更科紀行 旅の後

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旅後の資料

 芭蕉は、「笈の小文」の旅の後、江戸に帰る途中、越人を伴い更科へ向かい、念願の姨捨の月を見る。後、善光寺から浅間を経て、帰路に着きます。

 このページでは、追分宿以後の旅程と、帰庵後の更科紀行関連資料を探ります。


更科紀行

 資料………「旅程表⑨、追分宿~芭蕉庵」「深川八貧

 俳文等……「素堂の喜び」「十日の菊」「十三夜、素堂」「十三夜、芭蕉」「芭蕉、旅関連の句

 書簡………「荷兮宛て「奴僕の礼」」「卓袋宛て「姉看取りの礼」

 歌仙等……「半歌仙、白菊に」「阿羅野、越人」「半歌仙、月出ば」「歳旦歌仙、水仙は


更科紀行 
書生

すべて解けて、爽快です。

隠居

何よりですな。

書生

追分宿以後を見て行きます。


第9~12日 貞享5年8月19日~22日 江戸路

・ 追分宿から、一路江戸に向かう。

旅程⑨ 追分宿~深川芭蕉庵(118.5㎞)

月日line時分line

記事

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移動line距離line累計line
8/1906:00追分宿発。追分宿-12.7336
 〃07:10浅間を背に、馬頭観音を見つつ、中山道沓掛宿通過。今の中軽井沢。-沓掛-4.3340
 〃08:20多数の道祖神を見ながら、軽井沢宿通過。-軽井沢-4.4345
 〃12:10碓氷峠を越え、坂本宿通過。-坂本-11.7356
 〃14:30碓氷関所を通り、松井田宿通過。-松井田-9.5366
 〃16:50杉並木を通り、安中宿へ。月齢18.7寝待月。安中宿9.6375
8/2006:00安中宿発。
 〃06:50 川を渡るとすぐに板鼻宿通過。-板鼻-3.2379
 〃09:10若宮八幡から、高崎宿通過。-高崎-7.2386
 〃10:40町中を通り、古墳近くの倉賀野宿通過。-倉賀野-6.0392
 〃12:10川を渡り、川沿いに進み、新町宿通過。-新町-5.9398
 〃14:10見通し燈籠を見て進み、本庄宿通過。-本庄-7.9406
 〃16:50空っ風除けの屋敷森を見つつ。深谷宿へ。月齢19.7更待月。深谷宿10.6416
8/2106:00深谷宿発。
 〃08:10見返りの松を経て、熊谷宿通過。-熊谷-10.8427
 〃11:30白井権八延命地蔵前から、鴻巣宿通過。-鴻巣-16.4443
 〃13:00十三仏を見つつ進み、桶川宿通過。-桶川-7.2451
 〃13:40南北の木戸をたどり、上尾宿通過。-上尾-3.7454
 〃15:20天満宮を通り、大宮へ。月齢20.7下弦の月。大宮宿7.9462
8/2206:00大宮宿発。
 〃07:00氷川神社の鳥居を左に見つつ、浦和宿通過。-浦和-5.0467
 〃08:10焼飯坂から蕨宿通過。-蕨-5.4473
 〃10:00荒川を渡り、板橋宿通過。-板橋-9.0482
 〃12:00赤門、神田明神を経て、日本橋通過。-日本橋-9.8491
 〃12:30深川芭蕉庵帰着。-芭蕉庵2.5494
隠居line

中山道で、一路江戸へじゃな。

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書生

江戸を立ったのが、貞享4年10月25日ですから、約10か月ぶりの江戸です。

時に、あの道心の僧はどうしたのでしょう。

隠居

皆目分かりませぬな。

書生

追分宿以後、句がないようですから、ずっと一緒にいて、句作の邪魔をしていたかもしれません。

隠居

……

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旅の後、8月下旬~9月上旬 「素堂の喜び」 

「はせを庵に帰るをよろこびて寄する詞」に見る、素堂の喜び

- 芭蕉庵六物、茶羽織 -

旅立つ芭蕉に句餞別を贈った素堂、「芭蕉庵に帰るを喜びて寄する詞」を、書いている。

昔、翁が行脚(甲子吟行)のころ、「いつか花に羽織檜木笠みん」と吟じて、お待ち申しておりました。

その羽織を身にまとって、五十三次を再度往来、何ということもない野山も行き尽くして、風に翻され、日に晒されるままに、目の良い離婁(視力の良い中国伝説上の人物。離朱)も濃淡を見分けられず、竜田姫(紅葉を赤く染める女神)も染め直すことは難しいはずです。

誰か(実は、伊勢山田の俳人三四。さんし)が言いました。「素堂は素(=白)でない、眼は黒く、よく見て、『茶の羽織』とは、よくぞ名付けたものだ」、と。

この言葉を頼りとして、また一句。

 

 茶の羽織。思へば、主に、秋(=飽き)もなし。

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素堂の詞 「柱暦」


素堂亭 
  はせを庵に帰るをよろこびてよする詞

 むかし行脚のころ、いつか花に茶の羽折と吟
 じてまち侍し、其羽織身にしたひて五十三駅
 再往来、さらぬ野山をもわけつくして、風に
 たゝみ日にさらせしまゝに、離婁が明も色を
 わかつよしなく、龍田姫も染かへすことかた
 かるべし。これ猶、ふるさとの錦にもなりぬ
 るかと、をかしくもあはれに侍る。たれかい
 ふ、素堂素ならず眼くろし、茶の羽折とはよ
 くぞ名付る。其ことばにすがりて又申す。

  茶の羽折おもへばぬしに秋もなし

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隠居line

茶羽織素堂お得意の待ちわび句。

どの旅だったか、この羽織は何に化けるかという質問があって、

 ムササビとなりぬべらなり茶の羽折

と答える。

質問に些か無理があるが、待つ身にとれば、座興に過ぎぬがな。

右の絵は、「俳人芭蕉(山崎豊吉著)」に、「常に好んで茶の袖羽織を着し、衣は左右の裄長短相同じからざるものを用ゐ」とあるのを参考にして描いたものらしい。

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書生

素堂は、茶の羽織ばっかり。

詞書きに「帰るを喜び」とありますが、どう喜んだのか読み取れません。

隠居

そうさな。

この羽織、文台・大瓢・小瓢・桧笠・絵菊とともに「芭蕉庵六物(ろくもつ)」の一つとして、素堂が珍重したものじゃ。

書生

お宝ですね。芭蕉じゃなくて、茶羽織が帰ってきたのが嬉しかったんでしょう。

隠居

まさか。

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旅の後、9月2日付 「荷兮あて書簡」 

名古屋の荷兮への礼状、帰庵の報告

- 姨捨の月の句、土産:山椒の実、下僕の礼:トチの実・浅草海苔 -

隠居line

荷兮あてと思われる書簡がある。

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姨捨の月、両人とも、二三四五句ほども御座候へども、少しづつ句作シ、及びどころに御座候ふて、早々にハ記し申さず候ふ。

これら、先づ文の証(しるし)とシテ、書き付け申し候ふ。

他に見せ申すコト、なされまじく候ふ。

一つ、山椒ヲ一袋進上。風味ハお心に入るかしと願い申し候ふ。

木曽のとち一つ、浅草の海苔五枚ハ、久助を返し事(返礼)の証(しるし)にて御座候ふ。


姨捨の月句は、二人とも2~5句はありますが、推敲中なので、早々とは書けません。これらは、取りあえず旅の証左とするため、書き付けたものです。他の人に見せないように。

一つ、山椒の実一袋を進呈します。その風味がお気に召すよう願っております。

木曽のとち一つと、浅草海苔5枚は、久助をお借りした返礼で御座います。line

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「荷兮あて書簡」


おば捨の月両人とも弐
三四五句程も御座候へども
少づつ句作および處に御座候て
匆々にしるし不申候
是等先文のしるしと
書付申候他見申被成間敷候

一山升一袋進上風味
御心に入かしと願申候
木曽のとち一
浅草の苔五枚
久助ヲかへし事の印
にて御座候
        はせを
 九月二日

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隠居line

トチの実木曽の橡は、荷兮の下僕久助が持ち帰ったと、分かりましょう。

㉗ 木曾のとち浮世の人の土産かな

この句は、添えられていて当然のはずじゃが。

書生

「他人に見せるな」と、ありますよね。

もう一枚、句を記した紙があったのではないですか。この書簡に、人には見せられぬ内容はありません。他言無用の、未完成の句が書いてある書簡があったはずです。

それには、当然書かれるはずの、姨捨の句が書いてない。そこで、この書簡の冒頭につながるのでしょう。

書き出しが唐突ですし、旅の概要・自身の体調・越人の動向など、当然あって良い内容が、上記書簡にはありません。

隠居

あって然るべきですがな。

で、この書簡で分かることは?

