笈の小文 鳴海(道の日記・鳴海)

笈の小文 索引
序文序章鳴海保美熱田伊賀伊勢吉野高野奈良須磨箕面旅後
笈の小文 鳴海 索引
原文道の日記・鳴海講読道の日記鳴海
旅程深川芭蕉庵~<東海道>~鳴海知足亭
資料鳴海六俳仙11/7 歌仙「京まではまだなかぞらや雪の雲」菐言亭
11/8 歌仙「めづらしや落葉のころの翁草」知足亭11/9 歌仙「星崎の闇を見よとや」安信亭

鳴海まで


 芭蕉は、「道の日記」を語り、東海道経由鳴海に着く。
 芭蕉の出立から1日ごとに、芭蕉の行動と足跡をたどりつつ、笈の小文を読み進めていきます。
 このページでは、東海道の行程と、鳴海での俳諧興行の日程の解明、「星崎の」句の新解釈を試みています。


笈の小文

鳴海

段落区分 笈の小文、本文 備考
感想紀行

① 抑道の日記といふものは、紀氏長明阿仏の尼の、文をふるひ情を尽してより、余は皆俤似かよひて、其糟粕を改る事あたはず。まして浅智短才の筆に及べくもあらず。
② 其日は雨降昼より晴て、そこに松あり、かしこに何と云川流れたりなどいふ事、たれたれもいふべく覚侍れども、黄奇蘇新のたぐひにあらずば云事なかれ。
③ されども其処々の風景心に残り、山館野亭のくるしき愁も、且ははなしの種となり、風雲の便りともおもひなして、わすれぬ処々跡や先やと書集侍るぞ、猶酔ル者の妄語にひとしく、いねる人の譫言するたぐひに見なして、人又亡聴せよ。

↓ 「道の日記」へ

鳴海

詞書

 鳴海にとまりて

↓ 「『星崎の』句、安信亭・「京までは」句、菐言亭」へ

発句

 星崎の闇を見よとや啼千鳥

詞書

 飛鳥井雅章公の此宿にとまらせ給ひて、都も遠くなるみがたはるけき海を中にへだててと、詠じ給ひけるを、みづからかかせ給ひてたまはりけるよしをかたるに、

発句

 京まではまだ半空や雪の雲


「笈の小文」鳴海まで
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笈の小文、「道の日記」

書生

① そもそも、道の日記と云ものは、紀氏貫之・長明・阿仏の尼の∽ガ、文を振るひ情を尽くしてより、余よ=そのほかは、みな俤おもかげ、形式ガ似かよひて、其の糟粕そうはくを改むることあたはず。
 まして、私のような浅智短才の筆に、及ぶべくもあらず。

② 「其の日は雨降り、昼より晴れて、そこに松あり、かしこに何と云ふ川ガ流れたり」など云ふこと、たれたれも云ふべく覚え侍れども、黄奇蘇新(黄山谷の奇抜さ、蘇東坡の斬新さ)の類にあらずは、云ふことなかれ。
③ されども、其処々そこここの風景心に残り、山館・野亭の苦しき愁へも、且つは噺の種となり、風雲の便りとも思ひなして、忘れぬ処々、跡あと=後や先やと書き集め侍るぞ、猶ほ酔へる者の妄語ぼうご=妄言に等しく、い寝る人の譫言せんげん=うわ言するたぐひに見なして、人また妄聴適当に聞くことせよ。
隠居この文は、たいてい序章に分類されますが、出立して鳴海に付くまでの時間を埋めるものなので、鳴海の部に入れました。
前段の末尾「故ある人の首途するにも似たりと、いと物めかしく覚られけれ」、
ここで門出、出立となります。
書生そういえば、いきなり鳴海ですね。道中何々がありましたと書かず、この文を入れたと。
① 道の日記は、貫之・長明・阿仏尼に尽くされているし、
② 風光の描写は、黄山谷・蘇東坡にかぎる。
しかしながら、書かずにはいられないので、
③ 酔っ払いのたわ言やうわ言と、読み流してくれ。
ということですね。
隠居随分否定的でしょう。
書生そう言えば、徒然草の冒頭、「あやしうこそものぐるほしけれ」に近いものがありますね。
否定的だと、意図が見えにくいですね。単なる謙遜か、矜恃のようなものは、読み返してもみえてこない。ただ、
「其処々の風景……、山館・野亭の苦しき愁へ……、風雲の便りとも思ひなし」
これは、門弟へのメッセージ「風雅を読み取れ」という気持ちが見えてきます。
でも、貫之の「土佐日記」、長明の「東関紀行」(「長明作」は現在否定されていますが)、阿仏尼の「十六夜日記」と比べなくてもいいような。
隠居芭蕉は「道の日記」と言っていますが、紀行は日付がなくても、一応旅の順に地名が並んでいる必要がありましょう。
書生並んでいないんですか。
そう言えば、③に「跡や先やと書き集め侍る」とありますね。
隠居それで、日を追い、道を追って読み進めようと思う次第でしてな。
書生どういうことですか。
隠居

