で、山中湖村の山中を指すとは読みません。

さらに「立ち寄る」です。目的地へ行く途中、ついでにちょいと訪れることを「立ち寄る」と言います。

東海道にしても甲州街道にしても、かなり距離のある山中湖村へは「立ち寄る」とはいいません。「寄る」とも言わないでしょう。「行く」ですな。

芭蕉の表現を根拠に、外したわけです。

書生

はあ。

隠居

同じく、「勝沼」や「初狩」も「立ち寄る」とは言わないでしょう。何せ、甲州街道なら、そこを通って行くのですから、「足を留める」と言うでしょう。

書生

それで、谷村ですか。

隠居

そういうことです。

次に、其角の書いたものを読みましょう。


<枯尾華の冒頭、芭蕉翁終焉記、其角>

天和三年の冬、深川の草庵急火にかこまれ、潮にひたり、苫をかつぎて煙のうちに生のびけん、是ぞ玉の緒のはかなき初め也、爰に猶如火宅の変を悟り、無所住の心を発して、其次の年夏の半に甲斐が根にくらして、富士の雪のみつれなければと、それより三更月下入無我といひけん、昔の跡に立帰りおはしければ、人々うれしくて、焼原の旧草に庵を結び、しばしも心とゞまる詠(ながめ)にもとて、一かぶの芭蕉を植て、


下線部「天和三年」は、「天和二年」の誤記。「其次の年」の8月中旬には野ざらし紀行の旅に出ますからな。夏の半ばに帰り、秋の半ばまでに芭蕉庵を再建し、遡って春にバショウの苗を植えることはできません。

次に「甲斐が根」とありますが、一般的には甲斐国西部赤石山脈の主峰白根山を甲斐が根・甲斐が峰と言います。ここでは、甲斐の山の中、あるいは麓くらいの意味でしょうか。

「富士の雪のみつれなければ」、ここに着目です。

書生

これは、「何ら不満はないが、富士の雪だけが、薄情で思うにまかせられないので」でしょうか。江戸に帰るころで、夏ですから、富士山の雪見が十分にできないというのでしょうか。

隠居

まったくできないというわけでない。ちょっとは見えるが十分ではないということでしょう。それを「つれなし」と表現しているわけです。

そんな場所は、どこですか。例の何で、見てくださらんか。

書生

カシミールですね。しばしお待ちを、……

先ず山中湖村。ここは、富士の雪は見放題です。

山中湖の富士

左に宝永山、これはまだ芭蕉のころにはないか。右に小御岳の絶景です。

次は、……、初狩村ですか。

初狩村の眺望

富士山が見えませんので、シルエットを入れておきます。レンズは同じ35㎜ですが、随分小さくなります。すべて、地表から2メートルの高さにカメラを置いたと、設定してあります。

隠居

初狩PAからは見えた覚えがあるが、町中からは見えませんか。では、万福寺を。

書生

勝沼町の眺望

山頂がわずかに見えますね。樹木の高さは、データに入っていませんから、夏は見えないでしょうね。

隠居

見えないということで、谷村を。

書生

谷村の眺望

八合目辺りから見えますね。

隠居

見えそうで見えない。これが「つれない」富士の姿じゃな。

序でにと言うと何じゃが、甲府の魚町、ここは素堂の出身地とも言われるところでな。比較のためにな。

書生

はいお安い御用です。

甲府の眺望

しっかり、頭を出しています。

隠居

はっきり見えるな。まあ、其角の書き残した芭蕉の言葉「富士の雪のみつれなし」からも、谷村でよろしかろう。

次の句にも、注目ですな。

資料、芭蕉句「甲斐山中 山賎のおとがひ閉づる葎かな」
書生

甲斐の山中で、(これはもう山の中の意ですね)

「木こりが、下あごをしっかりとじて歩くような、夏草が高く生い茂る道である」と。


知足の句、やはり効果てきめん、効き過ぎたようです。芭蕉は馬だから平気ですよね。

隠居

何の、街道から外れて、山道に入った証拠である。江戸から谷村へ入る道は、整備されているでしょうが、反対方向からは、むぐらの道だったのでしょうな。

草が口に入っても何てことはないが、虫が入るのはたまらん。特にカメムシじゃ、一度経験したが、水場まで全速力で走ったぞ。一週間くらい臭いが抜けなんだわ。

書生

何と。

この句はどうでしょう。湖中の略伝に、「苦吟」とありましたが。

 夏馬の遅行我を絵に見る心かな

隠居

それは、画賛でしょ。そういう絵を見て詠んだ句です。自分の経験を重ねたのでしょうが、絵に描かれた馬の足並みから、「遅行」を読み取ったのでしょう。

李白の五言古詩「長干行」に、「門前遲行跡」と、「遅行」という語が出てきますが、ためらいがちに歩く意です。芭蕉は、馬の並足ととらえているようです。並行2本、あるいは3本の足が地面に着きます。

