更科紀行 原文・資料

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資料資料:更科姨捨月之弁


原文・資料


 芭蕉は、「笈の小文」の旅の後、江戸に帰る途中、念願の姨捨の月を見ようと、越人を伴い更科へ向かいます。

 このページでは、「更科記行」の原文・草稿・俳文を整理し、講読の準備をします。



更科紀行
書生

またお願いします。

隠居

笈の小文の講読で、読み方はすべて伝えてありますから、任せましょう。

書生

では、原文から。

更科紀行

更科紀行 原文(全)

段落区分文(笈の小文再刻本による)備考
翁名古屋に滞留の時、有更科記行、幸而爰に次。

序文へ

木曽路

信濃路
旅立

① さらしなの里、おばすて山の月見ん事、しきりにすゝむる秋風の心に吹さわぎて、ともに風雲の情をくるはすもの、又ひとり越人と云。


② 木曾路は山深く道さがしく、旅寐の力も心もとなしと、荷兮子が奴僕をしておくらす。


③ おのおの心ざし尽すといへども、驛旅の事心得ぬさまにて、共におぼつかなく、ものごとのしどろにあとさきなるも、中々にをかしき事のみ多し。

訳文へ

道連 ④ 何々といふ所にて、六十斗の道心の僧、おもしろげもをかしげもあらず、たゞむつむつとしたるが、腰たわむまで物おひ、息はせはしく、足はきざむやうにあゆみ来れるを、ともなひける人のあはれがりて、おのおの肩にかけたるもの共、かの僧のおひねものとひとつにからみて馬に付て、我をその上にのす。

訳文へ

高山
奇峰

⑤ 高山奇峰頭の上におほひ重りて、左りは大河ながれ、岸下の千尋のおもひをなし、尺地もたひらかならざれば、鞍のうへ静かならず。


⑥ 只あやふき煩のみやむ時なし。

訳文へ

九折

⑦ 桟はし・寝覚など過て、猿がばゝ・立ち峠などは四十八曲リとかや。


⑧ 九折重りて、雲路にたどる心地せらる。


⑨ 歩行より行ものさへ、眼くるめきたましひしぼみて、足さだまらざりけるに、かのつれたる奴僕、いともおそるゝけしき見えず、馬のうへにて只ねぶりにねぶりて、落ぬべき事あまたゝびなりけるを、あとより見あげて、あやふき事かぎりなし。


⑩ 仏の御心に衆生のうき世を見給ふもかゝる事にやと、無常迅速のいそがはしさも我身にかへり見られて、あはの鳴門は波風もなかりけり。

訳文へ

姨捨旅宿

⑪ 夜は草の枕を求て、昼のうち思ひもうけたるけしき、むすび捨たる発句など、矢立取出て、灯の下にめをとぢ、頭たゝきてうめき伏せば、かの道心の坊、旅懐の心うくて物おもひするにやと推量し、我をなぐさめんとす。


⑫ わかき時をがみめぐりたる地、あみだのたふとき数をつくし、おのがあやしとおもひし事共はなしつゞくるぞ、風情のさはりとなりて何を云出る事もせず。


⑬ とてもまぎれたる月影の、かべの破れより木の間がくれにさし入て、引板の音、しかおふ声、所々にきこへける。


⑭ まことにかなしき秋の心爰に尽せり。


⑮ いでや、月のあるじに酒振まはん、といへば、さかづき持出たり。


⑯ よのつねに一めぐりもおほきに見えて、ふつゝかなる蒔繪をしたり。


⑰ 都の人はかゝるものは風情なしとて、手にもふれざりけるに、おもひもかけぬ興に入て、𤦭[王+靑]碗玉巵せいわんぎょくしの心ちせらるも所がらなり。


⑱ あの中に蒔絵書たし宿の月

 

発句

⑲ 桟やいのちをからむつたかづら

⑳ 桟や先おもひいづ馬むかへ

㉑ 雱晴れて桟ハ目もふさがれず 越人

 

姨捨

㉒  姨捨山

  俤や姥ひとりなく月の友

 

更科㉓ いざよひもまだ更科の郡かな
㉔ 更科や三よさの月見雲もなし 越人

 

