更科紀行 姨捨山

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講読、その二
 芭蕉は、「笈の小文」の旅の後、江戸に帰る途中、念願の姨捨の月を見ようと、越人を伴い更科へ向かい、名月の出る夕暮れに姨捨に到着しました。
 このページでは、「更科記行」の姨捨の7文2句を取り上げ、原文・訳読み文・口語訳を示して、講読していきます。


更科紀行
 原文と訳…「旅宿⑪~⑱」「姨捨の月㉒
 資料………「姨捨山眺望」「旅程⑤ 洗馬~八幡
 講読………「旅宿1、道連れの僧⑪⑫」「旅宿2、蒔絵の盃⑬~⑯、句⑰」「姨捨山「俤や」句㉒


更科紀行
書生

姨捨山の段です。

隠居

姨捨の宿からですな。

書生

原文・訳読み・口語訳を示し、講読していきます。

更科紀行、原文・現代語訳

更科紀行 「姨捨」

旅宿

⑪ 夜は草の枕を求て、昼のうち思ひもうけたるけしき、むすび捨たる発句など、矢立取出て、灯の下にめをとぢ、頭たゝきてうめき伏せば、かの道心の坊、旅懐の心うくて物おもひするにやと推量し、我をなぐさめんとす。

夜は草の枕を求めて、昼のうちニ思ひ設けたる景色、結び捨てたる発句などヲ、矢立ヲ取り出でて、灯の下に目を閉ぢ、頭ヲ叩きて呻き伏せば、かの道心の坊ハ、「旅懐の心憂くて、物思ひするにや」と、推量し、我を慰めんとす。

夜は、粗末な宿を探し出し、昼に思い巡らせた景色や、浮かんだ発句などを、矢立を取り出して、灯火の下で目を閉じ、思い出そうと頭を叩いて、うめいて伏せれば、例の行脚の僧は、「旅情の寂しさに、気持ちがふさいでいるのか」と、勝手に推し量って、私を慰めようとする。

⑫ わかき時をがみめぐりたる地、あみだのたふとき数をつくし、おのがあやしとおもひし事共はなしつゞくるぞ、風情のさはりとなりて何を云出る事もせず。

⑫ 若きときニ、拝み巡りたる地ヤ、阿弥陀の尊き[ことの]数を尽くし、己が怪しと思ひしことどもヲ、話し続くるぞ、風情の障りとなりて、何を云ひ出づることもせず。

僧は、若いときに巡拝したところや、阿弥陀様の有り難さを数限りなく、また、時分の体験した奇異奇瑞などを話し続けることが、私の不味わった感興の邪魔となって、何の句や文は出てこなかった。

