笈の小文 熱田(鳴海~熱田~蓬左)

笈の小文 索引
序文序章鳴海保美熱田伊賀伊勢吉野高野奈良須磨箕面旅後
笈の小文 熱田 索引
原文熱田・蓬左旅程鳴海~熱田~蓬左
講読熱田御修覆 ~ 旅寝してみしやうき世の煤はらひ
資料11/16 六句「やき飯や」鳴海11/17 歌仙「笠寺や」鳴海・書簡「笠寺奉納の発句」
11/18 四句「幾落葉」鳴海11/19 大高長寿寺11/20 三句「面白し」鳴海
11/下 付合「薬のむ」熱田11/22 越人書簡11/24 歌仙「磨なほす」熱田
11/24 知足宛書簡11/26 三十句「凩の」蓬左11/28 歌仙「ためつけて」蓬左
12/01 歌仙「旅人と」熱田12/1 落梧・蕉笠宛書簡12/3 六句「霰かと」蓬左
12/3 発句「いざ出でむ」蓬左風月亭12/4 歌仙「箱根越す」蓬左聴雪亭
12/上 二十四句「露凍てて」蓬左12/9 半歌仙「旅寝よし」蓬左12/13 杉風宛書簡

鳴海・熱田・蓬左


 芭蕉は、伊良湖から戻り、鳴海・熱田・蓬左(=当時の名古屋)で、俳諧の興行を重ね、伊賀へと旅立つ。

 このページでは、凝縮された笈の小文の本文を、俳諧作品でふくらませつつ味わい、興行場所を元に足跡をたどり、岐阜蕉門とのかかわりもとらえていきます。また、このころから始まる芭蕉の体調の変化を、事実に基づいて講読します。



笈の小文

熱田・蓬左(名古屋)

段落区分笈の小文、本文備考

熱田

 ・

蓬左

熱田 熱田御修覆

↓ 「熱田・蓬左」へ

↓ 俳諧「磨なほす」へ

 磨なをす鏡も清し雪の花
蓬左 蓬左の人々にむかひとられて、しばらく休息する程、

↓ 「熱田・蓬左」へ

↓ 歌仙「箱根越す」へ

 箱根こす人も有らし今朝の雪

 有人の会

↓ 「熱田・蓬左」へ

↓ 俳諧「ためつけて」へ

↓ 句「いざ出でむ」へ

 ためつけて雪見にまかるかみこ哉 
 いざ行む雪見にころぶ処まで
 ある人興行

↓ 「熱田・蓬左」へ

 香を探る梅に蔵見る軒端哉

 此間美濃大垣岐阜のすきものとぶらひ来りて、歌仙あるは一折など度々に及。

↓ 「熱田・蓬左」へ

↓ 「落梧・蕉笠宛書簡」へ

 師走十日余、名ごやを出て旧里に入んとす。

↓ 「熱田・蓬左」へ

↓ 「杉風宛書簡」へ

 旅寝してみしやうき世の煤はらひ

笈の小文 「旅程 鳴海・熱田・名古屋」
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隠居旅程表は、いろいろ入って、ずいぶん縦に伸びておりますな。
書生鳴海・熱田・名古屋と、随分興行していました。
伊良湖の後は鳴海ですが、笈の小文では省略されています。
俳諧の興行は、リンクしてありますから、ジャンプできます。
〒印は、書簡です。これもジャンプできます。
隠居 一か月弱、尾張に留まっているから、俳諧や書簡が、参考になるでしょう。
旅程③ 貞享4年11月16日~12月13日、鳴海~熱田~蓬左
<足跡>事項移動逗留宿所移動左累計
貞亨41116<藤川宿→鳴海知足亭>
鳴海知足亭で興行。
「やき飯や」三吟表六句
-寂照(知足)・芭蕉・越人-
東海道知足亭32.8 561.3
貞亨41117越人、蓬左桑名町の自宅に帰る。
知足亭で興行。
「笠寺や」七吟歌仙
-芭蕉・知足・如風・重辰・安信・自笑・菐言-

〒貞享4年春、寂照(知足)あての手紙
「笠寺の発句奉納について」
知足亭知足亭-561.3
貞亨41118名古屋から、荷兮・野水が知足亭に来る。
知足亭で興行。
「幾落葉」四吟4句
-荷兮・芭蕉・寂照・野水-
知足亭知足亭-561.3
貞亨41119鳴海大高の鷲巣山長寿寺(臨済宗)へ参詣
※この寺は、桶狭間の闘いで焼失、この5年前再建されている。大高城主菩提寺。
大高長寿寺知足亭3.8 565.1
貞亨41120鳴海自笑亭で興行。
「面白し」三吟3句。
-芭蕉・自笑・知足-
鳴海自笑亭知足亭0.8 565.9
貞亨41121熱田桐葉亭に移る。
体調不良で薬をのむ。
「薬のむ」両吟2句(11月21~23日)
-芭蕉・起倒-
熱田桐葉亭7.3 573.2
貞亨41122 〒越人から手紙「来名の催促」熱田桐葉亭-573.2
貞亨41123-熱田桐葉亭-573.2
貞亨41124

桐葉と熱田神宮参詣。
桐葉亭で興行。

「磨なほす」両吟歌仙。
-芭蕉・桐葉-

 

〒知足あて手紙
「礼、指導のこと、予定、発病、桐葉との両吟など」

熱田桐葉亭2.0 575.2
貞亨41125名古屋丸の内、山本荷兮亭に移る。荷兮亭荷兮亭6.4 581.6
貞亨41126

岐阜の落梧(らくご)・蕉笠(しょうりつ)来訪。
名古屋荷兮亭で興行。

「凩の」七吟30句。
-落梧・芭蕉・荷兮・越人・蕉笠・舟泉・野水-

荷兮亭荷兮亭-581.6
貞亨41127-荷兮亭荷兮亭-581.6
貞亨41128名古屋昌碧亭で興行。

「ためつけて」八吟歌仙
-芭蕉・昌碧・亀洞・荷兮・野水・聴雪・越人・舟泉-

昌碧亭荷兮亭1.0 582.6
貞亨41129-荷兮亭荷兮亭-582.6
貞亨4121

大垣から如行が来訪している熱田桐葉亭へ。
桐葉亭で興行。

「旅人と」三吟、半歌仙。
-如行・芭蕉・桐葉-

 

〒落梧・蕉笠あて手紙
「礼、岐阜訪問、素堂餞別、他について」

桐葉亭桐葉亭6.4 589.0
貞亨4122如行を伴い荷兮亭へ荷兮亭荷兮亭6.4 595.4
貞亨4123

名古屋風月堂夕道宅で興行。

「霰かと」五吟、表六句
-如行・夕道・荷兮・野水・芭蕉-

 

「いざ出でむ」の一句を夕道に贈る。

本町風月亭荷兮亭1.6 597.0
貞亨4124

美濃屋聴雪亭で興行。

「箱根越す」六吟歌仙。
-芭蕉・聴雪・如行・野水・越人・荷兮-

聴雪亭聴雪亭0.5597.5
貞亨4125

荷兮亭にもどる。

如行、大垣に帰る。

荷兮亭荷兮亭0.5598.0
貞亨4126

名古屋昌圭亭で興行。

日付不詳(12月5~12日の内)
「露凍てて」の十吟24句
-芭蕉・鏡鶏・一蕪・斧鎮・重五・似朴・盛江・扇也・藤音・荷兮-

昌圭亭荷兮亭1.0599.0
貞亨4127-荷兮亭荷兮亭-599.0
貞亨4128-荷兮亭荷兮亭-599.0
貞亨4129

名古屋一井亭で興行。

「たび寝よし」七吟、半歌仙
-芭蕉・一井・越人・昌碧・荷兮・楚竹・東睡-

一井亭荷兮亭1.0 600.0
貞亨41210-荷兮亭荷兮亭-600.0
貞亨41211

名古屋防川亭で興行。

日付不詳(12月10~12日の内)
香を探る梅に蔵見る軒端哉
-巻の内容及び連衆は不詳-

荷兮亭荷兮亭-600.0
貞亨41212-荷兮亭荷兮亭-600.0
貞亨41213

〒杉風あて手紙
「安否伺い、近況、『旅寝して』など」

丸の内荷兮亭-600.0
※宿泊は、俳諧興行先の可能性がある。断定する資料があれば修正していく。
※昌碧亭・聴雪亭・昌圭亭・一井亭については、場所が特定できるまで、往復1キロとしてある。

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笈の小文 「鳴海・熱田・蓬左」
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笈の小文、「熱田・蓬左」

書生 熱田御修覆みしゅうふく=御修復>
 磨なほす鏡も清し雪の花 

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 蓬左の人々に迎ひ迎え取られて、しばらく休息するほど、
 箱根こす人も有らし今朝の雪 

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 有る或る人の会
 ためつけて雪見にまかるかみこ哉 ※矯め付け(しわ・折り目を直す)

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 いざ行む雪見にころぶ処まで 

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 ある人興行
 香を探る梅に蔵見る軒端哉
 この間、美濃大垣・岐阜の数寄者すきもの、風流人ガとぶらひ来りて、歌仙あるは或いは一折ひとおりなど、度々に及ぶ。
 師走十日余、名古屋を出でて、旧里伊賀上野に入らんとす。
 旅寐してみしやうき世の煤はらひ 

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隠居、野ざらし紀行での熱田さん、覚えておるかな?
書生 あの「あったさん」って?
隠居

「あつたさん」。

親しみを込めて、「あったさん」となる。

「松坂屋」は、「まっつぁかや」とな。

「さん」は、敬称。伊勢の神宮は、お伊勢さん。千代保稲荷は、おちょぼさん。
敬意を込めて、地元ではそう呼ぶ。

書生あれ?熱田神宮は「お」が付かない……
隠居ともあれ、野ざらしでは、「社は壊れ、塀は倒れ」と、荒廃の様子を写していたが、ここでは「熱田御修覆」の5文字だけ。
この文末に、「なかなかに(かえって)、めでたきより心ニ留まる」とあったとおりじゃ。
書生の句。研ぎ直した鏡も清し、一点のくもりも無いという感動ですね。
雪の花って?
隠居

