更科紀行 善光寺・坂木・浅間

更科紀行 索引
原文・資料旅程・足跡講読木曽路姨捨山善光寺旅後の資料
更科紀行 善光寺・坂木・浅間 索引
原文善光寺以後の発句
資料資料:信濃国の郡資料:旅程上の問題
講読講読その三 善光寺㉙ 月影や句㉓ いざよひ句
講読その四 坂木宿㉔ 更科や句㉖ 身にしみて句
講読その五 追分宿㉚吹とばす句
講読その六 更科紀行13発句の配置


講読、その三


 芭蕉は、「笈の小文」の旅の後、江戸に帰る途中、越人を伴い更科へ向かい、念願の姨捨の月を見る。翌日、善光寺に参拝し、浅間山に至ります。
 このページでは、「更科記行」姨捨後の5句を取り上げ、原文・訳読み文・口語訳を示して、講読します。
 また、本文末に並べられた発句について、その配列の謎を解明します。



更科紀行
linelineline
書生

善光寺以後の発句です。

隠居発句だけですな。

書生

発句が手掛かりです。
発句と訳読みを示しつつ講読していきます。

隠居待たれよ。
㉓の句ですがな、「壬生山家集」に、「掛物/翁真蹟/しなのの国さかきといふ所にて/いさよひもまたさらしなの郡哉」とあります。
また、岩波「芭蕉俳句集」の注に、「真蹟短冊にもしなののさかきと云処にとまりてと前書」とあります。
善光寺ではありませんな。

書生

「さかき」は「坂木(今の坂城)」ですね。
しかし、この句を坂木に置くと、行程に矛盾が生じます。
また、講読の折にご検討ください。

更科紀行、発句・訳読み

更科紀行 「善光寺以後の発句」

善光寺

㉙  善光寺
  月影や四門四宗も只ひとつ

   善光寺
  月影や。四門四宗も、ただ一つ。

㉓ いざよひもまだ更科の郡かな

  十六夜も、まだ更科の郡かな。

坂木宿

㉔ 更科や三よさの月見雲もなし 越人

  更科や。三夜さの月見、雲もなし。 越人

㉖ 身にしみて大根からし秋の風

  身に染みて、大根辛し。秋の風。

浅間山

㉚ 吹とばす石ハ浅間の野分哉

  吹き飛ばす石は、浅間の野分かな。

↑ トップへ


更科紀行 資料
linelineline

更科紀行 資料:信濃国の郡

信濃国の郡

更科紀行を読むに当たって、十の郡こおりの一つ「更科」が、信濃国のどの辺りにあるのか、承知しておきたい。


♪信濃の国は十州に 境連ぬる国にして♪
 
これは長野県歌「信濃の国」の冒頭である。
更科郡は、右の通り、六つの郡に囲まれているが、境界は、大河や稜線により、明確である。
 ・北の水内みのち郡との境は、犀川。
 ・北東の高井郡との境は、千曲川。
 ・東の埴科郡との境は、千曲川。
 ・南東の小県ちいさがた郡との境は、稜線。
 ・南西の筑摩ちくま郡との境は、稜線。
 ・西の安曇あずみ郡との境は、犀川。
なお、「さらしな」は、延喜式には更級と表記され、吾妻鏡には、更科の字も見られる。また、江戸期の郡編成では「更科」、現在の郡名は「更級」である。(※合併により更級郡は今ない)
芭蕉たちは、更科郡の八幡(姨捨)から水内郡の善光寺に行き、埴科郡坂木(明治19坂城に改称)の宿に至る。

隠居

「信濃の国」な、先に言った万葉遠足で泊まった松代のロイヤルホテル、「更科の里」という風情ある飲み食い処に掲示してあって、書き写しておいた。

信濃の国歌詞

地元の人が、「長野県民は、誰でも歌える」と歌ってくれ、感動いたした。

書生

また、「ロイヤル」という名に、惹かれましたか。

隠居

いや、ロイヤルルームはなくて、部屋は備長炭癒しルーム。連れどもの加齢臭も消えた。
このような歌詞です。
 2番 流れ淀まず行く水は 北に犀川 千曲川   ※抜粋
 4番 尋ねまほしき園原や 旅の宿りの寝覚の床
    木曽の桟かけし世も 心して行け久米路橋
    来る人多き筑摩の湯 月の名に立つ姨捨山
    著き名所と風雅士が 詩歌に詠てぞ伝えたる
  ※ 作詞 浅井洌
6番まであるが、長くなるので、「更科紀行」に関係するところだけ。