出立から、日付と場所を特定していくわけです。
出発は、貞享4年10月25日早朝、東海道経由で、鳴海知足亭到着は11月4日午後。
4日後にできればよい。わしは、万葉仲間と旅に出る。
これにて。

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笈の小文 「旅程 解説・凡例」
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隠居できましたか。
書生できました。
  • 年月日は、太陰暦です。
  • <足跡>は、出発地・経由地・経由街道・到着地を示しました。
  • 「移動・逗留」には、街道名や逗留地を示しました。
  • 「宿所」は、宿場や、宿泊所を示しました。
  • 「移動」は、移動距離をキロメートルで示しました。
  • 「左累計」は、深川芭蕉庵を起点とした移動距離の累計です。

時にご隠居、東海道を経由したで、よろしかったでしょうか。

隠居

足跡図足跡図もできましたな。
東海道ですな。
貞享4年作、次の句が証拠。
 一尾根はしぐるる雲か富士の雪
富士を間近に眺めています。
旅程表も、よくできました。
東海道の宿所は、何か資料がありましたかな?

書生いえ。鳴海宿までの距離346キロを、11日で割った推定ですから、まあ適当に。
隠居適して当たっているわけですな。
ほう、7日まで入っていますな。
書生鳴海到着からは、岩波の「芭蕉連句集」を参考にして、日と場所を拾って入れました。
隠居すばらしい。箱根越え以外は、ほとんど1日30キロ以上ですな。悪天候や川止めがあれば、こうはいきません。
一日ごとにすると、いろいろ見えてきますな。

旅程① 貞享4年10月25日~11月7日、深川~鳴海
<足跡>事項移動・逗留宿所移動左累計
貞亨41025「笈の小文」の旅に出立
<深川→日本橋-東海道→品川→川崎→程ヶ谷→戸塚>
東海道戸塚宿44.244.2
貞亨41026<戸塚→藤沢→平塚→大磯→小田原>東海道小田原宿40.284.4
貞亨41027<小田原→箱根>東海道箱根宿16.6101.0
貞亨41028<箱根→三島→沼津→原→吉原>東海道吉原宿38.4139.4
貞亨41029<吉原→蒲原→由比→興津→江尻→府中>東海道府中宿39.0178.4
貞亨41030<府中→鞠子→岡部→藤枝→島田→金谷>東海道金谷宿33.0211.4
貞亨4111<金谷→日坂→掛川→袋井→見附>東海道見附宿29.1240.5
貞亨4112<見附→浜松→舞阪→新居→白須賀>東海道白須賀宿39.8280.3
貞亨4113<白須賀→二川→吉田→御油→赤坂→藤川>東海道藤川宿32.7313.0
貞亨4114<藤川→岡崎→池鯉鮒→鳴海知足亭>東海道知足亭32.8345.8
貞亨4115

<鳴海宿本陣、寺島菐言(ぼくげん)亭七吟歌仙
 京まではまだなかぞらや雪の雲
-芭蕉・菐言・知足・如風・安信・自笑・重辰

[ 歌仙「京までは」へ ↓ ]

菐言亭知足亭0.8346.6
貞亨4116

<鳴海、如意寺如風亭>七吟歌仙
 めずらしや落葉のころの翁草
-如風・芭蕉・安信・重辰・自笑・知足・菐言

[ 歌仙「めずらしや」へ ↓ ]