書生

よく分かりませんが。

隠居杉風画夏馬

わしも、芭蕉の見た絵は知りませんが、

「蕉影余韻(伊藤松宇編、昭和5)」

に、杉風の書いたものがありますので、見ましょうか。

 馬ぼくぼく我を繪に見む夏野かな 芭蕉翁の吟

とあります。

どうですか、常歩(なみあし)を見事に描いているでしょう。右後ろ脚だけが、宙にありますね。

まあ、こんな絵を見て、芭蕉は自分の姿だと句を詠んだ、つまり絵をそのまま句にしたということです。

書生

よく分かりました。

隠居

また、湖中の言う「苦吟」は、その後何度も推敲したという意味です。その時苦労していたわけではありません。最終稿は、自画讃にある

 馬ぼくぼく我を絵に見る夏野かな

でしょうか。「三界流浪の桃尻、落ちてあやまちすることなかれ」とあるそうです。

さて、以上ですが、野ざらし紀行で立ち寄ったのは、谷村でよろしいかな。

書生

整理します。

野ざらし紀行の旅で、立ち寄ったのは、谷村と思われる。

・立ち寄り先は、焼け出されたとき、世話になったところと仮定する。

・寄留先は、不明であるが、甲斐国の郡内地方、すなわち都留であろう。

・其角の聞き書き「富士の雪のみつれなければ」から、谷村が適当であろう。

・「立ち寄る」という表現、及び「山賎の」句から、江戸への街道からわずかに外れたところにある谷村が適当であろう。

隠居

概ねその通りです。何一つ断定できませんが。

原文・口語訳 ][ 旅程表 ][ 甲斐の山家芭蕉寄留先深川芭蕉庵 ][ 旅の後:千那宛書簡未稿1未稿2未稿3 ][ まとめ

深川

 予もまた、朝顔の朝、夕露の夕べ待たずしもあらず。霜結び雪と暮れて、年も移りぬ。

 いつか、花に茶の羽織見ん、閑人の市なさん物を、林間の小車久してきたらずと、温公の心を思ひ出し、やや五月待ころに帰りぬ。かへれば先吟行のふくろをたゝく。たゝけばーつのたまものを得たり。

<素堂跋> 

夏衣いまだしらみをとりつくさず (真蹟天理本)

 四月の末、芭蕉庵に帰り、旅の疲れを癒やしているとき、

 

 夏衣。未だ、虱を取り尽くさず。

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罫線

いざともに 真蹟「藤田本」 


 卯月の末、庵に帰りて旅のつかれれをはらすほどに

 夏衣いまだ虱を取り尽さず

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書生line

江戸深川の庵に帰って、

「夏衣に着替えて久しい。旅の思い出の虱だが、いまだ取り尽くさない」


全部取るのが惜しいのでしょうか。

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隠居

なかなか取り尽くせない。取り尽くせるものでもない。

着替えるのが一番じゃな。

書生

経験がないもので。

隠居

ホワイトチイチイを知らんのか。

♪わ~れはノミの子、シ~ラミの子♪

ノミは親指の爪でパチンと小気味よくつぶれるが、シラミは小さいし弾力があって難しかった。頭に棲むのがアタマジラミ、着物に付くのがキモノジラミ。銭湯などの脱衣場では、脱衣篭を引っ繰り返して、ポンポン払って予防する。

「虱は千手観音と呼ぶ」と、也有の「百虫賦」にあるとおり、学校の先生はアタマジラミを観音様と呼んでいた。昔の先生はさすがですな。校庭に並んで、頭からDDTをかけていただいた覚えがある。ツーンと、臭かった。

因みに、布団ジラミは京子さんな。

書生

貴重な経験ですね。

牛を捨てて、今度はシラミ取りですか。

隠居

「未だ虱を取り尽くさず」でな、野ざらし紀行、振り返りの感想ですな。

書生

大局的に大きな成果があったが、細部を見ると、まだ何か残っていると。

隠居

いろいろ言われているようだが、わしは論評は好まぬ。

ここまでとしよう。

まあ、帰庵後のあれこれを見るうちに、触れることもあるでしょう。

書生

あ、一つ。素堂跋にある「温公」って何でしょう。

隠居

北宋の司馬光のこと、君子の中の君子。友を待って「林間高閣望已久、花外小車猶未來」と詩を贈った。

書生

ああ、それで素堂は、温公の心で待ったと。

隠居

ついでに、虱を詩に詠む先例は、蘇東坡、「阿兄門外邀雙月、小妹窗前捉半風」。兄・妹、門・窗、邀・捉、雙・半、月・風と、見事な対句である。

書生

どこにシラミが?