書生

なるほど、県民が誇れる内容ですね。見事な七五調。

隠居

それから、「級」と「科」、これはどちらも段差を表す。つまり「階」と同じで、京の山科は山階とも書きます。
信濃には、科の付くところが多い。埴科・浅科・立科・蓼科・明科などとな。「科」の国だから、「科野」である。古事記には、「科野国」と出てきます。万葉では、「信濃道者 伊麻能波里美知」と、もう「信濃」になっておる。

書生

はい。
で、信濃の国を芭蕉たちがどのように移動したか、実に悩ましい問題があります。

linelineline

更科紀行 資料:旅程上の問題

 ┌─┬───┬───┬───┬─────────────┬──┬─────────┐
 │№│ 郡名 │ 地名 │ 詞書 │      句      │作者│   備 考   │
 ├─┼───┼───┼───┼─────────────┼──┼─────────┤
 │⑱│ 更科 │ 姨捨 │ - │あの中に蒔絵書たし宿の月 │芭蕉│         │
 │㉒│ 更科 │ 姨捨 │姨捨山│俤や姥ひとりなく月の友  │芭蕉│         │
 │㉙│ 水内 │善光寺│善光寺│月影や四門四宗も只ひとつ │芭蕉│         │
 │㉓│ 埴科 │ 坂木 │(坂木)│いざよひもまだ更科の郡かな│芭蕉│坂木:真蹟懐紙詞書│
 │㉔│ 不明 │ 不明 │ - │更科や三よさの月見雲もなし│越人│         │
 └─┴───┴───┴───┴─────────────┴──┴─────────┘
<導かれる条件>
 1 「姨捨」で月の句を詠んでいる。⑱㉒
 2 「善光寺」で月の句を詠んでいる。㉙
 3 「坂木」で十六夜の句を詠んでいる。㉓詞書き
 4 「更科」で「十六夜」の月を見ている。㉓
 5 「更科」で、月を三晩見ている。㉔
 6 江戸へ向かうので、「姨捨→善光寺→坂木」の順に移動する。
 7 洗馬から夜を徹して歩いたのは、姨捨の名月を見るためなので、姨捨で見たのは満月である。
<条件を満たす旅程>
 ┌───┬─────┬──────────────┬───┬───────────┐
 │16日│10:00│姨捨を発ち、善光寺に向かう │   │           │
 │ 〃 │15:20│善光寺に着く        │21.1㎞│           │
 │ 〃 │19:10│善光寺で月影を見る     │   │㉙月影や       │
 │ 〃 │19:30│善光寺を発ち、坂木に向かう │   │           │
 │ 〃※│02:30│坂木に着く         │26.2㎞│㉓真蹟の詞書     │
 │17日│     │坂木に二宿、月を見る    │   │㉔三よさの月見    │
 └───┴─────┴──────────────┴───┴───────────┘
  ※ 日付は、日の出に変わる。

隠居夜歩いて坂木に行くことになりますか。
これは、悩ましいですな。
書生姨捨の月は満月ですから、善光寺は十六夜の月です。
また、善光寺で月を見て、同じ夜に坂木で月を見ようとすると、到着は午前2時過ぎです。
隠居それでは「三夜さ」になりませんな。
書生「ふた夜さ」で、字が余りますから、もう一宿します。
この解は、「いざよひも句」が「善光寺近くの更科」で詠まれたとする以外なさそうです。
顧みれば、条件3と4は、同時に成り立ちません。
条件4は、句そのものが拠ですから、条件3を変更します。
坂木で見たのは、月に照らされる更科の姨捨山ですから、条件5も次のように変わります。

<条件>
 3 「坂木」で十六夜の句を詠んでいる書いている
 5 「更科」で、月を更科の月影を三晩見ている。
<旅程>
 ┌───┬─────┬──────────────┬───┬───────────┐
 │16日│19:10│善光寺で月影を見る     │   │㉙月影や       │
 │ 〃 │19:30│善光寺を発ち、更科に向かう │   │           │
 │ 〃※│20:50│丹波島に着く        │ 5.7㎞│㉓いさよひも     │
 │17日│     │坂木に移動する       │20.5㎞│           │
 │ 〃 │19:40│坂木で姨捨山に照る月を見る │   │㉔三よさの月見    │
 └───┴─────┴──────────────┴───┴───────────┘