留別㉕ ひよろひよろと尚露けしやをみなへし

 

属目 ㉖ 身にしみて大根からし秋の風
㉗ 木曾のとち浮世の人の土産かな

 

留別㉘ 送られつ別ツ果ては木曾の秋

 

㉙  善光寺
  月影や四門四宗も只ひとつ

 

浅間㉚ 吹とばす石ハ浅間の野分哉

 

此記行終て後、乙州以謂、猶翁之文、かさね及ビ烏の賦、集々に洩ぬることを惜ミ、後集を加ンとおもひ企ぬ。

 宝永六年孟春慶旦
        江南栰々庵乙州梓之
  京都寺町二條上町

             書林 井筒屋庄兵衛/同 宇兵衛 版

跋文へ

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更科紀行 序文・跋文

講読:更科紀行 序文

右は、「笈の小文」の文章と、「更科紀行」の文章との間に置かれた文である。

内容から、「更科紀行」の序文とする。

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罫線

序文


翁名古屋に滞留の時、有更科記行、幸而爰に次。

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「翁、名古屋に滞留のとき、更科記行あり。幸いにしてここに次ぐ」と読む。

大意は、

「芭蕉翁が、名古屋に滞在したとき、更科紀行の旅をなさった。幸いにして残されているので、この次に記す」 である。

隠居line

うむ。

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書生では、跋へ。

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講読:更科紀行 跋文

右は、「笈の小文」と、「更科紀行」の文章の後に置かれた文である。

内容から、跋文ではなく、編集後記である。

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罫線

跋文


此記行終て後、乙州以謂、猶翁之文、かさね及ビ烏の賦、集々に洩ぬることを惜ミ、後集を加ンとおもひ企ぬ。

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「この記行終えて後、乙州おもへらく、なほ翁の文、かさね及び烏の賦、集々に洩れぬることを惜しみ、後集を加へんとおもひ企てぬ」と読む。