如風亭知足亭1.0347.6
貞亨4117

<鳴海 寺島安信亭>七吟歌仙
 星崎の闇を見よとや啼く千鳥
-芭蕉子・安宣(安信)・自笑・寂照(知足)・菐言・如風・重辰

[ 歌仙「星崎の」へ ↓ ]

安信亭安信亭1.7349.3
貞亨4118<鳴海安信亭→熱田、桐葉亭>東海道桐葉亭5.6354.9
貞亨4119<熱田→鳴海、知足亭>三吟(6句)
○置炭や更に旅とも思はれず
-越人・寂照・翁
東海道知足亭7.3 362.2

※ 8・9日分は、講読により追加した。

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「笈の小文」鳴海
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鳴海六俳仙

隠居鳴海を見て参った。
書生はあ、旅は鳴海でしたか。
隠居名古屋城、熱田神宮、鳴海、蒲郡、伊良湖と二泊三日で巡った。
書生蒲郡って、芭蕉は行ってないですよね。
隠居安礼の崎

万葉遠足の目的地が蒲郡でしてな。
「いづくにか 船泊てすらむ 安礼の崎 漕ぎたみ行きし 棚無し小舟(高市黒人)」
巻一にある、実に調べのよい歌であります。
写真中央が曙の竹島、なんと、橋で渡れますぞ。安礼の崎と言われている所は、竹島の右手向こう。
この曙の景色は、クラシックホテルからしか見られん。
やんごとなき方もお泊まりになるロイヤルスイートルーム、由緒あるホテルです。

書生へえ。ロイヤルスイートルームに泊まられたんですか。
隠居

いや、年金目減りの御時節、その下の部屋が取ってあった。景色はほぼ変わらん。
本題の鳴海じゃが、先ず千鳥塚へ行き申した。
ここには、類い希な芭蕉塚が、ありましてな。

書生類い希と、仰せられますと。
隠居千鳥塚前面

先ずは、芭蕉真筆。
中央に「千鳥塚」、右に「武城江東散人」、
左に「芭蕉桃青」とな。
 
石に刻まれた芭蕉の碑は、全国に2千とも3千とも言われています。
しかし、芭蕉が書いた筆を基にするものは、これだけです。
 と、「類い希」ではない。「類いなし」と訂正する。
恐れ入ってよいと存ずる。

書生恐れ入りましたが、「先ず」と仰せられましたが。
隠居千鳥塚左面

いかにも。
さらに、芭蕉存命中の碑であること。
存命中の碑は、ここだけですな。
左側面に、「貞享四丁卯年十一月日」とあって、辛うじて読める。
「星崎の闇を見よとや啼千鳥」と読んだのが、貞享4年11月7日でした。
場所は寺島安信安宣の屋敷、千鳥塚がある鳴海の三王山の頂でな。
今は、「千句塚公園」として整備され、子供が野球のできるグランドもある。
高さは10階建てのビルぐらいかな。
キャメラと三脚を担いで登るのはつらかったぞよ。

書生「千句塚公園」ですか。「千鳥塚公園」ではないんですね。
隠居

そのことだが、碑の裏に「千句塚」とありましてな。
逆光でも字が明瞭に映っておりましょう。

千鳥塚

書生

大したものです。
ただ、私には「子勺塚」に見えますが。

隠居

いや、「千句塚」。
「千」の行書は「子」に見えるが、第二画のはねが「子」とは違う。「句」の字の「口」は、「ゝ」のように略されます。

書生

そうですか。
下に書かれているのは?

隠居六俳仙名前

鳴海六俳仙。
右から、「知足軒寂照、寺島菐言、同 安信、出羽守自笑、児玉重辰、沙門如風」とある。
自然石の凹凸に合わせ、「知足ちそく」の二文字が細くなり、左に寄っているのが分かる。
知足は、酒造千代倉の二世当主で、下里金右衛門、俗称は勘兵衛。
三世から「下里」は「下郷」に替えている。
寛永17年の生まれなので、この貞享4年は48歳です。
ちなみに、芭蕉は44歳。