書生

はい。

1 9月2日の時点で、「姨捨の月句」は推敲の途上にあった。従って、「更科紀行」は、既に見た「真蹟の草稿」もできていなかったこと。

2 この書簡は旅費提供者への「事後報告書」であり、資金調達の中心に荷兮がいたこと。他の人とは、荷兮周辺の人物で、当然荷兮が見せると推察できる、共同出資者ですね。蓬左や岐阜の連衆でしょうか。

3 「② ……、荷兮子が奴僕」の名が「久助」であること。また、9月2日付のこの書簡を持って名古屋へ帰ったであろうこと。

かようなところかと思いますが、久助を付けてもらった礼が、トチの実一つと海苔5枚とは、芭蕉の因業さを物語るかと。

隠居

因業とはなんじゃ。何一つ呉れなんだ訳ではない。就中、この風流が何よりの土産ですぞ。

それに、断金の交わりと言う、金に換えられぬ固い結び付きのあかしであるな。

書生

はあ、そうですか。

でも、荷兮は、旅の資金と久助の給金や旅費も負担しておりましょう。断金は一方向かと。

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旅の後、9月上旬、半歌仙「白菊」の巻

芭蕉、第三に新たな旅への思いを詠む!?

- 杉風・越人・芭蕉・苔翠・友五・夕菊・依々・泥芹 -

隠居line

9月上旬の半歌仙(越人の脇句)を、参考に供す。

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    1 発句  しら菊に高き鶏頭おそろしや    杉風
    2 脇    泥かぶりたる稲を干す屋根    越人
    3 第三  月幾日海なき国に旅寐して    芭蕉 つきいくか=ひと月と何日
    4 オ4   笠に玉子をぬすむ也けり     苔翠
    5 オ5  ぽつきりと折てをかしき雪の竹   友五
    6 オ折端  はかま着ながらはゝきたばねる  夕菊
    7 ウ折立 御内にて念佛申しと名をいはれ   依々 御内=主君の邸内
    8 ウ2   笊子すてゝ行く濱ののり賣    泥芹 笊子=ざる
    9 ウ3  さぎちやうの火におどさるゝ在郷馬 越人 左義長、三毬杖
   10 ウ4   瓦びさしに朧なる月       杉風
   11 ウ5  盃を片手に人を引ずりて      苔翠
   12 ウ6   くらべ負たる名所の貝      友五 などころ=名所(めいしょ)
   13 ウ7  香のかに物の調子やくるふらん   依々 こうのか=香の香
   14 ウ8   小袖もれ出る翠簾の重ねめ    杉風 みす=翠簾(すいれん)、緑のすだれ
   15 ウ9  談義の場泣くはふじゆ上る人さうな 越人 ふじゅ=諷誦(ふうじゅ)、人=施主
   16 ウ10  美しい子の膝にねぶりて     芭蕉
   17 ウ11 里遠き花の木陰にとうふ焼く    友五
   18 挙句   狂う小蝶の編笠に入る      夕菊

書生

杉風が、越人の前で萎縮しているかのような発句ですね。

越人が気負っていたのでしょうか。一応泥を被った残り稲と、へりくだってはいますが。

隠居

越人は、古典に造詣が深いというような、紹介がなされたかも知れん。

書生

越人の裏2句は、期待に応えて難解ですねえ。

隠居

まあ、杉風も負けてはおらんな。

それより、第三。

書生

「海なき国に旅寝」……。これは、更科紀行。美濃路、木曽路から江戸、海はありませんね。

しかし、その旅は十日あまり……

ひと月以上ということは、陸奥の旅じゃないですか。

隠居

そうはっきりは言えんが、前句から、山道の旅への思いが兆したかも知れんのう。

書生

なるほど。で、ご隠居が参考にというのは、その辺りのことですね。

隠居

もう一点。この座に居ない人じゃ。

書生

居ない人?ごまんといるような。

隠居

そうか。

路通じゃよ。

路通がいないことで、あることが分かりましょう。

書生

……

隠居

まあ、お楽しみじゃ。

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旅の後、9月10日 「十日の菊」 

芭蕉、十日の菊を十六夜の月になぞらえる。

- 芭蕉・路通・越人・友五・嵐雪・其角・素堂 -

蓮池は、芭蕉庵隣の素堂抱え屋敷にある。

素堂翁は、茶羽織を愛するが、また菊も愛でる。昨九日は、重陽の節句とて、廬山(原文「龍山」、達筆のためか、筆写に誤字脱字が多い。李白が愛した廬山のことか。廬山は、山水詩画発祥の地。文人墨客の比喩)の宴を開き、今日はその酒の残りを勧めて狂吟(独吟か)の戯れの会を催した。やはり思うのだが、来年は誰かが健やかでなくなることとなると。

 

 十六夜の[月か]。何れか、今朝に残る菊カ。 芭蕉

 ※ 名月翌夜の月と、十日の菊を比べている。

 残菊は、誠の菊の終わりかな。    路通
 咲く事も、さのみ急がじ。宿の菊ハ。 越人
 昨日より朝露深し。菊畠ハ。     友五
 隠れ家や。嫁菜の中に、残る菊。   嵐雪
 この客を、十日の菊の亭主あり。   其角
 「酒折の新治の菊」と歌はばや。   素堂

筑波の道<※注>では、九夜十日(ここのよ・とおか)ということを、昔の連歌師が連歌発祥のことと伝えるが、この十日の朝、紙魚(しみ)を払って申し上げる。

また、それほどの昔でないころ、

 恋に慰む、老いのはかなさ(「哀しさ」が元)。

 昔せし、思ひを小夜の枕にて。

(と、「七人付宗祇判詞」第10句を引用して)

私はこの句の心、付け心(有心・長高)をいつも大切にしている。

 

今なお、思い出すままに一句。

 離れじと、昨日の菊を枕かな。 素堂

罫線

十日の菊


 十日菊
  蓮池の主翁、また菊を愛す。きのふは龍山
  の宴をひらき、けふはその酒のあまりを勧
  めて狂吟の戯れとなす。なほ思ふ、明年誰
  か健かならん事を

 いざよひのいづれか今朝に残る菊  はせを
 残菊はまことの菊の終わりかな   路通
 咲く事もさのみいそがじ宿の菊   越人
 昨日より朝露ふかし菊畠      友五
 かくれ家やよめなの中に残る菊   嵐雪
 此客を十日の菊の亭主あり     其角

 さか折のにゐはりの菊とうたはゞや 素堂
  よには九の夜日は十日と、いへる事をふる
  き連歌師のつたへしを、此のあした紙魚を
  拂ひて申し侍る。

 又中頃、
  恋になぐさむ老のはかなさ
  むかしせし思ひを小夜の枕にて
 我此心をつねにあはれぶ。

 今猶おもひ出るまゝに。

 はなれじと昨日の菊を枕かな    素堂

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<注>右原文、「さか折の」以下3行、の出典

日本武尊は、東征を果たし「吾妻はや」と嘆息し、「あずま」と名付けた後、


 即ち其の国より越えて、甲斐に出でまして、酒折宮に坐しし時、歌曰(うた)ひたまひしく、
   新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
 と、うたひたまひき。爾に其の御火燒の老人(みひたきのおきな)、御歌に続ぎて歌曰ひしく、
   日々並べ(かがなべ)て 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を
 と、うたひき。是を以ちて其の老人を誉めて、即ち東の国造を給ひき。