雪の花のような結晶、花びらが舞うように降る雪も、雪の花だが、これは、神域の景。
雪が花のように積もっている。
境内もまた、雪で清められている。
また、これは花の句。正花で、美しい雪景色を愛でたもの。植物にあらず。

書生「めでたきもまた、心にとまる」ということですね。
このとき、雪は止んで日が差していたんでしょうね。だから、神殿奥の鏡も雪に映えてくっきりと見えていたのでしょう。
隠居そうですな。晴れたから、外に出たのでしょうな。
芭蕉も病み上がりだし。旅程表では21日か。薬を飲んでおったな。
いや、この日、24日は、快気してないから、なおさらかな。これはまた後で。
書生の「蓬左」は、蓬莱宮と言われた「お熱田さん」の西側で北方の地域でしたね。
隠居蓬左古地図

地元の人は「お」を付けぬが、つまって「あったさん」となります。
蓬左は、蓬莱宮を補佐するという意味もあったようです。名古屋城は、蓬左城とも言います。

ちなみに、名古屋と言っても、大体今の中区と、西区東区の名城に近い一部だけで、結構狭い。
で、熱田が名古屋に編入するのは、明治40年と、ずっと後のこと。それまでは、熱田町。芭蕉のころは熱田村ですかな。

熱田さんの西の大路が本町通りに通じる美濃路。本町通りは、幅5間(9メートル)で、名城中央の大手御門に至る、言わば中央大通り。
名城南、碁盤割の町にいた門人たちが、「蓬左の門人」ですな。

書生「迎え取られて」ですから、迎えに来て連れて行ったわけで、言わば拉致。
隠居無理矢理ではない。
迎え人は、先ず桐葉亭に詳しい越人、蓬左蕉門の中心となる荷兮や野水。この三人でしょう。
書生で、芭蕉の体調は?
隠居多少はよくなったじゃないかのう。馬もあるし、荷兮も医者だから、任せてくれとか言って連れてきた。
書生これが、11月25日。
「しばらく休息するほどに」は、「しばらく休養するうちに」で、
八日後の12月4日、聴雪亭で六吟の歌仙を巻いたときの発句ですね。
「箱根を越す人も有るらし」の「越す人」とは知っている人でしょうか。
隠居「有るらし」で、「有るらむ」や「有るべし」ではないのだが。
書生知っている誰かで、不特定な人じゃないということ?
隠居「有りけり」でもない。
書生ううむ……。 ある人が「今日当たり、あの人は箱根越えだ」と誰かが言ったのを聞いたということ。
隠居そうじゃろ。その誰かって、一座の人?
書生じゃなくて、その他の人ですね。
隠居それで、句の心情は?
書生「私は、初冬10月末の穏やかな日に、箱根を越えてきたが、それでも大変だった。
ある人から、『今日当たり箱根を越えなきゃならない人がいる』と聞きましたが、今朝はこの平地でも雪が降っていますから、さぞ難儀なことでしょうねえ。
それに引き比べて、私は、暖かい屋敷でもてなしを受け、ありがたいと感謝しています」
隠居で、脇が聴雪の「舟に燒火(たきび)を入るる松の葉」
書生「渡し舟の暖には、松の枯れ葉を入れる時期です」、ですね。
隠居は5日戻って、11月28日。
書生「ある人の会」があった。ある人とは昌碧ですね。
隠居そう昌碧。俳諧の記録に「名古屋の昌碧」とあるから、荷兮亭の近くでしょう。
書生紙子は、紙製の上着で温かいが安価なものですね。
けれど、しわを伸ばし、折り目を正して風流で高貴・富裕な人の雪見の会に参りました。
これも風狂ですね。風狂の心意気を感じます。
隠居この「紙子かな」が、11月28日。
「いざ行かむ」は、4日後の12月3日。
風月堂に行って、
 いざ行む雪見にころぶ処まで
の句を、亭主に贈っておる。
書生風月堂って、和菓子か洋菓子の風月堂ですか?
隠居いや、これは本町通りの大きな書店。藩の御用達もしてた風月堂書林のこと。
野水の店の近くで、店主は、風月堂孫助と言うて、俳号は夕道せきどう。大垣の如行と交流があったのでしょう。
如行が正客として発句、脇が亭主の夕道で、五吟6句。連衆は他に、荷兮・野水・芭蕉。
表6句で終わり、帰るとき雪が降り出した。当然亭主は引き止めますな。
で、発句を詠んでいない芭蕉が、「いざ行む雪見にころぶ処まで」と句を贈ったわけです。
「書林風月と聞きしその名も優しく覚えて、しばし立ち寄りて休らふほどに、雪の降り出でければ」
と懐紙にあります。
上五、
「いざ行かむ」
「いざ出でむ」
「いざさらば」
どれが好きかな?
書生学生時代習ったのが「いざ行かむ」。皆を誘っているし、勢いが良くて好きかな。
「いざ出でむ」は、下五とのつながりが分かりにくい。
でも、「いざさらば」が風狂でいいですね。風羅坊にぴったりです。一人で出かけて、ドタリと……
隠居はあ。
では、④「香を探る」。
これが難題かな。
書生さっきの上五は?
隠居聞いただけ。
④は、【香を探る梅に蔵ヲ見る。軒端かな。】
と読んで。
書生梅は春季ですね。
隠居梅は年中あるぞよ。一年草じゃなくて木じゃからな。
書生じゃあ「香を探る」が冬?
隠居後に「探梅」という季語ができたが、これは晩冬。
「探梅」は、いち早く咲く梅を探すというもので、ちょっと違うな。
目の前に梅の木があるのだから。
書生では、
「どこからか梅の香が漂ってくるので、軒端の下から梅の木を眺めると、真新しい白壁の土蔵が見えました」というのでしょうか。
隠居2点。
・梅花と土蔵と二つの焦点がある。
・花があれば、近寄るまでもない。
句は、「香を探る」であって、「梅花を探る」ではないのじゃ。
書生「無い香」を探っているんですね。ということは、梅の香は漂ってない。
「軒端から間近に見る冬の梅の木、花芽がふくらみ蕾になろうとしている。香はどうだろうと枝を取ると、土蔵の白壁があり、白壁を背景に、芽もくっきりと見える」
隠居

私はそう味わう。軒も蔵の軒でなく、座のある亭の軒、梅花を探り庭に出たのではない。

これぞ和泉式部手植えの梅と見立てたんじゃ。隠れた香を探っておる。

書生

和泉式部?

百人一首「あらさらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたひの あふこともかな」ですね。祖母は、「今ひとたびの大きな最中」と読んでおもしろがっていましたが。

隠居

聞け。エヘン。

♪和泉イ~式イ~部、この梅を植ゑおき~イ。のき~ばの梅と~名づけつつ~ウ~♪

書生

あの、ちょっとこれは……、心の準備が準備が……

「軒端の梅」は、分かりましたが、できれば素読みで、……

隠居

謡曲じゃ。謡曲は謡うもの、聞くものじゃ。耳で味わえ。

♪はア~るの~オ夜の~闇はあア~やなし~イ梅の~オは~な~♪色こそ~見~えね。香~やは隠る~る~、香やは隠るる。香~やは隠~る~るウ♪

とな。

書生言葉は美しいですね。
隠居

まあ、謡い手次第じゃがな。謡曲の「とうぼく」、「東北」と書く。これを踏まえてあいさつとした。

書生先ほど難題とおっしゃったのは?
隠居

そう、難題というのは、先ず句を詠んだ日が分からない。⑤に、「この間」とあるから、「香を探る」句が、最後と見れば、12月の10日から12日までに絞れるがな。

次に、これを発句とする連句が見つからないことじゃ。「ある人ノ興行」とありますから、どこかにはあるんだろうが。
後、この屋敷の場所が分からない。支考の「笈日記」で、坊川(ほうせん)亭ということだけは分かる。防川については、あら野に2句あるくらいで、あとは知らぬ。
⑤については、文のとおり忙しかったようじゃな。

書生

⑤に「美濃ノ大垣・岐阜の数寄者」とあります。
11月26日、名古屋荷兮亭で興行。「凩の」の七吟、30句。岐阜から落梧(らくご)・蕉笠(しょうりつ)が来てます。これが、岐阜の数寄者ですね。

隠居

後は、並べてみようか。

28日、名古屋昌碧亭で、「ためつけて」の八吟、歌仙。

12月1日、熱田桐葉亭で、「旅人と」の三吟、半歌仙。大垣の数寄者、如行が来る。

3日、名古屋風月亭で、「霰かと」の五吟、表六句。

4日、名古屋聴雪亭で、「箱根越す」の六吟、歌仙。

9日、名古屋一井亭で、「たび寝よし」七吟、半歌仙。

12日までに、名古屋昌圭亭で、「露凍てて」の十吟、24句。

同、名古屋防川亭で、「香を探る」、歌仙。これは、資料なし。

こんなにあり、まさに「度々に及」んでおる。
書生⑥、12月10日過ぎに、名古屋を出て、故郷の伊賀上野に向かったとありますが、何日でしょう。
隠居煤払いの句がある。煤払いは、12月13日の行事である。
書生「私は、芭蕉庵も故郷の家も煤払いせず、旅先で浮き世の煤払いを他人事として見ています」
これも旅の興ということですか。
隠居そういうこと。この日まで名古屋にいたと分かるわけじゃ。
次は、
⑤に「歌仙あるいは一折(半歌仙)など、度々に及んだ」という、連句や書簡を、順に見ていこう。

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11/16、 俳諧「やき飯や」、 鳴海知足亭

隠居芭蕉と越人が、伊良湖の杜国を訪問。
六泊七日の旅から、無事帰ってきた日の興行である。
心配していたでしょうな。
罫線
貞享4年11月16日、鳴海知足亭
 三吟、表六句
 連衆:寂照(知足)、芭蕉、越人