書生「寂照じゃくしょう」とあるので僧侶かと思いましたが、酒造でしたか。
隠居千代倉

いわゆる在家であるが、剃髪し「寂照」を名乗るのは、お内儀の逝去を機にされたらしい。
「知足」という俳号も、「吾唯知足(吾ただ足るを知る)」からだな。遺教経に「知足を観ずべし」とある。禅門の教えですな。
竜安寺の茶室蔵六庵ぞろくあんの蹲踞に、「口」を中心に「五・隹・そうにょう(疋のあしのみ)・矢」」と刻まれておって名高いので、ご存じでしょう。
千代倉の風情ある建物が残されていました。
お主への土産に、千代倉の銘酒「玉の井」を進ぜようと思ったが、今はないとのことであった。

書生それは残念。愛知なら「九平次」か「万菊」でよかったのに。
隠居本陣跡

土産は、千代倉の酒ということに意味がある。それが叶わぬとあっては、「吾唯知足」という4字を味わうべきである。
さて、寺島菐言ぼくげん。この人は、鳴海宿本陣の当主で伊右衛門という。このとき43歳。
本陣の「桝屋」は、千代倉から旧東海道に沿って西方300メートルくらいでした。
今は、本陣跡の一角に山車倉があって、本陣の説明看板がある。
間口は39メートルもあったとのことです。20間以上ありますな。
知足の母は本陣の娘、夫没後は永参尼を名乗っています。

書生すると、知足と菐言とはいとこの関係ですか。
隠居いや、菐言は、永参尼の弟らしい。
書生年の離れた弟ですか。すると知足とはおじ甥の関係ですね。
隠居

然り。
また、安信やすのぶ=安宣も菐言の弟だから、やはりおじ甥。安信は、この年41,2歳。
安信、すなわち寺島嘉右衛門は、若くして酒田に出向いておりましたが、27、8歳で鳴海に戻り、体調不良の知足から、鳴海宿の問屋場を引き継いでいます。
問屋場は、幕府の者や大名の旅に必要な馬や人足を用意したり、荷物を次の宿場まで運んだりする業務をするところですから、本陣とは密接な関係があるわけです。

書生なるほど。
隠居

出羽守自笑は、刀鍛治岡島佐助。刀匠、出羽守氏雲と名乗り、刀剣一振が、成海神社の神宝となっています。

書生「出羽守」ですか。安信も出羽の酒田でしたよね。つながりますか?
隠居

うむ。
ちと、長くなります。
実は、下里家、寺島家ともに酒田に縁がありましてな。
知足の姉が、山崎村(今は名古屋市南区呼続)の青山家に嫁ぎ、知足の子が養子に出ています。その青山家から出た青山半右衛門が、漆山代官所の手代でしてな。

書生漆山って、山形の。
隠居

然り。
山形から最上川を下ったところに酒田がある。江戸へ送る年貢米は、酒田に集積し、江戸に送られたので、青山半右衛門は、頻繁に酒田へ行っています。
当時、河村瑞賢により西回り航路が開かれ、酒田に御城米浦役人が置かれていました。……浦役人というのは、年貢米の監督指揮に当たる役じゃな。
その浦役人になったのが、酒田の船問屋、寺島伊左衛門、またの名を彦助と言う。

書生

おや、伊左衛門。
伊右衛門と関係ありそうですね。

隠居

うむ。正に伊右衛門、則ち菐言の弟である。歳は3歳下。
この伊左衛門、俳号を安種という。
この浦役人就任を、書簡で知足に伝えたのが、青山半右衛門であった。

書生はあ。
隠居

「はあ」とな。かの寺島安種である。
まあ、お主は「奥の細道」を講読しておらぬゆえ、無理からぬこと。
「涼しさを海に入れたる最上川」、この句は、安種亭で詠まれたものであります。

書生

「暑き日を海に入れたり最上川」の原形ですね。
では、芭蕉は安種亭を訪れた。

隠居

如何にも。
安種亭は、最上川の河口、今の酒田本町郵便局の敷地にありました。

書生

はあ。
で、出羽守自笑はどうなりました。

隠居

おお、そうであったな。
下里家、寺島家ともに出羽の国と深い縁があったことはお分かりかな。
従って、知足らが、鳴海で、出羽の刀匠の面倒をみておったとしても、何ら不都合はない。