「古事記景行天皇条」


と、片歌の贈答をする。後に、これを連歌の始めとして、和歌を「敷島の道」と言うのに対し、連歌を「筑波の道」と呼ぶようになった。

なお、素堂句の「坂折」は、甲府市内の地名で、連歌発祥の地とされる。

隠居line

よく読めたものだ。

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書生

笈日記から引いた文を基にしましたが、上級クロスワードパズルより難解でした。

隠居

元の文が正しいとは限らんのにな。

書生

ここは、芭蕉が、十日の菊を十六夜の月になぞらえているのが面白いですね。

芭蕉が見た最近の十六夜は、善光寺でした。十六夜ですが、名月をしのぐ光芒を放ち、四門四宗もただ一つという感慨を得た月影です。

隠居

そういうことですな。

「千鳥掛」には、

 十六夜の月と見やはせ残る菊

とあり、句意がよく分かります。

書生

十日の菊も、十六夜の月と同様、何ら価値が劣るわけではないと。

隠居

いかにも。

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旅の後、9月10日付「卓袋あて書簡」 

姉を看取った伊賀上野の卓袋への礼状

- 他に、加兵衛の件、梅軒・示蜂・利雪への返信について -

隠居line

旅から帰ると姉の訃報が届いた。姉者人の逝去は、旅中のことである。

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書生

兄嫁か、柘植に嫁いだ姉ですね。

隠居

知らせたのは卓袋じゃ。芭蕉の礼状を見ておこう。十日菊と同じ日に出しておる。

書生

卓袋は、奈良大仏の儀式見物に来た人でした。

「笈の小文」奈良のページ、伊賀上野から来た人、卓袋

① 名古屋に宛てられた手紙、加兵衛が持参した手紙、共に拝見しました。

② 先ずもって、姉者人のこと、かねて急なこともあろうと思い、あなた様に特別に頼み置いたところ、ついには御見届けもしていただき、嬉しく思います。

③ この1,2年、家計が苦しく、行き届かずで、実に残念で、不憫に思っております。

④ 加兵衛のことも、内心何事かはしでかすだろうと思っておりました。しかし、この度のことは、小事です。大事に至らず、まずはよかったと存じます。

⑤ 単なる一過性の粗相ですから、深刻に受け止めなくてもよいしくじりと思われます。

⑥ あなた様が旅の費用をお渡しになられたと、半左衛門殿(※1服部土芳)より詳細にご連絡があり、感心いたしております。

⑦ それにしても、加兵衛のことですが、寒空に向かうのに、単物・帷子ばかりで、丸腰同前の体、ふとん一枚の用意もないので、当面何から整えていったらよいやら、草庵隠遁者の客にするには、手に余りますが、私が伊賀上野にいるときから、不憫に思う者でありますから、今になってもなお、気の毒とも何とも言いようがなくて、本当にしかたのない状況です。

⑧ 取りあえず、春まで手元に置いて、草庵の粥などを炊かせ、江戸の暮らし向きも見せるつもりです。

⑨ 四十歳くらいで、江戸での稼ぎは、できるかどうか心許ないものです。奉公といっても、たいてい雇い手はないことでしょう。

⑩ 寺方・医者衆の留守番などというようなことでしょうか、何といっても江戸のことでありますから、成り行き次第と思います。

⑪ 大してよいことはあるまいと、あらかじめお覚悟なさってください。

⑫ 結果埒が開かなければ、仏門に入れ、乞食行脚の鉦叩きにしようと、私も心を決めております。やむを得ないことです。

 返信もきちんとできませんでしたが、取りあえず書き残しておきます。以上

 九月十日           松尾桃青

 絈屋市兵衛(貝増卓袋)様

御老母・御正(おまさ)殿・子ども、ご無事とのこと、よかったと思います。※2梅軒老・権左衛門(植田示蜂)殿・与兵衛(中野利雪)殿からも、御手紙を頂戴しました。また後で返信いたす所存です。

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罫線卓袋宛書簡「亡姉見届の礼」

① 名古屋までの御状、ならびに加兵衛持参[の状]、共に相達し候フ。

② 先づ以て姉者人ノ御ン事、かねて急々にト見うけ候ゆゑ、貴様を別して頼み置き候フところ、いよいよ御見届け、大慶に存じ候フ。

③ 一両年不自由不調の事ども、さてさて残り多く、いたはしく存じ候フ。

④ 加兵衛事も、内々ニ何事ぞはでかし申すべくと存じ候フ。この度の事は、小事にて候フ。先づ仕合せに御ざ候フ。

⑤ 無調法一ぺん事に御座候へば、くるしからざるあやまちと存ぜられ候フ。

⑥ 貴様路金などヲ、御取らせなされ候フよし、半左衛門(服部土芳)殿よりつぶさに御申し越し、感心申し候フ。

⑦ さては加兵衛事、寒空にむかひ、単物・帷子ばかりにて、丸腰同前の体、ふとん一枚用意なく候へば、当分何から建立いたすべきやら、草庵隠遁「者」の客にハ、あぐみものにて候へども、拙者国に居り申す時より、不便(ふびん)に存じ候フものにて候へば、今以て不便ともとかく申し難き事ども、まことにわりなき仕合せに候フ。

⑧ 先づ、春まで手前に置き、草庵の粥などヲたかせ、江戸の勝手も見せ申すべく候フ。

⑨ 四十あまりの江戸かせぎ、おぼつかなく候フ。奉公とては、おほかた相手有るまじく候フ。

⑩ 寺方・医者衆の留主守りなどといふやうなる事か、何とぞ江戸の事にて御座候あひだ、天道次第と存じ候フ。

⑪ あまりよき事も有るまじきと、かねて御覚悟なさるべく候フ。

⑫ まことに不埒に候はば、鉦叩きと、拙者も存知居り申し候フ。是非なく候。

⑬ 便りもしかとせず候ふあひだ、早々申し残し候。

以上

 

 九月十日           松尾桃青

  かせ屋市兵衛様

 

⑭ 御老母・御正殿・子ども、ご無事のよし、珍重に存じ候。梅軒老・権左衛門殿・与兵衛殿、御状にあづかり候。あとより御報申し上ぐべく候。

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※1 土芳について、「笈の小文、伊勢」を参照。

※2 梅軒・示蜂・利雪について、「笈の小文、奈良」を参照。

隠居line

名古屋に卓袋の書状が届いたのは、芭蕉が岐阜へ立ち、更科紀行の旅に発った後。

それを知った卓袋は、加兵衛に別の書状を持たせ、江戸に行かせた。

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書生

旅に関して分かることは、それくらいですね。

芭蕉が手紙を見て、返信するのは、1,2日の内でしょうから、9月8,9日に加兵衛が到着したのでしょう。

隠居

十日の菊と同じ日に書いたのは、手紙を見て、むしろ大慌てで書いたと思わせるな。

それにしても、姉者人が兄嫁か、実の姉か分からぬままじゃな。

書生

家計が苦しい内情を語るのは、生家のことと感じます。実姉の嫁ぎ先のことにしては、そぐわないように感じます。

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旅の後 芭蕉庵十三夜前段、「素堂俳文及び七句」

陰暦9月、十三夜の月を愛でんと、芭蕉庵に門人が集まる。

- 素堂の俳文、十三夜の句、筑紫の僧?路通 -

この句文は長いので、便宜上二分して講読する。右素堂句までは、素堂の俳文である。

 