隠居そうですな。
坂木には日の高いうちに着いていますから、ゆっくり整理できます。
芭蕉は嘘を言いませんから、善光寺近くの更科の宿で、「㉓いざよい」の句案を得て、翌日「坂木といふ所にて」完成させ、書き留めたということですな。
条件を整理しましょう。条件7は、1に含まれるでしょう。順序も変わりますな。
書生はい。
16日は、善光寺近くで一宿が現実的で、すべて解けます。
<整理後の条件>
 ┌─┬──┬────┬────────────────┬────────────────┐
 │1│ 8月│更科  │姨捨の名月を見るため、夜を徹して│⑱ あの中に蒔絵書たし宿の月  │
 │ │15日│  八幡│歩き、姨捨で名月の句を詠んだ。 │㉒ 俤や姥ひとりなく月の友   │
 ├─┼──┼────┼────────────────┼────────────────┤
 │2│ 〃 │水内  │善光寺で月の句を詠んだ。    │㉙ 月影や四門四宗も只ひとつ  │
 │ │16日│ 善光寺│                │                │
 ├─┼──┼────┼────────────────┼────────────────┤
 │3│ 〃 │更科  │更科の地で十六夜の月を見た。  │㉓ いざよひもまだ更科の郡かな │
 │ │ 〃 │(丹波島)│                │                │
 ├─┼──┼────┼────────────────┼────────────────┤
 │4│ 〃 │埴科  │坂木で懐紙に「いざよひも」の句を│㉓ 信濃の国さかきといふ所にて │
 │ │17日│  坂木│書いた。            │  いざよひもまだ更科の郡かな │
 ├─┼──┼────┼────────────────┼────────────────┤
 │5│ 〃 │埴科  │越人が「三夜さの月見」と詠んだ。│㉔ 更科や三よさの月見雲もなし │
 │ │ 〃 │  坂木│坂木で、姨捨に照る月影を見た。 │              越人│
 ├─┼──┴────┴────────────────┴────────────────┤
 │6│江戸へ向かうので、「姨捨→善光寺→坂木」の順に移動する。             │
 └─┴─────────────────────────────────────────┘
隠居うむ、解けますのう。
一片の雲もなしじゃ。
「三夜さの月見」を「名月前後の三晩」とする解説書がある。14日の小望月は、洗馬から松本への街道を照らしてくれましたが、背中で味わっただけです。また、更科ではさらさらない。
「芭蕉紀行文集」は、「八月十五日・十六日・十七日の三夜」とある。流石、岩波ですな。

↑ トップへ


更科紀行 講読その三 善光寺

旅程⑥ 八幡~善光寺~丹波島の宿(26.8㎞)

月日時分記事移動距離累計
8/1610:00八幡(姨捨)を発つ。八幡発-249
 〃15:20丹波島を経て、善光寺に着く。善光寺西街道21.1270
 〃19:30

善光寺参詣・見物。十六夜の月を見る。善光寺外苑西之門辺りから見たとき、地平の月の出18時30分頃、東方笠ヶ岳からの月の出は19時10分頃である。

善光寺界隈-270
 〃20:50月を見つつ犀川を渡り、丹波島の宿に着く。善光寺西街道5.7276
旅程、善光寺まで

右は、八幡の姨捨から、丹波島たんばじまを経由して善光寺へ行き(緑)、丹波島に戻る(紫)足跡である。
この前日は、姨捨の月を見ようと、洗馬宿を深夜に発ち、山道を18時間以上歩いている。この疲れと姨捨の月を堪能した安堵で、目覚めは遅かったことであろう。
善光寺は近いと、ゆっくりと旅支度をして、朝10時頃に宿を発つ。
姨捨から、善光寺西街道に入り、千曲川に沿って歩き、篠ノ井から丹波島に向かう。
丹波島を過ぎ、犀川を渡ると水内みのち郡に入る。
約一里で善光寺に至る。到着は午後3時を過ぎたころか。
善光寺を見物しながら、月の出を待つ。
19時10分、「善光寺外苑西之門」から、真東を見ると、笠ヶ岳左から月が出る。