書生あら、根拠を示されない。
隠居如意寺

現地踏査でも、分からぬことがある。
後進の研究を待つのみである。
 
あと二人。
児玉重辰、この人も問屋場をしておりました。
本陣の北にある花井町ですな。
 
沙門如風。この人は、沙門を名乗るとおり僧侶です。
如意寺は曹洞宗の寺で、咳地蔵、蛤地蔵で有名な古刹である。本陣の、すぐ斜向かいにある。

書生

おお、六人になりました。

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笈の小文「鳴海」 「星崎の闇」安信亭、「京までは」菐言亭

隠居では、本文。
書生④ 鳴海に泊まりて
⑤ 星崎のやみを見よとや啼千鳥
⑥ 飛鳥井雅章公の、この宿に泊まらせ給ひて、「都も遠くなるみがたはるけき海を中にへだてて」と詠じ給ひけるを、自ら書かせ給ひて、賜りける由を<亭主が>語るに、
⑦ 京まではまだなかぞらや雪の雲
隠居

右の足跡図を見ながら読むとよいでしょう。
ただ、自笑や重辰の住まいが分からないので、許されよ。
芭蕉が泊まったのは、知足亭。知足は、千代倉という造り酒屋の当主で富豪。千代倉は、摂津・和泉の酒造に次ぐ江戸積酒造、江戸麹町にも支店がありました。

既に、芭蕉は野ざらしの旅の帰りに、泊まっています。
知足の母の弟が、年下のおじ菐言で、鳴海本陣の当主。
⑥で、書いたものをもらったのが主人の菐言。

鳴海足跡

書生

なるほど……
ちょっと待ってください。
旅程表の日付順でいくと、「京まで句」が「星崎句」の前ですね。
それに、④⑤⑥と読んでいくと、「芭蕉が泊まった宿に、飛鳥井公が泊まった」となりますね。

隠居

そう、勘違いしやすいな。
お主「やど」と読んだが、「この宿」の「この」が指示する内容は、本文にない。
⑥の「宿」は、「しゅく」と読まねば解けぬ。宿は、鳴海宿を指す。
4日から、芭蕉が泊まったのは知足亭、知足が日記にちゃんと書いています。
飛鳥井公が泊まったのは本陣で、芭蕉が泊まった知足亭ではない。その本陣の主が菐言じゃ。
⑦の句は、5日に、「寺島菐言亭で、飛鳥井公の歌が掛かっているのに和して詠んだ」と、如行が書いている。
その歌、飛鳥井公が、勅使として初の東下向のときで、初句を補うと、
 今日はなほ都も遠くなるみがた 遥けき海を中に隔てて
である。

書生その自筆の書を菐言が賜った経緯を、話した。
芭蕉は、この歌を読んで、⑦の句を詠んだ。
隠居そう。で、あたかも飛鳥井公であるかのような心情になって、自分の句を詠んだ。
書生飛鳥井公は、来た道を振り返っているが、芭蕉は行く方向を見ています。
飛鳥井公と京との間には「遙けき海」、芭蕉と京との間には「雪の雲」です。
隠居

それが、5日。
6日は如意寺住職の如風の所で興行。発句は如風。
7日に本陣寺島家の分家安信の屋敷で興行。これが「星崎句」。
確かに本文は、配列が違うが、読む上での問題はない。

書生本陣つながりですね。
千鳥が、「星崎の闇を見よ」と啼いているんですね。
闇が見えますか?見えたら闇じゃない。
俳諧で闇と言うと、月のない夜。この日の月は上弦のはず。夜半から興行したのか……と。
隠居

理屈や観念で句は味わえませんぞ。知足の日記には「夜まで」とあって、夜半からではない。
これは、立句じゃ。鳴海の安信亭で、知足が「あいにく今夜は月が無い」と恐縮した際の句。
俳諧で無月は、朔月や沈んだとかではなく、出ているのに、雲かなんかで見えないということ。
見晴らしのいいところにいるのに、見えなくて残念ということですな。

書生……、千鳥の声、波の音。千鳥も海も見えない。
隠居聴いておるか?
書生聴いてますよ。……、ちょっと寝不足なもんで。
隠居

星崎は、鳴海潟を挟んで、鳴海の安信亭の対岸にある。
貴殿につぶさに見せんと、西の眺望を撮って参ったが、見ての通りでな。24㎜広角、3枚連写の合成ではあるが、昼は建物しか写らん。夜ならば、星崎の闇が写りしものを。
左三分の一、茶の建物の奥に星崎城があって、その手前右一帯が星崎。