大意は、

「この紀行(の編集、上梓)を終えて後に、乙州が思うには、「かさね」と「烏の賦」が様々な集に洩れているのは惜しいので、後集を加えようと、計画した」である。

記行は紀行の意、後集は「こうしゅう」と読み、「前に出した集に漏れたものを足したもの」を言う。

「かさね」と「烏の賦」は、「笈の小文」を参照。

「笈の小文」旅後のページ、跋文

隠居line

ほう、原書をもとにされたか。

「井筒屋庄兵衛/同 宇兵衛」板は、再刻本。初版の版木は火災で失われたが、内容は同一ですな。

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更科紀行 板行文と草稿

更科紀行版行文と草稿の比較

更科紀行には、芭蕉真蹟の草稿が遺されているので、比較しつつ味わうことができる。

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更科紀行

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真蹟草稿

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① さらしなの里、おばすて山の月見ん事、しきりにすゝむる秋風の心に吹さわぎて、ともに風雲の情をくるはすもの、又ひとり越人と云。 さらしなの里、おばすて山の月見事、しきりにすゝむる秋風の(身にしミ)心に吹さはぎて、ともに風雲の情をくるはすもの又ひとり、越人と云。
② 木曾路は山深く道さがしく、旅寐力も心もとなしと、荷兮子が奴僕をしておくらす。 木曾路ハ山深く、道さがしく、旅寝ハ力も心もとなしと、荷兮子が奴僕をしておくらす。
③ おのおの心ざし尽すといへども、驛旅の事心得ぬさまにて、共におぼつかなく、ものごとのしどろにあとさきなるも、中々にをかしき事のみ多し。 おのおの心ざし尽すといへ共、羈旅の事心得ぬさまにて、共におぼつかなく、もの事のしどろにあとさきなるも中々にをかしき事のミ多し。
④ 何々といふにて、六十の道心の僧、おもしろげもをかしげもあらず、たゞむつむつとしたるが、腰たわむまで物おひ、息はせはしく、足はきざむやうにあゆみ来れるを、ともなひける人のあはれがりて、おのおの肩にかけたるもの、かの僧のおひねものとひとつにからみて馬に付て、我をその上にのす。 何々といふ処にて、六十ばかりの道心の僧、おもしろげもをかしげもあらず、たゞむつむつとしたるが、腰たはむまで物おひ息ハせはしく、足ハきざむやうにあゆみ来れるを、ともなひける人のあばれがりて、おのおの肩にかけたるものども、かの僧のおひねものとひとつにからみて馬に付て、我を其上にのす。
⑤ 高山奇峰頭の上におほひ重りて、左りは大河ながれ、岸下の千尋のおもひをなし、尺地もたひらかならざれば、鞍のうへ静かならず。 高山奇峰、頭の上におほひ重りて、左りは大川ながれ、岸下の干尋のおもひをなし、尺地も平かならざれば、鞍のうへ静かならず。
⑥ 只あやふき煩のみやむ時なし。 只あやふき煩のミやむ時なし。
⑦ 桟はし・寝覚など過て、猿がばゝ・立ち峠などは四十八曲リとかや。 桟はし・寝覚など過て、猿がばゝ・たち峠などハ四十八曲リとかや。
⑧ 九折重りて、雲路にたどる心地せらる。 九折重りて、雲路にたどる心地せらる。
⑨ 歩行より行ものさへ、眼くるめきたましひしぼみて、足さだまらざりけるに、かのつれたる奴僕、いともおそるゝけしき見えず、馬のうへにて只ねぶりにねぶりて、落ぬべき事あまたゝびなりけるを、あとより見あげて、あやふき事かぎりなし。 歩行より行ものさへ眼くるめき、たましひしぼみて、足定まらざりけるに、かのつれたる奴僕、いともおそるゝけしき見えず、馬のうへにて只ねぶりにねぶりて、落ぬべき事あまたゝびなりけるを、跡より見あげて、あやふき事かぎりなし。
⑩ 仏の御に衆生のうき世を見給ふもかゝる事にやと、無常迅速のいそがはしさも我身にかへり見られて、あはの鳴門は波風もなかりけり。 仏の御こゝろに衆生のうき世を見玉ふもかゝる事にやと、無常迅束のいそがハしさも我身にかへり見られて、あはの鳴る戸は波風もなかりけり。
⑪ 夜は草の枕を求て、昼のうち思ひもうけたるけしき、むすび捨たる発句など、矢立取出て、灯の下にめをとぢ、頭たゝきてうめき伏せば、かの道心の坊、旅懐の心うくて物おもひするにやと推量し、我をなぐさめんとす。 夜ハ草の枕を求て、昼のうち思ひまうけたるけしき、むすび捨たる発句など、矢立取出て、燈の下にめをとぢ、頭たゝきてうめき伏せば、かの道心の坊、旅懐の心うくて物おもひするにやと(我を)推量て、我を慰ンとす。
⑫ わかき時をがみめぐりたる地、あみだのたふとき数をつくし、おのがあやしとおもひし事共はなしつゞくるぞ、風情のさはりとなりて何を云出る事もせず。 わかき時拝がミめぐりたる地、あミだのたふとき数をつくし、おのがあやしとおもひし事共、はなしつゞくるぞ、風情のさハりと(ハ)なりて何を云出る事もせず(ける)。
⑬ とてもまぎれたる月影の、かべの破れより木の間がくれにさし入て、引板の音、しかおふ声、所々にきこへける。 とてもまぎれたる月影の、かべの破れより木の間がくれにさし入て、引板の音、しかおふ声、所々にきこへける。
⑭ まことにかなしき秋の心爰に尽せり。 誠にかなしき秋の心爰に尽せり。
⑮ いでや、月のあるじに酒振まはん、といへば、さかづき持出たり。 いでや、月のあるじに酒振まはん、といへば、さかづき持出たり。
⑯ よのつねに一めぐりもおほきに見えて、ふつゝかなる蒔繪をしたり。  よのつねに一めぐりもおほきくして、ふつゝかなる蒔絵をしたり。
⑰ 都の人はかゝるものは風情なしとて、手にもふれざりけるに、おもひもかけぬ興に入て、𤦭[王+靑]碗玉せいわんぎょくしの心ちせらるも所がらなり。 都の人ハかゝるものハ(手にもふれず)風情なしとて、手にもふれざりけるに、おもひもかけぬ興に入て、𤦭[王+靑]碗玉扈<扈はママ、せいわんぎょくこ?>の心ちせらるも所がらなり。
⑱ あの中に蒔絵書たし宿の月