芭蕉庵で月を賞翫し、ただ月の句を詠む。

出身地が越州の人あり、筑紫の僧ありで、まるで浮き草が残らず水に集まったかのごとくである。

庵主芭蕉も、空浮く雲や流れる水のように、一所に執着せぬ人で、心にまかせて、石山の蛍を見んとさまよい、更科の月に和歌・謡曲を口ずさんだ。

庵に帰って、まだ何日も経っていないのに、菊や月に促されて、句を吟ずる身としては忙しいことだ。

花や月も、このために暇がないことだ。

思うに、今宵十三夜を観賞するのは、満ちれば溢れるという悔いがあるからで、

……「中華」以後の文意不詳に付き、訳せず。日東の李杜辺りの伝によるか……

以上は、次句の詞書き。

 唐土に富士あらば、今日の月見ヲせよ。 素堂

 

以下、月見客の吟。

 欠け二夜、足らぬ程照る、月見哉。 杉風
 後の月。喩えへば宇治の巻ならん。 越人
 暁の、闇も縁や。十三夜。     友五
 行先へ、文遣る果ての月見かな。  岱水
 後の月。名にも我名は似ざりけり。 路通
 我身には、木魚に似たる月見哉。僧、宗波
 十三夜。まだ宵ながら、最中哉。  石菊

 ※岱水=苔翠、石菊=夕菊

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罫線芭蕉庵十三夜 「笈日記」  

  芭蕉庵
   十三夜

  はせをの庵に月をもてあそびて、
  只月をいふ。越の人あり、つくし
  の僧あり、まことにうき草のこら
  ず水にあへるがごとし。
  あるじも浮雲流水の身として、石
  山のほたるにさまよひ、さらしな
  の月にうそぶきて、庵にかへる。
  いまだいくかもあらず、菊に月に
  もよほされて、吟身いそがしい哉、
  花月も此為に暇あらじ。
  おもふに今宵を賞する事、みつれ
  ばあふるゝの悔あればなり、中華
  の詩人わすれたるににたり、まし
  て、くだら、しらぎにしらず、わ
  が国の風月にとめるなるべし。

 もろこしに富士あらばけふの月見せよ 素堂

 かけふた夜たらぬ程照る月見哉    杉風
 後の月たとへば宇治の巻ならん    越人
 あかつきの闇もゆかりや十三夜    友五
 行先へ文やるはての月見かな     岱水
 後の月名にも我名は似ざりけり    路通
 我身には木魚に似たる月見哉    僧 宗波
 十三夜まだ宵ながら最中哉      石菊

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隠居line

素堂の文は難しいが、大意は、「もろこし句」の詞書きと見れば分かりましょう。

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書生

この文が、何を踏まえているかつかめなかったし、あえて訳せば偏狭の誹りもあろうかと。

ときに、「越の人」は越人ですが、「筑紫の僧」は、宗波ですかね。

隠居

この人は、芭蕉庵に近い、本所の庭林寺の僧で、鹿島紀行に同行しており、笈の小文でも、伊勢から杜国を伊賀上野に連れてきたな。ただ、生没、生地は未詳だが、この人と断定はできん。

僧はもう一人おります。

書生

ああ、路通も僧形ですか。

「笈の小文」の後、彦根の手前で弟子にした物語がありましたね。

「笈の小文」旅後のページ、「6月6日から」

で、この人は?

隠居

路通の生地は諸説あって、有力な順に、京都、常陸、美濃、筑紫となる。

もし、宗波が否定されれば、乞食行脚の路通となり、筑紫説の根拠ともなる。

書生

ご、ご隠居。

宗波は、本所の寺の住職ですよね。

隠居

長年な。

生没不詳じゃが、年は、芭蕉の同年か年長ですな。

元禄7年、寿貞の甥猪兵衛宛て書簡に「宗波老」と書いてある。

書生

なら、路通に決まりです。

「越の人あり、筑紫の僧あり」は、平生深川にいない珍しい客を取り立てて書いたものですからね。

路通は、初めて来たんですよね。

隠居

ああ、十日菊から名前が見えている。路通の句作は、この頃からのようだ。

で、路通は、夏から芭蕉帰庵を待ったとも言われ、しばらく芭蕉庵近くに住む。

書生

はあ。

しかし、路通の句の意が未だつかめません。

他の句は訳読みで十分なんですが、

 後の月。名にも我名は似ざりけり。

これが、了解困難。

「後の月、その名や別名の十三夜、二分欠月にも私の名は似ていない。」

「我が名」とは、路通自身の名なのか調べました。

露通、呂通とも書き、姓は八十村(やそむら)、別姓が斎部(いんべ)。名が伊紀で、通称は与次衛門。

月どころか、花にも雪にも似ていません。

隠居

後の月の立ち場になって、この名はふさわしくないぞと月が言っていると、解釈したらどうじゃろう。

「後の月」は、「のちのつき」と読んで、「9月十三夜の月」或いは「閏月」の意となる。「あとのつき」と読めば、「先月」の意となる。

書生

う~む。

「今出ているのに後の月とは、これ如何に」、ですね……

「後の月」と名付けられた経緯はどうでしょう。

隠居

そりゃあ、次項末尾にある蚊足の句。

 物識りに心問ひたし後の月

のままじゃな。

難解なのは、読み違いのためかも知れん。

筆跡の読み違いは結構ありますぞ。

行書だと、木曽の穐を木曽の蝿と間違えたりな。

書生

それでは、意味も季も変わってしまいますね。

次の文でも、そんな勝手読みの資料がネットに出てました。

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旅の後 芭蕉庵十三夜後段、「芭蕉俳文及び一句」

姨捨の月の余韻が残る中で迎えた十三夜。

- 丈山の漢詩、越人の謡う平曲 -

 芭蕉庵 十三夜

 

 木曽の痩せも、まだ治らぬに、後の月。 はせを

 

 仲秋の月は、更科の里、姨捨山に慰めかねて、まだ尚、心に染みる哀愁の景色が目から離れないまま、長月の十三夜になった。

 

 今宵は、宇多天皇が、初めて詔をもって、この上ない名月と称えて、「後の月」あるいは「二夜の月」などと言うようだ。

 

  これは、才士や文人が風雅を加えた名称なのだろうか。十三夜の月は、閑な人が、賞翫するものだ言うし、また小野の旅寝の風流も忘れがたくて、人々を招き、瓢箪を叩き、峰の※1山栗を※2白鴉(はくあ)の谷のものだと自慢する。

笹栗 ※1 笹栗……今は山栗と言う。山野自生の栗で、小さく渋皮が取りにくいが、風味はしっかりしている。
 ※2 白鴉……中国の地名。杜甫の七言律詩「崔氏の東山草堂」による。

 

  隣の家の素堂翁が、丈山老人の「一輪、未だ満たず、二分欠けたり」といふ漢詩を、この夜の折にふさわしいと、携えてきたのを、壁の上に掛けて、草の庵のもてなしものとした。

 

 某狂客が、「しらら吹上」と語りだすと、月も一際映えがあるように見えて、たいへん趣深い遊びとなったようだ。

 

貞享5年9月中旬

                       蚊足 書く

 

 物識りに、心ヲ問ひたし。後の月。

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罫線芭蕉庵十三夜

  芭蕉庵
   十三夜

 木曽の痩もまだなほらぬに後の月  はせを

  仲穐の月は、さらしなの里、姨捨山になぐ
  さめかねて、猶あはれさのめにもはなれず
  ながら、長月十三夜になりぬ。

  今宵は宇多のみかどの、はじめてみことの
  りをもて、世に名月とみはやし、後の月あ
  るは二夜の月などいふめる。

  是、才士文人の風雅をくはふるなるや。閑
  人のもてあそぶべきものといひ、且つは小
  野の旅寝もわすれがたうて、人々をまねき
  瓢を叩き、峯のさゝぐりを白鴉と誇る。

  隣の家の素翁、丈山老人の「一輪いまだみ
  たず二分虧」といふ唐歌は、此の夜
  折にふれたりとたづさへ来れるを、壁の上
  にかけて、草の庵のもてなしとす。

  狂客なにがし、「しらゝ吹上」とかたり出
  ければ、月も一きははえあるやうにて、中
  々ゆかしきあそびなりけらし。

   貞享五戊辰菊月仲旬
                 蚊足書

 物しりに心とひたし後の月

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隠居line

木曽の痩せとは、面白い表現じゃな。

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書生

坂木の辛味大根が効いたのでしょう。

隠居

杜甫の詩は?