 芭蕉翁、元ニ見給ひし野仁(のひと、杜国)を訪らひ、三河の国に移ります。
所は伊羅古崎デ、白波の寄する渚ニちかく、頃は木枯らしの<時期で>、風ガ頭巾を取る<といった>旅のあはれを、帰るさ(=帰りばな)に聞きて、

発句  やき飯や伊羅古の雪にくづれけん 寂照

脇    砂寒かりし我足の跡 芭蕉

第三  松をぬく力に君が子日(ねのび)して 同

4句目  いつか烏帽子の脱ぐる春風 越人

5句目 眠るやら馬のあるかぬ暖かさ 同

挙句   曇りをかくす朧夜の月 寂
書生詞書きに、
「芭蕉翁は、以前知り合った野仁(杜国)を訪れるため、三河国にお移りになった。場所は伊良湖岬で、白波の寄せる渚に近く、時節としては木枯らしが頭巾を吹き飛ばすときで、そうした旅の感興を、帰り際に聞いて」
とありまして、
隠居はい。
書生発句、「やき飯は、伊良湖の雪で濡れて、崩れたでしょうね」。
「やき飯」がイメージできません。
隠居コンビニで、焼きおにぎりを売ってるだろう。保存食と言うか、道中食。
今でもそれを、焼き飯と呼ぶ地方はありる。焼いて、味噌を塗ってまた焼けば、完璧じゃ。
乾飯(かれいい)が進化したものかな。
書生「涙落としてほとびにけり」でなくて、雪の水で崩れにけりですね。
隠居何日分か知足が用意したと分かる。
書生芭蕉の脇は、発句に応じていないですね。
発句の諧謔味が何か異質。
隠居発句は、旅のねぎらいで、旅の目的、杜国訪問を踏まえておらんからな。
脇の「砂寒かりし」は、杜国と伊良湖の浜を歩いた実感。「寒さ」には応じておる。
知足は芭蕉たちが無事帰ってきた喜びの中、詠んでいる。
されば、杜国の深刻な状況を目の当たりにした芭蕉たちの重い心情とかみ合わぬ。
書生第三は新年。
隠居「子の日する」は、初の子の日に、小松を引いたり、若菜を摘んだりして、健康長寿を願う行事。
書生4句目は、春。暖かい春風で、思わず烏帽子を脱いでしまう。
これって、詞書きの「頭巾を冬風に飛ばされた体験」との対比かなあ。
隠居5句目もそうじゃろ。 句は馬の春眠だけど、実際は馬上の居眠りで、自身の思い出。
書生挙句。雲は、杜国の苦境、芭蕉たちの心痛でしょう。雲間の月が春霞を照らして、雲を見えなくしています。
雲が晴れるといいのにな。
隠居なかなか、な。

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11/17、 俳諧「笠寺や」 ・ 書簡「笠寺奉納の発句について」、 鳴海知足亭

隠居翌日の歌仙である。
越人は、もう名古屋に帰ったようじゃな。
罫線
貞享4年11月17日、鳴海知足亭
七吟、歌仙(36句)、「千鳥掛」
芭蕉、知足・如風・重辰・安信・自笑・菐言

奉納
発句 笠寺やもらぬ窟も春の雨 芭蕉
脇   旅寝を起すはなの鐘撞 知足
 - 以下略-

書生越人は8泊9日の旅になりましたね。大変だったでしょうが、知足の家は造り酒屋ですから、もっと泊まりたかったかも。
で、この席の連衆は、鳴海の門人たちですね。
笠寺(かさでら)って。
隠居笠覆寺(りゅうふくじ)、通称笠寺観音。昔雨ざらしの観音様に笠をかけた娘を、男が見初めて都へ連れ帰って妻にしたという話があるな。
書生かどわかしのような……
隠居いや、妻にせよという霊験があったらしいからよいのでは。
芭蕉は、笠寺の縁起を聞いて、詠んだようじゃな。
書生じゃあ、「漏るはずのない岩やでさえも濡れる春雨である。ここの観音様は、笠で守らているから大丈夫でしょう」、かな。
季が春で、変ですね。
隠居春に詠んでいるから大丈夫。
右の手紙のとおりである。
罫線
貞享4年春、寂照(知足)宛の手紙
「笠寺の発句奉納について」

この御寺の縁起ヲ、人の語るを聞き侍りて、

かさ寺やもらぬ岩屋もはるのあめ

<差出人>武城(江戸)江東(深川)散人、芭蕉桃青

<追伸>
笠寺の発句、度々仰せ下され候ふゆへ、この度、進覧(しんらん)申し候ふ。
よきやうに清書なされ、奉納なさるべく候ふ。
委曲(いきょく=詳細)ハ、夏中ニ<お会いして>御意を得べく候ふ。 以上

<宛先>   寂照 叟
書生で、岩屋は笠寺に?
隠居いや、行尊の
「草の庵何露けしと思ひけむもらぬ岩やも袖はぬれけり」
を踏まえただけ。
ちなみに、笠・漏らぬ・雨は縁語。
書生脇は、「旅寝を起こす花の鐘撞き」で、花の句ですね。
隠居然り。笠寺の鐘は、鎌倉時代からの名鐘。
よく響くことであろうな。
ちなみに、大晦日には1回300円で突かせてもらえる。
突くと、何か霊験があるかもな。
書生この歌仙、全部見たいのですが。
隠居されば、奉納の三十六句である。罫線 貞享4年11月17日、鳴海知足亭
 七吟、歌仙、「千鳥掛」
 芭蕉、知足・如風・重辰・安信・自笑・菐言

奉納
01 笠寺やもらぬ窟も春の雨   芭蕉桃青
02  旅寝を起すはなの鐘撞     知足
03 月の弓消ゆくかたに雉子啼て   如風
04  秀句ならひに高瀬さしけり   重辰
05 茶を出す時雨に急ぐ笹の蓑    安信
06  賣殘したる庭の錦木      自笑
07 ゑのころのかさなり伏て四ツ五ツ 

08  むらむら土の焦こげし市原   執筆
09 籏竿に薮はほられて風の音    知足
10  下部の祖父と女すむ家     如風 じじ
11 きぬぎぬのまた振袖に烏帽子着て 自笑
12  うらみを笛に吹殘しける    安信
13 曇るやと夷に見せたる秋の月   重辰 えぞ
14  露さぶげなり義經の像     

15 白絹に萩としのぶを織こめて   如風
16  院の曹子に薫を乞ふ    知足 たきもの
17 廊を双六うちにしのびより  安信 わたどの
18  火を消けす顔の憎き唇     重辰
19 盞をあらそひ負てかり枕   
言 さかずき
20  一二の船を汐にまかする    自笑
21 乘捨し眞砂の馬の哀なり     重辰
22  刀をぬきてたぶさおし切きる  如風
23 大年の夜のともし火影薄く    知足
24  居眠りながらくける綿入    安信
25 藁の戸に乳を呑ほどの子を守て  自笑
26  もぎつくしたる午時の花  
言 ひるどき
27 山路きて何やら床し郭公     如風
28  笈おもげなる宮の休らひ    重辰
29 姉妹窓の細めに月を見て     安信
30  名を待宵と付けし白菊     知足
31 おもひ草水無瀬の水に投入ん   重辰
32  秋くれぬとて扇引さく     自笑
33 初雪のかゝる箙をうち拂ひ  知足 えびら
34  鳥居を覗く八重の松ばら    如風
35 花盛尾張の国に札うちて     

36  暖になるすぐの明ぼの     安信

書生おや、芭蕉は発句だけですね。
隠居如何様。
書生

しかも、春に詠んで知足に送った句です。

芭蕉はいたのでしょうか。

隠居知足の日記に、芭蕉の名も入って、7人と書いてある。11月7日興行も、日記の記述に相違ない。
書生とすると、脇以下の35句に芭蕉が入っていないわけは。
隠居

発句は既に春に詠み、当季ではない。また、既に「よきように」と知足に伝えてある。

一座にはいたが、詠まぬのも道理。

書生8句目の「執筆(しゅひつ)」が、芭蕉の可能性は。
隠居

ん?……、それはないな。

執筆は菐言じゃな。

句数を見れば分かる。

書生

はあ、知足、如風、重辰、安信が6句ずつ。

菐言、自笑が5句ずつで、どちらか分からないのでは。

隠居

句数は長句短句も見る。

菐言は、長句3、短句2。

自笑は、長句2、短句3じゃ。

執筆は、短句じゃから、自笑とするとバランスが崩れる。

されば菐言。

自笑だけ5句、新参の扱いだったのか、月花の句も自笑以外で分け合っている。

書生

なるほど。

おや?27句目見てください。

盗作ではないですか。

「山路来て何やらゆかしすみれ草」と、下五が違うだけですよ。

隠居

ああ、芭蕉がいたし問題ない。

前句「もぎつくしたる午時の花」に芭蕉の面影を見たのであろう。

芭蕉の「すみれ草」句は、貞享2年の作。既に人口に膾炙し、座の誰もが分かっておる。

時に、お主が全部見たかったのは?