隠居

うむ、半風こそ虱であるな。風の半分じゃ。蘇東坡詩との関連は、「野ざらし紀行翠園抄」の指摘。虱は、風狂な隠者が、好む題材であったわけである。

書生

おそれ、いりました。

原文・口語訳 ][ 旅程表 ][ 甲斐の山家芭蕉寄留先深川芭蕉庵 ][ 旅の後:千那宛書簡未稿1未稿2未稿3 ][ まとめ


野ざらし紀行 旅の後

資料、貞享2年5月12日付、「千那宛芭蕉書簡」

隠居

帰庵半月後の書簡です。既に、「熱田三歌仙その2」の関連で、前半を見ていますが。

書生line

返信なんですね。


貴墨辱く拝見、御無事の由、珍重に存じ奉り候ふ。其元(そこもと、大津のこと)滞留の内、閑語得候ふて、珍希覚え申し候ふ。
一、愚句其元(大津の本福寺別院)にての句
  辛崎の松は花より朧にて  と御覚え下さるべく候ふ。
  山路来て何やらゆかしすみれ草
其の外五三句もこれあり候へども、重ねて書き付け申すべく候ふ。
一、此秋・此萩のあらそひ、尤も此の道(俳諧の道)、是非をあらそふも道のひとつにて御座候へども、あながちに口論を好む事、愚意好ましからず候ふ間、兼て能き程に御おあらそひ御尤もに候ふ。
一、其角へ御状、重ねて返状仕るべく候ふ。嵐雪、他国へ罷り候ふ間(主君に随行し越後高田へ行った)、貴報に及ばず候ふ。何やらかやらいまだ取り込み、旧友久々咄ども指つもり、手透御座なく、貴報早々のみ。
一、渋谷与茂作殿、御堅固に相見え候ふ。御手跡見覚え候ふ。 以上
   五月十二日              芭蕉桃青書判
 千那貴僧


辛崎の句、初案は、

 辛崎の松は小町が身の朧

でしたね。

隠居

そう。千那は、

 山はさくらをしほる春雨

と、付けました。

書生  辛崎の松は花より朧にて

の脇では、ありませんね。

隠居

そういう意味では、貴重な資料です。

書生

 何とはなしに何やら床し菫草

これが、初案と決まりますね。

 山路来て何やら床し菫草

これは、旅後の決定句ということが分かります。

隠居

そういうことですな。

原文・口語訳 ][ 旅程表 ][ 甲斐の山家芭蕉寄留先深川芭蕉庵 ][ 旅の後:千那宛書簡未稿1未稿2未稿3 ][ まとめ

百韻「涼しさの」

貞享2年6月2日、東武小石川において興行

 芭蕉は、帰庵後40日ほどたった6月2日、江戸小石川で清風歓迎の俳諧を興行した。古式の百韻である。連衆は以下の通り。

<清風>
姓鈴木、名道祐、通称八右衛門、道西男。祖は義経臣。尾花沢紅花商「島田屋」主。京・大坂・江戸で商う。談林の信徳門、言水・芭蕉と交流。尾花沢の宗匠と評される。「奥の細道」入。別号残月軒。慶安4(1651)年生、享保6(1721)年没、71歳。

<嵐雪>
姓服部、名治助、通称彦兵衛・孫之丞・新左衛門・喜兵衛、幼名久米(馬)之介、服部高治男。常陸麻生藩・陸奥窪田藩・常陸笠間藩・越後高田藩に奉公。貞享年間に致仕し俳諧に専念。雪中庵要津寺は、墨田区千歳2、芭蕉庵の北約600m。「両の手に桃と桜や草の餅(芭蕉、元禄5)」は、嵐雪・其角を喩えたという。芭蕉没後剃髪。江戸蕉門を其角と二分し、百里・吏登らを育てた。別号雪中庵。承応3(1654)年、江戸湯島生、宝永4(1707)年10月13日没、54歳。

<其角>
姓宝井・竹下、名侃憲、通称八十八・平助、医者竹下東順男。延宝初期14歳で芭蕉に入門。医術三越門・詩大顛門・画一蝶門。住居日本橋茅場町1。近江堅田に父の屋敷。天和3「虚栗」編。貞享3立机。元禄7芭蕉追善「枯尾花」編。都会的な洒落風俳諧を推進。別号晋子、宝晋斎、螺舎など。寛文元(1661)年7月17日生、1707宝永4(1707)年2月30日没、47歳。