⑬ とてもまぎれたる月影の、かべの破れより木の間がくれにさし入て、引板の音、しかおふ声、所々にきこへける。

とても、紛れたる月影の、壁の破れより、木の間隠れに差し入りて、引板の音ヤ鹿ヲ追ふ声ガ、所々に聞こへける。

とは言うものの、忘れかけていた月影が、壁の破れから、木々に隠れつつ差し入ってきて、鳴子の音や鹿を追う声が、あちらこちらから聞こえてくる。

⑭ まことにかなしき秋の心爰に尽せり。

誠に哀しき秋の心ハ、ここに尽くせり。

さすが姨捨の里、哀切極まる秋の本領が、ここに尽くされている。

⑮ いでや、月のあるじに酒振まはん、といへば、さかづき持出たり。

 いでや、月の[宿の]主に、[饗設け(あるじもうけ)に]酒ヲ振まはん、と言へば、盃ヲ持ち出でたり。

はてさて、よい月を堪能した。どれどれ、月の宿の主に、月の饗設けとして酒を振まおう、と言うと、、主人は盃を持ち出してきた。

⑯ よのつねに一めぐりもおほきに見えて、ふつゝかなる蒔繪をしたり。

世の常[のもの]に、一巡りも大きに見えて、不束なる蒔繪をしたり。

それは、世間一般の盃より一回り意大きく見えて、風情のない蒔絵が施してある。

⑰ 都の人はかゝるものは風情なしとて、手にもふれざりけるに、おもひもかけぬ興に入て、𤦭[王+靑]碗玉巵[せいわんぎょくし]の心ちせらるも所がらなり。

 都の人は、かかるものは風情ガなしとて、手にも触れざりけるに、思ひも掛けぬ興に入りて、𤦭[王+靑]碗玉巵の心地せらるも所柄なり。

 都の人なら、このようなものは、風情がないと、手もふれないであろうが、思い掛けず興に入って、宝玉の碗や盃のように感ずるのも、ここが姨捨の地だからである。

⑱ あの中に蒔絵書たし宿の月

あの中に、蒔絵ヲ書きたし。宿の月。

姨捨の月

㉒  姨捨山
  俤や姥ひとりなく月の友

   姨捨山
  俤や。姥独り泣く、月の友。

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更科紀行 旅程 ㋭姨捨まで

旅程㋭ 「更科の姨捨へ」 洗馬宿~姨捨(67.2㎞) ※再掲

月日時分記事移動距離累計
8/1401:00旧暦なので、日の出るまでは14日。
姨捨の名月に間に合うよう、深夜洗馬宿発。
洗馬宿-182
8/1505:40善光寺西街道に入り、松本宿を通過。月没は4時、日の出が、5時半。-松本宿-18.4200
 〃11:00山道を北進、大沢口から東進、錦部から北進し、会田宿を通過。-会田宿-15.9216
 〃15:50立峠、中ノ峠を越え、西条宿、青柳宿、麻績宿を通過。-麻績宿-19.2235
 〃19:20七曲がり急坂を越え、聖高原に出れば、猿ヶ馬場峠。さらに西に向かい、視界が開けると、八幡の姨捨に出る。-姨捨の里-13.7249

足跡、姨捨まで


更科紀行 資料 姨捨山

更科紀行 資料:姨捨山眺望

右は、芭蕉の俳文に見る姨捨山の描写である。
姥捨山うばすてやま、姨捨山おばすてやまは通称で、地図などでは冠着山かむりきやまとしている。
文中の八幡やわたとは、姨捨を含む里の名である。
 
姨捨山は、その八幡の里から1里ほど南にあって、西南方向に長くつらなり、周りと比べすごく高いとにいうわけではなく、角張った岩などもみえない風情ある姿をしているという。
夜に着いて、山の姿が見えたかのようであるが、姨捨の里からは、手前の山に遮られていて、昼間でも見えない。

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罫線

俳文「更科姨捨月之弁」抜粋


…<略>…
 思ふにたがはず、その夜さらしなの里にいたる。
 山は八幡といふさとより一里ばかり南に、西南によこをりふして、冷じう高くもあらず、かどかどしき岩なども見えず、只哀ふかき山のすがたなり。
…<略>…

<「更科姨捨月之弁」全文>

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姨捨山眺望

では、いつどこで姨捨山冠着山を見たのか。
山は、芭蕉が通った経路のどこかから、明るいうちに見えたはずである。
姨捨に着くのは、8月15日19時20分。この日の日没は18時40分であるから、それまでに見ていなくてはならない。
芭蕉は猿ヶ馬場さるがばんば峠から、三峯山の北、七曲がりの道を下って行くが、この経路は、姨捨山との間に山塊がある。長野自動車道の一本松トンネルが貫く山塊であり、姨捨山はこの陰に隠れている。
しかし、一か所姨捨山が見える地点がある。猿ヶ馬場峠と姨捨の中ほどで、南側の眺望が開ける<●の地点である。


下の画像は、貞享5年8月15日、18時15分の画像(「カシミール3D」で描画)である。
冠着山の山体が、かなり覗き出し、「西南によこをりふして、冷じう高くもあらず、かどかどしき岩なども見えず、只哀ふかき山のすがた」を、見ることができる。
ここから里までは約4キロ、一気に標高を下げる薄暮の道となる。

姨捨山

隠居line

やはり、見ておられましたか。

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書生

姨捨の里からは見にくく、着く頃は暗くなるのですが、到着前にちゃんと見られました。

隠居

一昨年、万葉遠足で石井の里に参った折の写真がある。
高速道姥捨SAから撮ったのだが、棚田は見えず残念。

更科の里

眼下の平地がほぼ更科の里で、姨捨の里は左手。中央の奥手が長野市で、善光寺がある。
次は、このサービスエリアに設置されたパネル、民話を紹介している。

民話

書生

分かりやすいですね。

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更科紀行 講読その二 姨捨山

更科紀行 「旅宿1、旅の僧」 文⑪⑫検討

宿で芭蕉は、灯火の近くで、昼の内に得た案を、文や発句に仕立てようと呻吟する。その様子を見た行脚の僧は、「旅がつらくて、面白くなく悩んでいるのか」と、推し量ったのか、話し相手になろうとする。
荷物を運んでもらったことへの、せめてものお返しということか。
僧侶は精一杯、話し続け、風情の邪魔となっているが、芭蕉は僧侶の心づくしをきちんと受け止め、制止しようとしない。
「何を云出る事もせず」は、句は一つもできなかったということである。

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原文⑪⑫


⑪ 夜は草の枕を求て、昼のうち思ひもうけたるけしき、むすび捨たる発句など、矢立取出て、灯の下にめをとぢ、頭たゝきてうめき伏せば、かの道心の坊、旅懐の心うくて物おもひするにやと推量し、我をなぐさめんとす。