書生奉納の歌仙は、どんなものだろうかと思いましてね。
隠居

ならば、35、36の世界を味わうとよい。

書生「札うちて」とは。
隠居まあ、今の千社札、参拝の記念に打ち付ける。春の曙前の参拝で、清々しいな。

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11/18、 俳諧「幾落葉」、 鳴海知足亭

隠居18日の歌仙。
名古屋から、荷兮と野水が来た。
前日に越人が帰って報告、早速二人が来たわけであるな。
罫線
貞享4年11月18日、鳴海知足亭
4吟、4句、「知足書留」
荷兮、芭蕉、知足・野水

 荷兮子、翁を問ひ来て

発句 幾落葉それほど袖も綻びず 荷兮

脇   旅寝の霜を見するあかがり 翁

第三 今朝の月かゆる小荷駄に鞭當て 寂照

4   里の踊に野菊をれける 野水


以上
書生4句の巻は珍しいですね。
隠居いわゆる面見せ、用件を済ませ、すぐ帰るのであろう。
書生荷兮子とあるだけで、詞書きに野水が入っていませんが。
隠居知足の記録じゃ。荷兮が名古屋の顔である。
書生発句は荷兮、
「何度も落葉の道を歩かれたことでしょうが、あまり紙子の袖もほころびていないので、安心しましたよ」。
隠居ほれ、落葉。
書生

おや、落葉。

これ、杜国が見よと贈った落葉。

「昨日、越人が戻りまして、杜国の土産を届けてくれました。

こがらしの落葉にやぶる小ゆび哉  杜国

なんと、土産は落葉一籠とサヨリの干物。実に風流で、私は、こんな句を詠みましたよ。

あはれなる落葉に燒くや島さより」

など、話してたんでしょうね。

 →「保美」の頁、「杜国回生」を参照

隠居

そうじゃろうな。

脇はさすが、「袖はいいんですが、ほれ。旅中の霜で、かかとはこのとおりのあかぎれです」と。

書生例の鏡餅のひび割れような。痛いでしょうね。
隠居痛いのなんの。
今は靴だし、いい薬もある。君、あかぎれとかしもやけとか、なったことなかろう。
書生見たこともありません。
隠居晩冬の季語ゆえ、体験しておいたほうがよい。
書生

第三の寂照は知足の別名でしたね。

「今朝の月かゆる小荷駄」の「かゆる」が分かりません。

隠居「換ゆ」の連体形。終止形は「換ゆる」になることがしばしばある。
書生

では、「月のある早朝、入れ換えた荷駄、荷を引く馬にムチをあて」て、さあ出発。

おや?この荷物、ひょっとして落葉じゃないかしらん。前日、越人を送り出すときの体験を詠み込み、記念としたような。

隠居

面白い解釈じゃな。

じゃが、野菊が踏み折れて、この一巻の終わり。

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11/19、 大高長寿寺参拝

隠居

19日は、大高のお寺参拝。
永禄3年(1560)、真言宗長祐寺は、桶狭間の戦いで焼失した。今川義元の大群が攻め寄せ、織田軍は敗走する。いわゆる、桶狭間の戦い。

大高領主の発願により、臨済宗長寿寺がこの地に開かれ、天和2年(1682)に新しい伽藍が竣工する。

芭蕉参拝の6年前に再建されたことになるな。

長寿寺

書生荷兮や野水も同行したのでしょうか。
隠居知足亭から、2キロじゃが、蓬左への道の反対方向になる。
書生考えにくいですね。
隠居そういうことじゃ。句でも残っておれば分かるがな。

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11/20、 俳諧「面白し」、 鳴海自笑亭

隠居20日は、自笑亭での会。
自笑は刀鍛冶、出羽守氏雲うじくも
罫線
貞享4年11月20日、鳴海自笑亭
 3吟、3句、「千鳥掛」
 芭蕉・自笑・知足

 鍛冶出羽守ノ饗あえ

発句 面白し雪にやならん冬の雨  桃青
脇   氷をたたく田井の大鷺   自笑
第三 ふねつなぐ岸の三股荻かれて 寂照


 以上
書生♪雨は夜更け過ぎに~、雪へと変わるだろ~う♪
♪Silent night , Holy night.♪
隠居どうなされた。
書生この日、太陽暦では12月24日です。
クリスマスイブですから、山下達郎の曲がぴったりかと。「雪になるだろう」が一緒で、面白かったものですから。
隠居雪になるであろう雨に、風雅の趣を感じ取りたいものです。
書生はい。脇は同季で、氷った田で餌をさぐり、氷を割ろうとする大鷺の景ですね。
隠居

鷺ではないが、荷兮の句にこんなのがある。

 氏雲に負けじと叩く水鶏かな

これは、「千鳥掛」に出る。

書生ああ、なるほど。自笑は刀鍛冶ですから、叩くと。

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11/下旬、 俳諧「薬のむ」、 熱田桐葉亭

隠居21日、熱田市場町の桐葉亭に移る。
右の付合いは、桐葉亭にいる内の、21日から23日の間に行われた。
場所は、「言い付かす」を、「起倒に薬の指示をした」ととると、桐葉亭であるな。
なお、起倒は、蕉門俳人で、桐葉と交流のあった医師。
罫線
貞享4年11月21・22・23日のうち、熱田
 両吟、2句、「如行子」
 芭蕉・起倒

両吟2句

翁ハ心地悪しくて、
欄木起倒(らんぼくきとう、熱田の医師)子へ、
薬の言ひつかすとて

発句 薬のむさらでも霜の枕かな はせを
脇   昔し忘れぬ草枯の宿   起倒


以上

書生霜の枕は、冬の草枕・旅枕ですから、
「ただでさえ寒い。旅先ならなおさらで、薬をのむ身にはこたえる」。
脇は、「忘れられぬ冬の草枯れの家である」。
隠居「忘れぬ」の主語は、だれかな。
書生主語は、芭蕉ですね。宿の主は、起倒です。
隠居「言つかす」は?
書生芭蕉が来たとすると、「言いつか」さなくてもいいですね。それに、病人が出向くのもどうかと。
桐葉とするとすっきりします。
「言いつかす」の後に「とて」があるでしょ。
「起倒医師のもとへ、心地が悪い翁が、薬をもらうよう依頼する」というので、発句を書き、それを桐葉か下僕が持参した。
起倒は、脇を書き添えて、桐葉に薬を渡した」で、すっきりです。
隠居なるほど。
あの病気で、移動するのはつらいのう。
書生でしょ。
起倒邸に、昔芭蕉が行ったことがあるなら、矛盾しません。
隠居慥かに「野ざらしの旅」のとき、寄っている
起倒邸はあの星崎にあった。熱田から5,6キロで、鳴海にも近い。そこには、画賛句「団雪もて」の懐紙が遺されていた。「団雪」は「団雪の扇」のこと。
詳しくは、「野ざらし紀行」で。
書生「あの病気」って。
隠居如行の記録と思うのじゃが、この「薬のむ」句の前書きに、
「例の積聚(しゃくじゅ=癪)ガさし出デて、薬の事、医師起倒子三節に言ひつかはす」というのがある。
「積聚」は、さしこみで、強い腹痛。ここでは「例の」、上では「持病」と言っておる。長期に渡って時折起こるわけで、胆石からくるものだろうと推量される。
ちなみに、「三節」は、起倒の医名である。
書生ご隠居!「言ひつかはす」ではありませんか。
上の文は、「言ひつかす」で、「言い付かす」。
如行の文は、「言い遣わす」。
芭蕉が行ったのではないという決定的な証拠、桐葉は言い付けられたので、「言い付かす」と書いたわけ。これは桐葉が書いたという証拠にもなります。
隠居今日は本当に冴えておるのう。
書生「今日」は
隠居芭蕉の病はこの後、知足宛書簡でも触れよう。

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11/22、 越人からの手紙 「来名の依頼について」

隠居

越人が自宅に帰って5日目、22日付。

着信は同日か23日。
①は、芭蕉の健康を気遣う文だが、書状の冒頭としてごく当然な内容である。

罫線
貞享4年11月22日付
「来名の依頼について」

①いよいよ御無為(ぶい=無事)にござ成られ候ふや。寒気の節、御ン心元なく存じ奉り候ふ。
②さては、ここ元へも、ちとちと(ほんのちょっと)御こしあそばされ下さるべく候ふ。
③連中(れんじゅう=連衆、俳諧仲間)も、毎度私を責め申し候ふ。
④私は、大方御越あそばされ候ふ節(=折)も、兼ねて存じをり申し候へば、
舟泉・重五・昌碧など申し候ふ人々ハ、またそこ元へ参るべしと申し候へども、
御旅舎(泊まり先)の御造作(手間)に御坐候ふ間、ひらに(ひらすら)留め置き申し候ふ。
⑤少しも早く御越しあそばされ下さるべく候ふ。
以上

十一月廿二日
              越人
 芭蕉 先生 脚下

書生②の「こちらへも、ちょっときてください」が、⑤で「少しでも早くおいでください」になっているところが、面白いですね。
隠居③の「毎度」って?
書生顔を合わす度にでしょうね。
「毎度私が責められる」のは、可哀想ですね。
隠居④に「留め置き」とあるが、だれをどんな理由で留め置いたのかな?
書生まるで、テストのようですね。
隠居書簡文は、読み取りにくいからな。
つべこべ言わずに、40字以内で早く述べよ。
書生連中の中でも、「舟泉・重五・昌碧など、来ないなら行くべきだと言う人を、泊まり先の手間になるから」です。
隠居理由をもうちょいと。
書生「こちらへ来るという意向を知っていたし」ですね。
でも、「大方」とあるから、念押しはしてないんでしょう?
隠居まあ、上手な催促であるな。
「こちらへもちょっと来てください。
おいでになるとは、思うのですが、私が責められています。(可哀想でしょ。)
そちらへ押しかけるぞと、血気にはやるものもいます。
逗留先の桐葉様に迷惑を掛けるからと、ひたすら止めています。
(早く来ないと、どうなるか知りません)」とな。
書生越人は、高利貸しをしても、成功したでしょう。
名文です。
隠居有無を言わせぬものがあるのう。
書生この手紙は22日付だから、23日に受け取って、「名古屋に行くぞ」という返信は、24日でしょうか。
隠居芭蕉は受け取って大慌て。その日に返信したかもしれん。25日に迎えに来ておるからな。