<才丸>
才麿。姓椎本・谷・佐々木・生駒、通称八郎右衛門。宇陀藩家老佐々木主人養子。落度で浪人。一時仏門。西鶴門、談林。延宝から江戸で、調和・芭蕉・言水と交流。元禄から大坂住。別号則武・西丸・狂六堂。明暦2(1656)年大和宇陀に生、元文3(1738)年没、88歳。

<コ斎>
壺斎。姓浅野・小川、別号野水。蕉門。笈の小文に発つ芭蕉餞別俳諧「時雨時雨にの巻」の連衆となり、見送るが、帰庵を待たず翌貞享5(1688)年7月21日没。辞世「あはれ也灯篭一つに主コ斎」。三回忌(浅草誓願寺)追悼「その人の鼾いびきさへなし秋のくれ 其角」。

<素堂>
姓山口、名信章、通称勘兵衛・市右衛門、市右衛門男。甲斐の郷士、甲府で酒造業、二十歳頃家督を弟に譲る。季吟門、芭蕉と親交、2歳上。儒学算学で仕官するが、延宝7(1679)致仕。上野に隠棲、貞享2(1685)葛飾に、元禄4(1691)深川に移住。著作物多数。別号来雪・松子・素仙堂・蓮池翁、茶号今日庵・其日庵。寛永19(1642)年生、享保元(1716)年8月15日没、75歳。