星崎

足跡図の「星崎城址」の右側を見られよ。
星崎から鳴海潟を渡った右手にに安信亭。縦に長く引いて、ぐるっと曲がる辺りに菐言亭、 その右近くに知足亭。
縦長の「て」の字になるじゃろ。これが当時の東海道。
安信亭のある小高い三王山さんおうやまの西側を見下ろすと、鳴海潟。
その対岸に星崎という次第。

書生

はい、読めてきました。
今は明るいので星崎が見えていますが、今夜は雲で月が隠れているでしょうから、星崎の闇を見よと言うのですか。
折しも、千鳥が、「チチ、チチ」とか「チヨチヨヤチヨ」とか鳴いていますね、か。

隠居

明るいうちとはな。

書生いやいや、千鳥は本来昼に鳴く鳥です。夜は鳴きません。万葉時代から、「さ夜ふけて」とか夜に鳴かしているのは、文学的虚構です。
脇は、亭主安信の、
 船調ふる蜑の埋火
ですね。
「星崎へは、いつでも行けるよう船は調え、炬燵も用意されている」と、添えています。
夜に船は出ません。脇は発句の同時分ですから、夜じゃありません。これも証拠です。
隠居

むむ。

書生はい。
隠居

この日は、安信亭に泊まる。翌日は星崎を通って熱田桐葉亭に行くわけだから、ここが近い。
ここからなら1里半、越人を迎えるためですな。

書生越人ですか?
隠居

保美の段で触れる。
とにかく越人が熱田桐葉亭に来る。

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如行の記録

隠居ところが、
 一里半ゆくとおもはぬ冬野哉
これは、11月7日の桐葉句です。越人を案内して、ほれ、一里半です。鳴海へ急いでいますな。
書生はあ。
隠居この桐葉句、「如行集」に出てましてな。これは、大垣の如行が、12月1日木因の俳友桐葉のところに来ていまして、芭蕉が来た11月5日から、句文を写し取り、自身が大垣に帰るまでを記録したものです。
書生はい。
隠居同じく7日に、熱田へ向かう芭蕉への餞別句を採集しています。
  翁をおくつて
 我をしめすことはりいかに雪の道 如風
 裾の雪払ふに付けて名残かな   自笑
 名残みん楽書うづむ橋の霜    安宣安信
 薦くつの跡をのみにぞ道の雪   菐言
 君によりしる呼続よびつぎの千鳥かな  寂照

ここに出る橋は、安信亭の東にある東海道の天白橋。順はよく分からぬが、星崎・笠寺・呼続・寝覚・松風を経由して熱田に向かうわけです。
書生では、途中で出会いますね。
隠居合うでしょうな。
芭蕉は歌仙を巻いてからですから、早くてお昼の出発。越人は熱田まで2里ですから、午前中に熱田着。桐葉が身支度をしますから、お昼頃の出発ですね。
書生途中で出会って、熱田へ行きますね。芭蕉は餞別句をもらってすぐ帰れませんからね。
隠居まあな。それに、保美へ向かうのは10日です。この日鳴海へ戻っては、9日出発になって、記録と合わなくなる。
「知足書留」、11月9日に、
  寂照庵に旅寝して
 置炭や更に旅とも思はれず   越人
  雪をもてなす夜すがらのまつ 寂照
 海士の子が鯨を告る貝吹て   芭蕉

と、あります。
これは二巡の表六句ですが、「如行集」にはありません。「如行集」5から7日分は、次項「資料」に加えてください。
「8日、桐葉亭泊」、「9日、知足亭泊」です。また、8・9日分の旅程を加えておきましょう。
越人の登場については、次の段「保美」で触れます。
書生はい。知足亭に戻った訳は何でしょう。
隠居鳴海は、熱田から東海道経由で保美へ行く途上にありますし、馬を借りることもできますからな。
書生馬?
隠居安宣、重辰は問屋場の主ですぞ。千代倉にも荷馬・自家用馬はありましょう。