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11/24、 俳諧「磨なほす」、 熱田桐葉亭

隠居明日は名古屋に行くと決意した芭蕉。病も軽快していたのであろう。
この日は、桐葉と熱田神宮参詣。桐葉邸は、神宮の南門に近い市場町にあった。今は、名古屋名物「ひつまぶし」の「熱田ほうらい軒神宮店」南隣に、史跡として残る。
その後、明日は別れと、名残を惜しみつつ、両吟で歌仙を巻いている。
芭蕉44歳、桐葉35歳のことじゃ。
発句は、笈の小文の本文で見たが、桐葉の脇は、いかがかな。
罫線
貞享4年11月24日、熱田桐葉亭
両吟、歌仙、「浅草」

 再び御修覆(しゅうふく=修復)なりし熱田の社に詣でて

  磨(とぎ)なほす鏡も清し(すがし)雪の花 芭蕉

   石敷(しく)庭のさゆるあかつき 桐葉

 以下略
書生蓬莱軒の隣ですか。きれいに整備されていますね。

桐葉亭跡

「石敷く庭」は、神宮の境内ですね。
「冴ゆ」は、しんしんと冷え込む様、すっきりと澄み物事が明瞭な様を表します。
だから、快晴。
隠居え?快晴とつながる?
書生はい。放射冷却現象で、快晴の夜、地表の温度が宇宙に放出され、どんどん下がります。
だから、快晴。 暁の境内の凛とした空気が感じられます。
隠居なるほど、快晴は発句の解釈とも合うな。
書生芭蕉と両吟。桐葉は幸せですね。
どんな人だったのでしょう。
隠居さて。
木因の紹介で、芭蕉が訪れたようですな。
桐葉の貞享前の俳号「木而/木示」からも、木因との関連を想像できます。
書生木因は大垣ですね。
隠居熱田は、東山道と東海道を結ぶ美濃路の起点で、終点近くに大垣がある。
名古屋、清洲、萩原、墨俣と、大垣まで42キロほどだな。君なら走れば2時間6分。
書生まさか。
隠居宮の渡し実際は、水路ですな。
木因は廻船問屋で、6,7百石の船をいくつか持っていて、大垣から江戸へ年貢米を運ぶのが仕事です。
宮の湊にも立ち寄ったことでありましょう。
また桐葉は、素封家のようだから、芭蕉の一人や二人の世話もどうということはない。
野ざらしの旅でも2度泊まっています。
書生遠いけれど、一度行ってみたいですね。
隠居そうか。木因のいた辺りは、奥の細道むすびの地として、しっかり整備されている。よきところです。

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11/24、 知足宛書簡「謝辞、近況、病気など」、 熱田桐葉亭

隠居この手紙は、熱田詣でをした24日の日付。
桐葉との両吟歌仙について書かれ、その後の筆と分かる。
様々なことが分かるでござろう。
罫線
貞享4年11月24日、寂照(知足)宛の手紙
「謝辞、近況、病気など」

① お見舞ひのため、三郎左衛門殿(知足の弟)ヲ遣はされ、誠にかたじけなく存じ奉り候ふ。
② 今日はもし、お出でなさるべきかと、御亭主ト共に相ひ待ちをり申し候ふところ、<お出でなさらず>御ン残り多き儀(残念なこと)に御座候ふ。
③ 先ず以つて、この度は、緩々(ゆるゆる)ト滞留イタシ、さまざまノ御懇情(こんせい=配慮)ヤ御馳走、御ン礼モ申し尽くし難く候ふ。
④ 俳諧ハ、急に(にわかに)、風俗(俳風)ガ改まり候ふようにと、心ガ急かれ、御ン耳に障るべきことのみデ、御免なされ下されべく候ふ。
⑤ され共(しかし)、風俗ハそろそろ改まり候はば、猶ほ、露命しばらくの形見(鳴海滞在の記念)とも、おぼし召しくださるべく候ふ。
⑥ 名古屋よりも、日々に(毎日)便りヲ致され候ふ間、明日ニ荷兮まで、参り申すべく候はんと存じ候ふ。
⑦ 持病(腹痛か?)ガ、心気ざし(兆し)候ふところ、また咳気いたし、薬ヲ給べ(頂戴し)申し候ふ。
⑧ 名古屋にても、養生ハ成るべきことに御座候ふ間、明日ころニハ名古屋へ<行こう>と存じ候ふ。
⑨ 一、先日、笠寺まで御連中ヲ御送りなされ、御厚志ニ候ふこと、しかるべく御礼し、御意得(心得)ヲ頼みにしたてまつり候ふ。
⑩ 如意寺様(如風)を、猶ほ又よろしく頼みタク存じたてまつり候ふ。
⑪ 追っ付け発足イタシ、山中(伊賀上野)より書状をもって、具に(つぶさに)申し上ぐべく候ふ。
⑫ 二三日、此のかたニ両吟ヲ致し、大かた(大体)出かし(完成し)候ふ。出来(しゅったい)シ候はば、御目に懸けられ候ふ様に、草々以上。
⑬ <日付>霜月廿四日
<あて先>寂照居士  <送り人>芭蕉翁
⑭ <追伸>  御報
 尚々、今日は御入来(じゅらい)なさるべくと、相ひ待ち候ふところ、近頃近頃(超はなはだ)御ン残り多く(残念に)存じたてまつり候ふ。
かへすがへす、この度ノ万事ノ御懇意ハ忝く(かたじけなく)<謝意も>尽くしがたく候ふ。
書生①、知足の弟が「見舞い」に訪れていますから、芭蕉は病気でした。
④⑤、かなり厳しい新風の指導を、知足にしていた。
⑥では、「明日」荷兮のところへいくつもりがあるが、⑧で、行くのは「明日ころ」と、行っているので、越人への返信「25日に行く」について、名古屋からの応答はとらえていない。
⑦、①の体調不良は持病の腹痛み、熱田での「心地悪し」は、咳気であった。腹痛み、咳気が完治していない。
⑧ 薬をもらったので、名古屋でも養生できる。
⑨ 笠寺への句、歌仙の奉納が知足のはからいで、先日なされた。
⑩ 如風を大切に思っていた。
⑫、桐葉との両吟が、この日ほぼ完成した。
いろいろかいてありますね。
でも、⑪が分からない。
隠居何を「つぶさに」なのかな。
書生④⑤の「俳諧の新しい風俗」、かな。
隠居おそらくな。
①の見舞いは、病人の慰問ではなく、ただの訪問。
病気見舞いなら、この後に病状の報告が続くはず。知足の心づくしの代理訪問と見よう。
書生病気は、癪と咳気でしたね。
隠居

芭蕉の病を書簡集から拾ってみようか。


・延宝9年7月(38歳)木因宛書簡、大いに持病ガ指し發り(おこり)

・貞享4年11月(44歳)寂照宛書簡 持病、心気ざし候ふところ、また咳気いたし


見落としもあるだろうが、下血は元禄3年(47歳)ごろから。

書生38歳のとき、既に「持病」と表現していますね。
隠居この木因宛が書簡集の最初のものだから、それ以前は分からぬな。
その後7年間は、私が探せないのか、病気の記述が見当たらない。
「大いに持病が指しおこ」ったときに、石が出て楽になったのやも知れぬな。
書生で、44歳で「持病、心きざし」は、「持病が心持ち兆し」ですよね。
隠居また、石ができ、痛みが出たのであろう。
君、腹の痛いときに、咳が出ると、いかがかな。
書生そりゃ痛いですよ。大したことはないが、咳をすると響いて痛むので、薬を飲んだということ。
隠居

だから、このときの持病は、「胆石による痛み」で理解は可能。
しかし、奥の細道後にこんな症状が出ます。

(47歳)
・元禄3年3月 杉風宛書簡 拙者下血、痛み候ふて
・元禄3年4月 如行宛書簡 持病下血などたびたび
・元禄3年7月 牧童宛書簡 下血などたびたび走り迷惑致し候ふて
・元禄3年7月 智月宛書簡 ぢのいたみもやはらぎ候まま、御きづかひなされまじく候ふ
・元禄3年8月 凡兆宛書簡 持病あまり気むつかしく、御報スルコトハ能はず候ふ
・元禄3年9月 智月宛書簡 くすりもたせくだされ、忝くぞんじ候ふ
(48歳)
・元禄4年1月 北枝宛書簡 持病持病とのみ顔しかめたる計りに御座候ふ
・元禄4年1月 正秀宛書簡 持病、暖気にしたがひ少しづつ快気
・元禄4年1月 智月宛書簡 ぢびやうもこの五三日心もちよく候ふまま
(49歳)
・元禄5年2月 珍碩宛書簡、をりをり持病疝気おとづれ、迷惑致し候へども、臥せり申すほどの事は御座なく候ふ

書生これは、痔でしたか。
隠居痛かったであろうな。馬はもちろん、駕篭でもつらいだろうな。
書生元禄5年に「疝気」とありますが。
隠居疝気は下腹部の病だから、同じじゃろう。
ま、笈の小文の体調不良は、胆石によるさしこみとしておこう。

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11/26、 俳諧「凩の」、 名古屋荷兮亭

隠居

荷兮邸に移った25日、岐阜の落梧・蕉笠が、荷兮亭で待っていた。
落梧は、岐阜城下、本町の万屋という富裕な呉服商。
  人を待ち受くる日に
 今朝は猶空ばかり見る時雨哉 落梧

七部集曠野五にある落梧の句である。別資料では、前書きは

「翁来たり給う日に時雨れして」であり、少なくとも前日には、二人が荷兮亭に来ていたことが分かる。
右は、翌26日の興行。

罫線
貞享4年11月26日、名古屋荷兮亭
 七吟、30句、「如行集」

① 同じ月、末の五日の日、名古屋荷兮宅へ行き給ひぬ。
② 同二十六日、岐阜の落梧と言へる者、我が宿を招かんことを願ひて
③ 発句 凩のさむさかさねる稲葉山 落梧
④ 脇   よき家続く雪の見どころ 芭蕉