      貞享二年六月二日東武小石川ニおゐて興行
        賦花何俳諧之連歌
  1 発句  涼しさの凝りくだくるか水車    清風│夏:涼しさ※賦物「賦花何」で、水車は花車。
  2○脇    青鷺草を見越す朝月       芭蕉│夏:青鷺※アオサギソウはラン科の多年草。
  3 第三  松風のはかた箱崎露けくて     嵐雪│秋:露けし※まつかぜの博多はこざき~
  4 初オ4  酒店の秋を障子あかるき     其角│秋:秋※さかやのあきを、しょうじあかるき。
  5 初オ5 社日来にけり尋常の煤はくや    才丸│秋:社日※しゃにち、きにけり。じんじょう~
  6 初オ6  舞ふ蝶仰ぐ我にしたしく     コ斎│春:蝶※まうちょうヲあおぐ。われに親しく。
  7 初オ7 みちの記も今は其ままに霞こめ   素堂│春:霞※道の記も、今はそのままに、かすみ~
  8☆初オ8  氊を花なれいやよひの雛     清風│春:花※せん(毛氈)をはななれ。弥生のひな。
  9 初オ9 老てだに侍從は老をへりくだり   芭蕉│雑※おいてだに、侍従は、おいを謙り。
 10 初オ10  氷きよしとうち守りたり     嵐雪│夏:氷室の氷※こおり清しと、打ち守りたり。
 11 初ウ1 戸隱の山下小家の静にて      其角│雑※とがくし(戸隠山)の麓、こいえの~
 12 初ウ2  阿闍梨もてなす父の三年     才丸│雑※あじゃりヲもて成す~。三回忌。
 13 初ウ3 笑顔よくうまれ自慢の一器量    コ斎│雑※~生まれじまんのひときりょう。
 14 初ウ4  舟に夜な夜ないのちあきなふ   素堂│雑※ふねによなよな、命ヲ商う。
 15 初ウ5 雨そぼつ蚊やり火いたく煙てし   清風│夏:蚊遣火※雨濡つ蚊遣火、甚くけぶりてし。
 16 初ウ6  草庵あれも夏を十疊       芭蕉│夏※そうあんあれも、なつをじゅうじょう
 17 初ウ7 既にたつ碁にまれ人をあざむきて  嵐雪│雑※~まれびと(客人)を、欺きて
 18 初ウ8  鴻鳫高く白眼どもおちず     其角│秋:鴻雁※碁→烏鷺→こうがん。にらめども。
 19○初ウ9 晩稲苅干すみちのくの月よ日よ   才丸│秋:晩稲苅干す※陸奥。月を仰ぎ日を仰いで。
 20 初ウ10  浄瑠璃聞んやどからむ秋     コ斎│秋※じょうるりきかん。宿借らむ。あき。
 21 初ウ11 椎の実の價筭る半蔀に       素堂│秋:椎の実※~価数うる、はじとみに。
 22 初ウ12  うしろ見せたる美婦妬しき    清風│雑・恋:美婦※後みせたるびふ、ねたましき。
 23☆初ウ13 花散す五日の風は誰がいのり    芭蕉│春・恋:花・祈り※五風十雨=天気順調。
 24 初ウ14  北京遠き丸山の春        嵐雪│春・恋:春・丸山(長崎廓)※ほくけい(都)
 25 二オ1 三尺の鯉に子鮎に料理の間     其角│春:小鮎※~コイに、コアユに、料理の間。
 26 二オ2  はや兼好をにくむ此とし     才丸│雑※この歳=徒然草「四十に足らぬほどにて」
 27 二オ3 幾回の戦ひ夢と覚やらず      コ斎│雑※いくたびの戦い、ゆめと、さめやらず。
 28 二オ4  逝水やみを捨ぬものかは     素堂│雑※ゆくみず、闇を。(顔氏、譬諸逝水)
 29 二オ5 白鳥のはふり湯立の十五日     清風│雑※白鳥(社)の祝(神官)、湯立ちの~
 30 二オ6  夫醉醒の愚に嚏して       芭蕉│雑※それ、せいすいのぐに、くさめして。
 31 二オ7 檋のすゝみかねたる黄昏に     嵐雪│冬:かんじき※かんじきの~、たそがれに。
 32 二オ8  をし恩愛の沢を二羽たつ     其角│冬・恋:鴛鴦・恩愛※鴛鴦おんないの~
 33 二オ9 桟造り曲輪のつみを指をらん    才丸│雑・恋:廓※かけはし作り、廓の罪を指折らん
 34 二オ10  きぬぎぬの衣薄きにぞ泣く    コ斎│雑・恋:きぬぎぬ※後朝のきぬ、うすき~
 35 二オ11 いかなればつくしの人のさわがしや 素堂│雑※筑紫の人。さはがし=がさつ。
 36☆二オ12  古梵のせがき花皿を花      清風│秋:施餓鬼※こぼん=古刹。花皿=散華の皿
 37○二オ13 ひぐらしの聲絶るかたに月見空   芭蕉│秋:月見※蜩のこえ、たゆる方に、月見ぞら。
 38 二オ14  引板を業とすをのこ嘯く     嵐雪│秋:引板=鳴子※ひたを業と。うそぶく=口笛
 39 二ウ1 武士のものすさまじき艤ひ     其角│秋:すさまじ※もののふの、ふなよそい=艤装
 40 二ウ2  七里法華の七里秋風       コ斎│秋:秋風※しちりぼっけ=上総は法華だらけ。
 41 二ウ3 丑三の雷南の雲と化し       才丸│雑※うしみつのらい、みんなみのくもとけし。
 42 二ウ4  槐の小鳥高くねぐらす      芭蕉│雑※えんじゅ=豆科高木。たかく塒す。
 43 二ウ5 陰陽神の留主其ままの仮家建    素堂│冬:神無月※めお=男女。かりやだて=仮社
 44 二ウ6  狂女さまよふ跡しとふなる    清風│雑・恋:慕う※きょうじょ彷徨う後慕うなる~
 45 二ウ7 情しる身は黄金の朽てより     芭蕉│雑・恋:情知る※~おうごんのくちてより。
 46 二ウ8  輕く味ふ出羽の鰰        才丸│冬:鰰※かるくあじおう、でわのハタハタ。
 47○二ウ9 寒月のともづなあからさまなりし  嵐雪│冬:寒月※かんげつの艫綱(もやいづな)~
 48 二ウ10  枯てあらしのつのる荻萩     其角│冬:枯荻、枯萩※かれて嵐の募るオギ・ハギ。
 49 二ウ11 獨楽の茶に起臥を舍るのみ     才丸│雑※どくらくの~、おきふしをやどるのみ。
 50 二ウ12  三里も居ゑず不二いまだ見ず   コ斎│雑※さんり<灸>も据えず、富士、未だみず。