善光寺月の出

犀川を渡って、更科に戻り、丹波島に泊まる。
linelineline

更科紀行 「善光寺句」 ㉙検討

月影や四門四宗も只ひとつ

芭蕉たちは善光寺に参詣し、十六夜の月を味わう。
善光寺は、四つの門に四つの寺の名を掲げ、浄土・天台・律・倶舎の四宗兼学としている。十六夜の月影は、それらは勿論、世をあまねく照らしているのだ。

罫線

善光寺㉙


  善光寺
 月影や四門四宗も只ひとつ

隠居

四門四宗とは何か、諸説ありますが、どの説にしても、句の味わいは変わりません。
分かれていても帰するところは一つ。四を並べたのは、四四、十六夜の月だからです。
ときに、「この辺りで一泊」はよいのかな。

書生

はい、問題ありません。

旅程表、引き算で分かりますが、善光寺から坂木宿までは26キロ、6時間はかかります。
善光寺で月影を見て、坂木に行くと、到着は午前2時です。また、坂木に急ぐ理由は見当たりません。

隠居

ふむ。どこかで泊まりますな。
ときに、上の画像で「外苑西之門から観月」は、どこから出ましたかな。

書生

時分時であり、酒豪の越人を連れていますから、酒のある店で腹ごしらえをします。ここには、寛永14(1637)年創業「酒とみその店善光寺外苑西之門よしのや」があります。

隠居

お店の名でしたか。まあ、善光寺界隈であれば、いずくなりとも。
で、どこで泊まりますかな。

書生

次の句で、更科での宿泊が決定します。

いざよひもまだ更科の郡かな

更科の月を見たいとやってきた。
だから、十六夜もこうして、更科の郡こおりに留まって堪能しているのだ。

罫線

更科の旅宿㉓


 いざよひもまだ更科の郡かな

隠居

16日も更科郡内ということですな。
善光寺は水内郡ですが、更科郡と思うていたのではありませんかな。

書生

はい。ならば、善光寺近くの宿に泊まったとしても、旅程上の距離に、問題はありません。
しかし、この講読は、笈の小文で、「芭蕉は嘘をつかん」ということを前提にしていました。
ここを例外と認める根拠がありません。

隠居

うむ。更科で泊まるに越したことはないですな。

書生

では、芭蕉たちは、水内郡の善光寺から、約1里南下し、月夜の河を渡って、丹波島の宿に一宿でよろしいか。

隠居

♪鞭声エ~、肅、しゅくウ~~♪夜ウ河を~オ~渡るウ~~ゥ♪
♪曉に~見るウ~~♪千兵イのオ~タ……

書生

川中島は、も少し南です。この講読に、上杉謙信は関係ないかと……
犀川を渡れば、更科です。
丁度犀川を渡ったところに、浄土宗の寺がありますし、
「いざよひもまだ更科の郡哉」と、句にあるとおりです。
ん?
この句、「まだ」ではなくて「また」ではないですか。
当時は濁点を付けません。後世のひとが、「まだ」と了解して読んだのではないですか。
原文は、仮名書きで「また」ですね。
「ま(未)だ」は、前からの状態がその時まで続いているとき使います。「まだ寝ている」は、継続して寝ています。
「また(又・亦・復)」は、前からの状態が一旦途切れて繰り返されるとき使います。「また寝ている」は、一旦起きています。
芭蕉は、一旦更科から水内に行き、更科に戻ったわけですから「また(又・亦・復)更科」ですね。

隠居確認します。
ひとつ、「いつを昔」には、濁点がありますな。
これこの通り、「いさよひもまだ更科の郡哉」と書いてあります。
書生「いざよい」に濁点がありませんね。
隠居

うむ。「いさよひ」は、上代は濁らなかったが、この頃は濁ってますが濁点はないな。
これは、其角編・去来校ですから、間違いないでしょう。元禄3年板ですから、芭蕉も見ています。

書生

おや。
詞書きに「越人を供して木曽の月見し比」とありますが、「木曽」ではありません。

隠居

まあ、その辺りはそんなこともあるでしょう。中山道を木曽路と呼びますしな。厳密なものではありません。

↑ トップへ


更科紀行 講読その四 坂木宿

旅程⑦ 更科の旅宿~坂木宿(20.5㎞)