        ○

 あの月(の中)に蒔絵書たし宿の月

⑲ 桟やいのちをからむつたかづら 桟やいのちをからむつたかづら
⑳ 桟や先おもひいづ馬むかへ 桟や先おもひいづ馬むかへ
㉑ 雱晴れて桟ハ目もふさがれず 越人  雱晴て桟ハ目もふさがれず 越人
  さらしなや三よさの月見雲もなし 同

㉒  姨捨山

  俤や姥ひとりなく月の友

  姨捨山

 俤や姥ひとりなく月の友

㉓ いざよひもまだ更科の郡かな

 いざよひもまださらしなの郡哉

㉔ 更科や三よさの月見雲もなし 越人 
㉕ ひよろひよろと露けしやをみなへし

          尚

 ひよろひよろとこけて露けしやをミなへし
㉖ 身にしみて大根からし秋の風 
㉗ 木曾のとち浮世の人の土産かな

 (よにおりし人にとらせん木曾のとち)

 木曾のとちうきよの人のミやげ哉

㉘ 送られつ別ツ果ては木曾の秋 
  身にしミて大根からし秋の風

㉙  善光寺

  月影や四門四宗も只ひとつ

  善光寺

 月影や四門四宗も只一

㉚ 吹とばす石ハ浅間の野分哉

 (秋風や石吹颪すあさま山)

   落

 (吹颪あさまは石の野分哉)

   とばす ハ

 吹(落す)石あさまの野分哉

1 原文底本……「笈之小文 井筒屋庄兵衛/同 宇兵衛 板」

2 草稿底本……芭蕉自筆懐紙

※1 仮名遣いは、歴史的仮名遣いにしてある。<例 おかし→をかし>
※2 草稿と相違する部分は、原文に下線で示した。
※3 「𤦭」はブラウザの設定により表示されない。=[王靑]。

 草稿に照らし合わせて

①~⑯は、下線のとおりである。
⑰ 草稿「玉扈(ぎょくこ)」が「玉(ぎょくし)」と訂正されている。
⑱ 「月の」を見せ消ちし、中に○印が付けられている。→あの中に
㉓㉔ 「さらしな」を「更科」としている。
㉔  2句下げて、配置している。
㉕ 「ひよろひよろと」句は、岐阜出立の留別句である。
〃 同句は、「こけて」を見せ消ちし、「尚」と書き込んでいる。→尚露けしや
㉖ 善光寺の前から1句引き上げている。
㉗  初案句「よにおりし」を丸で囲み除外している。
㉘ 草稿にない岐阜での留別句「送られつ」を入れている。
㉙ 草稿「一」を「ひとつ」としている。
㉚ この見せ消ちで、次の順で推敲されたことがわかる。
 1 秋風や石吹颪すあさま山(あきかぜやいしふきおろすあさまやま)
 2 吹颪あさまは石の野分哉(ふきおろすあさまはいしののわきかな)
 3 吹落あさまは石の野分哉(ふきおとすあさまはいしののわきかな)
 4 吹落す石をあさまの野分哉(ふきおとすいしをあさまのわきかな)
 5 吹とばす石はあさまの野分哉(ふきとばすいしはあさまののわきかな)
隠居line

㉕と㉘が留別句。

㉔と㉖の配置が違っている。

この辺り、何かありそうですな。

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書生

ええ、課題になりそうです。

句の配置が、旅程と違いますから、訳をしながら、芭蕉の意図を探ります。

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資料 俳文「更科姨捨月之弁」

右は、「芭蕉文集」に見られる俳文で、更科紀行の旅程を解く鍵となり得る内容を収める。


<訳読み>

イ 或いは「しらゝ・吹上」と、聞く内に誘はれて、今年「姨捨の月」ヲ見むこと[への思いが]頻りなりければ、八月十一日ニ美濃の国を立ち、道ハ遠く日数ハ少なければ、夜に出でて暮れに草枕す。