 51☆二ウ13 鹿をおふ弓咲く花に分入て     素堂│春:花※しかを追う<猟師山を見ず>ゆみ~
 52 二ウ14  春を愁る小の晦日        清風│春:春愁※~うれうる、(小の月)のつごもり
 53 三オ1 陽炎に坐す椽低く狭かりき     芭蕉│春:陽炎※かげろうにざすえん、~せまかりき
 54 三オ2  砥水きよむる五郎入道      嵐雪│雑※とすい(研ぎ水)ヲ清むる、五郎=正宗。
 55 三オ3 忰もたば上戸も譲るかくごなり   其角│雑※せがれ~、じょうごもゆずる覚悟なり。
 56 三オ4  雲ちりちりに風かをる薮     才丸│夏:風薫る※くもちりちりに、かぜ薫るやぶ。
 57 三オ5 伊豫すだれ湯桁の数はいさしらず  コ斎│夏:伊豫すだれ※いよ簾。道後のゆげた=湯船
 58 三オ6  入院見舞の長に酌とる      素堂│雑※じゅいん=僧の寺入。ちょう=宿場の主。
 59 三オ7 一陽を襲正月はやり来て      清風│冬:一陽来復=11月※かさね~、流行病きて
 60 三オ8  汝さくらよかへり咲ずや     芭蕉│冬:帰り咲く※なんじ、桜よ。帰りさかずや。
 61 三オ9 染殿のあるじ朝日を拝む哉     嵐雪│雑※そめどの(染物屋)の主、あさひを~
 62 三オ10  しのぶのみだれ瘧もゝたび    其角│雑・恋:しのぶの乱れ※おこり百度。伊勢物語
 63 三オ11 うき世とはうき川竹をはづかしめ  才丸│雑・恋:うき川竹※~浮きかわたけ=遊女の身
 64 三オ12  名をあふ坂をこしてあらはす   コ斎│雑・恋:名を顕す※逢坂を越して~。伊勢物語
 65○三オ13 后の月家に入る尉出る兒      素堂│秋:後の月※家にいるじょう=翁、いづるちご
 66 三オ14  わけてさびしき五器の焼米    清風│秋:焼米※~御器(乞食修行椀)のやきごめ。
 67 三ウ1 みの虫の狂詩つくれと鳴ならむ   芭蕉│秋:蓑虫※蓑虫のきょうし作れと、なくならん
 68 三ウ2  忠に死たる塚に彳む       嵐雪│雑※ちゅうにしにたる、つかにたたずむ。
 69 三ウ3 初雪の石凸凹に凸凹に       其角│冬:初雪※はつゆきのいし、だくぼくに~
 70 三ウ4  小女郎小まんが大根曳ころ    才丸│冬・恋:大根引・女郎※こじょろ~だいこ~
 71 三ウ5 血をそゝぐ起請もふけば翻り    コ斎│雑・恋:起請※きしょう=起請文。ひるがえり
 72 三ウ6  見よもの好の門は西むき     素堂│雑※みよ。物ずきのもんはにし向き。
 73 三ウ7 御あかしの夜をさゝがにの影消て  清風│雑※明し=灯明。細蟹=蜘蛛。かげきえて。
 74 三ウ8  汗深かりしいきどほる夢     芭蕉│夏:汗※あせふかかりし、憤るゆめ。
 75 三ウ9 はらからの旅等閑に言葉なく    嵐雪│雑※同胞のたび、なおざりに、ことばなく。
 76 三ウ10  ふるごとさとる小夜の中山    其角│雑※古言(西行歌)ヲ悟る、さよのなかやま。
77☆○三ウ11 枝花をそむくる月の有明て     才丸│春:花※えだばなを、背向くる月のありあけて
 78 三ウ12  ふらこゝつらん何がしが軒    コ斎│春:鞦韆※鞦韆=ぶらんこ。蘇東坡春夜詩。
 79 三ウ13 谺して修理する船の春となり    素堂│春※こだまして、しゅりするふねの春と~
 80 三ウ14  立初る虹の岩をいろどる     清風│春:立初る虹※たちそむるにじの、岩を彩る。
 81 名オ1 きれだこに乳人が魂は空に飛    芭蕉│春:凧※切れ凧に、めのとがたまは空にとび。
 82 名オ2  麻布の寐覚ほとゝぎすなけ    嵐雪│夏:ホトトギス※あざぶのねざめ。時鳥鳴け。
 83 名オ3 わくら葉やいなりの鳥居顕れて   其角│夏:病葉※病葉や。稲荷のとりいあらわれて。
 84 名オ4  文治二年のちから石もつ     才丸│雑※ぶんじにねん(平安末)の力石ヲ持つ。
 85 名オ5 みだれ髪俣くゞりしと偽らむ    コ斎│雑・恋:乱れ髪※乱れ髪股潜りしといつわらん
 86 名オ6  礫にかよふこゝろくるはし    素堂│雑・恋:心狂※つぶてに、通う心ヲ狂わし。
 87○名オ7 三日の月影西須磨に落てけり    清風│秋:三日の月※みかの月、影西すまをおちて~
 88 名オ8  秋はものかはあげ捨の棟     芭蕉│秋※上げすてのむね=建てかけの家。
 89 名オ9 燈心をおへばかならず初嵐     嵐雪│秋:初嵐※とうしんを負えば、必ず初あらし。
 90 名オ10  只一眼もみちはひとすぢ     其角│雑※ただいちがん(一寸見)も、道は一筋。
 91 名オ11 特のくろきもさすが夕間暮     才丸│雑※こっとい(大きい牛)の黒きも、流石~
 92 名オ12  定家かづらの撓む冬ざれ     コ斎│冬:冬ざれ※定家葛の、たおむ=たれる
 93 名オ13 低く咲く花を八手と見るばかり   素堂│冬:八手の花※ひくくさく、はなをやつでと~
 94 名オ14  桶の輪入れの住ひいやしゝ    清風│雑※おけのわいれの すまい卑しし。
 95 名ウ1 ひだるさを鐚にかへたるこゝろ太  芭蕉│夏:心太※饑さをびたに=直に。こころぶと。
 96 名ウ2  瀧を惜ぬ不動尊き        嵐雪│夏:滝※たきをおしまぬ、ふどうハとうとき。
 97 名ウ3 聲なくてさびしかりけるむら雀   其角│雑※こえなくて、寂しかりける、群すずめ。
 98 名ウ4  出る日はれて四方静也      才丸│雑※いづるひはれて、よもしずかなり。
 99☆名ウ5 花降ば我を匠と人や言いはん    コ斎│春:花※はなふらば、われをたくみと、人や~
100 挙句   さくらさくらの奥深き園     執筆│春:桜※桜、桜の、おくふかきその。