以下略
 他に、荷兮・越人・蕉笠・舟泉・野水

書生芭蕉来名の情報を、きちんととらえ、行動していたんですね。
隠居落梧は、七部集の「曠野」に30句入る実力派。蕉笠の入集は4句。
書生① 「同じ月、末の五日の日」とは、11月25日で、芭蕉は名古屋の荷兮宅へ行った。
② 翌二十六日に、岐阜の落梧という者が、「我が宿を」は、「我が宿に」ですね、つまり自宅に、芭蕉を招くことを願って
③ 発句 凩の寒さ重ねる稲葉山 落梧。稲葉山は今の金華山です。
④ 脇 よき家続く雪の見どころ 芭蕉
隠居

稲葉山には、斎藤道三の城があったが、後に天下統一を目指す信長の本拠地となる。
徳川の時代になり、家康は廃城を決め、平地の加納に移築させる。

金華山は、尾張平野を一望する絶好の立地で、後顧の憂いを断ったかたちである。

書生「蕉風発祥の『冬の日の凩』を重ねる稲葉山においでになって、天下をお取りください」ということですね。
隠居さて。
脇は「由緒ある家並みの、雪景色が美しいところですね。いつか参りましょう」と、いう感じ。
書生すぐ行くぞという感じは、いたしません。

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11/28、 俳諧「ためつけて」、 名古屋昌碧亭

隠居

中一日置いて、名古屋の昌碧亭で八吟歌仙。 昌碧は、このとき芭蕉に入門。
七部集「春の日」に1句、「曠野」に19句入っている。この日は、昌碧の他に亀洞・聴雪が加わる。
落梧・蕉笠は、既にいない。岐阜に帰ったのであろう。

罫線
貞享4年11月28日、名古屋昌碧亭
 八吟、歌仙、「如行集」

① 同二十八日、名古や昌碧会
② 発句  ためつけて雪見にまかる紙子哉 芭蕉
③ 脇   いてゐる土に拾はれぬ塵    昌碧
  |
④ 初ウ4  干飯の水のつめたきもなし  亀洞
⑤ 初ウ5 着て来る布子苦に成る昼の比  昌碧

(以下略)
 他に、荷兮・野水・聴雪・越人・舟泉

書生

①11月28日、名古屋で昌碧会。
②、この発句は、本文で読みました。
③、脇は、

紙子の切れ端も拾えない凍て土というのでしょうか。

隠居うむ。
書生初折裏5句目の昌碧句が気になって、前句とともに入れました。
布子は綿入れで、暖かくなって脱ぎたくなったというんですが、発句に紙子があって、いかがなものかと。
隠居江戸の大先生を、盛装に身を包んで迎えたところ、芭蕉が紙子という出で立ちだからな。布子は木綿の普段着なので、着てはいなかったでしょう。

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12/1、 俳諧「旅人と」 、熱田桐葉亭

隠居また、中一日置いて、熱田の桐葉亭にもどって、三吟の半歌仙

如行の記録によれば、前日29日(この11月は小の月)桐葉亭に着き、翌12月1日午の刻(お昼)に芭蕉を迎えた。

如行は、大垣の門人。大垣藩士で、後奥の細道の旅を終えた芭蕉を自宅に迎えている。
七部集「春の日」「曠野」「炭俵」などに、8句入っている。
罫線
貞享4年12月1日、熱田桐葉亭
 三吟、歌仙、「如行集」

① 芭蕉老人、京まで上らんとして、熱田にしばし留まり侍るを訪ひて、「我が名よばれん」と言ひけん旅人の句を聞き、歌仙ノ一折(=初の折だけの半歌仙)
②発句  旅人と我見はやさん笠の雪 如行子
③脇    盃寒く諷ひ(うたい)候へ はせを

(以下略)
-他に、桐葉
書生桐葉亭というのは、木因つながりですね。
隠居

そう。
芭蕉と木因は季吟の兄弟弟子。やはり季吟門で、旧号木而の桐葉は、木因と親交。そして、如行は木因と同郷。

芭蕉・桐葉・如行をつなぐのは、野ざらしの旅途中の桐葉亭。ここで、歌仙を巻いておる。

書生①、芭蕉老人が、京まで上ろうとして熱田にしばらく留まっているのを訪問した。熱田で、「我が名呼ばれん」と言ったであろう旅人の句を聞いて、歌仙の一折。
②、発句「旅人と、我ハ見栄やさむ。笠の雪の姿ヨ。 雪:晩冬」と読んで、「笠に積もった雪の姿を見て、風雅な旅人と褒め称えよう」と理解。
③、脇は、「杯を交わすにも冷えて寒い。謡曲なりと謡いそうらえ」でしょうか。
隠居

そういうことです。

笠の雪から、謡曲「竹雪たけのゆき」かな。
当時は、酒宴で、興にのり、謡うことはよくあった。

書生 ここは謡われない?
隠居

謡曲の内容で付けたわけではないからな。その地謡に「先づ笠の雪を払はん」とある。

謡えぬと思うか。

書生滅相もない。
隠居

「見はやさん」の勢いで、酒宴。「笠の雪」は払おうと謡曲につながる。

ともあれ、如行に会うのは、貞享元年の春以来だから、3年半ぶりじゃ。
しかし、懐紙1枚の半歌仙で終えた。如行は、芭蕉の「心地不快」で止めたと記しておる。

書生仕方ありませんね。
荷兮亭にはいつ戻るのでしょう。
隠居翌2日か、翌々日の3日か、どちらか。
芭蕉は、この日、岐阜の落梧・蕉笠に手紙を書いています。

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12/1、 落梧・蕉笠宛書簡「礼、岐阜訪問、素堂餞別、他について」、熱田桐葉亭

隠居状況をつかむため、落梧・蕉笠の動きを、追ってみよう。
11月25日 荷兮亭に到着。
 〃 26日 荷兮・野水が芭蕉を、熱田に迎えに行き、芭蕉を連れ帰る。
 〃 27日 二人、岐阜に帰る。一宮経由で、約35キロ。岐阜金華山西へ。
 〃 28日 礼状と岐阜産物を名古屋に発送。
 〃 29日 芭蕉、荷兮亭で受領。(小の月で、この日が11月末日)
12月 1日 芭蕉桐葉亭へ。早朝か夜、この書簡を書く。
罫線
貞享4年12月1日付
「礼、岐阜訪問、素堂餞別、他について」

① 翰墨(かんぼく、筆と墨=書状)辱く(かたじけなく=忝く)拝披(はいひ=拝見)、今度(こたび)は、早々に御見舞なさり下され、千里を遠しとせずの御心指し、御厚意、過分至極に存じ奉り候ふ。
② 来春か初夏の節に、必ずその御地を御尋ね申すべく候ふ。
③ 一、素堂餞別、一字二字忘れ候ふ。なお葉書(はがき=前書き)なども御坐候ふが、失念いたし候ふ。江戸より書き揃へ、寄せ申すべき由を申し候ふゆへ、写し参らず候ふ。
④ なほ、来春御意を得べく候ふ。頓首

<日付> 十二月朔日  <差出人>  芭蕉桃青 
<あて先>落梧 雅丈 、蕉笠 雅丈
<追伸> 尚々

⑤ 枝柿一籠、うるか一壺、芳慮に懸けられ、忝く賞玩仕るべく候ふ。

⑥ その外連衆中より荷兮叟まで御懇書、御音信、辱く存じたてまつり候ふ。
⑦ 少し持病すぐれ申さず候ふゆへ、一紙この如く御坐候ふ。
⑧ 御立ち候ふ跡にて一会が御坐候ふ。越人より重ねて御申し遣はせ参るべく候ふ。

書生① 「早々にお見舞」とは、落梧・蕉笠の書簡と岐阜の産物。当時の交通、配送事情から、「千里を遠しとせず」も納得ですね。
この手紙を書いたのが、早朝か夜というのは?
隠居1日、桐葉亭に着くのが午の刻で、正午頃。荷兮亭からゆっくり行って2時間とすると、朝は10時まで荷兮亭で書く時間はある。午後は、桐葉亭で半歌仙だから、まあ、夜ですな。
書生なるほど。
② 「来春か初夏に、必ず岐阜に参ります」とありますが、初夏は陰暦4月ですから、それまでにということですか。
隠居このときは、吉野の花を見て、京都へ行ってからという心づもりだったのではあるまいかな。
書生③ 「素堂餞別は1,2字忘れたし、前書きは忘れました。江戸の門人に、書き揃えて送るよう言ってありますので、書き写してはいません」
④は、「やはり、来春、ご要望に応えます」、ですね。
隠居餞別は、持って出るのが普通だから、知足か桐葉かに与えたのだな。
書生はい。荷兮にやったなら、名古屋で写せますから、知足か桐葉ですね。
あれ?桐葉になら、桐葉にちょっと見せてと言って、大垣の如行に写させれば岐阜に届きますよ。
素堂餞別を与えたのは、知足に決まりです。
隠居うむ。知足の「千鳥掛」を見ようか。
 時は秋よし野をこめん旅のつと 露沾   → こめし
 冬枯も君が首途や花の雲    其角   → 冬がれを
 木枯の吹行く後姿かな     嵐雪   → 凩
 鳴く千鳥富士を見かへれ見坂 杉風   → 汐
   送紙布
 萩かれぬの紙布まで    宝生露蓬  → 陸ムツ、みやこ
 我が夢を鼻ひン霜の草まくら  桑門宗波  → 嚔ん、枕
 来月は猶雪降らんはつしぐれ  ちり   → 一しぐれ
 橋までは供して行かん今朝の霜 仙化   → ふまん霜路哉
 幾時雨心そひ行く江戸さくら  中川氏濁子 → 江戸桜心かよはんいくしぐれ
 朝毎のかみこや重き霜の松   李下   → 朝々の紙小、松の霜
 抜んでゝ送り申さん時雨哉   文鱗   → ぬきんいでておくり、しぐれ
 時雨々々に鎰借り置かん草の庵 挙白   → 置ん