書生

「崔氏東山草堂」 杜甫
愛汝玉山草堂静 高秋爽気相鮮新
有時自発鐘磐響 落日更見漁樵人
盤剥白鴉谷口栗 飯煮青泥坊底芹
何為西荘王給事 柴門空閉鏁松筠

この転句に、「盤には剥ぐ、白鴉谷口の栗。飯には煮る、青泥坊底の芹」と、白鴉と栗が出てます。

「ばんにははぐ、はくあこくこうのりつ」と読み、盤は大皿、谷口は文字通りの地形です。

隠居

丈山は、石川丈山ですな。

書生

はい。素堂が敬愛して止まない石川丈山です。この、貞享5年(1689)の17年前、90歳で帰天しています。素堂は、「詩仙堂六物」、これは丈山の遺品ですが、それに倣って、先ほど触れた茶羽織を含め、「芭蕉庵六物」を、芭蕉生前から勝手に決めるほど傾倒しています。

隠居

「冬の日」、重五の短句に、「日東の李白が坊に月を見て」というのがある。

[ 芭蕉七部集、冬の日「狂句こがらしの巻」 ]を別窓で参照。

丈山は、日東(じっとう)の李杜、則ち日本の李白とも杜甫とも言われた、詩人である。

書生

その丈山が、十三夜の月を「一輪未満二分虧」(一輪いまだ満たず、二分欠けたり)と表現したわけです。

「蚊足(ぶんそく)書」とありますが、やはり達筆?

隠居

和田蚊足じゃ。署名するくらいじゃから達筆じゃろうな。芭蕉の二つ年下で、嵐雪の隣に家があった。後に素堂の紹介で、甲斐の藩主に仕える。

書生

なるほど。

いろんな資料に当たったのですが「二分虧」が、結構「二分粥」になっているんですよ

隠居

しゃびしゃびじゃなあ。胃病で入院したとき、1週間二分粥じゃった。重湯より薄いぞよ。

病身ながら、まさに「一腹いまだ満たず二分粥」であった。それだけに、三分粥になったときの嬉しさは格別じゃったがなあ。

まあ、冗談としか思えんが、それがさっき言っておった読み違えか。

書生

それから、「小野の旅寝」。これが、「山野の旅寝」となっていたりします。

隠居

ほうほう、それは、小野が正しいな。

書生

筆跡を見なくて断定できますか。

隠居

勿論。「小」の崩し字は、「山」に見えることもあるが、「山」の崩し字は「小」とは読めん。

それに、更科も木曽路もすべて宿(やど)じゃ。野宿をしとらんから、芭蕉は嘘は書かん。

しかし、これらの文書、読み取りからして、検討されておらんのじゃな。

書生

そのようです。路通の句も読み違いかも知れません。

それはそうと、この狂客は、「客」ですから、路通か越人ですね。

隠居

ほれ、「更科姨捨月之弁」。

書生

はあ、「あるいはしらら吹上ときくににうちさそはれて」、更科に行った!

越人ですね。

そう言えば、また謡うとおっしゃってました。

隠居

わしもまた謡おうか。

書生

あ……

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旅の後、「越人の歌仙(阿羅野)」 

越人が巻いた、江戸での両吟3巻

- 「雁がねの巻」「天津雁の巻」「新酒の巻」 -

隠居line

芭蕉七部集のページがほぼ完成した。読みを付けてな。

[ 芭蕉七部集の歌仙 ]を別窓で参照。

訳もできとる。

[ 芭蕉七部集の歌仙、訳・解釈 ]を別窓で参照。

line
書生

これを、していらっしゃたのですか。

ほう、42歌仙ですか、約1500句ありますねえ。

隠居

いや、見れば分かるが、6句のもの、18句、32句のものもある。だが、百韻もあるからざっとそんなところか。

このとき越人が参加したのが、阿羅野の「雁がね」・「天津厂(かり)」・「新酒」の三巻じゃな。

おもしろいぞよ。

書生

では、早速。

発句、「雁が鳴いていますが、こうして心静かに聴けば、枯淡寂寞の趣がないとは言えませんね」

脇、「貴殿を相手に、酒つぎの道を学びつつ眺めるこのごろの月も風雅であります」

 

仮名を漢字にすると、意味が明瞭になる。「からびず」は、「枯らびず」、「酒しひ」は、「酒強い」と書くと分かりやすい。line

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罫線歌仙「雁がね」の巻

 深川の夜
発句 雁がねもしづかに聞ばからびずや 越人
脇   酒しひならふこの比の月    芭蕉


[ 芭蕉七部集「雁がね」の巻 ]を別窓で参照。

line
隠居line

「この頃の月」とある、十三夜から眺め、越人の酒も進んだであろう。この日は、満月だとおもうのじゃが。十六夜は其角のところへ行くからな。line

書生

まあ、明月なんでしょう。

「雁が音」というと風流ですが、雁の鳴き声はうるさいとされていたわけですね。静かに聞くと枯淡だというのですから。

隠居

そうじゃな。雁については、また触れるが、この巻の圧巻は、恋句じゃとわしは思う。

書生

初ウ7の「きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに」ですか。越人の「かぜひきたまふ声のうつくし」、これもいいなあ。

発句、「もてなしの替わりに、同郷の荷兮の手紙を披露しましょう。言わば天空の雁便りですね。」

脇、「翁に同道して参りました。江戸で見る三日続きの月見、お蔭で雲もありません。」

 

其角亭は、芭蕉庵の西方約2キロ、徒歩30分ほどの距離である。荷兮は蓬左桑名町の医師。翌年阿羅野を編集する。

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罫線歌仙「天津厂」の巻

 翁に伴はれて來る人のめずらしきに
発句 落着に荷兮の文や天津厂   其角
脇   三夜さの月見雲なかりけり 越人


[ 芭蕉七部集「天津厂」の巻 ]を別窓で参照。

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隠居line

翌年と言っても早いぞ、3月付で、芭蕉が序を書いておる。

書生

阿羅野編集も追い込みの時期ですね。

今、ご隠居のデータベースで句数を見てますが、其角13、素堂5、嵐雪2、友五1です。

阿羅野に入った、単独の発句数です。十日菊、十三夜の句も入ってますよ。

隠居

まあ、阿羅野は、名古屋や岐阜がほとんどだから、江戸の句を依頼しておったと見ても、外れてはいまい。

書生

時に「三夜さの月」、あれですね。

更科や三よさの月見雲もなし

隠居

芭蕉もする座興、旅の記念じゃ。

発句、「私、お勧めしませから注ぎませんよ。これ、新酒なんですが、人は覚めやすいとか言いますしね。」

脇、「秋は何となく寒いですね。いつも風呂は嫌いですから、酒で暖まりたいものです。」

 