資料

俳諧

歌仙「京までは」、 11月5日、菐言亭 歌仙「めづらしや」、11月6日、知足亭


01 京まではまだなかぞらや雪の雲    芭蕉
02  千鳥しばらく此海の月       菐言
03 小蛤ふめどたまらず袖ひぢて     知足
04  酒氣(さかけ)さむればうらなしの風 如風
05 引捨し琵琶の嚢(ふくろ)を打はらひ 安信
06  僕はおくれて牛いそぐ也      自笑
07 ふたつみつ反哺の鴉鳴つるゝ     重辰
08  明日の命の飯(めし)けぶりたつ  安信
09 わたり舟夜も明がたに山みえて    自笑
10  鐘いくところにしかひがしか    芭蕉
11 其すがた別の後も一わらひ      知足
12  なみだをそへて鄙の腰折      菐言
13 髪けづる熊の油の名もつらく     芭蕉
14  身に瘡出て秋は寝苦し       如風
15 鉤(こ)簾の外にたばこをたゝむ月の前 安信
16  楊枝すまふのちからあらそひ    知足
17 小袖して花の風をもいとふべし    重辰
18  こがるゝ猫の子を捨てて行く    安信
19 うき年を取てはたちも漸過ぬ     知足
20  父のいくさを起ふしの夢      芭蕉
21 松陰にすこし草ある波の聲      自笑
22  翅(つばさ)をふるふ鳰ひとつがひ 菐言
23 しづかなる亀は朝日を戴きて     安信
24  三度ほしたる勅のかはらけ     自笑
25 山守が車にけづる木をになひ     芭蕉
26  燧(ひうち)ならして岩をうちかく 知足
27 瀧津瀬に行(おこな)ふ法の朝嵐   如風
28  狐かくるゝ蔦のくさむら      自笑
29 殿やれて月はむかしの影ながら    菐言
30  老かむうばがころも打音      芭蕉
31 ふすぶりし榾(ほだ)の煙のしらけたる 重辰
32  陣のかり屋に碁を作る程      安信
33 山更によこほりふせる雨の脚     如風
34  氣をたすけなんほとゝぎす鳴ケ   知足
35 花盛文をあつむる窓閉(とじ)て   菐言
36  御燈(ごとう)かゝぐる神垣の梅  執筆

はせをの翁を知足亭に訪ひ侍りて
01 めづらしや落葉のころの翁草     如風
02  衛士の薪と手折る冬梅       芭蕉
03 御(み)車のしばらくとまる雪かきて 安信
04  銭を袂にうつす夕月        重辰
05 矢申しの聲ほそながき荻の風     自笑
06  かしこの薄爰(ここ)の筿(しの)庭 知足
07 岡野辺にこゝろを外の家立てて    菐言
08  妾(しょう)がなつけしひよこ鳴なり 安信
09 木綿機はてぬ泪にぬらしける     如風
10  とはん佛の其日ちかづく      知足
11 白雲をわけて故郷の山しろし     自笑
12  はなてる鶴の鳴かへる見ゆ     芭蕉
13 霜覆ひ蘇鉄に冬の季をこめて     安信
14  煤けし額の軒をもる月       重辰
15 秋やむかし三ツにわけたる客とかや  知足
16  いろいろ置る夕ぐれの露      如風
17 散レとこそ蓑着てゆする花の陰    安信
18  痩たる馬の春につながる      重辰
19 米かりに草の戸出る朝がすみ     芭蕉
20  山のわらびをつゝむ藁づと     安信
21 我恋は岸を隔つるひとつ松      如風
22  うき名をせむるさゞ波の音     自笑
23 けふのみと北の櫓の添ぶしに     知足
24  琵琶にあはれを楚の歌のさま    菐言
25 色白き有髪の僧の衣着て       芭蕉
26  疊に似たる岩たゝみあげ      重辰
27 柱引く御代のはじめのうねび山    菐言
28  さゝらにけづる伊勢の濱竹     芭蕉
29 貝のから色どる月の影清く      重辰
30  部屋にやしなふ籠の松虫      安信
31 匂へとぞ鉢に植たる菊かりて     芭蕉
32  母のいのちをちかふ初霜      重辰
33 羊啼くその曉のあさあらし      自笑
34  外山の花の又夢に咲く       知足
35 日はながく雨のひらた(舟)に笘葺て 安信
36  鳫のなごりをまねくおのおの    菐言