たしかに餞別句があります。しかも、初案のようで興味深い。矢印の後は、後に刊行された「句餞別」の形。
しかし、肝心な「素堂餞別」がない。
書生「素堂餞別」は序章で読みました。「前書き」もありましたね。
⑤ 「枝柿を一籠、うるかを一壺、お心遣いをしていただき、ありがたく頂戴しようと思います」
柿やうるかは、岐阜の名物ですか。
隠居今でも名産品。柿は岐阜や周辺市町でよく栽培され、江戸末期には、種のないところでも甘い富有柿を生み出しています。
うるかは、鮎うるか。長良川は金華山の辺りで、鵜飼いが盛んです。鮎のはらわたや身を塩漬けにして、数週間から数年も熟成させるそうですな。
書生⑥ 「その外、岐阜の連衆から荷兮叟に頂いた、丁寧な御手紙など、ありがたく思います」
「叟」は、敬称ですか。
隠居「叟」は、年長者を敬って付ける。芭蕉の4歳下だが、名古屋連衆の最年長だったから違和感は、ないのでしょう。
この年、荷兮40、野水30、越人32、重五34歳です。後は、この表に。
書生芭蕉は、44で、桐葉35、知足48、木因42、……如行は?
隠居いわゆる未詳。
書生⑦ 「少し持病がすぐれないので、この一紙、手紙ですね。このような状態です」と、詫びの一文。
隠居この「持病」は、腹のさしこみで、後に如行が「例の積聚しゃくじゅ」と書いたもの。
書生「一紙この如く」は、「字が乱れた」とか「内容を整理できず思いつくまま書いた」とかでしょうね。
隠居落梧の要望「素堂餞別の写しが欲しい」に、応じられなかったこともあるかな。
書生

⑧は、「岐阜にお立ちになった後で、一会がありました。如行に重ねて申し付け、写しをお届けします」ですね。

この「一会」は、名古屋昌碧亭「ためつけて」の歌仙興行ですね。

隠居越人、桐葉との三吟は、中断したからな。とは言うものの、半歌仙として完成しているが。
書生だから、「重ねて」ですね。何を重ねたか分からなかったのですが、桐葉亭での三吟半歌仙「旅人と」は、既に申し付けてあった。手紙を書く内に一昨日の昌碧亭八吟歌仙を思い出し、如行に「重ねて」申し付けるつもりということで、了解可能です。
隠居なるほど。
書生で、この手紙は、桐葉亭で、半歌仙の後に持病をこらえつつ書いたでよろしいですね。

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12/3、 俳諧「霰かと」、 名古屋風月亭

隠居芭蕉は如行を連れて、名古屋の荷兮亭に戻ってきた。
如行が、発句。風月堂夕道が、脇。
雪のため、表六句で終えていて短いので、全句載せた。
罫線
貞享4年12月3日、名古屋風月亭
五吟、表六句、「如行集」



① その夜、風月亭にまかりて

② 発句 霰かとまたほどかれし笠やどり 如行
③ 脇   夜の更るまま竹さゆる声   夕道
④ 第三 舟當てて櫂くぎらるる礒際に  荷兮
⑤ 4   潮のはやきを越る洲走魚すばしり=ボラの幼魚 野水
⑥ 5  海なりて山より曇る暮の月   はせを
⑦ 6   鐘つく秋の階子ぼくぼく   執筆

書生①、「その夜、風月堂に行きまして」と前書き。風月堂については、本文のところで触れています。
②、「霰かと、またやめて出て行かれた『笠やどり』」、「笠やどり」がちと分かりません。
隠居

軒下の雨宿り、転じて、立ち寄り。

芭蕉の文を踏まえている。
長くなるが、ざっと見られい。
参考になるでしょう。
これは「笠やどり」。
「/」は改行。

書生原文のまま読んでいきます。
枯枝にからすの/とまりたるや/秋の暮/
笠やどり/
坡翁(蘇東坡)、雲天の笠の下には、/江海の蓑を振る。
無為のちまたに、/雨やどりし給ふめる西行の侘び笠、/哀れに貴し。
鶯のぬふてふ梅の/花笠は、老をかくして、妹が/あたりのしのび笠、行き過ぎ兼て/笠やどり、ひぢ笠の雨に打そぼつ/覧(らん)、みかさと申せ
蓮の葉の笠、/いさぎよし。
此の笠は是艶ならず、/美ならず、ひとへに山田守り捨し案山子の、/風に破られ雨にいためるがごとし。
笠の/あるじも又、風雨を待て、情尽くるのみ。/
 世にふるは/更に宗祇の/やどり哉/

泊船堂芭蕉翁 (天和2年 39歳)
笠づくしですね。
隠居みかさと申せは、
 みさぶらひみかさと申せ宮城野の この下露は雨にまされり(古今、詠み人知らず)
を踏まえ、「宮城野の木の下露は雨に勝る。お供よ、『御笠をどうぞ』と申し上げなさい」の意。
次は、「笠の記」。
書生 草の扉に待ちわびて、秋風のさびしき折々、妙観(名仏師、徒然草229段)が刀を借り、竹取(竹取の翁)の巧みを得て、竹をさき、竹を曲げて、みづから笠作りの翁と名乗る。
 巧み拙ければ、日を尽して成らず、こころ安からざれば、日をふるにものうし。
 朝に紙をもて張り、夕べに干してまた張る。
 渋といふ物にて色を染め、いささか漆をほどこして、堅からん事を要す。
 二十日過ぐるほどにこそ、ややいできにけり。
 笠の端の斜めに裏に巻き入り、外に吹き返して、ひとへに荷葉(かよう=ハスの葉)の半ば開くるに似たり。
 規矩の正しきより、なかなかをかしき姿なり。
 かの西行の侘び笠か、坡翁雪天の笠か。
 いでや、宮城野の露、見にゆかん、呉天の雪に杖を曳かん。
 霰に急ぎ、時雨を待ちて、そぞろにめでて、殊に興ず。
 興中、にはかに感ずることあり。
 ふたたび宋祇の時雨にぬれて、みずから筆を取りて、笠のうちに書き付けはべりけらし。
  世にふるも更に宋祇のやどりかな

  桃青書(貞亨3年 43歳)
笠の作り方ですね。
隠居作り方はよい。
書生とすると、
②は、「霰なら風流と、翁は笠やどりをやめて出て行かれるでしょう」
③は、夜がふけるにつれ、竹の冴える声が聞かれます。これも風流ですよ」と、引き止めています。
隠居そう。「笠やどり」は訳さなくても理解できるはず。
書生執筆って。
隠居執筆は、式目に照らして俳諧の進行に当たる役。この座では、荷兮か野水かな。名を伏すことで、一人一句にはなる。

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12/3、 句「いざ出でむ」、 名古屋風月亭

隠居同日3日。
帰り際、芭蕉が夕道に一句贈った。
罫線
貞享4年12月3日、名古屋風月亭
一句、「真跡懐紙」

① 書林風月と聞きしその名も優しく覚えて、しばし立ち寄りて休らふほどに、雪の降り出でければ
② いざ出でむ雪見にころぶ所まで
③   丁卯臘月初、夕道何某に贈る
書生「笈の小文」本文にある句ですね。
① 書店「風月」と聞いて、その名も優美で風情があると感じ、しばらく立ち寄って休むうちに、雪が降りだしたので、
② 「いざ出でむ」ですか。これが初案で、笈の小文には「いざ行かむ」と改案しましたか。ちょっと違いますね。
隠居

ちょっとではない。

貴君の好きな「いざさらば」は、最終案で、「花摘(其角、元禄3)」に出ていますな。

それを、立句にした表六句がこれ。暁台の「幽蘭集」だが、実に奇妙である。

書生はあ。
  いざさらば雪見にころぶ所まで  ばせを
   硯の水のこほる朝おき     左見
  同じ茶の焙じたらぬは気香もなし 怒風
   三十余年もとのかほなり  杜国改野人
  あの山のあかりは月の御出やら  支考
   かやつる世話もやめて此比   胡江

はて。
隠居「幽蘭集」、巻末の拾遺のところに載せておる。
連衆をよくみなされ。

書生おや。野仁は野人とも書きますか。
隠居

貞享5年2月、「笈の小文」の旅に伊勢から随行し、「の人」の号も使う。杜国は、元禄3年3月30日、34歳で逝去。

支考の入門は、早くても、元禄3年4月付「曲翠宛芭蕉書簡」にある隠桂が、支考であったとした場合、その頃です。支考、26歳。

支考は「元禄3年3月3日義仲寺で芭蕉に対面して入門した」と書いているが、芭蕉は、3月2日伊賀上野の風麦亭で、「汁も膾も」とやっているし、中旬まで故郷にいるので、不可能です。

書生支考、嘘がばれましたか。
どのみち、杜国と支考は一座できません。
隠居

怒風は、実に悩ましい。
高宮怒風は、元禄2年9月、「奥の細道」の旅を終えた芭蕉に、大垣で入門。200石の大垣藩士で、そのとき28歳ですな。
杜国は、元禄3年3月の没まで、保美にいます。……1年と3か月。
この短い期間に、怒風が保美へ行ったや、否や。

書生杜国と面識のない怒風が、わざわざ保美まで行くでしょうか。
「悩ましい」とおっしゃいましたが。
隠居

保美の隣が畠村でしたな。実は、畠村や保美村など五か村は、元々大垣藩の領地でな、貞享5年(1688)年7月大垣新田藩ができ、畠村に陣屋が置かれております。
大垣との往来は、廻船問屋木因の船でできますな。港から200メートルもありません。

書生だから、大垣藩士が保美に行っても何ら不都合はない、と。
隠居

左様。
左見、胡江については、どんな俳人か、管見には入らぬ。

書生そうすると、この表六句の存在、支考だけが不審ですか。
隠居ですな。芭蕉の「俗談平話を正す」を逆手に取って、平談俗話を旨としましたから、実に支考らしい句です。後に付け足したものというのが、落とし所ですかな。
「幽蘭集」の版元は本町一丁目の風月堂。尾張随一の書林に大垣藩士が出入りしても不思議はないし、暁台が、風月孫助の初代夕道に敬意を表して、どこかで見付けたものを、不審ながら入れたとしてもよいでしょう。
書生③ 「丁卯ひのとう、貞享4年の臘月ろうげつ=12月初め、夕道なにがしに贈る」。以上です。