書生line

虱は取り尽くしましたか。

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隠居

そうでしょうな。
俳諧の連歌、古式百韻ですな。初オが10句、名ウは6句です。何か気がつきますかな。

書生

はあ、……

隠居

帰庵直後の俳諧をみてはどうか。

書生

隠居

帰庵直後の俳諧をみてはどうか。

書生

原文・口語訳 ][ 旅程表 ][ 甲斐の山家芭蕉寄留先深川芭蕉庵 ][ 旅の後:千那宛書簡未稿1未稿2未稿3 ][ まとめ

未稿

未稿

書生line

まだありますか。

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隠居

芭蕉開眼の句はいかが。

書生

原文・口語訳 ][ 旅程表 ][ 甲斐の山家芭蕉寄留先深川芭蕉庵 ][ 旅の後:千那宛書簡未稿1未稿2未稿3 ][ まとめ

未稿

未稿

書生line

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隠居

書生

原文・口語訳 ][ 旅程表 ][ 甲斐の山家芭蕉寄留先深川芭蕉庵 ][ 旅の後:千那宛書簡未稿1未稿2未稿3 ][ まとめ

野ざらし紀行、講読の振返り
甲斐・深川・旅の後
書生line

「木曽路ではなく、東海道に予定を変更した」という説もあるんですね。

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隠居

熱田から鳴海に行くには、東海道を江戸に向っていきますから、それが自然ですからな。

書生

以前、歩行距離を調べました。

鳴海知足亭から谷村、都留市役所までの距離です。

先ず東海道ですが、富士宮経由で267キロ。

木曽路、甲州街道は301キロで、34キロ違います。

隠居

しかし、東海道からの距離は短いが、谷村は経路上になります。「甲斐の山家に立ち寄り」という芭蕉の表現に合いませんな。また、ずっと街道を行くことになりますから、山がつの句も解釈困難になります。

それに、大井川の馬越しは、士分のみ許されたから無理ですな。

書生

知足亭からは馬でしたね。

隠居

知足餞別句の解釈通り、馬でしたな。

書生

この馬、どうやって返すのでしょう。

隠居

心配ない。

知足は江戸に出荷していた酒造千代倉の主、千代倉の出店が江戸にある。

そこに返せばよい。

書生

なるほど。

夏草ばかり食べていた馬も、甲斐で麦を食えてよかったですね。

隠居

御馳走じゃな。

書生

芭蕉庵が焼けて、半年世話になった先に立ち寄ったわけですが、寄留したのは谷村ということに落ち着きました。結局手掛かりは、芭蕉の書き残したものだけでしたね。

隠居

そうですな。意外と記録がないものですな。芭蕉の表現だけが手掛かりでした。表現に沿って読むことの重要性が再確認できたわけです。

ただ、わしは「半年」とは思いませんな。講読中、話があちこちしてはと、触れていませんが、せいぜい夏の1,2か月でしょう。

書生

え?