月日時分記事移動距離累計
8/1708:00丹波島の旅宿発。丹波島-276
 〃10:40

善光寺西街道、篠ノ井から千曲川をわたり、北国街道へ。この辺りから冠着山(姨捨山)を正面に遠望する。
屋代宿を通過する。

-屋代-10.4286
 〃12:40

上戸倉かみとぐら宿を通過する。

-上戸倉-7.8294
 〃13:20

坂木宿、到着。
辛味大根のおしぼりで饂飩を食べる。
月齢16.7、立ち待ちの月を、越人は千曲川の中州で眺める。

-坂木-2.3296
足跡、坂木まで

右は、丹波島から坂木へ向かう足跡である。

篠ノ井で、善光寺西街道に別れ、千曲川を渡って北国街道を南下する。
屋代へ向かう途上、姨捨山を正面に見る。

姥捨山遠望

旅程表には遅めの出立と想定したが、屋代通過は昼前である。

普通に歩けば、上田宿・海野宿辺りまでは行けるが、二人はこの夜も、更科の月を見る。
「壬生山家」の詞書きとは別に、越人句の「更科や」と芭蕉句の「大根からし」から、坂木宿泊を想定した。
ここに泊まる目的は、「姨捨山に照る月を見る」である。
画面左の大峯山は、坂木の東側になり、月はこの左から、8時半ごろに昇ってくる。

linelineline

更科紀行 「坂木宿句」 ㉔・㉖検討

更科や三よさの月見雲もなし 越人

越人の句。
ここは名にし負う更科。
名月、十六夜、立待と、三晩続けての贅沢な月見で、しかも雲もないのだ。

罫線

越人句㉔


 更科や三よさの月見雲もなし 越人

隠居

「三よさ」は、「三+夜さ」です。これは、名月の前後三晩の月、則ち「小望月・望月・十六夜の月を言う」というのが、世の通例です。立待月を入れますかな。

書生

はい。越人の意味でとらえます。この「三夜さ」は、「望月・十六夜・立待」です。「更科や」ですから、更科で見た月です。

隠居

坂木宿は、更科ですかな。明治19年、坂城と改称し、昭和35年川を挟んだ「更級郡の村上村」を編入とありますがな。坂木は埴科です。

書生

はい、そうです。坂木は更科ではありません。篠ノ井から千曲川を渡りましたが、そこから埴科郡でした。
須磨・明石の境川のように一またぎできませんが、千曲川は大河で、中州があります。
中州があれば、その真ん中から向こうは更科であるかと。
中州から越人が見た月の出を描いてみましょう。
中州から、坂木を振り返れば、19時40分頃、大峯山の少し北から月が昇ります。

坂木の月

超広角16㎜レンズの描写です。
隠居

実に風狂ですな。

書生

はい。
この地は、冠着山の東麓です。
「立待月に照らされた姨捨山」を間近から眺められます。
 
これは、夜10時、月に照らされた姨捨山です。
千曲川の中央を越えた中州(今の昭和橋の下)で、越人が眺めた景色。標準50㎜レンズで撮影しました。

冠着山

隠居

なるほど、あわれ深い山の姿です。
であれば、そんな無理をして更科の地に立たなくてもよろしかろう。
「姨捨山に照る月を見て」ではなく、「月が照らす更科の姨捨山を間近に見て」と解すればよいでしょう。
 ♪然るに月の名所♪いづくはあれど更科や♪
 ♪姨捨山の曇なき♪一輪満てる清光の影♪

と、越人は謡いますな。

書生

はあ。

隠居

謡曲「姨捨」を踏まえて「雲もなき」とな。
おや、坂木よりひとつ手前の上戸倉のほうが、姨捨山に近いですぞ。

書生戸倉から姨捨山眺望

はい。
平面地図で見ると、その通りですが、戸倉町とぐらまちからは、冠着山頂がわずかしか見えません。
上の画像、冠着山右に二つの峰がありますが、それにほとんど隠されてしまいます。
右は、千曲市立戸倉上山田中学校体育館西の堤防(標高372m)から見た姨捨山です。
分かりにくいので、標高1100m以上に雪を降らせてあります。
ここから、上戸倉宿に向かって100mほど進むと、全く見えなくなります。
姨捨山は標高1252m、手前の峰は1046mです。