 

ロ 思ふに違はず、その夜ニ更科の里に至る。

 

ハ [姨捨]山は、八幡(やわた)という里より一里ばかり南に、南西に横折り伏して、凄まじう高くもあらず、角々しき岩なども見えず、ただ哀れ深き山の姿なり。

 

ニ 「なぐさめかねし」と云ひけむも、理(ことわり)ガ知られて、そぞろに哀しきに、何ゆへにか老いたる人を捨てたらむと思ふに、いとど涙ガ落ち添ひければ、

 

ホ  俤は、姨(おば=姥)独り泣く。月の友。

 

ヘ  十六夜も まだ更科の 郡かな。

 

罫線

更科姨捨月之弁


イ あるひはしらゝ・吹上ときくにうちさそはれ
 て、ことし姨捨の月ミむことしきりなりければ、
 八月十一日ミのゝ国をたち、道とほく日数すく
 なければ、夜に出て暮に草枕す。

ロ 思ふにたがはず、その夜さらしなの里にいた
 る。

ハ 山は八幡といふさとより一里ばかり南に、西
 南によこをりふして、冷じう高くもあらず、か
 どかどしき岩なども見えず、只哀ふかき山のす
 がたなり。

ニ なぐさめかねしと云けむも理りしられて、そ
 ゞろにかなしきに、何ゆへにか老たる人をすて
 たらむとおもふに、いとど涙落そひければ、

ホ  俤は姨ひとりなく月の友

ヘ  いざよひもまださらしなの郡哉

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次に、注釈を記す。

イ 八月十一日ニ美濃の国を立ち

  → 貞享5年8月11日、岐阜を立った。

ロ 思ふに違はず、その夜ニ更科の里に至る。

  → ①の「夜に出でて暮れに草枕す」は、前日の夜に出て、「暮れに」姨捨に到着したことを示す。

ハ → 「山は八幡といふさとより一里ばかり南」とあるが、当時の街道を見ると、姨捨の北から入ったことになり、この暮れに姨捨山(冠着山)の姿を見るのは難しいが、通過時刻を基に検討する。

ニ 「なぐさめかねし」

  → わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て (大和物語)

ホ → 捨てられた姥の面影。

ヘ → 十六夜、則ち翌夜も更科にいた。

隠居line

概ね可とするが、訳読みの「イ」は、

イ 「或いは白良・吹上」と、聞く内に誘はれて、

とするがよい。" 「 "の位置が違いますな。

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書生

はあ、その事訳は……。
……
是非。

隠居

是非と言われれば、致し方ない。

♪秋もオ~オ~やうやう半にイ~なり行けば~~、福~原の新都オ~オ~にましまし~ける人オ~びと~、名所の月をオ~~見んとて~、

書生

謡いですか。

隠居

平曲じゃ!まだ終わっておらん。

「……名所の……、

淡路の瀬戸をおし渡り……、檜島が磯の月を見る」か……ウォッホン

♪或い~~はしらら~~・吹イ~上・和歌の浦~~・住吉・難~波・高ア~~砂・尾上の月の曙を~~♪

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更科紀行、講読の振返り
1 原文、序・跋、草稿、俳文
書生

講読の準備がほぼできました。

隠居

この調子で進めなされ。

書生

はい。次に旅程表ができれば、準備完了です。

ただ……、つい質問して、是非と言ったのが悔やまれます。

隠居

反省かな。

書生

いきなりの義太夫、いえ、……、私が分からぬところは、謡曲か平曲だと思い知らされました。

隠居

伊勢音頭もな。

書生

これからは、聞かずに調べようと思います。

隠居

良い心掛けじゃ。古典芸能は、当時の常識。

越人は平曲を語ったようですぞ。

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「更科紀行」講読ページ解説

・ 俳諧を趣味とする隠居と、若者書生との、講読記録です。

 

・ 購読図書

 

・ 参考文献

 

・ 利用ソフトウェア

 

・ 更科紀行の文章は、隠居の方針で、以下のように変更しています。原文は上記講読図書を参照。

 

・ 表記を変更しています。

※ 凡例

 


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