嵐雪邸は、芭蕉庵北方約600メートルで、随分近い。嵐雪は、貞享年間、武士を辞め、俳諧に専念していた。

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罫線歌仙「新酒」の巻

 
発句 我もらじ新酒は人の醒やすき 嵐雪
脇   秋うそ寒しいつも湯嫌   越人


[ 芭蕉七部集「新酒」の巻 ]を別窓で参照。

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隠居line

江戸時代、新酒と言えば、8・9月(旧暦)じゃ。今でも晩秋の季語。

今の新酒は2月じゃがな。

書生

「私は注ぎませんよ」と言うのは、既に芭蕉の「酒強いを習う」という句を知ってますね。

隠居

当然知っておる。この巻は18句じゃが、初ウ折端は、挙句にならないので、後半を削除したものとされておる。

書生

名オ折立は、嵐雪のはず。それ以後が消された……

隠居

芭蕉が、是としなかったのじゃろう。

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旅の後、半歌仙「月出ば」の巻

越人発句の半歌仙は、越人送別の会か。

- 越人・苔翠・芭蕉・友五・泥芹・依々 -

隠居line

越人発句の半歌仙がある。

         東武苔翠にて
    1 発句  月出ば行燈消サン座敷かな   越人
    2 脇    朝夕かゝる柴牆のひよん   苔翠 柴牆=しばがき。ひょんは葉の虫こぶ。
    3 第三  このきみと名をいふ竹の露落て 芭蕉 此の君は、古来竹の別名。
    4 オ4   まづかたかなのいろは習ひに 友五
    5 オ5  南から聲に雨もつ郭公     夕菊 郭公=ほととぎす
    6 オ折端  よもぎをのぞく山の草刈   泥芹
    7 ウ折立 打くだく燧のかけの淋しくて  依々 燧=ひうち、火打ち石
    8 ウ2   女房戻れば留守渡す也    越人
    9 ウ3  聾と物語する恋の友      友五
   10 ウ4   痞おさへてあかつきを泣く  芭蕉 痞=つかえ、胸の閊え。
   11 ウ5  まだやまぬ雪の戸明て怕さよ  苔翠 怕さ=けうとさ・きょうとさ、気疎さ
   12 ウ6   さしのこしたる曲舞の章   夕菊 曲舞=くせまい、鼓・扇で謡いつつ舞う。
   13 ウ7  秋風や子をもたぬ身の哀より  越人
   14 ウ8   谷の庵のあたらしき月    依々
   15 ウ9  行厂におくれて一羽残けり   夕菊 厂=かり、雁
   16 ウ10  沖に舟見るあつもりの塚   泥芹 平敦盛
   17 ウ11 唐の頭巾に花のちりかゝり   夕菊 唐=もろこし
   18 挙句   醉て牛より落る春風     芭蕉

隠居line

連衆は、苔翠(たいすい、岱水)・友五・夕菊(せききく、石菊)・泥芹(でいきん)・依々で、深川の門弟たち。友五以外は、前年芭蕉出立の際、句餞別を贈っておる。

また、依々以外は、名にし負う「深川八貧」じゃ。ひょっとして、依々が依水の別号ならこの人も八貧の一人。

越人にとっては、この半歌仙が、江戸最後のものであろう。line

書生

これは、越人の記録したものでしょう。深川の住人が「東武苔翠にて」とは書きませんからね。

隠居

成る程。

発句に「月」が出たが、如何かな。

書生

十六夜以後の月ですね。月が出たら行灯が要らなくなる、南向きのいい部屋ですねという挨拶でしょう。暗くなって、一旦行灯を灯すような月は、十六夜から寝待ちくらいでしょう。

ああ、十六夜は其角と巻いていますから、立待ち・居待ち・寝待ちですね。

脇が、難しいですね。

隠居

ひょんは、イスノキの葉の虫こぶ、鶉卵大にふくらんで、穴を吹くとヒョンと鳴る。晩秋の季語じゃ。「かかる」は「皸る」かな。

書生

へえ、知らなかったなあ。

ときに、ウ10ですが、これは「笈の小文」の俤ですよね。

隠居

「笈の小文」と言ってよいかどうか、まあ芭蕉が旅の思い出を話したんじゃろうな。敦盛の墓で涙を禁じ得なかったと。

書生

で、ウ11は、もろに芭蕉が登場します。

 もろこしの吉野の奥の頭巾かな 素堂

素堂が餞別として贈った頭巾です。

隠居

おお、まさしく。

夕菊だけ4句も入っているのは、それか。特にこの句を入れ、旅の記念としたようですな。

そして、芭蕉が落馬ならぬ落牛で締めたという次第か。

書生

旅では、


先ず越人が天津縄手で落ちそうになった。

 雪や砂馬より落ちよ酒の酔

次に、杖突坂で芭蕉が落ちた。

 かちならば杖つき坂を落馬哉

さらに、紀三井寺を過ぎて、「馬をかる時は、いきまきし聖の事心にうかぶ」と落馬を連想した。

また、名古屋では、野水が越人に餞別句を贈った。

 月に行脇差つめよ馬のうへ 野水

更科紀行の旅では、九十九折りで久助が、「馬のうへにて只ねぶりにねぶりて、落ぬべき事あまたゝび」であった。


と、言う次第でしたね。

隠居

そう、やはり旅の記念じゃな。

この巻は、越人の送別とするためであったかも知れんのう。

書生

ともあれ、芭蕉の落牛の句で、思い出話に花が咲いて、半歌仙で終わってしまったわけです。

隠居

まさか。

まあ、これが越人江戸最後の記録と見てよさそうですな。

その後、幾巻かの歌仙が巻かれるが、発句の季が冬となる。勿論越人の名はない。

書生

とすると、越人の江戸出立は9月中下旬ですね。

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旅の後、歳旦歌仙「水仙」の巻

更科紀行の「トチの実」と「盃」を路通と芭蕉が詠み込む。

- 路通について、陸奥行脚への憧れについて -

書生line

本文講読で参考にした、歌仙「水仙」の巻です。路通句の「木曽の橡」、芭蕉句の「月の宿」に注目します。

木曽の橡、「更科紀行、木曽路、木曽の橡句」を参照。

宿の盃、「更科紀行、姨捨山、蒔絵の盃」を参照。

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       歌仙
    1 発句   水仙は見るまを春に得たりけり  路通
    2 脇     窓のほそめに開く歳旦     李沓
    3 第三   我猫に野等猫とほる鳴侘て    芭蕉
    4 初オ4   ほしわすれたるきぬ張の月   亀仙 半月の見立。絹布が弦、伸子が弓の洗張。
    5 初オ5  槿にいらぬ糸瓜のからみあひ   泉川 槿=あさがお
    6 初オ折端  仁といはれてわたる白つゆ   執筆
    7 初ウ折立 聟入に茶売も己が名を替て    李沓
    8 初ウ2   恋に古風の残る奥筋     芭蕉
    9 初ウ3  めずらしき歌かき付て覚ゆらん  亀仙
   10 初ウ4   形もをかしうそだつ賤の子   路通 形=なり
   11 初ウ5  此里に持つたへたる布袴     芭蕉
   12 初ウ6   餅そなへ置く名月の空     李沓
   13 初ウ7  はらはらと葉広柏の露のをと   泉川
   14 初ウ8   一むれあくる鴈の朝啄     亀仙 朝啄=あさばみ
   15 初ウ9  折ふしは塩屋まで来る物もらひ  路通
   16 初ウ10  乱より後は知らぬ年号     芭蕉
   17 初ウ11 猪猿や無下に見残す花のおく   泉川 猪=しし
   18 初ウ折端  雪のふすまをまくる春風    路通
   19 名オ折立 此石のうえを浮世にとし取て   芭蕉
   20 名オ2   彼岸にいると鐘聞ゆなり    亀仙
   21 名オ3  ゆき違ふ中に我子に似たるなし  李沓
   22 名オ4   いはぬおもひのしるゝ溜息   泉川
   23 名オ5  元ゆひのほつれてかゝる衣かつぎ 路通
   24 名オ6   人のなさけをほたに柴かく   芭蕉
   25 名オ7  語つゝ萩さく秋の恋しさを    亀仙
   26 名オ8   陀袋さがす木曽の橡の実   路通 頭陀袋のこと。
   27 名オ9  月の宿亭主盃持いでよ     芭蕉
   28 名オ10  朽たる舟のそこ作りけり    李沓
   29 名オ11 唐人のしれぬ詞にうなづきて   泉川
   30 名オ折端  しばらく俗に身をかゆる僧   芭蕉
   31 名ウ折立 飼立し鳥も頃日見えぬなり    路通 頃日=このごろ
   32 名ウ2   塘の家を降うづむ雪      泉川 塘=つつみ、堤
   33 名ウ3  あけぼのは筏の上にたく篝    亀仙
   34 名ウ4   あかきかしらを撫る青柳    路通
   35 名ウ5  華さけり静が舞を形見にて    芭蕉
   36 挙句    うぐひすあそぶ中だちの声   李沓