隠居

いやいや、なるほど。
坂木で泊まる理由は、「姨捨山を見る」と、実に明白ですな。
朝、ゆっくりと発って、昼過ぎに坂木。普通なら上田や海野まで行けるところです。坂木で泊まる理由ができましたな。

書生

はい。坂木への立ち寄りは、次の句も根拠になります。

身にしみて大根からし秋の風

古来、秋風は、身にしみるものというが、この大根のからさはどうだ。おお、実に辛い。
秋風が我が身を吹き抜けるかのようである。

罫線句㉖

 身にしみて大根からし秋の風

信州、辛味大根の主な産地は三つある。
先ず、高遠。殻付き蕎麦の風味豊かな一番粉で打った蕎麦を、焼き味噌・辛味大根のおろし・葱のからつゆで食す。
次に、戸隠。これも挽きぐるみで、丸伸し。ぼっち盛りで、海苔なしながらざる蕎麦である。信州の伝統野菜に認定された辛味大根を薬味とする。
そして、坂木。ここの大根は、根の先端が細長く、鼠に似ることで、ねずみ大根と呼ばれる辛味大根である。ここでは、辛味大根は薬味ではない。蕎麦つゆそのものである。この大根をたっぷりおろし、絞ってつゆとし、醤油や味噌を薬味とする。これを「おしぼり」という。
信州の、高遠・戸隠・坂木という辛味大根の名産地のうち、芭蕉の行程に合うのは、この坂木である。

隠居

そばの蘊蓄になっておるが、要するに、芭蕉が通る道で、辛い大根のあるのは、坂木だということですな。

書生

いかにも、その通りです。

隠居

坂木と言えばうどんである。うどんつゆと改められたい。
ここは、「身に沁む」が肝要である。
 秋ふくはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらん 和泉式部(詞花)
 夕されば野べの秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里      藤原俊成(千載)

「身に沁む風」は、秋の風情として詠まれています。

書生

芭蕉は、辛味大根の名産地坂木で、その味覚を秋の風情として味わったわけですね。

隠居

いかにも。

↑ トップへ


更科紀行 講読その五 追分宿

旅程⑧ 坂木宿~追分宿(42.6㎞)

月日時分記事移動距離累計
8/1806:00坂木宿発。坂木宿-296
 〃07:10千曲川右岸、北国街道を東進、鼠宿を通過。-鼠-4.7301
 〃09:00難所の岩鼻を越え、上田城を眺め、上田宿通過。-上田-7.7308
 〃10:40信濃国分寺を経て、海野宿を通過。-海野-6.9315
 〃11:10川沿いに進み、田中宿通過。-田中-1.9317
 〃13:30浅間山を左手前方に見つつ進み、小諸宿通過。-小諸-9.3326
 〃16:40千曲川から離れ、浅間山麓を進み、追分宿に着く。月齢17.7、居待月。-追分宿12.7339
足跡、追分まで

浅間山

   田中宿を過ぎると、剣ヶ峰が見える。

浅間山

   追分からは、浅間が間近に見える。

いずれも、50㎜レンズで、地平より上の描写。

linelineline

更科紀行 「浅間山句」 ㉚検討

吹とばす石は浅間の野分哉

一歩一歩進むとともに、噴煙を上げる浅間山が近付いてくる。間近で見ると、巨大な岩がごろごろとしている。これは、浅間が吹き飛ばしたもので、これが浅間の野分なのだ。

罫線句㉚

  吹とばす石ハ浅間の野分哉

隠居

浅間も歌枕。
 信濃なる浅間の嶽にたつ煙 をちこち人の見やはとがめぬ
これは、伊勢物語にある業平歌。

書生

はい。調べました。
 いつとなく思いに燃ゆる我が身かな 浅間の煙しめる世もなく 西行
 雲はれぬ浅間の山のあさましや 人の心を見てこそ止まめ   古今集
 信濃なる浅間の山も燃ゆなれば 富士の煙のかひやなからん  後選集

どれも、噴煙を、激しい情念のたとえとしていますね。
芭蕉は石を詠み、噴火を野分に喩えるという、新しい視点の句です。
ちなみに、芭蕉が見た景色は、500年前、平安時代に形成されたものです。また、天明の大噴火はこの95年後です。