⑫ わかき時をがみめぐりたる地、あみだのたふとき数をつくし、おのがあやしとおもひし事共はなしつゞくるぞ、風情のさはりとなりて何を云出る事もせず。

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隠居line

まこと、そうですな。
この時点では、句が出なかったということです。

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書生

このとき、芭蕉は見ていませんが、月は高く昇っています。
この姨捨の月は、どんな景色か描いてみました。

姥捨の月

姨捨の宿がどこか分かりませんが、高台にある「長楽寺」とすれば、冠着山(姨捨山)の頂がわずかに見えます。
地平から、月が出るのは18時49分、日没から9分後で、芭蕉たちが着くころには、鏡台山きょうだいさんから顔を出します。
参考に、午後3時の景色も入れておきましょう。冠着山が辛うじて見えているのが分かります。

昼の冠着山

隠居

ほう、成る程。

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更科紀行 「旅宿2、蒔絵の盃」 文⑬~⑰・句⑱検討

あの中に蒔絵書たし宿の月

僧の善意の節介で、昼の感興を句に書き留めることはできなかった。
とは言っても、話で紛れ忘れていた姨捨の月影が、木に隠れつつ壁の破れから差し入って、鹿が掛かった鳴子の音、その鹿を追う人声が、あちこちから聞こえてくる。
これぞまさしく、哀切を極めた更科の秋の風情。
かの僧も寝てしまったらしい。
 
感極まり、「いでや」と主を呼ぶ。
 月の宿亭主盃持いでよ (歌仙「水仙は」より)
 
亭主は、大ぶりで下手な蒔絵の盃を持ってくる。
都会では見向きもしなさそうなものだが、この鄙びた更科の里で手に触れると、宝玉の器同様に感じられる。
 
 ※ 「𤦭」は[王靑]。ブラウザの設定により表示されない。

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原文⑬~⑰


⑬ とてもまぎれたる月影の、かべの破れより木の間がくれにさし入て、引板(ひた)の音、しかおふ声、所々にきこへける。

⑭ まことにかなしき秋の心爰に尽せり。

⑮ いでや、月のあるじに酒振まはん、といへば、さかづき持出たり。

⑯ よのつねに一めぐりもおほきに見えて、ふつゝかなる蒔繪をしたり。

⑰ 都の人はかゝるものは風情なしとて、手にもふれざりけるに、おもひもかけぬ興に入て、王+青碗玉巵せいわんぎょくしの心ちせらるも所がらなり。

「あの中」は、草稿のとおり「あの月の中」である。
盃の碗面を月に見立て、蒔絵を施したいなど、既に酔っ払っている。
この句は、なぜか、越人の句集にも見当たらない。

罫線句⑱

⑱ あの中に蒔絵書たし宿の月

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隠居line

そうか、他の句集には出ませぬか。

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書生

はい、出ません。
宿の主人には、懐紙を渡しましたが、先に寝込んだ越人には、罰として見せなかったのでしょう。

隠居

まさか。

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更科紀行 「姨捨の月」 俤や句㉒検討

俤や姥ひとりなく月の友

名月の光に照らされ、手前の山の向こうに姨捨山の頂が、わずかに見えている。
捨てられた姥の泣く姿がありありと見え、更科の秋の孤愁にひたる私もまた月に照らされている。
ともに月影を頂く、心通う友である。

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罫線句㉒

  姨捨山
 俤や姥ひとりなく月の友

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隠居line

里から、姨捨山はほとんど見えないのですな。
まあ、見える所に棄てぬのが、道理ではありますが。

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書生

よく姨捨山を見て嘆くかのように訳されますが、山が見えては不自然です。
大和物語の
 わが心慰めかねつ更級や 姨捨山に照る月を見て
も 「姨捨山に照る月」です。「月に照らされる姨捨山」ではありません。
月は見ていますが、姨捨山を見てはいません。見えない所で、「この月は姨捨山を照らしているのだ」という感慨を歌っているわけです。

隠居

なるほどな。

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更科紀行、講読二の振返り
姨捨
書生

念願の更科、姨捨の月を見ることができました。

隠居

仲秋では田んぼに水はないから、田毎の月は見られなかったがな。
それにしても、夜到着したのに、途中から姨捨山が見られたとは、驚愕でしたな。

書生

山岳眺望ソフト「カシミール」のおかげです。
時空を超えて、景色を描くことができました。

隠居

芭蕉が見たままというロマンもある。
しかし、お主もよくやるのう。手間暇も結構かかろうに。

書生

デジタルも、結構風流なものですよ。
雪見で転んだり、萩の原で倒れなくても、愉しめます。

隠居

景色は想像すればよいものを、まあそれも風狂ですな。

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