歌仙「星崎の」、 11月7日、安信亭「如行集」12月6日書

01 星崎の闇を見よとや啼千鳥      芭蕉
02  船調ふる蜑(あま)の埋火     安信
03 築山のなだれに梅を植かけて     自笑
04  あそぶ子猫の春に逢つゝ      知足
05 鷽(うそ)の声夜を待つ月のほのか也 菐言
06  岡のこなたの野邊青き風      如風
07 一里の雲母(きらら)ながるゝ川上に 重辰
08  祠さだめて門(かど)ぞはびこる  菐言
09 市に出てしばし心を師走かな     知足
10  牛にれかみて寒さわするゝ     安信
11 籾臼の音聞ながら我いびき      如風
12  月をほしたる螺(ほらがい)の酒  芭蕉
13 高紐に甲(かぼと)をかけて秋の風  自笑
14  渡り初する宇治の橋守       如風
15 庵造る西行谷のあはれと(訪)へ   知足
16  啄木鳥たゝく杉の古枝       安信
17 咲花に昼食(ひるげ)の時を忘れけり 重辰
18  山も霞むとまではつゞけし     知足
19 辛螺(にし)がらの油ながるゝ薄氷  如風
20  角(つの)ある眉に化粧する霜   芭蕉
21 松宵の文を喰さく帳(ちょう)の内  菐言
22  寝られぬ夢に枕あつかひ      如風
23 罪なくて配所にうたひ慰まん     安信
24  庶子(そし)にゆづりし家のつり物 知足
25 式日の日はかたぶきてこゝろせく   如風
26  あさくさ米(ごめ)の出る川口   重辰
27 欄干に頤(おとがい)ならぶ夕涼   芭蕉
28  笠持テあふつ螢火の影       自笑
29 初月に外里の娵(よめ)の新通ひ   知足
30  薄はまねく荊(いばら)袖引く   芭蕉
31 朝霧につらきは鴻の觜(はし)ならす 重辰
32  あかがねがはら(瓦)なめらかにして 自笑
33 氏人の庄薗多キ花ざかり       菐言
34  駕籠幾むれの春とゞまらず     如風
35 田を返すあたりに山の名を問て    安信
36  かすみの外に鐘をかぞふる     執筆

貞享四年卯十一月五日

 鳴海寺島氏菐言亭に飛鳥井亜相の
 御詠草のかゝり侍し歌を和す。
  京まではまだ半天や雪の雲    芭蕉
   千鳥しば鳴此海の月      菐言
  小蛤ふめどたまらぬ袖ひぢて   寂照


おなじ六日

 鳴海如意寺会
  めづらしや落葉分ぬる翁草    如風
   衛士の薪と手折冬梅      芭蕉
  御車の暫くとまる雪かきて    安宣

同七日
 鳴海

 寝覚は松風の里、
 呼続は夜明けてから、
 笠寺は雪の降日
  星崎の闇を見よとや鳴千鳥    芭蕉


 翁をおくつて
  我をしめすことはりいかに雪の道 如風
  裾の雪払ふに付けて名残かな   自笑
  名残みん楽書うづむ橋の霜    安宣
  薦くつの跡をのみにぞ道の雪   菐言
  君によりしる呼つぎの千鳥かな  寂照

 翁、鳴海の宿までおはしはべるよし聞て、
 急ぎまかりける道にて
  一里半ゆくとおもはぬ冬野哉   桐葉

※ 寂照=知足。安宣=安信。

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笈の小文、講読の振返り
 
03 鳴海(道の日記・星崎)
書生

ご隠居の鳴海探訪のお蔭で、当地の俳人たちのことがよく分かりました。
地酒に勝る何よりの土産と、感謝申し上げます。

隠居

殊勝である。
足るを知ったようで、目出度いことじゃ。

書生

本文に記述はありませんが、江戸から鳴海までの旅は順調だったことが把握できました。
それと、「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」は、明るいうちに読んだ句として味わうことができました。

隠居

今宵の君は、冴えておったな。

書生

今宵限定で、しかも過去形ですか?

隠居

失敬。
7日の吟と推定できたのも、成果かも知れん。
君の行程表のおかげじゃ。
10月25日、江戸出立から、11月7日鳴海、寺島安信亭まで、日毎の足跡を示すことができたな。

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