隠居

そうか。
まあ、この名句をもって、更科紀行は大団円を迎えるわけじゃ。
また、更科紀行も行程順に読めて、めでたいことですな。
ときに、「句の配置が課題になりそう」とか言っておられたが、いかがかな。

書生

はい。すべて、行程順に講読できました。
しかし、句の配置については、念頭に置きつつ読んできましたが、どうも一筋縄では、いかぬようです。
ご一緒に探っていただければと。

↑ トップへ


講読その六 発句の配置
linelinelineline

「更科紀行版行本」の句と「真蹟草稿」の句との相違については、
「更科紀行全文ページ」の「更科紀行版行文と草稿の比較」を参照。 ここでは、「板行本」13句の配置を検討する。以下、「更科紀行板行本」と「真蹟草稿」の句を再掲。

更科紀行解釈草稿
⑱ あの中に蒔絵書たし宿の月姨捨の宿にて

        ○
 あの月(の中)に蒔絵書たし宿の月

⑲ 桟やいのちをからむつたかづら括弧
 木曽の桟にて
 桟やいのちをからむつたかづら
⑳ 桟や先おもひいづ馬むかへ 桟や先おもひいづ馬むかへ
㉑ 雱晴れて桟ハ目もふさがれず 越人  雱晴て桟ハ目もふさがれず 越人
矢印 さらしなや三よさの月見雲もなし 同

㉒  姨捨山
  俤や姥ひとりなく月の友

括弧

 謡曲「姨捨」

  姨捨山
 俤や姥ひとりなく月の友

㉓ いざよひもまだ更科の郡かな

 いざよひもまださらしなの郡哉

㉔ 更科や三よさの月見雲もなし 越人
㉕ ひよろひよろと露けしやをみなへし 

          尚

 ひよろひよろとこけて露けしやをミなへし
㉖ 身にしみて大根からし秋の風坂木にて矢印 
㉗ 木曾のとち浮世の人の土産かな旅の終わり

 (よにおりし人にとらせん木曾のとち)
 木曾のとちうきよの人のミやげ哉

㉘ 送られつ別ツ果ては木曾の秋振り返り・別れ
 身にしミて大根からし秋の風

㉙  善光寺
  月影や四門四宗も只ひとつ

善光寺にて

  善光寺
 月影や四門四宗も只一

㉚ 吹とばす石ハ浅間の野分哉 浅間山麓にて

 (秋風や石吹颪すあさま山)
   落
 (吹颪あさまは石の野分哉)
   とばす ハ
 吹(落す)石あさまの野分哉

linelineline
隠居

上から順に見ていきましょう。

書生

先ず⑱句、これは、上の文章「月のあるじの段」を詞書きとするので、この位置は動きません。
⑲⑳㉑は、木曽の桟での句で、まとまりができています。

隠居

行程からして、姨捨句の前でよいわけです。

書生

その㉒㉓㉔句は、更科の句として、ひとまとまりですがら、㉔句をここに移したのはいいでしょう。
問題は、㉕句です。この句がここに来ているのは、なぜか。全く了解困難で、いつもここで思考が閉塞いたします。「笈日記」は留別句の後にありましたが。さて。

隠居

埒が開かぬとな。
「なぜか」では、分かりませんな。
♪盛ア~り~ふウ~け~たる~女郎花の~、盛ア~り~ふけたる~女郎花の♪

書生

おっと、謡曲。あやしの御ンうなり。

隠居

「あやし」とな。

書生

検索しますので、……、……。

隠居

いかがかな。

書生

と、解けました。
㉕の「ひよろひよろ句」、㉖の「身にしみて句」も、謡曲「姨捨」を踏まえた句です。
すべて、解けました。

隠居

どう解けた。

書生

ざっと、踏まえている表現を拾います。


㉒「俤や姥ひとりなく月の友」は、謡曲の「もとより処も姨捨の/山は老女が住処の/昔に帰る秋の夜の/月の友人円居(まどい)して」
㉓「いざよひもまだ更科の郡かな」は、「こゝぞ名におふ更科や」「然るに月の名所。いづくはあれど更科や」
㉔「更科や三よさの月見雲もなし」は、「万里の空も隈なくて」「然るに月の名所。いづくはあれど更科や/姨捨山の曇なき」
㉕「ひよろひよろと尚露けしやをみなへし」は、「花に起き臥す袖の露の」「盛ふけたる女郎花の。盛ふけたる女郎花の。草衣しをたれて。昔だに捨てられしほどの身を知らで」

㉖「身にしみて大根からし秋の風」は、「もの凄じき此原の/風も身にしむ/秋の心」「今宵の秋風。身にしみじみと」


一致度は、かなり高いと言えます。論文剽窃チェッカーを使うまでもありません。

隠居

なんじゃ?