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12/4、 歌仙「箱根越す」、 名古屋聴雪亭

隠居翌4日。美濃屋聴雪亭で六吟歌仙。
聴雪は、七部集「春の日」に3句。
内一句は、歌仙の未完、表六句「山吹の」の巻の第三。
罫線
貞享4年12月4日、名古屋聴雪亭
六吟、歌仙、「たねだはら」

① 発句 箱根越す人もあるらし今朝の雪 芭蕉
② 脇   舟に燒火を入るる松の葉   聴雪

(以下略)
 他、如行・野水・越人・荷兮
書生① 発句は、本文の雪4句の2句目にありました。
② 脇も、併せて触れましたね。
隠居左様。
書生

面白いですねえ。
芭蕉「名古屋の俳諧は一山越えねばならん。雪の箱根越えです」。
聴雪「翁の姓は松尾、松の葉でいいから投げ入れていただけば、尾張俳諧は燃え上がるでしょう」。
もっと面白い句があります。


初ウ7  しのび入る戸を開けかねて蚊に喰はれ 野水
  |
名オ2   あさつき喰らふ人の臭さよ     荷兮
  |
名オ6   その鬼見たし簑虫の父       芭蕉
名オ7  布衣やぶれ次第の秋の風       如行
名オ8   松嶋の月松嶋の月         越人
名オ9  ひよつとした哥の五文字を忘れたり  聴雪
名オ10  妻戸たたきて逃げて帰りぬ     芭蕉
名オ11 泣き泣きてしやくりのとまる果もなし 野水


野水が夜這いか盗人、芭蕉がピンポンダッシュ。

隠居面白いんですねえ。

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12/上中旬、 二十四句「露凍てて」、 名古屋昌圭亭

隠居12月上中旬とされる。
しかし、興行できるのは、5~12日に限られる。
名古屋昌圭亭で、十吟24句。
昌圭は、七部集春の日に9句あるが、連衆中に名はない。
罫線
貞享4年12月5~12日の内、名古屋昌圭亭
十吟、24句、「たねだはら」

① 発句 露凍てて筆に汲ほすしみづかな 芭蕉
② 脇   耳におち葉をひろふ風の夜  鏡鶏

(以下略)
 他、一蕪・斧鎮・重五・似朴・盛江・扇也・藤音・荷兮
書生① 露ガ凍てて、筆で汲み干す清水かな。凍つは三冬。
隠居当時、西行の歌とされた
 とくとくと落つる岩間の苔清水汲み干すほどもなき住ひかな
を、踏まえている。
芭蕉は、この旅、吉野で、
 凍て解けて筆に汲み干す清水哉
の句を詠む。
書生ちょっと違いますね。
隠居ちょっとではない。
凍っているのと解けているのとでは、随分違う。
書生はあ、冬と春か。「露凍てる」は冬。
② この脇も「落葉」で冬でした。

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12/9、 半歌仙「たび寝よし」、 名古屋一井亭

隠居名古屋一井いっせい亭で、七吟、半歌仙。
一井は、七部集「曠野」に22句入る。楚竹・東睡は、熱田の門人か。
罫線
貞享4年12月9日、名古屋一井亭
七吟、半歌仙、「熱田三歌仙」


①  十二月九日一井亭興行
② 発句 たび寝よし宿は師走の夕月夜 芭蕉
③ 脇  庭さへせばくつもるうす雪  一井

(以下略)
-他、越人・昌碧・荷兮・楚竹・東睡
書生① 12月9日、一井亭で興行。
② 発句 師走:晩冬、夕月は上弦の月の前後で、南に輝く月ですね。
③ 庭さへ狭く恐縮と言うのでしょうか。
折角の薄雪で、美しい景色なのに。
隠居いや、「庭さえ」で、庵も狭いと分かる。風流の極みであります。脇主の「恐縮」と取っては身柄となる。留意されたい。
で、第三は?
書生第三は、「どやどやと筧をあぶる藁燒きて 越人」、です。
隠居なるほど。冬三句ですな。
君が面白いのは?
書生この3句の渡りが、絶妙です。
ウ9 小男鹿のそれ矢を袖にいつけさせ 芭蕉
ウ10  飛あがるほどあはれなる月   越人
ウ11 凩にかじけて花のふたつ三ツ   荷兮
隠居越人も荷兮も、さすがですな。
時に、一井亭ですが、名古屋ではなくて、馬島まじま村であった可能性がある。
支考編の「三千化、余員の巻」に、
  題雪  同馬島
 紙子にもかざるや雪の花ほどし  素水
  千鳥を聞きに橋の明ぼの     南泉
 源氏にはほめて戸口をひつ立て   一井

とある。「同馬島」は、「尾州馬嶋」のことで、この一井が同一人なら一井亭は馬島だったことになる。
書生何か不都合でも?
隠居左程でもないが、馬島は今の海部郡大治町北部で、中村の西隣。荷兮亭から西へ約9キロ。南の熱田へ行くより遠い。しかも、川を何本も越えていく。
14日を過ぎて、佐屋へ行く途中に寄ったならわかるが、「9日」と書いてある。
はて、さて。
行って戻れぬ距離ではないが。実に悩ましい。

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12/13、 杉風宛書簡「安否伺い、近況、『旅寝して』など」、 荷兮亭

隠居江戸の杉風への手紙です。
罫線貞享4年12月13日付、杉風宛の手紙
「安否伺い、近況、『旅寝して』など」


① 其元(そこもと=そなた)ハ、別条ござなく候ふや、承りたく存じ奉り候ふ。

 

② 寒気の節、屋布(やしき)お勤め、あい調ひ候ふや、心許なく存じ候ふ。

 

③ 先書にも進ぜ申し候ふ通り、霜月五日ニ鳴海まで着き、五三日(ごさんにち=数日)のうち、伊賀へ<行こう>と存じ候へども、宮・名古屋より鳴海まで、見舞ひあるは(=或いは)飛脚音信ガ差し集ひ(寄り集まって)、理無く(わりなく=仕方なく)名古屋ニ引つ越し候て、師走十三日、煤はきの日まで<ここ名古屋に>罷り(まかり)有り候ふ。

 

④ 色々馳走ハ浅からず、岐阜・大垣などの宗匠共も、尋ね見舞ひ候ふ。

 

⑤ 隣国の近き方(=尾張の隣、美濃の尾張に近い大垣)へ招き、待ち懸け(待ち受け)候へば、「先春に春に」と、云ひ延ばし置き申し候ふ。

 

⑥ なるも此のかた(名古屋)デ二、三十句いたし候へば、能き事も出で申さず候ふ。

 

⑦ 只、間を合はせたる(適当にした)までに候ふ。

 

 旅寝してみしやうきよのすす払

 

極月十三日
杉風 雅丈(がじょう=敬意を表す)

⑨ 尚々甚五兵衛(濁子)殿・又兵衛殿・仙化へ無事のこと知らせ成さるべく候ふ。

書生① あなたは、別条ありませんか。知りたいと思います。
② 寒気の節、武家屋敷出入りのお勤めは、無事にまとまっているか、気がかりです。
この年は雪が多いようですから、その心配なんでしょうか。
隠居杉風が幕府御用の魚問屋ということは、ご存じですな。
「生類憐みの令」が出たのは、この年の2月。死んだ魚はいいのだが、生きた魚を扱えなくなっているから、大変だったことと推察できよう。
寒さも心配だが、これをはっきりとは書けないであろうから、その意も酌む。
書生③ 「先の手紙にも書いて進上したとおり、11月5日に鳴海着で、数日以内に、伊賀へ旅立とうと思いましたが」
2回目の手紙なんですね。
隠居一人旅だし、様子を知らせたのではあるまいか。鳴海は予定どおり着いておるが、そうした見通しは、大井川を渡らんと立たない。
金谷宿辺りで書いたのでしょう。
金谷でなくとも、難所の小夜の中山峠を越えて、ほっとした気分で見附宿から書ける。
11月の1日か2日にな。
君の東海道行程表のとおりですね。
書生③ (続き)、「宮(=熱田)・名古屋から鳴海に、見舞いや手紙が寄り集まって、仕方なく名古屋に移動して、12月13日、煤払いの日まで名古屋にいたというわけです」。
④ 「もてなしは心こもったもので、岐阜・大垣などの宗匠たちも、やってまいりました」、と。
⑤ 「『隣国の近き方』ですが、隣国は美濃。美濃の尾張に近い大垣へ招いて、待ち受けるようなので、『来春に、春に』と、言い伸ばしておきました」、ということ。
隠居うむ。
書生⑥ 「でありながら、この名古屋で、2,30句いたしましたが、佳い句はできませんでした」、と謙遜。
⑦ 「ただ、適当にしたまでです」と、付け足し。
⑧ 発句「旅寝して」は、本文で見ました。

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笈の小文、講読の振返り
05 熱田(鳴海~熱田~蓬左)
書生

貞享4年11月16日から12月5日までの足跡や動向が、ほぼ特定できました。

隠居

多くの書簡や俳諧興行の記録のおかげですな。

書生

鳴海の知足や大垣の如行の書きのこしたものが、大いに役立ちました。

尾張と一言で済ます情報が多いのですが、鳴海、熱田、蓬左と見ていくと、芭蕉の動きがよく分かるのに驚きました。

隠居

そこに岐阜や大垣の門人が加わって、ややこしかった。

書生

でも、すっきりと説明できたと思います。

隠居

ただ、12月6日から13日は、まだすっきりしておらん。

今後、名古屋での資料が、見つかることを祈ろう。

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  ---笈の小文講読ページの解説---