隠居

「水仙」は晩冬だが、春に見たので、新春じゃ。脇の「歳旦」で、元日の興行と分かるな。

書生

岩波の芭蕉連句集には、1月となっております。

隠居

元禄2年1月1日じゃ。

書生

旅から戻って、約4か月後ですね。路通がまだいますね。

隠居

ああ、3月に芭蕉は奥の細道の旅に出る。路通が同行する予定であった。旅にも慣れておるしな。だから、おっても不思議ではない。

書生

はあ。

陀袋は、頭陀袋ですね。

隠居

そう。江戸の門人たちに、土産の木曽の橡を渡した。その後に、路通がきた。

書生

……

あ、そうか。

路通が来たのは、9月上旬で10日より前だ。

半歌仙「白菊の巻」に路通はいない。「十日菊の宴」に路通はいる。

路通は、その間に来た。

隠居

やっと気付かれたか。

ただ、白菊の巻のときは、「路通は来ていたが参加していないだけ」かも知れん。

9月2日、荷兮にトチの実一つを託すな。これが、最後の一つじゃろう。

深川の門人たちにほぼ配り終えた後に路通が来たとだけは言えましょう。

 うらやまし君が木曾路の橡の粥

という路通句もある。

書生

曽良や嵐雪から、とち粥にしたと聞いた路通は、自分も欲しいと言う。

で、芭蕉は、「まだ、あったはずじゃ。おお、あった。汝にも授けん」と、頭陀袋から出して、トチの実を渡す。路通は、「え、たったこれだけ」と不満顔。

でも、荷兮は1個だから、まだまし。

芭蕉は、「汝に我が頭陀を隠すことなし」と言ってますから、それを実践したわけです。

「笈の小文」旅後のページ、「6月6日から」

隠居

そう言えば、芭蕉の没後(二七日忌付)に、路通は「芭蕉翁行状記」を書いた。

その中に、「されば此の十年あまり、荒増(あらまし)を旅の心にもてなし、生涯を頭陀に果たさんとす」とある。

書生

路通にとって、頭陀袋は、芭蕉の旅の象徴だったんですねえ。

素堂は茶羽織、路通は頭陀袋か。

隠居

四七日忌の路通句。

 生涯はこれかや寒き頭陀袋

書生

やはり、頭陀袋。路通と芭蕉をつなぐ格別なものだったのですね。

隠居

さて、阿羅野にある路通歳旦の句。

 元朝や何となけれど遅ざくら。

書生

阿羅野が3月に成ったわけだから、この歌仙を巻いた元日の吟ですね。

おや、元禄2年は閏年で、1年が384日。閏月はと、……、1月ですね。

これは、閏1月元旦の吟です。

「閏正月のこととて、普段と何ら変わりのない元日。喩えて見れば「遅桜」のようなもので、感動は薄い」とでも言うのでしょう。

隠居

ほうほう。

閏1月があっても、ソメイヨシノの開は2月上旬、遅桜は2月下旬じゃ。桜がさいていたわけではないのう。

では、路通晩年の句、これは輯佚句じゃが、

 はづかしき散際見せん遅ざくら

というのがある。

書生

辞世のようにもとれますね。

晩年を迎え、句を学び始めたころに詠んだ「遅桜」が、脳裏に浮かんだのかなあ。

隠居

この「遅桜」、路通自身なんじゃな。

ああ、折角だから、初ウ2にも注目しておこう。

書生

 初ウ2 恋に古風の残る奥筋 芭蕉

ですか?

隠居

奥筋、すなわち陸奥の街道。

白菊の巻、

 第三 月幾日海なき国に旅寝して 芭蕉

が、具体化しておるじゃろ。 

書生

次の旅が見えてきた!

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旅の後、「芭蕉の発句、更科紀行の思い出」 

隠居line

更科紀行にまつわる、その旅後の芭蕉句が2,3ある。

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元日にこうして初日を拝むと、昨秋訪れた更科の姨捨では、千枚田一枚一枚に日が輝いているだろうと、恋しく思われることだ。

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罫線元禄2年、歳旦吟

 元日は田毎の日こそ恋しけれ 芭蕉

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隠居line杉風描く芭蕉

右は杉風の描いた芭蕉像。

「更科の月を想像て

元日ハ田毎の日こそ恋しけれ」とあります。

田毎の月があるならば、田毎の日もあるでしょうというわけです。

数ある芭蕉句のうち、「こそ+已然形」は、この句だけですな。

「さればこそ荒れたきままの霜の宿」は、結びが省略されていますし、「命こそ芋種よまた今日の月」は、副詞的用法ですから結びがありません。

非常に珍しい句と言えます。

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書生

そうですか。

「こそ+~けれ」は、

 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど 大江千里

を思い出します。祖母は、

 月見そば爺煮物こそ恋しけれ

と歌って面白がっていましたが、「こそ恋しけれ」は、芭蕉が先でしたか。 

係り結びをきちんと詠んだだけに、行きたさ見たさが強調されますね。ただ、元日の田に水はないと思われますが。

まあ、景色を想い描いているうちに、またどこかに行きたくなるでしょう。

隠居

まあな。

閏1月を挟んだ約2か月後の、2月3日猿雖宛の書簡に、この句を記し、節句過ぎには出発し、塩竈の桜、松島の朧月を見、冬には名古屋に行く予定と書いてある。

ほれ、見られよ。

書生

ふむふむ。

ご隠居、ここ、

「尚々、江戸ヘ御下りなられ候はば、、節句過ぎには拙者は、発足仕り候ふ間、それまでに候はば、御目に懸かりたく候ふ。以上 / 尚々、再会の命もがなと、願ひ申す事に候ふ」

これですよ。

江戸へ来たら会いたい。(旅に出ればどうなるか分からない)再会までの命があればと願う。

これは、旅費調達の依頼ですね。

猿雖が持ってくれば、「大望生々」。少なければ「離別の恨み」。

隠居

それは、南都の再会じゃ。

それより、「此僧にさそはれ」とあって、それが路通であることを読んでほしかったのじゃが。

……、まあよい。

次の発句は、2年後、木曽を詠んだ句。

義仲寺、木曽義仲の墓前、厳しい寒さの中こうして草が生えている。雪深い木曽でも、雪の下には、草が芽吹いているだろう。これが木曽の情だ。line

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罫線元禄4年1月、義仲寺の吟

 木曽の情雪や生えぬく春の草 芭蕉

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隠居line

芭蕉が木曽殿と呼んだ義仲への思いですな。

書生

そう言えば、木曽路の旅程表を作っているとき、木曽義仲の旧跡がいくつかあることにきづきました。宮ノ越宿には、居館跡、先勝祈願の社、母の菩提を弔うため建立した徳音寺など、多くあるのですが、一切触れられていません。

隠居

旧跡を見たか見なかったかは分からぬが、木曽の風土を感じ取ってきたことは、この句で分かろう。

次は、また2年後の句。

前年8月入門した許六が、江戸の勤めを終え、彦根に帰る。中山道、木曽路の旅という。

木曽の山道には椎の花が咲いているころだ。今風雅の士が、その道を旅するであろう。椎の花よ、この旅人の侘びた心に学び、においを抑えるがよい。

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罫線元禄6年5月6日 許六への送別句

  許六が木曽路におもむく時
 旅人のこゝろにも似よ椎の花

(憂き人の旅にも習へ木曽の蝿)
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隠居line

括弧の句は、別案である。これは、木曽の蝿への説教である。蝿には、風雅を解するこの旅人に習えと言う。

嫌われ者の椎の花や蝿に言い聞かせる句で、許六に向けたものではない。許六の旅の快適ならんことを願う句である。

総じて言えば、許六の才能に敬意を払う趣向と見るべきですな。

書生

なるほど、ネットで見る訳とは随分違いますね。

隠居

何を言う。発句は訳すものではない。書いてあることをそのまま味わえば良い。

芭蕉は、夏の木曽路を「野ざらし紀行」の帰り道に経験し、その風光を愛しておる。先の2句も、許六に対しては、不快な面も風雅の一つとして木曽路を堪能するよう伝えたものです。