書生

「更科」というくくりを含む、「謡曲『姨捨』の世界」というくくりで、㉒から㉖までがまとまります。
名古屋・岐阜での留別句「ひよろひよろ」が、「更科」の次に置かれたのも納得できます。

隠居

その句な、「こけて」を「尚」にしたのも音数合わせではない。
「こけて」は、「女が籠絡の術に落ちて」の意も秘めるから、謡曲「姨捨」を踏まえたときには使えぬわな。

書生

なるほど。
「尚」だと、盛りが過ぎ、しおれて倒れ、なおさらに露けくなるということで、よく合いますね。
なるほど……。
㉗の「木曽のとち句」の「浮世」ですが、謡曲の姥の幽霊に対して用いたのでしょうか。

隠居

いや、この句は謡曲の詞を踏まえていない。
この句は、幽玄な謡曲「姨捨」から離れ、世俗に戻るという働きではないか。

書生

土産という語で、更科から離れるということにもなりましょう。
「よにおりし人にとらせん」を採用しなかった理由もここにあります。
謡曲「姨捨」の「隠り世」に対し、「浮き世」という語を用い、現実生活に戻したわけです。
㉘の「送られつ句」は、ここが区切り。更科に「別れる」ことを示します。
留別句は、「送られつおくりつ」でしたが、「送られつ別れつ」と変えてありますし。
草稿にない㉘句を、ここに置いた理由は他にありません。

隠居

うむ。

書生

㉙の善光寺句、㉚の浅間句は、帰路の句ということが、明確になります。

隠居

そういうことですな。

↑ トップへ


更科紀行、講読三の振返り
linelineline
善光寺
書生

「三夜さの月」が、名月、十六夜の月、立待月であったことが、行程上明らかになりました。
さらに、すべて更科で見うることも、明白になっています。

隠居

「見うる」ですな。

書生

善光寺で見た月影は、十六夜の月ですから、行程上この夜に坂木宿で、眺めることはできません。
 十六夜もまだ更科の郡かな
この句を坂木での吟とする注釈をよく目にしますが、坂木ではなく更科であることが分かりました。
 更科や三夜さの月見雲もなし 越人
三晩めの月、すなわち立待月を見たのが、坂木です。実際、千曲川の川原で、更科でもありましたが。

隠居

行程順に読んだ成果ですな。

書生

まあ、そうでなければ、更科の八幡の里に三日留まり、三夜さの月を堪能したとなります。
しかし、それでは、善光寺での「月影句」が、居待の月となり精彩を欠きますから、当然否定されるでしょう。

隠居

ありえぬのう。

書生

句の配置の謎は、完全に解明できました。
 1 前文につながる「月の宿」の句。⑱
 2 姨捨に至る木曽路の句。⑲~㉑
 3 謡曲「姨捨」を踏まえた句。㉒~㉖
 4 別離の句。㉗・㉘
 5 帰路の句。(善光寺、浅間山)㉙・㉚
ご隠居の、謡いのおかげです。隠居の慧眼には、恐れ入りました。

隠居

いや、却って、痛み入る。わしは、きっかけとして出しただけでな。
あとは、お主が見付け、句の配置の謎を解明したという案配。

書生

「俤や」から「身にしみて」までの5句が、謡曲「姨捨」の世界だったとは。
実にすっきりと、解明でき、唖然としました。
言い訳するわけではありませんが、「あやし」は、「怪し」ではなく、「妖し」です。妖艶で幽玄な響きと感服……

隠居

そうか、妖しか。
しかし、謡を途中で止めるな。次が出ん。

↑ トップへ

 

- 更科紀行講読ページの解説へ -


 ページトップへ

各ページへ


   | 原文・資料  | 旅程・足跡  | 木 曽 路  | 姨 捨 山  | 善 光 寺  | 旅後の資料  |