隠居

火事は12月28日。立春前の厳寒のさ中ですよ。そんなときに谷村へは行きません。

書生

場合が場合ですよ。多少の寒さは。

隠居

いや、道中の問題です。寒い時期に谷村へ行くという経験がなかったことは、元禄5年の許六宛て書簡で分かります。


<略>

甲州旅立の事、寒気甚だしく御座候ふ間、春に成り候ふて然るべき由、人々も申し、甲斐の国便りにも雪など漸々重り(いよいよつもり)、凍風肌を稜すなど申し来り候ふて、冬道の程、一夜の草枕もくるしかるべき旨申し越し候ふ故、臆病神に驚され候ふて、とくとく春に相定め候ふ。

<略>
霜月十三日              芭蕉
許六雅丈


どうですか、人の意見で冬の甲州行きを諦めているでしょ。経験していないんですよ。

書生

野ざらしになってしまいますか。

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書生

隠居

は、……

原文・口語訳 ][ 旅程表 ][ 甲斐の山家芭蕉寄留先深川芭蕉庵 ][ 旅の後:千那宛書簡未稿1未稿2未稿3 ][ まとめ

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竹内 桑名 名古屋 東大寺二月堂 旅の後
吉野山 熱田2 京都、鳴滝
伊賀上野2 伏見
大津
水口


 

参考文献


 名称 編著者 出版 備考
1芭蕉紀行文集中村俊定校注岩波書店昭和46
2芭蕉連句集中村俊定・萩原恭男校注岩波書店昭和50
3芭蕉七部集中村俊定校注岩波書店昭和41
4笈の小文・更科紀行・嵯峨日記上野洋三編和泉書院平成20
5去来抄・三冊子・旅寝論潁原退蔵校訂岩波書店昭和14
6荘子金谷治訳注岩波書店昭和46
7都留市史、通史編都留市史編纂委員会都留市平成8
8奥細道菅菰抄高橋梨一(蓑笠庵)著共同出版明治42
9笈日記各務支考編著、小澤武二校訂春陽堂大正15
10枯尾華榎本其角編著文金堂元禄7
11江戸文学研究藤井乙男著内外出版大正10
12七部拾遺菊舎太兵衛編野田治兵衛享和3
13蕉風沼波瓊音著金港堂書籍明治38
14蕉門頭陀物語建部涼岱著嵩山房明治26
15蕉門頭陀物語 建部綾足著、馬琴編注馬琴写享和3
16蕉門俳諧続集勝峰晋風編日本俳書大系刊行会昭和2
17人生読本、第1巻芭蕉読本三木清等監修建設社昭11
18随斎諧話夏目成美著天青堂大正10
19雪まろげ河合曽良編俳書堂大正5
20日本俳書大系(芭蕉時代2)勝峰晋風編春秋社昭和9
21熱田三謌僊加藤暁台編菊舎太兵衛安永4
22芭蕉(日本文学者評伝全書)萩原蘿月 著青梧堂昭和18
23芭蕉と蕉門俳人大礒義雄著八木書店平成9
24芭蕉と谷村安富一夫著郡内研究10号平成12
25芭蕉の谷村流寓と高山麋塒小林貞夫著昭和56
26芭蕉翁絵詞伝蝶夢著、幸田露伴校注富山房大正15
27芭蕉翁句集評釈小林一郎著大同館書店大正13
28芭蕉翁全集佐々醒雪、巌谷小波校博文館大正5
29芭蕉翁全伝服部土芳撰、蓑虫翁直筆曰人写文化元
30芭蕉翁全伝川口竹人編、樋口功校注天青堂大正13
31芭蕉翁俳諧四部録菊舎太兵衛編秋田屋太右衛門他文政7
32芭蕉紀行全集樋口功編著京屋書店大正14
33芭蕉研究 樋口功 著文献書院大正12
34芭蕉講話潁原退蔵著出来島書店昭和19
35芭蕉書簡集萩原恭男校注岩波書店昭和51
36芭蕉書簡集俳書堂編俳書堂蔵版大正5
37芭蕉抄潁原退蔵編星林社昭和12
38芭蕉全集勝峰晋風編地平社昭和23
39芭蕉全集 前後与謝野寛等編日本古典全集刊行会大正15
40俳人芭蕉山崎藤吉著俳書堂大正5
41俳諧一葉集芭蕉撰、古学庵仏兮・幻窓湖中編文政10
42俳諧系譜逸話集勝峰晋風編日本俳書大系刊行会昭和2
43俳諧雑筆伊藤松宇著明治書院昭和9
44俳諧水滸伝遅月庵空阿著富山房明36
45評伝芭蕉天生目杜南著博文館明42
46評伝俳諧二百年史、元禄之巻斎藤渓舟著隆文館明治44
47不猫蛇越智越人著天青堂大正14
48本朝文鑑各務支考編著、若林寅四郎編注今古堂明治25
49蕉影余韻伊藤松宇編菊本直次郎昭和5
50幽蘭集加藤暁台編風月孫助寛政11
51俳諧歳時記栞草曲亭馬琴編、堀切実校注岩波書店平成12
52新校芭蕉俳句全集潁原退蔵編著全国書房昭和22