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更科紀行、振返り
旅の後
書生

先ず、貞享5年8月22日ごろ芭蕉庵帰着と推定できました。誤差はあっても前後1日ではないでしょうか。

隠居

大差あるまい。

書生

次に、お土産のトチの実、深川周辺の門弟には、とち粥にできるほどそれぞれに配ったか、とち粥にして振る舞ったかしたが、路通は遅れ馳せで少量、荷兮には一粒であったことが判明しました。

隠居

路通は夏から芭蕉を待ったとも言われるが、路通の知るのがやや遅かったことも分かったわけである。

書生

山椒の土産もあったことが分かりました。荷兮に一袋渡ります。

袋の大きさは分かりませんが、深川では消費できなかったのでしょうか。

隠居

山椒は、実山椒。木曽など高冷地のものは、香りも辛味も強い。夏に収穫し、天日で干すと、風味は1年もつ。

書生

また、越人は、月の句から、9月中旬まで滞在したことが分かりました。また、半歌仙「月出ば」は、越人送別の会であろうことから、9月下旬までには、江戸を立ったと推量できました。

隠居

まあ、そういうことですな。

書生

もう一つ、歳旦の歌仙には、次の旅への思いが読み取れることが分かりました。

隠居

閏1月を過ぎた2月初めには、陸奥への旅が具体化していましてな。

書生

奥の細道ですね。

隠居

然り。例えば、2月15日付桐葉宛書簡、
 三月節句過早々、松島の朧月見にとおもひ立候ふ。白川・塩竃の桜、…略…

 仙台より北陸道・美濃へ出申し候ふて、草臥れ申し候はゞ、又其元へ立寄り~
などとな。発句もあって、
   かげろふの我が肩に立帋子哉
この句などは、「春立る霞の空に白川の関越えんとそヾろ神の物につきて心をくるはせ」というのによく合っていますな。これは、2月7日、大垣の嗒山を歓迎する会の立句。
ご覧あれ。

書生

おや、路通がいませんね。
おや、ご隠居、これ。曽良の初ウ5、
   いざよひもおなじ名所にかへりけり
また、更科紀行のことですよ。路通や越人と同じことしてる。

隠居

まあ、してますな。

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資料

深川八貧

書生line

元禄(9/30改元)元年12月17日、深川の八貧(はっぴん)が、集まります。

越人は既におりませんが、芭蕉の動向を知る資料となりましょう。

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俳諧雪丸げ 河合曾良遺稿

曾良何某。此のあたり近く、假に居を占めて、朝な夕なに訪ひつ訪はる。
わが喰ひ物いとなむ時は、柴を折りくぶる助けとなり、茶を煮る夜は、
來りて軒を叩く。性隱閑を好む人にて、交(まじわり)金を斷つ。
或る夜雪に訪はれて、

 君火を焚けよきもの見せん雪まろげ はせを

深川八貧
  其の米買ひ
 米買ひに雪の袋や投頭巾      はせを ※雪×行き
  其の薪買ひ
 雪の夜はとりわき佐野のまき買はん 依水  ※まき…牧×薪
  其の酒買ひ
 酒やよき雪ふみたてし門の前    苔翠  ※(踏み)立てし×建てし(門)
  其の炭買ひ
 炭一升雪にかさすや山折敷     泥芹  ※翳す×挿頭す。おしき…桧板の縁付角盆
  其の茶買ひ
 雪に買ふ囃しごとせよちやん帒   夕菊  ※囃子事×早仕事。ちゃん袋は、俄に使う
                       布製かつら。茶×ちゃん、ちゃん+お袋
  其の豆腐買ひ
 手に据ゑし豆腐を照らせ雪の月   友五  ※据えし×饐えし、豆腐×遠く

隠居

雑俳に興じて楽しそうですな。

書生

それはいいんですが、6人しかいてません。

隠居

曽良と嵐雪じゃよ。

書生

え?嵐雪ですか。

隠居

ちと長いが、


 芭蕉庵は天和の初年より元禄五年まで、四度破れて四度結びたれば、室の體裁一様なりしか知り難し、書に見ゆる所は只六疊(或いは八疊)一間なるが如し。清貧實に洗ふが如く、米塩盬の資は之れを杉風以下の門人に仰ぐを常とせり。
浄求と云へる一僕あり、常に來りて茶を煮けり、深川の邊に浄求といへる道心あり、愚智文盲にして正直一遍の者なり、常に翁に仕へて小さき庵を得たり、朝夕芭蕉庵の茶を煮ること妙なり……とは卽ち是れなり、彼れが門弟曾良も、亦庵の近隣に假居し、朝夕來りて薪水の勞を助けたり、
  曾良某は此あたり近く假に居をしめて、朝な夕なにとひつとはる、我喰物いとなむ時は
  柴を折くふる助となり、茶を煮る夜は來りて軒をたゝく、性隱閑をこのむ人にて、交金を
  たつ、ある夜雪をとはれて、
 きみ火たけよき物見せん雪まろげ  はせを

とは即ち是れなり。某年冬一夜数人芭蕉庵に會す、食に物なきを以て各々出でゝ之れを買ひ來るに、嵐雪残りて飯焚の任に當る、依りて雪の題を探りて各々句を得たり、之れを深川八貧と稱す、今其の二三を擧くれば、
   米 買 米買に雪の袋やなげ頭巾     芭蕉
   薪 買 雪の夜はとりわき佐野の薪買はん 依水
   酒 買 さけやよき雪ふみたてし門の前  苔翠
   炭 買 炭一升雪にかさすや山折敷    泥芹
   茶 買 雪にかふはやしことせよちやん袋 夕菊
   豆腐買 手にすへし豆腐を照せ雪の月   友五

以上挙げし所を以て、庵室居常の一斑を知るを得べし。


これは、「俳人芭蕉」 (山崎藤吉著、 俳書堂)から引用(仮名遣い、点はママ)したものじゃ。この「嵐雪の飯焚き」の根拠がどこにあるか、わしは不明にして知らぬが、「芭蕉全伝」の著者の言として信頼せざるを得ん。

ただ、「雪まろげ」は、貞享3年成立。文もそのときのものじゃ。

書生

はあ。「二三を」と言いつつ、6句も出ていますね。

そうですか。嵐雪は飯炊きをしていましたか。

隠居

だが、こんな句があってな、


 雪にみよ払ふも惜しきつるべざほ 曽良 ※雪を払ふ×(金を)払ふも惜し
 はつ雪や菜食一釜たき出だす   路通

曽良は水汲み、飯炊きは路通。

書生

あら、嵐雪ではなくて、路通。

句があれば、路通でよろしいかと。

隠居

そうじゃな。

けどが、「深川八貧」ということは、「深川」に住んでいるということじゃな。路通は、9月上旬から、たまたまいるだけで、定住者ではない。深川住人から見れば、「筑紫の僧」。

書生

「貧」では、誰にも負けませんが、「深川」と言う点では、入れませんか。

隠居

それと、句。

皆、芭蕉に倣って、駄洒落をいれているのだが、路通句はどうにも分からん。

書生

そうですか。

「はつ雪」の「はつ」は、「初×果つ」で、飯炊きをなし「果てる」と掛け、「菜食」を「なめし」と読むと、無礼し(なめし)で、無礼者が炊いたと読めて、路通にぴったり。

隠居

……

書生

難解なのは、路通句である証拠です。

それと、出ましたね。「交わり金を断つ」は、「断金の交わり」ですね。八貧の皆さんは、荷兮との交わりと違って、双方向。正真正銘の断金です。

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